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 ─スラヴォイ・ジジェク─

634 :考える名無しさん:2016/03/28(月) 21:27:42.16 0.net
正確にいうと、ラカン(ヘーゲル)を通してヘーゲル(ラカン)を読むことの限界か
ヘーゲルは純粋な反復(死の欲動のことだろう)と、対象aの特異性を捉えきれない。
これは前からよく「欲望の弁証法に抵抗するのが欲動」とジジェクは言ってたな。
問題はその後で、ラカンのサントームとかボロメオの輪をジジェクが全く評価していないのは意外だな。
前の著作ではふつうにこの辺も解説していた気がするけど。
ただ確かに晩年のラカンや、この辺の概念を受け入れている分析家は、
「症状とうまくやっていければそれでよい」みたいな諦観モードに入っているんだよね。
ジジェクからすれば、それが駄目(もちろん治療じゃなくて「革命」理論的に)ってことなんだろうけど。

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