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熊野純彦

1 :考える名無しさん:2013/09/16(月) 18:02:19.89 0.net
『存在と時間』とカント三批判書の翻訳をしながら、
『資本論』の読解本を出すとは驚異的な仕事量ですね。

686 :考える名無しさん:2014/09/17(水) 23:54:18.20 0.net
ハイデガーの時間概念には、他者の死も入ってなかったっけ?

687 :686:2014/09/17(水) 23:59:27.64 0.net
「他者の代わりに死ぬ事は不可能」。他者の死は他者のもので、それを別の人間が手に入れることは出来ない。
しかし、他人の生を存続させる為に、自分が死ぬ事は可能、つまり「「或る特定の事柄において」他者の代わりに犠牲になってやること」は可能。

前者はハイデガー的に言って不可能。後者はハイデガー的にも常識的にも可能。
であれば、「存在と時間」の翻訳者である熊野純彦が、ハイデガーは後者を可能性を否定した、と言って、それを批判する事は恐らくない。

「他人の死を肩代わりする事は出来ない」と断言したハイデガーの哲学を熊野は批判している。

688 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:00:03.40 0.net
死者の代わりに死ぬことはできんわな

>エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について (内田樹の研究室)

>レヴィナスの言葉の中の「他の人々」には死者たちが含まれるということに気づいた。
>含まれるというより、むしろ「他者」とはレヴィナスにおいて、ほとんど「死者」のことなのだ。

689 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:02:01.32 0.net
ますますいかがわしい。宗教と哲学をごた混ぜにしている。

690 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:02:33.91 0.net
>>687
「他者から彼の死を取り除いてやることはできない」というのは、たんなる事実だよ?

別に哲学的に議論するほどのことじゃないだろ?

691 :686:2014/09/18(木) 00:05:23.01 0.net
自分もそういってる。
だから、熊野が「「他人の死を肩代わりする事は出来ない」と断言した」という点でハイデガーを
批判するのは前者の意味、固有の死を個人の可能性の基礎に見出すハイデガー哲学と、それがもたらすものを批判しようとしているのだと思う。

692 :686:2014/09/18(木) 00:07:07.45 0.net
しかし、その熊野のハイデガー批判の可能性については全く触れられていない。
触れられず、レヴィナスのハイデガー批判の無効性を知らない、という事でもって、彼の哲学的不見識が批判されているだけだ。

693 :686:2014/09/18(木) 00:08:40.45 0.net
熊野のハイデガー批判がレヴィナスのハイデガー批判と完全に一致するものでない限り、
その批判は無効であるといえる。

694 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:09:47.76 0.net
>個人の可能性の基礎に見出すハイデガー哲学

「個人の可能性」とは何を表してるのか?
ハイデガーが語る「個人の可能性」とは?

695 :686:2014/09/18(木) 00:10:35.92 0.net
熊野がレヴィナスを口移しでハイデガーを批判しているなら、レヴィナスが間違っていれば熊野も間違っているし、
また、それに気づかない熊野は不見識であると言える。
しかしそうなのか。

696 :686:2014/09/18(木) 00:11:41.85 0.net
《死は、それが「存在する」限り、本質的にその都度私のものなのであ
る。しかも死は、一つの特有な存在可能性を意味しているのであって、
この存在可能性においては、そのつどおのれに固有な現存在の存在
へとひたすらかかわりゆくことが問題なのである。》
>>688

697 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:12:49.97 0.net
だからさ、熊野の言う「他者」とは何を表しているのか?
デリダの解釈なら他者は、植物でも無生物でも含むんだよ。
無生物はそもそも死ぬことができないだろう。

698 :686:2014/09/18(木) 00:13:04.29 0.net
う・・・こういうの考えるの楽しい・・・

699 :686:2014/09/18(木) 00:15:03.54 0.net
自分は>>646氏の熊野批判に反論した。
それは思想の批判ではないという意味で。
熊野の思想が何かという事は知らない、知らなくても上の反批判は可能。

