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デイヴィッド・ヒューム

1 :考える名無しさん:2011/05/22(日) 14:32:27.43 0.net
哲学のみならず経済学や歴史学の分野でも業績を遺した、
スコットランドの啓蒙思想家デイヴィッド・ヒュームについて語ろう。

951 :考える名無しさん:2018/12/05(水) 04:25:19.08 0.net
参考:
ヒュームとアインシュタイン

http://blogs.yahoo.co.jp/azurite_2727/27883344.html
 アインシュタインは回顧録の中でヒュームについて触れている。それによれば、特殊相対性
理論誕生の直前、かれは、「ヒュームの『人性論』を熱心にまた、畏敬の念を持って読み」、
「核心部分の推論は、ヒュームの理論によって促進された」という。
 19世紀末、アインシュタインや他の物理学者を悩ませていた問題があった。
それは、光の速度と同時性に関するものである。
 窓を閉めて一定の速度で走る列車を考えてみる。この列車の中で、野球の二人の投手二人が
列車の両端から中央にある的に向かってまったく同じように、かつ同時にボールを投げるとする。
このとき、どちらのボールが先に的に当たるだろうか。答えは同時である。
 しかも列車の中の観察者にとってボールの速度は同じに見える。
 線路の脇でこれを観察する人を考えてみよう。進行方向に向かって投げたボールは目にも止ま
らぬ速度で進むのに対し、逆方向に投げたボールはのろのろと動くように見える。ボールの速度
は観察者によって異なって見えるのである。
 次にボールを光に置き換えてみる…

 ヒュームならこのことを矛盾と考えなかったであろう。立場が異なれば、観察観察事実も異
なり得る。
観察は光が目に飛び込んできたときに生じるからである。
アインシュタインは、観察事実の相対性をヒュームから学び、車内の人間が、「二つの光が同時
に放たれ、同時に的に当たる」ことを観察するとき、車外の人間は、「進行方向への光が先に放
たれ、同時に的に当たる」ことを観察すると考えることで矛盾を解決した。
人間の科学が物質の科学にフィードバックされた瞬間であった。

952 :考える名無しさん:2019/01/13(日) 11:29:04.32 0.net
>>947
この本の書評が。
https://sites.google.com/site/humeforumjapan/archives

953 :学術:2019/01/13(日) 13:26:59.15 0.net
知覚の束というところが面白かった。

954 :考える名無しさん:2019/02/27(水) 15:55:35.96 0.net
慣習と秩序の経済学 : 進化ゲーム理論アプローチ / ロバート・サグデン著 ; 友野典男訳

目次だけ見ると退屈なゲーム理論の本だが
パットナムが触れたようにヒュームの引用が多く(特に5章、もしくは6章6.2-131ページ)
ヒュームの研究者は必携だ

「自分の知的ヒーローはデヴィッド・ヒュームだと思う。」vii

カントの言う懐疑論はゲーム理論のことだった
それがアインシュタインまで繋がる…

ただ一対一対応をヒュームは重視したので不可知論ではない
ここをサグデンは見ていない

サグデンはヒュームの入門書を書くべきだった
もしくは本書の題名をヒューム人性論入門(洗練された『人間知性研究』ではない)にすればよかった

旧約聖書を例にとったブラムスの本より出来がいい

955 :考える名無しさん:2019/04/16(火) 17:59:19.00 O.net
事実からは法則は導けないし蓋然性も導けない
蓋然性が成り立っているというのは
それは解釈に過ぎず次はそうなるかわからない
自然科学や社会科学が蓋然性だから正しいと言うのは
蓋然性が次も成り立つという信仰に過ぎない
蓋然性が次も成り立つということには根拠がないから
自然の斉一性が成り立つということが信仰に過ぎないから
950はそこら辺がわかっていない馬鹿だから
ヒュームもそこらへん勘違いした馬鹿だから仕方ないが

自然科学も社会科学も信仰に過ぎないし信仰こそが大切
客観性はない、全てはそうであれとの願い

956 :考える名無しさん:2019/04/26(金) 20:13:57.25 0.net
全てが嘘っぱちで成り立つ宗教と自然科学をごっちゃにするクソバカ

957 :考える名無しさん:2019/04/28(日) 13:35:00.74 0.net
>>955
なぜ箇条書きなんだ?内容も含めて無知をさらけ出すような駄文だな

