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【イスラム哲学】井筒俊彦を読む
- 1 :考える名無しさん:2017/05/24(水) 21:31:52.49 0.net
- 井筒俊彦(1914-1993)スレ
- 820 :考える名無しさん:2020/02/14(金) 09:08:23 ID:0.net
- >>816は、別の人ですね
私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からないけど、
「ぼくが知ってる漢字」から推測してみると、「きた」の
「き」は、中国語の"qi(ピンイン表記)"に対応しているの
ではないかと思う。"qi(ピンイン表記)"は、「チィー」
と発音されて、「き」とは似ていないように思えるけど、
"qi(チィー)"と発音される漢字の多くは、日本語の発音
では、「き」と読まれている。
https://cjjc.weblio.jp/content/qì
- 821 :考える名無しさん:2020/02/14(金) 09:15:39 ID:0.net
- 「きた」の「た」が、「ひな・た(日向)」や「かな・た(彼方)」の
ように方向としての「た(手)」を表していると想定してみると、
「きた(なし)」のように、「きた」は"darkness"を表現するように
用いられているのだから、"qi(チィー)"と発音される中国語の
表現のなかでも、「漆黒」の「漆 ピンインqī」辺りが有力候補
に挙がりそうな気がするけど、どうだろう。
- 822 :考える名無しさん:2020/02/14(金) 09:17:49 ID:0.net
- ところで、「けた」と読まれる気多(けた)大社の「気多」は、
「きた(北)」とは無関係なのだろうか。
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