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「韓国が中国の属国だった過去があるわけない」――韓国の名門大学の学生も知らない「ソウルの独立門」の由来 [6/21] [昆虫図鑑★]
- 766 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2023/06/22(木) 11:20:18.22 ID:rK9PR0ka.net
- 日本の天皇をなお「日王」と呼ぶ人々の複雑感情 「陛下」という呼称にも歴史的背景がある 2019/04/07 5:10 宇山 卓栄 : 著作家 | 東洋経済オンライン
toyokeizai.net/articles/-/274268?page=3
かつて、ソウルの西部には、迎恩門と呼ばれる、中国の勅使を迎えるための門がありました。朝鮮王は中国の勅使がやって来る時、自らこの門にまで出向き、三跪九叩頭の礼で迎えました。
三跪九叩頭の礼とは、臣下が皇帝に対して行う最敬礼です。皇帝の内官(宦官)が甲高い声で「跪(ホイ)!」と号令をかけると、土下座し、「一叩頭(イーコートゥ)再叩頭(ツァイコートゥ)三叩頭(サンコートゥ)」という号令の度に頭を地に打ち付け、「起(チー)」で立ち上がります。そして、また「跪(ホイ)!」で、土下座して同じ行動をします。この土下座のような動きが計3回繰り返されます。
中国の朝鮮支配は長く続きましたが、1894年の日清戦争で、日本が清王朝と戦い、勝利します。翌年、下関条約により、清が朝鮮の独立を承認します。1897年、独立した朝鮮は「大韓帝国」と国号を名乗りました。「韓」は王を意味する雅語で、古代において、三韓にも使われていました。朝鮮王は皇帝となり、「殿下」ではなく、「陛下」と呼ばれるようになりました。
当時、朝鮮の人々はこれを非常に喜び、中国への隷属の象徴であった迎恩門を取り壊し(屈辱を忘れないために、2本の迎恩門柱礎だけを残し)、新しい門を同じ場所に建てました。これがソウル西部の西大門広場に今も残る「独立門」です。
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