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【西田幾多郎】京都学派総合スレッド【森哲郎】

1 :考える名無しさん:2010/09/13(月) 15:40:56 0.net
mixi(mixiディアカテゴリ密閉性の高い議論が可能)
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161 :考える名無しさん:2011/12/18(日) 00:44:15.78 0.net
>>160
どうしたの?


162 :考える名無しさん:2012/01/05(木) 13:43:27.96 0.net
捨てたれど
隠れて住まぬ
人になれば
猶(なお)世にあるに
似たるなりけり

西行

163 :考える名無しさん:2012/01/06(金) 00:22:20.00 0.net
今年は去年の災害をバネにして日本が絶対矛盾的自己同一に発展する

164 :考える名無しさん:2012/01/06(金) 01:39:53.71 0.net
もうこのスレ、絶対矛盾的自己同一はNGワードだろ。
安っぽく使い過ぎる。

165 :考える名無しさん:2012/01/07(土) 21:40:16.84 0.net
安っぽくも何も現実そのものの論理的表現だぜ、絶対矛盾の自己同一は。

166 :考える名無しさん:2012/01/07(土) 23:38:45.54 0.net
西田の「善の研究」以来ずっと一貫して追及してきたことは宗教的体験による
この現実世界の実相の把握だからね。

それが絶対矛盾的自己同一としての宗教的世界観。

167 :考える名無しさん:2012/01/07(土) 23:54:55.92 0.net
よくよく考えると、およそ自己が矛盾してないってことはないんだよね…。
自己というのは、根本的に矛盾しているから自己なんだ。
その自己が世界に対して開かれているかどうかが問題なんじゃないかな。

168 :考える名無しさん:2012/01/09(月) 21:08:40.29 0.net
上の方でもあったがコレ系の人たちは日本独自の哲学をやろうとしたというより
西洋哲学的な形式で語ろうとしただけだからなあ
それが途絶えるというか駆逐されていくのは必然というか

じゃあ西洋哲学の邦訳でいいんじゃねということになる

169 :考える名無しさん:2012/01/09(月) 22:17:50.04 0.net
うまいこと日本仏教思想を西洋哲学で説明したなぁとは
感じるけど、そこで止まってしまうんだよな

170 :考える名無しさん:2012/01/09(月) 23:29:16.71 0.net
西田哲学よりも波多野宗教哲学のほうが好き

171 :考える名無しさん:2012/01/11(水) 23:31:58.50 0.net
確かに波多野誠一の著作は明快で完成された美しい文体で書かれているから、
難しい宗教や哲学の思想を高尚さを保ったまま門外漢にもよく分かるよようだね。


172 :考える名無しさん:2012/01/13(金) 06:21:48.62 O.net
ということで三木清

173 :考える名無しさん:2012/01/13(金) 14:56:42.78 0.net
三木清は未熟だ

174 :考える名無しさん:2012/01/13(金) 15:35:51.50 0.net
では務台理作

175 :考える名無しさん:2012/01/13(金) 17:29:02.23 0.net
からの三木清

176 :名無し:2012/01/15(日) 17:35:33.54 0.net
合志桂太郎は、小学生の時に、同じ塾に通っていた人を
駅のホームから、線路に何度も突き落とした
http://www.kyoto1-jrc.org/shinryo/shinzou/index.html
http://www.kyoto1-jrc.org/shinryo/shinzou/koushi.html

177 :考える名無しさん:2012/01/15(日) 18:10:38.28 0.net
>>158
高橋さんは最高だよ

178 :考える名無しさん:2012/01/18(水) 23:54:44.81 0.net
生きる意味など無いのである
地球が46億年前にでき、30億年前に原始生命が誕生した
多細胞生物→動物→哺乳類→霊長類→ヒト

ナメクジに生きる意味など無いであろう?
人間という種にも別に生きる意味など無いのだよ
気が付いたら「生きる意味」とかアホな世迷い言を考える種になっていた

「意味」とはそもそも、思考する際に考えのよりどころにするもの

だが、ヒトが生きていくために、合理的で生きていきやすい
社会・人生にするために、「意味」を作ることは大切なんだ
「意味」を理解したうえで…

179 :考える名無しさん:2012/01/19(木) 23:55:17.32 0.net
絶対矛盾の自己同一的世相の現代の政治状況

180 :考える名無しさん:2012/01/20(金) 11:40:15.51 0.net
東洋的視点で無を論じたのは、意義があったかと

181 :考える名無しさん:2012/01/20(金) 11:42:23.31 0.net
田辺なんて、ドゥルーズより先を行ってたなーという印象。
しかしこのスレを見ると微妙ですね。
トポス論なんかは脈々と受け継がれてるのかな

