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熊野純彦

1 :考える名無しさん:2013/09/16(月) 18:02:19.89 0.net
『存在と時間』とカント三批判書の翻訳をしながら、
『資本論』の読解本を出すとは驚異的な仕事量ですね。

768 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 10:20:31.40 0.net
>>767
ハイデガ読者というより、評論読者でしょ
だから、テキストに添ってやんないで、妄想評論で言ってもらちがあかないんだけど
評論読者は、テキスト読解できないだろうからなあ

769 :763:2014/09/19(金) 10:30:15.19 0.net
アンカー間違ってた。
>>759>>760

770 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 17:02:11.25 0.net
「存在と時間」の46、47節あたりを読むと、ハイデガー読者氏の読み方はとても納得するんだけどね。
反論したと主張してる人たちのは、どうしても軽すぎる日常会話のように見える。
テキスト読解の正確さを自認するなら、ハイデガーの他者についての論及の流れを切り捨ててはいけないと思うな。
熊野氏の講義はいかにもあっさりと切り捨てているように思う。

771 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 17:49:33.92 0.net
>>770
自演乙

772 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 19:24:45.79 0.net
レヴィナスの《他者》を《ユダヤ人》とするとどれ程おそろしい思想になるか
熊野は想像力がたりない
駒場出身の若手レヴィナス研究者が熊野を相手せず合田に向かうのも
理由無き訳では無い

773 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 19:27:14.53 0.net
自演かなんだか知らんが、ハイデガーの読みとか置いといて、
熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

774 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:16:43.03 0.net
>>771
なんで自分と違う意見は一人だけって決めつけるんだろうね?
あまりに貧し過ぎる感性じゃないの?

それでは一度自分が思い込んだ解釈から抜けられないよ。
テキストの読解やっても正解ありきになっちゃうんじゃないかい?

775 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:29:04.33 0.net
>>774
確かに、だからこそテキストに添って解釈を示さないと意味がないでしょ
 >>770のような書き方では唯の感想なんで、書いても書かなくても同じ

776 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:36:18.60 0.net
>>775
熊野氏のはテキストじゃなくて講義だよ?

「存在と時間」は確かにテキストだが、今までに無数の人々によってテキストに沿った解釈が提出されても、いまだに定説がない。
ハイデガー読者氏の読み込みに対してはもちろん、僕程度の感想に対してすら否定できるだけの解釈を提出できていない。

一体何をどういう根拠で解釈してるんだろう?

777 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 20:57:22.96 0.net
>>776
 講義にしてもテキストでしょ。
 で、その解釈をめぐって妥当性を話すなら、
 ハイデガーと熊野のテキストを出して話すべきで、
 おおつかみの印象であーだこーだ言っても、単なる言い合いにしかならないでしょう

778 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:14:39.39 0.net
>>777
熊野氏の講義の当該部分はハイデガー読者氏がきちんと書き留めている。
僕も見て確認した。

僕の感想を大づかみといわれても不満はないが、読者氏は全然大づかみじゃないだろw
微にいり細にわたっている。

むしろ、批判者たちの方が大づかみだったり、変な原書理解を振り回したりしているように思う。
問題は、熊野氏が、板書とともに説明した部分は、そっくりそのままハイデガーが書いていて、その前提のもとでの交換不可能性なのに、熊野氏は、ハイデガーがそこをまったく考慮していないかのような言いかたをしているところにあると思う。

読者氏と同じ視点かどうかわからないが、これが僕の見かた。

779 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:16:22.27 0.net
>>778
 それじゃ平行線だね〜

780 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:21:58.48 0.net
ここには院生、もしくは研究者の方もいらっしゃると思う。
下世話な話、読者氏の熊野批判のレベルは、学的な水準から見てどの位のものなんでしょうか?

