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◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない239◆

1 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 01:51:31.04 0.net
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。

前スレ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない238◆
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1414255771/

44 ::2014/11/16(日) 17:56:36.09 0.net
考えが浅いな。重要なのは1/6ではなくて、一様分布だね。
1/6はサイコロの場合の特定の表現にすぎない。
一様分布とは何か?そこに鍵がある。

45 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 18:03:25.08 0.net
サイコロの話って元はなんだったか良く覚えてないし、他のレス相手にしてたから、それほど注視してなかったんだが
決定論スレの論点としてありうる論点なら
状態の古典的な確率混合と量子の重ね合わせ状態に関する論点
これが一つ
もう一つは、
確率を宇宙の分岐ととらえるか、事象の数学的表現ととらえるかという論点
多分この二点だろうが、後者は現象を簡易に表現する実用的な数値のとらえ方、用い方として有効である以上
仮に確率的な要素が必然だとしても、このような表現方法は数学的に用いられ続けるだろうし
このような表現を用いない煩雑さを考えると、用いた方が有効
現実的な現象として考えるなら、1〜6までの数字が必ず順番に出るサイコロ(ルーレット)を作ったとしても
その確率を表現する一つの手段として1の目が出る確率はP(x=1)=1/6という数式を用いるだろう
メカニズムが明確でない場合や煩雑な場合、確率を用いた方が実用的に数値を扱えるため、その表現自体で
メカニズムが無い、またはメカニズムは非決定的であると結論付ける事はできないし、同様に現象が必然ではないと
断言する事はできない
結局論じるなら論点は自然に前者、サイコロの目が重ね合わせの状態なのか、古典的な確率混合になるのか
という一点になる

って書こうと思ったら>>41に似たような事が書いてあったな
まあ、いいや、とりあえず書き込む


このスレってほんっとに変な時間に伸びるんだな
ビックリするわ
休みの日の午前中とかやる事ないのか?
平日の真昼間に伸びるスレだから常識は通用しないんだろうが、それにしても深夜に前スレが埋まって、あっという間にここまで伸びるってスゲーな
読むだけだったら対して気にならんが、書くと変な事を実感するな

えーと、とりあえず、変なヤツがレスしてたけど、特に哲学も科学も関係ないツマンナイレスだったから放置する
わるいな

ここから本題書くと本題が後に来るから先頭に書き直す↑

46 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 18:04:49.16 0.net
サイコロの出目の確率が1/6になるのは、正六面体を作ることによって
確率を1/6に近づけるという自由意志が働いているからでしょう。
サイコロを球体に作ったら、球面上のある点が頂点となる確率は何分の1ですか?w

47 :寝坊助:2014/11/16(日) 18:15:10.97 0.net
>>34
よかった
僕が「世界には可能性がある」と言うと、決定論者に猛反対されたことがあるんだよ
「世界は決定している以上、世界に可能性はない」と

あなたは僕と同じく、世界に可能性があることを認めるんですね?

48 ::2014/11/16(日) 18:20:56.58 0.net
>>42
物理の体系は時間において対称なので、未来の粒子の位置が予想できないなら
過去の位置も予想できなくなる
まあ、そういう化け物みたいな世界だから、真理とするには、解釈についても問題にしないといけない
あと、自由意志なるものがあることは、
不確定性と意識の問題を前スレで半ば強引に結びつけて説明してみたんだが
>>43
倫理観は時代に決めてもらいましょう
自由という言葉の意味も、時代によって変わっている

49 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 18:35:59.59 0.net
>>46
馬鹿ばかしい

と思ったが以前考えた事がある空間充填と似たテーマ性を感じたのでちょっと調べてみた
球面グリッド、球面に等間隔のグリッドを打ち込む
コロラド大がこんなものを出してる
ttp://kiwi.atmos.colostate.edu/BUGS/geodesic/
通常多角形だけで球を作るとサッカーボール見たいにオイラーの多面体の公式で頂点の数が合わないから五角形が混ざる
そうすると、等間隔ではなくなり、サイコロのような一様分布にならない
リンクの図を見て、あー、って思ったから深くは見ていないが四つのステップが必要らしいが、そういうことなら熟練職人の
民芸品みたいでいまひとつ興味が湧かない

50 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 18:42:52.45 0.net
送信してしまった
でもまあ図を見たら解るとおり五角形は入っている
やぱり6角形で充填するのは(当たり前だが)無理っぽい
球も実体としては多面体なのだが、正多面体(プラトンの立体)はいくつかの5種類になる
もともとの書き込みを見て、測定の問題(球面をどうやって等分するかと、それを測定するか)の
問題だと思っていたが、まじめに等間隔グリッドを研究してる人間が居て
ちょっと気になったのでリンクを貼ってみた
ただそれだけ

51 :寝坊助:2014/11/16(日) 18:50:23.94 0.net
>>49
形状が均等じゃないから、分布も均等ではないなんてのは論点じゃないですよ

いいですか、サイコロが正六面体なら6分の1、正八面体なら8分の1
そんなことはあたりまえなんです

複数回の試行で出目の分布が形状に対して均等になるという結果が得られる
これは至極あたりまえのことなんです

で、単一の試行でもこの性質は保存されると僕は考えています

一回の試行→出目は均等
複数回の試行→出目は均等
こう僕は考えている
ですから、一回の試行で起きる均等な可能性が世界に内在する性質だと考えてますので
「世界は可能性を含んでおり、一つの結果として決定しているわけではない」と考えています
これが僕のベースの非決定論です


