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【儒教】孔子の哲学【論語】

1 :小魔玉  ◆.c.c.k.k.. :2012/02/14(火) 01:11:11.08 0.net
今から2500年前に五常(仁、義、礼、智、信)と五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)を以って
理想社会の実現を夢み、独自の哲学を持っていた孔子の教えを色々な視点から議論するスレです

591 :考える名無しさん:2013/11/29(金) 22:09:33.46 O.net
微子去之 箕子爲之奴 比干諫而死 殷有三仁焉


紂の兄の微子は紂を諌めて聞き入れられず亡命し、
箕子は諌めて聞き入れられず、狂った振りをして奴隷の格好をした。
比干は諫言して殺されたのだった。
殷には三人の仁者がいたのだった。

592 :考える名無しさん:2013/11/30(土) 21:22:49.29 O.net
柳下惠爲士師 三黜 人曰 子未可以去乎
曰 直道而事人 焉往而不三黜 枉道而事人 何必去父母之邦


100年前の時代の柳下惠は三度、司法長官に任じられて三度罷免された。
ある人がいった。
「あんたまだこの国にいたのかい」
「まっすぐな方法で人に仕えればどこに行こうが三度の罷免は免れ難いのです。
どこも同じで曲がった方法で仕えるならば、
なんで父母の国を離れる必要がありましょう。」

593 :考える名無しさん:2013/12/01(日) 23:19:42.93 O.net
齊景公待孔子曰 若季氏則吾不能 以季孟之間待之
曰 吾老矣 不能用也 孔子行


齊の景公が先生の招聘しようとして述べた。
「魯国の筆頭家老の季孫氏の待遇は無理だが、
季孫氏と二番家老の孟孫氏との間でなら手を打とう。」
「しかし私も歳老いましたからやっぱりあなたを起用するのは無理そうです」
孔子はこの言葉を聞いて去った。

594 :考える名無しさん:2013/12/02(月) 18:56:44.25 O.net
齊人歸女楽 季桓子受之 三日不朝 孔子行



齊が魯にアイドルグループを送り付けてきた。
大臣の季桓子は三日、朝廷に現れなかった。
そして先生は祖国を去った。

595 :考える名無しさん:2013/12/03(火) 16:09:36.15 0.net
いいなあ、このスレ。

596 :考える名無しさん:2013/12/03(火) 23:02:39.03 O.net
楚狂接輿歌而過孔子曰 鳳兮鳳兮 何徳之衰 往者不可諫 來者猶可追
已而已而 今之從政者殆而 孔子下 欲與之言 趨而辟之 不得與之言


楚国の狂人の接輿さんが歌いながら先生の前を通り過ぎた。
「鳳凰よ!鳳凰よ!
どうして道徳が衰えてしまったのだろうか!
過ぎたことをとやかく言っても仕方あるまい!
しかしこれからのことはまだ間に合うのだ!
よせったら!よせったら!
今の時代に政治家なんざ危ういもんだ!」
先生は玄関から飛び降りて話をしたいと思ったが、
走って逃げ去ってしまってので話すことはできなかった。

597 :考える名無しさん:2013/12/04(水) 23:28:08.62 O.net
長沮桀溺グウ而耕 孔子過之 使子路問津焉 長沮曰 夫執輿者爲誰
子路曰 爲孔丘 曰 是魯孔丘與 曰是也 曰知津矣
問於桀溺 桀溺曰 子爲誰 曰 爲仲由 曰 是魯孔丘之徒與
對曰 然 曰滔滔者天下皆是也 而誰以易之 且而與其從辟人之士也
豈若從辟世之士哉 ユウ而不輟 子路行以告 夫子憮然曰
鳥獣不可與同羣 吾非斯人之徒與 而誰與 天下有道 丘不與易也

598 :考える名無しさん:2013/12/04(水) 23:31:50.09 O.net
長沮さんと桀溺さんが二人で畑を耕していた。先生がその横を通り過ぎようとして、子路さんに渡し場について聞きに行かせた。
長沮が言った。「あの車で手綱を握ってるのは誰だい?」
「孔丘という者です」
「魯の国に孔丘かね?」「そうです」
「なら渡し場を知ってるはずだ」
桀溺さんも言った。
「あんた誰?」「仲由です」
「魯の孔丘の門下かい?」「そうです」
「滔滔と水が溢れ返るように天下はこんなありさまだ。
どうやってこれを変えるというのか?ありのままの人間を避けるような先生につかず、
世界そのものを避ける先生につきなさい」
そういって種に土をかけ続けるのだった。
子路さんが一部始終を先生に告げると先生は憮然として答えた。「鳥や獣と群れることはできない。人と一緒に生きないで誰と一緒に生きるんだい。
天下に道があるならば私が敢えて変えようなんてしないさ」