781 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 21:38:58.19 0.net
自分が無いとみな同じになる。

782 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:04:28.63 0.net
>>780
権威による評価というのもどうかと思うけど

レヴィナスのハイデガー批判は、ハイデガー自身の論述と話がかみ合ってないっていうのは
別に彼/彼女のオリジナルでも何でもなく散々言われている話

ただこの人はそうした見解を示そうとする際に
引用するテキストをきちんと読めていないので、学術的な議論としてはなりたたない
他のスレでもいつも同じ

自分の思い入れとは切り離して「テキストを読む」っていうトレーニングを受けたことがないんだろうね

783 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:09:40.80 0.net
熊野氏はハイデガーの使う死の概念の射程の狭さを批判してると思う。
死というのは個人的なものではないのではないか、ハイデガーは。可能性の基礎としての死というものを狭く取り扱いすぎているのではないかという問題提起。

784 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:11:55.10 0.net
それ対し、そうではない、ハイデガーの死の概念は他者のそれをも包含する、十分な射程の長さを持っている、とするのが反批判をする読者氏。

785 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:13:36.12 0.net
つまりは、ハイデガーの死の概念が、死というものを汲みつくしているかいないかという話。
いないとする熊野氏と、いるとする読者氏。
個人的には前者と思う。

786 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:16:18.94 0.net
ハイデガー、レヴィナスの少なくとも主要著作を読んでいないとなんとも言い様がないんだけど、

787 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:20:32.90 0.net
読者氏がハイデガーを擁護して引用した文章には、ある人間が「他者の死」に関わる事についてのアイロニカルな認識しかない。
それでハイデガーを擁護するのは厳しい。

788 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:22:33.19 0.net
《いかなるひとも他者から彼の死を取り除いてやることはできない
のである。誰かが「他者の代わりに死んでやる」ことなら、たしかに
できはする。けれどもこのことは、つねに、「或る特定の事柄において
」他者の代わりに犠牲になってやることにほかならない。》

789 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:31:38.46 0.net
読者氏によって熊野批判、及びハイデガー擁護の為に提出されたこれは、
逆にハイデガーの死の概念の射程の狭さを批判する熊野氏の見解を、ハイデガー自身が肯定する資料と自分には見える。

790 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:34:57.95 0.net
>死というのは個人的なものではないのではないか

どうしても現存在を個人と同じものにしたいようだけど、その現存在と
個人の互換性はどのような根拠に基づいているのかな。ハイデガーは
自己と世界の関係について次のように説明している。

>自己と世界は共属しあっており、それゆえ、等根源的に主観を規定しています。
>言い換えれば、われわれ自身がそれである存在者、すなわち現存在は超越的な
>ものである、ということです。(「現象学の根本問題」p.479)

791 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:38:50.12 0.net
「存在と時間」の序論を読んでいる所なのでまだお答えする事が出来ません。

それなのに、質問を質問で返して申し訳ないんだけども、現存在と個人を等値する事でどういう不都合が生じるのですか?

792 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:39:29.71 0.net
熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

793 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:41:18.07 0.net
現存在が世界を可能にする、しかし現存在は、他の存在者と関係する事は出来ても、他の死とかかわることは出来ない。
という事は、世界には他者の死は存在しないという事になりはしないか。

794 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:42:45.35 0.net
>>792
誰か熊野氏の読者が話を接いでくれないないかと期待してしまってた。

795 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:43:40.20 0.net
ハイデガーの世界には自己の存在と他の存在者はあっても、他者の存在はないのではないか。

796 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:44:59.58 0.net
>>793
まさに、それがレヴィナスの現象学のトンデモ解釈だよ。
だから、レヴィナスの他者論は哲学ではなく、神学が宗教思想か、
悪くすると政治イデオロギーにしかならない。

797 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:46:47.84 0.net
>>795
哲学と神学はどう違うのですか?

798 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:47:48.53 0.net
何かガクッと来るな。

799 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:52:18.20 0.net
何で自己の死について考えても哲学なのに、他者の死について考えると神学になるのか。

800 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 22:54:13.75 0.net
>何で自己の死について考えても哲学なのに、他者の死について考えると神学になるのか。

熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

801 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:00:11.23 0.net
一先ずwikiよりレヴィナスの「他者」。

[「存在者」は動的な仕方で「私」に対して現前し、名を持ち、実詞化する。このような存在者は名をもたない抽象的な「存在」(être)とは区別される。]

802 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:01:14.10 0.net
つまりレヴィナスの他者とは、名を持ち、自分に対して動的に現前するものの事。

