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【儒教】孔子の哲学【論語】
- 1 :小魔玉 ◆.c.c.k.k.. :2012/02/14(火) 01:11:11.08 0.net
- 今から2500年前に五常(仁、義、礼、智、信)と五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)を以って
理想社会の実現を夢み、独自の哲学を持っていた孔子の教えを色々な視点から議論するスレです
- 667 :661:2013/12/28(土) 02:17:01.13 P.net
- >>655
>衛霊公15(>>500-544)
15-01(>>500)
http://2.bp.blogspot.com/-jqEu_7rQL-Y/Urrp2uH839I/AAAAAAAAa8c/ntYulyou22U/s1600/131225_2235_008.jpg
- 668 :661:2013/12/28(土) 02:33:11.85 P.net
- >>655
>季氏16(>>545-563)、
>陽貨 17(>>564-590)、
16-13(>>562)
鯉庭垂訓
https://lh5.googleusercontent.com/-v0mPeCxHPYI/UrrIH0urN8I/AAAAAAAAa6o/Hn8XJhwCFF8/s1600/blogger-image-1434953176.jpg
17-01(>>564)
遇塗對陽
https://lh5.googleusercontent.com/-blAMiRCEkf4/UrrH24Xjb1I/AAAAAAAAa6Y/M4jEeg62H9k/s1600/blogger-image--1833826739.jpg
- 669 :考える名無しさん:2013/12/29(日) 02:19:20.44 0.net
- 画伝いいなあ。
>>666
すげえ穏やかな顔で原壌殴ってて笑ったw
- 670 :661:2013/12/29(日) 06:13:43.26 P.net
- 14-41 (>>494)
寄心撃磐
https://lh6.googleusercontent.com/-I_N6iTBk_v4/UrrHLgvZ81I/AAAAAAAAa6A/EQGE5XDHsNs/s1600/blogger-image-1444004973.jpg
http://nam-students.blogspot.jp/2012_04_01_archive.html#note15
適衛撃磐図(第23図)(衛国で磐を打った孔子が通りがかりの人物に批評される図)孔子58歳
http://4.bp.blogspot.com/-H_u5frBQa9E/Ur7a0mLbyZI/AAAAAAAAbDQ/hnsrEJfj5zc/s1600/koushi_0001a.jpg
磐(けい)
15-02 (>>501)
在陳當厄
https://lh3.googleusercontent.com/-bC4un4NNGKo/UrrIYNTowfI/AAAAAAAAa6w/fGoiKLRyIug/s1600/blogger-image--1772687548.jpg
http://2.bp.blogspot.com/-eYVhIFv67oc/Ur6ClD9KCNI/AAAAAAAAbCA/UCke20DRmEs/s1600/131228_1549_014a.jpg
在陳絶糧図(第28図)(陳国と蔡国の軍隊に包囲され、飢えに苦しむ孔子の一行の図)孔子64歳、子路55歳
18-06(>>598)
反蔡迷津
https://lh6.googleusercontent.com/-xJ5hy5HyQws/UrrH-TDm7UI/AAAAAAAAa6g/eGDaddruInE/s1600/blogger-image-72554583.jpg
http://2.bp.blogspot.com/-qdu4O5Fr2ak/Ur6CsU_R1xI/AAAAAAAAbCI/DZ9GGRcgQRk/s1600/131228_1549_013a.jpg
子路問津図(第27図)(旅の途中、ふたりの隠者が孔子を批判した図)孔子64歳
>>655
>憲問14(>>449-499)、
>衛霊公15(>>500-544)、…
>微子18(>>591-605)、
- 671 :661:2013/12/29(日) 06:35:59.77 P.net
- 18-03(>>593)
http://3.bp.blogspot.com/-qpJPioHwNeo/Ur6AUFL7hqI/AAAAAAAAbBE/OixUXBn-Ha4/s1600/131228_1549_006a.jpg
晏嬰阻封図(第11図)(斉の景公が孔子を臣下に用いるのに反対する晏嬰の図) 孔子36歳
18-04(>>594)
http://4.bp.blogspot.com/-mT2Nm1NYh-8/Ur6ApFzeUoI/AAAAAAAAbBM/LfhpJXcywCI/s1600/131228_1549_007a.jpg
女楽文馬図(第16図)(斉国が魯国に女性楽団と馬を贈り、内政を乱そうとした図) 孔子57歳