182 :考える名無しさん:2012/01/21(土) 11:49:54.32 0.net
哲学の歴史においては思想が「脈々と受け継がれてる」ということはありえない。例えばドゥルーズが
でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
れていた傾向があったといっても間違いではない。それは突然変異のようにぽつりぽつりとあらわれる
しかない。同じ本を読んでもそこから何かを引き出せるという人はわずかなのだ。多くの人は何も引き
出せないでそれを書いた人のせいにする。西田幾多郎にしてもいわゆる「禅」を学んだ人はいくらでも
いたわけでそれをあれほどの形に表した者はそれ以降の仏教学者にもいない。私は道元にも関心がある
が正直今の永平寺に彼の「禅」の核心が「脈々と受け継がれている」とはあまり感じていない。その意
味で田辺元は「ぽつりぽつりとあらわれた」優秀な哲学者である。特に後期の仕事がすばらしいと思う。

183 :考える名無しさん:2012/01/21(土) 19:21:56.62 0.net
ショーペンハウアーのゲーテ論思い出した
目に映る風景に感動して一歩も動けなくなるというくらいの才能が無いから
無駄な書物の山に埋もれて言葉をこねくり回すしか能が無く
何十冊と本を書いても天才の書いた1つの詩にさえ及ばないのだ
そんな奴らが山のようにいる


184 :考える名無しさん:2012/01/21(土) 21:33:40.03 0.net
2011年11月に朝日カルチャーセンターで柄谷行人氏と朝日新聞論説委員の尾関章の対談「汎科学論」
を聞きに行った。その中で柄谷氏は、田辺元が近代科学やべルクソンを乗り越えようとして原因は未
来にあるとか面白いことをいっている、といっていた。おそらくそれは後期の「哲学の根本問題」の
ことだと考えられる。その後の質疑で小林秀雄と湯川秀樹に言及した人がいた。小林秀雄には「感想」
という中断したベルクソン論があるが、田辺元の後期の仕事はいわば小林がやろうとしてはたせなかっ
た現代物理学(アインシュタインの理論や量子力学)との対決が主題となっている。

185 :考える名無しさん:2012/01/22(日) 18:22:56.02 0.net
田辺が科学論や科学哲学やってたのは初期のことだろ、晩年は仏教キリスト教等を総合させた
宗教哲学に向かっていたはず・・・?

186 :考える名無しさん:2012/01/22(日) 21:28:21.49 0.net
たしかに田辺元の最初の著作が「最近の自然科学」1915であり、ドイツ留学から帰国して書かれた著作
が「数理哲学研究」1925であることからもわかるとおりあなたのいっていることは正しい。しかし彼の
最晩年の著作は「数理の歴史主義展開」1954「理論物理学新方法論提説」1955「相対性理論の弁証法」
1955なのだ。全集の下村寅太朗の解説によれば前者は田辺元の仕事の総決算ともいえるものであり、デ
ュラックをはじめとする当時の最新の物理学と田辺哲学との融解が試みられていると同時にドイツ留学で
知り合った同年配のライバル・(まだ「存在と時間」を出版する前のハイデガー)との対決でもあった。
死が近いことを意識した渾身の論文である。柄谷氏も数学基礎論への関心が強いことを考えると彼は西田
より田辺のほうに興味があるのかもしれない。

187 :考える名無しさん:2012/01/22(日) 21:31:33.34 0.net
柄谷www

188 :考える名無しさん:2012/01/24(火) 20:39:28.18 0.net
八巻正治さん

山上の説教は、人に自分が不完全で
有る事を自覚させる事が目的なんだそうだ。

例えば、敵を愛しなさい、と言う戒めは
人が敵を愛せない不完全な存在だと自覚させる
為の言葉だそうだ。

愛についての説明は、有ったけど
敵についての説明は、無かったね。

八巻正治さんよ、アンタにとっての敵とは誰かね?

