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熊野純彦

813 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:31:44.59 0.net
>>762
>ちなみに「有の振幅」などという自己も他者も均等かつ対称的に包括するか
>のような言い方は、ハイデガーならしないはず

 「有の振幅」という言い方はハイデッガーの言う《利己的も利他的も可能
にする制約》(『根拠の本質について』)という点で言われている。どうも
そこが読めてはいない、という時点で>>762は駄目ですね。

 ハイデッガーはこういう言い方をしているのは私は見たことはない。
しかし彼の論旨を掴んでおれば可能なのは明らかである。そういう作業こそ
「読む」ということなのだよ。「ハイデッガーが言っていないから違う」
などと言っている時点で苦笑されるしかない。

 ハイデッガーの言う論旨を掴まえていないことには「有の振幅」と言われて
もチンプンカンプンになるしかない。で>>762は実際にチンプンカンプンに
なってしまっている(笑)のだから始末に負えない。

 >>782
>引用するテキストをきちんと読めていないので、学術的な議論としては
>なりたたない

 などと言っているが、前レスで引用した熊野氏の講義テキストや『根拠の
本質について』について一向に扱うことはないのだから、「きちんと
読めていない」どころかこの人の場合「きちんと読む気もない」。

 こういうことで
>学術的な議論としてはなりたたない
などと言ってみたところで無内容でしかないし、無内容な感想としてしか
成立しない言葉なのである。熊野氏の講義テキストやハイデッガーの『道標』
収録テキストについて引用しないのだから検討を放棄しているのと同じ
であり何を言っても無内容であることに変わりはない。

814 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:43:45.97 0.net
存在についての問いにおいてあるものが現存在。

815 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:46:31.04 0.net
現存在と、存在への問いと、死が結びつくのは分かる。
そこに時間がどう絡んでくるのか。

816 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:50:33.57 0.net
他者の死、もしくは他者の存在が考察の中に入ってこない限り、存在への問いが完全に答えられる事はないのではないか。

817 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 00:58:54.91 0.net
むしろ、他者の死しか経験することはできないだろう。
だれも自分の死は経験できないのだから。自分の体の衰弱や苦痛は他人であれ、
自分であれ、自己しか経験できないけれども。

818 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:01:22.09 0.net
誰も自分の死を経験できないのは、誰も自分の誕生前を経験できないのと同じ。

819 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:06:11.04 0.net
他人が死ぬから、自分も死ぬべきものとして認識できる。
他人が死ななければ、自分が生きていることも分らない。

820 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:06:24.40 0.net
>>817
問題は、他者の苦痛は他者以上に自分にとって苦痛であったり、他者の快適さが他者以上に自分の快適さであったりすることをどう捉えるかということかな?
ハイデガーはそれらをも、自己の現存在として繰り込んでいると思う。
それ自体は当然といえば当然だけど、それだけでは自己から共同性への道筋が見つからないかも知れない。

こんな書き方すると、読者氏に笑われるかな?

821 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:11:29.35 0.net
>>813
いやだからあんたはちゃんと >>750 についてテキストに即して
きちんとと反論すればいいだけ。まさにテキストに即して、な。
『存在と時間』に「身代わり」論などないんだよ。
『存在と時間』を読んでいれば、「有の振幅」なんて言い方なんて軽々しくできない。
自分の思い込みで勝手な議論を展開されてもそれこそ無内容なんだよ。

822 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:17:31.55 0.net
>むしろ、自分自身が気にかかっている存在者である現存在は、等根源的に
>他者との共同存在であり、事物的眼前存在者との存在でもあるのです。

>実際の実存的な分かち合い[Mitteilung=伝達]によってはじめて、
>ある現存在が他の現存在と一つの世界を共有する可能性が構成されるわけではありません。
(現象学の根本問題、p.477)

823 :752:2014/09/20(土) 01:25:08.79 0.net
>>760 では >>751 で指摘したのと同様な基本的な読み間違いが生じている。
日本語訳で落ちているニュアンスから生じている問題なのかもしれない。

まずは、大きなコンテクスト。
この段落までに「世界の-なかに-存在すること」のオンティッシュな解釈とオントローギッシュな解釈が
歴史的に振り返りながら対比されている。

この段落もそうした対比を引き継いで、>>751 と同様の「世間で良く言われる言い方」と
ハイデガーが示したい事柄が対比されている。

 Der Satz: _Das Dasein existiert umwillen seiner_,
enthaelt keine egoistisch-ontische Zwecksetzung für eine blinde

824 :752:2014/09/20(土) 01:25:56.43 0.net
>>823
途中で書き込んでしまったので、後ほど書き込み直します。

825 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:27:47.04 0.net
何か良いな。

826 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:28:12.90 0.net
こちらもキチンとしないとなという気持ちになる。

827 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:38:06.30 0.net
こういう雰囲気なら消えていられる。

828 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 01:49:04.96 0.net
感想だけ。
自分は2ちゃんにまだ来ちゃいけない。

829 :1/4:2014/09/20(土) 02:43:53.26 0.net
>>760 では >>751 で指摘したのと同様な基本的な読み間違いが生じている。
日本語訳で落ちているニュアンスから生じている問題なのかもしれない。

まずは、大きなコンテクスト。
この段落までに「世界の-なかに-存在すること」のオンティッシュな解釈とオントローギッシュな解釈が
歴史的に振り返りながら対比されている。

この段落もそうした対比を引き継いで、>>751 と同様の「世間で良く言われる言い方」と
ハイデガーが示したい事柄が対比されている。

問題の段落は次の様に始まる。

 Der Satz: _Das Dasein existiert umwillen seiner_, (_イタリック_)
     enthaelt
   keine egoistisch-ontische Zwecksetzung fuer eine blinde Eigenliebe des jeweils faktischen Menschen.
 「現存在は、自身を望むことによって umwillen*1 seiner 現実に存在する」という命題 Satz は
   それぞれ事実的な人間の盲目的な自己愛のためにオンティッシュな意味で我を利することを目的とする、
     ということを含意していない。
  *1 umwillen は willen との関係をハイデガー自身が語っているのでこのように訳しておく。

