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大正時代の島根県地図に載る竹島…専門家「島根県の領土という認識が広く浸透」 [ばーど★]

1 :ばーど ★:2023/01/14(土) 23:08:11.52 ID:bb2W9adH.net
大正時代に発行された「島根県警察統計便覧」や「小学校用島根県地図」などの資料3点に、竹島の記載があることが研究者の調査で分かった。明治38年(1905年)、島根県に編入された竹島。当時の行政機関や教育現場が、竹島について島根県の管轄下とみなしていたことを示す資料で、島根大法文学部の舩杉力修准教授(歴史地理学)は「(竹島は)島根県の領土であるという認識が広く浸透していたことを裏付ける」としている。(佐藤祐理)

 資料は、領土問題の研究をする「日本国際問題研究所」(東京)の委託を受けた舩杉准教授が、昨年7月に島根県内の古書店で発見した。

 警部補巡査定員や巡査賞罰など警察関係の統計がまとめられた「島根県警察統計便覧」は、島根県全図などもあり、県が公的に利用するために発行した資料にあたるという。隠岐国の分図に記載された竹島は、同島を構成する男島(西島)と女島(東島)も描かれているほか、隠岐国と同じ薄緑色に塗られており、島根県隠岐島庁や隠岐の警察の管轄下にあったことが分かるという。

 警部補巡査定員の基準日などから、大正9年(20年)頃の発行とみられる。これまで確認されていた便覧は、島根県竹島資料室が確認している同13年(24年)が最も古かったが、さらに年代が遡る。

以下全文はソース先で

読売新聞 2023/01/14 07:36
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230113-OYT1T50104/
https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/01/20230113-OYT1I50053-1.jpg

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