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【西田幾多郎】京都学派総合スレッド【森哲郎】

1 :考える名無しさん:2010/09/13(月) 15:40:56 0.net
mixi(mixiディアカテゴリ密閉性の高い議論が可能)
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68 :考える名無しさん:2011/04/30(土) 14:55:40.31 0.net

後に東北帝国大学総長まで務めることになる北条時敬は、鈴木大拙の回想によれば「なかなかの教育
家」であって自宅にも目のかけた生徒を寄宿させていたのであるが西田幾多郎もその中のひとりであ
った。だから「禅」を学ぶために北条時敬に就き従い石川県金沢市の町中から富山県高岡市西田(さ
いだと読む)にある国泰寺派総本山の国泰寺に通うことになるのも自然の流れであった。名前こそ立
派であるが何度か廃寺の危機にも直面した決して大きくはない寺である。ここで寺を再興させようと
していた和歌山県出身の雪門老師に師事することになったのが決定的であった。以前から雪門老師は
金沢市を何度も訪れておりおそらく西田幾多郎も最初は金沢で直接説教を聞いたことであったろう。
現在の常識的な感覚からいって決して歩いていける距離ではない国泰寺への道のりを週末に鈴木や西
田らは歩いて通った。


69 :考える名無しさん:2011/04/30(土) 19:55:28.33 0.net
>>67
国内的には西田
国際的には鈴木
業績で考えれば中村

70 :考える名無しさん:2011/05/01(日) 09:07:46.68 0.net
3年間の清国留学(中国留学)で硯匠名師に学んだ経験もある雪門老師(1850〜1915)は型破りで厳
しい人であったらしいが残念ながら私はくわしいことは知らない。(水上勉が彼の生涯について小説を
書いているとのこと。私は未読。)越中(富山県)に来たのは一説によると山岡鉄舟(1836〜1888)
の依頼によるという。鉄舟は禅がかなり好きだったようで禅宗の再興に尽力した。(雪門老師は鎌倉市
円覚寺で鉄舟の葬式を行っている)西田幾多郎は学習院教授に任命される40歳くらいまで鎌倉の建長
寺、円覚寺、京都の妙心寺等に熱心に参禅していくことだろう。




71 :考える名無しさん:2011/05/01(日) 11:00:50.65 0.net
言い忘れたが雪門老師は水上勉と同じく京都市相国寺の出である。

話は前後するが西田幾多郎の通った四高についてどうしても語っておきたい。明治政府による1886年
教育令の改正により帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令が公布され、それに伴い石川県専門学
校が第四高等中学校と改称され、官立に移管された。このことは西田幾多郎の生涯に大きな影響を与える
ことになる。正直私もよく理解しているとはいいがたいのであるが(笑)、それまでの加賀藩の経営から
官立になり校風ががらりと変わった。加賀藩は藩主が学問好きであったことも幸いして自由で学問がさか
んなところであった(おそらく地方では最高レベル)が官立になり上の者は明治政府から派遣された薩摩
藩や長州藩の人材で占められたためがちがちの官僚制が学校を支配した。そもそも四高とは明治政府が自
分達に役に立つ役人を育成するためにつくられた学校であったから政府の考えを吹聴したし、それでなく
ても加賀藩は幕府側についていた過去があったので明治政府から派遣された者が相当いばっていたらしい。
以上のことが主たる原因で反抗的な不良(笑)西田幾多郎は1889年には「行状点欠少」で落第、1890年
には中途退学してしまう。


72 :考える名無しさん:2011/05/01(日) 15:04:48.09 0.net
>>71
面白い。続きたのむ。


73 :考える名無しさん:2011/05/01(日) 17:32:59.32 0.net
ここで四高時代の西田幾多郎君の友達を紹介しておこう(笑)。
鈴木貞太郎君(大拙)(1870〜1966)
説明は不要だろう。1889年に医者である父親が亡くなり学業を続けることができなくなる。学校をやめて、
小学校の英語教師になる。後学問への思いやみがたく東京専門学校(現早稲田大学)に入学。同時に宗教へ
の憧憬が高まり鎌倉円覚寺に参禅する。前にも書いたとおり当時静かな「禅」ブームがあり円覚寺には実業
家から夏目漱石までいろいろな人が集まった。最初に師事した今北洪川禅師はすぐに亡くなったためつづく
法嗣の釈宗演禅師に師事した。のち釈宗演に「禅」を学び仏教を研究しに来ていたベアトリス・レインと結
婚する。寺で恋愛してもいいのか(笑)鈴木君!