この冒頭部分で、ハイデガーがこの前の部分から述べている「Das Dasein existiert umwillen seiner」は
オンティッシュな意味で、人間が自分のために自分の利益になるように行動する、といったことは
全く意味していないのだ、と強調している。

830 :2/4:2014/09/20(土) 02:44:59.44 0.net
>>829

続く部分で、ハイデガーはこのこと〔彼が言いたいのはオンティッシュな次元の話ではない〕を
「世間で良く言われる反論」を引用することで、改めて説明している。

 Er kann daher nicht etwa durch den Hinweis darauf ≫widerlegt≪ werden,
   dass viele Menschen sich _fuer die Andern_ opfern
     und
   dass ueberhaupt die Menschen nicht nur fuer sich allein, sondern in Gemeinschaft existieren.
 それが意味するのは daher、この命題は次の様に指摘したからと言って
 決して≪論駁された≫ことにはならないということだ。
     つまり
   「〔そうは言ったって〕多くの人間たちが、「他の人間たちのために」自らを犠牲にするじゃないか」
     とか
   「一般的に、人間たちは、ただ自身のためだけでなく、共同体において現実に存在するじゃないか」
     〔といった具合に言ってみたところで、ハイデガーの命題は反論されたことにはならない〕

ここで「自己犠牲」の例が出てくるが、これはあくまでもハイデガーが述べているような
「Das Dasein existiert umwillen seiner」というオントローギッシュな話に対して
「自己犠牲」といった話はオンティッシュな話に過ぎず、関わりがない、
反論にならないという論旨である。

次の部分でも、引き続いて「ハイデガーの命題は、どのような意味ではないか」が示される。
 In dem genannten Satz liegt
   weder eine solipsistische Isolierung des Daseins
   noch eine egoistische Aufsteigerung desselben.
 先の命題には次のどちらも含まれていない。
   現存在を、独我論的に切り離して扱うということも、
   現存在を、我を利するような形で称揚しようということも。

831 :3/4:2014/09/20(土) 02:46:23.59 0.net
>>830

ここから「ハイデガーの命題は、では、どのような意味であるのか」になるが、
全集版の日本語訳はそれだけで読むと、もしかしたら、やや誤解を招くものなのかもしれない。

 Wohl dagegen gibt er die Bedingung der Moeglichkeit dafuer,
   dass der Mensch ≫sich≪ _entweder_ ≫egoistisch≪ _oder_ ≫altruistisch≪ verhalten kann.
 全く反対に wohl dagegen、先の命題は
   人間が≪我を利するように(利己的に)≫あるいは≪他を利するように(利他的に)≫
   〔そのどちらの形でも〕振る舞う sich verhalten〔≪みずから≫を制御する〕ことができる
 ようにするコンディション Bedingungを与えているものなのだ。

koennenが使われていること、
dass節の中では人間 Menschが使われておりDaseinが使われていないことに注意。 

オンティッシュに、
 世間的に言われるような「利己的に振る舞う」「利他的に振る舞う」
がどちらにせよ可能になるのは、
オントローギッシュに
 「現存在は、自身を望むことによって現実に存在する Das Dasein existiert umwillen seiner」からだ、
という話であって、利己的に振る舞う、利他的に振る舞うはあくまでもオンティッシュな世間的表現の例。

832 :4/4:2014/09/20(土) 02:48:34.53 0.net
>>831

次の箇所は、元々多くの代名詞相当の表現を持つ日本語だと分かりにくくなる箇所かもしれない。
やや説明的に訳す。
   
  Nur weil Dasein als solches durch Selbstheit bestimmt ist,
    kann sich ein Ich-selbst zu einem Du-selbst verhalten.
  〔つまり〕現存在は、自身であること Selbstheit によって規定されることによってそのようにあるのであり、
    そのことによって、現存在は、私-自身 Ich-selbst として、君-自身へと関わることが可能になるのである。

最初のハイデガーの命題「現存在は、自身を望むことによって現実に存在する」を
「自身であることによって規定される〔こと〕」と言い換え、
それによってはじめてオンティッシュな「Ich-selbst」と「Du-selbst」の関係、
「我Ichと汝Du」の関係が可能になるとしている。

この後も興味深い内容が続くが、
以上で >>760 の読解・要約すなわち

 > 「人間が利己的にか利他的にか関わらせ得る制約」「人間が他人のために
 >犠牲になる」ことと「人間が自分自身のために実存する」ことは両立する。

がいかに不正確であるかを示すには十分だろう。

833 :830:2014/09/20(土) 02:58:17.46 0.net
念のために書いて置くと
レヴィナスの批判があたっているかどうかとは関係なしに
>>760 の読みが、引用されているハイデガーの原文から可能かどうか、というコメントです。

レヴィナスの批判があたっているかどうかを検討するには
レヴィナス自身の、時期によって微妙に異なっている立場の詳細な検討も必要になります……。

834 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 08:30:45.29 0.net
レヴィナスの議論は哲学の手順を踏んでいないから、哲学ではないんだよ。
別にこれは、古典的な哲学者の議論に依拠していなからとか、そういった
哲学学的な意味で言っているのではない。哲学には、共通の理解を確認しながら、
その共通の理解を遡るという手順しかない。議論がその手順を踏まないとき、
いくらその議論に哲学者の使う概念がちりばめられていたとしても、それは
もはや哲学ではなく、教義の訓示にしかならない。

835 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 08:44:01.76 0.net
レヴィナスの議論は哲学の手順を踏んでいないから、哲学ではないんだ

>哲学には、共通の理解を確認しながら、
>その共通の理解を遡るという手順しかない。議論がその手順を踏まないとき、

そりゃあんたが勉強不足なだけだよ。レヴィナスの議論にはきちんと手順も手続きもある。
それこそ熊野氏のレヴィナス入門でも読んでみたら?

