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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

2 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 09:43:25.85 0.net
ぺゃ

3 :時計 :2021/12/21(火) 11:58:42.75 0.net
>>前スレ1000
わろうた。:)

4 :時計 :2021/12/21(火) 13:05:10.04 0.net
前スレの幻想に関して。
私は存在を幻想と呼ぶかは表現の問題のように思います。
科学的知識に関しても、トーマス・クーンのパラダイムシフトは、
古い幻想が新しい幻想に置き換わることと言えなくもないかなと思います。

5 :でこすけ:2021/12/21(火) 13:35:45.88 0.net
>>4
世間一般に、つまり哲学に関心を持たない人も含めて
「幻想」という表現にどのようなイメージを持っているのか、
たぶん個人差があるのだろうとは思ったわけですけど
私の場合は栗本慎一郎派ですから『幻想としての経済』とか言って
「貨幣」「交換」「労働」「権力」といったものを「幻想」と表現することに
ことさらな違和感がなかったということがひとつあるかもしれません。
私としては「仮想」「虚像」「仮の姿」「ニセモノ」なんでもいいわけで
ウィトゲンシュタインが「写真」と表現したのももちろんアリです。
むしろぴったり当てはまる言葉はない気さえするくらいで、
そもそもは単に私の性格ですが、ある程度アバウトでいいと思っています。
新しい言葉をつくるのは、それはそれでややこしい気がするのです。
多少のブレは気にしないでテキトーにやるか、
面倒でもキッチリやるか、
それぞれの人間性のような気がします。

6 :でこすけ:2021/12/21(火) 13:52:48.05 0.net
私の感性では「夢」は「幻想」と言い得るものです。
夢の中でリンゴをかじったとき、それは「本当のこと」ではありませんが
そのとき感じた甘さは「現実」です。
そして私はいわゆる「うつつ」もそれと同じ構造を持っているのではないか
と考えます。
日常体験は「幻想」ではあるけれども「現実」でもあるだろう
という考え方です。

7 :でこすけ:2021/12/21(火) 14:02:37.95 0.net
>>6
では何故「うつつ」を幻想的なものだと考えるのかというと
たとえば冷蔵庫の中身ですが、
私は、ある意味で、本当に何も無いのではないかと考えるためです。
あるいはどこかで「冷蔵庫の中には何かが存在する」と表現したことは
あったかもしれませんが、だとすればそれは間違いです。
冷蔵庫の中にあるのは存在的なものではなく
仕掛け的なものだと考えています。
「冷蔵庫の中には何かがある」以上のことは言えないことになります。

8 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 14:09:43.11 0.net
>>4
「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」この実在と存在の関係で正解だと思います。もともと正しい認識がないのは問題ですが、われわれと離れて別に、客観的に存在する物体を幻想と表現するのは、たんなる表現の問題ではないと思いますがいかがでしょう?

9 :でこすけ:2021/12/21(火) 14:16:42.98 0.net
>>7
たとえば目の前にリンゴを認識できるとき可能性は二つあるはずです。
実際にリンゴがそこにあるということと、
リンゴを認識する仕掛けがあるだけ(たとえばVRで実現されているように)
(ただしこのリンゴはみんなが認識できるのがミソです)ということと、
私にはとりあえず二つ思い浮かびます。
前者は意識のハードプロブレムのような矛盾を生みます。
後者は具体的な構造がよくわかりません。
このとき私には後者の方が可能性が高いように思えます。
むしろ前者は無い気がします。
少なくとも後者は反証されていなければ可能性はあるはずです。

10 :でこすけ:2021/12/21(火) 14:37:31.61 0.net
>>9
ちなみに私が「戸棚」とか「押入れ」とかではなく
「冷蔵庫」にこだわるのは、
冷蔵庫の扉を開けると電気がつくという仕掛けがあるためです。
「存在」は認識されて初めて存在できるのだろうと考えます。
「存在」は意識の外ではなく中にあるとも言い得るように思えます。
前スレで「扉云々」という指摘がありましたが
私はわかりやすいだろうと思ってやっているだけです。
たとえば東京タワーとスカイツリーの真ん中にいるとしましょう。
東京タワーが見えているときはスカイツリーが見えていません。
このときじつはスカイツリーは存在していないということができます。
振り返った瞬間そこにスカイツリーが現れるのです。
東京タワーは視界から消えた瞬間存在しなくなるのです。
ただしこれは考え方の基本にすぎないものです。
結論だけ言うとこの宇宙に誰もいない森なんていうものはありません。
そこで木が倒れたとき私たちは音を聞いてはいるのですが
何しろ音が小さすぎて意識にのぼらないだけです。
本当は扉が閉まっている冷蔵庫の中にも牛乳は存在します。
ただ冷蔵庫の中というのも意識の外ではなく
意識の中にあるものだというのがわかりにくいところです。