700 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:15:54.02 0.net
ハイデガーの「固有な現存在」も「私」も「個人」ではないね

701 :686:2014/09/18(木) 00:20:57.09 0.net
つまり、ハイデガーを擁護して熊野を批判する647氏は熊野の死とそこから紡がれる彼の思想に触れずに、それを外的基準で裁断している。

702 :686:2014/09/18(木) 00:21:47.66 0.net
それは他人の死は他人のものである、というハイデガーの思想のもたらす一つの帰結である。

703 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 00:21:54.13 0.net
日本語で「個人」という場合、それはほとんど「private」か
「individual」と同義なんだよ。「personal」は「private」と
ほぼ同義で使われている場合にだけ「個人」に対応する。
ハイデガーのアプローチで「個人」という概念が出てくるのは
どういう文脈だろうか?

704 :686:2014/09/18(木) 00:28:53.97 0.net
とはいえ、他人の死は他人のもの、他人の代わりに死ぬ事は不可能だと、ハイデガーと同じく自分も思う。
そこを熊野氏はどう批判したのか。

705 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 09:57:13.32 0.net
>>704
とりあえず、ハイデガー読者氏の論点はそんなところにはないよ。
引用部分にも関係ない。
そんなに必死に論点ずらすこともないと思うけどな。

706 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:03:34.69 0.net
短い時間で概略を話さなければならない入門講義での発言の
片言隻句をとらえ、鬼の首を取ったかのようにドヤ顔されてもねえ。

ちゃんと批判したいなら、熊野氏のレヴィナス書をちゃんとフォローすべきだし、
それが扱っているレヴィナスのハイデガー批判も検討すべきだ。

ハイデガーの基礎存在論が、他者論を欠いているという議論は、
レヴィナスだけでなく、レーヴィットやアーレントや和辻も展開している。

ハイデガーを聖典化しているだけでは駄目なんだよ。

707 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:08:50.98 0.net
>>706
だから、そんなところに論点はないって。

論点を把握できないくらいの理解力で、哲学なんて、どうなの?

708 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:21:41.56 0.net
>>707
何を問題にしたいんだ。
>>646>>685 によってもう反論されてるだろ。

709 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:34:11.25 0.net
>>708
講義と、ハイデガーの引用部分だけでもいいから、よく聞いてよく読んでごらんよ。
講義は該当の板書のところもよく聞いてね。

それでも>>685が反論になってると思うなら、どうしようもない。
論点をずらしてるんじゃなくて、それが反論になると思ってるんだな。

710 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:38:53.30 0.net
このくだらないやりとり、2ちゃんだからだと思うでしょう?

でも一昔前までハイデガー研究者はこういうのがほとんどで
学会でも酷い有様だった

若手が増えて、ようやくマシになったけど

711 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:47:23.69 0.net
どうでもいいがそこまで言うなら、
>>709 はきちんと説明すべき。

712 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:55:37.27 0.net
>>711
もう何回も説明してるw

それ読んでも理解できてないなら、繰り返しても無駄。

713 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 18:59:54.09 0.net
>>712
具体的にはどのレス?

714 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:09:01.11 0.net
>>713
>>534あたりから、ずうっと読み進んでみてくれ。

ハイデガー読者氏や、他の人や、僕の説明がたくさんあるから。

715 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:10:21.31 0.net
具体的にどのレスのことか示さず煙に巻く戦法

716 :686:2014/09/18(木) 19:12:37.41 0.net
熊野はレヴィナスのハイデガー批判を反復しているが、それは当の「存在と時間」の中に織り込み済みである、
その事実を知らない熊野は学者として不見識であり、その様な人間の立てる論は傾聴に値しない、という事でよろしいですか。

717 :686:2014/09/18(木) 19:14:38.52 0.net
というか過去のレス参照を求めるだけじゃなくて、熊野批判をその都度繰り返せばいいと思うんだが。
強いて求めはしないけど。

