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悟りとあきらめって何が違うの?

18 :考える名無しさん:2014/11/29(土) 13:50:45.08 0.net
「あきらめる」にも二種類ある。

「純粋な中断としてのあきらめ」、と、
「すべてを受け入れる」、という意味でのあきらめ。
「流れを中断する」のと、「流れに身を任せる」のちがい。

たとえば、「人生をあきらめる」、という言い方を、中断という意味で使えば、
「自殺」ということになる。
仏教的な意味での、「人生をあきらめる」だと、「たとえそれがどのような人生でも、あるがままに受け入れる」、ということになる。

一般的に、仏教的な意味での「あきらめ」とは、ポジティブをあきらめる、あるいは、ネガティブを受け入れる、ということだよね。
中断の意味での「あきらめ」は、ポジティブとネガティブの土台となっているもの自体を、「あきらめる」ってこと。

「子育てをあきらめる」を、仏教的に言えば、理想の子育てが出来なくても、それをあるがままに受け入れる、ということ。
中断という意味で言うなら、子育ての放棄、ということになる。
「登山をあきらめる」というのもそう。
理想の登山をあきらめて、いろんな不都合が起きても、それを受け入れることをいう。
つまり、ある物事に対して、価値判断をして、ああだこうだしない、というのが、「あきらめ」、ということだよね。

「あきらめる」というときは、「良い、理想の」という、ポジティブの状態をあきらめ、ネガティブを受け入れるという覚悟のようなもの。
仏教的な意味のあきらめには、常に、「良い、理想の」という前提がついている。
「(より良い)子育てをあきらめる」「(理想の)登山をあきらめる」「(良い)人生をあきらめる」
これは反対に言えば、「不都合が起きても、それをあるがままに受け入れる」 ってこと。 それがあきらめ。
中断の意味だと、「育児放棄」「登山の中止」「自殺」、ということになっちゃう。

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