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インド哲学総合スレ2

1 :考える名無しさん:2021/01/24(日) 09:16:11.38 0.net
前スレ
インド哲学 Part1 [転載禁止](c)2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1428450760/

84 :考える名無しさん:2022/12/14(水) 20:48:52.27 0.net
>>83
ありがとうございます。
湯田訳を買ってみようと思います。
いずれはウパニシャッドの方にも当たると思うのですが、絶版になってるようなので、古本屋さんなどで探してみます。

85 :考える名無しさん:2023/06/26(月) 05:09:13.37 ID:0.net
無知だから聞きたいのだけども、ウパデーシャ・サーハスリーってのは概要読む限りギーターと内容がちょっと重複してるような気がするが、これも読むべき?

86 :考える名無しさん:2023/06/27(火) 05:12:49.94 ID:0.net
『ウパデーシャ・サーハスリー』には、有名な「蛇と縄」の比喩が出てくる。
これは、シャンカラの哲学/神学の核心。
以下は、その解説部分。

“なぜわれわれは真実の自己を見失って、自分自身を、「これこれの家系のバラモンの息子です」などといって、カーストとか、家系とかをもった身体と見做すことになるのであろうか。
これを説明するために、シャンカラは無明(avidyā 無知)の観念を導入した。かれによれば、無明とは、Aの性質をBに付託することである。付託とは、以前に知覚されたAが、想起の形でBに顕れることである。
たとえば、薄明のとき、森のなかで縄を蛇と間違えてびっくりすることがあるが、これは過去に知覚したことのある蛇を、目の前にある縄に付託するためであるといわれる。このような付託が無明である。”

― シャンカラ 『ウパデーシャ・サーハスリー:真実の自己の探求』 前田専学訳、岩波文庫 (1988) p7 (「訳者まえがき」)

87 :考える名無しさん:2023/06/30(金) 06:26:44.35 0.net
つまりどういう事だってばよ?

88 :考える名無しさん:2023/07/01(土) 00:58:41.02 ID:0.net
>>87
自分で読んでこい

89 :考える名無しさん:2023/07/02(日) 10:49:47.82 ID:0.net
基本的にヴェーダンタの一元論は霊的体験なしには理解のしようがない
シャンカラをいくら理屈で解釈しても徒労に終わる

90 :考える名無しさん:2023/07/02(日) 16:29:53.87 ID:0.net
ヴェーダーンタ学派というのは「ヴェーダ聖典+アンタ(終わり、まとめ)」という意味だから、
インド思想史を体系的にやらないと理解できない。

91 :考える名無しさん:2023/07/02(日) 16:30:35.34 ID:0.net
特に、シャンカラの形而上学には、東洋と西洋、古代から現代までの哲学の中間的な性格があるから、
理解するには、それだけ広範囲の知識が必要になるし、知識があって理解できるなら、目から鱗だろう。

92 :考える名無しさん:2023/07/02(日) 16:33:51.73 ID:0.net
『インド哲学思想 5 シャンカラの思想』 中村元、岩波書店 (1989)

シャンカラの解説本はいくつかあって、どれから読み始めても良いが、最も学術的で詳細なこの本は必読。
「蛇と縄」の問題を発展させた、形而上的で高次の「無属性ブラフマン(nirguṇa brahman)」と、
形而下的で低次の「有属性ブラフマン(saguṇa brahman)」の解説もある(p698-699)。

93 :考える名無しさん:2023/07/03(月) 15:09:25.20 ID:0.net
>>92
知らない単語だらけだな……とりあえず今日中にはウパデーシャ・シャーハスリー届くから、後はマヌ法典先に読むかリグ・ヴェーダで迷ってたけど、先にヴェーダ読んだ方がいい感じかな?

94 :考える名無しさん:2023/07/06(木) 00:25:58.77 0.net
>>93
その辺りであれば、いずれどれも読まなければいけないけど、
何を読むにしても、『リグ・ヴェーダ』や『ウパニシャッド』は土台になる。
あとは、>>3の古典群とか>>4の解説書も参考にしてもらって。

95 :考える名無しさん:2023/07/07(金) 14:20:30.75 ID:0.net
>>94
ありがとう ついでに聞きたいんだけもも、シャンカラのギータ註解って日本語版ある?
上村氏のバガヴァッド・ギーターの世界も読んでみたけど、人によって解釈違うらしいから読めるのなら読んでみたい

96 :考える名無しさん:2023/07/07(金) 23:21:35.04 ID:0.net
部分訳があったかな。

高木健翁 訳 「シャンカラ著『バガヴァッドギーター註』第三~五章翻訳」 『東洋学研究 (通号 38-40)』 東洋大学東洋学研究所 (2001-03)

