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【西田幾多郎】京都学派総合スレッド【森哲郎】

251 :考える名無しさん:2014/09/29(月) 21:41:45.51 0.net
ヘーゲルの弁証法は矛盾を克服

西田の弁証法は矛盾を包摂したままなんじゃないのか?

だれかかしこいやつ教えてくれ?

252 :理趣経:2014/09/29(月) 22:36:14.77 0.net
絶対弁証法なんてただの仏教のぱくりだろ

253 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 03:57:24.61 0.net
>>251
ヘーゲルは矛盾するものを切り分けそれぞれに本質があると言ったが、
西田は矛盾こそ一の本質であると言った。

254 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 11:04:03.85 0.net
>西田は矛盾こそ一の本質であると言った。

それだと禅問答にとどまってしまうね。
矛盾するものにも、切り分けたそれぞれにも本質がある。

255 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 11:12:37.67 0.net
ヘーゲルと西田の弁証法を組み合わせたら、論理にならんだろ

256 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 11:19:58.07 0.net
すると、その論理が間違っている可能性があるね

257 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 14:50:15.61 0.net
>>254
禅問答をばかにすんな

258 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 19:24:38.66 0.net
>>250
「絶対矛盾的自己同一」とは、対立する二つの観念が、対立すると同時に
同一の観念であることを示しますが、その認識の全体像が西田哲学特有の新しい
哲学概念を現している。

ここで、問題点が提起される。 それは、主観と客観、或いは、有と無の同一(=融合)が、
絶対的に自己の領野に於いて肯定されますが、具体的にどのような「思考過程」で、異即同そして
同即異が、可能となるのかが示されていない。

例えば、現象学の創始者であるフッサ−ルは、「純粋精神(構成的内在)」に至る為の「思考過程」を
“エポケ−”を使用して具体的な思考手順を示している。
難解な西田哲学を理解するうえにも、具体的な思考手順は最も必要なものの一つであると思う。

259 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 19:58:38.38 0.net
矛盾そのものにも本質があるだろうけど、矛盾のないものにも本質はあるだろう。
矛盾のないものと矛盾の関係にも本質があるのではないか。

260 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 20:36:09.40 0.net
>>259
「矛盾のないもの」と、「矛盾」の関係にも“本質”がある。
私も、その通りと考えている。問題は、西田哲学に於いて、
「矛盾のないもの」と「矛盾」が“同一化(=融合化)”するところにある。
この両者が「融合化」する思考過程の手順が、西田哲学で示されているのだろうか。

261 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 21:39:57.27 0.net
フッサールなんかと、巨人西田を比較するとはwwwwww

262 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 23:01:00.81 0.net
西田哲学の基底となっているのは「純粋経験」であり、この「純粋経験」の概念から
論理展開を進めている。この「純粋経験」に至るには、現象学的思考よって実践される。
つまり、「形式論理思考」から「純粋経験」へ至ることはできない。西田幾多郎はウィリアム・ジェイムズの
「純粋経験」の影響を大きく受けているが、ウィリアム・ジェイムズは当時のヨ−ロッパに於ける現象学的な
流れ(マッハ等)を吸収している。そして、このマッハの影響を受けているのがフッサ−ルであり、すべてが関連
しているのである。

263 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 23:06:53.29 0.net
↓インターネットワイドショー掲示板に乱入する禁書厨を批判して欲しい↓
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/tv/index.html
↑インターネットワイドショー掲示板に割り込む禁書厨を非難して欲しい↑
必ずデジモンを無条件で全部擁護して欲しい
絶対にデジモンを無条件で全部擁護して欲しい
確実にデジモンを無条件で全部擁護して欲しい
100%デジモンを無条件で全部擁護して欲しい
十割デジモンを無条件で全部擁護して欲しい

264 :考える名無しさん:2014/09/30(火) 23:49:11.50 0.net
フッサールは浅い
西田はもっと深い
仏教的といっていい

265 :考える名無しさん:2014/10/01(水) 17:53:26.72 0.net
フェリペ二世はポルトガルの王までやっていた


まあ屑だな。

ああいう戦国時代の王とか

266 :考える名無しさん:2014/10/02(木) 00:25:26.63 0.net
大蔵商事
創価学会
こういうカルトがなくならないと、仏教の価値が下がる

267 :考える名無しさん:2014/10/30(木) 11:21:41.10 ID:erDeXmWzi
僕は音楽で神秘体験をしているので、西田幾多郎に共感します。

いま注目しているのは西田の影響を受けた根井康之です。

根井康之は21世紀を代表する思想家になるかもしれません。



東西の形而上学の統合による「世界哲学」としての絶対無の形而上学の形成

http://www.geocities.jp/neieiko/ron/ron3.html

268 :考える名無しさん:2014/10/30(木) 11:33:53.05 ID:erDeXmWzi
最後の部分を抜粋しました。

この諸科学と形而上学が統合された統一的・全体的な知を一人ひとりの個人が、
わがものとして獲得することにより、科学的知識と技術的意志によって
その生を制御される諸個人が、感覚的世界から超感覚的世界へ翻転し、
その最深層の次元に於いて、究極的実在と合一し、<本来的自己>を実現するとともに、
再び感覚的世界に還帰し、生活の全領域において生ずる諸問題を根底的に解決することが可能となる。

