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熊野純彦

1 :考える名無しさん:2013/09/16(月) 18:02:19.89 0.net
『存在と時間』とカント三批判書の翻訳をしながら、
『資本論』の読解本を出すとは驚異的な仕事量ですね。

518 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 16:56:42.88 0.net
>>515
説明する気なくなったは

519 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 21:15:14.84 0.net
>>518
そうやって自分の中で完了させるのが一番。

君が他人に通じる言葉を書けるようになるまでには、まだ時間がかかりそうだ。

520 :一時帰宅:2014/09/13(土) 21:52:36.48 0.net
その言い方が許されるのは本来は哲学の専門家だけ

521 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 21:54:54.33 0.net
>>519
つかリテラシ低いし、自己弁護のための問いなんで
ほんとに知りたいわけでないから
説明しても暖簾に腕押し泥沼なだけで時間の無駄だから

522 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 22:33:17.81 0.net
ということにしておけば逃げられるわけです

523 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 00:41:20.63 0.net
哲学書の講読会で1ページずつ原語で読む訓練受けてない人が、
哲学書を読むのは実際的には不可能なので、
評論家の本で哲学の世界に入ってきた人たちには悲しい現実。

524 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 00:49:15.37 0.net
>>523
なんだ、そうだったのか。

だから仲間内だけで理解しあって、外の世界に出ないのか。

525 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 00:56:24.39 0.net
これはその通りだと思う
素人には翻訳の斜め読みしかできない

526 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 01:03:36.39 0.net
評論家の本がその道の専門家からすればいい加減でデタラメという認識は、
べつに日本だけのものじゃないしなあ。

527 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 01:08:25.10 0.net
一語一句ゆるがせにしない原著の解釈を、解釈共同体で数世紀も継続してきたのが学者たち
学者共同体が、原著について互いに批判に批判を重ねて、地道に形成した来た解釈は、客観的と呼んで良いのではないか

528 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 01:10:35.87 0.net
×客観的
○客観的な原著の意味と呼び得るものに最も近い

529 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 01:28:40.33 0.net
 動画のなかで熊野氏はハイデッガーにたいしレヴィナスを対置していたが、
人間が利他的になれるのも(他者を思いやれるのも歓待できるのも)
利己的になれるのも、<現有がそれ自身のために実存する>からであると
言い換えればそれらもまた現有の世界可能性であるということ。ハイデッガー
は「根拠の本質について」の中で明言しているんだけどね。

 あの文を読む限り、<存在の彼方へ>を思考するレヴィナスの試みは
すでに包括されていると思えたけどね。熊野氏は「根拠の本質について」は
読んでないのかね。読んでいれば解ると思うが。

530 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 03:53:59.48 0.net
>>527
ただの密教だなそれじゃあ
後世に読み継がれる原著となるべきものはもはや生み出し得ないという認識か?

531 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 04:03:54.63 0.net
何でそうなるんすか?

532 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 04:07:13.79 0.net
ああ申し訳ない勘違いした。
すいません良く分からないので消えます。

533 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 04:09:46.96 0.net
読みの正確さに関しては学者と素人では比較にならない、学者の方が正確だと思います。
それを無視した素人の読解は独善的なものになり易い。その事に自覚的なほうがいいと思う。

新しい原著が生まれるかどうかは分かりません。

534 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 08:51:53.04 0.net
死すべきものとしての人間−生と死の思想(学術俯瞰講義) 
第10回 他者と共に在る生
熊野純彦
Humans and Their Mortality - Thoughts on Life and Death (Global Focus on Knowledge)
Lecture 10 Life With Others
Sumihiko Kumano

http://ocw.u-tokyo.ac.jp/movie?id=712&r=

 上記動画1:19.00以降で熊野氏はレヴィナスと比べハイデッガーは
<他者の死>を蔑ろにしてはいないか、という論点で話している。し
かし、ハイデッガーの「根拠の本質について」を読む限り、<利他的
も利己的も><有のため>として捉えられる。それが実存であると
ハイデッガーは語っている。具体的にはハイデッガー全集第9巻『道標
』194頁にある。そのようにして熊野氏が提起するレヴィナスの論点
<他者に身代わりする死>はこの時点ですでに包括されている。
そこを熊野氏は見逃している。ここで熊野氏は読みの甘さをさらけ
出している。