11 :でこすけ:2021/12/21(火) 15:02:09.20 0.net
>>10
唯心論が弱いのは、えてしてそこで想定されている「心」が
人間限定になっているためだと思います。
それに対して私が想定している「心」はもっと普遍的なものです。
人間の心のような複雑な構造のものが僅か数百万年前に突然生じたとは思えず
もっと単純なものから徐々に進化したと考えるのが妥当に思えるのです。
これは生物以前にさかのぼるはずです。
そうなるともはや「心」とは言えなくなるかもしれませんが、
私としては主体性がないものは存在できない気がします。
哲学的ゾンビな素粒子はあり得ない気がするのです。
仮に世界に一個しか素粒子が存在していないとすると
自分からも誰からも認識されないものというのは
どのようにして存在しているのか、不可解な気がします
(素粒子というよりも量子かもしれません)。
ちなみに私がいう共同幻想(三次元時空など)とは
そのような多くの意識的な何か(生物以前にさかのぼるもの)
等によって成り立っているもののことです。

12 :でこすけ:2021/12/21(火) 15:16:29.95 0.net
>>8
「われわれと離れて別に、客観的に存在するもの」
このようなものにかかわらず何かが存在すると主張するとき、
普通はそれが存在することを証明する必要があるように思います。
これは漠然とした印象ではなく、具体的な現物などの確かな証拠のことです。
じつは私はけっこう探したつもりなんですけど未だにみつかりません。
何かありましたら是非お願いしたいです。
これは私見ながらひょっとすると意識のハードプロブレムを解明するより
すごいことです。

13 :時計 :2021/12/21(火) 15:19:21.96 0.net
>>8
前スレの872で挙げたメイヤスーの唯物論はそのような感じですね。
私は、有るということは必ず思考の内側に有ると考えます。
「われわれと離れて別に」とは考えません。

14 :でこすけ:2021/12/21(火) 15:42:24.01 0.net
共同幻想は必然性のあるものではなく、たまたまだと思います。
たとえばもっとも原始的な共同幻想のひとつは「意識の外部」です。
私たちは日常の中でこの世界に自分が体験できない世界がある
ということを学習しますが、
そのようなものが本当に存在するということは証明できないので
それはある種の幻想といいうるものだと思います。
しかし想定しておいて矛盾が生じることはないようです。
実際にそれがあるということと、それを想定することは別のことだ
という考え方です。
では如何にしてみんなが外部を認識するようになったのかというと
そこに必然性をもたらすメカニズムが働いているのではなく
ようはたまたまだと思うのです。
ただし共同幻想への参加は全体の中の一部のグループに限られると思います。
私の印象ではダークマターといわれるものでさえも
この世界に存在する全部の中のほんの一部にすぎない気がするのです。

15 :でこすけ:2021/12/21(火) 16:04:33.09 0.net
ちなみに私が思う「単純な構造の意識」についてです。
そのようなものはなんだか小さい物のような気がしますが
私が勝手に思い込んでいるものはたとえば人間もアメーバも
持っている規模は同じということになっています。
それを情報量が同じと言えるのかどうかは微妙な気がしますけど
たとえば持っているサイコロの数は同じというかんじです。 
アメーバはほとんどランダムであるのに対して
人間は規則性を持って配列させているのが特徴で、
しかしロイヤルストレートフラッシュが5枚のカードのバリエーションのひとつ
にすぎないように、それは特殊であっても特別ではない気がします。
じつは私は超球面さんの「情報量保存」というのがどういうことなのかが
よくわかっていないんですけど、
私で言ったらそのあたりになるのかなというかんじです。
ちなみにその規模はどれほど小さく見積もっても事象の地平面の内側です。
意識はあらゆるもの影響を受け、
その痕跡は確実に記録されている気がするためです。
私たちの表層意識は本当に表層というイメージです。

16 :でこすけ:2021/12/21(火) 16:13:45.56 0.net
>>13
おそれいります私はメイヤスーを舐めていたかもしれません。

ただ、今日まとめて投稿させてもらったのは
言わば「絵」に対する解釈であって「カンバス」についてではありません。
「カンバス」というのはつまり「形而上」のことだと思うのですが
それはそれでまた別に存在すると私は考えています。
ただし答えは超球面さん的に言って
既にみんな知っているのが特徴だと思います。

17 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 16:24:40.80 0.net
>>6
おまえまえのスレではその味も幻想と言ってたなw
糖質だよなw

18 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 16:35:03.42 0.net
こいつのセンサーは目だけで後ろで屁をこいても屁の存在に気づかないなw

19 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 16:40:14.60 0.net
つか全然前に進んでないし進みそうもないなw
かといってヒントを出す気にもならんなw
時計はバカだしw

20 :時計 :2021/12/21(火) 16:55:14.64 0.net
>>19
お前に勝つくらいなら、バカでいいや。

21 :時計 :2021/12/21(火) 17:00:05.20 0.net
>>16
メイヤスーは唯物論者ですが面白いですよ。
私は主観主義者ですが、反唯物論のチャーマーズより面白かったです。

22 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 17:26:05.67 0.net
>>12
「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」これは実在の意味を辞書から引用したもので、単に「われわれと離れて別に、客観的に存在するもの」だけでは実在の意味ではないんですね。
「われわれがそう思うからそこにあるようにみえるというのではなく」という部分も含めてようやく実在を意味(認識に足る)するのです。
私が思うに、われわれがそう思うから、そこにりんごがあるように見える場合、そのりんごは単なる存在で、われわれがそう思うからそこにあるようにみえる存在ではなく、われわれと離れて別に客観的に存在するものしか実在ではないですよという認識になります。
この実在を否定するには否定できるだけの存在を論証する必要があるというだけだと思います。

23 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 17:49:38.96 0.net
>>8
> 私は、有るということは必ず思考の内側に有ると考えます。「われわれと離れて別に」とは考えません。

有るというだけならそうですが、実在する存在か、しない存在かの話ですから、実在の存在はわれわれの思考と離れて、テーブルの上(という所に在る、所在)にある、実在するリンゴという存在ですし、思考の中にしかないりんごとしての存在は実在するリンゴの存在ではない、そのように区別して考えないこと自体論理的に問題だとは考えませんか?

