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☆★☆エトムント・フッサールPart1☆★☆
- 1 :考える名無しさん:2011/12/16(金) 08:46:45.40 0.net
- 現象学
- 409 :記憶喪失した男(愛知県):2016/02/28(日) 08:10:53.13 0.net
- カントがどう客観をとらえているのか、「実践理性批判」の方で確認してみたぞ。
カントは「すべての理性的な存在者の意志に妥当するもの」を客観と呼び、
さらには、完全性、神の意志を客観とする。しかし、やがて、
「自然に客観的な実在性を与える」として、自然を客観とするに至る。
カントも客観は認めているので、客観を否定したフッサールの現象学は、
哲学史上価値のあるものだといえる。
マクダウェルの「心と世界」を注文したので、届いたら挑戦する。
やっと現代においつきそう。といっても二十年前だが。
- 410 :記憶喪失した男(愛知県):2016/02/28(日) 14:43:42.02 0.net
- 大幅に修正。
物自体 物自体の表象 (無意識 有意識の非言語概念 言語概念)
カント 物自体 物自体の表象 叡知的な存在(ヌーメノン)
ヘーゲル 無意識 精神(ガイスト)
ショーペンハウエル 意志・意欲(ヴィレ)
フッサール 物自体 物自体の表象 物自体の無意識 ノエイス ノエマ
ソシュール シニフィエ シニフィアン
ラカン 想像界 現実界 象徴界
- 411 :記憶喪失した男(愛知県):2016/02/28(日) 16:16:30.68 0.net
- しまった。順番変えないとまずい。なんかおかしいと思った。
物自体 物自体の表象 (無意識 有意識の非言語概念 言語概念)
カント 物自体 物自体の表象 叡知的な存在(ヌーメノン)
ヘーゲル 無意識 精神(ガイスト)
ショーペンハウエル 意志・意欲(ヴィレ)
ソシュール シニフィエ シニフィアン
フッサール 物自体 物自体の表象 物自体の無意識 ノエイス ノエマ
ラカン 想像界 現実界 象徴界
- 412 :記憶喪失した男(愛知県):2016/02/28(日) 19:42:23.93 0.net
- しまった。誤字があった。
物自体 物自体の表象 (無意識 有意識の非言語概念 言語概念)
カント 物自体 物自体の表象 叡知的な存在(ヌーメノン)
ヘーゲル 無意識 精神(ガイスト)
ショーペンハウエル 意志・意欲(ヴィレ)
ソシュール シニフィエ シニフィアン
フッサール 物自体 物自体の表象 物自体の無意識 ノエシス ノエマ
ラカン 想像界 現実界 象徴界
- 413 :考える名無しさん:2016/02/28(日) 21:59:47.98 0.net
- なるほど
- 414 :考える名無しさん:2016/03/01(火) 15:14:28.79 0.net
- フッサ−ルの晩年の思索である「間主観性」哲学が、ポスト構造主義としての現代に於ける
哲学あるいは、政治・経済・科学等の全分野にまたがる新たなる方向性を示している。
第二次世界大戦後に興隆したメルロ=ポンティの「身体哲学」そして、サルトルの実存主義また、レヴィストロ−スの
構造主義、 デリダはフッサ−ルの現象学的還元を基底とした思想を展開している。
この様に、戦後の哲学の方向は、フッサ−ル哲学を起点として展開しているが、他方に於いて論理実証主義・記号論理学を基底
とする分析哲学が併行して展開している。この分析哲学がフッサ−ル哲学の中でどのように論究されて行くのかということが求め
れていくと考えられる。
- 415 :記憶喪失した男(愛知県):2016/03/05(土) 13:50:35.11 0.net
- 客観についての雑考(現象学批判)
フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」を読んだのだが、
その内容は、カントの提唱した物自体の概念を根拠に、
あらゆる認知機能が主観的なものであり、客観は存在しないというものであった。
数学ですら虚構であるとフッサールは断言している。
