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【儒教】孔子の哲学【論語】

1 :小魔玉  ◆.c.c.k.k.. :2012/02/14(火) 01:11:11.08 0.net
今から2500年前に五常(仁、義、礼、智、信)と五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)を以って
理想社会の実現を夢み、独自の哲学を持っていた孔子の教えを色々な視点から議論するスレです

685 :655,再訂正バージョン:2014/01/03(金) 22:49:11.03 P.net
snipped (too many anchors)

686 :655,面目ない。再々訂正バージョン:2014/01/03(金) 22:51:39.85 P.net
snipped (too many anchors)

687 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

688 :考える名無しさん:2014/01/04(土) 17:33:32.70 P.net
●『論語』の君子と脳機能
               /\
 四次元          /  \
             / 君子 \  
        左   /_    _\   右
 三次元       /  |  |  \
          /   義  信   \   
         /__  |  |  __\
 二次元    /   | |  | |   \
       /    | 智  仁 |    \ 
      /___  | |  | |  ___\
 一次元 /    | | |  | | |    \
    /     | | |ネし| | |     \
   /______|_|_|__|_|_|______\ 

『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。

(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)

「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義

参考:
15-18 (>>518)
06-22 (>>179)

689 :655,688,補足:2014/01/05(日) 00:18:01.62 P.net
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。

また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。

(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)

一次元
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右
「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。
二次元左
「智」=知識。例:名前を付ける。
三次元右
「信」=信用。例:サッカーのパス。
三次元左
「義」=正義。例:本を書く。
四次元
「君子」=脳全体をバランスよく使う。

690 :考える名無しさん:2014/01/05(日) 18:34:04.23 P.net
『論語』という革命思想 
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008

仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が作動している人のこと

01-01(>>11) 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。

学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…

学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉

参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)

691 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

692 :考える名無しさん:2014/01/05(日) 22:11:28.55 0.net
●『論語』の君子と発展機能
               /\
つゆだくポジケツ    /  \
             / 君子 \  
        ペニス /_    _\  アヌス 
ケツに小便    /  |  |  \
          /   義  信   \   
         /__  |  |  __\
同性フェラ /   | |  | |   \
       /    | 智  仁 |    \ 
      /___  | |  | |  ___\
 分桃 /    | | |  | | |    \
    /     | | |ネし| | |     \
   /______|_|_|__|_|_|______\ 

693 :考える名無しさん:2014/01/05(日) 22:12:03.40 0.net
儒教(笑)

ホモ(笑)

694 :考える名無しさん:2014/01/07(火) 00:54:29.40 i.net
ホモちんちん

695 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

696 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

697 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

698 :655:2014/01/14(火) 01:39:32.21 P.net
九思16-10 (>>559)
http://3.bp.blogspot.com/-QX9OXiRSUnA/Us-h23px9QI/AAAAAAAAbSM/I_O26X0H76k/s1600/koushi9.jpg

699 :655:2014/01/14(火) 01:50:24.67 P.net
07-21(>>234)三人行くときは、必ず我が師あり
http://3.bp.blogspot.com/-VYfT0Z4KIaU/UtI-M6nV_RI/AAAAAAAAbWE/BZzRLQp4FXM/s1600/rongo13.jpg

700 :考える名無しさん:2014/01/21(火) 23:27:22.28 P.net
知行合一(wikiより)

知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」(02-13,>>50)が元になっている。

王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。
朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。

幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた

701 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

702 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

703 :考える名無しさん:2014/01/22(水) 17:29:21.82 0.net
>>702
君はこっちのスレに行きなさい

ペットボトルに小便は孔子の教え
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1174068840/l50

704 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

705 :考える名無しさん:2014/01/24(金) 21:52:31.31 0.net
>>704
もう戻ってくるなよ

706 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

707 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

708 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

709 :655:2014/01/24(金) 23:59:13.37 P.net
儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的な
ものとして見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負
う。たとえば、「(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-18(>>435))
と孔子はいう。

儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、
孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定す
ることではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に
対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。

(柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)

710 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 03:10:39.37 0.net
公権力に逆らえればなんでもいいんだな…

711 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 03:32:22.97 0.net
>葉公様が先生に語った。
「私どもの村には正直者がおります。父親が羊を盗んだのですが、子供が正義感から証言をして有罪にしたのです。」
「私どもの村ではちょっと違っておりますな。
父親は子供の為に罪を隠しますし、子供は父親を必死に庇います。親子の情愛に正直なのです。
正直はこの両者のいずれか一方ではなくその中間にあります」

なのに

>日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。


???

