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【マクダウェル】【ブランダム】の世界とは・・・

1 :考える名無しさん:2016/02/13(土) 23:27:12.31 0.net
マクダウェル、ブランダム…、ネオ・プラグマティズムの重要著作がようやく翻訳され始めた。
分析哲学と大陸哲学の橋渡し役として期待されている哲学の分野。
その実態はどのようなものだろうか。

2 :考える名無しさん:2016/02/13(土) 23:48:45.51 0.net
タイムリーだけど読んでいる人いるかね?

3 :考える名無しさん:2016/02/14(日) 01:23:45.60 0.net
いま読んでいるところだよ
もうちょい待ってて

4 :考える名無しさん:2016/02/14(日) 10:17:23.16 0.net
もうすぐ読む予定

5 :考える名無しさん:2016/02/14(日) 20:52:28.18 0.net
『プラグマティズム入門』伊藤 邦武
『ネオ・プラグマティズムとは何か ポスト分析哲学の新展開』岡本 裕一朗
が届いた。

6 :考える名無しさん:2016/02/14(日) 21:29:38.71 0.net
千葉スレにちょっと書き込んだら、ものすごい勢いで荒しに埋められた。
なにか気に障る悪いことでも言ってしまったのだろうか。

7 :考える名無しさん:2016/02/14(日) 23:59:20.39 0.net
ブランダムも意外と売れているみたいだな
まあいい本だから

8 :考える名無しさん:2016/02/16(火) 08:30:52.47 0.net
>ブランダムも意外と売れているみたいだな
>まあいい本だから

何がいいのか説明もなく、匿名でただ「いい」と言われても誰の参考にも
ならない。人が食べればまともの消化することもできない笹の葉であっても、
パンダには「いい」食べ物なのだ。

9 :考える名無しさん:2016/02/18(木) 22:09:44.18 0.net
マクダウェルはけっこう面白いね
ただちょっと迂回し過ぎかな
それでもかなりいい本みたい

10 :考える名無しさん:2016/02/18(木) 23:40:35.51 0.net
しかし自然主義ってそんなに厄介な考え方なのだろうか?
現代の心の哲学においても自然主義の立場を支持する学者は多い
マクダウェルが批判する自然主義はちょっと細かすぎないだろうか
しかもほぼ言葉尻にこだわった批判に終始する

11 :考える名無しさん:2016/02/18(木) 23:53:21.27 0.net
サールの生物学的自然主義で一応は自然主義なんだけれども
自然主義の心身二元論については批判している
だからちょっと自然主義とはいっても分類が必要になるな

12 :考える名無しさん:2016/02/19(金) 01:19:13.64 0.net
もっとくだらないことを言うことは可能か、限界に挑戦してほしい

13 :考える名無しさん:2016/02/19(金) 01:57:00.90 0.net
嵐も質がおちたな
まあだいたい2人程度のアホが日夜くだらん嵐レスを書いているみたい

14 :考える名無しさん:2016/02/23(火) 23:19:01.30 0.net
一般には、クワイン、ローティ以降をネオ・プラグマティズムとするが、
伊藤の場合は更に、第3世代をニュー・プラグマティズムとしている。

【第1世代】 プラグマティズム
・パース
・ジェームズ
・デューイ
---------------------------------
【第2世代】 ネオ・プラグマティズム
・クワイン
・ローティ
・パトナム
  
【第3世代】 (ニュー・プラグマティズム)
・マクダウェル
・ブランダム
(共にピッツバーグ学派)

15 :考える名無しさん:2016/02/23(火) 23:19:42.56 0.net
分類の仕方は色々あるらしい。

6/7 哲学・社会思想学会 シンポジウム「ネオ・プラグマティズムの現在」野家、井頭、大河内
http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2014/06/07/181946

16 :考える名無しさん:2016/02/23(火) 23:20:34.94 0.net
ジョン・マクダウェル
『徳と理性』2016年2月23日発売
『心と世界』2012年

ロバート・ブランダム
『推論主義序説』2016年

17 :笛吹けど踊らず:2016/02/24(水) 17:50:39.96 0.net
実用日本語表現辞典
読み方:ふえふけどおどらず
別表記:笛ふけど踊らず

どれほど上手に誘っても相手が応じないさま、段取りは整えたのに一向に誘いに乗らないさま。「笛吹けども踊らず」とも言う。

18 :考える名無しさん:2016/02/24(水) 21:22:23.27 0.net
>>15
そのサイト面白かったです。
ありがとう。

19 :考える名無しさん:2016/02/24(水) 22:05:12.57 0.net
『徳と理性: マクダウェル倫理学論文集』 双書現代倫理学 発売中
   
第1章 徳と理性
第2章 道徳の要請は仮言命法なのか
第3章 外在的理由はありうるか
第4章 価値と第二性質
第5章 倫理学における投射と真理
第6章 二種類の自然主義
第7章 非認知主義と規則順守
 