客観についての哲学者の見解に興味をもったぼくは、カントの「実践理性批判」でカントが実際に客観を何といっているのか確認してみた。
カントは「すべての理性的な存在者の意志に妥当するもの」を客観と呼び、
さらには、完全性、神の意志を客観とする。しかし、やがて、
「自然に客観的な実在性を与える」として、自然を客観とするに至る。
1996年の哲学者マクダウェルの「心と世界」を読んだのだが、その内容はひどく失望させられるものだった。
内容は特に記述するようなものはないのだが、ようやくぼくは現代の最先端哲学に追いつくことができたようだ。
マクダウェルもカントは客観を認めていたとしているし、マクダウェル自身も客観を否定するようなことは書いていない。
つまり、現代哲学の最先端における客観の認識とは、フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」であるということになる。
ぼくは客観が存在するとは思っていない。
フッサールの見解は、慎重に読むとただの一か所も客観の存在を認めていなのであるが、
物自体の表象という存在は認めている。
我々の主観の中で従来の客観的といわれるような状況に判断がなされることをフッサールは「存在妥当」だと読んでいる。
フッサールは物自体の表象についての記述で大きなまちがいをおかしている。
物自体の表象は、神の啓示であり、世界の目的であり、統覚であり、客観であると述べている。
これは大きな誤謬である。
- 416 :記憶喪失した男(愛知県):2016/03/05(土) 13:51:53.29 0.net
- ぼくの主張であるが、物自体の表象は普通に我々の主観となって表れていて、デカルトの「我思う故に我あり」によって確認することができる。
物自体の表象は我々の主観のことであり、それは神の啓示でも、世界の目的でも、統覚でも、客観でもない。
客観は存在しない。
物自体の表象はプラトンが「国家」で語った洞窟の比喩とも異なり、概念の本質を意味しない。
なぜなら、変化し進化しつづける我々の認知機能が同じ概念の本質をもちうることはないのだし、
宇宙人が存在するとして、その主観が我々の認知機能と共有できる概念の本質をもちうるとはまったく限らないわけである。
ゆえに、イデア論も否定する。
物自体の表象は我々の主観であり、客観は存在しない。
ちなみに、物理学や工学において客観を否定して論理を構築するのはまったくの徒労であり、
客観を存在妥当とでも呼びかえるだけで、現在行われているように数学と実験を根拠に進歩していった方がおそらく社会はよくなるであろう。
哲学の本質を技術者が求める必要はまったくなく、そんな作業は千年でも時がたって人類に暇ができてから行っても充分損はしないと思われる。
- 417 :考える名無しさん:2016/03/05(土) 17:05:40.60 0.net
- >>415>>416
だいたい同意見だ。デカルトの場合フッサールと逆方向に演繹したもので
主観→客観。
フッサールは客観を否定した。
- 418 :考える名無しさん:2016/03/05(土) 17:37:49.48 0.net
- >>416
客観がないのに、我々の主観があるって言明がおかしいわ。
私の主観はともかく他者の主観は、
客観が存在しなければ意味ない概念だ。
- 419 :考える名無しさん:2016/03/05(土) 17:58:11.28 0.net
- >>416
レスから分かったのは記憶喪失にとって客観は哲学的議論ではないということ
それだけかな
プラトンが言ったことは主観は変化するのに物自体は変化せずに存在しているということ
根本の理解からずれている
仏教でもこの程度は初期から前提にしている
最初からやり直しだな
- 420 :記憶喪失した男(愛知県):2016/03/05(土) 18:32:57.36 0.net
- >>417 賛意ありがたいぜ。
>>418 いや、自分だけ主観があるって変だろ。同じ遺伝子しているのに。
>>419 プラトンが主観は変化するのに、物自体は変化しないといったということか?
