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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

2 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 09:43:25.85 0.net
ぺゃ

3 :時計 :2021/12/21(火) 11:58:42.75 0.net
>>前スレ1000
わろうた。:)

4 :時計 :2021/12/21(火) 13:05:10.04 0.net
前スレの幻想に関して。
私は存在を幻想と呼ぶかは表現の問題のように思います。
科学的知識に関しても、トーマス・クーンのパラダイムシフトは、
古い幻想が新しい幻想に置き換わることと言えなくもないかなと思います。

5 :でこすけ:2021/12/21(火) 13:35:45.88 0.net
>>4
世間一般に、つまり哲学に関心を持たない人も含めて
「幻想」という表現にどのようなイメージを持っているのか、
たぶん個人差があるのだろうとは思ったわけですけど
私の場合は栗本慎一郎派ですから『幻想としての経済』とか言って
「貨幣」「交換」「労働」「権力」といったものを「幻想」と表現することに
ことさらな違和感がなかったということがひとつあるかもしれません。
私としては「仮想」「虚像」「仮の姿」「ニセモノ」なんでもいいわけで
ウィトゲンシュタインが「写真」と表現したのももちろんアリです。
むしろぴったり当てはまる言葉はない気さえするくらいで、
そもそもは単に私の性格ですが、ある程度アバウトでいいと思っています。
新しい言葉をつくるのは、それはそれでややこしい気がするのです。
多少のブレは気にしないでテキトーにやるか、
面倒でもキッチリやるか、
それぞれの人間性のような気がします。

6 :でこすけ:2021/12/21(火) 13:52:48.05 0.net
私の感性では「夢」は「幻想」と言い得るものです。
夢の中でリンゴをかじったとき、それは「本当のこと」ではありませんが
そのとき感じた甘さは「現実」です。
そして私はいわゆる「うつつ」もそれと同じ構造を持っているのではないか
と考えます。
日常体験は「幻想」ではあるけれども「現実」でもあるだろう
という考え方です。

7 :でこすけ:2021/12/21(火) 14:02:37.95 0.net
>>6
では何故「うつつ」を幻想的なものだと考えるのかというと
たとえば冷蔵庫の中身ですが、
私は、ある意味で、本当に何も無いのではないかと考えるためです。
あるいはどこかで「冷蔵庫の中には何かが存在する」と表現したことは
あったかもしれませんが、だとすればそれは間違いです。
冷蔵庫の中にあるのは存在的なものではなく
仕掛け的なものだと考えています。
「冷蔵庫の中には何かがある」以上のことは言えないことになります。

8 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 14:09:43.11 0.net
>>4
「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」この実在と存在の関係で正解だと思います。もともと正しい認識がないのは問題ですが、われわれと離れて別に、客観的に存在する物体を幻想と表現するのは、たんなる表現の問題ではないと思いますがいかがでしょう?

9 :でこすけ:2021/12/21(火) 14:16:42.98 0.net
>>7
たとえば目の前にリンゴを認識できるとき可能性は二つあるはずです。
実際にリンゴがそこにあるということと、
リンゴを認識する仕掛けがあるだけ(たとえばVRで実現されているように)
(ただしこのリンゴはみんなが認識できるのがミソです)ということと、
私にはとりあえず二つ思い浮かびます。
前者は意識のハードプロブレムのような矛盾を生みます。
後者は具体的な構造がよくわかりません。
このとき私には後者の方が可能性が高いように思えます。
むしろ前者は無い気がします。
少なくとも後者は反証されていなければ可能性はあるはずです。

10 :でこすけ:2021/12/21(火) 14:37:31.61 0.net
>>9
ちなみに私が「戸棚」とか「押入れ」とかではなく
「冷蔵庫」にこだわるのは、
冷蔵庫の扉を開けると電気がつくという仕掛けがあるためです。
「存在」は認識されて初めて存在できるのだろうと考えます。
「存在」は意識の外ではなく中にあるとも言い得るように思えます。
前スレで「扉云々」という指摘がありましたが
私はわかりやすいだろうと思ってやっているだけです。
たとえば東京タワーとスカイツリーの真ん中にいるとしましょう。
東京タワーが見えているときはスカイツリーが見えていません。
このときじつはスカイツリーは存在していないということができます。
振り返った瞬間そこにスカイツリーが現れるのです。
東京タワーは視界から消えた瞬間存在しなくなるのです。
ただしこれは考え方の基本にすぎないものです。
結論だけ言うとこの宇宙に誰もいない森なんていうものはありません。
そこで木が倒れたとき私たちは音を聞いてはいるのですが
何しろ音が小さすぎて意識にのぼらないだけです。
本当は扉が閉まっている冷蔵庫の中にも牛乳は存在します。
ただ冷蔵庫の中というのも意識の外ではなく
意識の中にあるものだというのがわかりにくいところです。