74 :考える名無しさん:2011/05/02(月) 21:21:19.35 0.net
>>73
鈴木君は金髪美人好きなのねww
(金髪なのかは知らんが)

75 :考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:25:24.06 0.net
松本文三郎君(1869〜1944)
西田君の一級上。国立国会図書館のデータでは(1965〜1944)とある。余談ながらこの時代の人達の
生年はいいかげんである(笑)。森鴎外(1862〜1922)はたしか年齢をいつわって東京帝国大学に入
学している。青年期の2〜3年の学力差は大きくいかに秀才のほまれ高い森林太郎君でも成績はトップ
クラスにはなれなかった。上位数名になると国費で外国留学できたのだ。なんとしてでも外国留学をし
たかった森林太郎君は陸軍からの誘いを受けてプロイセンへ留学をはたす。彼が金髪美人好きかどうか
私は知らない(笑)。

76 :考える名無しさん:2011/05/03(火) 10:39:39.05 0.net
話をもどそう。
調べてみると松本文三郎君はインド哲学・仏教学者と書かれてい る。京都帝国大学教授、東方文化研究
所所長ともある。私がよくも知らないのになぜ紋切り型の履歴を 羅列したかというと、四高時代西田君
は藤岡作太郎君、金田良吉君そして松本文三郎君と「我尊会」と いうグループをつくり回覧雑誌をつく
っていたからだ。だから一級上といえどもよく知っていたという べきであろう。幼いころに母親をなく
していらい宗教的なものに関心が強かった、西田君の言葉でいえ ば「弱年にして既に超世間的で深く人
生問題について考えていた」鈴木君とともにインド思想や仏教に ついての知識量は西田君をはるかに超
えていたはずだ。(鈴木君は本気でインドに行きたいと考えてい た。アメリカにいった理由のひとつも
アメリカ経由でインドにいけるかもしれないと考えたからだ。) 西田君からみると、もし仏教学につい
て学んでいってもこのふたりにかなうわけないだろうと考えざる をえないし、むしろいろいろ教えても
らっていたことだろう。「私は多くの友を持ち、多くの人に交っ たが、君(鈴木君のこと)の如きは稀
である。君は最も豪さうでなくて、最も豪い人かも知れない。私 は思想上、君に負ふ所が多い。」鈴木
大拙著「禅と日本文化」序から引用。もともと西田君は数学者に なりたいと考えていた。失礼ながら、
>>67>>69では比較する人が暗黙の内に仏教学者が前提されて いる。(余談だが、中村元晩年の「自
己の探求」や「論理の構造」はすごい!)間違いとまではいわな いがその点において西田君がかなうはず
がないし、本人も級友たちをさしおいてそんなつもりはなかったにちがいない。心をまっさらにして西田
の著作を読んでみたら仏教の 言葉からの引用が意外に少ないのにおどろかされるはずだ。私もお世話にな
ったが禅宗の本というのは「不立文字」といいながら禅語の解説がやたら多い(笑)。私が>>61で「西
田は人が思うほど禅者で はない」といったのはその意味である。

77 :考える名無しさん:2011/05/04(水) 13:15:50.97 0.net
申し訳ありません。鈴木大拙の記述に誤りがありました。
1889年に医者である×父親が亡くなり学業を続けることができなくなる
1889年に医者である◯母親が亡くなり学業を続けることができなくなる

幼いころに×母親をなく していらい宗教的なものに関心が強かった
幼いころに◯父親をなく していらい宗教的なものに関心が強かった


78 :考える名無しさん:2011/05/04(水) 20:39:41.07 0.net
おもしろそうだが読む気がしない。
演出に問題がありそうだ。
長文を連投するときには読者を引きつける方法を使うのが常道だがな。
哲学板も技術不足だな。