712 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

713 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

714 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

715 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 05:45:36.47 0.net
ゆたかちゃんがすき。。。

716 :考える名無しさん:2014/01/25(土) 21:28:40.19 0.net
>正直はこの両者のいずれか一方ではなくその中間にあります

中間というと、「身内の犯罪を公権力にゆだねる」「一方で、親(子)として、心身を最後までねぎらう」
ってところかなぁ。

717 :655:2014/01/26(日) 00:05:46.46 P.net
カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも当時の権力に対する忠より孝を優先して原論語
を壁に埋めたからだ。
忠と孝が柄谷(>>709)の言うようなものだとすると、「中」というのは
カントの言うアンチノミー(二律背反)を維持することと解釈できる。
このアンチノミーの維持は反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
脳科学的(>>688)には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
13-18(>>435)に関しては、
ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
個人的には、
14-08(>>456)
子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎
のように心の重視と解釈するのがいいと思う。

718 :679:2014/01/26(日) 03:03:19.43 0.net
>>711
>>716
中を中間と訳したものは殆どないと思う。
いくつかの論語訳は読んだが、少なくとも俺の記憶にはない。

>>435の解釈は俺も思わず膝を打つ面白い解釈だとは思ったけど、
一般的には、葉公は正直に告発することを「直」としたのに対して、
孔子が「孝」を重視した、というか、自分の心に素直であることを「直」とした、と解釈される。
つまり、中は現代風に言えば内心。
まあ殆ど>>717が言ってることの繰り返しになってるけどw

このスレの論語訳は面白いけど、遊びや独自解釈があるので、絶対的な正解として見ない方がいい。

719 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

720 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

721 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

722 :考える名無しさん:2014/01/29(水) 21:47:06.37 0.net
人間的に成長したいと思ってますが、論語や菜根譚を読んで、そのときは
素晴らしいと思っても、なかなか日常では感情の渦に巻き込まれ惰性で「小人」そのものだなあ、俺。

ナルシズムが強いと思って、エーリッヒ・フロムを読んだり、委ねを学ぼうと宗教の本読んだり。
全部自分が救われたいと思うからだけど。

日々後退してる気がする。現実も逆境ばかりで苦しい。

さあ、夜と霧読むか・・・

723 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 00:16:29.33 0.net
「小人」なら、その「小人」の何たるかを自己観察で極めてみれば如何? 「小人」であることから逃げずに、あえて
「小人」を貫けば、シェイクスピアのような人間観察力が着くかも。ていうかシェイクスピアが小人群像劇だから、
そこに描かれている老若男女さまざまな「小人」ぶりを参考にするとか。

724 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 00:48:48.57 0.net
ありがたいお言葉感謝します。

保身のためならウソもつく、自分の小人振りに辟易しますが、
ちょうどおっしゃる様なことをやってみようかと思ってました。
マインドフルネスの煩悩観察みたいな構造で、自分のなかの小人を観察していこうと。

シェークスピア読んでみます。
内面の小人を客観視できたら、他者をも受け入れられるかもしれませんね。

725 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

726 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 04:39:13.00 0.net
>>722
ユダヤにあこがれる創価wwwwwwwwwwwwwwwwww

だっせwwwwwwwwwwwwwwwwww

727 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

728 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

729 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

730 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 06:31:04.38 0.net
別名吉川君子(よしかわくんし)

731 :考える名無しさん:2014/01/30(木) 06:31:35.39 0.net
バーカバーカ

732 :717,655:2014/01/30(木) 23:20:48.45 P.net
>>718
ご指摘ありがとうございます。
子路13-18(>>435)のすぐ後の13-21(>>439)に
不得中行而與之、必也狂狷乎という「中」の用法があり、
それを念頭に入れた訳なのでしょう。
いろいろなな解釈を考慮したうえでの自由訳は気に入っています。
>>439
織田信長とはまた的確でわかりやすい、、、

733 :あぼーん:あぼーん.net
あぼーん

734 :あぼーん:あぼーん.net
あぼーん

735 :リアルなネタ投下:2014/02/01(土) 10:46:11.68 0.net
発信者 よしかわゆたか
SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か

2/11 23:24

スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。
研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、
「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。
じゃあまた。

736 :679:2014/02/01(土) 15:05:54.32 0.net
>>732
いつも勉強させていただいてます。
以前のカントと孔子の関連と北辰信仰と太陽信仰については少し自分の中で消化不良なところがあるので、追々何か発言するかもしれませんw