敵を愛せない自分を愛してくれる神の愛が
無条件の慰めなのだそうだが。
八巻正治さん、わかるかな?
問題は、敵を愛せない事より
敵をつくってしまう人間に問題が有るんじゃないか。

敵を作らないようにすれば
敵を愛する必要は無いんじゃないか?
ねえ八巻正治さん。




189 :考える名無しさん:2012/03/22(木) 19:40:30.42 0.net
>例えばドゥルーズが
>でてくるまではベルクソンは(こういう言葉は嫌いだが)すでに乗り越えられた古くさい思想と考えら
>れていた傾向があったといっても間違いではない。

レトリックで保留しつつ、事実と反する主張をするバカな文章の典型

190 :考える名無しさん:2012/03/26(月) 23:21:05.97 0.net
てかさ、岩波の西田全集はいつ重版されんのかな?
1−6が入手できなくて困ってんだけど。

191 :考える名無しさん:2012/03/28(水) 20:41:42.22 0.net
旧版の全集買えば・・・、全19巻で1万円前後であるけど。

192 :考える名無しさん:2012/04/19(木) 22:05:58.87 0.net
西田全集久しぶりに読み直している、単行本の「善の研究」より全集で読む「善の研究」の方が
迫力で読める。


193 :考える名無しさん:2012/05/01(火) 10:46:46.13 0.net
>>180
そう。それは唯一無二だと思うよ。無といっても禅仏教からのアプローチだけど。
道元が現代に甦って哲学用語で説明してくれているようにさえ思える。

194 :考える名無しさん:2012/05/14(月) 11:21:11.12 0.net
てか善の研究最初からさっぱりわからない
良い解説書があったら教えて、エロい人

195 :考える名無しさん:2012/06/09(土) 18:21:12.54 0.net
つ小坂国継の全注釈

196 :考える名無しさん:2012/06/20(水) 14:40:53.78 0.net
>>147
ホワイトヘッドの有機体哲学の、自然、神、人間の一体プロセスを基本とした
論理体系は、仏教の「草木国土悉皆成仏」の思想と通じるところがある。
西田哲学は、「絶対矛盾的自己同一」を基本として「無(空)の思想」と「即非の論理」を
述べているが、これらの論理が、有機体哲学そして「草木国土悉皆成仏」思想に、どの様に
関わってくるのか、その辺が、西田哲学は曖昧の様に思われる。

197 :考える名無しさん:2012/07/13(金) 22:52:05.29 0.net
西田哲学は神秘主義的宗教体験を持った者で無いと理解できんよ。

198 :考える名無しさん:2012/07/14(土) 11:37:37.75 0.net
>>197
「神秘主義的宗教体験」とは、どの様な体験でしょうか。西田哲学は、「絶対矛盾的自己同一」を、
主観的領域内(自己)の中に閉じ込めていると思われる。「見られている自己(客観的領域)」も
自己の内に捉えると、言う論理は、「見られている自己」としての実体(他我)である客観的存在を無視して
観念的な「見られている自己」を自己の内に対立させている。と、考えられる。この論理では、自己世界と
外部世界(客観的世界)との明確な論理展開が、出来ないのではないかと思う。

199 :考える名無しさん:2012/07/14(土) 12:37:34.21 0.net
> 絶対矛盾的自己同一


200 :catt ◆.catt24qAw :2012/07/14(土) 16:22:16.34 0.net
>>198
西田は
>観念的な「見られている自己」を自己の内に対立させて
はいないと思うよ。

201 :考える名無しさん:2012/07/14(土) 18:11:03.70 0.net
>>200
西田幾多郎は、見る自分(主観的領域)と、見られる外界(客観的領域)が、
自己の内側に自己同一的に存在すると、述べているが、主観的な自己と、外界(客観的存在)と
言う全く相反する存在が自己の内で、対立と調和を繰り返していると、捉えた方が論理として
自然であると思う。

自己の内側にすべての世界があると言う捉え方は、主観的領域内で、すべての問題解決を図って
行こうとする事であり、 外界世界(客観的領域)の問題(事象)は、自己世界では客観的実体ではなく
観念(精神的なもの)として取り込まれるのみである。
従って、主観的問題そして客観的問題を現実的に解決する為には、二元論を肯定し、自己世界(主観的領域)と
外界世界(客観的領域)を実存的に捉えた問題解決が必要と思う。



202 :catt ◆.catt24qAw :2012/07/14(土) 21:20:19.24 0.net
>>201
西田の「つくるものへ」、という言葉は「つくられたもの」を含んだ解でしょう。
ということは二元論を踏み越えないと不可能なのでは?

