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熊野純彦

1 :考える名無しさん:2013/09/16(月) 18:02:19.89 0.net
『存在と時間』とカント三批判書の翻訳をしながら、
『資本論』の読解本を出すとは驚異的な仕事量ですね。

829 :1/4:2014/09/20(土) 02:43:53.26 0.net
>>760 では >>751 で指摘したのと同様な基本的な読み間違いが生じている。
日本語訳で落ちているニュアンスから生じている問題なのかもしれない。

まずは、大きなコンテクスト。
この段落までに「世界の-なかに-存在すること」のオンティッシュな解釈とオントローギッシュな解釈が
歴史的に振り返りながら対比されている。

この段落もそうした対比を引き継いで、>>751 と同様の「世間で良く言われる言い方」と
ハイデガーが示したい事柄が対比されている。

問題の段落は次の様に始まる。

 Der Satz: _Das Dasein existiert umwillen seiner_, (_イタリック_)
     enthaelt
   keine egoistisch-ontische Zwecksetzung fuer eine blinde Eigenliebe des jeweils faktischen Menschen.
 「現存在は、自身を望むことによって umwillen*1 seiner 現実に存在する」という命題 Satz は
   それぞれ事実的な人間の盲目的な自己愛のためにオンティッシュな意味で我を利することを目的とする、
     ということを含意していない。
  *1 umwillen は willen との関係をハイデガー自身が語っているのでこのように訳しておく。

この冒頭部分で、ハイデガーがこの前の部分から述べている「Das Dasein existiert umwillen seiner」は
オンティッシュな意味で、人間が自分のために自分の利益になるように行動する、といったことは
全く意味していないのだ、と強調している。

830 :2/4:2014/09/20(土) 02:44:59.44 0.net
>>829

続く部分で、ハイデガーはこのこと〔彼が言いたいのはオンティッシュな次元の話ではない〕を
「世間で良く言われる反論」を引用することで、改めて説明している。

 Er kann daher nicht etwa durch den Hinweis darauf ≫widerlegt≪ werden,
   dass viele Menschen sich _fuer die Andern_ opfern
     und
   dass ueberhaupt die Menschen nicht nur fuer sich allein, sondern in Gemeinschaft existieren.
 それが意味するのは daher、この命題は次の様に指摘したからと言って
 決して≪論駁された≫ことにはならないということだ。
     つまり
   「〔そうは言ったって〕多くの人間たちが、「他の人間たちのために」自らを犠牲にするじゃないか」
     とか
   「一般的に、人間たちは、ただ自身のためだけでなく、共同体において現実に存在するじゃないか」
     〔といった具合に言ってみたところで、ハイデガーの命題は反論されたことにはならない〕

ここで「自己犠牲」の例が出てくるが、これはあくまでもハイデガーが述べているような
「Das Dasein existiert umwillen seiner」というオントローギッシュな話に対して
「自己犠牲」といった話はオンティッシュな話に過ぎず、関わりがない、
反論にならないという論旨である。

次の部分でも、引き続いて「ハイデガーの命題は、どのような意味ではないか」が示される。
 In dem genannten Satz liegt
   weder eine solipsistische Isolierung des Daseins
   noch eine egoistische Aufsteigerung desselben.
 先の命題には次のどちらも含まれていない。
   現存在を、独我論的に切り離して扱うということも、
   現存在を、我を利するような形で称揚しようということも。

831 :3/4:2014/09/20(土) 02:46:23.59 0.net
>>830

ここから「ハイデガーの命題は、では、どのような意味であるのか」になるが、
全集版の日本語訳はそれだけで読むと、もしかしたら、やや誤解を招くものなのかもしれない。

 Wohl dagegen gibt er die Bedingung der Moeglichkeit dafuer,
   dass der Mensch ≫sich≪ _entweder_ ≫egoistisch≪ _oder_ ≫altruistisch≪ verhalten kann.
 全く反対に wohl dagegen、先の命題は
   人間が≪我を利するように(利己的に)≫あるいは≪他を利するように(利他的に)≫
   〔そのどちらの形でも〕振る舞う sich verhalten〔≪みずから≫を制御する〕ことができる
 ようにするコンディション Bedingungを与えているものなのだ。

koennenが使われていること、
dass節の中では人間 Menschが使われておりDaseinが使われていないことに注意。 

オンティッシュに、
 世間的に言われるような「利己的に振る舞う」「利他的に振る舞う」
がどちらにせよ可能になるのは、
オントローギッシュに
 「現存在は、自身を望むことによって現実に存在する Das Dasein existiert umwillen seiner」からだ、
という話であって、利己的に振る舞う、利他的に振る舞うはあくまでもオンティッシュな世間的表現の例。

832 :4/4:2014/09/20(土) 02:48:34.53 0.net
>>831

次の箇所は、元々多くの代名詞相当の表現を持つ日本語だと分かりにくくなる箇所かもしれない。
やや説明的に訳す。
   
  Nur weil Dasein als solches durch Selbstheit bestimmt ist,
    kann sich ein Ich-selbst zu einem Du-selbst verhalten.
  〔つまり〕現存在は、自身であること Selbstheit によって規定されることによってそのようにあるのであり、
    そのことによって、現存在は、私-自身 Ich-selbst として、君-自身へと関わることが可能になるのである。

最初のハイデガーの命題「現存在は、自身を望むことによって現実に存在する」を
「自身であることによって規定される〔こと〕」と言い換え、
それによってはじめてオンティッシュな「Ich-selbst」と「Du-selbst」の関係、
「我Ichと汝Du」の関係が可能になるとしている。

この後も興味深い内容が続くが、
以上で >>760 の読解・要約すなわち

 > 「人間が利己的にか利他的にか関わらせ得る制約」「人間が他人のために
 >犠牲になる」ことと「人間が自分自身のために実存する」ことは両立する。

がいかに不正確であるかを示すには十分だろう。

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