しかし、この僕の考え方に反対する人もいることでしょう
それも構いません
彼らは「可能性は世界の性質ではなく人間の性質だ」と言います
そうかもしれませんね

彼らは
単一の試行→可能性は存在せず結果は一意である
と言います
ならば
複数回の試行→結果は均等に分布しなくてもいいんじゃないか?
と思うわけです

で、実際に「サイコロを複数回投げても出目の結果は均等に分布しない」と主張する方もいます

52 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 19:00:06.93 0.net
正n面体のnをどれだけ多くできるかという数学的な議論は別にして、
nが大きくなればなるほど、実際に作成された重心の偏りとかが影響して、
確率は1/nから遠ざかるわけです。どれほど努力してもnが大きくなれば
なるほど、サイコロとして正常に役割を果たすサイコロを作ることは困難
になる。つまり、逆に言えば、サイコロの出目の確率が1/6に近づくのは、
確率を1/6に近づけようとする自由意志が働いているからです。

53 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 19:03:32.20 0.net
一回の試行で出目が均等とは、どういう意味ですか。
一回の試行なら出目は一つでしょう。
「出目の確率が6つの数字とも六分の一で同じ」という意味なら、当たり前では。

54 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 19:06:11.64 0.net
「すべらない話」で実際に変な多面体のサイコロを使っているが、
確かに結果はあまり均等にならないw

55 :飛べないカラス:2014/11/16(日) 19:22:03.28 0.net
>>31
サイコロの目が出たとしても事実はひとつしかないです。
歴史にもしもは無いしタラレバの話は空想。

>>41
決定論は続いていますが。

>>44
確率と分布は重要な関係です。一様分布になるのは偏りが無いからです。

56 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 19:26:19.11 0.net
>>45
>確率を宇宙の分岐ととらえるか、事象の数学的表現ととらえるかという論点
>多分この二点だろうが、後者は現象を簡易に表現する実用的な数値のとらえ方、用い方として有効である以上
>仮に確率的な要素が必然だとしても、このような表現方法は数学的に用いられ続けるだろうし
>このような表現を用いない煩雑さを考えると、用いた方が有効
>現実的な現象として考えるなら、1〜6までの数字が必ず順番に出るサイコロ(ルーレット)を作ったとしても
>その確率を表現する一つの手段として1の目が出る確率はP(x=1)=1/6という数式を用いるだろう
>メカニズムが明確でない場合や煩雑な場合、確率を用いた方が実用的に数値を扱えるため、その表現自体で
>メカニズムが無い、またはメカニズムは非決定的であると結論付ける事はできないし、同様に現象が必然ではないと
>断言する事はできない
ニワカなりにまともな事を書くじゃない
事象の数学的表現ね、そしてそれはメカニズム的な決定を否定しない
確かにその通りだと思う。そしてもし確率を無くてはならないとするならば
それは一つの両立論だよね、非局所的な決定論と局所的な確率論の
もっとも、これは自由意志の両立論の可能を意味しないけど

57 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 19:29:22.02 0.net
神目線なら「6パターンの可能性=出目は不確定」になるのかな?
母国語すら不自由なゴミのくせに

58 ::2014/11/16(日) 19:33:14.79 0.net
>>45
>状態の古典的な確率混合と量子の重ね合わせ状態に関する論点
サイコロだと量子ゆらぎの性質は消えているので

59 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 19:33:21.97 0.net
認識が不完全である以上確率、事象の場合の数、可能性からは逃れられない
これは人間が「決定された因果関係」に迫るにはあまりに能力が低いから
人間に限らず、どんなコンピュータでも現時点では不可能で、
量子コンピュータが実用化されてもカオスを読み切るのは無理
全ては決定している、そして未来がどうなるのかは誰にもわからない

いい加減、「無機質な決定論」の先に出てもいいんじゃないのかな

60 ::2014/11/16(日) 19:34:15.71 0.net
ほかの六つの面が上になっている様子が重ね合わせになっているということはないです

61 :飛べないカラス:2014/11/16(日) 19:45:40.93 0.net
このスレの非決定論者の主張を読んでいくと思想の背景に自由主義、
リベラリズムがある人も居るように思えます。
リベラルは左翼思想ともつながってきます。
しかし日本の左翼は他国の右翼なので単に反日というだけかもしれません。
科学を否定しつつ科学に寄生するあたりは日本が嫌いなのに日本に寄生する
人に似ているようです。

62 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 19:52:17.14 0.net
頭の悪そうな煽りは馬鹿と思われますよ

63 :飛べないカラス:2014/11/16(日) 19:54:45.73 0.net
では頭の良いレスの手本をどうぞ。

64 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 20:08:06.35 0.net
正六面体の代わりに正二十面体でサイコロを作ったなら、正六面体と比べて
角の角度が大きくなって転がり抵抗が減るので、重心のずれの影響が
はるかに大きくなるだろう。また転がる増えて角が削れて丸みを帯びてくる
影響も大きくなるものと容易に想定できる。そのサイコロを振る回数が
増えるほど、サイコロには初期条件(測定できる限り偏りがないように
作っている)からは予測できない癖がついていくはずである。ところが、
特定の目が出やすいように見えても、本当にそうであるかを検証するのは
容易ではないし、癖は時間的に変化するはずである。1つの出目の確率が
1/20からどんどん離れていくにも関わらず、どの目が出やすくなるかに
ついては、初期状態から知ることができない。

