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ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 22

1 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 22:21:10.32 0.net
前スレ
ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 21
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1614095672/

2 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 22:21:42.06 0.net
ジル・ドゥルーズ単著
『ヒュームあるいは人間的自然 経験論と主体性』 木田元・財津理訳 朝日出版社:エピステーメー叢書、1980
『経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論』 河出書房新社、2000
『ニーチェと哲学』 足立和浩訳、国文社、1974;江川隆男訳、河出文庫、2008 
『カントの批判哲学』 中島盛夫訳 法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1984 
『カントの批判哲学』 国分功一郎訳 ちくま学芸文庫、2008 
『プルーストとシーニュ』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974
『ニーチェ』湯浅博雄訳 朝日出版社、1985/ちくま学芸文庫、1998
『ベルクソンの哲学』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974 
『マゾッホとサド』蓮實重彦訳 晶文社、1973
『原子と分身 ルクレティウス/トゥルニエ』原田佳彦・丹生谷貴志訳 哲学書房 1986
『意味の論理学』 岡田弘・宇波彰訳、法政大学出版局、1987 
『意味の論理学』 小泉義之訳、河出文庫上下、2007 
『差異について』 平井啓之訳 青土社 1989、改訂1992.2000
『スピノザと表現の問題』工藤喜作ほか訳 法政大学出版局、1991
『差異と反復』財津理訳、河出書房新社、1992
『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 1994/平凡社ライブラリー、2002
『感覚の論理──画家フランシス・ベーコン論』山縣煕訳 法政大学出版局、2004 
『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』 宇野邦一訳 河出書房新社、2016 
『シネマ1 運動イメージ』財津理、斎藤範訳 法政大学出版局、2008 
『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一ほか訳 法政大学出版局、2006 
『フーコー』 宇野邦一訳、河出書房新社、1987/河出文庫、2007  
『襞──ライプニッツとバロック』宇野邦一訳 河出書房新社、1998 
『記号と事件 1972-1990』 宮林寛訳、河出書房新社、1992/河出文庫、2007 
『批評と臨床』 守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社 2002/河出文庫、2010
『無人島 1953-1968』宇野邦一ほか訳、前田英樹監修 河出書房新社、2002
『無人島 1969-1974』稲村真実ほか訳、小泉義之監修 河出書房新社、2002

3 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 22:21:57.17 0.net
『狂人の二つの体制 1975-1982』宇野邦一ほか訳 河出書房新社、2004 
『狂人の二つの体制 1983-1995』宇野邦一ほか訳 同
『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』 國分功一郎監修、角川学芸出版、2015
『基礎づけるとは何か』 國分功一郎、長門裕介、西川耕平訳、ちくま学芸文庫、2018

ジル・ドゥルーズ他の共著
『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』第5巻、蓮実重彦訳、小沢書店〈叢書エパーヴ〉、1975
『ドゥルーズの思想』 田村毅訳、大修館書店、1980
『情動の思考-ロレンス『アポカリプス』を読む』 鈴木雅大訳、朝日出版社〈ポストモダン叢書〉、1986
『消尽したもの』 宇野邦一・高橋康也訳、白水社、1994
『重合』 江口修訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、1996
『ヒューム』 合田正人訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000
『対話』 江川隆男・増田靖彦訳、河出書房新社〈ちくま学芸文庫〉、2008

4 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 22:22:17.59 0.net
フェリックス・ガタリとの共著
『アンチ・オイディプス──資本主義と分裂症』 市倉宏祐訳、河出書房新社、1986
『アンチ・オイディプス』 宇野邦一訳、河出文庫上下、2006
『アンチ・オイディプス草稿』ステファン・ナドー編、國分功一郎、千葉雅也訳、みすず書房、2010
『カフカ──マイナー文学のために』 宇波彰・岩田行一訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1978 
『リゾーム…序』 豊崎光一訳、朝日出版社(『エピステーメー』臨時増刊附録、1977/単行本、1987) 
『千のプラトー──資本主義と分裂症』 宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994/河出文庫上中下、2010.9−11 
『哲学とは何か』 財津理訳、河出書房新社、1997
『政治と精神分析』 杉村昌昭訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1994
『フェリックス・ガタリの思想圏―“横断性”から“カオスモーズ”』大村書店、2001