203 :考える名無しさん:2012/07/15(日) 00:27:17.08 0.net
行為的直観だよ

204 :考える名無しさん:2012/07/27(金) 18:44:16.67 0.net
自分は長年神経症を患っていた。最初は森田正馬を信奉していたけど、
自分の無意識が症状のレベルとして、形を持ったものとして現れてくるにつれて、
関心は森田を離れ、村上春樹の長編小説(「ダンス・ダンス・ダンス」、
「ねじまき鳥クロニクル」、「国境の南、太陽の西」、「海辺のカフカ」など)
に移っていった。そこで、河合隼雄「ユング心理学と仏教」に出会い、
「自分の体験が、見てきた世界が、ここに少なからず書かれている」と感じた。

そこで、西田幾多郎「善の研究」に出会った。この本に書かれてあるすべての
内容を理解、共感することはとてもできなかったけど、とても共感できる部分も
多々あった。こんなに熱心に本を読んだのは、初めてと言ってよかったかもしれない。

205 :考える名無しさん:2012/08/06(月) 23:28:58.90 0.net
哲学者の上山春平氏が死去
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date1&k=2012080600561

206 :考える名無しさん:2012/08/07(火) 00:19:54.24 0.net
むしろ自己の外側に自己があると言っているのが西田。

207 :考える名無しさん:2012/09/13(木) 20:18:33.96 0.net
>>206
「むしろ自己の外側に自己があると言ってるのが西田」と述べているが、
「絶対矛盾的自己同一」と矛盾するのではないかと思う。

208 :考える名無しさん:2012/09/13(木) 20:57:36.66 0.net
主客合一、主客未分じゃよwww

209 :ドンフライgo:2012/09/26(水) 00:25:09.92 0.net
西田幾多郎と鈴木大拙とエーリッヒフロムとマイケルサンデルの本読めば、少しは賢くなれるかな?
西田哲学で大歳卓麻を救ってやってくれ。

210 :考える名無しさん:2012/10/10(水) 23:35:45.31 0.net
上田閑照の本を少しずつ読んでる。
けっこう面白い。

211 :考える名無しさん:2012/10/20(土) 20:15:00.89 0.net
私とは何か

212 :考える名無しさん:2012/12/26(水) 19:34:24.90 0.net
三木清の「パスカルと親鸞」は読みやすいのだけれど、中途半端。
やはり西谷啓治さんの道元の著作はじっくり読ませてくれる。
さらに文章的にこなれていると思えるのは上田さん。

213 :名無しさん:2013/01/11(金) 20:46:24.64 0.net
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf

214 :考える名無しさん:2013/01/25(金) 21:54:16.60 0.net
私的実践にしかならん、ただの認知科学やん
日本人は感覚に依存しすぎ

主観的な感覚なんかに基づく時点でこんな理論、ネタやら芸術やら工学やらに活用できんわな

215 :考える名無しさん:2013/01/25(金) 22:33:51.98 0.net
これまた頭悪そうなのが

216 :考える名無しさん:2013/01/26(土) 00:25:50.79 0.net
悟り厨の生産性の無さ

217 :考える名無しさん:2013/01/29(火) 16:16:13.22 0.net
京都の哲学の道って、実は西田はあまり歩いてないとか聞いたけど
本当はどうなのかね

218 :考える名無しさん:2013/01/29(火) 20:39:37.50 0.net
>>217
思索に没頭しすぎて路肩で蹲っていて警官に誰何された、という逸話があるそうだよ

219 :考える名無しさん:2013/02/21(木) 08:23:35.37 O.net
http://lh3.googleusercontent.com/-kTDz10snpik/AAAAAAAAAAI/AAAAAAAAAAA/JIhdl1Z-wnM/s0/photo.jpg

