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【韓国】 流れが変わった元徴用工訴訟、諦め訴訟取り下げも=韓国ネット 「エセ法治国家」 「理性を取り戻そう」 [09/09] [荒波φ★]

605 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2021/09/12(日) 07:45:56.01 ID:2iDzHj8h.net
>>1
2018.11.3
韓国人「韓国人が知らない強制徴用の真実」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/54382912.html
韓国人たちは強制徴用について、まるで韓国戦争の時、人民軍に連行され奴隷のように働かされた人のように思っている。
実際は、それとは全く違う。
とりあえず徴用は、戦時下の労働力不足に対応するために1939年に制定された「国民徴用令」に基づいて、当時、すべての日本国民を対象とした義務であった。
当時の日本国民と言えば、朝鮮人も含まれていたので、朝鮮人にも適用された。これは国際法上、何ら問題ないことである。日本政府が、日本国民(日本と韓半島のすべての日本帝国臣民)に、日本の法律で国民徴用令を発令したからだ。
日本本土では、1939年から徴用が開始され、韓半島では1944年9月から徴用が始まった。むしろ、日本本土よりも遅かった。
それでは、徴用された人は、トンネルを掘ったり、石炭を掘ったり、危険な場所で奴隷のようには足らないのだろうか?
全くそうではない。
徴用施設は、労務管理が整備された事業所のみが、審査を経て指定されていた。
給与も法律で定められていた。徴用された人だけでなく、その家族にも法律で補償が定められていた。
1944年11月に徴用され、東洋工業(現在のマツダ)で徴用生活をしていた鄭忠海が書いた「朝鮮人徴用工の手記」を読むと、かなり良い待遇を受けて働いていたことが分かる。
徴用工は、新たに建てられた寮で生活しており、良い寝具で寝て、食事も戦時状況でも十分に提供された。
当時としては、破格の140円の給料も受けていたため、終戦後は、もう働けないのかと去るのを惜しんだという。
危険な職場ではさらに待遇が良かった。
九州の炭鉱では、月給150〜180円で、勤務成績が良い徴用工には200〜300円支払われた。
日本人も朝鮮人も、すべて同じ額の給料を受け、体力的に優れていた朝鮮人たちが、日本人たちよりも多く金を稼ぐこともあったという。
この高い賃金に憧れて、自分からわざわざ働きに来る人もいた。
このように、徴用が強制連行ではなかったことを示す証拠は数多くある。


2018.11.7
韓国人「原告4人は徴用工ではない!募集に応じた労働者であったという事実を突きつけてきた日本政府wwwwww」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/54402223.html
日本政府、徴用ではないと判断
訴訟を起こした4人が働いていた時期は、徴用が発令される前だったという。

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