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熊野純彦
- 756 :考える名無しさん:2014/09/18(木) 21:39:13.49 0.net
- 自己犠牲も身代わりも、有の振幅として掴まえることができる。あり得るが
すべからく有の振幅としてあるのだ。したがって自己犠牲や身代わりは「
ありえない」訳ではない。ここが読めていない読みとして熊野氏の読みもまた
ある。
この1点で熊野氏の主張が誤りであることは明らかである。熊野氏の動画
からここに反論する論理は読みえない。
熊野氏が引用するレヴィナスの身代わり理論では<他者のため>の死、が
問題とされている。熊野氏の言うように、ある場合、「他者の死は自己のもの
よりも切実なものである」「そしてハイデッガーではそのようなことは
ありえない」
「自己の死よりも他者の死の方が切実であることはない」とハイデッガー
は言う、として熊野氏は批判する。この批判はレヴィナスを背景に置いている
。レヴィナスとハイデッガーを対比しながらのハイデッガー批判である。
この点は言い換えればれレヴィナスがハイデッガーに包括されており、
かつレヴィナスがそこに気づかなかったということ。レヴィナスの足らなさ
を熊野氏はそのまま継承した。そのまま継承してしまうことがそもそも
問題なのだ。それだけのことである。
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