65 :飛べないカラス:2014/11/16(日) 20:15:53.43 0.net
確率が単純な法則で求められるのは、予測対象に一様分布と、一様分布から
結果に至る因果法則があるから。

66 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 20:17:13.01 0.net
丁半博打でなぜサイコロを2つ使うのか考えてみるといい。
丁半を確率的に1/2で出すだけなら、1つのサイコロでいいはずだし、
さらにはコイン1枚でも構わないはずである。ところが、コイン1枚
でも、サイコロ1つでも偶然性が十分に確保されないという実践的な
感覚があるからだ。細工がしやすい、知られている偏りがあるのではないか、
という嫌疑がかけられることになる。意志によって制御しずらい要素が
増えれば増えるほど不確定性が確保されるということだろう。

67 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 20:19:53.02 0.net
確率はニュートン力学による帰結です(キリッ
なんて言ってた人もいましたけどね

68 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 20:21:42.42 0.net
ちょっと思ったのだが、五角形と六角形の混じっている多面体のサイコロで
各面の出る確率って、計算できるのだろうか。もちろん数学的な理想形のモデルでだが。
単純に面積の比によるのか。どうもそうはいかないような気がするのだが。

もっと各面ともバラバラの不規則な形のサイコロ(もちろん理想形のモデルで)
の場合だと、何だか計算不能なような気がするが、どうなのだろうか。

69 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 20:24:11.30 0.net
>予測対象に一様分布と、一様分布から結果に至る因果法則があるから。

だからそれが後付の解釈にしかならないんだよ。
サイコロではなく、一様に作った「はず」の球体を転がしてごらん。
どこを頂点に止まるか、一様なら、その頂点に印を付けていけば、
印の点は回数が増えるにつれ球面全体に一様に分布するはずだ。
ところが実際にはそうはならないだろう。重心のずれで偏りが出る。
つまり、どんなに一様に作ったつもりでも一様にならない。

70 :飛べないカラス:2014/11/16(日) 20:34:57.94 0.net
>>69
実際に統計をとってもずっとぴったり6分の1にならないのは普通の
サイコロも同じ。仮にちょうど1から6が順番に繰り返し出たと
しても6回に1回だけ6分の1になります。
乱数ならもっと偏ります。

71 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 21:12:59.93 0.net
>>51
49はそんな意味で書いたんじゃないが?
それと2行目以下は>>45に書いてある事で回答になるだろう
どんなに決定した結果であっても数学的1/6という表現は残る

>複数回の試行→結果は均等に分布しなくてもいいんじゃないか?と思うわけです
長い列に並んでるおっさんに、先頭から順に1〜6の紙を配るとする
6を配ったらまた1からという具合に、延々と1→6を配り続ける
前のおっさんが6なら次のおっさんは絶対1だ
ただ、何人いるかもわからない列に並んだ瞬間には1/6という表現のほかは無い
単なる実用的な数学上の表現
また、1〜6→1〜6というメカニズムに気付かない人間が居たとしたらそれは一意じゃないのか?とはなら無い
さらにまた、サイコロの挙動が複雑であるとして、ある時スーパースロー映像で見る限り全く同じ挙動をしていたとする
前回の挙動では6が出たが今回は6が出ないのか?といえば、そうともならない
全く同じバウンドで同じ角度からテーブルに激突する動きが再現された場合、同じ数字が出る
そこに奇跡は起こらない
これがわかりやすく言った決定論でいうところの必然な状態
ついでに、量子論がいう確率的な状態や重ね合わせの状態というのは、サイコロを見るまで1〜6が等しく出目としてある状態

>>56
たいした内容も書けてないくせに、何でそんなに日本語が不自由なんだよ
やりなおせ



読んでる途中だけどここで一旦書き込む
ちょっとだるくなった

72 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 21:20:32.00 0.net
「全く同じ」とかどうやって確認するのですか
100万分の1、100億分の1

73 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 21:28:19.22 0.net
>>71
「ニワカなりにまともな事書いてるじゃない」とだけ伝わればいいんだよ、君には

74 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 21:30:03.80 0.net
ここにはニワカしかおりませんので

75 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 21:39:39.17 0.net
だとしたら「まともな事書いてる、暇でキャラ間違えたおっさんじゃない」でいいよw

76 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:02:28.78 0.net
>>73
お前不自由な日本語の言い訳がそれか
まあそれがお前の精一杯の背伸びなんだろう
書き直さないならそれはそれでいい

77 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:17:16.89 0.net
>全く同じバウンドで同じ角度からテーブルに激突する動きが再現された場合、同じ数字が出る

現実にはその都度、サイコロもテーブルも同じではないんだよね。
便宜上、目立った違いが認められなければ1回目も10回目も同じと「みなす」だけ。
1度衝突した車が、2度目も同じ結果になるかというと、バンパー潰れてるから
違う結果になる。同じ仕様の車で衝突実験やっても、ばらつきがある。