803 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:03:24.61 0.net
熊野純彦は他者ですね。

804 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:04:30.89 0.net
なんか完全にデタラメになってきたな。相手にしてもしょうがない。

805 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:06:56.85 0.net
権力は大事よね。

806 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:10:55.79 0.net
正統性と権力。

807 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:12:30.89 0.net
原典を知っているという経験。

808 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:15:39.95 0.net
自分とは何か他者とは何か、世界とは、実在とは、ギリシアから現代までフォローしないとダメなんだろう。

809 :考える名無しさん:2014/09/19(金) 23:53:19.49 0.net
「他者」「隔たり」
=俺達はお前ら下衆とは違うんだという特権意識

810 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:17:45.28 0.net
>それは能動的にはけっして担われることができず、ひたすら受動的に課せられる、
>むしろ責め[傍点]である。受動的であるからこそ打ち止めがなく、取りつくしようもなく、
>つまり無限[傍点]なのだ。

ようするにレヴィナスの「他者」とは、闇金の取り立て屋です

811 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:24:48.24 0.net
かわいい某大先生のサド論も自論の<エコノミー>をあてはめただけだったね
(尤もそれは幾つか有るレヴィナスに於けるエコノミー研究をちょろまかしただけという疑惑がレヴィナス研究界隈に於いてでているようだ)

自分の思い入れとは切り離して「テキストを読む」っていうトレーニングを受けたことがないんだろうね

812 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:29:17.81 0.net
一行批評のオンパレードだねw

熊野の代弁すらできない熊野支持者。
テクストを読み込んでるから偉いんだ、という小学生並みの視野のどこかの院生。
やっと文法を覚えたばかりなのに専門家の誤訳を指摘する哲学専攻の学部生。

こんな連中しか熊野の周りにはいないのかねえ?
だから、適当なこと言ってるだけで教師が勤まってるのかな?

813 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:31:44.59 0.net
>>762
>ちなみに「有の振幅」などという自己も他者も均等かつ対称的に包括するか
>のような言い方は、ハイデガーならしないはず

 「有の振幅」という言い方はハイデッガーの言う《利己的も利他的も可能
にする制約》(『根拠の本質について』)という点で言われている。どうも
そこが読めてはいない、という時点で>>762は駄目ですね。

 ハイデッガーはこういう言い方をしているのは私は見たことはない。
しかし彼の論旨を掴んでおれば可能なのは明らかである。そういう作業こそ
「読む」ということなのだよ。「ハイデッガーが言っていないから違う」
などと言っている時点で苦笑されるしかない。

 ハイデッガーの言う論旨を掴まえていないことには「有の振幅」と言われて
もチンプンカンプンになるしかない。で>>762は実際にチンプンカンプンに
なってしまっている(笑)のだから始末に負えない。

 >>782
>引用するテキストをきちんと読めていないので、学術的な議論としては
>なりたたない

 などと言っているが、前レスで引用した熊野氏の講義テキストや『根拠の
本質について』について一向に扱うことはないのだから、「きちんと
読めていない」どころかこの人の場合「きちんと読む気もない」。

 こういうことで
>学術的な議論としてはなりたたない
などと言ってみたところで無内容でしかないし、無内容な感想としてしか
成立しない言葉なのである。熊野氏の講義テキストやハイデッガーの『道標』
収録テキストについて引用しないのだから検討を放棄しているのと同じ
であり何を言っても無内容であることに変わりはない。

814 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:43:45.97 0.net
存在についての問いにおいてあるものが現存在。

815 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:46:31.04 0.net
現存在と、存在への問いと、死が結びつくのは分かる。
そこに時間がどう絡んでくるのか。

816 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:50:33.57 0.net
他者の死、もしくは他者の存在が考察の中に入ってこない限り、存在への問いが完全に答えられる事はないのではないか。

817 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:58:54.91 0.net
むしろ、他者の死しか経験することはできないだろう。
だれも自分の死は経験できないのだから。自分の体の衰弱や苦痛は他人であれ、
自分であれ、自己しか経験できないけれども。