http://2.bp.blogspot.com/-79-Za-lPOoE/Ur5_xXcsyBI/AAAAAAAAbA0/oR2MSpOL-Jo/s1600/131228_1549_001a.jpg
因ハン(月+番)去魯図(第17図)(ハン(肉)が与えられなかった孔子が魯国を去る図)孔子57歳
>>655
>微子18(>>591-605)、
- 672 :661:2013/12/29(日) 06:37:01.27 P.net
- 07-22(>>598)
習礼伐檀
https://lh4.googleusercontent.com/-GSBEWox-EdE/UrrBER2gfkI/AAAAAAAAa4Y/G5PGYUgpp_Q/s1600/blogger-image--680378484.jpg
http://1.bp.blogspot.com/-asG_4t6Bbg8/Ur6BqEaj-nI/AAAAAAAAbBo/P_bpK_d3MGs/s1600/131228_1549_010a.jpg
宋人伐木図(第21図)(木を切り倒して孔子一行に脅しを掛ける宋国人の図) 孔子58歳
>>655
>述而7(>>212-261)、
- 673 :661,672リンク訂正:2013/12/29(日) 06:40:49.17 P.net
- 07-22(>>235)
習礼伐檀
https://lh4.googleusercontent.com/-GSBEWox-EdE/UrrBER2gfkI/AAAAAAAAa4Y/G5PGYUgpp_Q/s1600/blogger-image--680378484.jpg
http://1.bp.blogspot.com/-asG_4t6Bbg8/Ur6BqEaj-nI/AAAAAAAAbBo/P_bpK_d3MGs/s1600/131228_1549_010a.jpg
宋人伐木図(第21図)(木を切り倒して孔子一行に脅しを掛ける宋国人の図) 孔子58歳
>>655
>述而7(>>212-261)、
- 674 :661:2013/12/29(日) 08:22:19.98 P.net
- 09-17 (>>303)
東流喩徳
https://lh5.googleusercontent.com/-5yIjpfQfEA0/UrrN-AM2QLI/AAAAAAAAa7I/mV4U7RUcaU4/s1600/blogger-image--1666266526.jpg
09-18(>>304)(15-13(>>513))
次乗霊公
https://lh5.googleusercontent.com/-DZlteugiDNw/UrrBzoo439I/AAAAAAAAa44/A4U6y5LBC2E/s1600/blogger-image--1105459030.jpg
http://2.bp.blogspot.com/-Fzh1689tDdQ/Ur6A2HnvTuI/AAAAAAAAbBU/CN3i_SMDXPo/s1600/131228_1549_008a.jpg
醜次同車図1(第19図)(衛国でパレードに参加させられる孔子{絵には不在}の図) 孔子58歳
http://4.bp.blogspot.com/-c3P5zbNZucA/Ur6BJlhw1ZI/AAAAAAAAbBc/rPPfe8dzCqU/s1600/131228_1549_009a.jpg
醜次同車図2(第20図)(衛国を去るため車に乗り込む孔子の図)同上 孔子58歳
>>655
>子罕9(>>284-318)、
- 675 :661,674追加:2013/12/29(日) 08:46:14.98 P.net
- 09-18(>>304)(15-13(>>513))
http://1.bp.blogspot.com/-ZZ2gu4SZLys/Ur9hDQtvDBI/AAAAAAAAbD4/eCwg9FKGIag/s1600/IMG9.jpg
>>655
>子罕9(>>284-318)、…
衛霊公15(>>500-544)、
- 676 :661:2013/12/29(日) 12:36:52.98 P.net
- 観周?器
https://lh5.googleusercontent.com/-2mc3rdX9OzM/Ur9ZIF3FjjI/AAAAAAAAbDo/glGPeQx3aTY/s1600/blogger-image-2088362086.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、?器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。?器に水が入っていない時は傾き、
一杯の時はひっくり返る。水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
?器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
?(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
>>655
06-29(>>187)
13-21(>>439)
- 677 :考える名無しさん:2014/01/02(木) 01:03:51.61 P.net
- 08-17(>>279)
子曰、學如不及、猶恐失之
これは、
老子20章
学を絶てば憂い無し
と対照的である。
問礼老?