 学者-非学者のどちらがどうということはなくどこまでも具体的な
読みに即して-「どの部分がどうである」として-語るべきである。
具体的な読みとして、ここでの熊野氏は踏み込みが甘いと私は言って
いる。

535 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 09:19:15.46 0.net
 上記動画で熊野氏が言っているおかしな部分、実際のハイデッガー
の書いた文と意味合いが明確に異なる部分を指摘してみる。

 熊野氏は上記動画1:21.31辺りで「他者の代わりに死ぬことは
不可能だとハイデッガーは言う」とし、<他者の身代わり>を唱える
レヴィナスと対置しようとしている。しかし、『有と時』第47節、
マックス・ニーマイヤー社原書240頁でハイデッガーは要約すれば
《他者の身代わりの死ぬことはたしかにできる。しかしにもかかわ
らず、死は他者にいつかは訪れる。それを取り除いてやることは
できない》と言っている。熊野氏の言うことと異なりハイデッガーは
「他者に身代わりとなって死ぬことはできる」と語っている。ここは
どうみても事実に反している。実際の『有と時』の記述と違うこと
を熊野氏は講義で堂々と語っている。ここは指摘しないわけには
いかない。

 学者さんでもこのように事実と違う指摘をしていることがある。と
いうことです。ただし私はアンチ熊野氏ではない。ただ誤った引用
をしていることがあると言っているだけです。私は学者ではないが
そこは熊野氏の講義から言えることだ。

536 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 10:40:55.33 0.net
はあ?

《他者の身代わりの死ぬことはたしかにできる。しかしにもかかわ
らず、死は他者にいつかは訪れる。それを取り除いてやることは
できない》

どうみても「存在と時間」のその文章の主旨は、
「他者の代わりに死ぬことはできない」
だろうが。文字面にとらわないで百回読み直せ。

537 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 10:49:00.84 0.net
>>525-527
これじゃ、哲学専攻のやつが他の専攻の学生からバカにされるのも無理はない。

熊野もこんな学生を抱えて気の毒だな。
それとも類が友を呼んでるのかな?
まあ、それでも本人の発言を見聞きする限りでは類ではなさそうだし、本人も学校生活の折り返し点を迎えてやっと思考が自由になってきたところなんだろう。

誰かがこのスレで意図的に褒め殺してるのかも知れないが、そういう連中につきまとわれるのも勲章かな?
もし、書いてるのが熊野の信奉者なら、やっぱり、あんまり熊野に恥をかかせるなよ、としか言いようがないな。

538 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 11:25:04.59 0.net
>>536
 あなたが激高して凄めば凄むほど、恥の上塗りになるだけだ。なので
興奮するのは辞めるがいい。正確な文章を引用するとこうだ。
中央公論社版世界の名著『存在と時間』から渡辺二郎・原祐訳でのもの
だ。

《いかなるひとも他者から彼の死を取り除いてやることはできない
のである。誰かが「他者の代わりに死んでやる」ことなら、たしかに
できはする。けれどもこのことは、つねに、「或る特定の事柄において
」他者の代わりに犠牲になってやることにほかならない。》

《死は、それが「存在する」限り、本質的にその都度私のものなのであ
る。しかも死は、一つの特有な存在可能性を意味しているのであって、
この存在可能性においては、そのつどおのれに固有な現存在の存在
へとひたすらかかわりゆくことが問題なのである。》

 私が誰かの身代わりに死のうがそれはあくまで「私の存在可能性」
「私の死」であり、かつそれで「他者の死」が消えるわけではない。
他者は他者で自己の死を死ぬしかない。
 