24 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 17:56:29.99 0.net
>>23>>13へです。

25 :時計 :2021/12/21(火) 18:21:10.02 0.net
>>23
私は実在は有るということの1つのモードだと考えます。
実在も必ず思考に内側に実在すると考えます。

26 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 18:38:56.96 0.net
>>25
うーん、実在は有るということのモードなのもわかるし
実在が思考に内側に実在しないるわけじゃないのも表現的にはわかるのですが
そういう話ではないんですよねぇ・・・主観主義的には問題にならないのでしょう。

27 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 18:50:52.58 0.net
>>10

基本的に面白いこと言ってるなーと思います。
考え方としては面白いし好きですね。
冷蔵庫を使う事は何となく納得できました。

全体は大きくて複雑な考えなので全体にレスをつけるのは正直考えがまとまりません。
なので一部でちょっと思った事を書きます。

正直変な考えなので笑いとばすつもりでお読みください。
私は意識は単純な物であると思ってます。
存在は意識の中にあるのではなく意識が存在に向くのだと思います。
もっと言うと思考も意識の中にありません。
判断も意識の中にありません。
じゃー意識ってなんだよって言うと何にでもアクセスできるただ感じるものなんじゃないのって思ってます。(あと感情の発動体でもあるかと)

例えば生命にとって呼吸は大事な物ですが私はその大事な呼吸をしてる事を忘れている事がよくあります。
意識は何か一つにしか向けられないというのが私の仮説です。雑然と色々な感覚を感じてるような気がしていても集中してないだけではっきり向けられるのは一つと感じます。
そして、何かが存在するというのは意識の中に存在があるのではなく、存在するという結論を意識が受け取って「感じる」のだと。

では意識に主体性は無いのかと言うとそんな事はなく主体となっているものは意識です。
命題を持つのも感覚を感じるのも主体となるのは全て意識です。思考や判断は意識が発動元ですが意識が思考するのではなく思考の結論を意識が受け取る。私はそう考えます。
めっさ適当ですが意識は脳の根っこ付近の中枢神経系、思考や判断や記憶は脳にあるみたいに思ってます。

28 :時計 :2021/12/21(火) 19:34:44.97 0.net
>>26
え? 実在は思考の内側に実在していると考えますよ。:)

29 :時計 :2021/12/21(火) 19:40:01.79 0.net
>>26
私の考える主観主義的には、それは実在の問題ではないかもしれません。
それは未知とは何かという問題ではないでしょうか。
全くの未知=カオスは私達の日常にはほとんどなく、
ある程度のことは予測できることばかりです。
そういうことに関して実在と言いたいのかもしれないなと思いました。
冷蔵庫の中の牛乳も同じようなことですよね。
ある程度のことは予想できる。

30 :時計 :2021/12/21(火) 19:46:50.55 0.net
>>26,28
「しているわけじゃない」と読みましたが、
「しないるわけじゃない」と書いてありますね。

31 :時計 :2021/12/21(火) 20:01:10.30 0.net
>>29
主観主義において、実在という言葉は使えなくても、
私は使えると考えますが、
同様のことを表現する方法はあると私は考えます。

32 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/21(火) 20:57:37.24 0.net
主観主義であっても、「実在」は、いっさいの主観が無い状態/状況でも存在しなければなりません。
これを解決するには、
「主観主義的実在」、といってしまえばよいのですw
「主観」は「認識主体」のものではない。
主観主義が、客観は主観に従属するという立場であれば、
認識主体から独立した客観(=実在)であっても主観に従属しますw
というわけで、「認識主体」と「主観」を切り離してしまえばよいのですw

その切り離された「主観」が、存在確率半径1の超球面なのです。
「認識主体」から切り離されちゃったので「主観」=「実在」ですw
ってことは、「超球面」が「実在」ですね。
あ!?「思弁的実在」とつながった気がする...思弁的球面...
なんかとんでもないことになったような気がする。とりあえずアルコール。

33 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/21(火) 21:15:19.37 0.net
とりあえず「認識主体」から切り離します。
客観=実在=主観=超球面
(主観と客観が同じものになってしまいますが、そこは先送り)
そうなると、「認識主体」は、「実在」によってつくられていることになりますw
「主観」自体は「客観」の側にあるのです。
主観主義=唯物論という図式が...
「認識主体」を切り離したら、とんでもない世界がみえてきた。
「認識主体」こそが「幻想」そのものだったのですな。一件落着。