836 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 09:18:56.11 0.net
>それこそ熊野氏のレヴィナス入門でも読んでみたら?
>>835 レヴィナスの著作なら邦訳が出る前から読んでるよ。

>>763で、他の人が引用してたけど、哲学ではない訓示の典型例だな。

>《レヴィナスのいうルスポンサビリテがふつうにいう責任[傍点]であるならば、それは引きうけられもし、果たされもするだろう。ルスポンサビリテは、
>しかしレヴィナスにあっては、いっさいの受動性よりも受動的な『受動性(パッシヴィテ)』であり、対となるどのような『能動性(アクティヴィテ)』も考えることのできない受動性である。それは能動的にはけっして担われることができず、
>ひたすら受動的に課せられる、むしろ責め[傍点]である。受動的であるからこそ打ち止めがなく、取りつくしようもなく、つまり無限[傍点]なのだ。》

837 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 09:25:12.85 0.net
きちんと手順を踏まない、ハイデガーの思索の手順を自分でたどってみることも
しないから、レヴィナスからは、現象学、つまり、哲学そのもののトンデモ批判しか出てこない。
むろん、ここで、現象学を哲学そのものとするのは、ハイデガーに同意してのことであるが。

838 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 09:56:53.10 0.net
ただの決め付けにすぎない。

839 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 10:01:16.37 0.net
>>834
>哲学学的な意味で言っているのではない。哲学には、共通の理解を確認しながら、
>その共通の理解を遡るという手順しかない。議論がその手順を踏まないとき、
>いくらその議論に哲学者の使う概念がちりばめられていたとしても、それは
>もはや哲学ではなく、教義の訓示にしかならない。

すると、ギリシャ哲学と言われてる人たちの多くは哲学じゃなくなんないか?

840 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 10:35:25.04 0.net
熊野純彦の「他者」とか「隔たり」とかが何を意味しているのか
説明が一切ないね。熊野スレの熊野信者の程度が知れるよ。

841 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 12:48:19.52 0.net
>>829-832
その本のことは知らないけど、君の引用、解説部分でいえば、今回の話題とは論点がずれてるんじゃないかな?
君は基本的に論点が理解ができない、やや日本語の理解に難ありタイプ、なのかな?
横で悪いんだけど。

842 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:20:06.98 0.net
他者とはキリスト者のこと

843 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:45:12.00 0.net
哲学書を読もう。もうそれしかない。

844 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:46:15.68 0.net
スノッブが三流ってのが一番しんどい。

845 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:47:25.24 0.net
スノッブをやれるのは教養人だけ。

846 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:52:05.95 0.net
レヴィナスを批判するなら対抗馬にまずアドルノもってくるでしょ。

847 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:52:40.53 0.net
評論家の本とか翻訳のななめ読みで哲学を論じるスノッブって、
AVを見てセックスを語る童貞みたいなものだと思うけど、
そんな人たちが熊野純彦に絡んでくるのが謎すぎるな。
まあ熊野がそういう意味でイケメンのヤリチンすぎるから?
2ちゃんみたいな場所で童貞に妬まれるのも仕方ないのかもしれないけど、
端的に言って住んでる世界が違うんだから気にしなきゃいいのにな。

848 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:54:51.56 0.net
>>847
哲学者なの?

849 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 17:58:51.88 0.net
妬みっていうか読者氏の反論が無茶だったからそれに文句を言っただけ。
そこから嫌味が沸いてきて苛立っているのが今。

850 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:01:54.51 0.net
すむ世界が違うんだから熊野を読むな、か。

851 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:02:53.22 0.net
哲学もやりたい。変えたい。

852 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:07:59.11 0.net
「現存在」、「存在」、「存在者」は、ハイデガーではない他の人間が論じても、
「現存在」、「存在」、「存在者」だけど、レヴィナスの「他者」はあくまでも
レヴィナスの「他者」でしかなく、別の論者が「他者」について論じる場合、
「他者」という言葉で何を言い表そうとしているのか、てんでバラバラだから、
何を論じてるのかすら不明になる。

853 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 18:19:14.58 0.net
レヴィナスの言葉は、哲学というより、むしろ、タルムードかファトワ―の類だな

854 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 19:57:05.80 0.net
>>849
どこが無茶?
君に日本語の読解力がないだけだよ。

855 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:06:28.18 0.net
ハイデガーの著作、主要講義録、レヴィナス、熊野の著作を読んでからまた来る。
読むといったら読む。

読まず、知らずにものを言うのは厳しい。

856 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:07:30.03 0.net
素人の肉体じゃ機関銃をもった軍人には勝てない。

857 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:09:10.90 0.net
市民の自立とは何を意味するのか、漠然と幻影が見えた。

858 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:10:38.49 0.net
住む世界が違うというのは確かにその通り。

859 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:11:51.47 0.net
>>847
巧い譬えだな〜

原典読解がsex 評論がAV 学者がリア充
スノッブがAVでsex に妄想抱いた童貞くん

巧い、童貞くん評論で妄想膨らませず、
地道に原典読解して経験積もう
語るのは、それからだ

860 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:15:50.87 0.net
もともと熊野支持者がよそのスレでステマやって哲学愛好家を誘い込んだ。
熊野の本を売り込みたかったのかも知れないが、一般の哲学愛好家に訴求できるほどのレスもなく、かえって身内で仲間誉めをしてるだけの解釈学者に過ぎないんじゃないかと思わせただけだった。
レヴィナスなどに関心がある愛好家は少ないし、マルクスでは熊野支持者には荷が重すぎる。

ハイデガー理解では、支持者がいくら一夜漬けをしようと、読者氏などの熱心なハイデガー研究家にはとても太刀打ちできない。
他人を貶したり、他人の著作を持ち出して権威づけようとするのが精一杯だ。
やっぱり、熊野支持者は自分たちだけで解釈を楽しんでいるのがいいと思う。

861 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:22:08.92 0.net
熊野はハイデガーを理解していない、とか、いかがわしいとか、これはどうかと思う。
としか言えないけど。

862 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:24:03.73 0.net
読者氏は無茶であろうと思う。思うが力及ばずそれ以上何も出来ない。

863 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:46:42.12 0.net
でもここにちゃんだけど。

864 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 20:56:26.82 0.net
>>861-862
熊野氏を神格化しちゃったんだね。

それだと、哲学なんかやる意味ないんじゃない?