818 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:01:22.09 0.net
誰も自分の死を経験できないのは、誰も自分の誕生前を経験できないのと同じ。

819 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:06:11.04 0.net
他人が死ぬから、自分も死ぬべきものとして認識できる。
他人が死ななければ、自分が生きていることも分らない。

820 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:06:24.40 0.net
>>817
問題は、他者の苦痛は他者以上に自分にとって苦痛であったり、他者の快適さが他者以上に自分の快適さであったりすることをどう捉えるかということかな?
ハイデガーはそれらをも、自己の現存在として繰り込んでいると思う。
それ自体は当然といえば当然だけど、それだけでは自己から共同性への道筋が見つからないかも知れない。

こんな書き方すると、読者氏に笑われるかな?

821 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:11:29.35 0.net
>>813
いやだからあんたはちゃんと >>750 についてテキストに即して
きちんとと反論すればいいだけ。まさにテキストに即して、な。
『存在と時間』に「身代わり」論などないんだよ。
『存在と時間』を読んでいれば、「有の振幅」なんて言い方なんて軽々しくできない。
自分の思い込みで勝手な議論を展開されてもそれこそ無内容なんだよ。

822 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:17:31.55 0.net
>むしろ、自分自身が気にかかっている存在者である現存在は、等根源的に
>他者との共同存在であり、事物的眼前存在者との存在でもあるのです。

>実際の実存的な分かち合い[Mitteilung=伝達]によってはじめて、
>ある現存在が他の現存在と一つの世界を共有する可能性が構成されるわけではありません。
(現象学の根本問題、p.477)

823 :752:2014/09/20(土) 01:25:08.79 0.net
>>760 では >>751 で指摘したのと同様な基本的な読み間違いが生じている。
日本語訳で落ちているニュアンスから生じている問題なのかもしれない。

まずは、大きなコンテクスト。
この段落までに「世界の-なかに-存在すること」のオンティッシュな解釈とオントローギッシュな解釈が
歴史的に振り返りながら対比されている。

この段落もそうした対比を引き継いで、>>751 と同様の「世間で良く言われる言い方」と
ハイデガーが示したい事柄が対比されている。

 Der Satz: _Das Dasein existiert umwillen seiner_,
enthaelt keine egoistisch-ontische Zwecksetzung für eine blinde

824 :752:2014/09/20(土) 01:25:56.43 0.net
>>823
途中で書き込んでしまったので、後ほど書き込み直します。

825 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:27:47.04 0.net
何か良いな。

826 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:28:12.90 0.net
こちらもキチンとしないとなという気持ちになる。

827 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:38:06.30 0.net
こういう雰囲気なら消えていられる。

828 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:49:04.96 0.net
感想だけ。
自分は2ちゃんにまだ来ちゃいけない。

829 :1/4:2014/09/20(土) 02:43:53.26 0.net
>>760 では >>751 で指摘したのと同様な基本的な読み間違いが生じている。
日本語訳で落ちているニュアンスから生じている問題なのかもしれない。

まずは、大きなコンテクスト。
この段落までに「世界の-なかに-存在すること」のオンティッシュな解釈とオントローギッシュな解釈が
歴史的に振り返りながら対比されている。

この段落もそうした対比を引き継いで、>>751 と同様の「世間で良く言われる言い方」と
ハイデガーが示したい事柄が対比されている。

問題の段落は次の様に始まる。

 Der Satz: _Das Dasein existiert umwillen seiner_, (_イタリック_)
     enthaelt
   keine egoistisch-ontische Zwecksetzung fuer eine blinde Eigenliebe des jeweils faktischen Menschen.
 「現存在は、自身を望むことによって umwillen*1 seiner 現実に存在する」という命題 Satz は
   それぞれ事実的な人間の盲目的な自己愛のためにオンティッシュな意味で我を利することを目的とする、
     ということを含意していない。
  *1 umwillen は willen との関係をハイデガー自身が語っているのでこのように訳しておく。

この冒頭部分で、ハイデガーがこの前の部分から述べている「Das Dasein existiert umwillen seiner」は
オンティッシュな意味で、人間が自分のために自分の利益になるように行動する、といったことは
全く意味していないのだ、と強調している。