78 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:19:36.94 0.net
>全く同じバウンドで同じ角度からテーブル

単純に言ってしまえば、サイコロの寸法よりほんのわずかに大きいだけの
四角い筒の中を落とせば、ほぼ確実に毎回同じ出目が得られる。
決定論とはようするにそういうことだ。

79 :寝坊助:2014/11/16(日) 22:19:54.33 0.net
>>71
なるほど、
つまりサイコロをふると、前に6の目が出たら、次は必ず1の目が出るのですね?
それなら必ず6分の1になりますし、決定論になりますね

アホみたいですね

80 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:23:14.38 0.net
「同じ」と言う場合、測定で条件を同じに整えるということだ。
ところが測定には測定限度が必ずある。その限度以下では、
不確定性が残り、さらに予期していない条件の違いによる不確定性の
可能性はつねにつきまとう。

81 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:26:07.04 0.net
>>77
その都度同じではないが、同じなら同じ結果が出る
それが決定論の根底にある
魔法のような挙動で突然別な目が出たりしないという事
さらに言えば、バウンドした瞬間や空中での挙動というものを全て計算し、計算値とどの目が出たかという結果が一致する事が
本来の意味で決定論の根源にある
狙った目を出せる機械を作ることが出来るかどうかは全く問題ではない
全ての挙動が物理的にトレースできるものであり、例えばそこに未知のオカルト係数などは含まれないものとするという考え方
それ自体が因果的決定論の本質

>>79
頭悪いな
読んでもわからないなら、もう言う事は無い
悪い事は言わない、文章をちゃんと読む習慣が無いなら、何度も読み返して書いてある意味を理解できるように成りましょう

82 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:28:14.95 0.net
>>76
不毛な罵り合いには感心が無いんだ

>>79
いや、>>71ではちゃんと
「パターンじゃないから6の後に1とはならない、だから1/6としか表現はできない」
と書いてるんだよ、回りくどい文章でしかないんだけど

83 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:30:09.35 0.net
>その都度同じではないが、同じなら同じ結果が出る

だからそうすると、「同じ」結果が出てから、後付けで「条件が同じだった」と
みなすしかないわけですよ。「違う」結果が出たら、後から「何かが違っていたはず」
とみなす。

84 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 22:31:28.53 0.net
重ね合わせにしても、ベル不等式にしても、量子ゆらぎにしても、殆ど意味が解らず、なんとなく融通が利きそうだってな感じの
ふわっとした理由で決定論の否定材料にしてる奴が居るけど、実際きちんと検証たり、理解して決定論が否定できるか確認した
人間は居ないだろ
それはなんとなく融通が利きそうな隙間に神を探すのと同じ、隙間の神というやつだ
そもそもまず、不確定性原理そのものが測定の限界を示すものでそのうち測定誤差と擾乱は電子の挙動の自由を保障するものじゃない
ゆらぎについても、平均値があってゆらいでいるもので、全く支離滅裂なミラクル挙動をしているわけじゃない
重ね合わせ状態とベル不等式破れは基本的に同一の議論の中に登場するものだが、その結果得られたのは局所的な隠れた変数理論
が退けられたという事だけだ
今の科学では測定に使う光の限界が測定の限界でもある
そこから導かれている定数も多いが、それは結局測定の問題であって、宇宙の自由度を決めるものじゃない
ピンポン玉の跳ね返りで波打ち際の挙動を解析しようとするのは無理じゃないかも知れんが、そりゃ無理ゲーだろという話しだし
個人が知る範囲を超えている
こんなのは実際にでっかい設備を使って研究してる一部の物理屋に任せて置けばいい話だ

ただ、CHSH不等式は例えば表計算なんかを使えばそこでどういう挙動が起きうるか見ることが出来そうだ
トリテスト

85 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:31:30.83 0.net
全ての挙動を結果論的にトレースできるんだけど、シミュレーションはできないんだよね
たかがサイコロであっても

86 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:33:48.31 0.net
>決定論が否定できるか確認した人間は居ないだろ

決定論は形而上学だから確認のしようなんてないよ。
それが役に立つか否かしかない。

87 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:36:40.91 0.net
ミラクル挙動がなくてかつゆらぎを定数化できないから確率的決定論って言ってるのにねー

88 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 22:36:52.12 0.net
>>83
因果的決定論の視点から見れば、結論が先か検証が先かはあまり関係ない
同じ結果が出て、条件が同じだとみなされるとするならそれはそれでもいいがそれも本質とは関係ない
違う結果が出たら、何かが違っていたというのは考え方として、当然
そんな予知能力的な結果を求めるのは別な話
物理的な挙動をトレースした場合、そこにオカルトのような未知の自由度があるかどうかだけが問題になる
必然であれば、自由の解釈がどうであれそれは決定論、因果的決定論となる

89 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:40:59.07 0.net
試合の前から「結果は決まっている」と言う事に果たして意味はあるのか

90 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:41:23.40 0.net
>>88
それは決定論ではなくて経験論に基づく確信でしかないよ。
未知の要素が確認されないとしても、それが今後、確認されないという
保証はどこにもない。現時点で確実に知っているというだけ。
想定外のことが起きないという根拠はどこにもない。
実際、大きな発見というのは想定外のことが起きて、
想定の枠組み自体が変化することによってなされてきたのだから。