34 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/21(火) 21:23:25.44 0.net
われ思うゆえにわれあり、
ではなく、
あるゆえに思うわれ。
実在が思う我をつくりだすのであって、それは実在ではないのだから幻想である。
幻想たるわれわれが実在によって存在させられる...超唯物論とでも呼んでおこう。

35 :時計 :2021/12/21(火) 21:24:44.14 0.net
>>32
私としては、いっさいの主観が無い状態/状況ということも
主体の内側にある考えであると言いたいように思います……
よく考えたいところです。

36 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 00:46:19.65 0.net
私には、エマソンのロマン主義思想自体はどうでもいいのだが
(ニーチェがそれをどのように評価し、踏み越えているかを
見るの興味深いが)、エマソンは、この引用箇所につづけて
(この引用だけ読んでも伝わらない)とても良いことを言っている。

“A man's power to connect his thought with its proper symbol,
and so to utter it, depends on the simplicity of his character,
that is, upon his love of truth, and his desire to communicate
it without loss.”
― Ralph Waldo Emerson, Nature

37 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 11:25:46.80 0.net
エマソンの散文も詩もほとんど読んだことがないのだが、一方で英国の
詩の伝統や欧州の思想哲学の流れを引き、他方で後継の世代において
米国のプラグマティズムにつながるとともに、ニーチェや現象学にも
つながり、詩と思想哲学を結び付けているエマソンの歴史的な位置付け
はとても興味深い。エマソンは、ニーチェがそれを踏襲しているとおり、
「自然」を「意」/"will"から切り離せないものとして、「意」/"will"
に中心的な重要性を見出しているが、「自然」を「コスモスとしての美」
として性格付け、「『人』と『自然』」という対比をその理想において
永続的に保持しようとしてしまう点で、ニーチェと比べていかにも
「意」/"will"の扱いが不徹底であるように見える。

エマソンの言説から見ると、結局、欧米の思想哲学は、「『意』/"will"を
介した象徴と自然の『対応関係』/"correspondence"」の失われた
(「意」/"will"そのものが蔑ろにされて、「言葉」が空虚とされ、
「事物」が単に存在すると信じられるようになる場合を含む)「調和」
を取り戻そうとする取り組みの悲喜劇として展開されているという
印象を受ける。

「意」/"will"が忘れられるのは、一方で言語表現が「名詞化」され、
言語表現によって伝えられる現象が「物象化」されることによってで
あるが、欧米の思想哲学の言語実践そのものが、その「名詞化」と
「物象化」を免れることがいかに困難であるかは、エマソン自らも、
物事はその適切な「名前」で呼ばれなければならない、つまり、
適切に「名詞化」されて呼ばれなければならないと考えていること
からも分かる。それに対して、日本語では、『意』/"will"によって
伝えられる「対応関係」/"correspondence"は、まさしくそのまま、
呼びかけの「を」と応えの「を」の「呼応関係」/"correspondence"
であり、『意』/"will"に先立って「対象」が「言葉」と対応させられ
るべく「物象化」して存立することはないのである(「自然の意」/
「神意」が顕現するのも効験としてあらたかとなること、すなわち、
事後的に露見することによってでしかない)。

38 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 11:34:38.11 0.net
>「意」/"will"によって伝えられる「対応関係」/"correspondence"は、
まさしくそのまま、呼びかけの「を」と応えの「を」の「呼応関係」/
"correspondence"であり<

このことからも、「物象化」に対するアンチテーゼとして唱えられている
ように見える「現象学」も、表現の実践を離れて、「意」/"will"によって伝え
られる「呼応関係」/"correspondence"だけを純粋に取り出して記述する
ことを目指すなら、何をやろうとしているのか不明な空疎な形式化に陥る
だけだろうと指摘することができる。

39 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 11:40:31.63 0.net
「」内の「」を『』にして用いている。コピペで「」とすべきところが
『』となってしまっている箇所があるが、「」内にある場合にそのことを
示す以外に「」と『』を区別する意図はない。

40 :時計 :2021/12/22(水) 12:55:36.59 0.net
>>36
何故それを引用しない。

>>37
普通「〜の意」は「意味」を意味すると思うが。

41 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:17:09.96 0.net
該当箇所を検索しても、Googleブックのページのイメージがヒットする
だけで、コピペすることができず、自分でタイプ入力する手間が面倒
だからだよ。関心があるなら、ここに引用した文を検索するだけで
すぐに該当箇所が見つかる。

42 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:20:03.45 0.net
「〜の意」は、「〜の心(こころ)」を意味すると思いますよ。

43 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:53:44.62 0.net

身づ柄さん私に興味あるんかな?
斜め読みしただけなんでよー分からんけど。

身づ柄さんが興味あるのは言語(海外言語含む、日本語は古語主体)をベースにした人間社会学みたいなもんで私が興味あるのは単語(現代日本語のみ)をベースにした人間構造学みたいなもんだから興味範囲重ならんと思うけど。

まあでも大体意識についちゃ書きたい事書いたんでせっせと書くのはこの辺で終わりかなーとか思います。
ちなみに意識が思考から結論を受け取るってのは結構はしょった書き方で思考と意識の分別はかなり難しいです。
以前、考えるって行為をざっくり分解した事があるんですけどそれからすると意識の比率はもっと高い感じがします。(2割とか3割とかかなー? 論理判断する時の「感じ」ってのが分かんない)
でもって思考は言語の論理構造に従うって考えててそこは身づ柄さんと多分同じなんだけど意味がよく分からん部分が多すぎだしアプローチが違いすぎてて参考にもならないんですよね。(最後のとこ、私がそう思うって事は身づ柄さんも多分そうだと思う)