79 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 14:21:05.17 0.net
西田の哲学論文集は、禅の悟りの境地を論理的な世界観で述べているだけだなwww

ヨーガや禅や神秘主義の立場から見れば陳腐な常識に過ぎないwww

80 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 14:48:40.24 0.net
まっ、ヘーゲル哲学もそうだけどね・・・。

81 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 15:23:18.85 0.net
見識が浅いなあ
悟りの境地を如何に哲学と結びつけるか、
如何に別の言葉で表現するかが難しいんだよ
もちろん禅にかぎらずあらゆる思想がそうだが
それがわからないのは哲学したことがない証拠

82 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 15:29:30.00 0.net
何言ってるんだかwww
善の研究はともかく、西田の哲学論文集は宗教的神秘体験を少しでも齧っていないと
何のことやらサッパリ理解できないよ。


83 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 16:30:01.96 0.net
西田ははっきりと自分の哲学は神秘主義ではないといいきっている。

84 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 16:38:55.22 0.net
そういう風に言ってるけど実質西田哲学はヘーゲル哲学と同じ理性の神秘主義だよ。


85 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 16:59:58.69 0.net
理性の神秘主義てw

86 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 17:46:16.82 0.net
私は、もし西田の思想が神秘的であるとしたら次ような意味においてでしか認めない。
世界がどのようにあるか、ということが神秘的なのではない。世界がある、ということが神秘的なのである。「論理哲学論考」

87 :考える名無しさん:2011/05/08(日) 23:30:57.46 0.net
しかしこのスレまたーりしてますなァ。

西谷啓治は体得していたんだろうか。
ウィトは正法眼蔵に手が届きそうな段階で死んでしまった。

牧野紀之によると波多野精一はヘーゲルを理解できなかったらしい。

88 :考える名無しさん:2011/05/11(水) 12:24:49.60 0.net
議論を衒う弁証法に対して批判的だっただけ・・・、ヘーゲル哲学は西田以上に深く
理解しておられるよ、波多野精一博士は。
波多野宗教哲学は、西田哲学以上の日本思想史上の至宝である。

これに匹敵するのは本山神学ぐらいなものだろう・・・。

89 :考える名無しさん:2011/05/13(金) 23:07:25.19 0.net
>>88
>>87だが、巣鴨駅から歩いて15分ぐらいで都営染井霊園がある。
波多野精一の墓があるよ。


90 :考える名無しさん:2011/05/17(火) 20:21:49.17 0.net
おい!幾多郎!


91 :catt ◆.catt24qAw :2011/05/17(火) 20:55:58.25 0.net
>>89
波多野氏の墓参りはぜひ行きたいなあ。

92 :考える名無しさん:2011/05/22(日) 15:37:44.64 0.net
新版の全集が品切重版未定ばかりで手に入らないんだよなぁ・・・
オンデマンド出版とかしてくれんか

93 :考える名無しさん:2011/05/22(日) 21:36:12.33 0.net
わざわざ新版買わなくても旧版でいいんじゃないか

それにしても西田全集と三木全集は安く転がってるが
田辺と西谷が全然ない

94 :考える名無しさん:2011/05/23(月) 21:58:10.92 0.net
少し話がずれるが西田は全集を持たない人であったらしい。弟子の高坂正顕によると「先生は殆ど全集らしい
ものは集めていられなかった。カントもヘーゲルも先生は全集を持っていられなかったようである。先生のと
ころにあった全集は、ジョウエット訳のプラトン、ベーメ、アウグスチヌス位ではなかったかと思う。」何し
ろ鎌倉の西田に「先生の指図でよく色々の書物をその棚から探し出してお送りした」くらいの人なのだからこ
の話は間違いないだろう。西田論文の書物からの引用はいいかげんだとの批判があるが人の説は自分が考えて
いることを説明するときのたしにすぎない、と思っていたのかもしれない。

95 :考える名無しさん:2011/05/23(月) 22:09:45.19 0.net
解釈が恣意的でないかぎりはそれが本当の哲学というもんなんだろうな。
しかし今は学会という閉鎖空間の中の学問という傾向が支配的だからね、
全集持っていないと引用もできないし話にならないなんてことになった。