220 :考える名無しさん:2013/03/04(月) 22:23:56.15 O.net
http://25.media.tumblr.com/tumblr_m5p3zn11Ji1qhk1qho1_500.jpg

221 :考える名無しさん:2013/03/14(木) 12:27:01.65 O.net
http://www.google.co.jp/gwt/x?gl=JP&wsc=tb&u=http://en.wikipedia.org/wiki/Italian_Argentine&ei=ykFBUYT3AYGmkQWI64GoBg


http://www.google.co.jp/gwt/x?gl=JP&wsc=tb&u=http://en.wikipedia.org/wiki/San_Roberto_Bellarmino_(church)&ei=PUFBUb_2F8fOkAXe0IDQDw

222 :考える名無しさん:2013/04/10(水) 23:20:57.47 O.net
http://video.fc2.com/

223 :考える名無しさん:2013/04/20(土) 13:29:34.30 O.net
http://tvcap.dip.jp/2013/4/20/130420-0203320157.jpg
http://tvcap.dip.jp/2013/4/20/130420-0203360197.jpg

224 :考える名無しさん:2013/06/25(火) 18:05:17.84 O.net
(`・ω・´)

225 :考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:38:02.90 0.net
こんな機会でもなければ自分の意見をまとめるといったことをしないアバウトな性格なのでもう少し西
田幾多郎の生い立ちについて書いておこう(笑)。現在の石川県かほく市の大庄屋の家に生まれたもの
の放蕩親父が米の相場(現在の株取引のようなもの)で失敗しかなりの財産を失い(おそらく西田の潔
癖な性格はこのことと無関係ではない)、それを機にかほく市(鎌倉のように海が見える旧宇ノ気町)
にある資産を処分して金沢市に引っ越した。そこで学生時代をすごすことになるのだが、四高の数学教
師北条時敬という人物に最も影響を受けた。学生達のあこがれ(ヒーロー)であった東京帝国大学から
赴任した金沢出身の北条時敬(1858〜1929)は、西田幾多郎より12歳年上で、当時最先端の「数学」だ
けではなく「テニス」「ベースボール」「ワンダーフォーゲル」等のスポーツをこなす「ハイカラ(最
新流行)」な人であったらしい。だから彼が関東地方で当時流行していた「禅」に関心をもっていて自
ら実践していたのもあたりまえであった。

226 :考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:38:36.25 0.net
後に東北帝国大学総長まで務めることになる北条時敬は、鈴木大拙の回想によれば「なかなかの教育
家」であって自宅にも目のかけた生徒を寄宿させていたのであるが西田幾多郎もその中のひとりであ
った。だから「禅」を学ぶために北条時敬に就き従い石川県金沢市の町中から富山県高岡市西田(さ
いだと読む)にある国泰寺派総本山の国泰寺に通うことになるのも自然の流れであった。名前こそ立
派であるが何度か廃寺の危機にも直面した決して大きくはない寺である。ここで寺を再興させようと
していた和歌山県出身の雪門老師に師事することになったのが決定的であった。以前から雪門老師は
金沢市を何度も訪れておりおそらく西田幾多郎も最初は金沢で直接説教を聞いたことであったろう。
現在の常識的な感覚からいって決して歩いていける距離ではない国泰寺への道のりを週末に鈴木や西
田らは歩いて通った。

227 :考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:39:13.16 0.net
3年間の清国留学(中国留学)で硯匠名師に学んだ経験もある雪門老師(1850〜1915)は型破りで厳
しい人であったらしいが残念ながら私はくわしいことは知らない。(水上勉が彼の生涯について小説を
書いているとのこと。私は未読。)越中(富山県)に来たのは一説によると山岡鉄舟(1836〜1888)
の依頼によるという。鉄舟は禅がかなり好きだったようで禅宗の再興に尽力した。(雪門老師は鎌倉市
円覚寺で鉄舟の葬式を行っている)西田幾多郎は学習院教授に任命される40歳くらいまで鎌倉の建長
寺、円覚寺、京都の妙心寺等に熱心に参禅していくことだろう。