958 :考える名無しさん:2019/12/10(火) 10:33:55 ID:0.net
宇宙の接着剤

959 :学術:2019/12/10(火) 10:49:58 ID:0.net
客観性が完全であり完全を志向するが主観は不確かで不確実なものである。

960 :考える名無しさん:2020/02/24(月) 20:00:46.75 0.net
ある郷紳からエディンバラにいる彼の友人に宛てた一通の書簡 最近出版された『人間本性論云々』と題されたある書籍で主張されていると 言われる宗教と道徳に関する諸原理の実例についてのいくつかの所見を含む
デイヴィッド ヒューム , (翻訳)竹中 久留美
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006241700

古典資料の翻訳 デイヴィッド・ヒューム「迷信と熱狂について」
Hume David , 田中 敏弘 [訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/40017075838

古典資料の翻訳 デイヴィッド・ヒューム「政治的自由について」
Hume David , 田中 敏弘[訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/40016859283

古典資料の翻訳 デイヴィッド・ヒューム「芸術と学問の生成・発展について」(1)
Hume David , 田中 敏弘[訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007153145

古典資料の翻訳 デイヴィッド・ヒューム「芸術と学問の生成・発展について」(2)
Hume David , 田中 敏弘 [訳]
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007153153

961 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:01:58 ID:0.net
「因果関係を否定する」って、どういうことなんだろうな?

何のために否定するのか、そこがイマイチわからん

962 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:09:11 ID:0.net
例えば私が買ったばかりのお気に入りの服を着たくて、寒い日にもかかわらず薄着で出かけて風邪をひいたとします。
私は案の定「寒い日に薄着で出たから(原因)、風邪を引いた(結果)」という因果関係としてそれをとらえます。

しかし、健康オタクの友人は言います。
「私はいつも薄着だよ。そちらの方が身体が圧迫されず血行が促進されて暖かい。あなたは普段の食事や睡眠、ストレスなどに無関心で不摂生だから抵抗力がなくなって風邪を引くんだよ」と。

医者の知人は言います。
「ウイルスが粘膜につかなければ風邪を引かない。冬場の乾燥してウイルスのつきやすい時期にマスクもせずに人混みに出たから風邪を引いたんだよ」と。

そうやって無数にある事象同士のつながりから、何を基準にして因果関係を成立させるものを決定するのでしょうか。
それは「時間的先行」と「接近」です。

963 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:09:37 ID:0.net
健康オタクの友人の言い分ももっともですが、「風邪を引く」という事象により接近している原因は「薄着で出る」の方です。
「普段の不摂生→薄着で出る→風邪を引く」です。
貧しい私がパンを盗んで罰せられる時、窃盗の原因は最も近い私であって、私を飢えさせた親でも社会でもありません。

では、「先行」「接近」においては同じ程度に見える原因「マスクをせずに出る」「薄着で出る」のふたつから、なぜ私は「寒い日に薄着で出たから、風邪を引いた」という因果関係を必然的つながりとして選択するのでしょうか。

964 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:10:05 ID:0.net
その必然的つながりを生じさせるものは、たんに過去においてつねにあの事象がこの事象に伴っていたという、繰り返しすり込まれた経験「恒常的連接」です。
私は普段マスクを使用しないため、マスクを着けなかったから風邪を引いたという経験をもたないため、そこに必然性が生じません。
しかし、過去において幾度も薄着でいたことによって風邪を引いた経験を繰り返しているため、「案の定、薄着で風邪を引いた」という必然的つながりが私の中で生ずるわけです。

「恒常的連接」が繰り返されることによって、あの事象が起こった後はこの事象が起こるよう、頭の中でそのつながりを再現する期待や習慣や癖のようなものが出来上がるのです。
これが「因果」という観念の正体であるというのがヒュームの主張です。

965 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:10:51 ID:0.net
またお前かw

966 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:10:52 ID:0.net
そしてこの既存の「因果」を支える支柱になっているものが「帰納法」です。
「今朝太陽が昇った、昨日の朝も太陽が昇った、一昨日の朝も太陽が昇った・・・二千年前の朝も太陽が昇った(という記録がある)」
ここから帰納的に一般則「朝太陽が昇る」を導き出し、演繹的に未来の事象「明日の朝も太陽が昇るだろう」を予測するのが因果論です。