865 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:00:19.10 0.net
神格化してません。

866 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:08:32.36 0.net
>>865
熊野氏の間違いをいくつか指摘してごらん。

867 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:12:58.65 0.net
熊野は通説を踏まえた固有のハイデガー理解をもっているだろうと思っただけです。
これは単なる臆断、信仰、神格化と言えるかもしれない。

ともかく、ここから導かれて読者氏の熊野をレヴィナスと等値して、それらを共に神学として批判し去る批判を見たときに、それは違うだろうと思った。
しかしそれもまた不十分。

868 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:15:27.46 0.net
熊野エライ=俺エライのかわいいガール大好きおじさんがいなけりゃ
熊野氏もwebでこんな軽く語られなかったろうに
不憫でしかたない

869 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:16:32.04 0.net
惰性で首を突っ込みすぎた。今度は主体的に介入できるようになりたい。

誰も批判できないんだから、今は読者氏が正しいとせざるを得ない。
自分も十分な批判は出来ないので消えます。

870 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:19:18.73 0.net
>>867
>読者氏の熊野をレヴィナスと等値して、それらを共に神学として批判し去る批判

読者氏が、熊野をレヴィナスと等値している、という意味で書いたんなら、読者氏のレスの主旨を取り違えてるよ。

871 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:25:55.76 0.net
読者氏は、ハイデガーは他者の死を「存在と時間」で扱っていたとする読者氏。
しかしそれは存在的な次元においての話。
死は存在論の次元に属する、その次元における他者の死の扱いは「存在と時間」には恐らくないだろう。
存在論の書である「存在と時間」が、他者の死の存在論的な考察を欠いている。ここは足りないのではないかと思う。

872 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:27:09.57 0.net
臆断。これには何の意味もない。
惰性で臆断を垂れ流してしまった。
それを避けるためにも原典を読んで理解したい。

873 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:36:05.94 0.net
本当は臆断すらない。

874 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:38:46.72 0.net
ただ、本当にハイデガーの死の概念はそんなに拡いのか。

875 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:41:13.13 0.net
そして無、死はあるのか。

876 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:46:12.21 0.net
自己の死から世界を構築するハイデガー。
そこにおいて他者の死は二義的。

877 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 21:53:02.98 0.net
○二次的

自重する。

878 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 22:04:15.68 0.net
ps
自己の死からもたらされる能動性には疑問を付せられるべきと思う。

879 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 22:06:00.23 0.net
「存在と時間」には、有としての他者の死からもらたされる受動的能動性の契機が、存在論的に考察されているか。
引用文からすれば、存在的かつアイロニカルに触れられているだけのように見える。

880 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 22:08:24.72 0.net
《いかなるひとも他者から彼の死を取り除いてやることはできない
のである。誰かが「他者の代わりに死んでやる」ことなら、たしかに
できはする。けれどもこのことは、つねに、「或る特定の事柄において
」他者の代わりに犠牲になってやることにほかならない。》

自己の死からもたらされる、主体的能動性をもって他者の死と存在的に関わる事だけが可能なのだと言われてはいないか。

881 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 22:10:40.68 0.net
自己の死によって先立たれる主体性と、その後に存在的に見出される他者。
それに対する、他者の死をも含む、痛み-有としての包括的な死によってもたらされる、受動的主体性によって存在論的に見出される他者。

882 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 22:17:32.43 0.net
本当にハイデガーの死の概念はそんなに拡いのか。

883 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 22:20:33.12 0.net
自己の死は経験できないが、他者の死は経験できる。

884 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 23:19:12.21 0.net
現存在は、他の存在者の死からの照返しによってしか自らも死すべき存在者であることを知るこどができない。

885 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 23:23:19.23 0.net
痛みが自分の痛みであることを知るのは、他人の痛みを自分が感じないことによってでしかない。

886 :考える名無しさん:2014/09/20(土) 23:26:14.05 0.net
レヴィナスの他者論はそもそもハイデガーの「現存在」の概念を全く理解していない。

887 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 00:03:14.09 0.net
痛みが自分の痛みであることを知るのは、他人が自分の痛みを感じないことによる、
というのが俗な理解の仕方だ。だが、その理屈で言うなら、他人が自分の痛みを
感じているか否かは判断する術がない。他人の痛みを自分が感じないことが、
自分の痛みを他人が感じないことと同じであると了解するからこそ、痛みは
他人の痛みではなく、自分の痛みとなるのだ。

888 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 00:13:27.05 0.net
シュミット、デリダ-サール論争も読まないと

889 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 00:18:34.81 0.net
忘れないようにチラ裏にでも書いとけ

890 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 00:19:27.59 0.net
何でデリダに至るまでコミュニケーションの不可能性について考えられてこなかったのかな

891 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 00:24:14.93 0.net
>>890
>実際の実存的な分かち合い[Mitteilung=伝達]によってはじめて、
>ある現存在が他の現存在と一つの世界を共有する可能性が構成されるわけではありません。
(現象学の根本問題、p.477)

892 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 05:08:57.52 0.net
>>888
熊野先生はそんなことやってない
出直してきな

893 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 09:44:15.25 0.net
現存在にとって、他の現存在の死とそれ以外の存在者の崩壊はどう区別されるのか

894 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 09:47:54.30 0.net
それから、現存在は挫折した時、もしくは不自由、また死以外の不可能性をどう捉えるのか

895 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 09:49:36.54 0.net
自己の非本来性に気付いた後に、現存在としての本来性において実存に関わろうとした時、その可能性が不本意なものしか残されていないとしたら、どうするのか