 ハイデッガーが言ってるのはそういうことだ。何回読んでも変わら
ない。熊野氏は貴方の宗教なのか?(笑)熊野氏の方が大迷惑するだろう
。ゼミのメンバーだか何だか知らないが誤りはいつかはばれるものだ。
目を覚ませ。
 再度言う。学者とか非学者とか関係ない。「どこでどういう読み方
したか」だけが重要なんだよ。恥ずかしいことはもう書くな。

539 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 13:52:46.47 0.net
>「或る特定の事柄において」他者の代わりに犠牲になってやることにほかならない

この文章が目に入らないバカ

540 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 14:03:37.50 0.net
ハイデガーはここで
「他者の代わりに死ぬ」という日常的な言い回しの欺瞞を暴いているのであって、
根本的な意味で
「他者の代わりに死ぬ」ことができると
言っているわけではない。
文章の主旨は逆なんだよ。そんなことは
素人の俺でもわかる。

541 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 14:24:26.90 0.net
>>539-540
>レヴィナスと比べハイデッガーは<他者の死>を蔑ろにしてはいないか、という論点

横なんだけど、これが論点なんだろ?
その論点から見れば、「できない」と言い切るのと、「できるけど、それは・・」ということには大きな違いがあるんじゃないかい?

熊野の指摘するレヴィナスの論点は、すでにハイデガーには包含されているというのが、>>538氏の主張だろ?

542 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 14:31:01.92 0.net
>>541
自分で要約しているとおり
ハイデガーは「できる」なんて言ってないよ

543 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 14:35:58.57 0.net
だったら熊野の扱うレヴィナスの議論を検討しなければならなくなるな。
539にその気はなさそうだが。

544 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 14:46:31.91 0.net
そう、実のところ熊野というより
レヴィナスのハイデガーへの両義的な関係が一番の問題

545 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 15:41:50.06 0.net
要は、熊野のハイデガー理解が浅いということなんだろ?

レヴィナスを浮き彫りにしたかったのか、ハイデガーと対比すべきじゃないところを対比してしまった、ということかな?

546 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 15:48:29.72 0.net
いや入門講義としてはこんなものでしょう。
熊野独自の解釈っていうか
他者論からのハイデガー批判の代表的なのを紹介しただけだよ。

547 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:01:31.25 0.net
>>527
ユダヤ、キリスト、イスラム、ヒンドゥー、仏教、儒教
歌道などはみんなそうだよね
伝承が途絶えるとほとんど終わり、あとは想像か天才の出現を待つしか無い

>>530
密教というのは認識的に秘密になってるだけで
秘密してるわけではないです、本来

548 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:03:10.86 0.net
ハイデガー解釈としては別におかしくないでしょ
いつもの人が勘違いで暴れているだけ

>>538
>他者は他者で自己の死を死ぬしかない。

ここまで要約しておいて
ハイデガーは「他者の代わりに犠牲になれると言っている!」
と主張する思考が理解出来ない

549 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:07:35.64 0.net
>>537
 他学科もそうだろう。
 そう思わないやつはキッチリ訓練して何かの技術・能力を身につけてないだけ
 適当に妄想してることを「自分の頭で考える」と言い換えてるだけ
 だけど「自分の頭で考え」たと思ってることが、一部天才を除いて陳腐な常識のコピペと変わらなかったりすることに気がつかない

550 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:20:06.96 0.net
>>548
>ハイデガーは「他者の代わりに犠牲になれると言っている!」

また横だけど、あまりに見当違いのようなので。
>>538氏は、そんなことを主張しているわけじゃないよ。

>他者は他者で自己の死を死ぬしかない。

ハイデガーがこの結論を得るまでの道筋のことを言ってるんだと思うよ。
熊野のレヴィナス理解によるハイデガー批判が適切じゃないということだろ。

特にハイデガーにとっては、自己と他者の人間の「生死」をその「時間」の根源に置く最重要概念のひとつだから、他者の代わりに死ぬとか死なないとか、軽々に扱うべきところじゃないだろう。
ハイデガーの意図するところを十分に汲みとるべきだと思うよ。

551 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:21:43.61 0.net
>>550
>>535を見なさい

またなぜ赤の他人が「そんなことを主張しているわけじゃない」と断言できるのか意味不明

552 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:28:58.92 0.net
レヴィナスの現象学の理解がトンデモであることは常識だが

553 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:31:32.72 0.net
>>551
>>535氏のレスと>>550に、なにか齟齬がある?