それはぼくはわざわざ文章を書き連ねて否定したはず。
- 421 :考える名無しさん:2016/03/05(土) 19:03:05.20 0.net
- >>420
それが洞窟の例えで示しているイデアなんだろ
- 422 :記憶喪失した男(愛知県):2016/03/05(土) 19:12:23.72 0.net
- >>421 洞窟の比喩で示しているのが物自体だなんていうのは愚か者だ。
- 423 :考える名無しさん:2016/03/05(土) 19:18:58.25 0.net
- フッサールは深層においては客観ではあるがそれが主観に綜合される場合は
各主体の存在常況から発生する心理に左右されるので客観的な公準とはなり得ないとしている。
ただし、相互主観という形で世界の共有化は可能だ、と相互理解の望みをつないでいる。
まあ、ファシズム台頭前夜の思想です。
- 424 :考える名無しさん:2016/03/05(土) 22:25:21.20 0.net
- >>422
バイアスに縛られた主観は揺らいで物が見える
イデアこそ物自体なのさ
ただプラトンはそれを自覚していかどうかは不明
僕の超解釈です
- 425 :考える名無しさん:2016/03/06(日) 16:23:34.67 0.net
- >>420
>いや、自分だけ主観があるって変だろ。同じ遺伝子しているのに。
人間が同じ遺伝子してるってことを根拠に他者主観の存在を主張するんなら、
主観以前の客観が存在することを君は承認してるってことなんだけど…
「客観は存在しないが主観は存在する」っていう自分の主張を、
自分で否定してるじゃないの。
- 426 :記憶喪失した男(愛知県):2016/03/06(日) 16:41:11.80 0.net
- >>425 人類の概観概念が客観だっていうの?
非人類の認識は客観には含めないわけ?
ロボットの認識は?
- 427 :学術デジタルアーカイヴ:2016/03/06(日) 18:19:27.95 0.net
- 自分だけ主観があるってへんじゃないよ。客観は無い。無。
- 428 :考える名無しさん:2016/03/07(月) 04:59:56.57 0.net
- >>426
反論が意味不明なんだけど…?
客観は人類が認識しようがしまいが、存在するって言いたいんだけど。
- 429 :記憶喪失した男(愛知県):2016/03/07(月) 14:24:19.54 0.net
- >>428 あなたの主張する客観ってイデアですよね?
それが存在するという具体例はひとつでも挙げれますか?
- 430 :考える名無しさん:2016/03/07(月) 16:34:04.48 0.net
- あなたが今質問していること自体が客観の証明
- 431 :記憶喪失した男(愛知県):2016/03/07(月) 17:10:40.22 0.net
- どうして?
証明してよ。
- 432 :狂奇幸(皇)帝:学術デジタルアーカイヴ教授:2016/03/07(月) 17:43:49.96 0.net
- 主観も共有できないよな。書いてることすべて怪しい。
- 433 :考える名無しさん:2016/03/08(火) 06:38:43.26 0.net
- >>429
人に存在証明を求める前に、
貴方が>>420で主張した「(異なる人間が)同じ遺伝子している」とか、
>>426で語ったロボットの存在を、貴方が客観なしで証明してみてよ。
- 434 :狂奇幸(皇)帝:学術デジタルアーカイヴ教授:2016/03/08(火) 17:48:44.72 0.net
- 然し認識の視覚を変えるだけじゃつまらない。もっと激しい
フッサールが見つけたい。評判通り。
- 435 :考える名無しさん:2016/03/08(火) 18:14:22.21 0.net
- 客観はある。ただし主観に内在している。
- 436 :考える名無しさん:2016/03/08(火) 21:26:24.75 0.net
- 主観に内在しているものが
何故「客観(の表象)」と考えられるのか
その謎を解き明かすのが現象学です
- 437 :考える名無しさん:2016/03/09(水) 06:35:13.68 0.net
- >>435
いいや。主観が客観に内在しているというのが正しい。
- 438 :考える名無しさん:2016/03/09(水) 08:41:23.52 0.net
- 客観的には主観に見える相互内在が主観的には客観に見えるだけでわ?