91 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:46:26.71 0.net
反証可能性に付け込むような話をし始めると全部形而上学になってしまう
決定論は帰納的に導かれるもので、それを真理と見なして何の問題もないのでは

「裏・隠れた変数理論」みたいに論理的に破綻しているのは別としてだよ

92 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:47:38.15 0.net
>結論が先か検証が先かはあまり関係ない

関係がないのなら、現実的には決定論は何の意味ももたないということですよ。
結果が出てから、そうなるのは必然だったなんてのは、誰にでも言えることですから。

93 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:48:33.40 0.net
理論じゃないな、「裏・隠れた変数論法」だ。訂正

94 ::2014/11/16(日) 22:49:11.01 0.net
>>84
>ピンポン玉の跳ね返りで波打ち際の挙動を解析しようとするのは無理じゃないかも知れんが、そりゃ無理ゲーだろという話しだし
個人が知る範囲を超えている
こんなのは実際にでっかい設備を使って研究してる一部の物理屋に任せて置けばいい話だ

二重スリットの実験で、わりと簡単に測定できてしまうように思うのですが

ところで、粒子が波のように振る舞う、
運動量と位置に相補性があるという表現は、多くを説明できているように思うのえすが

95 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:50:01.41 0.net
すべてに原因がある
それは真理ではなく心理

96 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 22:50:08.44 0.net
>>89
試合の結果が実力ではなく、奇跡や意志の力、審判の裁量だと考える事の方が悲観的だと思うが、それは人それぞれの考え方

>>90
それは、すごく無意味な意見だな
もともと、常に科学の原理なんて新しい原理が発見されて入れ替わるまでの暫定でしかない
想定外のことが起こったら振り出しに戻るから何も考えないというなら、それもひとつの手だろうけどな

>>92
>>89

>>91
キモイなお前
完全否定されたことをまだ根に持ってんのか?w
自業自得だアホ

97 ::2014/11/16(日) 22:50:54.02 0.net
自分で打っておいてなんですが目に余るので訂正します

運動量と位置に相補性があるという表現は、多くを説明できているように思うのですが、
どうでしょうか

98 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 22:51:22.26 0.net
>>94
じゃあ実験してみりゃいいじゃん
仮説の元にさ
どういう仮説を立てるのかは知らんが

>>95
禅問答パス

99 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:52:23.95 0.net
禅問答きらいかね

100 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 22:54:59.18 0.net
>>99
答えでないじゃん

101 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:55:22.05 0.net
>>96
>試合の結果が実力ではなく、奇跡や意志の力、審判の裁量だと考える事の方が悲観的だと思うが、それは人それぞれの考え方
話が噛み合わないな、「やってみないと分からない」と言ってるんだけど
じゃんけんでもいいや、証券取引でもいいけど

>キモイなお前
>完全否定されたことをまだ根に持ってんのか?w
>自業自得だアホ
まさか、アレで「不確定性原理は「全て」測定の問題」と示せた気でいたのか
自業自得、良い言葉だね

102 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 22:57:36.91 0.net
隙間の神
わりと良い

世界に隙間など無い、という形而上学は
どこまで貫くことが適当なのか

103 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:01:37.68 0.net
実力と意志の力は別か。決定論に独特の表現だな

104 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 23:03:28.77 0.net
>>101
あー解ってないなーやっぱ
お前決定論が解ってない、というか色々解ってない
不確定性原理は測定について述べられた原理だし
やってみなければわからないのは、同じ系に居る人間にとってはどちらも同じ
大前提として違うのは、そこに必然だけを見るのか、オカルト要素や意味不明なふんわりとした原因を求めるのかの違い
やっぱお前ダメだw全然解ってない

>>102
隙間の神というのは有名な詭弁の一つで無知に訴える論証ともいう
多分wikiとかにもある、と思う

105 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:07:48.63 0.net
隙間には神はおらず
まさに隙間しかない
隙間が確率を支配する

そういうのもありではないのかな
多分そうするしかない

106 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:11:40.74 0.net
未来に必然だけを見ることは出来ないよ、認識できるのは可能性だけ
試合の結果について、決定論の立場にしても事前に求まる、「解」って無い

全ては必然であるとしても、必然がどのようなものかは起こらないと分からない
誰でも理解できるような気がするんだけどな

107 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:16:10.99 0.net
ハイゼンベルグは不確定性原理を特殊な行為としての測定に限定した問題で決着しようとしたが
ボーアはそうは考えなかった
「不確定である」として記述される諸々は、実は自然の本性の現れだと、
そう考えた方が一貫していると、そう彼は感じ、ハイゼンベルグを説得した
常軌を逸してねちっこいボーアの迫力にハイゼンベルグも折れることになる

108 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 23:17:24.72 0.net
>>106
>全ては必然であるとしても、必然がどのようなものかは起こらないと分からない
考えずに解るわけないだろ

109 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:21:45.98 0.net
>>108
「必然」は存在するし、知る事を「望み得る」ものだ
しかし、それを知る事は何者にも「不可能」だ
だから言ってるじゃないか、例えば、物理学で明日の日経平均は分からないって
物理学じゃなくても分からないけどね、ただそれが必然的結果であるのは確かだろうけど