554 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:59:58.33 0.net
 いくつかレスが出たので反応しておこう。

>>545
>要は、熊野のハイデガー理解が浅いということなんだろ?
>>546
>他者論からのハイデガー批判の代表的なのを紹介しただけだよ。

 「浅い」というより私の感じでは標準的だろう。「ハイデッガー思想には
他者がない」は他にも言っている人はいる。そういう題名の本まで出ている
。『他者なき思想 ハイデガー問題と日本』(藤原書店)のように
。実は私の言うように<他者の身代わり>というレヴィナスの論点も
ハイデッガーは思想に繰り込み実存として解釈している。「他者の身代わり
で死ぬことはない」などと実は言ってはおらず、<たとえ身代わりで死んだ
としてもそれは自己の有の可能性として為される>という解釈まで負荷
させている。
 ただ熊野氏はあの動画では「こういう批判もあります」のようにやっている
訳ではない。本気で批判している。

555 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 17:16:46.95 0.net
《むしろ日常的に考えてみても、少なくともある局面においては、
自分の死よりもむしろ他者の死
のほうが切実である。つまり問題であるということは充分に想定
可能です。場合によれば、それが叶わぬ望みであるにしても、他者
の死よりも自分の死を選びとることすらも、人にはあり得る。人間は、
日常的にも他者にたいして pour ある。ある者、一者なわけですね。
この他者にたいしてある pour というもの、は、「たいして」であり、
「ために」でもあり、究極的には「代わりに」であるような、そういう
在り方でもある。…人間は他者にたいしてあることで、ある局面で、
他者の代わりに死ぬことすらある。…それは、ハイデッガーは不可能
だと 、一言で切り捨てるわけですが。》動画1:20.00〜1:21.34

 切り捨ててはいない。ただそれすらも自己の有の可能性なんだと但し書き
してるだけですね。ここがまったく違うと思う。
 またここでの熊野氏の批判は「紹介」ではない。「本気の批判」
があれだったと私にはみえる。あの読みが熊野氏の読みであり、だから
私からすれば何言ってるのか、翻訳までやっといて貴方は、になる。

>>539>>540
 本の読み方がもうずれているし先生を擁護するためなのか、「あ
の文章は 他者の代わりに死ぬことができると言ってるわけではない」
などと訳の 分からないずらしを敢行してみせている。ここまでくると
もう悲惨という しかないし、実際に『有と時』の第47節をよんでこ
ういうことを言ってる としたらもうつける薬もないというべきだろう
。ハイデッガーのテキストも熊野氏の動画の該当箇所も全部時間まで
指示して参照させ、それでこういう ことしか言えないのだからもう
つける薬はない。こういう半ば 病気に近い信奉者もいるとすれば熊
野氏も大変だなと思うね。

556 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 17:33:56.17 0.net
>>548
 こう一回言いなおすと。私が仮に、誰かA子が銃弾で狙われた瞬間、前に
踊り出て私がその銃弾を浴びた。そうして私は死んだ。としましょうや。

 仮に私がそうしたとしても、それは私が私の実存の可能性として為した
ことであり、有の本来性として選びとったことであり、私の有をそうやって
完結させたということだ。私は私の死をそうやって死んだのである。

 そして、A子はそれで死を免れたものの、A子もまたいつかは死ぬのである。
彼女の死を死ぬのである。そうやって彼女もまた自己の死で存在を完結
させるのである。
 
 たったこれだけのことです。それは、他者の身代わりはあり得るけども、
でもそれは自己の存在の、SEIN の問題の一種ですよ、とハイデッガーは
言ってるに過ぎない。難しくもなんともないわけ。分かったかな。(笑)

557 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 18:03:42.34 0.net
怖いよ怖いよ、幽霊がなんか書いてるよう

558 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 18:52:17.82 0.net
だから早く読書会やれっつってんだろ
受験勉強させろや