しかし過去事例の枚挙から明朝も同じように太陽が昇るという確証は導き出せません。
なぜなら、明日という日は全く新しい事象であり、過去とは別の位相にあるからです。
過去の事例を集めて帰納によって生み出した自然法則では、未来の予測は不可能です。
また、帰納法を正当化する根拠として、過去に帰納法がうまくいった事例を無数に枚挙しても、経験的推論はつねに帰納を前提とするため、帰納で帰納を根拠づけるという循環論に陥っていまい、その試みは破綻します。

967 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:11:10 ID:0.net
因果論に確証などなく、ただそれは過去の臆見が恒常的連接により習慣化し、いつの間にか確固とした信念に凝り固まってしまっただけのことなのです。
過去の経験を鏡のように反転して未来に投影しただけの閉鎖的な因果論的世界の中では、すべてが必然によって予測可能な決定論的箱庭世界になるのは当然です。

ここから「自由意志」対「決定論」という擬似問題が生じてくるわけです。
因果というものは私たちの自由意志の経験から生ずる「恒常的連接」の習慣化の産物であると同時に、逆に自由意志は因果を前提にしなければ行為そのものが不可能になるという、相即不離なものです。
切符を買ったら電車に乗れるという因果を把握していなければ通勤すらままなりませんし、その因果は過去において私の自由意志によって切符を買って電車に乗った無数の経験が生み出すものです。

968 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 10:12:23 ID:0.net
言われてみれば確かに、「その通り」と思えなくもない。

でも、「だから何?」という感じだ。

結局のところ、この話を通じて、ヒュームは何を言いたかったんだろうな?

969 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 13:21:09 ID:0.net
何なのか自分で哲学しろ
それ以外なにもないだろ

970 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 13:32:56 ID:0.net
とりわけ、われわれが因果関係を意識し、原因を探し求めずにいられないのは、何らかの不具合や不都合な結果が生じ、日常生活に支障をきたすような場合である。

たとえば、コンロの火が突然つかなくなってしまったら、コンロが故障した原因が何なのかを探るだろう。
より深刻な場合で言うならば、大規模なトンネルの崩落事故が発生した場合に、工学的観点から安全性の向上を目的とした原因調査が実施されたり、法学的観点から当事者の刑事責任が追及されたりすることになるだろう。
このように、日常生活だけではなく科学的探究においても、因果関係は私たちにとって中心的な位置を占めているのである。

971 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 13:34:09 ID:0.net
哲学にたれればは通用しない

972 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 13:34:14 ID:0.net
もしヒュームの言い分が正しければ、私たちは雄鶏の鳴き声が夜明け前に聞こえるのを繰り返し経験すると、雄鶏の鳴き声を夜明けの原因としてみなさざるをえなくなる。

こうした主張は単に奇妙なものであるだけでなく、因果関係を基軸とする科学的探究を否定する法外なものとしても評価されてきた。

973 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 13:35:11 ID:0.net
ヒュームの懐疑論は、人間として根本的なところを疑っている

信念体系を根底から覆すものだ

974 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 13:35:36 ID:0.net
因果関係は理由を求める人間の性に必要な認知方法にすぎん

975 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 13:36:19 ID:0.net
まずはヒュームの因果論に関する一般的な理解がどのようなものかを確認しておけば、以下のようになるだろう。
 
帰納推論は、事象の原因の推定や結果の予測を目的として用いられる。しかしながら、帰納推論はいかなる仕方でも正当化することができない。よって、帰納推論は不合理である。

976 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 15:02:33 ID:0.net
過去の哲学本をこねくり回しても新たな哲学的知見は齎されないと理解できればそれでよし

977 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 15:11:37 ID:0.net
ヒュームに価値を見いだしてどうする。古くなった科学と同じで形骸化している。
懐古趣味なのかおまえらは。

978 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 15:20:28 ID:0.net
ヒュームは、むしろ20世紀の現代哲学で再評価された哲学者だろ

979 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 15:27:36 ID:0.net
英語圏哲学の覇権が大きいっしょ
それまでのドイツモデルが崩壊したから
ヒットラーはドイツ語文化史上最大の「売国奴」だわな

980 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 15:51:52 ID:0.net
>>968
「何度も実験した結果、このような結論になりました」