マクダウェルの思索は、どのようにして・どういう倫理的な実在論・認知主義にたどり着いたのか。
「行為の理由の判断に徳の有無がどう影響するのか」という行為の合理性の問題と、「道徳的な特徴は
ものごとの実在的性質か」という倫理学の根幹にかかわる問いへの、マクダウェルの向き合い方を見る。

20 :考える名無しさん:2016/03/02(水) 00:34:13.02 0.net
「心と世界」は非常に難解ですね
苦戦中

21 :考える名無しさん:2016/03/02(水) 13:31:02.02 0.net
心と世界はストローソンのカント論とか読んでおいたほうが捗ると思う

22 :考える名無しさん:2016/03/02(水) 22:14:46.76 0.net
『心と世界』は評価が高いね

23 :考える名無しさん:2016/03/05(土) 11:59:04.40 0.net
しかし読み方が難しいから
変な理解しかできない人も多いだろうな

24 :第三の波平 ◆kpxxLE2Sh. :2016/03/05(土) 13:09:29.56 0.net
630 名前:記憶喪失した男(愛知県)[] 投稿日:2016/03/05(土) 12:06:29.26 0
客観についての雑考(現象学批判)

フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」を読んだのだが、
その内容は、カントの提唱した物自体の概念を根拠に、
あらゆる認知機能が主観的なものであり、客観は存在しないというものであった。
数学ですら虚構であるとフッサールは断言している。

客観についての哲学者の見解に興味をもったぼくは、カントの「実践理性批判」でカントが実際に客観を何といっているのか確認してみた。

カントは「すべての理性的な存在者の意志に妥当するもの」を客観と呼び、
さらには、完全性、神の意志を客観とする。しかし、やがて、
「自然に客観的な実在性を与える」として、自然を客観とするに至る。

1996年の哲学者マクダウェルの「心と世界」を読んだのだが、その内容はひどく失望させられるものだった。
内容は特に記述するようなものはないのだが、ようやくぼくは現代の最先端哲学に追いつくことができたようだ。
マクダウェルもカントは客観を認めていたとしているし、マクダウェル自身も客観を否定するようなことは書いていない。

つまり、現代哲学の最先端における客観の認識とは、フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」であるということになる。
ぼくは客観が存在するとは思っていない。
フッサールの見解は、慎重に読むとただの一か所も客観の存在を認めていなのであるが、
物自体の表象という存在は認めている。
我々の主観の中で従来の客観的といわれるような状況に判断がなされることをフッサールは「存在妥当」だと読んでいる。
フッサールは物自体の表象についての記述で大きなまちがいをおかしている。
物自体の表象は、神の啓示であり、世界の目的であり、統覚であり、客観であると述べている。
これは大きな誤謬である。

25 :第三の波平 ◆kpxxLE2Sh. :2016/03/05(土) 13:10:09.34 0.net
632 名前:記憶喪失した男(愛知県)[] 投稿日:2016/03/05(土) 12:06:58.10 0
ぼくの主張であるが、物自体の表象は普通に我々の主観となって表れていて、デカルトの「我思う故に我あり」によって確認することができる。
物自体の表象は我々の主観のことであり、それは神の啓示でも、世界の目的でも、統覚でも、客観でもない。
客観は存在しない。
物自体の表象はプラトンが「国家」で語った洞窟の比喩とも異なり、概念の本質を意味しない。
なぜなら、変化し進化しつづける我々の認知機能が同じ概念の本質をもちうることはないのだし、
宇宙人が存在するとして、その主観が我々の認知機能と共有できる概念の本質をもちうるとはまったく限らないわけである。
ゆえに、イデア論も否定する。
物自体の表象は我々の主観であり、客観は存在しない。

ちなみに、物理学や工学において客観を否定して論理を構築するのはまったくの徒労であり、
客観を存在妥当とでも呼びかえるだけで、現在行われているように数学と実験を根拠に進歩していった方がおそらく社会はよくなるであろう。
哲学の本質を技術者が求める必要はまったくなく、そんな作業は千年でも時がたって人類に暇ができてから行っても充分損はしないと思われる。

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