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◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない239◆

843 :寝坊助:2014/11/25(火) 12:08:13.05 0.net
で「自由」の項目、「メカニズム決定論」「機械論」に関して
マックス・ウェーバーの「価値自由のテーゼ」との関連はありそうだなと感じた


思考のきっかけになったのは大きく2つ

1、一昨年の将棋のプログラマーの発言
「例えば、既存のコンピューターは飛車を8点、角を6点、香を2点、歩を1点として点数計算させる方法だったけど
それでは、プロにはまったく勝てなかった。
だから、コンピュター自身に点をつけさせた。そして膨大な棋譜を読み込ませた」

2、数年前のこのスレにおいて、他人を「人工無能」呼ばわりする人がいたが、彼は僕のことを「人間」と呼んだ


「自由」というものがヒトに産まれたものが必ず持ってる要素だと考えなければならない理由はない

むしろ問題は違ってまったく別形態の問いが建てられそうだ
「人が自由を獲得すべく知能を発達させるならば、どのような計算メカニズムを会得すべきなのか?」だ

機械論的メカニズムは「Aの入力に対して必ずA’の出力が出る」と考えていいだろう
この入出力の関係が一対一であることが機械論の肝だ
しかし、僕が疑問に思ったのは、「上のインタビュアーが答えた将棋のプログラムはある一つの盤面において必ず一種類の手しか指さないのか?」ということだ
そして、これはおそらくNOだろうと思う
なぜなら、そこで指す手はコンピューターが読み込んだ棋譜の量によって変わるからだ
そのコンピューターが読み込んだ棋譜の量も盤面の一つだという解釈は必要ない
戸田山は形而上学的決定論をまったく問題にしてないからだ

つまり、コンピューター(機械)は自己の知能を成長させることができるのか?
コンピューターは同じ局面において、経験の蓄積から判断して入出力の関係を変化させることができるのか?
これがメカニズム決定論(機械論)と自由の両立の問題となるところと思われる

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