599 :考える名無しさん:2013/12/05(木) 23:43:31.17 O.net
子路從而後 遇丈人以杖荷ジョウ 子路問曰 子見夫子乎
丈人曰 四體不勤 五穀不分 孰爲夫子 植其杖而芸
子路拱而立 止子路宿 殺ケイ爲黍而食之 見其二子焉
明日子路行以告 子曰 隠者也 使子路反見之 至則行矣
子路曰 不仕無義 長幼之節 不可能廢也 君臣之義 如之何其廢之
欲潔其身 而亂大倫 君子之仕也 行其義也 道之不行 已知之矣

600 :考える名無しさん:2013/12/05(木) 23:47:08.57 O.net
子路さんが先生のお供をして一行から遅れてしまったことがあった。
老人が肩にかけた杖に竹かごをさげているのに出会った。
「先生を見かけませんでしたか?」
「身体もろくに働かさず、五穀の区別もつかないで何が先生じゃ!」
そういうと杖をたてかけて草むしりをし始めた。
子路さんは恐縮して手を組み合わせて突っ立ていた。
老人は子路さんを泊めて、鶏を殺し黍めしでもてなし二人の息子に合わせた。
次の日、先生に一部始終を告げた。
「隠者だね」
そういうと子路さんを引き返えさせて再訪させたが、ついてみると留守であった。
子路さんが伝言を頼んだ。
「出仕しないのは義ではありません。長幼の節度は廃せないものです。
君臣の義だけ何故廃せましょう。
見を清く保つことが大倫を乱すということもございましょう。
君子が出仕するのは義を行う為です。
道が行われないことなどとっくの昔に分かっていることです」

601 :考える名無しさん:2013/12/06(金) 20:04:24.01 O.net
逸民伯夷叔齊 虞仲夷逸 朱張柳下惠少連
子曰 不降其志 不辱其身 伯夷叔齊與
謂柳下惠少連 降志辱其身矣
言中倫 行中慮 其斯而已矣
謂虞仲夷逸 隠居放言 身中清 廢中権 我則異於是 無可無不可


逸民と呼びうる人は、伯夷と叔齊である。
虞仲は南方荊蛮に亡命した。
世間を向こうに朱張したのは柳下惠と少連である。

志を高く保ったままその身を辱めなかったのは伯夷と叔齊だろう。
柳下惠と少連は志を低くしてその身を辱めたが、言葉は倫理に即していて、
行動は思慮あるものだったということに尽きるだろう。
虞仲は亡命して言いたいことも言わず
その身は清廉で、世を廃するやり方はやむを得なないものだった。
私は彼らとは違って時代に寄り添い過ぎることもなかれば
世を捨てるということもない。

602 :考える名無しさん:2013/12/07(土) 13:56:10.48 0.net
訓戒や教義だけじゃないのかな?
ただの昔話に思えるのがある

603 :考える名無しさん:2013/12/07(土) 20:55:11.24 O.net
大師摯適齊 亞飯干適楚 三飯繚適蔡 四飯缺適秦
鼓方叔入干河 播トウ武入干漢 少師陽 撃磬襄入干海


魯の楽団長は齊国へと去って行った。
二の膳の音楽担当の干は楚国へと去って行った。
三の膳の音楽担当の繚は蔡国へと去って行った。
四の膳の音楽担当の缺は秦国へと去って行った。
鼓の担当の方叔は黄河の方へと去り、
でんでん太鼓の担当の武は漢水の方へと去って行った。
楽団の次長の陽と磬を打つ担当の襄は渤海沿岸へと去って行った。
こうして哀公の時に輝かしき伝統ある魯の楽団員は四散したのだった。

604 :考える名無しさん:2013/12/08(日) 20:37:01.03 O.net
周公謂魯公曰 君子不施其親 不使大臣怨乎不以 故舊無大故 則不棄也 無求備於一人


周公旦は息子の魯公を戒めて言った。
「君子は親族を見捨てぬものだ。
そして臣下には起用されないという怨みを起こさせないようにするものだ。
古い仲間は大きな過ちでもない限り見捨ててはいけない。
一人の人間に完全さを求めてはいけない。
人間は不完全なものだ。だからこそ多くの人材を寄り集めてその長所を生かし、
パッチワークのようにしてどんな布切れでも簡単に捨てることなく用いよ」

605 :考える名無しさん:2013/12/09(月) 19:48:30.79 O.net
周有八士 伯達伯カツ 仲突仲忽 叔夜叔夏 季隋季カ



周には八人の有名な奴らがいた。
伯達・伯カツと仲突・仲忽と叔夜・叔夏と季隋〜季カである。

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