殷王朝は太陽信仰であり、シャーマンの国でした。
単純に北辰信仰と太陽信仰を移動民と定住民に結び付けて対比させてよいのか。
孔子の淵源が殷かそれ以前のシャーマニズムとすれば、一概に孔子は北辰信仰とは言えず、当時の中華の混沌とした信仰の中で共通する倫理を模索したのが孔子ではなかったのか、
始皇帝の時代には、始皇帝自身が、孔子の研究の影響を受けていたのではないか、
と、いろいろ考えているのですが、そのあたりをもう少し煮詰めようと思います。

>>718
>中を中間と訳したものは殆どないと思う。
はあくまで(>>435)に限った話です。
他での「中」の解釈はもっと多岐に亘ってますね。

中の用法は中庸のほうに詳しく載っています。
ちょっと手元にないので、確認は出来ませんが、「中」は「適切」であり、「庸」は保つ。
さすれば、(>>439)の中行は「適切を保つ」から一歩進んで「適切なまま進む」と解して、「能動的な中庸」とでも解するのが良いかと思います。
「中庸」がワンセットなように、「中行」でワンセットではないでしょうか。

そして、(>>435)の中は、前後の文脈から察するに、やはり「内心」と訳する方が適切ではないかと思います。
もう少し俗っぽく、「人情」「純粋な欲望」としてもいいかもしれません。
或いは、フィンガレット流に解釈すれば、「父と子がお互いを父子と認識しあうこと」つまり、「人間関係を紐帯するもの」が中であり、その本質を直とした、と言えるかも知れません。
とはいえ、あまり難解な語義を定義した上での話ではなく、対話の中で、深く考えずに孔子は中という言葉を用いたのではないかと思います。
しかし、(>>435)も魅力的な解釈です。
いずれにせよ「一般的な解釈」と「思わず納得のいく新解釈」を分けて考えなくてはならないのは論語の面倒なことろです。
そして、楽しくもあります。

信長は、もしかしたら、自らを「狂」と自認していたのかもしれませんね。

737 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

738 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

739 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

740 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

741 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

742 :考える名無しさん:2014/02/19(水) 19:44:03.44 0.net
裕チャンとHしたいナ

743 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

744 :考える名無しさん:2014/03/15(土) 02:05:31.98 0.net
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
P550
 哲学堂の由来  
 哲学堂は今より五年前、すなわち明治三十七年、哲学館の大学公称を文部省より
許可せられたる紀念として一棟を建設したるに始まり、同三十九年一月、余が同大学
を他人に一任し、これを己の退隠所と定めたるに起因すといえども、哲学堂中に奉崇
せる四聖の由来につきては、遠く明治十八年に画工渡辺文三郎氏をして四聖の像をえ
がかしめ、中村敬宇先生に画賛を請い、学友四、五輩を招きて哲学祭を挙行せしに始
まる。その画賛は左のごとし。     

 四聖像賛 文学博士 中村正直   
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、

(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg

745 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

746 :考える名無しさん:2014/03/20(木) 23:28:08.12 0.net
http://d.hatena.ne.jp/ya022978/20130704/1372870885
柄谷行人は、儒教化(「中国化」)の深度の決定的な違い(民心=民意=天命に正統性を求める革命の
韓国と、血統に正統性を求める「天子」観念を欠如した天皇制の日本)に言及する。 結論はないが、
柄谷は、議論の伝統を有する韓国のほうが「普遍性」にはるかに近いことを言い、〜

東アジア経済共同体ができて困るのはアメリカだと批判し、
「いい国家などあるはずがない、日本だけでなく世界のどこにもいい国家などない。問題は、民心、民意、
天にある」と言うのは全く迫力。〜

20130703

747 :考える名無しさん:2014/03/24(月) 04:39:30.89 0 ?PLT(14000).net
ためになるスレッド

江戸文人と現代インターネット共同体の類似点
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1395570624/

748 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

749 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

750 :考える名無しさん:2014/04/08(火) 22:57:18.95 O.net
論語の暗唱をし続けてみてるけど、
効果あるんだろうか。スレチですよね。
なんか今日ろくなことなかったよ。

751 :考える名無しさん:2014/04/09(水) 01:08:23.96 0.net
子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。
幸福や効果を気にかけるのは小人の生き方、自らが公平にして利他で有れたかを気にかけるのが君子の生き方。
幸福や効果を気にかけていれば人に見限られ、公平と利他を気にかけていれば人に慕われる。
人に見限られる者は自ら人を見限り、人に慕われる者は自ら人を慕う。
人を見限る人生は寂しい人生、人を慕う人生は豊かな人生。