110 : ◆880R7HYD0o :2014/11/16(日) 23:21:55.31 0.net
つまんないから>>84の続きでも書いてみる
CHSH不等式っていうのはベル不等式の一種だが、内容はアリスとボブがゲームに挑んでその勝敗を考えるものだ
量子もつれ、量子テレポーテーションの実験は結構な数がやられているんだが、当然PDFでも細かい計数値を見ることが出来るものは
無い、というか探すのがメンドクサイから、その辺は先行している物理屋にまかせて、アリスとボブ式に表計算を使ってゲームでもしてみようと考えてみた

知っている人は知っているだろうが、まずこれがどういうゲームなのか説明しよう
登場人物はアリスとボブ、それとレフェリー(論理演算しやすいように、ちょいちょいオリジナルとは変えてある)

レフェリーは離れた部屋(実験室)に居るアリスとボブに0か1の情報を渡す
アリスとボブは実験室に入ってしまったら、その後は一切会話できない
アリスとボブはレフェリーから01の情報が来たら、ここで0か1の答えを返す
アリスとボブが勝つ条件は、レフェリーから来た情報がアリスにもボブにも1が来た時はアリスとボブの答えが違えば勝ち
アリスとボブがレフェリーからもらった情報、どちらか一つにでも0が入っていたら、アリスとボブの答えが同じだったら勝ち
というルール

まとめるとアリス&ボブ(レフェリーの情報)として
勝ちの場合
00(00) 11(00) 00(01) 11(01) 00(10) 11(10) 01(11) 10(11)

逆に負けの場合
01(00) 10(00) 01(01) 10(01) 01(10) 10(10) 00(11) 11(11)

これを表計算で実際にやってみたらどうなるのか
もちろん表計算でやるという事は、そこで製作者は神になる
非局所的な相関性や、測定由来のスピンの操作など自由だ
面白いのは、ここではベル不等式が破れるべく都合のいい変化をするスピンというものがいくらでもでっち上げられる
ここで古典的な確率は

ここまで書いたけどだめだ寝オチする
またかける日まで

111 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:30:11.36 0.net
>>110
>これを表計算で実際にやってみたらどうなるのか
>もちろん表計算でやるという事は、そこで製作者は神になる
>非局所的な相関性や、測定由来のスピンの操作など自由だ
>面白いのは、ここではベル不等式が破れるべく都合のいい変化をするスピンというものがいくらでもでっち上げられる
本当に量子が「ゲーム」をしているのであれば、
結果はある程度の偏差しか持たないけどね
マクロスケールでのアリスとボブのゲームの結果は幾らでも偏りが可能だから、
それでベル不等式を破るような「仮定」が可能なだけで
面白くも何ともない、単なる「すり替え」じゃないかw

本気で考えて書いているなら凄いよ

表計算者が「神」というのだけは割と合ってるけど

112 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:38:02.54 0.net
>>111
どうしてそんなに慌ててるの?

113 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:39:30.57 0.net
面白いから

114 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:46:20.03 0.net
そう?
焦ってそうだけど

115 :考える名無しさん:2014/11/16(日) 23:57:04.38 0.net
それは間違っていないよ
ベルの不等式の破れを「でっち上げられる」から
因果的決定論は終わっていない、そんな解釈があるのかと
是非とも続きを書いてもらいたいものだ

116 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:06:35.34 0.net
表計算ないの?
ご自分でやってみたらよいのでは?

117 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:11:10.79 0.net
結局、量子の不確定性がどう自由意志に繋がるのか誰も説明せんわけ?
レス先に予測なんて単語一つもねえのにな>>48
予測できようができまいが過去の量子の位置は確定してるだろ

118 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:14:41.16 0.net
自由意志とは関係無く、ただ単に因果的決定論の是非について議論している

119 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:17:31.87 0.net
>>118
それもう板違いじゃねえの?

120 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:19:25.73 0.net
>>116
実証に堪えない表計算をしてどうしろと

121 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:21:25.95 0.net
>>119
決定論についての議論が板違いってどういう事だよw

122 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:21:41.63 0.net
実証に堪えない根拠あるの?

123 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 00:23:24.90 0.net
あとさ、人間が観測してない箱の中は雲らしいけど
なにも確定しないということは化学反応がなにも進まないってことだよ
当然熱も通さないだろ?
そこいら中に痕跡があってもよさそうだけどな?

124 :飛べないカラス:2014/11/17(月) 00:27:17.38 0.net
ベル不等式は因果律を前提としている。量子力学にベル不等式を
当てはめようとすると他に変数を持ってこなければならないことが
明白になるというだけ。
ベル不等式抜きにしても量子力学はその変数のかわりに観測で収束などと
いう解釈を用いていた
わけで。
量子力学でそもそもベクトルが何を表しているのか、何故最後に
自乗の絶対値で確率が求まるのか、数学的意味は何だろうか。
何を何に変えて表現し、どのように違うのだろうか。
隠れた変数ではなく忘れた変数ではないだろうか。

125 :ナル:2014/11/17(月) 00:46:25.42 0.net
>>124
自乗の絶対値で確率が求まるのは、位相と時間を同じくする(仮設する)からだ
でなきゃベクトルに意味がなくなるからな