896 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 09:50:36.71 0.net
現存在の本来的な不本意さをハイデガーはどう扱うのか

897 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 09:53:37.25 0.net
世界内存在としての現存在が、世界において親しく住まえないとしたら

898 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 09:54:11.06 0.net
世界とは

899 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 10:01:05.75 0.net
>>893
それについては、ハイデガーが「存在と時間」で触れてたな。

900 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 10:07:22.46 0.net
人生論的に読みすぎか
学ってなんだ、それは人生論とどう区別されるべきか

901 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 10:37:20.55 0.net
お、丁度学問論が来た
一部、一編、一章、十節

902 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 10:41:15.26 0.net
>>829->>832
 読んだけどもこれで>>832最終節の

>この後も興味深い内容が続くが、
>以上で >>760 の読解・要約すなわち

 > 「人間が利己的にか利他的にか関わらせ得る制約」「人間が他人のために
 >犠牲になる」ことと「人間が自分自身のために実存する」ことは両立する。

>がいかに不正確であるかを示すには十分だろう。

 が言えるというのは誤りでしょう。わざわざ原文対照で訳してくれて
御苦労さまなんだけど、あなたの長い原文対照は創文社版全集9巻『道標』
194頁、クロスターマン版Band 9『Wegmarken』157頁での鍵となる文

 現有はそれ自身のために実存する

 原文:Das Dasein existiert umwillen seiner

 に表されている内容を細かく説明してくれた。それだけのことなので、
それだけで私の言うことが反駁されて行く訳ではない。貴方が
よく引用してくれているように、この命題とは、まさに私の概念でいう
有の振幅をハイデッガー自身が細かく説明している部分にすぎない。

903 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 10:43:31.31 0.net
903つづき

 あえて貴方の言い方で言いなおせば<人間が「それ自身」を「利己
的」か「利他的」にかどちらかの仕方で関わり合わせ得るということ
を可能にする>有的な態度とは有論的にいう<現有はそれ自身のため
に実存する>の具体性であり後者に包括されている。包括されている、というところを
貴方は長く原文対照で説明してくれた。貴方がやってくれたのはその
こと である。

 たしかに「現有」とは有論的な概念、「人間」は有的、という違いは
あるけども、そこで立論そのものを誤りだとする大きな誤りはない。「有る
sein」の場所・時間 Da こそが人間だという意味でなら、そう大きな
違いはない。

 貴方のへは最後の反論以外はおおむね同意でいい。ただ
あれは反論にはなっていない。ただ細かく具体的にやってみせた、と
いう だけですね。反論だと思っているならそれもまた問題で読みがお
かしい ということになる。

 あえて言うなら、原文対照するほどの話ではない。しても出てくる
結論は 変わる訳ではない。熊野氏の誤りも変わらない訳である。

904 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 10:46:11.65 0.net
>>900
検証可能性や反証可能性があることっすね

905 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 10:55:37.55 0.net
受動的主体性、言い換えれば責任概念はハイデガーの理論の中のどこにあるのかという話じゃないの?
それは現有論から導き出せるのかどうか。

906 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 11:01:25.51 0.net
現存在にとって他者の死ってなんなのよ。

907 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 11:02:05.86 0.net
それはどう包括されてるんだ?

908 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 11:06:23.13 0.net
>>904
なるほど。
フッサールも読んでみます。

909 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 11:15:17.46 0.net
ハイデガーとレヴィナスの、それぞれ対象的な死の概念を対比しているだけだよ。
ハイデガーは死を現存在自身に固有のものと見て、そこから専ら能動性のみを引き出す。
レヴィナスはそれに対して死の受動的な側面を改めて提起し、更に、他者の死のもたらすものを問う。

910 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 11:17:20.59 0.net
ハイデガーの死の捉え方が、取りこぼしたものがあるのではないか、そういう事ですよ。
ハイデガーの死の捉え方が、一面的であることは否定でき無いんじゃないかと思う。

911 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 11:26:19.31 0.net
ハイデガーの死の捉え方が一面的なのではないか、と問う事がどうしてハイデガーの無理解を証す事になるのか良く分からない。

912 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 11:33:57.79 0.net
動画で提起されてるのは、ハイデガーの死の捉え方の一面性と、それがもたらす、他者への応答の契機の欠如についての疑問だと思う。

913 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 12:06:03.88 0.net
「存在と時間」は特殊な感じがする。主体性を自明のものとしない。

914 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 12:08:13.45 0.net
本文の表現で言うと自我、主観。

915 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 12:11:49.70 0.net
主観を前提とする事を明確な方法意識に基づいて廃するという発想は面白いです。

916 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 12:41:48.60 0.net
>>886
そんなにハイデガーを持ち上げるなよ。
留学中の伊藤氏からもらった岡倉天心の『茶の本』を読んだ
直後『存在と時間』のペンが進んだんだよ。

917 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 13:57:31.85 0.net
>>916
その出典教えてくれよん
あと、鈴木大拙の説をこれがやりたかったことだといったという出典
こっちは孫引きは多いが根本的な典拠が分からないっす

918 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 14:44:32.25 0.net
てか、日本人がハイデガーの存在論を理解することが難しいとすれば、
それは西洋の哲学の伝統をよく知らないからというより、ハイデガーの
論じている存在の態様が日本人には当たり前すぎて何をわざわざ問題に
しようとしてるのか分りにくいからだろう。

919 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 14:50:47.92 0.net
「有論」とかキモいわ。普通に「存在論」と言えよ。
あと「ハイデッガー」じゃなくて「ハイデガー」な。
ただでさえ、ナチス関与で胡散臭く思われてるのに、
大政翼賛に加担した京都学派のイデオロギーが滲み出た党派的な訳語は要らん。