752 :679:2014/04/12(土) 21:50:36.82 0.net
>>750
「ろくでもないこと」とは外から来たものなのか、内からきたものなのか
孟子を読んでみるといいかも
まあ、論語を読んでも孟子を読んでも、一般的に言うような利益なんかないと思うw

753 :679:2014/04/13(日) 12:06:03.60 0.net
>>750
↓以下に、とある予備校講師の言葉を引用しておく
俺も全てに賛成するわけではないけど、参考にはなるかも

食事であれ、買い物であれ、メールであれ、「待たせない」というのがサービスの一つとなった時代には、待つこと自体が堪えられない人格形成がなされていきます。

レストランで注文を取りに来ないのをイライラする(インテリアやテーブルの配置やらを見ていると1時間くらいは飽きないものなのに)、
メールの返事が来ないのをイライラする(手紙ならば1週間くらいはかかったものなのに)、勉強の成果がすぐにでないのに落ち込む(対象によっては何十年かの思考を必要とするものもあるのに)
電車がちょっと遅れると駅員にどなり散らす(インドでは20時間遅れとか普通なのに)といった具合です。
もちろんサービスが向上したことは素晴らしいことですし、当然のサービスが提供されないときの怒りはもっともですが、あまりに急いでいる姿は滑稽なものです。
急げば急ぐほどその行為自体は空疎なものになるものです。

あるいは、知的成長。
知識の獲得自体はスピードをあげることは可能なのですが、それが身に着くにはやはり長い年月をかけてその知識を身体化していくことが必要になります。

今は、自分が理解できないものに出くわすと、否定的にとらえて排除してしまおうとする学生が多いようです。
いわく、「説明が下手」「言葉が難しすぎる」「抽象的すぎる」「自分には関係ない」。 
自ら成長の機会を放棄するとはもったいない、と思うのですが、わからないことがあるとすぐにネットで検索して具体的情報を得ることになれている学生たちにはわからなさを留めておく耐性がないようです。
「超訳ニーチェの言葉」[論語の言葉」というような偉人や哲学者の言葉を集めたり愚かな解釈をしたりしたくだらないものが売れてしまうのも、ニーチェや孔子を読む気などさらさらない人々が即効性を求めて答えをほしがっているからでしょう。
あるいは「わからない」と恥ずかしげもなくいい放ち、わからなくてもかまわないのだと開き直っている学生さえいます。
何かを知って喜びを感じるのは人間の本性だとアリストテレスは言っているのですがそうした本性も失いつつあるのかもしれません。
これは、もちろん学生に限った話ではありません。

754 :考える名無しさん:2014/05/10(土) 07:55:14.52 0.net
それこそ仁を以て礼をなす的な概念じゃないか?
仁ってのは言われてみたら極々当たり前で大したことないんだけど
実際に普段から出来てるかと言われたら結構難しい
だからこそ仁を忘れてないように普段から意識する努力をするんじゃないかと
とりあえず唱えてたらどーにかなるってもんじゃないと思う
行動しないと

755 :考える名無しさん:2014/06/27(金) 22:18:24.21 0.net
http://tvcap.info/2014/6/27/140627-2141290385-1440x810a.jpg

756 :考える名無しさん:2014/07/05(土) 07:51:18.10 0.net
http://ameblo.jp/zaiva0925/

757 :考える名無しさん:2014/08/15(金) 03:14:06.30 0.net
> 己の欲せざるところ、人に施す勿れ

裏を返すと己の欲せざるところを人に施せば相手は嫌がる、と言ってよいと思う
建前上名無しの2ちゃんではこれがかなり有効なので、
実際に自分に向けて書かれたら嫌がることを書いてる人が多い印象を受ける

ただ己の欲せざるところの押し付け合いを眺めてると何も生んでないし
やはり論語が正しいなと思うね

758 :考える名無しさん:2014/08/27(水) 04:33:51.65 0 ?PLT(15000).net
裕チャン、嫌儲の親切な人が教えてくれたけど
私の事は「怖い物見たさに突いてみたい穴」としか思ってなかったの?