44 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:56:43.54 0.net
あと誰もいない森の話と存在の話はこんな風に考えてます。

認識下において見えてなく、かつ意識を向けていない部分にある物は存在しないとは考えません。意識を向けられないので分かりませんが私という情報記録体にはその部分の認識や記憶があるためほぼ間違いなく存在すると思います。
(私をなさしめている物の存在可能性は非常に高いと思ってます。記憶は私をなさしめているものの一つです)

意識を向けた時点で私は観測者となりうると考えます。これは数学的に正しいとか分からんです。仮に違うと言われてもそう信じてます。(そうでないと生きてて困るので。宇宙の果てとか地球の中心とかのようなトンデモ領域は無視します)

45 :時計 :2021/12/22(水) 15:20:55.35 0.net
>>41
親切にどうも。今晩にでも調べてみます。

>>42
例えばどういう使い方でしょうか。

46 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 15:30:18.88 0.net
その心は

47 :時計 :2021/12/22(水) 15:34:14.73 0.net
ああ……

48 :時計 :2021/12/22(水) 17:34:56.89 0.net
>>46
「その心は」の「心」は「真意」という感じはします。

49 :時計 :2021/12/22(水) 17:39:36.76 0.net
>>45
少し長いのんあった。
特に共感はなかったです。

50 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 18:14:27.34 0.net
時計無職?

51 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 18:22:13.74 0.net
>特に共感はなかったです

それはそれで良かったのではないでしょうか。エマソン自身も
共感については、必ずしも肯定的にばかり評価している
わけではないようですから。

>We sink as easily as we rise, through sympathy. So many men
whom I know are degraded by their sympathies, their native aims
being high enough, but their relation all too tender to
the gross people about them. Men cannot afford to live together
by their merits, and they adjust themselves by their demerits,
—by their love of gossip, or by sheer tolerance and animal
good-nature. They untune and dissipate the brave aspirant. <
Ralph Waldo Emerson, "Solitude and Society"

52 :時計 :2021/12/22(水) 19:32:05.89 0.net
>>50
無職、いいですね。自由市民。

>>51
それも共感しないと言うべきなのかな。

53 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/22(水) 22:31:57.90 0.net
認識主体のほうが幻想であり、
実在する客体が、幻想としての主体をつくりだしている。
われわれは、客体によってつくりだされている幻想としての認識主体である。

このようなシナリオもありうる。
認識主体は実在しない。きわめて魅力的なシナリオだ。
430のシーンだけが存在したとすれば...
それが「映画」というもの。
認識主体の主観世界が430のシーンによってつくられる。去年マリエンバートで。

54 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/22(水) 23:07:33.25 0.net
客体同士は、おなじ世界にある以上、つながっているといえる。
客体ネットワーク。
そのネットワーク内に、認識主体が形成される。
それが生命であり思考であり、身体も脳も客体ネットワークの一部である。

55 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 23:39:04.67 0.net
>"No coração não se manda."

ここにこそ心身問題がある。

56 :anonymouse :2021/12/22(水) 23:59:52.19 0.net
仮想通貨とか、仮想マシンとか、
プログラミング界隈で”仮想”という言葉が多く用いられているが、
仮想とはなんだろうな

57 :anonymouse :2021/12/23(木) 00:10:45.48 0.net
例えば、
サイン波があって、それにノイズが乗ってる場合を考えると、
仮に実世界がサイン波だとして、そこに乗っているノイズに意味を見出すのが、仮想ということなんだろうか?

そもそも、ノイズと思っていたものが、地デジの映像と音声の情報で、
サイン波(ここでは電波だが)に乗っている情報が、テレビという世界(というか画面)と対応していたとしても、
それはテレビ以上の何者でもでしかないわけで。

つまり何が言いたいのかというと、
仮想とは、二階建てというか、実世界の上に作られた副次的な
(より高次なといっていいが、高次だからといって高尚というわけではない。オッカムの剃刀。)
機能や世界のことをいうのだろう。
ソフトの上にソフトを作る?
それか、
ハードの上に作られたソフトの上にハードを作って、
それが元の世界のハードに対応する。

58 :anonymouse :2021/12/23(木) 00:17:24.15 0.net
何で言えばいいのかわからんが、
この実世界(ハード)の上に、
我々の幻想、あるいは仮想(ソフト)がある
という構図は間違っていないと思うが、
物理学は、その幻想、あるいは仮想(ソフト)が、
実世界(ハード)に対応しているわけで、
その辺のループが何を意味するのかっていうのが、
あんまり自分の中では、はっきりしていない

59 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 01:06:03.72 0.net
ハードは、固体で、ソフトは、固体と液体の中間という理解でおk?