西田の「読書」っていうエッセイにも全集持ってないって書いてあったな。
思想家の骨というものをつかめばそれでよい、って。

96 :catt ◆.catt24qAw :2011/05/23(月) 22:19:43.00 0.net
すごく納得がいくエピソードです。それ。

97 :考える名無しさん:2011/05/24(火) 07:43:10.11 0.net
西田の論文って「誰々はこういうこと言ってた(気がする)」ってとこが多いよな。
昔はそれでもOKだったんだろうけど、今は引用箇所とか明記しないとうるさいから
ちょっと論文書くにも全集が必要だったり。

98 :考える名無しさん:2011/05/24(火) 23:35:35.32 0.net
おっしゃるとおりだとは思うが要はいってる内容だと思う。一方で引用だらけの内容ゼロというのもあ
るわけだから。「昔はそれでもOKだったんだろうけど」とあるが九鬼周造や和辻哲郎などを読むとそこ
はきちんとしているのでやはり西田が例外なのではないか(笑)。


99 :考える名無しさん:2011/05/25(水) 12:45:05.58 0.net
西谷はジュンク堂にあるんじゃない?


100 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 12:54:21.13 0.net
国連の教育科学文化機関のユネスコから翻訳選定されてる日本の哲学書は、
西田の「善の研究」と中村元の「東洋人の思惟方法」と和辻哲郎の「風土」、
それと波多野精一の「時と永遠」と本山博の「宗教体験の世界」しかないよね・・・。

西洋ではカントやヘーゲルが入っているのに日本のは近現代の哲学書のみ。
どうして道元や空海を翻訳選定しないんだろう・・・?

101 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 13:09:53.61 0.net
ありゃ哲学書じゃなくて示衆や語録の類だひょ?


102 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 13:24:21.88 0.net
>>100 内容は深いと思うけど、あくまで中世の仏教書だからなぁ

103 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 16:46:19.40 0.net
聖アウグスチヌスやトマス・アキュナスの思想が哲学なら、道元や空海の思想も
立派な哲学だけどな・・・。

104 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 18:30:42.73 0.net
和辻の『風土』ってそんなとりあげるほどのものかね
『倫理学』取り上げたほうがいいと思うんだが、あれは色々な点でやはりアウトかな

105 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 20:43:33.61 0.net
なんで本山博やねん?

106 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 21:01:58.50 0.net
本山神学は日本よりも世界での方が有名だから・・・。
ユネスコ認定の現代世界の十大心理学・哲学者のひとりにアジア人では唯一選ばれているから。

日本では知る人ぞ知る程度。

107 :考える名無しさん:2011/05/26(木) 23:03:08.09 0.net
選考委員が無知だからだと思う。アカデミー賞と同じ。あと世界遺産と同じで経済的なプッシュがある
とかコネクションとか。だから選ばれていないからといって気にすることもないし、選ばれているから
といっていばることもなし。

108 :考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:02:17.52 0.net
俺が嫌いなのは西田ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの西田に託し、西田が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない


109 :考える名無しさん:2011/06/18(土) 22:19:11.37 0.net

機械さん 自己紹介乙です

110 :考える名無しさん:2011/06/20(月) 15:39:35.97 0.net
熱狂するも何も、あの難解晦渋な哲学論文集を西田の全集購入者の何パーセントが理解できるのか?
おそらく大部分の購入者は本棚の飾りにしかならないだろ・・・。

一通り読んだ人のうちの何人が理解してるのだろうか?

111 :catt ◆.catt24qAw :2011/06/20(月) 17:13:40.79 0.net
>>110
書物を理解する、というのは哲学的に考えれば、無理としか言いようがないです。

112 :考える名無しさん:2011/06/20(月) 21:39:39.35 0.net
そういうポストモダン的なエセ哲学者気取りの詭弁はやめてください

113 :考える名無しさん:2011/06/29(水) 00:47:19.10 0.net
このスレで波多野精一がとりあげられてるので
気になって、古本屋で「宗教哲学」を買って
読み始めました

想像していたのと違って、ずいぶん読みやすいので
驚いています
「わかりやすい」と言えるかどうかわかりませんが、
西田はもちろんのこと、田辺とかよりもずっと読みやすい

