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熊野純彦

1 :考える名無しさん:2013/09/16(月) 18:02:19.89 0.net
『存在と時間』とカント三批判書の翻訳をしながら、
『資本論』の読解本を出すとは驚異的な仕事量ですね。

731 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:50:41.68 0.net
>>726
だから、ハイデガー読者氏の論点は違うって書いてるだろ?
ハイデガー読者氏に絡めて書いてるから、それはおかしいよ、と。
そんなことまで解説しないと理解できないの?

732 :686:2014/09/18(木) 19:52:16.94 0.net
でも「存在と時間」において、「他者の死」が積極的に取り上げられて敷衍される事はないんじゃないの?

733 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:52:37.77 0.net
「引用した!」「発見した!」というが
そういう内容ではないと散々批判されている件については
反論できずほおっかむり

734 :686:2014/09/18(木) 19:53:28.19 0.net
もしそうだとしたら、ハイデガーは彼の哲学において「他者の死」を取り落としたと批判されても、それは正当であろうと思う。

735 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 19:54:22.18 0.net
> 2.だがそれにしても私が他者に代わって死ぬことで他者は延命した。そ
>のように私は他者の身代わりになったのである。

それは「他者の死を私が代わりに死ぬことではない」ぐらい本人も分かっているんだろうけど
引くに引けないんだろうね

736 :686:2014/09/18(木) 19:55:54.61 0.net
求めたいのは、ハイデガー哲学における、「他者の死」の位置づけについての解釈。

737 :686:2014/09/18(木) 19:56:53.07 0.net
ハイデガー哲学における現存在にとって、「他者の死」とはなんなのか。
(その前に「他者」とはなにか、というのも問題になるだろうと思う。)

738 :686:2014/09/18(木) 19:58:27.99 0.net
いかなるひとも他者から彼の死を取り除いてやることはできない
のである。誰かが「他者の代わりに死んでやる」ことなら、たしかに
できはする。けれどもこのことは、つねに、「或る特定の事柄において
」他者の代わりに犠牲になってやることにほかならない。》

死は、それが「存在する」限り、本質的にその都度私のものなのであ
る。しかも死は、一つの特有な存在可能性を意味しているのであって、
この存在可能性においては、そのつどおのれに固有な現存在の存在
へとひたすらかかわりゆくことが問題なのである。》

これだけではちょっと弱い。

739 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:03:16.00 0.net
>>730
>これはハイデッガー思想によって可能な身代わり理論である。

ここがおかしい。ハイデガーは『存在と時間』で「身代わり理論」などそもそも展開していない。
ここでのは主旨は、表面的には日常的な言葉でそういう言い方もできるが、本質的な問題ではないと斥けているにすぎない。
他者は他者自身の死を死ぬ。私は私の死を死ぬ。「死の各自性」が本質的なテーマ。それはハイデガーの読者なら誰でも知っていること。
「死の各自性」からは本質的な意味で「身代わり理論」など出てこない。

740 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:05:17.91 0.net
だからさ、熊野の言う「他者」とは何を表しているのか?
それぞれ固有の現存在ということなの?
だったら、そもそもレヴィナスの「他者」とはまるで違うよね?

741 :686:2014/09/18(木) 20:07:02.53 0.net
ハイデガー、レヴィナス、熊野、それぞれの「他者」とはどういうものか、ここ大事だよね。

742 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:12:08.73 0.net
>>740
そうだよ。まるで違う。
ハイデガーはそれぞれの現存在の
各自性から出発してしか他者を捉えられていない。現存在分析をもはみ出る他者は
まともに考慮されていない。
だからハイデガーには他者論がないと批判されている。

743 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:15:38.95 0.net
>各自性から出発してしか他者を捉えられていない。

万一、熊野がこのようなハイデガーの存在論の理解をしているとしたら、
熊野の理解はとても浅く、とてもハイデガーを語ることはできないレベル
だということになる。そんなことはないだろうと思いたいけど。

744 :686:2014/09/18(木) 20:20:59.65 0.net
でもハイデガーの言うように、死は各現存在に固有のもので、死への覚悟が現存在の自由なあり方を可能にするとしたら、
「各自性から出発して他者を捉える」という事にならざるを得ないんじゃないの?