- 439 :考える名無しさん:2016/03/09(水) 17:03:22.59 0.net
- >>438
言いたいことがよくわかんないけど、
少なくとも主観と客観が相互に内在するなんてこたあない。
主観と客観の存在論的地位は対等じゃない。
客観的現象の一種として主観があるというのが正しい。
- 440 :学術デジタルアーカイヴ:2016/03/09(水) 17:31:13.93 0.net
- どこかからオレンジ色の火が出るような、
激しい戦果がフッサールだと思うけど。武器兵器もんではないよ。
哲学だし。
- 441 :考える名無しさん:2016/03/09(水) 18:59:38.59 0.net
- 主観に客観が内在すると考えると下手すると独我論か唯心論に陥る。
そうすると主観すら怪しくなる。
個物が「ある」、そして「客観的」と概念整理される「刺激」が感官器官経由で
現象的に把握されるが、各認識主体の「指向性」に基づく情報処理のバラつきによって「主観」が形成される。
しかしこの「主観」は「間主観性」や「世界」の様態にすぎない。
まあ、センスデータに由来する「現象」がただちに「主観」形成をするとは思えないのだけど。
フッサールやカントはそこら辺の論証が甘いような。
- 442 :考える名無しさん:2016/03/09(水) 19:34:08.20 0.net
- フッサール・スレなのに危機本すら読んでいないという
- 443 :考える名無しさん:2016/03/10(木) 00:40:42.64 ID:DvD7peKQV
- >フッサールやカントはそこら辺の論証が甘いような。
おまえにゃ言われたかねぇ Edmund Husserl
- 444 :考える名無しさん:2016/03/10(木) 16:00:45.16 0.net
- 客体があることは主観に内在する客観でしか確証できない。
よって客体の証明も主体による主観でしかなし得ない。
- 445 :考える名無しさん:2016/03/11(金) 07:00:57.63 0.net
- >>444
他者主観の存在証明も、自己の主観でしかなし得ないし、
フッサールの生活世界の存在証明もそうだよね。
- 446 :吾輩は名無しである:2016/05/18(水) 16:03:38.06 0.net
- デカルト的省察 (中公クラシックス)
フッサール (著)
出版社: 中央公論新社 (2015/11/24)
- 447 :考える名無しさん:2016/05/27(金) 16:20:30.69 0.net
- >435
>客観はある。ただし主観に内在している。
>上記の“主観に内在している”というフッサ−ルの捉え方に問題があると考えられる。
フッサ−ルは、客観的存在を認識しているが、この客観的存在を“内在”領野にて捉えると
述べている。内在=超越論的主観としてすべての事象を捉える、その思考様態を独我論と批判
されたのである。この内在(=超越論的主観)から客観的存在を捉える思考様態を静態的現象学
というが、ここでの問題点は、なぜフッサ−ルは内在(主観)に固執したのか?つまり、内在に固執
しなければ、フッサ−ルは“独我論”を超克できたのである。
- 448 :考える名無しさん:2016/05/27(金) 23:00:36.87 0.net
- 内在に固執したというかクリックしただけだと思う。
エポケーするためにね。
- 449 :考える名無しさん:2016/05/28(土) 10:25:42.23 0.net
- >>448
本来のエポケ−(現象学的還元)とは、主観的存在と客観的存在の両領野を
現象学的還元(エポケ−)することではないでしょうか。
- 450 :考える名無しさん:2016/05/28(土) 12:27:19.33 0.net
- エポケーとはエポケーすること、か
相変わらずだな
- 451 :考える名無しさん:2016/05/28(土) 12:40:27.67 0.net
- >>450
君は、エポケ−とは、どの様なものと解釈しているのかな?