718 :686:2014/09/18(木) 19:15:59.97 0.net
今日はハイデガーの「存在と時間」を購入してきた。
読んで理解したい。

719 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:16:17.07 0.net
>>714
具体的にどのレスか番号を教えてもらいたいのだが。
それだけだとあなたの書き込みがどれなのか全くわからない。

720 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:19:07.88 0.net
>>715
なんだ。
こんな短文すら読まずに熊野氏の講義の該当部分に賛同してるのか。

要は、熊野氏のハイデガー読解にも、一部には軽さがあるんじゃないかという指摘だっただけだよ。
どっちもそんなに必死になるほどのことじゃないよ。

721 :686:2014/09/18(木) 19:20:08.31 0.net
ええ。。一部の軽さを批判したの?それだけ?

722 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:20:29.80 0.net
>>719
話のスタートラインを教えてあげただけで十分だろ?

それでわからなければ、なにを書いてもわからないよ。

723 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:20:39.27 0.net
どの書き込みが自分のか明確に示すことはできないわけだ
まあそうだよね
そうするとまずいもんね

724 :686:2014/09/18(木) 19:21:15.80 0.net
面倒くさいから繰り返しレスれば良いじゃないの。

725 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:21:57.49 0.net
>>721
そうだよ。
あとは、ハイデガーというのは結構深読みに耐える哲学者だよ、ってことかな?

726 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:27:12.81 0.net
>>725
じゃあ >>685 氏の一連の議論は問題ないじゃないか!

呆れた。。

727 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:38:04.49 0.net
だからさ、熊野の言う「他者」とは何を表しているのか、それが曖昧で
不徹底だから、レヴィナスを援用してハイデガーを批判しているように
見えても、何を言いたいのか不明ということになってるんだと思うよ。
ハイデガーの存在論によるなら、「現存在」以外のすべての存在者は
他者でしょう。それが生物であれ、無生物であれ。デリダは、レヴィナス
を踏まえながら、それをきちんと徹底させて、無生物まで含めて「他者」
としているわけだけど、そこで「他者」に対する倫理を語るなら、
それはやはり神学にならざるを得ないと思うけどね。

728 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:42:37.11 0.net
でだ、レヴィナスの現象学批判とか少しでも読むとテキトーだな〜と感じる
わけですよ。ハイデガーは、熊野も推薦する著書で、「まず主観の主観性
が適切に規定されていなければ、なにかに主観主義の烙印を押したところで、
それは見さかいなく扇動しているだけのことになりましょう。」(「現象学の
根本問題」、p.277)と述べている。まずは、レヴィナスは、主観の主観性
をどのように規定していて、熊野はそれをどう援用しているのかな?

729 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:46:03.95 0.net
熊野氏の発言は次の通り

>人間は他者にたいしてあることで、ある局面で、
>他者の代わりに死ぬことすらある。…それは、ハイデッガーは不可能
>だと 、一言で切り捨てるわけですが。

>>684
>「他者の代わりに死ぬ事は不可能」。他者の死は他者のもので、それを別の
>人間が手に入れることは出来ない。
>しかし、他人の生を存続させる為に、自分が死ぬ事は可能、つまり「「或る
>特定の事柄において」他者の代わりに犠牲になってやること」は可能。

 1.他者の死は他者のもの、というのは私が引用したハイデッガーの思想
ですね。他者は他者の死を死ぬことしかできない。たとえ私が他者の身代わ
りに死んだとしてもそれは私の死なのだ。私の有なのだ。ハイデッガーの思想
です。

 2.だがそれにしても私が他者に代わって死ぬことで他者は延命した。そ
のように私は他者の身代わりになったのである。

730 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:47:02.56 0.net
 前者は私が引用したハイデッガー思想です。熊野氏はそこまで読めてはい
ない。読めていないことは私が指摘しない限り、誰にも指摘できなかった。
私が指摘したから初めてあからさまになったのである。私が指摘して初めて
あからさまになった訳で、熊野氏が指摘できていた訳ではない。そこは
はっきりさせておきたい。