http://lh5.googleusercontent.com/-4okoiQMHXqU/UsLmty3fIYI/AAAAAAAAbIE/swMZlzE1l94/s1600/blogger-image-635626905.jpg
http://2.bp.blogspot.com/-wIm-Yv8Kvp8/UsN1yh_UgdI/AAAAAAAAbIs/KIUE05hbkHs/s1600/%E5%AD%94%E5%AD%90%E3%81%A8%E8%80%81%E5%AD%90.jpg
問礼老?図(第9図)(老人から礼について教えを受ける孔子の図)孔子30歳?
http://youtu.be/8gXe-CN7ZpI
子見老子
- 678 :考える名無しさん:2014/01/02(木) 14:20:47.41 P.net
- ちくま新書『生きるための論語』164頁、92頁メモ
(知/不知)→知 2:17(>>54)
(礼/非礼)→礼 3:15(>>78)
/は概念の峻別を意味し、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も
3:15(>>78)が一番いい例示だということがわかりやすい。
内在的反省が『論語』の基本にある。
01-01(>>11),04-21(>>111),12-04(>>387),15-21(>>521)
- 679 :考える名無しさん:2014/01/02(木) 15:23:31.01 0.net
- >>678
やっと哲学板らしくなってきたなw
カント哲学の原文は読んでないんだけど(そんな奴がこの板来るなよって言えばそうだがw)
概要書の引用でカントが普遍の道徳律を星の運行に擬えてる文章があって驚いた覚えがある。
すぐに為政篇2-1(>>26)を想起した。
- 680 :考える名無しさん:2014/01/02(木) 15:25:56.37 0.net
- 為政篇2-1は>>26じゃなかった
>>36だな
- 681 :考える名無しさん:2014/01/02(木) 20:13:13.98 P.net
- 普通は孔子の『論語』02-17(>>54)は、ソクラテスの「無知の知」と比べられる。
その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子の背景にはシャーマニズムの伝統がある。指摘された北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
同じく指摘されたカントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
「(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。」
ちなみに星信仰から太陽信仰への移行は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝も遊説した孔子も移動民として考えればその北辰信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
- 682 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 683 :655:2014/01/03(金) 22:45:32.68 P.net
- snipped (too many anchors)
- 684 :655,訂正バージョン:2014/01/03(金) 22:48:03.51 P.net
- snipped (too many anchors)
- 685 :655,再訂正バージョン:2014/01/03(金) 22:49:11.03 P.net
- snipped (too many anchors)
- 686 :655,面目ない。再々訂正バージョン:2014/01/03(金) 22:51:39.85 P.net
- snipped (too many anchors)
- 687 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 688 :考える名無しさん:2014/01/04(土) 17:33:32.70 P.net
- ●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
参考:
15-18 (>>518)
06-22 (>>179)
- 689 :655,688,補足:2014/01/05(日) 00:18:01.62 P.net
- 「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右
「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。
二次元左
「智」=知識。例:名前を付ける。
三次元右
「信」=信用。例:サッカーのパス。
三次元左
「義」=正義。例:本を書く。
四次元
「君子」=脳全体をバランスよく使う。
- 690 :考える名無しさん:2014/01/05(日) 18:34:04.23 P.net
- 『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が作動している人のこと
01-01(>>11) 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
- 691 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 692 :考える名無しさん:2014/01/05(日) 22:11:28.55 0.net
- ●『論語』の君子と発展機能
/\
つゆだくポジケツ / \
/ 君子 \
ペニス /_ _\ アヌス
ケツに小便 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
同性フェラ / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
分桃 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
- 693 :考える名無しさん:2014/01/05(日) 22:12:03.40 0.net