- 452 :考える名無しさん:2016/05/28(土) 13:07:27.17 0.net
- >>451
まぬけな貴様に教えてやろう
エポケーとは、
不可知として成立してしまう対象については、
それを表現する作業を中断してみた方が良さそうだ
という、「ある態度」のことだ
- 453 :考える名無しさん:2016/05/28(土) 13:53:31.60 0.net
- エポケ−は、不可知としてしまう対象に絞ってはいない。
すべての既成概念を対象とした事象を“宙づりとする(=エポケ−する)”ことによって、
“主客未分化領野”へ至ることであり、この一連の思考過程が本来のエポケ−の在り方である。
- 454 :考える名無しさん:2016/05/28(土) 14:34:14.17 0.net
- >>453
ちがう
既成概念が既成概念として自覚されている限りは問題は生じない
『既成概念の背後にある真実』を断定的に規定しようとする場合に問題が生じる
「問題」といっても、所詮は心理的なものにすぎないのだが
- 455 :考える名無しさん:2016/06/12(日) 20:08:33.17 0.net
- すべての既成概念を、一旦、宙づり(エポケ−)とするのが“現象学的還元”でしょう。
- 456 :考える名無しさん:2016/06/12(日) 21:30:05.00 0.net
- ジョージ・アダムスキー( George Adamski
ミワ・ アキヒロ(Akihiro Miwa)
ビリー・エドゥアルト・マイヤー("Billy" Eduard Albert Meier/
スティーヴン・フレデリック・セガール(Steven Frederick Seagal,
ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti,
ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)
スティーブ=ウォズニアック (Steve Wozniak)
ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner,
アリス・ ベイリー(Alice Bailey)
スティービー=ワンダー (Stevie Wonder)
ジョセフ・ティテル(Joseph Tittel
ラファイエット・ロナルド・ハバード(Lafayette Ronald Hubbard
マイケル・ジョセフ・ジャクソン
Michael Joseph Jackson
ジョージ・カヴァシラスGeorge Kavassilas ...
ジェームズ・マフー James Mahu
ゲリー・ボーネル Gerry bornel
ジャン・ピエール・プチ(Jean Pierre Petit
アーノルト・アロイス・シュワルツェネッガー
Arnold Alois Schwarzenegger
ジョゼフ・マクモニーグル(Joseph McMoneagle
リチャード・ギア (Richard Gere
ジェフリー・ジェイコブ・エイブラムス(Jeffrey Jacob Abrams)
ジェームズ・フランシス・キャメロン(James Francis Cameron - )
- 457 :考える名無しさん:2016/06/13(月) 16:29:10.75 0.net
- >>455
そんな無能なレスに2週間も掛かるのか
- 458 :考える名無しさん:2017/01/21(土) 10:20:17.06 ID:cjvjyXCW6
- ちくま学芸文庫のブリタニカ草稿の解説読めばフッサールが形相的還元を中心に理論を組み立てていることがよくわかる
目の前に見たことのない花を見る網膜に映る光の像自体は意味がない。その像からこれは葉っぱや茎と繋がっていて植物であり「花」であることは間違いない。
薔薇と同じ「赤い」花だと思う
「赤」として「見たことのない花」として志向性の中で認識する、後で図鑑でこの花だと名前を覚えその花として認識する
網膜に映った光の像自体ははかなくて移ろいやすいが「赤」として「名前のない花」として「名前のついた花」として認識したものは普遍的で形相であり色褪せることはない
経験とは独立に客観的に存在する「光の像」の記憶は消えても
個々の知覚はどうでもいい。普遍として時空も経験とも独立に直観した本質直観が根本的認識であり、それは時空とも個々の経験とも関係なく常に正しく不変的であり常に真理だ
誤解されているがフッサールは主観的な知覚主義者ではない。経験主義者じゃなく普遍論者、実在論者
個別的な体験には意味を認めない
プラトンのイデア論もそう考えれば全く筋が通る
カントは中途半端に経験論的だが物自体で経験はその反映でとか言い出すと色褪せうつろい行く薔薇の網膜に映る色と郵便ポストの網膜に映る色の共通の本質と、この見たことのない花の共通の本質とと無限背進に陥るからペケ
個々の網膜の光とは関係なく赤の本質がありそれは経験とは独立に不変で普遍でかわりない真理だと考えないと矛盾に陥る
フッサールの現象学がやってたことの大部分は形相的還元であり、要するにイデアのこと、志向性も本質直観も形相的還元もイデアを捕らえて経験とは関係ない時空を越えた真理を把握すること
ちくま学芸文庫のブリタニカ草稿の解説読めばフッサールが形相的還元を中心に理論を組み立てていることがよくわかる
個々の移ろいやすい網膜の像、知覚ではなく不変的な一般的な普遍者、それは知覚を離れた「見たことのない花」や「赤」を含むで認識論を作っている
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