745 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:26:16.20 0.net
「われわれとしては、こう言うことにしましょう。すなわち、現存在には、
自分自身への反転などはじめから必要ではない −中略− 現存在は、
まさに物そのもののうちに、−中略− 自己を見出すのである、と。
−中略− これは神秘思想でもなければ、物に魂を吹き込むことを前提
とするものでもなく、まったく基本的な現象学的事態の指摘にすぎません。」
(「現象学の根本問題」、p.261)

746 :686:2014/09/18(木) 20:26:28.64 0.net
一時消える。

747 :686:2014/09/18(木) 20:30:57.90 0.net
ただ、自己に固有の死を基礎にその自由を可能にする現存在にとっては、
「他者の死」が(「他者」をどう捉えるにせよ)、それ自体として、ある決定的な仕方で自己のうちに入って来る事は無いだろうと思う。

748 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:32:51.05 0.net
ハイデガーは、「現存在」はなによりもまず、他の存在者、つまり、他者に
反射されて現れるとはっきり主張している。現存在から出発して、他者に
照らして自らを振り返るのではないことを明確に述べている。まずは、
他者が人格として存在することを前提とするような、中途半端な神学/他者
の思想で、ハイデガーを批判するのは完全に的外れ。

749 :686:2014/09/18(木) 20:35:48.83 0.net
現存在の中身の規定が他の存在者という意味での「他者」よって成されるとしても、
そこに「他者の死」はない。
そこに「他者」はいても、「他者の死」はない。

750 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:38:41.64 0.net
「他者の死」などと最初にもってくることが、現存在を最初から前提と
してしまっていて、ハイデガーの哲学のレベルにまで遡っていないことになる。
だから、レヴィナスの他者論は神学でしかないし、それを徹底させたとしても
デリダのような否定神学にしかならない。

751 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:46:32.96 0.net
上の方で引用されている元の文脈は

 存在論的には 現存在の死は他の現存在の死と交換・類比できるようなものではない

という文脈なのよね。

多分日本語で読んでるから勘違いが生じているんだろうけど

 Keiner kann dem Anderen sein Sterben abnehmen.
 Jemand kann wohl »für einen Anderen in den Tod gehen«.
 Das besagt jedoch immer:
  fuer den Anderen sich opfern »in einer bestimmten Sache«.

ここで使われている括弧は、世間で良く言われているフレーズを
本人が同意しているかどうかを保留して引用するための括弧だよ。
日本語の「」が示すようなまとめの役割を果たしている括弧じゃない。

それを明確にするために補って訳せば

 他者から死を 取り去り〔自分のものとして〕引き受けることab-nehmen は誰にも出来ない。
 確かに 〔世間的な表現に言われるように〕 wohl 誰かが、≪ある他者のために死に赴く≫ことはできよう。
 しかしこれが意味するのは besagt jedoch 〔せいぜい〕つねに immer
  ≪〔大義と言った〕ある特定のことがら≫に際して 他者のために/他者との関わりで 自らを供する
 という〔だけの〕ことなのだ。

まあハイデガーが自己犠牲を賛美してるとか間違って読まれて
色々と議論になるくだりではあるんだけど、この後に続くのは
結局死はそれぞれの現存在固有のものである、というお話。

単純化して言えば「他者のために死ぬ」様に見えるものは、存在的なontischなレベルの話に過ぎない、という流れ。

752 :752:2014/09/18(木) 20:48:34.67 0.net
>>751

 Keiner kann dem Anderen sein Sterben abnehmen.
 Jemand kann wohl >>fuer einen Anderen in den Tod gehen<<.
 Das besagt jedoch immer:
  fuer den Anderen sich opfern >>in einer bestimmten Sache<<;.

753 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 20:53:11.92 0.net
>>730 はまず >>739>>751 の批判に答えてくださいね。

754 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:08:21.13 0.net
>>751
>ハイデガーが自己犠牲を賛美してる

横だけど、そんな読み方してる人がいるの?