2.これはハイデッガー思想によって可能な身代わり理論である。身代わり
それ自体が不可能だと熊野氏は明言していた。しかしそれは誤りなのである。
ハイデッガー思想においても身代わりはあり得るのである。

 以上の論点によって熊野氏の批評は空振りしているということ。これが
分かる。身代わりはあり得る。ハイデッガー有論によってもある。しかし
それは私の有としてのみ可能なのだ。私の有としてのみ可能だという点につ
いて熊野氏は読めてはいなかった。言い換えればハイデッガー有論の振幅が
読めていなかった。そういうことにすぎない。

 私の有としてのみ身代わりは可能だという点は熊野氏は読めてはいなかった
。読めてはいなかったという点は明らかな盲点である。そのような盲点を
隠したままあのような動画を公開していたということ。それが事実である。

 不注意なら不注意でいい。当人は苦笑しているかもしれない。しかし
不注意それ自体は指摘するしかない。

731 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:50:41.68 0.net
>>726
だから、ハイデガー読者氏の論点は違うって書いてるだろ?
ハイデガー読者氏に絡めて書いてるから、それはおかしいよ、と。
そんなことまで解説しないと理解できないの?

732 :686:2014/09/18(木) 19:52:16.94 0.net
でも「存在と時間」において、「他者の死」が積極的に取り上げられて敷衍される事はないんじゃないの?

733 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:52:37.77 0.net
「引用した!」「発見した!」というが
そういう内容ではないと散々批判されている件については
反論できずほおっかむり

734 :686:2014/09/18(木) 19:53:28.19 0.net
もしそうだとしたら、ハイデガーは彼の哲学において「他者の死」を取り落としたと批判されても、それは正当であろうと思う。

735 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:54:22.18 0.net
> 2.だがそれにしても私が他者に代わって死ぬことで他者は延命した。そ
>のように私は他者の身代わりになったのである。

それは「他者の死を私が代わりに死ぬことではない」ぐらい本人も分かっているんだろうけど
引くに引けないんだろうね

736 :686:2014/09/18(木) 19:55:54.61 0.net
求めたいのは、ハイデガー哲学における、「他者の死」の位置づけについての解釈。

737 :686:2014/09/18(木) 19:56:53.07 0.net
ハイデガー哲学における現存在にとって、「他者の死」とはなんなのか。
(その前に「他者」とはなにか、というのも問題になるだろうと思う。)

738 :686:2014/09/18(木) 19:58:27.99 0.net
いかなるひとも他者から彼の死を取り除いてやることはできない
のである。誰かが「他者の代わりに死んでやる」ことなら、たしかに
できはする。けれどもこのことは、つねに、「或る特定の事柄において
」他者の代わりに犠牲になってやることにほかならない。》

死は、それが「存在する」限り、本質的にその都度私のものなのであ
る。しかも死は、一つの特有な存在可能性を意味しているのであって、
この存在可能性においては、そのつどおのれに固有な現存在の存在
へとひたすらかかわりゆくことが問題なのである。》

これだけではちょっと弱い。

739 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:03:16.00 0.net
>>730
>これはハイデッガー思想によって可能な身代わり理論である。

ここがおかしい。ハイデガーは『存在と時間』で「身代わり理論」などそもそも展開していない。
ここでのは主旨は、表面的には日常的な言葉でそういう言い方もできるが、本質的な問題ではないと斥けているにすぎない。
他者は他者自身の死を死ぬ。私は私の死を死ぬ。「死の各自性」が本質的なテーマ。それはハイデガーの読者なら誰でも知っていること。
「死の各自性」からは本質的な意味で「身代わり理論」など出てこない。

740 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:05:17.91 0.net
だからさ、熊野の言う「他者」とは何を表しているのか?
それぞれ固有の現存在ということなの?
だったら、そもそもレヴィナスの「他者」とはまるで違うよね?