60 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 01:14:24.45 0.net
思弁的実在論の運動のひとつで、グレアム・ハーマンの
オブジェクト指向存在論というのがあるけど、どうでしょう
積読候補で内容は不明です

感覚的対象、感覚的性質、実在的対象、実在的性質というキーワード
フッサールの現象学からの、オブジェクトの自立性はハイデッガーの
道具の概念とか、、、

61 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 06:57:56.30 0.net
私は神のようなものである。
他人もまた神のようなものである。

私という神(のようなもの)は他人という神(のもうなもの)を直接知覚できないが情報を通じて相互に繋がっている。
そしてこうしてネットワークで繋がっている事により、私という存在の存在確率は上がる。


何となくポエムっぽくそう思いました。

62 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 07:02:30.57 0.net
誤字がw

(のもうなもの)→(のようなもの)

のもうなものって何だよwww

63 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 08:49:31.68 0.net
>>56
仮想通貨は「実体がなく、又一般的に流通していなく独自の価値基準を持つ」ような複合的な意味合いでの仮想、仮想マシンは単に実体がないという解釈で問題ないと思う。
仮想通貨に関して、あくまで複合的な意味合いの為、価値基準が一般化されている通貨を電子化した電子マネーはこれに該当しない。
仮想マシンに関して、その実は単なるソフトウェアな為、1台のPC上で複数OSやCloudベースでの量子コンピュータの利用が可能と言ったレベルのお話。

哲学的に見ると「実体はないが、ある機能として実在する領域」という部分は共通しており、そういう意味では「意識」も「仮想」に当たるのではないかと逆説的に推察できるような気もするし、単なる言葉遊びのような気もする。

64 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 09:12:27.80 0.net
ニーチェが生物学から借りてきた「種」という概念に拘泥しないなら、
『喜ばしき知恵』でニーチェが意識の起源について簡潔にまとめて
書いていることを踏まえることが、やはり議論の基礎として
とても役立つだろうと思うよ。というか、ほかに議論の基礎として
役立つような意識についての議論を見かけたことがない。

65 :でこすけ:2021/12/23(木) 10:40:54.89 0.net
>>17
私は始めから「現実」は「仮想」だということを言ってきたつもりでいましたが
あるいはそのように読める表現をしたことがあったかもしれません。
「私たちの現実」はそのまま「客観的な現実(真実)」ではないということです。

66 :でこすけ:2021/12/23(木) 10:58:45.98 0.net
>>21
「面白い」というのは「正しい」ということよりも重要だと思います。
歴史を動かすのは「正しいこと」ではなく「面白いこと」だと思うのです。

>>22
>この実在を否定するには否定できるだけの存在を論証する必要がある
私は「(物心二元論で精神に対する実体としての)物質」の存在に懐疑的ですが
そこで「物質は存在する」と主張する人に
「物質が存在するとする根拠を示してほしい」とお願いをするとえてして
「まず存在しないとする根拠を示すのがスジだ」というような返事が帰ってきます。
私としてはスジにかかわらずパッと「物質が存在する根拠」を示してしまえば
それで済むと思うのですが、いかがですか?

67 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:16:21.07 0.net
>>27
何かを感じるとき、認識上では感覚器官を通じて知覚されています。
そして認識上では視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
たいていは一旦電気信号か何かに変換されて
そして認識上ではその信号を脳がそれぞれの感覚に変換されているようです。
はたしてこの変換は「再生」なのか「創造」なのか、
このときそういった信号の発信源はどのようなものなのか
(扉が閉まっている冷蔵庫の中は実際にはどうなっているのか)
という疑問を持ちます。
そして私が考えるその構造は一択ではないように私には認識されます。

ちなみに私は意識(精神)は実体ではないと考えています。
つまり私は唯心論でもありません。
ところがそのあたりを語る能力と時間がないのです。
今、電話がかかってきて出勤時間が早くなってしまったという具合です。
申し訳ない。

68 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:23:55.25 0.net
>>67
>視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
→視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も、すべて
(この文章はそもそも日本語としておかしい気もしますが
 それは気にしないことにします)

69 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:32:55.87 0.net
まあ、基本的に、触覚は接触の直接作用によるものであり、
聴覚や視覚は遠隔作用によるものであるという「思いなし」が
まずあって、聴覚や視覚の遠隔作用によって幻覚に誘われる
けれども、触覚における直接作用(特に痛み)によって現実に
連れ戻されるという「思い込み」があるんだよね。

70 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:33:39.70 0.net
>>58
なるほど、ハードとソフトという表現はアホにもわかりやすかったです。
つまり形而上がハード、形而下がソフトというのがわたしのイメージです。

ただコンピューターと違うのは
コンピューターだとソフトが無くてもハードだけで存在できるのに対し
世界の場合はハードだけでは存在できない気がするのです。
形而上と形而下とは表裏の関係のように思えます。
何故そう思うのかというと、じつはこれはただのチョッカンです。

71 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:38:00.35 0.net
>>64
貴重なご指摘ありがとうございます。
さっそくチェックさせていただきたく存じます。

72 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:38:35.75 0.net
だから、聴覚や視覚の効果によってソフトな幻想に浸って「上の空」に
なっているところを、触覚によってハードな現実に連れ戻されるという
構図が想定される。でもまあ、バタンとか、パーンとかの衝撃を伝える
音や、強い光とかで急に目を覚まさせられることがあるから、そういう
ハードな聴覚や視覚は、接触のように直接作用に準じるものと見なされる
わけだ。