559 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 18:56:33.91 0.net
ユダヤ教思想家のレヴィナスがなぜ哲学者扱いされるのか、
仏教思想家やイスラム教思想家も同様に哲学者扱いしないと
フェアじゃないだろ。

560 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 19:39:56.41 0.net
>>559
 誰か取り上げる人がいるってだけでしょ

561 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 19:43:47.69 0.net
じゃあ、池田大作も哲学者ですね?
誰か取り上げる人はいるでしょう。

562 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 19:46:52.82 0.net
熊野ってよくあとがきとかでポエム書いてるよね.
ツィッターで1日1ポエムやってほしい.

でも新刊 研究会情報をRTしまくるのってどういう意味あるの?
ニュース知るのに情報 研究の中心にいる俺様のツイート見てねってこと?

>かわいい某

563 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 19:48:32.59 0.net
>>561
 取り上げる人が世間的に哲学者と認められてないと無理ですね
 将来、そう考えられる可能性はあるかもしれませんが、現代日本で、そう考える人は哲学を知らないと思われるでしょう

564 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 19:50:21.27 0.net
哲学者であるかどうかは自己申告制だから、本人しだいでいいんじゃないの?

565 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 19:56:30.62 0.net
自称することと認められることは違うだろうね。

566 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 19:59:08.83 0.net
その人が自己申告したら、数百万人が認めると思うよ。

567 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:05:09.27 0.net
自称しただけで数百万人の人が認められること自体が認められないだろうから無理だと思うよ。

568 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:07:42.83 0.net
>>567
誰が認めない?
認めない人は何人ぐらいいそう?

569 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:09:40.35 0.net
さあ何人だろうね。学会活動してる人たちはみんなそうなんじゃないのw

570 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:11:20.63 0.net
>>568
オイラは柄谷とか梅原猛が哲学者だとは認めないけどな

571 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:12:44.03 0.net
>>569
哲学関係の学会に認める人はいないと思ってるの?

たくさん認める人が出てきそうだよ。

572 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:14:23.19 0.net
>>570
結局、認めるのも認めないのも、認める側の自己申告だね。

573 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:14:59.69 0.net
まったくいないと思うね。
池田大作が哲学者を自称してもレヴィナスのように認められることはありえないと思う。

574 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:18:00.78 0.net
>>573
君がどう思っても、その人の自己申告を認める人はたくさんいそうだよ。

哲学者ではない、とする根拠を提示できるの?

575 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:23:40.71 0.net
>>574
たとえば、ら抜き言葉ってあるじゃん。
あれが文法的に認められるかどうかってのは議論あるだろうけど、、
それは日本語の権威者が決めるわけだよね。
ら抜き言葉を使ってる人はそういう人たちよりも圧倒的に多いだろうけど、
認めたり認めなかったりすること自体ができない。
そういう大多数の人はそもそも「認める」という歴史的に認められた手続きをふめないんだな。
で、レヴィナスの扱いが哲学者として認められることならば、
池田大作がそのように認められることは万に一つもないだろうね。

576 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:24:14.32 0.net
>>574
じゃ、せめて死後十年でまだ言われるようなら認められたんじゃね
本来、百年はほしいけど

577 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:25:23.08 0.net
>>575
>それは日本語の権威者が決めるわけだよね。

そんなものは存在しない

578 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:29:57.31 0.net
>>577
きみの言でしたがえば、そんなものが存在しないと思う人はごく少ないだろうねえ。

579 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:31:05.18 0.net
>>578
誰が「日本語の権威者」なの?
日本には厳密な意味での言語アカデミーなんて存在しないよ?
言語学者は規範を規定しないよ?
君バカ?

580 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:31:48.36 0.net
どこかに権威が存在するはずだと何となく思ってるレベルのバカが何で哲学板にいるの><

581 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:34:00.94 0.net
>>575
ふむふむ。

言葉は日々変わっている。
権威が認めようと認めまいと、古来、さまざまな文法の変化が起きている。
それを認め「ら」れない権威は、権威の座を滑り落ちてく。

>>576
そうすると、日本には哲学者が一人もいない、ということになるね。
それでいいの?