741 :686:2014/09/18(木) 20:07:02.53 0.net
ハイデガー、レヴィナス、熊野、それぞれの「他者」とはどういうものか、ここ大事だよね。

742 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:12:08.73 0.net
>>740
そうだよ。まるで違う。
ハイデガーはそれぞれの現存在の
各自性から出発してしか他者を捉えられていない。現存在分析をもはみ出る他者は
まともに考慮されていない。
だからハイデガーには他者論がないと批判されている。

743 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:15:38.95 0.net
>各自性から出発してしか他者を捉えられていない。

万一、熊野がこのようなハイデガーの存在論の理解をしているとしたら、
熊野の理解はとても浅く、とてもハイデガーを語ることはできないレベル
だということになる。そんなことはないだろうと思いたいけど。

744 :686:2014/09/18(木) 20:20:59.65 0.net
でもハイデガーの言うように、死は各現存在に固有のもので、死への覚悟が現存在の自由なあり方を可能にするとしたら、
「各自性から出発して他者を捉える」という事にならざるを得ないんじゃないの?

745 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:26:16.20 0.net
「われわれとしては、こう言うことにしましょう。すなわち、現存在には、
自分自身への反転などはじめから必要ではない −中略− 現存在は、
まさに物そのもののうちに、−中略− 自己を見出すのである、と。
−中略− これは神秘思想でもなければ、物に魂を吹き込むことを前提
とするものでもなく、まったく基本的な現象学的事態の指摘にすぎません。」
(「現象学の根本問題」、p.261)

746 :686:2014/09/18(木) 20:26:28.64 0.net
一時消える。

747 :686:2014/09/18(木) 20:30:57.90 0.net
ただ、自己に固有の死を基礎にその自由を可能にする現存在にとっては、
「他者の死」が(「他者」をどう捉えるにせよ)、それ自体として、ある決定的な仕方で自己のうちに入って来る事は無いだろうと思う。

748 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:32:51.05 0.net
ハイデガーは、「現存在」はなによりもまず、他の存在者、つまり、他者に
反射されて現れるとはっきり主張している。現存在から出発して、他者に
照らして自らを振り返るのではないことを明確に述べている。まずは、
他者が人格として存在することを前提とするような、中途半端な神学/他者
の思想で、ハイデガーを批判するのは完全に的外れ。

749 :686:2014/09/18(木) 20:35:48.83 0.net
現存在の中身の規定が他の存在者という意味での「他者」よって成されるとしても、
そこに「他者の死」はない。
そこに「他者」はいても、「他者の死」はない。

750 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:38:41.64 0.net
「他者の死」などと最初にもってくることが、現存在を最初から前提と
してしまっていて、ハイデガーの哲学のレベルにまで遡っていないことになる。
だから、レヴィナスの他者論は神学でしかないし、それを徹底させたとしても
デリダのような否定神学にしかならない。

751 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:46:32.96 0.net
上の方で引用されている元の文脈は

 存在論的には 現存在の死は他の現存在の死と交換・類比できるようなものではない

という文脈なのよね。

多分日本語で読んでるから勘違いが生じているんだろうけど

 Keiner kann dem Anderen sein Sterben abnehmen.
 Jemand kann wohl »für einen Anderen in den Tod gehen«.
 Das besagt jedoch immer:
  fuer den Anderen sich opfern »in einer bestimmten Sache«.

ここで使われている括弧は、世間で良く言われているフレーズを
本人が同意しているかどうかを保留して引用するための括弧だよ。
日本語の「」が示すようなまとめの役割を果たしている括弧じゃない。

それを明確にするために補って訳せば

 他者から死を 取り去り〔自分のものとして〕引き受けることab-nehmen は誰にも出来ない。
 確かに 〔世間的な表現に言われるように〕 wohl 誰かが、≪ある他者のために死に赴く≫ことはできよう。
 しかしこれが意味するのは besagt jedoch 〔せいぜい〕つねに immer
  ≪〔大義と言った〕ある特定のことがら≫に際して 他者のために/他者との関わりで 自らを供する
 という〔だけの〕ことなのだ。