126 :ナル:2014/11/17(月) 00:51:07.32 0.net
次来る(書く)のは先のつもりだが
カラス氏にだけ伝えておこう(オレはベル不等式とかよく知らん)

そう、「>確率と分布は重要な関係(>>55)」である
一様分布に偏りはない
しかし、それは横軸(位相)でしか眺めていない
縦軸(時間)を考えろ
マクロとミクロのスケールにおいて

そこに初期条件(の選択)で偏りが生じる

半年前くらいに読んだ統計力学の本のまえがきに、このように記されていた
「ミクロとマクロのつながりを理解することは、情報圧縮の仕掛けを理解すること」であると

127 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 01:02:16.72 0.net
結局、結果が出てから、そうなるのは必然だったと主張してるだけじゃん。
結果が出る前は、どちらに転ぶか分らなかったのだから、必然だった
と主張したところで賢くなるわけでもない。将棋の対戦とかで結果が
必然なら最初から対戦する意味がないね。二度目にやれば、同じ手を
両方が打つことなんてあり得ないし、どういう手を打つか最初から
全部決まっていた、私だけは知っていたなんて主張する人間がいたら、
それは本物の馬鹿だろう。

128 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 01:06:22.13 0.net
>>61
いや、現代政治思想において自由主義を背景として持ってない思想などない
といっても過言じゃないほどのごくごく基本的な原理として受け入れられてるよ。
このスレの人って理系が多いのか?それとも社会科学できない人が多いの?

129 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 01:18:50.28 0.net
>>128
最新の物理学で矛盾だらけと説明される量子力学などを根拠にする
おまえは地動説が生まれ他時代に天動説を語る奴と同じ。
天動説はマクロ的には間違いでも極所的には天の星は動いているのは
正しいわけでそれすら理解できないからそういう矛盾輪廻に陥る。

130 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 01:26:19.88 0.net
>>129
別に自由主義は量子力学なんぞ根拠にしてねーよ。
ある種のフィクションみたいなものとしてでも、自由主義における
自由のようなものは残しとかんとまずいやろうね。
例えば、人権なんていわれてるものの基本は「自由」権だったりするわけだし。

131 :ノリエッテ ◆smWWmey18Y :2014/11/17(月) 03:57:27.35 0.net
不確定性の法則があるため 霊魂は自由なのです
不確定性が原理であるため 自由意志は約束されるます
これはたくさんの学者さんが正確に調べて出た結論です
精神や霊魂は不確定性法則に従います
もちろん自由意志はあります
決定論は相対性理論と不確定性理論を超える事はできません

132 :ノリエッテ ◆smWWmey18Y :2014/11/17(月) 03:59:34.09 0.net
正しい知識を身につけましょう
決定論は正しくありません
たくさんの学者さんは不確定性の理論に基きます
答えは決定論ではなく自由意志論です
私達の自由意志は保障されているのです

133 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 04:39:00.98 0.net
自由とは自律性を意味する。不確定か否かとは無関係。

134 :寝坊助:2014/11/17(月) 05:11:12.30 0.net
>>51-53
ここらへん、話が通じてるのか不安なのですが

僕は当たり前のことを話しているわけで、僕の言ってることが当たり前ならば
それは世界は一意に決まってるわけではないということだと思うんですよ

「単一試行は均等ではないが、複数回の試行では均等になる」と言う人がいるならば
一回の試行と複数回の試行で何が異なるのか説明するべきだと思うんです

サイコロを複数回投げると出目が形状に対して均等に分布する
これは、そういう性質がサイコロにあるからだと僕は考えます
つまり、「サイコロは出目を均等に出そうとする」と考えるわけです
それを「可能性」や「確率」と言うとして、それは世界の性質だと思います
もちろん「確率は錯覚だよ」と言う人もいますが、僕には確率は錯覚ではないとしか思えないわけです

というのも確率が錯覚でしかないならば、分布が確率と合致する必要はないからです
仮に、確率が錯覚だとしたら、実験結果が錯覚と一致することは僕にはオカルトにしか感じないのです

ですから、僕は決定論がオカルトで、非決定論が科学的だと大真面目に考えてるんです

このスレの何人かが、僕の言ってる決定論のオカルトさに気付かないならば、ちょっと頭が悪いようにしか感じないんですよ
昨夜は僕の言ってることをご理解している書き込みがちらほら見えましたが、、

あ、そうそう、僕はオカルトを排斥するつもりはないので
決定論者がいても、それはそれで構わないことだと思いますよ

135 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 08:13:11.50 0.net
>>134
君の書いてることはみんなわかっているよ
でも違う
頭が悪いのは君です

136 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/11/17(月) 09:57:07.81 0.net
>>96
装いをかえ、しかも否定していたはずのコテまでつけて登場したのは結構だが
所詮、君のお里はしれている。君は貴族ではなくwその言葉づかいは○族。

君には技巧が欠けている、と婉曲に指摘したけれけども、ほんとうに不足して
いるのは知性である。君にそれがないわけではないが、それは工学的な知性で、
そこは依然として古い力学をよすがとする、いわば後衛。w

君が正しいと信じる(原)因(結)果的決定論と一等、適合するのは君が信奉する
古い力学。この適用領域は人事においては圧倒的に広く、機械さんが例示する
「イトカワ軟着陸」もその成果。しかし、これによって存在(世界)を包摂する
ことはできない。

