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意識のハードプロブレムの答え10

7 :考える名無しさん:2021/06/05(土) 13:37:43.66 0.net
私は、算数や数学は義務教育レベルから放棄していたので、数学の隠喩に
ついて語ることはとても危ういのですが、隠喩として用いる場合でも、
和と積と冪は、そのように互いに別々のものとしてではなく、数学に
おけるそれらの相互の関係になぞらへて考えた方がいいのではないか、
と思っています。

「創発」という表現がどのような意味で用いられているにせよ、現象の
変化はまずは、和のように量的なもの/"quantification"としてよりも、
積のように質的なもの/"qualification"と感じられるのではないで
しょうか。それは、「高い/低い」、「重い/軽い」、「強い/弱い」の
ように直ちに数量化が可能であると感じられるような場合でも、
そうなのではないかと思われます。「何かが質的に変わった」という
認識がまず生じて、それが、例えば、「重い/軽い」の変化であっても、
それは、単に和として「重さ」が加わったということではなく、
現象に質的な変化をもたらす「重い/軽い」という現象の特性に
おいて「重さ」が加わったと「量的に」認識することが、現象の
「数量化」なのではないかと思います。そのような関係性で隠喩を
用いた場合、その量の変化において「重い/軽い」という特性は、
冪として表現されることになるのではないでしょうか。すると、
現象に何か新たな質的な変化が現れて、それがまだどのような
特性の変化によるものか明確でない場合、その変化は、当面、
量的には表現され得ず、その質的な変化をもたらす新たな要因
が特性として冪に加わったこととして、つまり、それが特定
されたなら数量化が可能になるかもしれない、冪における
新たな要因の和としてイメージされるのではないでしょうか。

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