まあハイデガーが自己犠牲を賛美してるとか間違って読まれて
色々と議論になるくだりではあるんだけど、この後に続くのは
結局死はそれぞれの現存在固有のものである、というお話。

単純化して言えば「他者のために死ぬ」様に見えるものは、存在的なontischなレベルの話に過ぎない、という流れ。

752 :752:2014/09/18(木) 20:48:34.67 0.net
>>751

 Keiner kann dem Anderen sein Sterben abnehmen.
 Jemand kann wohl >>fuer einen Anderen in den Tod gehen<<.
 Das besagt jedoch immer:
  fuer den Anderen sich opfern >>in einer bestimmten Sache<<;.

753 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:53:11.92 0.net
>>730 はまず >>739>>751 の批判に答えてくださいね。

754 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:08:21.13 0.net
>>751
>ハイデガーが自己犠牲を賛美してる

横だけど、そんな読み方してる人がいるの?

755 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:35:22.48 0.net
2ちゃんねるに書き込むと人格が歪むからやめた方がいい
まとめサイトでたまに眺める程度のライトなROM専になろう
という意見も有るが
2chは反応気にしないから歪まないよ
ツイッターのほうが曲がってく

756 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:39:13.49 0.net
 自己犠牲も身代わりも、有の振幅として掴まえることができる。あり得るが
すべからく有の振幅としてあるのだ。したがって自己犠牲や身代わりは「
ありえない」訳ではない。ここが読めていない読みとして熊野氏の読みもまた
ある。

 この1点で熊野氏の主張が誤りであることは明らかである。熊野氏の動画
からここに反論する論理は読みえない。

 熊野氏が引用するレヴィナスの身代わり理論では<他者のため>の死、が
問題とされている。熊野氏の言うように、ある場合、「他者の死は自己のもの
よりも切実なものである」「そしてハイデッガーではそのようなことは
ありえない」

 「自己の死よりも他者の死の方が切実であることはない」とハイデッガー
は言う、として熊野氏は批判する。この批判はレヴィナスを背景に置いている
。レヴィナスとハイデッガーを対比しながらのハイデッガー批判である。

 この点は言い換えればれレヴィナスがハイデッガーに包括されており、
かつレヴィナスがそこに気づかなかったということ。レヴィナスの足らなさ
を熊野氏はそのまま継承した。そのまま継承してしまうことがそもそも
問題なのだ。それだけのことである。

757 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:46:37.32 0.net
>2chは反応気にしないから歪まないよ
>ツイッターのほうが曲がってく

ツイッターは、どうしても人格に固執してしまうから、しがらみに
絡みとられてしまうんだよ。2ちゃんねるでもコテ使ってると
似たようなものだけど、便所の落書きだと思ってれば、自分で
馬鹿な発言をしたと後から気づいても、こだわりなくあらたに
修正した考えを書き込めるから、人格として屈折しない。

758 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:52:23.64 0.net
熊野純彦もブルバキのような架空の人格かもしれんけどね。
プレゼンターとしての「熊野純彦」は実在するとしても。

759 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 22:22:25.07 0.net
>>756
>自己犠牲や身代わりは「ありえない」訳ではない。

いや、基本的には、ありえないと言うべき。
「「ありえない」訳ではない」としても、>>751氏が丁寧に説明しているように
「世間で良く言われているフレーズ」を留保しつつ「存在的な」次元で
引用しているにすぎない。このニュアンスの違いがわかっていないんだよ、あなたは。

『存在と時間』の中心的主張は「死の代替不可能性」であり「死の各自性」。
ここから直接自己犠牲論や身代わり論を引き出すのだとしたら、
それこそ何も読めてないことになる。ハイデガー研究としても素人以下。

760 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 22:54:02.59 0.net
>>759
 死の代替不可能、各自性と有の振幅は両立する。有の振幅としては自己犠牲
も身代わりも成立する。「人間にとって利己も利他も成立させる制約」こそが
有なのである。