114 :考える名無しさん:2011/07/09(土) 04:09:37.11 0.net
【東大の数学 vs 京大の数学】 


・東京大学の数学者

伊藤清   (東大卒、2006ガウス賞)
小平邦彦 (東大卒、東大教授、1954フィールズ賞、1984ウルフ賞)
佐藤幹夫 (東大卒、1997ショック賞、2002ウルフ賞)
岩澤健吉 (東大卒、1962コール賞)
志村五郎 (東大卒、1977コール賞、1996スティール賞)
中島啓   (東大卒、2003コール賞)
小林俊行 (東大卒、東大教授、2007サックラー・レクチャー、2008フンボルト賞)
平地健吾 (東大教授、2006ベルグマン賞)
大栗博司 (東大博士、東大主任研究員、2008アイゼンバッド賞、2009フンボルト賞)


・京都大学の数学者

広中平祐  (京大卒だがハーバード教授、1970フィールズ賞)
森重文    (東大に行きたかったが1969年の東大入試中止で京大卒。名古屋大学教授。1990フィールズ賞とコール賞。
藤重悟    (京大卒だが東大で助手や講師、2003ファルカーソン賞)
荒木不二洋 (京大卒だがプリンストンでphd取得。2003ポアンカレ賞)


115 :catt ◆.catt24qAw :2011/07/09(土) 04:45:40.71 0.net
西田の書を読むんじゃない、西田を感じるんだ。(ブルース・リー)

116 :考える名無しさん:2011/07/11(月) 08:09:36.43 0.net
図書館でふと人生論ノート読みたくなって
閲覧申請したら書庫から初版本が出てきて興奮した

三木とか判子押してあって、もうね寝る

117 :考える名無しさん:2011/07/13(水) 18:09:27.21 0.net
三木清は未熟だ・・・、やっぱ哲学は西田だろ。

118 :考える名無しさん:2011/07/13(水) 18:35:22.49 O.net
西田幾多即一郎

119 :考える名無しさん:2011/07/13(水) 18:35:40.57 0.net
>>118
座布団一枚

120 :考える名無しさん:2011/07/23(土) 10:13:25.95 0.net
私は何度も「善の研究」を読んで、脳が明らかに変わったと感じています。
この点はもう少し突っ込んで探求していけば、おもしろい結論になるかもしれません。
流し読みを含めますと「数十回」は読んでいます。
何百冊とくだらない本を読むより、「善の研究」を一冊、何回も読んだ方が自己の霊的
向上には格段の効果があります。

あの一冊には世界と歴史の過程で出てきた善の全体とその問題点、ならびに高い霊的見
地からの評価が模範的に書かれておりますので、善を目的としている方は必読の本だと
思います。



121 :考える名無しさん:2011/07/27(水) 17:35:15.81 0.net
善の研究は未だ未熟だ!!!


122 :考える名無しさん:2011/07/27(水) 18:02:48.41 0.net
「脳が変わった」、「自己の霊的向上」、「高い霊的見地」・・・

123 :考える名無しさん:2011/08/05(金) 17:07:08.73 0.net
みんなで悟ればこわくない

124 :考える名無しさん:2011/08/27(土) 22:42:00.52 0.net
>>120
残念ながら西田の真価は「善の研究」よりも「場所」以降の後期の仕事にあると思う。「善の研究」は
まだウィリアム・ジェームズ等の枠の中にいる。彼の真価はそこから出たところにあるのだ。

125 :考える名無しさん:2011/08/27(土) 23:37:22.13 0.net
この人の本、正直まともに読めないんだけど 俺がおかしいのかな?
それとも、読める人が一般人と比べておかしいのかな?