920 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 14:52:02.75 0.net
日本人が存在論を研究するのに、哲学や聖書の解釈を意図的にタルムードなどの
ユダヤ教の教義と関係づけようとしているレヴィナスの研究を通してやろう
とするのは、ユダヤ教文化を研究したいという動機があるのでなければ、とても
奇妙な話。哲学の営みは神学的な前提から自らをふりほどくことに努めてきた
のだから。東洋哲学を研究したいわけでもないのに、仏教講和を通して哲学を
研究するようなものだ。

921 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:05:29.89 0.net
ハイデガーは、人間の存在について問わないという点で、ギリシア的人間観と共にキリスト教的、神学的人間観を批判してる。
つまり、神学には存在論がないから駄目だと言ってる。

922 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:06:48.72 0.net
そうすると、存在論はなぜ必要なのかという事になる。
この必要が明らかになり、そのうえでそれに整合する限りならば、何をしても特に問題は発生しない。

923 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:08:15.22 0.net
ハイデガーにとって存在とは何か、その論点が必要だと思う。

924 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:10:19.64 0.net
科学的、神学的、哲学的、その他○○的に語っていていけないのは、存在論がかけている限りにおいてであるという事になる。
そういう意味では、存在論さえあれば、何をどう語ってもいいのではないか。

925 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:11:15.89 0.net
>>921
典拠示さないとなあ

926 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:11:51.06 0.net
×科学的、神学的、哲学的、その他○○的に語っていていけないのは、存在論がかけている限りにおいてであるという事になる。
○存在論を欠いて、科学的、神学的、哲学的、その他○○的に語るのがいけないのだ、それは天下り的になるから、という事だと思う。

927 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:18:00.81 0.net
>>925
「伝統的人間学にとって、重要な源泉である、ギリシア的定義と神学的手引きから暗示されるのは、
「人間」という存在者の本質規定をめぐって、その存在者の存在への問いが忘却されたままであり、
この存在はむしろ、その他の被造物が目の前に存在しているのと同じ意味で「自明」なものとして把握されていることである。」
『存在と時間』第一部 第一編 第一章 第十節

これは批判とは言えず、伝統的人間学や、近代の実証科学における存在論の欠如を指摘に留まるかもしれない。

928 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:20:47.49 0.net
その本質において、存在について問いつつ、それに関わり続ける存在者-現存在の特殊性が明らかになる。

929 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 22:27:41.48 0.net
>諸学科における存在論の欠如を示す事で、

930 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 23:01:17.99 0.net
>>927
>921の典拠にはならないじゃないの

931 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 23:07:20.92 0.net
>>930
>>921は勇み足に過ぎた。
確かにこの部分でハイデガーは、ギリシア的、キリスト教的人間観には存在への問いが忘却されている、とは言っているけども、
それが無いから駄目だ、とまでは言っていない。

932 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 23:21:24.92 0.net
ここで注目されても良いと思うのは、ここでキリスト教的人間観と共にギリシア的人間観も存在を考慮に入れず、現存在の分析論を不可能にするものとして、
前者と並べて解釈されている事。
つまり現存在分析を不可能にすると言う点において、キリスト教的人間観と、ギリシア的人間観は同等であるとされている。

933 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 23:27:15.05 0.net
だから宗教的なレヴィナス研究を批判するに当たってまず問題とされるべきは、それが現存在分析を不可能とするようなものであるか否か。

934 :考える名無しさん:2014/09/21(日) 23:40:15.74 0.net
熊野先生は宗教的崇拝対象デス!

935 :考える名無しさん:2014/09/22(月) 00:43:04.99 0.net
在特会について全然知らずに発言してしまった

936 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 00:31:19.73 0.net
そもそも『存在と時間』という訳がおかしい。存在は神を意味する。
人間は現存在だ。人間に時間はあるが、神に時間はない。
>>917
伊藤吉之助と言ったかな、今道友信の恩師がドイツ留学中、ハイデガーの
個人教授をすっぽかしたお詫びに『茶の本』のドイツ語訳をプレゼント
したんだ。

937 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 00:37:24.03 0.net
>>936
自分もそう読みたいんだけど、いいのかねえ?

938 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 08:10:31.30 0.net
熊野純彦先生はハイデガーの生まれ変わりだよ

939 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 10:38:39.33 0.net
家に在/不在であるのと、家に有る/無いのとでは、存在の様態が違う

940 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 10:42:39.35 0.net
>>939
 そこらへんは用法と文脈次第でしょ
 記号に一義的意味があると考えるのは間違いの元

941 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 10:43:33.53 0.net
>熊野純彦先生はハイデガーの生まれ変わりだよ

石黒ひでや北川東子の類と同類だろう

942 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 10:46:23.59 0.net
>記号に一義的意味があると考えるのは間違いの元

一義的意味に一義的意味があると考えるのが間違いの元でわ?

943 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 10:50:35.11 0.net
>>942
 そりゃこの場合は、唯一無二の意味、指示内容ということを指してるって流れからも、文からも分かると思うが

944 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 10:50:44.79 0.net
>人間は現存在だ。

これ、最近、亡くなった木田氏お得意の曲解だね。
現存在が人なのであって、神や動植物や無生物と区別される人間が現存在なのではない。

945 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 10:52:48.88 0.net
ハイデガーの「存在と時間」を神学の一種にしたい人がいるみたいね、このスレ

946 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:07:49.28 0.net
ハイデガー以前の哲学の成果をフルに踏まえて「存在と時間」を読めればもっと楽しく読める。
今は「存在と時間」をただ読んでるだけ。その読みがどんなものか、どうなるか、全く把握できない。

947 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:12:16.88 0.net
ハイデガーは哲学は異常な事を、異常に問う事だと言ってる。

948 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:13:57.87 0.net
つまり、存在を問わないと、存在者がカテゴリカルに、日常的に、規定されてしまい、異常な事を問えない。
異常な事を問わないので、その問いの意味についても、異常に問う事が出来ない。

949 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:15:06.56 0.net
普通の弁護士は、法律の意味を問わない、だから法律の意味を問うてしまう自分をも問わない。

950 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:17:38.96 0.net
現存在ではなく、存在を忘却した人間になる。

