■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む
- 806 :考える名無しさん:2020/01/29(水) 02:04:30 ID:0.net
- 次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)
“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
総レス数 963
325 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver.24052200