 「人間が利己的にか利他的にか関わらせ得る制約」「人間が他人のために
犠牲になる」ことと「人間が自分自身のために実存する」ことは両立する。
これは「根拠の本質について」創文社版全集194頁に明確に書かれている。
両立するという根拠が有 sein に他ならない。

 自己犠牲や身代わりが「基本的にはありえないと言うべき」とか言っている
時点でさほどハイデッガー有論は読めていないことが分かる。ついでに
言えば人間についても頓珍漢な認識しか持ててはいない。有というも
のを考えて行けば明らかなことである。
 「死の代替不可能性」の部分にこだわってしか語れない時点で有と自己と
の関係、「利己的も利他的も成立させる制約」とされる論拠は見えていない。
見えていないと言う時点でこの人物はこの論争と関わることは実はできて
はいない。実は何が言われているのか見えていないのだからこの人物が
何をここで言っていおうと無意味になるしか
ない。ただ威勢が良いというだけのことだ。あまり詳しくないことに首を
突っ込まない方が良い。

761 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 22:59:55.00 0.net
>>758
熊野純彦で画像検索したら全然違う風貌の人間が何人か出てくる。
あれは熊野純彦のプレゼンターではあっても「熊野純彦」そのものではない。

762 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 23:06:59.51 0.net
>>759
>>750 についてテキストに即してきちんと反論できていないのはあなたのほうでしょう。
ちなみに「有の振幅」などという自己も他者も均等かつ対称的に包括するかのような言い方は、
ハイデガーならしないはず。対象テキストを広げていけばいくらでも複雑な議論はできるが、
ここで扱われている『存在と時間』以外のテキストを恣意的に持ち出すのはフェアじゃない。

763 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 23:16:35.32 0.net
諸先輩皆様に御質問です。熊野純氏著『レヴィナス入門』以下引用に係る論点は
ハイデッガーに係る論駁でしょうか,其れともレヴィナスの咀嚼でしょうか。
《レヴィナスのいうルスポンサビリテがふつうにいう責任[傍点]であるならば、それは引きうけられもし、果たされもするだろう。ルスポンサビリテは、
しかしレヴィナスにあっては、いっさいの受動性よりも受動的な『受動性(パッシヴィテ)』であり、対となるどのような『能動性(アクティヴィテ)』も考えることのできない受動性である。それは能動的にはけっして担われることができず、
ひたすら受動的に課せられる、むしろ責め[傍点]である。受動的であるからこそ打ち止めがなく、取りつくしようもなく、つまり無限[傍点]なのだ。》一九九九年五月二十日第一刷二百八頁

764 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 00:00:26.52 0.net
>>763
なに言ってるか全然わからないんだけど、これが入門書なの?

765 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 07:23:36.06 0.net
無条件に無限の債務を負って他者の奴隷になれといってるんだよ

766 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 08:51:28.62 0.net
誰に都合のいい倫理を説いているのか、それが連中の実質をよく表している

767 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 09:09:50.53 0.net
ハイデガー読者氏は結局細かい読解では反論できずに
全体的な印象で逃げたのか

768 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 10:20:31.40 0.net
>>767
ハイデガ読者というより、評論読者でしょ
だから、テキストに添ってやんないで、妄想評論で言ってもらちがあかないんだけど
評論読者は、テキスト読解できないだろうからなあ

769 :763:2014/09/19(金) 10:30:15.19 0.net
アンカー間違ってた。
>>759>>760

770 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 17:02:11.25 0.net
「存在と時間」の46、47節あたりを読むと、ハイデガー読者氏の読み方はとても納得するんだけどね。
反論したと主張してる人たちのは、どうしても軽すぎる日常会話のように見える。
テキスト読解の正確さを自認するなら、ハイデガーの他者についての論及の流れを切り捨ててはいけないと思うな。
熊野氏の講義はいかにもあっさりと切り捨てているように思う。

771 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 17:49:33.92 0.net
>>770
自演乙