228 :考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:41:02.57 0.net
言い忘れたが雪門老師は水上勉と同じく京都市相国寺の出である。
話は前後するが西田幾多郎の通った四高についてどうしても語っておきたい。明治政府による1886年
教育令の改正により帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令が公布され、それに伴い石川県専門学
校が第四高等中学校と改称され、官立に移管された。このことは西田幾多郎の生涯に大きな影響を与える
ことになる。正直私もよく理解しているとはいいがたいのであるが(笑)、それまでの加賀藩の経営から
官立になり校風ががらりと変わった。加賀藩は藩主が学問好きであったことも幸いして自由で学問がさか
んなところであった(おそらく地方では最高レベル)が官立になり上の者は明治政府から派遣された薩摩
藩や長州藩の人材で占められたためがちがちの官僚制が学校を支配した。そもそも四高とは明治政府が自
分達に役に立つ役人を育成するためにつくられた学校であったから政府の考えを吹聴したし、それでなく
ても加賀藩は幕府側についていた過去があったので明治政府から派遣された者が相当いばっていたらしい。
以上のことが主たる原因で反抗的な不良(笑)西田幾多郎は1889年には「行状点欠少」で落第、1890年
には中途退学してしまう。

229 :考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:41:37.25 0.net
ここで四高時代の西田幾多郎君の友達を紹介しておこう(笑)。
鈴木貞太郎君(大拙)(1870〜1966)
説明は不要だろう。1889年に医者である父親が亡くなり学業を続けることができなくなる。学校をやめて、
小学校の英語教師になる。後学問への思いやみがたく東京専門学校(現早稲田大学)に入学。同時に宗教へ
の憧憬が高まり鎌倉円覚寺に参禅する。前にも書いたとおり当時静かな「禅」ブームがあり円覚寺には実業
家から夏目漱石までいろいろな人が集まった。最初に師事した今北洪川禅師はすぐに亡くなったためつづく
法嗣の釈宗演禅師に師事した。のち釈宗演に「禅」を学び仏教を研究しに来ていたベアトリス・レインと結
婚する。寺で恋愛してもいいのか(笑)鈴木君!

230 :考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:42:55.63 0.net
松本文三郎君(1869〜1944)
西田君の一級上。国立国会図書館のデータでは(1865〜1944)とある。余談ながらこの時代の人達の
生年はいいかげんである(笑)。森鴎外(1862〜1922)はたしか年齢をいつわって東京帝国大学に入
学している。青年期の2〜3年の学力差は大きくいかに秀才のほまれ高い森林太郎君でも成績はトップ
クラスにはなれなかった。上位数名になると国費で外国留学できたのだ。なんとしてでも外国留学をし
たかった森林太郎君は陸軍からの誘いを受けてプロイセンへ留学をはたす。彼が金髪美人好きかどうか
私は知らない(笑)。

231 :考える名無しさん:2013/06/30(日) 16:43:51.85 0.net
調べてみると松本文三郎君はインド哲学・仏教学者と書かれてい る。京都帝国大学教授、東方文化研究
所所長ともある。私がよくも知らないのになぜ紋切り型の履歴を 羅列したかというと、四高時代西田君
は藤岡作太郎君、金田良吉君そして松本文三郎君と「我尊会」と いうグループをつくり回覧雑誌をつく
っていたからだ。だから一級上といえどもよく知っていたという べきであろう。幼いころに母親をなく
していらい宗教的なものに関心が強かった、西田君の言葉でいえ ば「弱年にして既に超世間的で深く人
生問題について考えていた」鈴木君とともにインド思想や仏教に ついての知識量は西田君をはるかに超
えていたはずだ。(鈴木君は本気でインドに行きたいと考えてい た。アメリカにいった理由のひとつも
アメリカ経由でインドにいけるかもしれないと考えたからだ。) 西田君からみると、もし仏教学につい
て学んでいってもこのふたりにかなうわけないだろうと考えざる をえないし、むしろいろいろ教えても
らっていたことだろう。「私は多くの友を持ち、多くの人に交っ たが、君(鈴木君のこと)の如きは稀
である。君は最も豪さうでなくて、最も豪い人かも知れない。私 は思想上、君に負ふ所が多い。」鈴木
大拙著「禅と日本文化」序から引用。もともと西田君は数学者に なりたいと考えていた。失礼ながら、
>>67>>69では比較する人が暗黙の内に仏教学者が前提されて いる。(余談だが、中村元晩年の「自
己の探求」や「論理の構造」はすごい!)間違いとまではいわな いがその点において西田君がかなうはず
がないし、本人も級友たちをさしおいてそんなつもりはなかったにちがいない。心をまっさらにして西田
の著作を読んでみたら仏教の 言葉からの引用が意外に少ないのにおどろかされるはずだ。私もお世話にな
ったが禅宗の本というのは「不立文字」といいながら禅語の解説がやたら多い(笑)。私が>>61で「西
田は人が思うほど禅者で はない」といったのはその意味である。