755 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:35:22.48 0.net
2ちゃんねるに書き込むと人格が歪むからやめた方がいい
まとめサイトでたまに眺める程度のライトなROM専になろう
という意見も有るが
2chは反応気にしないから歪まないよ
ツイッターのほうが曲がってく

756 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:39:13.49 0.net
 自己犠牲も身代わりも、有の振幅として掴まえることができる。あり得るが
すべからく有の振幅としてあるのだ。したがって自己犠牲や身代わりは「
ありえない」訳ではない。ここが読めていない読みとして熊野氏の読みもまた
ある。

 この1点で熊野氏の主張が誤りであることは明らかである。熊野氏の動画
からここに反論する論理は読みえない。

 熊野氏が引用するレヴィナスの身代わり理論では<他者のため>の死、が
問題とされている。熊野氏の言うように、ある場合、「他者の死は自己のもの
よりも切実なものである」「そしてハイデッガーではそのようなことは
ありえない」

 「自己の死よりも他者の死の方が切実であることはない」とハイデッガー
は言う、として熊野氏は批判する。この批判はレヴィナスを背景に置いている
。レヴィナスとハイデッガーを対比しながらのハイデッガー批判である。

 この点は言い換えればれレヴィナスがハイデッガーに包括されており、
かつレヴィナスがそこに気づかなかったということ。レヴィナスの足らなさ
を熊野氏はそのまま継承した。そのまま継承してしまうことがそもそも
問題なのだ。それだけのことである。

757 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:46:37.32 0.net
>2chは反応気にしないから歪まないよ
>ツイッターのほうが曲がってく

ツイッターは、どうしても人格に固執してしまうから、しがらみに
絡みとられてしまうんだよ。2ちゃんねるでもコテ使ってると
似たようなものだけど、便所の落書きだと思ってれば、自分で
馬鹿な発言をしたと後から気づいても、こだわりなくあらたに
修正した考えを書き込めるから、人格として屈折しない。

758 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:52:23.64 0.net
熊野純彦もブルバキのような架空の人格かもしれんけどね。
プレゼンターとしての「熊野純彦」は実在するとしても。

759 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 22:22:25.07 0.net
>>756
>自己犠牲や身代わりは「ありえない」訳ではない。

いや、基本的には、ありえないと言うべき。
「「ありえない」訳ではない」としても、>>751氏が丁寧に説明しているように
「世間で良く言われているフレーズ」を留保しつつ「存在的な」次元で
引用しているにすぎない。このニュアンスの違いがわかっていないんだよ、あなたは。

『存在と時間』の中心的主張は「死の代替不可能性」であり「死の各自性」。
ここから直接自己犠牲論や身代わり論を引き出すのだとしたら、
それこそ何も読めてないことになる。ハイデガー研究としても素人以下。

760 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 22:54:02.59 0.net
>>759
 死の代替不可能、各自性と有の振幅は両立する。有の振幅としては自己犠牲
も身代わりも成立する。「人間にとって利己も利他も成立させる制約」こそが
有なのである。

 「人間が利己的にか利他的にか関わらせ得る制約」「人間が他人のために
犠牲になる」ことと「人間が自分自身のために実存する」ことは両立する。
これは「根拠の本質について」創文社版全集194頁に明確に書かれている。
両立するという根拠が有 sein に他ならない。

 自己犠牲や身代わりが「基本的にはありえないと言うべき」とか言っている
時点でさほどハイデッガー有論は読めていないことが分かる。ついでに
言えば人間についても頓珍漢な認識しか持ててはいない。有というも
のを考えて行けば明らかなことである。
 「死の代替不可能性」の部分にこだわってしか語れない時点で有と自己と
の関係、「利己的も利他的も成立させる制約」とされる論拠は見えていない。
見えていないと言う時点でこの人物はこの論争と関わることは実はできて
はいない。実は何が言われているのか見えていないのだからこの人物が
何をここで言っていおうと無意味になるしか
ない。ただ威勢が良いというだけのことだ。あまり詳しくないことに首を
突っ込まない方が良い。