相対性理論は古い力学を包括するものだったが両者は同根で、それぞれの言説
を“意味するもの”とするなら、その“意味”は同じで、それは両天才が信じる
存在の隠喩である。

137 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/11/17(月) 10:11:34.43 0.net
>>104
“不確定性”を測定技術の不備としたいのは、君の立場を鑑みれば察せられる
けれども、そうではなく「存在の原理にかかわっている」ほうに賭けます。
因果的決定論とは、古典力学によって存在(世界)は表記できる、という未練
がましい立場である。w

138 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 10:55:49.53 0.net
決定論世界においては確率は錯覚でなくてはならない、なるロジックがカルトの国語力不足による勘違いであることは既に判明してるじゃん
間違った決定論像をベースに悪口を作製しても、それこそ意味がないだろ
「結果が決まってるのに努力するのは意味がない」とかもね
途中の因果を省いても結果が確定してる決定論など存在しません
言い方を変えて同じ間違い繰り返してるんだよ
じいさんとかWinsってコテも同様だったね
楽な人世だ

139 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 14:55:44.07 0.net
ルンバ「(掃除したところは)掃除オワタ」
持ち主「…(全然…なんですけど)」

140 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 15:01:27.49 0.net
掃除による擾乱
掃除する余地

141 :◆foXa6T3AM7uJ :2014/11/17(月) 18:29:41.51 0.net
>>28
>「1が10000回」なんて奇跡を前提に「その後は奇跡的な数列が現れるとは考え難いよね?」
理解しやすくするために、一旦考えを極端な方向に振らせてみたのです。
そしてこのような場合でも、その百倍、千倍の回数をさらに投げれば1/6
に近づくはずだ、となると思いますが、これが「十分な回数を投げれば」
という前提条件の正体なのです。

>>134
サイコロを繰り返し投げることを、可能性の繰り返しと考えるのではなく、
一回一回出目が確定し、その度に次の前提条件と事後の可能性が変化して
いく、という現象面からの視点で考えてみてほしいということです。個々
の出目は独立していますが、求めようとしている出目の割合は出目の集計
に基づくのですから、過去の全ての出目に影響を受けるのです。

あるいは、確率の計算上でもそうですが、可能性に偏りがある場合は回数
を重ねる毎に可能性の高い結果が出る割合がだんだん高くなっていくこと
はおわかりになると思います。そしてサイコロを投げることを十回、百回
という単位で括ってみたとき、偏った結果よりも均等な結果の方に可能性
が偏ります。その単位を百回、千回…と繰り返すことを考えてみた場合は
いかがでしょうか。


ちなみに私は非決定論の立場をとっています。しかし、サイコロの確率や
自由意志の存在が決定論を否定する要因にはならないと考えています。

142 :考える名無しさん:2014/11/17(月) 19:23:24.98 0.net
>>138
ひとたび確率を受け入れてしまえば、後戻りをすることはできず、古典的な意味での決定論は成立しない。
確率の基礎には確率空間における一様分布があり、その確率空間は観察の対象が勝手にに自ら規定して
くれるものではなく、その規定は、作為(「人為」と呼ぶと「人間」を前提としているかのような誤解を与える)
によるものである。確率空間を「自然/世界」が「自ら規定する」としたところで、それはまさに自然の自らに
対する作為、つまり、オートポイエーシスということになり、そのように規定される確率空間は、
「1(ひと)」に他ならない。ところが、「1(ひと)」は、自らが規定される背景(絶対無)を規定する
ことができない。その背景は、規定された確率空間における一様性(ランダム性)を隠喩として表現する
他はなく、そのように実現された確率空間は、既に背景(絶対無)ではないのだから。

143 : ◆880R7HYD0o :2014/11/17(月) 19:23:59.86 0.net
>>111-116+120+122+123
なに目を白黒させてキョドってんだよw>>112の書き込み読んだ瞬間に噴出したわ
>ベルの不等式の破れを「でっち上げられる」から
表計算くらい誰だって持ってんだから自分で確認すればいいだろwあほw しれっと逃げてるけど>>120
>実証に堪えない根拠あるの?
に答えてやれよw

>>127-128+130
このタイプの頭の悪いやつ、ちょいちょい出てくるな
だったらお前はなぜこのスレにノコノコ書きこんでいるんだとwそれこそ本物の馬鹿だろうw
>自由のようなものは残しとかんとまずいやろうね。
まさに、都合のために現実を捻じ曲げる事しか頭に無い馬鹿の典型

>>131-132
カルトwパス

>>134-135
>ですから、僕は決定論がオカルトで、非決定論が科学的だと大真面目に考えてるんです
これ完全に頭悪いだろ
馬鹿にも解りやすく>>71で説明してあるのに理解できてない
6回に1回の出現だったら明確なパターンがある必然でも、数学的な表現上は1/6となる
分数知っていれば小学生でもわかること

>>136-138
コテつけた理由は個人の持つデータを書く可能性が出たからという理由だけ
お前、相変わらず日本語が大昔の人工知能会話プログラムレベルだなw しゃべってコンシェルの方がまだマシな文章を綴るんじゃねーのかよw

>>139-141
パスw

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