759 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

760 :考える名無しさん:2014/08/27(水) 09:59:59.60 0 ?PLT(15000).net
http://i.4cdn.org/jp/1409097632912.jpg
あいふぉん用もあります

761 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

762 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 15:06:27.97 0.net
ネットで個人名挙げて誹謗中傷するのやめなよ
関係ないスレを荒らすのも良くない

763 :考える名無しさん:2014/10/21(火) 20:46:44.98 0.net
「好きなことを仕事にすれば一生働かなくてすむ。」
これが孔子の言葉だというのですが、あまりプラグマティックで、とてもそうは思えません。
どなたか出典ご存知でしたら御教示ください。

764 :考える名無しさん:2014/12/02(火) 18:42:20.41 0.net
老師「礼は乱の首(はじ)め」

765 :考える名無しさん:2014/12/03(水) 08:50:59.62 0.net
>>763好きな仕事をゆかいにやっていくことができれば、どんな苦労も楽しみとなる トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)

766 :考える名無しさん:2014/12/04(木) 13:32:08.88 0.net
>>763
ネット検索すると複数でてきますが、原文や書き下し文がありませんね。
孔子は農工商は小人の職業だと思っていたようです、ネットのデマでしょう。

767 :考える名無しさん:2014/12/07(日) 01:09:58.26 0.net
"The superior man thinks of virtue; the ordinary man thinks of comfort." 
(Analects, bk. iv., c. xi.) 

"What the superior man seeks, is in himself; what the ordinary man seeks, is in others."
 (Analects, bk. xv., c. xx.)

"The object of the superior man is truth."
 (Analects, bk. xv., c. xxxi.) 

"The superior man is catholic and not partisan; the ordinary man is partisan and not catholic."
 (Analects, bk. ii., c. xiv.) 

" The superior man in the world does not set his mind either for anything or against anything; what is right, he will follow."
 (Analects, bk. iv., c. x.) 

"The superior man has dignified ease without pride; the ordinary man has pride without dignified ease."
 (Analects, bk. xiii., c. xxvi.) 

"The superior man is affable but not adulatory; the ordinary man is adulatory but not affable."
 (Analects, bk. xiii., c. xxiii.)

"The progress of the superior man is upward, the progress of the ordinary man is downward."
 (Analects, bk. xiv., c. xxiv.) 

"The superior man is distressed by his want of ability; he is not distressed by men's not knowing him."
 (Analects, bk. xv., c. xviii.)

"What you do not want done to yourself, do not do unto others."
 (Doctrine of the Mean, c. xiii., v. 3.)

768 :考える名無しさん:2014/12/07(日) 23:35:07.50 0.net
君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。
小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎(な)れ、聖人の言を侮る。
-   孔子 『論語』より

君子は諸れを己に求む。小人は諸れを人に求む。
-   孔子 『論語』より

小人の過つや必ず文(かざ)る。
-   孔子『論語』より

君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。
-   孔子 『論語』より

君子もとより窮す。小人窮すればここに濫る。
-   孔子 『論語』より

君子は上達し、小人は下達す。
-   孔子 『論語』より

君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人は是に反す。
-   孔子 『論語』より

上知と下愚とは移らず。
-   孔子 『論語』より

これを知るを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是知るなり。
-   孔子 『論語』より

過ちて改めざる、これを過ちという。
-   孔子 『論語』より

769 :考える名無しさん:2014/12/08(月) 00:20:56.63 0.net
中国の哲学は経験則だから世界性をもたない

770 :考える名無しさん:2014/12/08(月) 13:21:52.21 0.net
だが宇宙的普遍性をもつ経験則だ

771 :考える名無しさん:2014/12/09(火) 17:18:40.07 0.net
コシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ

772 :考える名無しさん:2014/12/09(火) 20:39:27.75 0.net
世界126カ国に中国後押しの孔子学院475校 「学問の自由を侵害」反発も、教師20万人育成

 中国国営の新華通信は7日、中国の「ソフトパワー」拡大の拠点として中国政府が全面的に後押ししている中国語教育機関「孔子学院」の数が世界126カ国で475校に達した、と伝えた。

 2004年に設立された同学院はこれまで20万人の中国語教師を育成したという。

 米国内の大学では、孔子学院について、授業内容に中国政府の意向が働き、学問の自由を侵害している、などとして閉鎖の動きが相次いでいる。(共同)