11 :でこすけ:2021/12/21(火) 15:02:09.20 0.net
>>10
唯心論が弱いのは、えてしてそこで想定されている「心」が
人間限定になっているためだと思います。
それに対して私が想定している「心」はもっと普遍的なものです。
人間の心のような複雑な構造のものが僅か数百万年前に突然生じたとは思えず
もっと単純なものから徐々に進化したと考えるのが妥当に思えるのです。
これは生物以前にさかのぼるはずです。
そうなるともはや「心」とは言えなくなるかもしれませんが、
私としては主体性がないものは存在できない気がします。
哲学的ゾンビな素粒子はあり得ない気がするのです。
仮に世界に一個しか素粒子が存在していないとすると
自分からも誰からも認識されないものというのは
どのようにして存在しているのか、不可解な気がします
(素粒子というよりも量子かもしれません)。
ちなみに私がいう共同幻想(三次元時空など)とは
そのような多くの意識的な何か(生物以前にさかのぼるもの)
等によって成り立っているもののことです。

12 :でこすけ:2021/12/21(火) 15:16:29.95 0.net
>>8
「われわれと離れて別に、客観的に存在するもの」
このようなものにかかわらず何かが存在すると主張するとき、
普通はそれが存在することを証明する必要があるように思います。
これは漠然とした印象ではなく、具体的な現物などの確かな証拠のことです。
じつは私はけっこう探したつもりなんですけど未だにみつかりません。
何かありましたら是非お願いしたいです。
これは私見ながらひょっとすると意識のハードプロブレムを解明するより
すごいことです。

13 :時計 :2021/12/21(火) 15:19:21.96 0.net
>>8
前スレの872で挙げたメイヤスーの唯物論はそのような感じですね。
私は、有るということは必ず思考の内側に有ると考えます。
「われわれと離れて別に」とは考えません。

14 :でこすけ:2021/12/21(火) 15:42:24.01 0.net
共同幻想は必然性のあるものではなく、たまたまだと思います。
たとえばもっとも原始的な共同幻想のひとつは「意識の外部」です。
私たちは日常の中でこの世界に自分が体験できない世界がある
ということを学習しますが、
そのようなものが本当に存在するということは証明できないので
それはある種の幻想といいうるものだと思います。
しかし想定しておいて矛盾が生じることはないようです。
実際にそれがあるということと、それを想定することは別のことだ
という考え方です。
では如何にしてみんなが外部を認識するようになったのかというと
そこに必然性をもたらすメカニズムが働いているのではなく
ようはたまたまだと思うのです。
ただし共同幻想への参加は全体の中の一部のグループに限られると思います。
私の印象ではダークマターといわれるものでさえも
この世界に存在する全部の中のほんの一部にすぎない気がするのです。

15 :でこすけ:2021/12/21(火) 16:04:33.09 0.net
ちなみに私が思う「単純な構造の意識」についてです。
そのようなものはなんだか小さい物のような気がしますが
私が勝手に思い込んでいるものはたとえば人間もアメーバも
持っている規模は同じということになっています。
それを情報量が同じと言えるのかどうかは微妙な気がしますけど
たとえば持っているサイコロの数は同じというかんじです。 
アメーバはほとんどランダムであるのに対して
人間は規則性を持って配列させているのが特徴で、
しかしロイヤルストレートフラッシュが5枚のカードのバリエーションのひとつ
にすぎないように、それは特殊であっても特別ではない気がします。
じつは私は超球面さんの「情報量保存」というのがどういうことなのかが
よくわかっていないんですけど、
私で言ったらそのあたりになるのかなというかんじです。
ちなみにその規模はどれほど小さく見積もっても事象の地平面の内側です。
意識はあらゆるもの影響を受け、
その痕跡は確実に記録されている気がするためです。
私たちの表層意識は本当に表層というイメージです。