- 儒教(笑)
ホモ(笑)
- 694 :考える名無しさん:2014/01/07(火) 00:54:29.40 i.net
- ホモちんちん
- 695 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 696 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 697 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 698 :655:2014/01/14(火) 01:39:32.21 P.net
- 九思16-10 (>>559)
http://3.bp.blogspot.com/-QX9OXiRSUnA/Us-h23px9QI/AAAAAAAAbSM/I_O26X0H76k/s1600/koushi9.jpg
- 699 :655:2014/01/14(火) 01:50:24.67 P.net
- 07-21(>>234)三人行くときは、必ず我が師あり
http://3.bp.blogspot.com/-VYfT0Z4KIaU/UtI-M6nV_RI/AAAAAAAAbWE/BZzRLQp4FXM/s1600/rongo13.jpg
- 700 :考える名無しさん:2014/01/21(火) 23:27:22.28 P.net
- 知行合一(wikiより)
知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」(02-13,>>50)が元になっている。
王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。
朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。
幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた
- 701 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 702 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 703 :考える名無しさん:2014/01/22(水) 17:29:21.82 0.net
- >>702
君はこっちのスレに行きなさい
ペットボトルに小便は孔子の教え
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1174068840/l50
- 704 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 705 :考える名無しさん:2014/01/24(金) 21:52:31.31 0.net
- >>704
もう戻ってくるなよ
- 706 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 707 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 708 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 709 :655:2014/01/24(金) 23:59:13.37 P.net
- 儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的な
ものとして見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負
う。たとえば、「(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-18(>>435))
と孔子はいう。
…
儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、
孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定す
ることではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に
対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。
(柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)
- 710 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 03:10:39.37 0.net
- 公権力に逆らえればなんでもいいんだな…
- 711 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 03:32:22.97 0.net
- >葉公様が先生に語った。
「私どもの村には正直者がおります。父親が羊を盗んだのですが、子供が正義感から証言をして有罪にしたのです。」
「私どもの村ではちょっと違っておりますな。
父親は子供の為に罪を隠しますし、子供は父親を必死に庇います。親子の情愛に正直なのです。
正直はこの両者のいずれか一方ではなくその中間にあります」
なのに
>日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。
???
- 712 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 713 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 714 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 715 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 05:45:36.47 0.net
- ゆたかちゃんがすき。。。
- 716 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 21:28:40.19 0.net
- >正直はこの両者のいずれか一方ではなくその中間にあります