232 :考える名無しさん:2013/11/27(水) 15:12:49.97 0.net
結構面白かった

http://i.imgur.com/f6gqIfZ.jpg

233 :考える名無しさん:2013/12/02(月) 00:16:09.64 0.net
>26 名前:考える名無しさん [sage] :2010/10/23(土) 13:51:18 0
>>25
うんまあ、そういうと>>12に戻るんだが、今さらそんな哲学自体が必要とされてないでしょ。
哲学が力を持っていた時代ならともかく。
このごろは「日本人の心」「仏の心」みたいなワードは商業的にウケやすいから、
うまく時流に乗せて『疲れを癒す、強くなる!日本人に響く西田幾多郎の言葉』みたいな新書出せば
頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ。



こういう謎の優越感に浸れるのは哲学のメリットだな。

234 :考える名無しさん:2013/12/16(月) 17:02:37.03 0.net
西田幾多郎は禅寺へ行くたびに、修行僧にどうやって性処理しているのかと
しつこく聞きまくっていたらしい。

235 :考える名無しさん:2013/12/16(月) 17:17:14.91 0.net
>>233
「謎の優越感」というと、上の文では「頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ」
とか、「商業的にウケやすいから」あたりかな?で、俺は頭が強くて商業的にウケる物なんてハナにもかけないよ!
なんて思ってるって事だね?

236 :考える名無しさん:2013/12/16(月) 22:58:24.03 0.net
西田幾多郎は、ウィリアム・ジェ−ムズと同じように「純粋経験論」を基底とした
思考展開をしているが、西田幾多郎はプラグマティズム理論をどう捉えていたのであろうか。

237 :考える名無しさん:2013/12/19(木) 22:22:37.87 0.net
「物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない」

ってどういう意味?

238 :考える名無しさん:2014/01/01(水) 18:47:03.58 0.net
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/nagasawa/post-273.html
空海が見えなかった西田幾多郎・鈴木大拙

239 :考える名無しさん:2014/02/17(月) 10:07:10.57 0.net
働くとは傍を楽にするという意味があるから、自己を持っていては働けないためである

240 :考える名無しさん:2014/03/08(土) 02:02:18.80 0.net
これはひどい

241 :考える名無しさん:2014/04/24(木) 16:40:50.57 0.net
そろそろ熊野純彦訳西田幾多郎が出てもおかしくないなw

242 :考える名無しさん:2014/06/11(水) 15:06:03.01 0.net
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」とは、「多」と、「一」との“矛盾的自己同一”と述べている。
この「絶対矛盾的自己同一」と、ヘ−ゲルの「弁証法」とは、どの様に連関しているのでしょうか?

243 :考える名無しさん:2014/06/11(水) 15:59:50.50 0.net
>>242
一行目があいまいすぎて二行目の質問が意味を成していない。

244 :考える名無しさん:2014/06/15(日) 01:22:31.55 0.net
西田の講演とか読め。

245 :考える名無しさん:2014/07/20(日) 20:06:45.01 0.net
http://i.imgur.com/sTNnClW.jpg
http://i.imgur.com/6RcIRMv.jpg
http://i.imgur.com/zUyKZDy.jpg
http://i.imgur.com/wCgs3zE.jpg
http://i.imgur.com/EkAHCTI.jpg
http://i.imgur.com/wtts6Bz.jpg
http://i.imgur.com/DDRP6FU.jpg
http://i.imgur.com/rcENadh.jpg
http://i.imgur.com/YHTswv5.jpg
http://i.imgur.com/Y6qXQOB.jpg