773 :考える名無しさん:2014/12/09(火) 22:48:52.55 0.net
子牛乗ってガク
光子の鉄が9

774 :考える名無しさん:2014/12/10(水) 09:41:10.10 0.net
【濡れ】孔子のケツが、クッ!【輪姦】

775 :考える名無しさん:2014/12/11(木) 10:50:54.68 0.net
×世界四大聖人
◯世界三大聖人

ソクラテス
孔子
ブッダ
×ジーザス

776 :考える名無しさん:2014/12/11(木) 13:38:28.74 0.net
2014年に急に過疎ったね
一年での伸びが少ない

777 :考える名無しさん:2014/12/12(金) 19:52:59.14 0.net
カストロ氏に「孔子平和賞」=ノーベル賞に対抗―中国
時事通信社
2014年12月11日(木)
11コメント
 【北京時事】11日付の中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報によると、
民間学術団体による「孔子平和賞」の今年の受賞者にキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が選ばれ、北京で授賞式があった。
カストロ氏は出席せず、賞金などはキューバの留学生に渡された。留学生を通じ近く本人に贈られるという。

 同賞は2010年、中国の民主活動家、劉暁波氏に対するノーベル平和賞授与に対抗して創設された。 

778 :考える名無しさん:2014/12/13(土) 09:56:05.92 0.net
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/孔子平和賞
歴代の受賞者

第1回 2010年 連戦( 台湾)
中台和平の推進

第2回 2011年 ウラジーミル・プーチン( ロシア)
リビア内戦におけるNATOによる空爆への反対

第3回 2012年 コフィ・アナン( ガーナ)
国際連合事務総長として国連の振興に尽力
国連およびアラブ連合のシリア合同特使となってシリア内戦の和平を斡旋した
袁隆平(中華人民共和国)
ハイブリッドライス研究の世界的研究者として、食糧問題解決に貢献

第4回 2013年 釈一誠(中華人民共和国)
中国仏教協会の会長を務め中国仏教の改革と発展に努めた
世界への弘法利生を行い、世界平和に貢献

第5回 2014年 フィデル・カストロ( キューバ)
世界平和への「重要な貢献」

779 :S、イマムラ:2014/12/13(土) 11:44:08.36 0.net
儒教は「建て前の訓え」、一方、道教は「本音の祈り」

現状は、一応、「集団的共産主義」教だが、「超格差」帝国国家。
「君子」による理想的政治。

780 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 17:24:13.34 0.net
ネトウヨが「孔子は人肉を食べていた」ってデマパガンダ流してたのがウザイ

781 :考える名無しさん:2014/12/14(日) 21:42:44.15 0.net
【儒教】小牛乗て通学【論語】

782 :考える名無しさん:2014/12/16(火) 17:36:49.14 0.net
講師のケツがくs…

783 :考える名無しさん:2014/12/17(水) 00:21:13.54 0.net
>>775だがイエスは聖人というほど偉大な人物ではない
十二使徒のプロパガンダが上手だっただけなのだ

784 :考える名無しさん:2014/12/17(水) 08:59:08.98 0.net
オーギュスタン=ルイ・コーシー
(Augustin Louis Cauchy, 1789年8月21日 - 1857年5 月23日)はフランスの数学者。
解析学の分野に対する多大な貢献から「フランスの ガウス」と呼ばれることもある。

コーシーの積分定理 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/コーシーの積分定理
コーシーの積分定理(Cauchy's integral theorem)は、 コーシーの第1定理ともいわれ、オーギュスタン=ルイ・コーシーによって示された、
数学 、特に微分積分学において、ガウス平面上である領域において正則である関数の経路 積分 ...

コーシー分布 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/コーシー分布
コーシー分布(英語: Cauchy distribution)は、連続型確率分布の一種 である。

コーシー=シュワルツの不等式 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/コーシー=シュワルツの不等式
数学におけるコーシー=シュワルツの不等式(英語: Cauchy–Schwarz inequality)、
シュワルツの不等式、シュヴァルツの不等式あるいは コーシー=ブニャコフスキー=シュワルツの不等式 (Cauchy–Bunyakovski–Schwarz ...

コーシーの積分公式 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/コーシーの積分公式
コーシーの積分公式は、コーシーの第2定理、コーシーの 積分表示 (Cauchy's integral expression) ともいわれ、
オーギュスタン=ルイ・コーシー によって示された、数学、特に微分積分学において、ガウス平面上である領域において ...

コーシー列 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/コーシー列
解析学におけるコーシー列(Cauchy sequence)は、数列などの列で、 十分先のほうで殆ど値が変化しなくなるものをいう。

コーシー問題 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/コーシー問題
数学におけるコーシー問題(英: Cauchy problem)とは、定義域の超曲面上で与えられる特定の条件を満たすような偏微分方程式の解を探す、という問題である。

785 :考える名無しさん:2014/12/17(水) 11:20:53.70 0.net


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