フェリックス・ガタリ単著
『精神分析と横断性――制度分析の試み』杉村昌昭、毬藻充訳、法政大学出版局、1994
『分子革命――欲望社会のミクロ分析』杉村昌昭訳、法政大学出版局、1988;[改題]『精神と記号』法政大学出版局、1996
『機械状無意識――スキゾ分析』高岡幸一訳、法政大学出版局、1990
『闘走機械』杉村昌昭監訳、西川浩樹、前田晃一訳、松籟社、1996
『カフカの夢分析』ステファヌ・ナドー編註、杉村昌昭訳、水声社、2008
『分裂分析的地図作成法』宇波彰、吉沢順訳、紀伊國屋書店、1998
『三つのエコロジー』杉村昌昭訳、大村書店、1991;[平凡社ライブラリー]2008

5 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 22:23:47.12 0.net
代表的な研究者または論客には次のものがある
浅田彰『構造と力』1983、『逃走論』1986。日本におけるドゥルーズ紹介のセンセーショナルな先駆者
蓮実重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』1978
吉本隆明「『アンチ・オイディプス』論」「『千のプラトー』」『アンチ・オイディプス』日本版刊行当時に根底的な批判。宇野邦一との討論もある
宇野邦一『ドゥルーズ――流動の哲学』2001、『ドゥルーズ――群れと結晶』2012。フランスでドゥルーズの研究室で学んだ代表的な論客
江川隆男『存在と差異――ドゥルーズの超越論的経験論』2003、『アンチ・モラリア――〈器官なき身体〉の哲学』2014
小泉義之『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』2015、『ドゥルーズと狂気』2014、『ドゥルーズの霊性』2019
檜垣立哉『ドゥルーズ――解けない問いを生きる』2015、『ドゥルーズ入門』2009
千葉雅也『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』2013年に同著刊行し話題になる。ドゥルーズ論の新世代といわれる
國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』2013
鹿野祐嗣『ドゥルーズ『意味の論理学』の注釈と研究: 出来事、運命愛、そして永久革命』2020
佐藤嘉幸、廣瀬純『三つの革命:ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』2017
仲正昌樹『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』2018
近藤和敬『〈内在の哲学〉へ:カヴァイエス・ドゥルーズ・スピノザ』2019、『ドゥルーズとガタリの『哲学とは何か』を精読する 〈内在〉の哲学試論 』2020
小林卓也『ドゥルーズの自然哲学: 断絶と変遷』2019

オムニバス
『ドゥルーズ KAWADE道の手帖没後 10年、入門のために』河出書房新社編集部、2005
『ドゥルーズ 没後20年新たなる転回』河出書房新社編集部、2015
『ドゥルーズの21世紀』檜垣立哉、小泉義之、合田正人編、2019
『ドゥルーズ/ガタリの現在』鈴木泉・檜垣立哉共編、2008
『ドゥルーズ横断』宇野邦一 編、1994
『ドゥルーズ 千の文学』宇野邦一、堀千晶、芳川泰久編、2011
『ドゥルーズキーワード89』芳川泰久、堀千晶、2008

6 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 22:24:06.80 0.net
以上

7 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 18:44:43.86 0.net
痔留泥蔵

8 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 22:14:50.27 0.net
ドゥルーズ関係書籍をあげた人は、マルクス・エンゲルス全種は読んだの?

9 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 22:53:05.58 0.net
でれうぜ

10 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 23:11:24.95 0.net
バンクシー

11 :ハチくま :2021/12/06(月) 02:49:10.07 0.net
大人みたいな本の読み方ってなあに?🥺
思想を流行り廃りの「最新(笑)」な系列の全体性に還元して本を読むこと?
それともおっさんのスノッブな自己愛を満たすために「君にはわからないだろうね」などとほざく為の道具として使う為の殴り棒にすること?


どちらも全体性ではなく強度を主軸とし「哲学は社会の愚かさと戦うための武器」とするドゥルーズの哲学性から大きくズレてて草

1000 考える名無しさん 2021/12/06(月) 00:09:59.24 0
>>998
子供みたいな本の読み方

12 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 23:17:25.55 0.net
>>11
前スレでもやったけど、君は「テクストを読むということ(テクスト論)」が分からないんだよ。


> 998 名前:ハチくま ◆81qMC/Fs4Y [sage] 投稿日:2021/12/05(日) 21:30:24.01 0
> 未だに哲学書を読むことを、何か高尚なものだと勘違いしてる馬鹿って感じ

> 986 名前:ハチくま ◆81qMC/Fs4Y [sage] 投稿日:2021/12/04(土) 21:19:38.98 0
> メイヤスーとかほんとそいつしか興味ないよな

13 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 23:17:57.66 0.net
【テクスト論(テクストを読むということ)】