16 :でこすけ:2021/12/21(火) 16:13:45.56 0.net
>>13
おそれいります私はメイヤスーを舐めていたかもしれません。

ただ、今日まとめて投稿させてもらったのは
言わば「絵」に対する解釈であって「カンバス」についてではありません。
「カンバス」というのはつまり「形而上」のことだと思うのですが
それはそれでまた別に存在すると私は考えています。
ただし答えは超球面さん的に言って
既にみんな知っているのが特徴だと思います。

17 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 16:24:40.80 0.net
>>6
おまえまえのスレではその味も幻想と言ってたなw
糖質だよなw

18 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 16:35:03.42 0.net
こいつのセンサーは目だけで後ろで屁をこいても屁の存在に気づかないなw

19 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 16:40:14.60 0.net
つか全然前に進んでないし進みそうもないなw
かといってヒントを出す気にもならんなw
時計はバカだしw

20 :時計 :2021/12/21(火) 16:55:14.64 0.net
>>19
お前に勝つくらいなら、バカでいいや。

21 :時計 :2021/12/21(火) 17:00:05.20 0.net
>>16
メイヤスーは唯物論者ですが面白いですよ。
私は主観主義者ですが、反唯物論のチャーマーズより面白かったです。

22 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 17:26:05.67 0.net
>>12
「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」これは実在の意味を辞書から引用したもので、単に「われわれと離れて別に、客観的に存在するもの」だけでは実在の意味ではないんですね。
「われわれがそう思うからそこにあるようにみえるというのではなく」という部分も含めてようやく実在を意味(認識に足る)するのです。
私が思うに、われわれがそう思うから、そこにりんごがあるように見える場合、そのりんごは単なる存在で、われわれがそう思うからそこにあるようにみえる存在ではなく、われわれと離れて別に客観的に存在するものしか実在ではないですよという認識になります。
この実在を否定するには否定できるだけの存在を論証する必要があるというだけだと思います。

23 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 17:49:38.96 0.net
>>8
> 私は、有るということは必ず思考の内側に有ると考えます。「われわれと離れて別に」とは考えません。

有るというだけならそうですが、実在する存在か、しない存在かの話ですから、実在の存在はわれわれの思考と離れて、テーブルの上(という所に在る、所在)にある、実在するリンゴという存在ですし、思考の中にしかないりんごとしての存在は実在するリンゴの存在ではない、そのように区別して考えないこと自体論理的に問題だとは考えませんか?

24 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 17:56:29.99 0.net
>>23>>13へです。

25 :時計 :2021/12/21(火) 18:21:10.02 0.net
>>23
私は実在は有るということの1つのモードだと考えます。
実在も必ず思考に内側に実在すると考えます。

26 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 18:38:56.96 0.net
>>25
うーん、実在は有るということのモードなのもわかるし
実在が思考に内側に実在しないるわけじゃないのも表現的にはわかるのですが
そういう話ではないんですよねぇ・・・主観主義的には問題にならないのでしょう。

27 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 18:50:52.58 0.net
>>10

基本的に面白いこと言ってるなーと思います。
考え方としては面白いし好きですね。
冷蔵庫を使う事は何となく納得できました。

全体は大きくて複雑な考えなので全体にレスをつけるのは正直考えがまとまりません。
なので一部でちょっと思った事を書きます。

正直変な考えなので笑いとばすつもりでお読みください。
私は意識は単純な物であると思ってます。
存在は意識の中にあるのではなく意識が存在に向くのだと思います。
もっと言うと思考も意識の中にありません。
判断も意識の中にありません。
じゃー意識ってなんだよって言うと何にでもアクセスできるただ感じるものなんじゃないのって思ってます。(あと感情の発動体でもあるかと)

例えば生命にとって呼吸は大事な物ですが私はその大事な呼吸をしてる事を忘れている事がよくあります。
意識は何か一つにしか向けられないというのが私の仮説です。雑然と色々な感覚を感じてるような気がしていても集中してないだけではっきり向けられるのは一つと感じます。
そして、何かが存在するというのは意識の中に存在があるのではなく、存在するという結論を意識が受け取って「感じる」のだと。

では意識に主体性は無いのかと言うとそんな事はなく主体となっているものは意識です。
命題を持つのも感覚を感じるのも主体となるのは全て意識です。思考や判断は意識が発動元ですが意識が思考するのではなく思考の結論を意識が受け取る。私はそう考えます。
めっさ適当ですが意識は脳の根っこ付近の中枢神経系、思考や判断や記憶は脳にあるみたいに思ってます。

28 :時計 :2021/12/21(火) 19:34:44.97 0.net
>>26
え? 実在は思考の内側に実在していると考えますよ。:)

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