中間というと、「身内の犯罪を公権力にゆだねる」「一方で、親(子)として、心身を最後までねぎらう」
ってところかなぁ。
- 717 :655:2014/01/26(日) 00:05:46.46 P.net
- カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも当時の権力に対する忠より孝を優先して原論語
を壁に埋めたからだ。
忠と孝が柄谷(>>709)の言うようなものだとすると、「中」というのは
カントの言うアンチノミー(二律背反)を維持することと解釈できる。
このアンチノミーの維持は反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
脳科学的(>>688)には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
13-18(>>435)に関しては、
ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
個人的には、
14-08(>>456)
子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎
のように心の重視と解釈するのがいいと思う。
- 718 :679:2014/01/26(日) 03:03:19.43 0.net
- >>711
>>716
中を中間と訳したものは殆どないと思う。
いくつかの論語訳は読んだが、少なくとも俺の記憶にはない。
>>435の解釈は俺も思わず膝を打つ面白い解釈だとは思ったけど、
一般的には、葉公は正直に告発することを「直」としたのに対して、
孔子が「孝」を重視した、というか、自分の心に素直であることを「直」とした、と解釈される。
つまり、中は現代風に言えば内心。
まあ殆ど>>717が言ってることの繰り返しになってるけどw
このスレの論語訳は面白いけど、遊びや独自解釈があるので、絶対的な正解として見ない方がいい。
- 719 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 720 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 721 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 722 :考える名無しさん:2014/01/29(水) 21:47:06.37 0.net
- 人間的に成長したいと思ってますが、論語や菜根譚を読んで、そのときは
素晴らしいと思っても、なかなか日常では感情の渦に巻き込まれ惰性で「小人」そのものだなあ、俺。
ナルシズムが強いと思って、エーリッヒ・フロムを読んだり、委ねを学ぼうと宗教の本読んだり。
全部自分が救われたいと思うからだけど。
日々後退してる気がする。現実も逆境ばかりで苦しい。
さあ、夜と霧読むか・・・
- 723 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 00:16:29.33 0.net
- 「小人」なら、その「小人」の何たるかを自己観察で極めてみれば如何? 「小人」であることから逃げずに、あえて
「小人」を貫けば、シェイクスピアのような人間観察力が着くかも。ていうかシェイクスピアが小人群像劇だから、
そこに描かれている老若男女さまざまな「小人」ぶりを参考にするとか。
- 724 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 00:48:48.57 0.net
- ありがたいお言葉感謝します。
保身のためならウソもつく、自分の小人振りに辟易しますが、
ちょうどおっしゃる様なことをやってみようかと思ってました。
マインドフルネスの煩悩観察みたいな構造で、自分のなかの小人を観察していこうと。
シェークスピア読んでみます。
内面の小人を客観視できたら、他者をも受け入れられるかもしれませんね。
- 725 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 726 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 04:39:13.00 0.net
- >>722
ユダヤにあこがれる創価wwwwwwwwwwwwwwwwww
だっせwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 727 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 728 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 729 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 730 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 06:31:04.38 0.net
- 別名吉川君子(よしかわくんし)
- 731 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 06:31:35.39 0.net
- バーカバーカ
- 732 :717,655:2014/01/30(木) 23:20:48.45 P.net
- >>718
ご指摘ありがとうございます。
子路13-18(>>435)のすぐ後の13-21(>>439)に
不得中行而與之、必也狂狷乎という「中」の用法があり、
それを念頭に入れた訳なのでしょう。
いろいろなな解釈を考慮したうえでの自由訳は気に入っています。
>>439
織田信長とはまた的確でわかりやすい、、、
- 733 :あぼーん:あぼーん.net
- あぼーん
- 734 :あぼーん:あぼーん.net
- あぼーん
- 735 :リアルなネタ投下:2014/02/01(土) 10:46:11.68 0.net
- 発信者 よしかわゆたか
SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か
2/11 23:24
スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。
研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、
「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。
じゃあまた。
- 736 :679:2014/02/01(土) 15:05:54.32 0.net
- >>732
いつも勉強させていただいてます。
以前のカントと孔子の関連と北辰信仰と太陽信仰については少し自分の中で消化不良なところがあるので、追々何か発言するかもしれませんw
殷王朝は太陽信仰であり、シャーマンの国でした。
単純に北辰信仰と太陽信仰を移動民と定住民に結び付けて対比させてよいのか。
孔子の淵源が殷かそれ以前のシャーマニズムとすれば、一概に孔子は北辰信仰とは言えず、当時の中華の混沌とした信仰の中で共通する倫理を模索したのが孔子ではなかったのか、
始皇帝の時代には、始皇帝自身が、孔子の研究の影響を受けていたのではないか、
と、いろいろ考えているのですが、そのあたりをもう少し煮詰めようと思います。
>>718の
>中を中間と訳したものは殆どないと思う。
はあくまで(>>435)に限った話です。
他での「中」の解釈はもっと多岐に亘ってますね。
中の用法は中庸のほうに詳しく載っています。
ちょっと手元にないので、確認は出来ませんが、「中」は「適切」であり、「庸」は保つ。
さすれば、(>>439)の中行は「適切を保つ」から一歩進んで「適切なまま進む」と解して、「能動的な中庸」とでも解するのが良いかと思います。
「中庸」がワンセットなように、「中行」でワンセットではないでしょうか。
そして、(>>435)の中は、前後の文脈から察するに、やはり「内心」と訳する方が適切ではないかと思います。
もう少し俗っぽく、「人情」「純粋な欲望」としてもいいかもしれません。
或いは、フィンガレット流に解釈すれば、「父と子がお互いを父子と認識しあうこと」つまり、「人間関係を紐帯するもの」が中であり、その本質を直とした、と言えるかも知れません。
とはいえ、あまり難解な語義を定義した上での話ではなく、対話の中で、深く考えずに孔子は中という言葉を用いたのではないかと思います。
しかし、(>>435)も魅力的な解釈です。
いずれにせよ「一般的な解釈」と「思わず納得のいく新解釈」を分けて考えなくてはならないのは論語の面倒なことろです。
そして、楽しくもあります。
信長は、もしかしたら、自らを「狂」と自認していたのかもしれませんね。
- 737 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
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- 742 :考える名無しさん:2014/02/19(水) 19:44:03.44 0.net
- 裕チャンとHしたいナ
- 743 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 744 :考える名無しさん:2014/03/15(土) 02:05:31.98 0.net
- 南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
P550
哲学堂の由来
哲学堂は今より五年前、すなわち明治三十七年、哲学館の大学公称を文部省より
許可せられたる紀念として一棟を建設したるに始まり、同三十九年一月、余が同大学
を他人に一任し、これを己の退隠所と定めたるに起因すといえども、哲学堂中に奉崇
せる四聖の由来につきては、遠く明治十八年に画工渡辺文三郎氏をして四聖の像をえ
がかしめ、中村敬宇先生に画賛を請い、学友四、五輩を招きて哲学祭を挙行せしに始
まる。その画賛は左のごとし。
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
- 745 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 746 :考える名無しさん:2014/03/20(木) 23:28:08.12 0.net
- http://d.hatena.ne.jp/ya022978/20130704/1372870885
柄谷行人は、儒教化(「中国化」)の深度の決定的な違い(民心=民意=天命に正統性を求める革命の
韓国と、血統に正統性を求める「天子」観念を欠如した天皇制の日本)に言及する。 結論はないが、
柄谷は、議論の伝統を有する韓国のほうが「普遍性」にはるかに近いことを言い、〜
東アジア経済共同体ができて困るのはアメリカだと批判し、
「いい国家などあるはずがない、日本だけでなく世界のどこにもいい国家などない。問題は、民心、民意、
天にある」と言うのは全く迫力。〜
20130703
- 747 :考える名無しさん:2014/03/24(月) 04:39:30.89 0 ?PLT(14000).net
- ためになるスレッド
江戸文人と現代インターネット共同体の類似点
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1395570624/
- 748 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 749 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 750 :考える名無しさん:2014/04/08(火) 22:57:18.95 O.net
- 論語の暗唱をし続けてみてるけど、
効果あるんだろうか。スレチですよね。
なんか今日ろくなことなかったよ。
- 751 :考える名無しさん:2014/04/09(水) 01:08:23.96 0.net
- 子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。
幸福や効果を気にかけるのは小人の生き方、自らが公平にして利他で有れたかを気にかけるのが君子の生き方。
幸福や効果を気にかけていれば人に見限られ、公平と利他を気にかけていれば人に慕われる。
人に見限られる者は自ら人を見限り、人に慕われる者は自ら人を慕う。
人を見限る人生は寂しい人生、人を慕う人生は豊かな人生。