それを、科学的な真理として受け入れていいのかどうか

つまり、帰納法の有効性が問われている

981 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 16:21:46 ID:0.net
因果関係はシステムを前提にしないと成立しない
そしてシステムは演繹的な思考によって制御できる
上でコンロをあげている人がいるけど
コンロの故障に祟りを持ち出さずに因果関係を持ち出すのは
コンロというものの設計や仕組みを知っているから
そしてコンロの設計や仕組みを知っている人はそこから演繹的にコンロを修理することができる
帰納によって必ずしも因果関係を見つけることができないのは対象がシステムかどうかがわからないという点とシステムの設計図に沿っているかどうかがわからないため
システムかどうかわからないとは対象に設計図があるかどうかわからないということ
帰納の誤りとはシステムでないものをシステムと見做そうとすることとシステムを設計図からではなくてシステムのアウトプットから逆に進んでシステムを把握しようとすることにある

982 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 17:50:29.96 0.net
現代哲学者って馬鹿しかいないから。ラッセルはじめ。

983 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 18:42:14 ID:0.net
ヒュームは哲学や自然科学への欺瞞をただ投げかけるだけで良かった
それで役目を終えてる
ヒュームがいなきゃカントの認識論というところにいかなかった訳だからな

984 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 18:49:59 ID:0.net
古典物理学の系から逃れられない時代錯誤なカントの認識論なんて真に受けてる現代人まだ存在するの?天然記念物自体wだなw

985 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 19:10:33 ID:0.net
カントが時代錯誤とか時代錯誤なやつもいたもんだ
クオリアや脳科学、認知心理学など人間の認識を問う分野は今後も益々要請される
無知の無知だな

986 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 19:59:25.39 0.net
カントが絶対時間と絶対空間を前提にしていたのは確かだけど量子力学を踏まえた認識論を打ち立てる必要もないように思う
機器を使わずに量子力学的な世界を直観してる人なんていないはずだから
カントの重要性はそこじゃなくて悟性や理性の考察にあるだろうしそれは分析哲学に引き継がれていると思う

987 :考える名無しさん:2020/03/22(日) 22:54:34 ID:0.net
>>985自分で言っている意味わかってんのかなこいつ

988 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 07:25:04 ID:0.net
「三角形の内角の和は、180度に等しい」
↑これが真であるのは確実

「明日も、朝になれば太陽が東から昇るだろう」
↑はたして、これを絶対に確実と言い切れるか?

・・・というわけなのだが、これを言い出したら、何でも疑える。
疑ったらキリがない。
これだと、確実な真理と言えるのは、数学くらいしかないということになってしまう。
これを見て、カントは焦った。「知の基礎づけをやり直さなければいけない」と思った。

989 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 10:09:35 ID:0.net
カントいらないわなw

990 :学術:2020/03/23(月) 10:51:00 ID:0.net
知覚の連続が意識であるということが光と闇の明滅的なことだろう。
カントにも確かに関係ある。時代の哲学だろう。

991 :安西大樹:2020/03/23(月) 11:28:00 ID:0.net
哲学における科学的な部分は古びるのもはやいということじゃろ。

992 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 11:30:56 ID:0.net
疑ったものごとも、その何でもに含まれる
何でも何度でも疑える
懐疑の問題点は事実の暫定感かも

993 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 11:58:18.23 0.net
雇用が無いなら穴を掘ってその穴をまた埋める
英系ケインズ的強度に納得
対抗するイノベーションやパレート改善の
シュンペーターやハイエクの登場も納得
まぁ経験は強し

994 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 12:22:45 ID:0.net
>>993
でも、そのイギリス経験論の帰納法に、疑問を投げかけるのがヒューム

995 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 13:03:05.60 0.net
>>984
哲学の入門書もわかってないクソ馬鹿がいる

996 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 13:12:21 ID:0.net
カントなしで現代思想が成立すると思ってる時点でド池沼だなw
ガブリエル、ローティ、チャーマーズ、サールのような思想が
カントなしで成り立たつ訳ないだろうが阿呆

997 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 13:19:34 ID:0.net
まぁ物理でいうとニュートン力学ってもう無価値だろみたいな暴論だわな
現代物理との差はそれらが正確に示せる範囲の違いで
量子力学だけが単独でポーンとあって成り立つようなもんではない

998 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 14:14:58 ID:0.net


999 :考える名無しさん:2020/03/23(月) 14:15:19 ID:0.net


1000 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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