126 :考える名無しさん:2011/08/28(日) 00:53:22.83 0.net
「絶対矛盾的自己同一」だけでいいよ

127 :考える名無しさん:2011/08/28(日) 08:27:04.89 0.net
「まともに読め」る「読めない」とはどういう意味か?例えば「善の研究」に関していえば難解ば造語
は使っていないし、晩年の「デカルト哲学について」を読めば基本的な西田の立場が普通に書いてある
。この立場に反対するにしろ賛成するにしろそのことは又別の話だ。言葉の普通の意味でろくに読みも
しないで、西田に対して一般に流通しているイメージについて語ることはあまりに安易だ。

128 :考える名無しさん:2011/08/28(日) 12:34:44.04 0.net
>>127
「善の研究」の改訂版は、まだいいとしても、旧版は、とても読めたシロモノじゃなかったよ(内容理解以前にね)
まあ、どちらも最初手にとったときは、前知識が無かったもので、内容がまったく理解出来なかったが。
文庫化されてる「善の研究」で手が止まって全集まで行ってなかったが、今度読んでみようと思うわ。
ただ最後の下村寅太郎の
「哲學専攻者の間だけでなく一般讀書人にも最も廣く愛讀され普及した哲學書であった」
と言う下りで、ほんとかよと思っただけ。

129 :考える名無しさん:2011/08/28(日) 18:06:02.79 0.net
そういうことであれば前言は撤回しよう。
下村寅太郎の言説には注が必要かもしれない。当時「善の研究」は哲学書にしては異例に売れたことを
いっている。ちょうど1980年代に現代思想ブームが起こった時に思想書例えば「構造と力」が非常に
売れたように。(部数は比較にならないとは思うが)そのため西田のいる京都帝国大学に哲学を学びた
いと考える高校生も多くでてきた。

130 :考える名無しさん:2011/08/28(日) 18:49:18.82 0.net
そういう背景があったのか、当時の18.19歳の学生が必読していたって
聞いて、当時の人は、子供ですらこんな本を読めていたのかと驚いたけど。
「いき」の構造と同じような事が、善の研究でもあったのね。

131 :考える名無しさん:2011/08/28(日) 19:58:21.49 0.net
●へ゜イカレン_ト・コ_ンサ_ルティング
・新卒内定切りで有名なクソ企業。実行犯の執行役員南_部は社長がまだ在籍中。
・売れない社員は何もない部屋に監禁され、休職退職強要、カメラ監視。
・今年入社した新卒の半数が退職済


132 :考える名無しさん:2011/08/28(日) 22:17:44.42 0.net
そもそも「善の研究」に書かれている「純粋経験」などは禅仏教に親しんでいる当時の知識人やその子
弟にとっては今より理解しやすい環境があったかもしれない。禅宗の坊さんからすればこの程度のこと
は初歩に学ぶことだからだ。西洋の文脈からするとW・ジェームズ(純粋経験)やベルクソン(純粋持
続)は18世紀から支配的であったデカルト主義(厳密にいえばデカルト本人は違う)の機械的世界観そ
れを応用した科学論と唯物論を乗り越える新しい思想としてあらわれた。基本的には現代の日本人も小
学生の時からデカルト主義を学ぶため西田の著書が読みにくくなっている原因となっている。しかし(
私見だが)物質から生命は生まれないし唯物論では生命を説明できないと思う。

133 :考える名無しさん:2011/08/29(月) 14:17:07.98 0.net
『善の研究』読む前に大乗起信論読んでおけば解りやすいな

134 :考える名無しさん:2011/08/31(水) 21:30:15.66 0.net
私の場合井筒俊彦の本で「大乗起信論」を読んだだけであるが、たしかに西田のいっていることと共通
する部分がかなりある。しかし個人的には仏典のことはあまり気にせず「哲学」として読むことをおす
すめしたい。後期西田の関心は(ベルクソンと同様に)相対性理論や量子力学を射程に入れていたのだ
から。

135 :考える名無しさん:2011/09/02(金) 23:14:35.38 0.net
おすすめなんかされてもなあ

136 :考える名無しさん:2011/09/02(金) 23:25:05.48 0.net
大乗って大きな船って意味らしいね
どうでもいいけど

137 :考える名無しさん:2011/09/03(土) 08:33:24.32 0.net
日本仏教の基本的な知識を身につけておくと西田の思想が
解りやすいのは確か。
「西田を読む上ではあまり仏教にとらわれない方がいい」と言ってる
先生に限って仏教の知識がほとんど無かったりする。

138 :catt ◆.catt24qAw :2011/09/03(土) 17:08:17.19 0.net
>>137
自分も、道元と法然はざっと眺めておくと良いと思う。