830 :2/4:2014/09/20(土) 02:44:59.44 0.net
>>829

続く部分で、ハイデガーはこのこと〔彼が言いたいのはオンティッシュな次元の話ではない〕を
「世間で良く言われる反論」を引用することで、改めて説明している。

 Er kann daher nicht etwa durch den Hinweis darauf ≫widerlegt≪ werden,
   dass viele Menschen sich _fuer die Andern_ opfern
     und
   dass ueberhaupt die Menschen nicht nur fuer sich allein, sondern in Gemeinschaft existieren.
 それが意味するのは daher、この命題は次の様に指摘したからと言って
 決して≪論駁された≫ことにはならないということだ。
     つまり
   「〔そうは言ったって〕多くの人間たちが、「他の人間たちのために」自らを犠牲にするじゃないか」
     とか
   「一般的に、人間たちは、ただ自身のためだけでなく、共同体において現実に存在するじゃないか」
     〔といった具合に言ってみたところで、ハイデガーの命題は反論されたことにはならない〕

ここで「自己犠牲」の例が出てくるが、これはあくまでもハイデガーが述べているような
「Das Dasein existiert umwillen seiner」というオントローギッシュな話に対して
「自己犠牲」といった話はオンティッシュな話に過ぎず、関わりがない、
反論にならないという論旨である。

次の部分でも、引き続いて「ハイデガーの命題は、どのような意味ではないか」が示される。
 In dem genannten Satz liegt
   weder eine solipsistische Isolierung des Daseins
   noch eine egoistische Aufsteigerung desselben.
 先の命題には次のどちらも含まれていない。
   現存在を、独我論的に切り離して扱うということも、
   現存在を、我を利するような形で称揚しようということも。

831 :3/4:2014/09/20(土) 02:46:23.59 0.net
>>830

ここから「ハイデガーの命題は、では、どのような意味であるのか」になるが、
全集版の日本語訳はそれだけで読むと、もしかしたら、やや誤解を招くものなのかもしれない。

 Wohl dagegen gibt er die Bedingung der Moeglichkeit dafuer,
   dass der Mensch ≫sich≪ _entweder_ ≫egoistisch≪ _oder_ ≫altruistisch≪ verhalten kann.
 全く反対に wohl dagegen、先の命題は
   人間が≪我を利するように(利己的に)≫あるいは≪他を利するように(利他的に)≫
   〔そのどちらの形でも〕振る舞う sich verhalten〔≪みずから≫を制御する〕ことができる
 ようにするコンディション Bedingungを与えているものなのだ。

koennenが使われていること、
dass節の中では人間 Menschが使われておりDaseinが使われていないことに注意。 

オンティッシュに、
 世間的に言われるような「利己的に振る舞う」「利他的に振る舞う」
がどちらにせよ可能になるのは、
オントローギッシュに
 「現存在は、自身を望むことによって現実に存在する Das Dasein existiert umwillen seiner」からだ、
という話であって、利己的に振る舞う、利他的に振る舞うはあくまでもオンティッシュな世間的表現の例。

832 :4/4:2014/09/20(土) 02:48:34.53 0.net
>>831

次の箇所は、元々多くの代名詞相当の表現を持つ日本語だと分かりにくくなる箇所かもしれない。
やや説明的に訳す。
   
  Nur weil Dasein als solches durch Selbstheit bestimmt ist,
    kann sich ein Ich-selbst zu einem Du-selbst verhalten.
  〔つまり〕現存在は、自身であること Selbstheit によって規定されることによってそのようにあるのであり、
    そのことによって、現存在は、私-自身 Ich-selbst として、君-自身へと関わることが可能になるのである。

最初のハイデガーの命題「現存在は、自身を望むことによって現実に存在する」を
「自身であることによって規定される〔こと〕」と言い換え、
それによってはじめてオンティッシュな「Ich-selbst」と「Du-selbst」の関係、
「我Ichと汝Du」の関係が可能になるとしている。