951 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:19:44.73 0.net
神学が何を意味するのか分からないが、存在を忘却する為に「存在と時間」を読むという事は可能だろうか。
神学的に「存在と時間」を読むという事は可能だろうか。

952 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:20:35.21 0.net
神学的な「存在と時間」の読みがどういう読みなのか興味がある。

953 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:21:45.71 0.net
レヴィナスのハイデガー読解は神学的であるという批判があったと思うが、そこについてご教示頂けるとありがたい。

954 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:40:34.13 0.net
上に挙げられた動画を見る限り、ハイデガーの死の概念の狭さを批判するレヴィナスこそが、より存在論に近いのではないかと思う。
人を現存在の位置に置くのは、単なる自己の死ではなく、他者の死。
他者の死こそが死だ。

955 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:44:21.98 0.net
唯一無二とは、天下統一の話で、自分以外の正統性は認めない、
自分以外の正統性を主張することは禁ずるって意味だよ。万世一系と同じ。
存在=神なら、存在という言葉が必要ないか、神という言葉が必要ないか
どちらかだな。どちらにしてもユダヤ・キリスト教の人格神ではない。

956 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:46:37.36 0.net
レヴィナスの専門家の内田樹氏によれば、レヴィナスの他者とはほんどんど
死者のことらしいんだけど、既に死んでる死者が死ぬってどういうこと?

957 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:47:21.07 0.net
死に先立って他者を前提としてしまう事は不適当ではないかとも言える。
その点に関して、動画で熊野はレヴィナスの議論を引きつつ、「世界は無ではありえないのではないか」という問いを提起する。

958 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:54:21.85 0.net
他者の死は、外部から非カテゴリカルに人間に到達する。

959 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:57:18.20 0.net
死を自己の死に限定するのは恐らく不適当だと思う。
死そのものを考えると、無になってしまい、呼び声とはならない。

960 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:58:13.86 0.net
とすると、自己のそれでも、単なる無でもない、他者の死こそがより包括的であると言えないか。

961 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 11:59:28.95 0.net
○他者の死のみが、具体的で、包括的

962 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 12:00:47.10 0.net
他者の死は、神学的か、それとも存在論的か。

963 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 12:01:15.17 0.net
>ハイデガー以前の哲学の成果をフルに踏まえて「存在と時間」を読めればもっと楽しく読める。
>今は「存在と時間」をただ読んでるだけ。その読みがどんなものか、どうなるか、全く把握できない。

努力するのはいいんだけどさ、そういう人って、往々にして、自分が心血注いで努力した
分だけ、自分の理解は絶対的だと思い込んじゃうんだよね。この詩を本当の意味で
理解できるのは世の中で作者以外には私だけだ、とか。

964 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 12:01:44.52 0.net
自己の死という考え方は、近代的な感じがする、

965 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 12:05:36.55 0.net
>>963
自分は、そんな事をいう必要はなさそう。

966 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 12:06:54.80 0.net
死ぬのは常に他者だが、その死を悼むのは常に生きている存在者だ。

967 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 12:10:06.55 0.net
一行の人はツイッターじゃないんだから
もうちょっとまとめて書いてください
他のスレでもそうだけど

968 :966:2014/09/23(火) 12:11:26.21 0.net
了解しました。

969 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 13:04:30.61 0.net
他者の死は捉えられるが、自己の死は生とともに夢か現が
判断しかねる。

970 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 13:46:44.79 0.net
>>963
半端だとそうなる
そこを抜けると自分の読みが如何に一面的か分かるようになる
そこを抜けてはないので、その先は分からないが

971 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 13:50:26.65 0.net
ああ、「形而上学入門」には無の効用が説かれている。
無を存在者に対置する事によって初めて、目の前にある個別の存在者ではなく、全体としての存在者というものが、そしてそれに応じて初めて存在というものが与えられ、
そこにおいて漸く人は、「なぜ一体存在者があるのか」問いを、現存在として問う存在者となると言われている。

やhり「存在と時間」通読してから書き込みたい。

972 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 13:53:51.04 0.net

ああ、「形而上学入門」には無の効用が説かれている。
存在者に対して無を置いて初めて、存在者が目の前にある個別の存在者ではなく、全体としてのそれとして与えられ、それに応じて初めて存在について問う事が可能になり、
そこにおいて漸く人は、「なぜ一体存在者があるのか」問いを、現存在として問い得る存在者となると言われている。

やはり「存在と時間」通読してから書き込みたい。

それ以前に自分の無責任さを何とかしたい。

973 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 18:28:49.96 0.net
ハイデガーという人格で思索をすべて統合できると考えることが既に罠なんだよね
人は常に対話している。いろんな矛盾もはらみながら、疑問も抱きながら生きている。
表現しようとするときには、そういうものが一緒になって現れるわけで、統一的に
理解できるものを統一的に理解しようとするのはいいんだけど、すべて都合よく
まとめられると考えるのは幻想にすぎない。

974 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 20:28:29.33 0.net
ハイデガーは自らの存在論でカント、フィヒテ、ヘーゲル、ライプニッツ、
アリストテレス、プラトン、などの哲学を解釈して利用しているが、それぞれの
哲学者の研究者に批評されれば、いくらでもハイデガーとは異なる解釈が出てくる
だろう。統一された解釈がなければ、それらの哲学者の議論を利用することが
できないのであれば、当然、「存在と時間」のような著作は書けないし、
異なる解釈を取り入れようとしたところで、必ずしもハイデガーの議論が深まる
ことにはならない。そもそも、ハイデガーは、他の哲学者の使った概念を
その哲学者が意図したのとは違う形で応用することが極めて多い。

975 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 21:16:11.74 0.net
次スレだが、かわいいガール大好きスケベおっさんの話題は
なんJ ネトオチ 既女 版のどっかでやってくれ
下種の話題は迷惑だ

976 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 21:32:15.52 0.net
だよね〜、そういう噂話はよそで〜よろ〜

977 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 21:36:52.85 0.net
重複であまってる
Martin Heidegger 1889-1976
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/
ででも続きやればいい

978 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 21:59:37.22 0.net
ネットでホラばっかりふいてたら
ネットで致命傷を負わされてやんの
自業自得だな
それでもツイッターやめないって、中毒かなんか?