139 :考える名無しさん:2011/09/03(土) 21:18:18.31 0.net
日本の仏教は大乗仏教だからな、釈迦仏教とは異質なものだよ。

西田哲学の核となっている宗教的悟りの体験による宗教的世界観は大乗、特に禅仏教からきているよ。

本来の仏教を理解する為にはヨーガの修行をするしかないだろ。

140 :考える名無しさん:2011/09/04(日) 23:31:34.67 0.net
仏教を学びたいのなら鈴木大拙でも読んだ方がよい。以前にもいったが西田の著作には一般に流通して
いるイメージとは違い仏教用語がおどろくほど少ない。「善の研究」〜「自覚における直感と反省」の
間に書かれた小品を読むと彼のやりたかったことが明快に書いてあるが、それは仏教の現代風の解説や
翻案ではない。
はない。


141 :考える名無しさん:2011/09/06(火) 20:39:36.72 0.net
大乗起信論を読んだ。これは善の研究のパクリだな

142 :考える名無しさん:2011/09/07(水) 15:34:44.99 0.net
そうかな?


143 :考える名無しさん:2011/09/07(水) 22:14:31.80 0.net
例えば司馬遼太郎が西田幾多郎は清沢満之(1863〜1903)の影響を受けているといっていた。私は違
うと思うがここでは深入りはしない。ここでは西田より上の世代に哲学の視点から仏教やインド思想を
考えなおした人達がいたことを指摘するにとどめる。西田が東京帝国大学の選科に通っていた時の哲学
教授でドイツ留学経験者である井上哲次郎(1856〜1903)もインドや中国の思想とドイツ哲学の融合
を試みた人である。彼の場合ショーペンハウアーやニコライ・ハルトマンの影響があるのかもしれない。
要するに仏教と哲学を組み合わせた人なら西田より先にたくさんいるのだ。西田のオリジナリティーは
別のところにある。


144 :考える名無しさん:2011/09/08(木) 00:41:31.16 0.net
確かフェヒナーって西田幾太郎に影響を与えてるんだよね?

145 :考える名無しさん:2011/09/08(木) 20:54:31.18 0.net
私の知る限り引用はしていないと思う。

146 :考える名無しさん:2011/09/29(木) 09:28:27.53 0.net
>>141
世界に打って出ようというときに、それっぽくハッタリを噛ますだけの教養があるかどうか、
それは実利に直結するのだから少しは教養の実用性にも目を向けてほしいものです。

147 :考える名無しさん:2011/09/29(木) 22:30:34.94 0.net
ホワイトヘッドは西田幾多郎に近い哲学者の1人である。彼が哲学を講義するのはアメリカに渡ってか
らになるがもともと英国の人である。英国人は植民地政策の影響もあってかビートルズ(音楽)からE
M・フォースター(小説/インドへの道)までインドへの関心が高い。ホワイトヘッドがインド思想を
知らなかったとは考えにくい。例えば仏教学者中村元のような人まで英国に留学している。このこと
からもわかるように(西田の時代以後)もはや西洋哲学とか東洋思想とかいっている場合ではない時
代に突入しはじめたのは明らかだろう。よく東洋思想では...と説明されることの大半はホワイトヘッ
ドがすでにいっていることだ。

148 :考える名無しさん:2011/09/29(木) 22:46:13.66 0.net
インド哲学研究については大正時代には既にヨーロッパではかなり進んでて、
日本を初めとする大乗仏教は所詮上座部仏教の派生として蚊帳の外扱いだったから。
そこで、日本仏教の存在を示す意味もあり編纂されたのが大正大蔵経。

149 :考える名無しさん:2011/10/02(日) 22:46:42.00 0.net
世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もないだろ、いまさら。

こんな時こそ、徹底した民族独自の個性の哲学が光るんだよ。
九鬼の粋の哲学がそれだろうが・・・。
西田哲学はもう古い。

150 :考える名無しさん:2011/10/02(日) 22:51:26.15 0.net
宗教という高い壁があるのは西洋の方なんだがねぇ

151 :考える名無しさん:2011/10/02(日) 23:00:33.77 0.net
そんな壁、波多野の普遍的宗教哲学によってとっくの昔に破られておるわ!!!