それによって、科学的知識と技術的意志によって制御された猪個人の生は、
その自己閉鎖性を克服し、他のすべての個物・個人と創造的エネルギー・生命によって
一つに結びつけられた全実在界大の自己=<本来的自己>を実現するための外的条件となるのである。
それが、一人ひとりの個人が自己のうちに貫流・充満する同一の創造的エネルギー・生命が、
他のすべての個物・個人のうちにも貫流・充満しており、
それによって自己が他のすべての個物・個人と一つに結びつけられている
――という一体観に歓喜を覚えるという、生の究極目的を実現するということにほかない。

269 :考える名無しさん:2014/10/30(木) 13:18:00.38 ID:odmmH9Gqc
あなたの潜在能力を引き出します!
http://www.senzainouryoku-lab.com/

270 :考える名無しさん:2014/11/04(火) 13:04:01.19 ID:9Y+aT2C8L
新プラトン主義を復活させよう。

271 :考える名無しさん:2015/06/22(月) 15:44:09.77 ID:Hv04wFy9u
物事を『ある』とみるか『なる』とみるかで叙述は変わるよな。

272 :S、イマムラ:2015/06/22(月) 16:19:58.33 ID:hf7mpv7q1
c点論者

「文献学」の英才は別に成って、昼寝していて下さい。
サイト「c点による時空論 改訂版」の熟読者に、お伝えします。

@絶対矛盾的 → 「有」と「無」 と考えたい。
A自己同一  → 「有」=「無」 とこれは矛盾である。
B科学では、「矛盾の否定」が大原則。
C絶対矛盾的自己同一   →   科学では「ナイ」。
Dこれは   「哲学」でもない。 哲学でも矛盾は許されない。
Eこれは   「本質論」である。 何故なら、矛盾が許されている。

273 :S、イマムラ:2015/06/22(月) 16:40:20.98 ID:hf7mpv7q1
c点論者

F「哲学」は、有る時代、ある場所、有る集団(民族、国民など)に
  おいて、合理的論理正しい了解可能な「観念」から、論理正しく
  連合した「観念連合」により、至った「真理」は、「哲学的真理」
  と言える。
G「哲学」は「永遠の真理」では無く、哲学は「変化」する。つまり、
 哲学の出発「観念」が、時代、場所、集団などの変化に「応じて変化」
 するからで有る。
H西田哲学の「本質」は「信ずる者ノミに許される」
 よった、「本質論」と言うべきである。
 「権威ある学者」や「文献」を根拠に、その正当性を言うべきでは無い。

274 :S、イマムラ:2015/06/22(月) 16:43:46.73 ID:hf7mpv7q1
c点論者

「本質論」については
    サイト「c点による時空論 改訂版」を熟読されたい。

275 :S、イマムラ:2015/06/22(月) 16:54:33.67 ID:hf7mpv7q1
c点論者

 西田哲学を「間違い」と言うのでは無い。
 これは、「本質論」としては、優れた「思索」である。

 「c点」と「絶対矛盾的自己同一」とは、非常に類似した「観念」
 である。c点論も「本質論」である。

276 :S、イマムラ:2015/06/23(火) 07:13:32.50 ID:bf/6g6y4H
c点論者

@「絶対矛盾的自己同一」が、「有」=「無」  と言う矛盾
A「色即是空」は、c点論者には、 やはり、 「有」=「無(空)」
  なる矛盾
  竜樹や唯識派によれば、  「有」も含めて、総てが「無」
  これは、矛盾では無くて、「認識主体」も、「認識対象」も、そして
  「認識行為」も無い。しかし、科学でも無く、哲学でも無く、
  ナンセンス。だが、「信ずる者ノミ許される真理」
  「矛盾」が許される「本質論」にほぼ同一。
B西田哲学も竜樹の「空」理論も、科学や哲学で無く、「本質論」
C同様に「華厳経」も、「本質論」。科学では無い。
 華厳経宇宙が「量子力学」に類似?すると言うがあるが、華厳経宇宙
 には「流動する時間が無い」。この成立した古代インドには、科学の
 「プランク時間」など無く、「本質論」を「科学」に結びつける試論
 は、認められ無い。

277 :S、イマムラ:2015/06/23(火) 07:26:20.58 ID:bf/6g6y4H
c点論者

Dここでc点論(本質論)は、「仏教が本質論」であると言う理由で
「仏教を否定する者では無い」。
E蛇足ながら、「日本仏教」は、これまで西田哲学に関連して論じた
 「絶対自力」(主として禅)の信仰のみでは、無い。ただ、「教養
 仏教」として、多くのフアンが居るのは認めざるを得ません。

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