73 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:40:58.69 0.net
>>70
形而上には必ず形而下が伴う、
ただしこれは認識上であり
つまり解釈にすぎないものです。

「記憶」「忘却」…
なかなか到達しなくて申し訳ない

74 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:42:42.66 0.net
>>66
あなたが物質が存在すると想定できていることが
あなたの精神にあなたのいう物質が実在している証拠です。

75 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:44:33.78 0.net
>>73
あなたが死んで形而下の身体がなくなったら
形而上の解釈もできませんよね、認識媒体がなくなるのだから

76 :時計 :2021/12/23(木) 13:01:52.66 0.net
>>64,71
図書館の貸し出し予約をしました。
タイトルが『愉しい学問』だったり『悦ばしき知恵』だったり
しますから、要注意です。
『愉しい学問』が比較的新しいみたいです。

77 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 14:13:21.85 0.net
>>76
『愉しい学問』のあとがきに書かれているけど、ほぼ同時並行だよ。
一方で分かりやすく訳されている箇所が他方では分かりにくくなって
いる場合が、いずれの側の翻訳にも見られるので、どちらの方が
良いとは一概には言い難い。全体としては『喜ばしい知恵』の方が
読みやすいように感じられたが、いずれにしてもニーチェの原文と
照合しながら自分で解釈することが求められる。

78 :anonymouse :2021/12/23(木) 15:34:50.61 0.net
ハードは剛、ソフトは柔
って感じかな
対立した概念だから、物質の相とは違うと思う

79 :anonymouse :2021/12/23(木) 15:50:57.46 0.net
>>59
つまりなんだろう、
ハードとソフトを連続量と見ることは、
自己捕食的な誤謬があるように思う
凸レンズに凸レンズを重ねるみたいな、

じゃあ逆に、(ハードとソフトを考えるときに、)
凸レンズに凹レンズを重ねればいいのか?というとそれも違って、
どちらも空間の概念だから、
凸レンズの対立概念は、時間で逆転したものを、
空間で裏返さないといけないかもしれない。
(順番があっているかわからない、ようは対偶。)

ようするに、ハードとソフトが水と油という例えとも違うと思ってる

80 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 17:12:43.77 0.net
仮想通貨も現実だから死ぬアホもいるだろw
仮想というのは言葉遊びで一つでも現実との猿真似があれば人はそれを仮想と呼ぶだけだw

81 :時計 :2021/12/23(木) 19:58:24.44 0.net
>>77
「悦ばしい」と「喜ばしい」の違いもややこしいですね……
『喜ばしい知恵』の方が読みやすかったですか。
私は、『愉しい学問』の方をもう予約してしまいました。
タイトルが解りやすいですから。

82 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 23:48:59.88 0.net
私はどちらも図書館で借りてきて目を通したので、どちらかを
選んだということではなく、読みやすかったというのも
原文との参照関係がとりやすかったという程度の意味でしか
ありません。

83 :時計 :2021/12/24(金) 04:52:06.28 0.net
>>82
なるほど。どちらも良いところ、悪いところがあるのかな。

84 ::2021/12/24(金) 05:17:04.08 0.net
0.8

85 :でこすけ:2021/12/24(金) 09:02:27.83 0.net
>>79
この問題は形而上と形而下がどのようにして相互作用しているのかという
言わば「世界(?)のハードプロブレム」といったところでしょうか、
ちなみに私は「形而上」や「形而下」といった概念が
哲学に関心のある人達の間でどのように理解されているのかはよく知りません。

私はやっぱりたとえばanonymouseさんにも私と同じような意識はある、
つまり私がいる世界には私に体験できない部分があって、
そして私の意識はその部分を下部構造としていると考えますが、
ただしその部分は感覚ではとらえることができない領域だという印象を持っています。
するとその部分は言葉で表現するしかない気がします。
たとえばつまり「感覚ではとらえることができない」とか
「個体でも液体でも気体でもない」とか「絶え間なく変化するもの」とか
そういったかんじです。
すると形而上と形而下との相互作用についてもざっくり言葉で表現する
しかないもののようなかんじがします。
なお答えは「真理」というよりも「矛盾のない解釈」くらいにおさまるしかない
というのが私の印象です。

私が理解する「形而下」というのはつまり私が認識する世界のことですが
これはたとえば「夢」もそのひとつです。
「夢」の中に出てくるリンゴは実際に存在しているわけではないという意味では
「映画」の中に出てくるリンゴに似ていますけど、
では「夢」は「映画」のようにまず「スクリーン」があって
そしてそこに映し出されているようなものでしょうか。
「映画」は上映を取りやめても「スクリーン」は残りますが
私は「夢」の方はそれを取り除くと「スクリーン」にあたるものが
残る気がしないのです。
その根拠ははなはだ曖昧なんですけど、
なんだかそのような仕組みは闇雲に不自然な気がするためです。