152 :考える名無しさん:2011/10/02(日) 23:13:51.28 0.net
確かに九鬼の「いきの構造」は日本独自の美意識だね。

これほど艶っぽくて色気のある哲学はないよね。

153 :考える名無しさん:2011/10/03(月) 08:14:17.64 0.net
そういえば、明治以降の日本哲学についてよくまとまってる
入門書ってある?

154 :考える名無しさん:2011/10/03(月) 08:56:41.34 0.net
有翼閣から昔出てた「明治思想家集」がすごく詳しかったけど。
最初期の西田哲学に与えた綱島梁川の「見神の実験」の影響やら
西周の哲学用語作成における仏教の影響やらを詳しく書いてたよ。

西周(にしあまね)の百一新論の現代かな遣いに直したものを載せてたけど
今読んでもすごく面白かった。

155 :考える名無しさん:2011/10/06(木) 11:28:48.47 0.net
>>154
ありがとう。探してみます。

156 :考える名無しさん:2011/10/07(金) 21:48:05.37 0.net
論争を挑む気はないが、149で書かれている「世界がこれほどグローバル化した現代に東洋も西洋もな
いだろ」という言葉に少しひっかかる。ことはそれほど簡単ではない。グローバル化した世界ではグロ
ーバルスタンダードになっているロジック(論理)があり、それは東洋のものではなく西洋のものであ
るのも事実なのである。それらは半ば強制されたものかもしれないが世界に非常に強い影響力をもって
いる。だから何かについて論じたり説得したりする時にそのスタンダードとどこがどう違うかを明らか
にする必要も生じる。例えば最近漢方の医薬品が見直されている。一見してそれは東洋医学に見えるが
見直されたのは科学的な分析に基づきこの成分はこれこれの効能があると明らかになったからである。
その意味では西洋医学といってもよい。九鬼周造の論文についてもそれはあてはまる。彼のロジックは
スタンダードをきちんとおさえて書いてあるのは明らかであり、単純に「日本独自」といっては誤解が
あるのではないだろうか?

157 :catt ◆.catt24qAw :2011/10/14(金) 04:51:33.09 0.net
>>156
御意。

158 :考える名無しさん:2011/12/07(水) 00:59:16.42 O.net
早大の教育学部生です。ゼミの購読文献が 日本近代思想と教育ー西田幾多郎を読む。とされ 善の研究が指定文献とされ 輪読しております。レジュメの作成で今夜は徹夜(;_;)

159 :考える名無しさん:2011/12/07(水) 08:23:32.24 0.net
正直、最初は輪読とかでだれかに解説してもらわないと解りづらいよな

160 :再生屋の金堂祐介:2011/12/17(土) 18:29:54.84 0.net
俺が寝てる間にすごいことが起こったらしいな

161 :考える名無しさん:2011/12/18(日) 00:44:15.78 0.net
>>160
どうしたの?


162 :考える名無しさん:2012/01/05(木) 13:43:27.96 0.net
捨てたれど
隠れて住まぬ
人になれば
猶(なお)世にあるに
似たるなりけり

西行

163 :考える名無しさん:2012/01/06(金) 00:22:20.00 0.net
今年は去年の災害をバネにして日本が絶対矛盾的自己同一に発展する

164 :考える名無しさん:2012/01/06(金) 01:39:53.71 0.net
もうこのスレ、絶対矛盾的自己同一はNGワードだろ。
安っぽく使い過ぎる。

165 :考える名無しさん:2012/01/07(土) 21:40:16.84 0.net
安っぽくも何も現実そのものの論理的表現だぜ、絶対矛盾の自己同一は。

166 :考える名無しさん:2012/01/07(土) 23:38:45.54 0.net
西田の「善の研究」以来ずっと一貫して追及してきたことは宗教的体験による
この現実世界の実相の把握だからね。

それが絶対矛盾的自己同一としての宗教的世界観。

167 :考える名無しさん:2012/01/07(土) 23:54:55.92 0.net
よくよく考えると、およそ自己が矛盾してないってことはないんだよね…。
自己というのは、根本的に矛盾しているから自己なんだ。
その自己が世界に対して開かれているかどうかが問題なんじゃないかな。

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