761 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 22:59:55.00 0.net
>>758
熊野純彦で画像検索したら全然違う風貌の人間が何人か出てくる。
あれは熊野純彦のプレゼンターではあっても「熊野純彦」そのものではない。

762 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 23:06:59.51 0.net
>>759
>>750 についてテキストに即してきちんと反論できていないのはあなたのほうでしょう。
ちなみに「有の振幅」などという自己も他者も均等かつ対称的に包括するかのような言い方は、
ハイデガーならしないはず。対象テキストを広げていけばいくらでも複雑な議論はできるが、
ここで扱われている『存在と時間』以外のテキストを恣意的に持ち出すのはフェアじゃない。

763 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 23:16:35.32 0.net
諸先輩皆様に御質問です。熊野純氏著『レヴィナス入門』以下引用に係る論点は
ハイデッガーに係る論駁でしょうか,其れともレヴィナスの咀嚼でしょうか。
《レヴィナスのいうルスポンサビリテがふつうにいう責任[傍点]であるならば、それは引きうけられもし、果たされもするだろう。ルスポンサビリテは、
しかしレヴィナスにあっては、いっさいの受動性よりも受動的な『受動性(パッシヴィテ)』であり、対となるどのような『能動性(アクティヴィテ)』も考えることのできない受動性である。それは能動的にはけっして担われることができず、
ひたすら受動的に課せられる、むしろ責め[傍点]である。受動的であるからこそ打ち止めがなく、取りつくしようもなく、つまり無限[傍点]なのだ。》一九九九年五月二十日第一刷二百八頁

764 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 00:00:26.52 0.net
>>763
なに言ってるか全然わからないんだけど、これが入門書なの?

765 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 07:23:36.06 0.net
無条件に無限の債務を負って他者の奴隷になれといってるんだよ

766 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 08:51:28.62 0.net
誰に都合のいい倫理を説いているのか、それが連中の実質をよく表している

767 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 09:09:50.53 0.net
ハイデガー読者氏は結局細かい読解では反論できずに
全体的な印象で逃げたのか

768 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 10:20:31.40 0.net
>>767
ハイデガ読者というより、評論読者でしょ
だから、テキストに添ってやんないで、妄想評論で言ってもらちがあかないんだけど
評論読者は、テキスト読解できないだろうからなあ

769 :763:2014/09/19(金) 10:30:15.19 0.net
アンカー間違ってた。
>>759>>760

770 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 17:02:11.25 0.net
「存在と時間」の46、47節あたりを読むと、ハイデガー読者氏の読み方はとても納得するんだけどね。
反論したと主張してる人たちのは、どうしても軽すぎる日常会話のように見える。
テキスト読解の正確さを自認するなら、ハイデガーの他者についての論及の流れを切り捨ててはいけないと思うな。
熊野氏の講義はいかにもあっさりと切り捨てているように思う。

771 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 17:49:33.92 0.net
>>770
自演乙

772 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 19:24:45.79 0.net
レヴィナスの《他者》を《ユダヤ人》とするとどれ程おそろしい思想になるか
熊野は想像力がたりない
駒場出身の若手レヴィナス研究者が熊野を相手せず合田に向かうのも
理由無き訳では無い

773 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 19:27:14.53 0.net
自演かなんだか知らんが、ハイデガーの読みとか置いといて、
熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

774 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:16:43.03 0.net
>>771
なんで自分と違う意見は一人だけって決めつけるんだろうね?
あまりに貧し過ぎる感性じゃないの?

それでは一度自分が思い込んだ解釈から抜けられないよ。
テキストの読解やっても正解ありきになっちゃうんじゃないかい?

775 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:29:04.33 0.net
>>774
確かに、だからこそテキストに添って解釈を示さないと意味がないでしょ
 >>770のような書き方では唯の感想なんで、書いても書かなくても同じ

776 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:36:18.60 0.net
>>775
熊野氏のはテキストじゃなくて講義だよ?