582 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:43:20.06 0.net
権威は存在するでしょ。
ら抜き言葉が文法的に正しいかどうか認めるのはあきらかに文法学者だよ。
大多数の人間にはその能力はない。
このことは文法学者が意味を決めるということを含意しない。
この辺とりちがえるやつは勉強が足りない。

583 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:44:26.57 0.net
>>581
 オレはいいけど

584 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:55:20.43 0.net
>>582
あなた19世紀に生きているようなので
言語学のお勉強からしなおしてきてくださ〜い

585 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:59:40.43 0.net
>>583
そうか。
100年後には、その人の名前しか残ってなかったりしてね。

586 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 21:47:42.44 0.net
フランスの学会で哲学者と認知されている人の間では、レヴィナスはユダヤ教思想家で
哲学者ではないというのが一般的な見方でしょ。デリダとかは例外的だけど、デリダ自体が
かなり周縁的な存在だし。そのレヴィナスが日本に輸入されると、なぜか哲学ど真ん中
みたいな扱いで、東大の哲学の教授の研究課題になる。フランスで池田大作が哲学者
として研究されたとしたら「いかがわしい」と日本の研究者の多くは感じるだろうけど、
なんかそういういかがわしさを感じるね。

587 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 21:56:40.92 0.net
なんだ反ユダヤ主義のひとか

588 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 21:57:30.16 0.net
「ユダヤ教哲学」となると「キリスト教哲学」と同格の扱いだけど、もう哲学というよりは神学だし、
「人生の導き」の教えを賜るなら、哲学者というより導師で、池田大作先生と似たような感じが
するんだけど。

Jewish Philosophy as a Guide to Life: Rosenzweig, Buber, Levinas, Wittgenstein
Hilary Putnam

589 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 22:00:50.51 0.net
別にユダヤ教信者に反対する理由はないよ。キリスト教信者や仏教信者に
反対する理由がないのと同じで。だけど、宗教を哲学に持ち込んで、信仰で
人を説得しようとするのはやめてもらいたいね。

590 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 22:07:36.63 0.net
キリスト教仏教どっちも枠あるからそこの大学全部に行って来いや

591 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 22:08:58.87 0.net
それ言い出したら「応用倫理学は哲学じゃない」となる
熊野純彦が所属しているのが倫理学科という曖昧さもある

592 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 22:09:53.99 0.net
さらになぜスピノザが危険視されていたのかも理解不可能になるぞ

593 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 22:10:04.19 0.net
>>589のような言い方をすると科学主義者と誤解されるんだけど、
科学主義者の哲学者ってのは、分析哲学の研究者の多くにも当てはまるように
宗教を信仰してる人が多くて、裏口から宗教を持ち込むんだよね。
神学から哲学が独立したときに、風呂の水と一緒に赤子を捨てるというのか、
人格神と一緒に人格まで捨ててしまうような方向に進んだから、捨ててしまった
ものを補うように裏口からまた人格神を導入するような奇妙な事態になって
しまったんだろうと思うね。だから哲学が「倫理」を語りだすと、表向きは
哲学として偽装していても、すぐに神学に流れる。

594 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 22:29:31.13 0.net
東大ではヘーゲル研究は倫理学以外禁止ってマジ?

595 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 22:37:54.01 0.net
>>594
先生は良いひとだが,かわいい某等,挨拶しに行かないと,大変だよ

596 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 23:27:32.35 0.net
>>594
ヘーゲルに倫理学なんてあるの?

597 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 23:28:17.05 0.net
熊野先生が哲学の権威なのは理解出来るが、かわいいガールがツイッターの権威なのは理解出来無い ツイッターは千葉雅也で無いのか?