246 :考える名無しさん:2014/07/26(土) 03:40:22.71 O.net
善の研究

247 :考える名無しさん:2014/09/29(月) 11:43:36.79 0.net
とにかく注釈が大量に必要なひとだな

ようは難しい。
青空文庫でよめるが、よくわからん、あのへたくそな文章をだれか翻訳してくれ、、、、

思想は深淵ぽいのに、文章がへた。

248 :考える名無しさん:2014/09/29(月) 13:48:47.34 0.net
>そろそろ熊野純彦訳西田幾多郎が出てもおかしくないなw

そんな無駄なことにエネルギーを費やすくらいなら、
熊野純彦は自分で存在論の主著を執筆すべきだろう。

249 :考える名無しさん:2014/09/29(月) 14:47:20.30 0.net
西田幾多郎の「善の研究」に対抗して、熊野純彦には是非、「偽善の研究」を著してもらいたい。

250 :絶対弁証法ってなに?こいつ馬鹿?↓:2014/09/29(月) 20:44:39.10 0.net
「似ていますが、少し違うのです。ヘーゲル弁証法は、
対立する二つの観念が止揚される(両者の意味を含みながらそれらを
統合する新しい観念となっていく)ことによって、
観念が一つ上の次元に上がっていくような過程的弁証法です。
正-反-合と表現されることがありますね。例えば、無-有-成などの弁証法が有名です。分かりますか?」

「はい。分かります」

「次に、絶対矛盾的自己同一の場合は、対立する二つの観念が、
対立すると同時に同一の観念でもあることを示します。その認識の全体像が一つの新しい観念というか
認識を創っているのです。分かりますか?」

「つまり、ヘーゲル弁証法のように、新しい考え方に発展するのではなくて、そのまま異なると同時に同じだという両方をそのまま肯定する考え方なのですね」

「そうです。絶対弁証法ともいい、
異即同、同即異というように絶対的に現在を肯定する考えなのです。
・・・私の任を超えて少し話すぎました」

251 :考える名無しさん:2014/09/29(月) 21:41:45.51 0.net
ヘーゲルの弁証法は矛盾を克服

西田の弁証法は矛盾を包摂したままなんじゃないのか?

だれかかしこいやつ教えてくれ?

252 :理趣経:2014/09/29(月) 22:36:14.77 0.net
絶対弁証法なんてただの仏教のぱくりだろ

253 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 03:57:24.61 0.net
>>251
ヘーゲルは矛盾するものを切り分けそれぞれに本質があると言ったが、
西田は矛盾こそ一の本質であると言った。

254 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 11:04:03.85 0.net
>西田は矛盾こそ一の本質であると言った。

それだと禅問答にとどまってしまうね。
矛盾するものにも、切り分けたそれぞれにも本質がある。

255 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 11:12:37.67 0.net
ヘーゲルと西田の弁証法を組み合わせたら、論理にならんだろ

256 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 11:19:58.07 0.net
すると、その論理が間違っている可能性があるね

257 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 14:50:15.61 0.net
>>254
禅問答をばかにすんな

258 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 19:24:38.66 0.net
>>250
「絶対矛盾的自己同一」とは、対立する二つの観念が、対立すると同時に
同一の観念であることを示しますが、その認識の全体像が西田哲学特有の新しい
哲学概念を現している。

ここで、問題点が提起される。 それは、主観と客観、或いは、有と無の同一(=融合)が、
絶対的に自己の領野に於いて肯定されますが、具体的にどのような「思考過程」で、異即同そして
同即異が、可能となるのかが示されていない。

例えば、現象学の創始者であるフッサ−ルは、「純粋精神(構成的内在)」に至る為の「思考過程」を
“エポケ−”を使用して具体的な思考手順を示している。
難解な西田哲学を理解するうえにも、具体的な思考手順は最も必要なものの一つであると思う。

259 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 19:58:38.38 0.net
矛盾そのものにも本質があるだろうけど、矛盾のないものにも本質はあるだろう。
矛盾のないものと矛盾の関係にも本質があるのではないか。

260 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 20:36:09.40 0.net
>>259
「矛盾のないもの」と、「矛盾」の関係にも“本質”がある。
私も、その通りと考えている。問題は、西田哲学に於いて、
「矛盾のないもの」と「矛盾」が“同一化(=融合化)”するところにある。
この両者が「融合化」する思考過程の手順が、西田哲学で示されているのだろうか。

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