86 :でこすけ:2021/12/24(金) 09:35:03.40 0.net
「記憶」についてですけど
伏線を引こうとするとわけがわからなくなるのでさっさと結論だけ言うと
もちろんそれは「幻想」です。
「記憶」は過去の出来事か何かを「再生」というイメージがありますが
私はその都度つくられているものだと考えます。
私は時間はデジタルだと考えますが
「今」は「ひとつ前」から移行したものであり
「ふたつ前」以前は「ひとつ前」に痕跡を残すものの
基本的には消えて無くなったものだと理解できると思います。
「記憶」は「ひとつ前」の情報から新たに創発されたものであり
一般に思われているようなものではないと思います。
「万物は流転する」「“知”は開放系である」
などは私の世界に対する解釈の基本です。

87 :でこすけ:2021/12/24(金) 10:49:20.73 0.net
私は「ナゾに終わりはあるのだろうか」と考えることがあります。
やっぱりナゾの最後は気になるわけです。
たとえば『聖書』では世界の始まりは創造主による「光あれ」
から始まったとされているそうですが、
そもそも創造主がどこから出てきたのかがよくわかりません。
一方で『古事記』によると、はじめは海にクラゲのようなものが
プカプカ浮かんでいただけだったとのことですけど、
そのクラゲ的なものがどこから来たのかもよくわかりません。
そうは言ってももっとさかのぼれる気がするわけです。

ところで現代物理学によると、宇宙は「ビッグバン」と呼ばれる現象
から始まったとされています。
じつは最初にできたのは光(光子)だったと私は聞いたのですが
ここで多くの人は科学雑誌のイラストのように
光子を球体でイメージする気がします。
これ以上分割されないとされる物質が球体として想定され、
そして文脈的にはここからがポイントなんですが、
そのことについては私は多くの人が古代人のように疑問を持たない傾向
をかんじるのです(もちろん科学的には否定されていることですが
「疑問を持たない」というのがポイントです)。
そもそもビッグバンという現象によって何故空間や時間が生じるのか
そのことについて研究している学者も中にはいるでしょうけど
私としてはマイナーな分野という印象をもちます。
つまり私としてはもっと関心が持たれてもいい気がするのです。
そもそもアプローチの仕方がわからないにしても
意識のハードプロブレムくらいには話題に登っていい気がします。

ただ、じつは私としても始めから「無」があったということになっています。
「無」はそれ以上さかのぼれない気がする便利な概念ですけど
何やら疑問が残る気もするのです。
のみならず私は並行宇宙を想定して「何も無いことは一度も無かった」
とか言っていますけど、ちょっと我ながら無責任な気もしてはいたのでした。

88 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:03:32.94 0.net
>>87
このはなしはどこにつながるのかというと、
最近私に反論をして下さっている方々の印象です。
反論していただけるのは大歓迎というか
むしろ私は反論してくれ反論してくれの反論乞食ですけど、
そういった方々は「意識が存在する前に世界は存在した」
という世界観をお持ちのような気がします。
ではその「世界」はどのようにして生じたのか、
私としては「語ることは無くなった」みたいなことは言わずに
そのイメージはそのままでもとにかく徹底的に詰めていただきたいのです。
あるいはその部分が知性に理解不能な領域であったとしても
何故それが理解不能なのか、
あるいはそうして私は「意識のハードプロブレム」にも答えが出る
ような気がするのです。

89 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:15:15.01 0.net
>>87
>これ以上分割されないとされる物質が球体

90 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:17:30.45 0.net
>>88
>これ以上分割されないとされる物質が球体
→初めて生成されたとされる物質が球体

91 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 11:43:31.46 0.net
何かが存在するが、その形を判断する材料がない場合、
その何かにはまだ形がないということが、「球体」なのではないかな。
だから、形あるものは、いろいろな条件の効果にさらされて、
形を失っていくと「球体」に近づく。

92 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 11:49:22.36 0.net
なにいってるかわからない

93 :27:2021/12/24(金) 11:57:49.23 0.net
>>88
私に対して当てて書いてるような感があるのでレスします。
私は考える事自体好きなのでいくらでも考えられますよ。考える対象もいくらでも出ます。

ただ私の場合、考えるのに時間食うので本気で考え始めると仕事が手につかなくなってヤバいのです。
なのでほどほどに考えてほどほどに投稿しよーかなくらいに思ってます。

94 :27:2021/12/24(金) 12:05:05.33 0.net
なので超遅レスとか普通にやりそーなのでそうなったら呆れずお付き合いください。

95 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 12:07:18.52 0.net
一次元球面から一点抜いたものが一次元球体です。
二次元球面から一点抜いたものが二次元球体です。
球体には同じ次元でのエッジがあります。
球面には同じ次元でのエッジはありません。

96 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 12:49:39.18 0.net
形の喪失が球でしょう。言い換えるなら、求心性の物象化ですよ。

97 :時計 :2021/12/24(金) 12:57:11.53 0.net
>>95
球体と言うと中が詰まっている印象はありますが違いますか?

98 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 14:17:00.65 0.net
>>90
物質は存在しないんじゃなかったのか?

99 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 15:18:42.03 0.net
求心性の物象化としての球と遠心性の具象化としての光

100 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 17:34:24.00 0.net
球体は中が詰まっていますが、
n次元球体 < n次元球面
です。(< は濫用かもしれませんw)

0次元球面は2つの点であり、
点をひとつ取り除くと、0次元球体(=ひとつの点)になります。

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