598 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 23:37:00.05 0.net
こんな連中がこのスレの住人じゃ、東スレと変わらないレベルだな。

ハイデガーの議論だけは面白かったけどね。
もう、よそのスレに紛れ込んでくるなよ。

ばいばい。

599 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 23:49:44.41 0.net
熊野権現

600 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 00:14:12.95 0.net
哲学学は不滅だなw

601 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 08:49:53.74 0.net
熊野純彦という虚構

石黒ひでや北川東子が実在の人物であったのかどうか私は知らない。
熊野純彦はおそらく実在の人物なのだろう。だが、熊野純彦という人物に
どのようなレアリテートがあるのか私には分らない。

602 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 10:56:20.79 0.net
熊野純彦は現人神

603 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 15:30:05.87 0.net
>>601
痛いな、存在の様相を観念的に分けてくと自由な妄想の世界が広がるばかり

604 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 17:13:36.76 0.net
痛いなら、鎮痛剤を飲めばいいさ

605 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 17:23:12.65 0.net
知らないことや分らないことを、存在しないか、自由な妄想の世界と
捉えてしまうのは、アスペの特徴なんだよね。
知らないことや分らないことを保留するという当たり前の態度が
とれない。

606 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 17:24:09.47 0.net
妄想を消すためには向精神薬が必要かな?

607 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 20:16:17.53 0.net
>>606
妄想を消すためには本を捨てて禅定に入ろう

608 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 00:59:05.28 0.net
 研究や翻訳は真面目で周囲からの信頼も篤い人なんだろうね。だけど
あの動画でのレヴィナスを出してのハイデッガー批判は的外れですね。

 これからも多方面で活躍していく人なんだろうし、健闘を祈ります。

609 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 03:24:14.96 0.net
哲学学をなめとるようだな?

610 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 08:10:05.09 0.net
レヴィナスのフッサール批判の著作を見れば、レヴィナスが現象学を根本的に
理解できていないことは明らかなわけで、それでも先に進んでレヴィナスを
援用して議論を進めるとすれば、何か別の動機があるのでしょう。

611 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 08:38:23.56 0.net
>>608,610
レヴィナス読んでないのが丸わかりだな。
レヴィナスの初期著作を読んで少しは勉強したらどうかね。
フッサールもハイデガーも、徹底的に研究されている。
メルロ=ポンティもサルトルも、フランス現象学はレヴィナスの研究に負っているんだよ。
ハイデガーの読者は狭量な教条主義者ばっかりでうんざり。
だから熊野氏もハイデガーではなくレヴィナス研究から始めたのだろう。

612 :612:2014/09/16(火) 08:39:49.14 0.net
アンカーまちがえた。>>608、611
だな。

613 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 10:08:45.10 0.net
>>611
研究されてる、とか、研究に負っている、とかじゃなくて、なにか具体的に書けることはない?
それだと、レヴィナスはバカ、とか、熊野はおっちょこちょい、とかいう評価と変わらないよ。

614 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 11:30:37.79 0.net
ナンシーなんかは、レヴィナスのフッサール研究のトンデモ現象学解釈を
読んで椅子から転げ落ちるほどズッコケたが、後にはレヴィナスを独自の
思想家として評価するようになったと語ってたな。

615 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 13:21:42.95 0.net
こういう場合、たいがい深い理由があると考えるのは誤り。
そうすれば論文発表の機会がもらえるとか、本を出版させてもらえるとか、
ポストを用意してもらえるとか、金を出してくれるとか、とても単純な
誘因に導かれてるだけ。深読みは知性のある人がはまりやすい罠。

616 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 13:51:46.74 0.net
>>615
そんなんばっかだったら哲学は全く読むに値しないテキストになるな
確かに評論家連中はそんなもんだと思うが

617 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 14:03:39.99 0.net
ただ、この人の場合、人物そのものの事実性がよく分らないから、
普通の意味での個人の動機は当てはまりにくい気はするね。
なにしろ、「“異”の解釈学―熊野純彦批判」とか読んでないけど、
自演の宣伝みたいなノリの本まで出版されてるから、熊野純彦として
自己プレゼンテーションをする人物がいるとしても、いまいち
人物としてのリアリティがない。

618 :考える名無しさん:2014/09/16(火) 15:24:21.35 0.net
>>617
>“異”の解釈学―熊野純彦批判」
オイラも読んでないけど、嫉妬じゃないの

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