97 :考える名無しさん:2023/07/07(金) 23:27:55.56 ID:0.net
ギーターといえば、核兵器のイメージの源泉ともなった箇所。


“核兵器には、宗教的な暗示も常にまとわりついてきた。
 その先鞭をつけたのは原爆開発を指揮したロバート・オッペンハイマーで、
 一九四五年に行われた世界初の核実験を見て、ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節
 「いまやわれは死となり、世界の破壊者となった(*11章32節)」を引用した。”

― 『暴力の人類史(上)』 スティーブン・ピンカー、青土社 (2015)


“神よ…全世界の主よ。(15-16)
 一切の方角に輝きわたる光輝の塊であるあなたを見る。(17)
 無限の力を持ち、無限の腕を持ち、月と太陽を眼とし、燃火を口とし、自らの光輝によりこの全世界を熱しているあなたを私は見る。(19)
 あなたのこの稀有で恐ろしい姿を見て、三界は戦慄(おのの)いている。(20)
 蛾が大急ぎで燃火に入って身を滅ぼすように、諸世界は大急ぎであなたの口に入って滅亡する。(29)
 あなたは全世界を遍く呑み込みつつ、燃え上る口で舐めつくす。(30)”

― 『バガヴァッド・ギーター』 上村勝彦訳、岩波文庫 (1992) 11章

98 :考える名無しさん:2023/07/07(金) 23:28:21.53 ID:0.net
解釈は、"巨人兵"

99 :考える名無しさん:2023/07/09(日) 15:31:09.85 0.net
山際素男氏のマハーバーラタ、文庫本サイズで復刊しないものか

100 :考える名無しさん:2023/07/10(月) 16:32:27.84 0.net
マハーバーラタ、英語版を2回読んだがどの辺がありがたい話なのかさっぱりわからん。
特にバガヴァットギーターの部分。解釈が行き過ぎだろ。
三国志演義の方がよっぽど有難くてためになるわ。

101 :考える名無しさん:2023/07/12(水) 22:45:25.26 0.net
リッタ達の話もギータもありがたいと思うけどなぁ
ギーターは解釈が難しい上に人によって違うらしいから、上村勝彦著 バガヴァッド・ギーターの世界を読んでみたら?

102 :考える名無しさん:2023/07/13(木) 00:59:16.34 ID:0.net
リシだった

103 :考える名無しさん:2023/12/22(金) 22:12:57.39 0.net
インド哲学=ホームレスもしくは乞食。

104 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 09:45:34.59 0.net
“空の青さが視覚的な幻影であるように、
 この世界の現れは精神の錯乱でしかない。
 それに思いを馳せるよりは無視したほうがいい。
 「世界という現象は非実在である」という確信が自分の内に起こらないかぎり、
 不幸からの自由も、自己の本性の実現も不可能だ。”
 
― 『ヨーガ・ヴァーシシュタ(Yoga Vāsiṣṭha):至高の真我』スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ、福間巌 訳、ナチュラルスピリット、2021年、p16

105 :考える名無しさん:2024/04/05(金) 17:40:52.40 ID:30Y0FJ2g8
濱正晃 某新興宗教団体

106 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:06:38.08 0.net
東京大学でインド哲学を学ぼう。

107 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 06:58:51.96 0.net
バサラ

108 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 04:33:22.12 0.net
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

109 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 04:33:29.58 0.net
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。

110 :考える名無しさん:2024/06/15(土) 12:02:55.55 0.net
何やっても無駄ですよ
人生は小学生までで決まるのですから。

111 :考える名無しさん:2024/06/28(金) 00:36:31.58 0.net
>>104
最古の宗教学

“いま、地球上に現存していてしかも実際に観察できる宗教の中で、
 最も古代的な形態を残している宗教というのは何かというと、
 それはオーストラリア・アボリジニの宗教です。

 人類はまずアフリカを出て、ペルシャ湾を海岸沿いに移動し、インドへ入り、
 そして、アンダマン諸島とかアイランダ島なんかのインド洋の島々から、
 いろんなところへ広がっていきました。

 エリアーデにしても、エミール・デュルケム(Emile Durkheim)にしても、宗教学を勉強する人は、
 オーストラリアの先住民の宗教を研究するというのを出発点としていたわけです。

 僕が、とりわけ強い印象を受けたのは、(略)
 大長老になると、遠くへ一人で出かけて行って、岩の上に座って、青空をずっと見ている。
 これが、アボリジニの世界の大知識人の一つの生き方なんだということです。
 そうしたことが、エルキン(Adolphus Peter Elkin)という人の本なんかに書いてある。”

― 中沢新一×河合俊雄 『ジオサイコロジー:聖地の層構造とこころの古層』 創元社 (2022) p24-28

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