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【韓国起源】 日本草庵茶は、梅月堂の草庵茶が源流… 千利休の「千」は朝鮮の氏姓、一休宗純の母は高麗宮女[04/21] [LingLing★]

644 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2021/04/21(水) 11:15:53.42 ID:/5+8Ehf1.net
>>10
お茶の種を支那から持ち帰って全国に広めたのは、
聖一国師という静岡のお坊さんな。

仏教の経典を求めて支那(現在の中国がある場所)に船で
旅立ち、1241年に支那(現在の中国)から博多に船で直接帰って来て、お茶の種、まんじゅう、羊羹、うどん、そば、
(製粉技術)を持ち帰り、博多に「承天寺:じょうてんじ」
を建立し、それから京都に行き、故郷の静岡に帰った。
福岡(八女)京都(茶道)静岡(お茶の栽培)は全て茶所になっている。
荒地で蛮族が襲ってくる朝鮮半島は全く通ってない。



「うどん・そば」が博多発祥って知っていました?
 博多祇園山笠発祥のお寺としても知られる博多駅前1丁目にある「承天寺じょうてんじ」(1242年)の境内には「饂飩うどん蕎麦そば発祥之地」という石碑が建っているのです。
承天寺を開いたお坊さん・聖一しょういち国師こくしは仁治2年(1241年)に中国から帰国した際に、製粉の技術を持ち帰ったといわれます。当時は、多くの僧侶たちが博多(那の津)から仏教修行のために中国へ旅立ち、教典とともに多くの書物と技術を持ち帰ったのです。 

このおかげで、きめ細かい粉が作られるようになり「饂飩・蕎麦・饅頭まんじゅう」などの粉物食文化が全国に広まっていったのでしょう。

 饅頭も、聖一国師が博多の町を毎日托鉢たくはつして歩いていたときに、親切にしてくれた茶店の主人に製法を教えたと伝えられています。

教えた饅頭は「甘酒あまざけ饅頭」で蒸したもの。
また羊羹ようかんの作り方も伝えたそうで、中世(鎌倉、室町時代)茶道の発展とともに饅頭も羊羹も広がりました。2008年には饅頭発祥の碑も建てられています。

 ちなみにお茶も博多に最初に伝わっています。日本最古の禅寺「聖福寺しょうふくじ」(1190年)を開いた栄西ようさい禅師が茶種を持ち帰り、背振山に植えたのが最初といわれ「茶祖」と呼ばれました。

 これら承天寺、聖福寺は博多駅から大博通りを歩いて数分のところにあります。

他にもいわれのある寺社仏閣が多数あり、境内や庭園の樹木も大きく、秋も深まると見事に色づいた景色を見せてくれます。食べながら歩きながら、博多の歴史に触れてください。

https://www.city.fukuoka.lg.jp/promotion/mamechishiki/chishiki17.html

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