「存在と時間」は確かにテキストだが、今までに無数の人々によってテキストに沿った解釈が提出されても、いまだに定説がない。
ハイデガー読者氏の読み込みに対してはもちろん、僕程度の感想に対してすら否定できるだけの解釈を提出できていない。

一体何をどういう根拠で解釈してるんだろう?

777 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:57:22.96 0.net
>>776
 講義にしてもテキストでしょ。
 で、その解釈をめぐって妥当性を話すなら、
 ハイデガーと熊野のテキストを出して話すべきで、
 おおつかみの印象であーだこーだ言っても、単なる言い合いにしかならないでしょう

778 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:14:39.39 0.net
>>777
熊野氏の講義の当該部分はハイデガー読者氏がきちんと書き留めている。
僕も見て確認した。

僕の感想を大づかみといわれても不満はないが、読者氏は全然大づかみじゃないだろw
微にいり細にわたっている。

むしろ、批判者たちの方が大づかみだったり、変な原書理解を振り回したりしているように思う。
問題は、熊野氏が、板書とともに説明した部分は、そっくりそのままハイデガーが書いていて、その前提のもとでの交換不可能性なのに、熊野氏は、ハイデガーがそこをまったく考慮していないかのような言いかたをしているところにあると思う。

読者氏と同じ視点かどうかわからないが、これが僕の見かた。

779 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:16:22.27 0.net
>>778
 それじゃ平行線だね〜

780 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:21:58.48 0.net
ここには院生、もしくは研究者の方もいらっしゃると思う。
下世話な話、読者氏の熊野批判のレベルは、学的な水準から見てどの位のものなんでしょうか?

781 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:38:58.19 0.net
自分が無いとみな同じになる。

782 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:04:28.63 0.net
>>780
権威による評価というのもどうかと思うけど

レヴィナスのハイデガー批判は、ハイデガー自身の論述と話がかみ合ってないっていうのは
別に彼/彼女のオリジナルでも何でもなく散々言われている話

ただこの人はそうした見解を示そうとする際に
引用するテキストをきちんと読めていないので、学術的な議論としてはなりたたない
他のスレでもいつも同じ

自分の思い入れとは切り離して「テキストを読む」っていうトレーニングを受けたことがないんだろうね

783 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:09:40.80 0.net
熊野氏はハイデガーの使う死の概念の射程の狭さを批判してると思う。
死というのは個人的なものではないのではないか、ハイデガーは。可能性の基礎としての死というものを狭く取り扱いすぎているのではないかという問題提起。

784 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:11:55.10 0.net
それ対し、そうではない、ハイデガーの死の概念は他者のそれをも包含する、十分な射程の長さを持っている、とするのが反批判をする読者氏。

785 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:13:36.12 0.net
つまりは、ハイデガーの死の概念が、死というものを汲みつくしているかいないかという話。
いないとする熊野氏と、いるとする読者氏。
個人的には前者と思う。

786 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:16:18.94 0.net
ハイデガー、レヴィナスの少なくとも主要著作を読んでいないとなんとも言い様がないんだけど、

787 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:20:32.90 0.net
読者氏がハイデガーを擁護して引用した文章には、ある人間が「他者の死」に関わる事についてのアイロニカルな認識しかない。
それでハイデガーを擁護するのは厳しい。

788 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:22:33.19 0.net
《いかなるひとも他者から彼の死を取り除いてやることはできない
のである。誰かが「他者の代わりに死んでやる」ことなら、たしかに
できはする。けれどもこのことは、つねに、「或る特定の事柄において
」他者の代わりに犠牲になってやることにほかならない。》

789 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:31:38.46 0.net
読者氏によって熊野批判、及びハイデガー擁護の為に提出されたこれは、
逆にハイデガーの死の概念の射程の狭さを批判する熊野氏の見解を、ハイデガー自身が肯定する資料と自分には見える。

790 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:34:57.95 0.net
>死というのは個人的なものではないのではないか

どうしても現存在を個人と同じものにしたいようだけど、その現存在と
個人の互換性はどのような根拠に基づいているのかな。ハイデガーは
自己と世界の関係について次のように説明している。

>自己と世界は共属しあっており、それゆえ、等根源的に主観を規定しています。
>言い換えれば、われわれ自身がそれである存在者、すなわち現存在は超越的な
>ものである、ということです。(「現象学の根本問題」p.479)

791 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:38:50.12 0.net
「存在と時間」の序論を読んでいる所なのでまだお答えする事が出来ません。

それなのに、質問を質問で返して申し訳ないんだけども、現存在と個人を等値する事でどういう不都合が生じるのですか?