772 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 19:24:45.79 0.net
レヴィナスの《他者》を《ユダヤ人》とするとどれ程おそろしい思想になるか
熊野は想像力がたりない
駒場出身の若手レヴィナス研究者が熊野を相手せず合田に向かうのも
理由無き訳では無い

773 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 19:27:14.53 0.net
自演かなんだか知らんが、ハイデガーの読みとか置いといて、
熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

774 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:16:43.03 0.net
>>771
なんで自分と違う意見は一人だけって決めつけるんだろうね?
あまりに貧し過ぎる感性じゃないの?

それでは一度自分が思い込んだ解釈から抜けられないよ。
テキストの読解やっても正解ありきになっちゃうんじゃないかい?

775 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:29:04.33 0.net
>>774
確かに、だからこそテキストに添って解釈を示さないと意味がないでしょ
 >>770のような書き方では唯の感想なんで、書いても書かなくても同じ

776 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:36:18.60 0.net
>>775
熊野氏のはテキストじゃなくて講義だよ?

「存在と時間」は確かにテキストだが、今までに無数の人々によってテキストに沿った解釈が提出されても、いまだに定説がない。
ハイデガー読者氏の読み込みに対してはもちろん、僕程度の感想に対してすら否定できるだけの解釈を提出できていない。

一体何をどういう根拠で解釈してるんだろう?

777 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:57:22.96 0.net
>>776
 講義にしてもテキストでしょ。
 で、その解釈をめぐって妥当性を話すなら、
 ハイデガーと熊野のテキストを出して話すべきで、
 おおつかみの印象であーだこーだ言っても、単なる言い合いにしかならないでしょう

778 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:14:39.39 0.net
>>777
熊野氏の講義の当該部分はハイデガー読者氏がきちんと書き留めている。
僕も見て確認した。

僕の感想を大づかみといわれても不満はないが、読者氏は全然大づかみじゃないだろw
微にいり細にわたっている。

むしろ、批判者たちの方が大づかみだったり、変な原書理解を振り回したりしているように思う。
問題は、熊野氏が、板書とともに説明した部分は、そっくりそのままハイデガーが書いていて、その前提のもとでの交換不可能性なのに、熊野氏は、ハイデガーがそこをまったく考慮していないかのような言いかたをしているところにあると思う。

読者氏と同じ視点かどうかわからないが、これが僕の見かた。

779 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:16:22.27 0.net
>>778
 それじゃ平行線だね〜

780 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:21:58.48 0.net
ここには院生、もしくは研究者の方もいらっしゃると思う。
下世話な話、読者氏の熊野批判のレベルは、学的な水準から見てどの位のものなんでしょうか?

781 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:38:58.19 0.net
自分が無いとみな同じになる。

782 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:04:28.63 0.net
>>780
権威による評価というのもどうかと思うけど

レヴィナスのハイデガー批判は、ハイデガー自身の論述と話がかみ合ってないっていうのは
別に彼/彼女のオリジナルでも何でもなく散々言われている話

ただこの人はそうした見解を示そうとする際に
引用するテキストをきちんと読めていないので、学術的な議論としてはなりたたない
他のスレでもいつも同じ

自分の思い入れとは切り離して「テキストを読む」っていうトレーニングを受けたことがないんだろうね

783 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:09:40.80 0.net
熊野氏はハイデガーの使う死の概念の射程の狭さを批判してると思う。
死というのは個人的なものではないのではないか、ハイデガーは。可能性の基礎としての死というものを狭く取り扱いすぎているのではないかという問題提起。

784 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:11:55.10 0.net
それ対し、そうではない、ハイデガーの死の概念は他者のそれをも包含する、十分な射程の長さを持っている、とするのが反批判をする読者氏。

785 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:13:36.12 0.net
つまりは、ハイデガーの死の概念が、死というものを汲みつくしているかいないかという話。
いないとする熊野氏と、いるとする読者氏。
個人的には前者と思う。

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