- 752 :679:2014/04/12(土) 21:50:36.82 0.net
- >>750
「ろくでもないこと」とは外から来たものなのか、内からきたものなのか
孟子を読んでみるといいかも
まあ、論語を読んでも孟子を読んでも、一般的に言うような利益なんかないと思うw
- 753 :679:2014/04/13(日) 12:06:03.60 0.net
- >>750
↓以下に、とある予備校講師の言葉を引用しておく
俺も全てに賛成するわけではないけど、参考にはなるかも
食事であれ、買い物であれ、メールであれ、「待たせない」というのがサービスの一つとなった時代には、待つこと自体が堪えられない人格形成がなされていきます。
レストランで注文を取りに来ないのをイライラする(インテリアやテーブルの配置やらを見ていると1時間くらいは飽きないものなのに)、
メールの返事が来ないのをイライラする(手紙ならば1週間くらいはかかったものなのに)、勉強の成果がすぐにでないのに落ち込む(対象によっては何十年かの思考を必要とするものもあるのに)
電車がちょっと遅れると駅員にどなり散らす(インドでは20時間遅れとか普通なのに)といった具合です。
もちろんサービスが向上したことは素晴らしいことですし、当然のサービスが提供されないときの怒りはもっともですが、あまりに急いでいる姿は滑稽なものです。
急げば急ぐほどその行為自体は空疎なものになるものです。
あるいは、知的成長。
知識の獲得自体はスピードをあげることは可能なのですが、それが身に着くにはやはり長い年月をかけてその知識を身体化していくことが必要になります。
今は、自分が理解できないものに出くわすと、否定的にとらえて排除してしまおうとする学生が多いようです。
いわく、「説明が下手」「言葉が難しすぎる」「抽象的すぎる」「自分には関係ない」。
自ら成長の機会を放棄するとはもったいない、と思うのですが、わからないことがあるとすぐにネットで検索して具体的情報を得ることになれている学生たちにはわからなさを留めておく耐性がないようです。
「超訳ニーチェの言葉」[論語の言葉」というような偉人や哲学者の言葉を集めたり愚かな解釈をしたりしたくだらないものが売れてしまうのも、ニーチェや孔子を読む気などさらさらない人々が即効性を求めて答えをほしがっているからでしょう。
あるいは「わからない」と恥ずかしげもなくいい放ち、わからなくてもかまわないのだと開き直っている学生さえいます。
何かを知って喜びを感じるのは人間の本性だとアリストテレスは言っているのですがそうした本性も失いつつあるのかもしれません。
これは、もちろん学生に限った話ではありません。
- 754 :考える名無しさん:2014/05/10(土) 07:55:14.52 0.net
- それこそ仁を以て礼をなす的な概念じゃないか?
仁ってのは言われてみたら極々当たり前で大したことないんだけど
実際に普段から出来てるかと言われたら結構難しい
だからこそ仁を忘れてないように普段から意識する努力をするんじゃないかと
とりあえず唱えてたらどーにかなるってもんじゃないと思う
行動しないと
- 755 :考える名無しさん:2014/06/27(金) 22:18:24.21 0.net
- http://tvcap.info/2014/6/27/140627-2141290385-1440x810a.jpg
- 756 :考える名無しさん:2014/07/05(土) 07:51:18.10 0.net
- http://ameblo.jp/zaiva0925/
- 757 :考える名無しさん:2014/08/15(金) 03:14:06.30 0.net
- > 己の欲せざるところ、人に施す勿れ
裏を返すと己の欲せざるところを人に施せば相手は嫌がる、と言ってよいと思う
建前上名無しの2ちゃんではこれがかなり有効なので、
実際に自分に向けて書かれたら嫌がることを書いてる人が多い印象を受ける
ただ己の欲せざるところの押し付け合いを眺めてると何も生んでないし
やはり論語が正しいなと思うね
- 758 :考える名無しさん:2014/08/27(水) 04:33:51.65 0 ?PLT(15000).net
- 裕チャン、嫌儲の親切な人が教えてくれたけど
私の事は「怖い物見たさに突いてみたい穴」としか思ってなかったの?
- 759 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 760 :考える名無しさん:2014/08/27(水) 09:59:59.60 0 ?PLT(15000).net
- http://i.4cdn.org/jp/1409097632912.jpg
あいふぉん用もあります
- 761 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 762 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 15:06:27.97 0.net
- ネットで個人名挙げて誹謗中傷するのやめなよ
関係ないスレを荒らすのも良くない
- 763 :考える名無しさん:2014/10/21(火) 20:46:44.98 0.net
- 「好きなことを仕事にすれば一生働かなくてすむ。」
これが孔子の言葉だというのですが、あまりプラグマティックで、とてもそうは思えません。
どなたか出典ご存知でしたら御教示ください。
- 764 :考える名無しさん:2014/12/02(火) 18:42:20.41 0.net
- 老師「礼は乱の首(はじ)め」
- 765 :考える名無しさん:2014/12/03(水) 08:50:59.62 0.net
- >>763好きな仕事をゆかいにやっていくことができれば、どんな苦労も楽しみとなる トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)
- 766 :考える名無しさん:2014/12/04(木) 13:32:08.88 0.net
- >>763
ネット検索すると複数でてきますが、原文や書き下し文がありませんね。
孔子は農工商は小人の職業だと思っていたようです、ネットのデマでしょう。
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