792 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:39:29.71 0.net
熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

793 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:41:18.07 0.net
現存在が世界を可能にする、しかし現存在は、他の存在者と関係する事は出来ても、他の死とかかわることは出来ない。
という事は、世界には他者の死は存在しないという事になりはしないか。

794 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:42:45.35 0.net
>>792
誰か熊野氏の読者が話を接いでくれないないかと期待してしまってた。

795 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:43:40.20 0.net
ハイデガーの世界には自己の存在と他の存在者はあっても、他者の存在はないのではないか。

796 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:44:59.58 0.net
>>793
まさに、それがレヴィナスの現象学のトンデモ解釈だよ。
だから、レヴィナスの他者論は哲学ではなく、神学が宗教思想か、
悪くすると政治イデオロギーにしかならない。

797 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:46:47.84 0.net
>>795
哲学と神学はどう違うのですか?

798 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:47:48.53 0.net
何かガクッと来るな。

799 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:52:18.20 0.net
何で自己の死について考えても哲学なのに、他者の死について考えると神学になるのか。

800 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:54:13.75 0.net
>何で自己の死について考えても哲学なのに、他者の死について考えると神学になるのか。

熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

801 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:00:11.23 0.net
一先ずwikiよりレヴィナスの「他者」。

[「存在者」は動的な仕方で「私」に対して現前し、名を持ち、実詞化する。このような存在者は名をもたない抽象的な「存在」(&amp;ecirc;tre)とは区別される。]

802 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:01:14.10 0.net
つまりレヴィナスの他者とは、名を持ち、自分に対して動的に現前するものの事。

803 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:03:24.61 0.net
熊野純彦は他者ですね。

804 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:04:30.89 0.net
なんか完全にデタラメになってきたな。相手にしてもしょうがない。

805 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:06:56.85 0.net
権力は大事よね。

806 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:10:55.79 0.net
正統性と権力。

807 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:12:30.89 0.net
原典を知っているという経験。

808 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:15:39.95 0.net
自分とは何か他者とは何か、世界とは、実在とは、ギリシアから現代までフォローしないとダメなんだろう。

809 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:53:19.49 0.net
「他者」「隔たり」
=俺達はお前ら下衆とは違うんだという特権意識

810 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:17:45.28 0.net
>それは能動的にはけっして担われることができず、ひたすら受動的に課せられる、
>むしろ責め[傍点]である。受動的であるからこそ打ち止めがなく、取りつくしようもなく、
>つまり無限[傍点]なのだ。

ようするにレヴィナスの「他者」とは、闇金の取り立て屋です

811 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:24:48.24 0.net
かわいい某大先生のサド論も自論の<エコノミー>をあてはめただけだったね
(尤もそれは幾つか有るレヴィナスに於けるエコノミー研究をちょろまかしただけという疑惑がレヴィナス研究界隈に於いてでているようだ)

自分の思い入れとは切り離して「テキストを読む」っていうトレーニングを受けたことがないんだろうね

812 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:29:17.81 0.net
一行批評のオンパレードだねw

熊野の代弁すらできない熊野支持者。
テクストを読み込んでるから偉いんだ、という小学生並みの視野のどこかの院生。
やっと文法を覚えたばかりなのに専門家の誤訳を指摘する哲学専攻の学部生。

こんな連中しか熊野の周りにはいないのかねえ?
だから、適当なこと言ってるだけで教師が勤まってるのかな?