マルクス信者「尊崇する作品を読む」
・作者>作品

/////////// 超えられない壁 //////////

ロラン・バルト「テクストを読む」(テクスト論、作者の死)
・作品>作者

デリダ「エクリチュールを読む」

ドゥルーズ「非シニフィアン的記号を読む」

メイヤスー「数学的コーパス(資料体)を読む」

千葉「言葉の形象を読む」

テクスト論
https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E8%AB%96-186000
作者の死
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BD%9C%E8%80%85%E3%81%AE%E6%AD%BB

こういうのが、フランスの現代哲学がやってきたこと。

14 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 23:18:25.22 0.net
特に注意してほしいのは、ドゥルーズやメイヤスーなど、ポスト構造主義以降の「テクスト」とは、本や文章に留まらないということ。

ソシュール記号学の対象は日常的音声言語であったが、
ドゥルーズやデリダが影響を受けたパース記号論の対象は言語記号に留まらず、
生命現象や自然現象にまで及ぶ。

それで、量子力学と存在論、などという話まで見てきたわけだ。

15 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 23:19:30.72 0.net
東大寺の大仏「毘盧遮那仏」や空海の「大日如来」が正にそういう世界。
それらは宇宙の森羅万象そのものを仏格化したものであり、
それが、デリダ的なエクリチュールの差異の運動として捉えられている。


“五大にみな響きあり
 十界に言語を具す
 六塵ことごとく文字なり
 法身はこれ実相なり
(地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象が声として響き、
 仏・菩薩・緑覚・声聞・天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の十界すべてが言語を具え、
 色・声・香・味・触・法の六塵、つまり知覚世界の諸差異が文字を生ずる。
 大日如来と呼ばれるものは、宇宙のありのままの姿に他ならない。)”

― 空海 「声字実相義」 『弘法大師 空海全集 第2巻』 筑摩書房 (1983) p263-298を基に訳出

16 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 23:20:10.40 0.net
器官なき言語/宇宙

17 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 23:20:56.61 0.net
“文は全体であり、世界であり、ブラフマン(宇宙の根本原理)である”

― バルトリハリ 『古典インドの言語哲学 2』 赤松明彦 訳注、平凡社 (1998) p223

18 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 23:21:35.83 0.net
これが大人の本の世界

19 :ハチくま :2021/12/07(火) 23:29:41.80 0.net
>>12
だからそれが「最新の知(笑)」という流行り廃りの殴り棒として読んでるっていうお前の心理状態の話な🙄

20 :ハチくま :2021/12/07(火) 23:40:32.29 0.net
>>13
まさにこれ自体が「流行り廃り」の「文脈」である🙄
テクストからシニフィアンの連鎖を抜き取る「振り」をして、実態はその文脈構成によって規定された知の構成に並べ替えているだけ

こいつの言う「大人の読み方」とは、即ち「哲学」ではなく「哲学史」の系列にまとめてるだけの神経症症状に過ぎない🥺
そんな所にテクストの強度はない🥺

21 :ハチくま :2021/12/07(火) 23:49:50.72 0.net
そもそも「作品>作者」とかほざきながら、いざ反論されれば

733 考える名無しさん 2021/10/05(火) 23:40:17.24 0
>>732
どの本で読んだんだ?

などとのたまう時点で、こいつの脳みその構造は既に「作者>作品」である🥺

22 :ハチくま :2021/12/08(水) 00:11:33.54 0.net
本質的に去年いわゆる「鬼滅棒」でワンピース(と「作者」)殴ってたネットの有象無象と同じ思考体系なんだよな🥺

「作者の死」からあずまんのいう「データベース消費」に移行した知の枠組みに沿ってるだけに過ぎない

23 :ハチくま :2021/12/08(水) 00:24:20.76 0.net
そもそも作者からテクストを切り離すという恣意性それ自体が、テクストから作者の身体を排除しているというこの点においてまさに「シニフィアン」に囚われているに過ぎないという矛盾があるわけで🥺

精神分析においては患者の語った言葉(シニフィアン)だけではなく、患者の身体の動作(まだ意味されていないもの)もまた読まれなければならないものである🥺

この辺り千葉はドゥルーズの喘息という身体性で消尽について語っていたと思うが🥺

24 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 08:49:38.37 0.net
>>13>>14
それじゃ、言葉の使い方が間違ってるだけだよw

量子力学と存在論、なんて大真面目に語ろうとするから、ソーカルさんにバカにされたんだよ?

25 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 12:13:20.35 0.net
>>23

26 :ハチくま :2021/12/09(木) 19:17:12.51 0.net
失語症🥺

27 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 22:48:43.40 0.net
>>23
純粋客観はないとはよく言ったもんだよね

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