この後も興味深い内容が続くが、
以上で >>760 の読解・要約すなわち

 > 「人間が利己的にか利他的にか関わらせ得る制約」「人間が他人のために
 >犠牲になる」ことと「人間が自分自身のために実存する」ことは両立する。

がいかに不正確であるかを示すには十分だろう。

833 :830:2014/09/20(土) 02:58:17.46 0.net
念のために書いて置くと
レヴィナスの批判があたっているかどうかとは関係なしに
>>760 の読みが、引用されているハイデガーの原文から可能かどうか、というコメントです。

レヴィナスの批判があたっているかどうかを検討するには
レヴィナス自身の、時期によって微妙に異なっている立場の詳細な検討も必要になります……。

834 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 08:30:45.29 0.net
レヴィナスの議論は哲学の手順を踏んでいないから、哲学ではないんだよ。
別にこれは、古典的な哲学者の議論に依拠していなからとか、そういった
哲学学的な意味で言っているのではない。哲学には、共通の理解を確認しながら、
その共通の理解を遡るという手順しかない。議論がその手順を踏まないとき、
いくらその議論に哲学者の使う概念がちりばめられていたとしても、それは
もはや哲学ではなく、教義の訓示にしかならない。

835 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 08:44:01.76 0.net
レヴィナスの議論は哲学の手順を踏んでいないから、哲学ではないんだ

>哲学には、共通の理解を確認しながら、
>その共通の理解を遡るという手順しかない。議論がその手順を踏まないとき、

そりゃあんたが勉強不足なだけだよ。レヴィナスの議論にはきちんと手順も手続きもある。
それこそ熊野氏のレヴィナス入門でも読んでみたら?

836 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 09:18:56.11 0.net
>それこそ熊野氏のレヴィナス入門でも読んでみたら?
>>835 レヴィナスの著作なら邦訳が出る前から読んでるよ。

>>763で、他の人が引用してたけど、哲学ではない訓示の典型例だな。

>《レヴィナスのいうルスポンサビリテがふつうにいう責任[傍点]であるならば、それは引きうけられもし、果たされもするだろう。ルスポンサビリテは、
>しかしレヴィナスにあっては、いっさいの受動性よりも受動的な『受動性(パッシヴィテ)』であり、対となるどのような『能動性(アクティヴィテ)』も考えることのできない受動性である。それは能動的にはけっして担われることができず、
>ひたすら受動的に課せられる、むしろ責め[傍点]である。受動的であるからこそ打ち止めがなく、取りつくしようもなく、つまり無限[傍点]なのだ。》

837 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 09:25:12.85 0.net
きちんと手順を踏まない、ハイデガーの思索の手順を自分でたどってみることも
しないから、レヴィナスからは、現象学、つまり、哲学そのもののトンデモ批判しか出てこない。
むろん、ここで、現象学を哲学そのものとするのは、ハイデガーに同意してのことであるが。

838 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 09:56:53.10 0.net
ただの決め付けにすぎない。

839 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 10:01:16.37 0.net
>>834
>哲学学的な意味で言っているのではない。哲学には、共通の理解を確認しながら、
>その共通の理解を遡るという手順しかない。議論がその手順を踏まないとき、
>いくらその議論に哲学者の使う概念がちりばめられていたとしても、それは
>もはや哲学ではなく、教義の訓示にしかならない。

すると、ギリシャ哲学と言われてる人たちの多くは哲学じゃなくなんないか?

840 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 10:35:25.04 0.net
熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

841 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 12:48:19.52 0.net
>>829-832
その本のことは知らないけど、君の引用、解説部分でいえば、今回の話題とは論点がずれてるんじゃないかな?
君は基本的に論点が理解ができない、やや日本語の理解に難ありタイプ、なのかな?
横で悪いんだけど。

842 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:20:06.98 0.net
他者とはキリスト者のこと

843 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:45:12.00 0.net
哲学書を読もう。もうそれしかない。

844 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:46:15.68 0.net
スノッブが三流ってのが一番しんどい。

845 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:47:25.24 0.net
スノッブをやれるのは教養人だけ。

846 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:52:05.95 0.net
レヴィナスを批判するなら対抗馬にまずアドルノもってくるでしょ。

847 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:52:40.53 0.net
評論家の本とか翻訳のななめ読みで哲学を論じるスノッブって、
AVを見てセックスを語る童貞みたいなものだと思うけど、
そんな人たちが熊野純彦に絡んでくるのが謎すぎるな。
まあ熊野がそういう意味でイケメンのヤリチンすぎるから?
2ちゃんみたいな場所で童貞に妬まれるのも仕方ないのかもしれないけど、
端的に言って住んでる世界が違うんだから気にしなきゃいいのにな。

848 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:54:51.56 0.net
>>847
哲学者なの?

