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【竹島問題】 19世紀の日本文部省さえ「独島は朝鮮領土」と認識、という研究論文発表[07/27] [蚯蚓φ★]

668 ::2020/08/12(水) 15:00:32.75 ID:xcMYR8Wf.net
>621
1900年勅令41号の石島
http://takeshima.cafe.coocan.jp/wp/?page_id=267
つまり、1900年当時の欝稜島住民は『石』をDolと発音する江原道出身者が中心であり、『石』をDolと発音している。

この地図にある欝稜島北岸の東、現在の三仙岩や観音島付近に「亭石浦」の地名が描かれ、その発音が『チョンドロボ(Chon-Doro-Bo)』とされているのである。
日本語では「R」と「L」の区別ができないことから、石を「Dok」ではなく「Dol若しくはTol(語頭の場合)」と発音していたことになる

韓国の主張する「訛による変化説」を適用すると5月には「独島」、2ヶ月後には再び「石島」に戻ったことになる。これでは文字の役割さえ果たせないだろう。
なお、全羅道沿岸にも「石島」と表記される島が沢山あるとの情報もある。

>661
80/50てのは請議書の数字だろ
政府判断は60/40

韓国は110年前に竹島の領有権を放棄した? 謎多き「石島」の真実
https://ironna.jp/article/3839/
この記事によれば、1906年7月上旬ごろ、当時韓国に置かれていた日本の韓国統監府から韓国政府内務部に宛てて鬱陵島に関する照会があった。照会事項は「鬱陵島の所属島嶼」と「郡庁の設置年月」だという。

以上のように、「鬱島郡の配置顛末」の記事は韓国政府の竹島/独島領有権主張の大きな柱である「石島=独島」説を否定するという重要な意味のあるものだが、
そのこととは別に、この記事にある照会と回答が行われた経緯を探っていくとさらに重大な意味が浮上する。

 このような経過を見れば、統監府がなぜ鬱島郡の設置に関して質問したのかは明らかだろう。
「大韓帝国の領土が日本の領土になった」という意味のニュースが出たことに対して、日本が領土編入した竹島は本当に鬱島郡の管轄下にあったのかどうかを確認しようとしたのだ。

そして、独島/竹島が日本の領土となったことを知った上で、その独島は鬱島郡の管轄下にはないことを認めたということは、すなわち日本の竹島領土編入には韓国政府として異議がないことを表明したことになる。

つまり、日本の竹島編入には韓国政府も異議がないという形で竹島問題は1906年に既に決着していたことになる。

鬱島郡守報告顛末画像
https:
//takesima20.wiki.f●c2.com/m/wiki/%25E9%25AC%25B1%25E5%25B3%25B6%25E9%2583%25A1%25E5%25AE%2588%25E5%25A0%25B1%25E5%2591%258A%25E9%25A1%259B%25E6%259C%25AB%25E7%2594%25BB%25E5%2583%258F

1909年大韓帝国の鬱島郡認識
https:
//chaamiey.blog.f●c2.com/blog-entry-2516.html?sp&m2=res

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