979 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 22:03:19.83 0.net
熊野先生のアカデミックな交友関係とか交流の方が興味があるわ。
海外の哲学者や思想家とは交流しないの?

980 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 22:07:22.84 0.net
よめるだけでしゃべれもしない語学に不自由な専門家は

駒場では落第生。

今や哲学分野では、

駒場にのこれない=本郷に島流しとの評判だもん。

981 :考える名無しさん:2014/09/23(火) 23:34:39.00 0.net
次スレ立てたよー
【差異】熊野純彦 Pt.2【隔たり】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1411482831/

982 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 00:42:49.89 0.net
熊野スレが哲学板でこんな人気スレになるとは思ってなかったw

983 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 00:43:38.71 0.net
Emmanuel Levinas: The Problem of Ethical Metaphysics
Edith Wyschogrod

Is there still another reason for accepting the Torah long after the events
at Sinai? Levinas asserts that there is. Israel, in accepting its lived history,
affirms the value of Torah itself. Exposed to the perils of violence that belong
to ontology as such, only Torah has the power to resist this violence.
It is a potent no-saying to the domination of totality. For Levinas, Torah
provides a way beyond ontology.

984 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 00:44:55.70 0.net
Torah, Torah, Torah

985 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 00:57:36.71 0.net
>>982
ステマ効果。

だけど内容がないから、次には続かないだろう。

986 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 01:02:10.09 0.net
『「つ」けま「つ」げ』の「つ」に共通性を感じられるような感覚がないと
本当の意味でハイデガーの著作は楽しめないのではないかと思う。

987 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 08:28:08.11 0.net
オノマトペは慣習的なもので、普遍性がないと言われ、オノマトペに基づいて
議論すると馬鹿にされるけど、音の象徴性には馬鹿にできないものがあると思う。
私には、日本語の「つ」にも、ドイツ語の「zu」にも、2つのものが近づいて
接触するというイメージがある(舌と口蓋の閉じる動き)があるし、「ほ」も
両方の言語で空洞のイメージがある(口内に空胴を広げる)。その一方で、
日本語の「つ」は、英語では「apply」に見られるように「ap」に対応して
いる場合が多いように感じられる。語源的に「ap」は、「ad」であるらしく、
「at」と類縁関係にある。「apply」は、「つける」、「つぐ」、「つとめる」
などに対応し、漢字で表せば「当」に近いイメージがある。「国つ神」、
「沖つ波」、「天つ風」の「つ」は、場所を表すとされ「at」に対応すると
思われ、「1つ」、「2つ」の「つ」は、「1に当たる」、「2に当たる」の
ような相当関係を表していたのではないかと推測している。

988 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 08:40:11.36 0.net
想起されるイメージというのは多様であり、一義的な結論には至らないというのは
確かだ。ただ、そのことをもって、そのような曖昧な議論は論理的ではないとして
排除するのは、現実の関係の多様性そのものを排除することになるだろう。

989 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 02:48:22.45 0.net
マルクス資本論の思考を読んでいるが、やはり熊野純彦は天才すぎるわ。叙述の仕方が緻密で、読者をマルクスへと巧みに引き込む力がある。世界的に見て、哲学業界で熊野に勝てるやつなんて本当にいるのかよという感じだ。

990 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 08:55:04.21 0.net
ステマとか、人格崇拝はいいから、内容書けよ

991 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 10:22:44.39 0.net
こういうのだいたいかわいいガールおじさんがやってる

992 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 10:33:07.83 0.net
熊野という人も素人の怖さを知らない温室育ちなんだろうな。

海外のインタビューなんかだと、まったく遠慮なく弱点を追求してくる。
日本だと、先生様に異論のあるはずはございません、というインタビューがほとんど。

その上周囲は就職先を求める部下ばかり、なのかな?

993 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 11:00:21.10 0.net
>>992
素人の恐ろしさを知る野人は、素人にどういう対応するん?

994 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 11:34:51.56 0.net
>>993
某思想家は、職業としての専門家の著作であろうとと、無名の人からの手紙であろうと、自分に対する批判にはすべて回答、反批判をした。
もちろん周囲に集まる人たちとは、忌憚のない意見の交換もしていた。

自宅に訪ねてくる人には必ず面会もした。
相手が病院に行った方がいいような人の場合も、自分を攻撃してくる可能性がある場合でも。
そしてそういう人たちの言動からも、なにごとかを受け止めて自分の論考の糧とする場合もあった。

それが、思想家としての義務でもあるという信念だった。

解釈学者であろうと、温室の中で自分に心地よい論考だけを楽しんでいては、偏った解釈になる。
まして、職業的利害にとらわれることなく、自分の解釈を続けている素人研究者たちには、温室の中にはない強い解釈があり得るということは知っておかなければいけない。

995 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 11:37:39.62 0.net
また吉本隆明信者か
大学人への罵倒の仕方で速攻バレる

996 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 11:38:42.07 0.net
995は大学に行ったことがないだけで大卒以上の全員に対して無根拠な優位感を抱くクチ

997 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 11:40:56.42 0.net
>>995
バレるもなにも、本人があっちこっちに書いてることだよw

自分が誰かの信者であるからといって、他人も同じだと思っちゃいけない。
普通の人はそれぞれ自分の考えの基に「自立」しているw

温室育ちになりたい君たちとは違うんだよ。

998 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 11:44:53.53 0.net
自立vs温室という思考停止をやめるべき
せめて生涯を閉じる前には

999 :考える名無しさん:2014/09/25(木) 11:46:47.46 0.net
>>998
自立と温室は思考停止じゃなくて、思考の始まりだよ。

それがわからないから、温室育ち。

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