849 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:58:51.88 0.net
妬みっていうか読者氏の反論が無茶だったからそれに文句を言っただけ。
そこから嫌味が沸いてきて苛立っているのが今。

850 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:01:54.51 0.net
すむ世界が違うんだから熊野を読むな、か。

851 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:02:53.22 0.net
哲学もやりたい。変えたい。

852 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:07:59.11 0.net
「現存在」、「存在」、「存在者」は、ハイデガーではない他の人間が論じても、
「現存在」、「存在」、「存在者」だけど、レヴィナスの「他者」はあくまでも
レヴィナスの「他者」でしかなく、別の論者が「他者」について論じる場合、
「他者」という言葉で何を言い表そうとしているのか、てんでバラバラだから、
何を論じてるのかすら不明になる。

853 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:19:14.58 0.net
レヴィナスの言葉は、哲学というより、むしろ、タルムードかファトワ―の類だな

854 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 19:57:05.80 0.net
>>849
どこが無茶?
君に日本語の読解力がないだけだよ。

855 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:06:28.18 0.net
ハイデガーの著作、主要講義録、レヴィナス、熊野の著作を読んでからまた来る。
読むといったら読む。

読まず、知らずにものを言うのは厳しい。

856 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:07:30.03 0.net
素人の肉体じゃ機関銃をもった軍人には勝てない。

857 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:09:10.90 0.net
市民の自立とは何を意味するのか、漠然と幻影が見えた。

858 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:10:38.49 0.net
住む世界が違うというのは確かにその通り。

859 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:11:51.47 0.net
>>847
巧い譬えだな〜

原典読解がsex 評論がAV 学者がリア充
スノッブがAVでsex に妄想抱いた童貞くん

巧い、童貞くん評論で妄想膨らませず、
地道に原典読解して経験積もう
語るのは、それからだ

860 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:15:50.87 0.net
もともと熊野支持者がよそのスレでステマやって哲学愛好家を誘い込んだ。
熊野の本を売り込みたかったのかも知れないが、一般の哲学愛好家に訴求できるほどのレスもなく、かえって身内で仲間誉めをしてるだけの解釈学者に過ぎないんじゃないかと思わせただけだった。
レヴィナスなどに関心がある愛好家は少ないし、マルクスでは熊野支持者には荷が重すぎる。

ハイデガー理解では、支持者がいくら一夜漬けをしようと、読者氏などの熱心なハイデガー研究家にはとても太刀打ちできない。
他人を貶したり、他人の著作を持ち出して権威づけようとするのが精一杯だ。
やっぱり、熊野支持者は自分たちだけで解釈を楽しんでいるのがいいと思う。

861 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:22:08.92 0.net
熊野はハイデガーを理解していない、とか、いかがわしいとか、これはどうかと思う。
としか言えないけど。

862 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:24:03.73 0.net
読者氏は無茶であろうと思う。思うが力及ばずそれ以上何も出来ない。

863 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:46:42.12 0.net
でもここにちゃんだけど。

864 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:56:26.82 0.net
>>861-862
熊野氏を神格化しちゃったんだね。

それだと、哲学なんかやる意味ないんじゃない?

865 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:00:19.10 0.net
神格化してません。

866 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:08:32.36 0.net
>>865
熊野氏の間違いをいくつか指摘してごらん。

867 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:12:58.65 0.net
熊野は通説を踏まえた固有のハイデガー理解をもっているだろうと思っただけです。
これは単なる臆断、信仰、神格化と言えるかもしれない。

ともかく、ここから導かれて読者氏の熊野をレヴィナスと等値して、それらを共に神学として批判し去る批判を見たときに、それは違うだろうと思った。
しかしそれもまた不十分。

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