813 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:31:44.59 0.net
>>762
>ちなみに「有の振幅」などという自己も他者も均等かつ対称的に包括するか
>のような言い方は、ハイデガーならしないはず

 「有の振幅」という言い方はハイデッガーの言う《利己的も利他的も可能
にする制約》(『根拠の本質について』)という点で言われている。どうも
そこが読めてはいない、という時点で>>762は駄目ですね。

 ハイデッガーはこういう言い方をしているのは私は見たことはない。
しかし彼の論旨を掴んでおれば可能なのは明らかである。そういう作業こそ
「読む」ということなのだよ。「ハイデッガーが言っていないから違う」
などと言っている時点で苦笑されるしかない。

 ハイデッガーの言う論旨を掴まえていないことには「有の振幅」と言われて
もチンプンカンプンになるしかない。で>>762は実際にチンプンカンプンに
なってしまっている(笑)のだから始末に負えない。

 >>782
>引用するテキストをきちんと読めていないので、学術的な議論としては
>なりたたない

 などと言っているが、前レスで引用した熊野氏の講義テキストや『根拠の
本質について』について一向に扱うことはないのだから、「きちんと
読めていない」どころかこの人の場合「きちんと読む気もない」。

 こういうことで
>学術的な議論としてはなりたたない
などと言ってみたところで無内容でしかないし、無内容な感想としてしか
成立しない言葉なのである。熊野氏の講義テキストやハイデッガーの『道標』
収録テキストについて引用しないのだから検討を放棄しているのと同じ
であり何を言っても無内容であることに変わりはない。

814 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:43:45.97 0.net
存在についての問いにおいてあるものが現存在。

815 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:46:31.04 0.net
現存在と、存在への問いと、死が結びつくのは分かる。
そこに時間がどう絡んでくるのか。

816 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:50:33.57 0.net
他者の死、もしくは他者の存在が考察の中に入ってこない限り、存在への問いが完全に答えられる事はないのではないか。

817 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:58:54.91 0.net
むしろ、他者の死しか経験することはできないだろう。
だれも自分の死は経験できないのだから。自分の体の衰弱や苦痛は他人であれ、
自分であれ、自己しか経験できないけれども。

818 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:01:22.09 0.net
誰も自分の死を経験できないのは、誰も自分の誕生前を経験できないのと同じ。

819 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:06:11.04 0.net
他人が死ぬから、自分も死ぬべきものとして認識できる。
他人が死ななければ、自分が生きていることも分らない。

820 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:06:24.40 0.net
>>817
問題は、他者の苦痛は他者以上に自分にとって苦痛であったり、他者の快適さが他者以上に自分の快適さであったりすることをどう捉えるかということかな?
ハイデガーはそれらをも、自己の現存在として繰り込んでいると思う。
それ自体は当然といえば当然だけど、それだけでは自己から共同性への道筋が見つからないかも知れない。

こんな書き方すると、読者氏に笑われるかな?

821 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:11:29.35 0.net
>>813
いやだからあんたはちゃんと >>750 についてテキストに即して
きちんとと反論すればいいだけ。まさにテキストに即して、な。
『存在と時間』に「身代わり」論などないんだよ。
『存在と時間』を読んでいれば、「有の振幅」なんて言い方なんて軽々しくできない。
自分の思い込みで勝手な議論を展開されてもそれこそ無内容なんだよ。

822 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:17:31.55 0.net
>むしろ、自分自身が気にかかっている存在者である現存在は、等根源的に
>他者との共同存在であり、事物的眼前存在者との存在でもあるのです。

>実際の実存的な分かち合い[Mitteilung=伝達]によってはじめて、
>ある現存在が他の現存在と一つの世界を共有する可能性が構成されるわけではありません。
(現象学の根本問題、p.477)

823 :752:2014/09/20(土) 01:25:08.79 0.net
>>760 では >>751 で指摘したのと同様な基本的な読み間違いが生じている。
日本語訳で落ちているニュアンスから生じている問題なのかもしれない。

まずは、大きなコンテクスト。
この段落までに「世界の-なかに-存在すること」のオンティッシュな解釈とオントローギッシュな解釈が
歴史的に振り返りながら対比されている。

この段落もそうした対比を引き継いで、>>751 と同様の「世間で良く言われる言い方」と
ハイデガーが示したい事柄が対比されている。

 Der Satz: _Das Dasein existiert umwillen seiner_,
enthaelt keine egoistisch-ontische Zwecksetzung f&uuml;r eine blinde

824 :752:2014/09/20(土) 01:25:56.43 0.net
>>823
途中で書き込んでしまったので、後ほど書き込み直します。

825 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:27:47.04 0.net
何か良いな。

826 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:28:12.90 0.net
こちらもキチンとしないとなという気持ちになる。

827 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:38:06.30 0.net
こういう雰囲気なら消えていられる。

828 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:49:04.96 0.net
感想だけ。
自分は2ちゃんにまだ来ちゃいけない。

829 :1/4:2014/09/20(土) 02:43:53.26 0.net
>>760 では >>751 で指摘したのと同様な基本的な読み間違いが生じている。
日本語訳で落ちているニュアンスから生じている問題なのかもしれない。

まずは、大きなコンテクスト。
この段落までに「世界の-なかに-存在すること」のオンティッシュな解釈とオントローギッシュな解釈が
歴史的に振り返りながら対比されている。

この段落もそうした対比を引き継いで、>>751 と同様の「世間で良く言われる言い方」と
ハイデガーが示したい事柄が対比されている。

問題の段落は次の様に始まる。

 Der Satz: _Das Dasein existiert umwillen seiner_, (_イタリック_)
     enthaelt
   keine egoistisch-ontische Zwecksetzung fuer eine blinde Eigenliebe des jeweils faktischen Menschen.
 「現存在は、自身を望むことによって umwillen*1 seiner 現実に存在する」という命題 Satz は
   それぞれ事実的な人間の盲目的な自己愛のためにオンティッシュな意味で我を利することを目的とする、
     ということを含意していない。
  *1 umwillen は willen との関係をハイデガー自身が語っているのでこのように訳しておく。

この冒頭部分で、ハイデガーがこの前の部分から述べている「Das Dasein existiert umwillen seiner」は
オンティッシュな意味で、人間が自分のために自分の利益になるように行動する、といったことは
全く意味していないのだ、と強調している。

830 :2/4:2014/09/20(土) 02:44:59.44 0.net
>>829

続く部分で、ハイデガーはこのこと〔彼が言いたいのはオンティッシュな次元の話ではない〕を
「世間で良く言われる反論」を引用することで、改めて説明している。

 Er kann daher nicht etwa durch den Hinweis darauf ≫widerlegt≪ werden,
   dass viele Menschen sich _fuer die Andern_ opfern
     und
   dass ueberhaupt die Menschen nicht nur fuer sich allein, sondern in Gemeinschaft existieren.
 それが意味するのは daher、この命題は次の様に指摘したからと言って
 決して≪論駁された≫ことにはならないということだ。
     つまり
   「〔そうは言ったって〕多くの人間たちが、「他の人間たちのために」自らを犠牲にするじゃないか」
     とか
   「一般的に、人間たちは、ただ自身のためだけでなく、共同体において現実に存在するじゃないか」
     〔といった具合に言ってみたところで、ハイデガーの命題は反論されたことにはならない〕

ここで「自己犠牲」の例が出てくるが、これはあくまでもハイデガーが述べているような
「Das Dasein existiert umwillen seiner」というオントローギッシュな話に対して
「自己犠牲」といった話はオンティッシュな話に過ぎず、関わりがない、
反論にならないという論旨である。

次の部分でも、引き続いて「ハイデガーの命題は、どのような意味ではないか」が示される。
 In dem genannten Satz liegt
   weder eine solipsistische Isolierung des Daseins
   noch eine egoistische Aufsteigerung desselben.
 先の命題には次のどちらも含まれていない。
   現存在を、独我論的に切り離して扱うということも、
   現存在を、我を利するような形で称揚しようということも。

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