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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

30 :時計 :2021/12/21(火) 19:46:50.55 0.net
>>26,28
「しているわけじゃない」と読みましたが、
「しないるわけじゃない」と書いてありますね。

31 :時計 :2021/12/21(火) 20:01:10.30 0.net
>>29
主観主義において、実在という言葉は使えなくても、
私は使えると考えますが、
同様のことを表現する方法はあると私は考えます。

32 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/21(火) 20:57:37.24 0.net
主観主義であっても、「実在」は、いっさいの主観が無い状態/状況でも存在しなければなりません。
これを解決するには、
「主観主義的実在」、といってしまえばよいのですw
「主観」は「認識主体」のものではない。
主観主義が、客観は主観に従属するという立場であれば、
認識主体から独立した客観(=実在)であっても主観に従属しますw
というわけで、「認識主体」と「主観」を切り離してしまえばよいのですw

その切り離された「主観」が、存在確率半径1の超球面なのです。
「認識主体」から切り離されちゃったので「主観」=「実在」ですw
ってことは、「超球面」が「実在」ですね。
あ!?「思弁的実在」とつながった気がする...思弁的球面...
なんかとんでもないことになったような気がする。とりあえずアルコール。

33 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/21(火) 21:15:19.37 0.net
とりあえず「認識主体」から切り離します。
客観=実在=主観=超球面
(主観と客観が同じものになってしまいますが、そこは先送り)
そうなると、「認識主体」は、「実在」によってつくられていることになりますw
「主観」自体は「客観」の側にあるのです。
主観主義=唯物論という図式が...
「認識主体」を切り離したら、とんでもない世界がみえてきた。
「認識主体」こそが「幻想」そのものだったのですな。一件落着。

34 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/21(火) 21:23:25.44 0.net
われ思うゆえにわれあり、
ではなく、
あるゆえに思うわれ。
実在が思う我をつくりだすのであって、それは実在ではないのだから幻想である。
幻想たるわれわれが実在によって存在させられる...超唯物論とでも呼んでおこう。

35 :時計 :2021/12/21(火) 21:24:44.14 0.net
>>32
私としては、いっさいの主観が無い状態/状況ということも
主体の内側にある考えであると言いたいように思います……
よく考えたいところです。

36 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 00:46:19.65 0.net
私には、エマソンのロマン主義思想自体はどうでもいいのだが
(ニーチェがそれをどのように評価し、踏み越えているかを
見るの興味深いが)、エマソンは、この引用箇所につづけて
(この引用だけ読んでも伝わらない)とても良いことを言っている。

“A man's power to connect his thought with its proper symbol,
and so to utter it, depends on the simplicity of his character,
that is, upon his love of truth, and his desire to communicate
it without loss.”
― Ralph Waldo Emerson, Nature

37 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 11:25:46.80 0.net
エマソンの散文も詩もほとんど読んだことがないのだが、一方で英国の
詩の伝統や欧州の思想哲学の流れを引き、他方で後継の世代において
米国のプラグマティズムにつながるとともに、ニーチェや現象学にも
つながり、詩と思想哲学を結び付けているエマソンの歴史的な位置付け
はとても興味深い。エマソンは、ニーチェがそれを踏襲しているとおり、
「自然」を「意」/"will"から切り離せないものとして、「意」/"will"
に中心的な重要性を見出しているが、「自然」を「コスモスとしての美」
として性格付け、「『人』と『自然』」という対比をその理想において
永続的に保持しようとしてしまう点で、ニーチェと比べていかにも
「意」/"will"の扱いが不徹底であるように見える。

エマソンの言説から見ると、結局、欧米の思想哲学は、「『意』/"will"を
介した象徴と自然の『対応関係』/"correspondence"」の失われた
(「意」/"will"そのものが蔑ろにされて、「言葉」が空虚とされ、
「事物」が単に存在すると信じられるようになる場合を含む)「調和」
を取り戻そうとする取り組みの悲喜劇として展開されているという
印象を受ける。

「意」/"will"が忘れられるのは、一方で言語表現が「名詞化」され、
言語表現によって伝えられる現象が「物象化」されることによってで
あるが、欧米の思想哲学の言語実践そのものが、その「名詞化」と
「物象化」を免れることがいかに困難であるかは、エマソン自らも、
物事はその適切な「名前」で呼ばれなければならない、つまり、
適切に「名詞化」されて呼ばれなければならないと考えていること
からも分かる。それに対して、日本語では、『意』/"will"によって
伝えられる「対応関係」/"correspondence"は、まさしくそのまま、
呼びかけの「を」と応えの「を」の「呼応関係」/"correspondence"
であり、『意』/"will"に先立って「対象」が「言葉」と対応させられ
るべく「物象化」して存立することはないのである(「自然の意」/
「神意」が顕現するのも効験としてあらたかとなること、すなわち、
事後的に露見することによってでしかない)。

38 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 11:34:38.11 0.net
>「意」/"will"によって伝えられる「対応関係」/"correspondence"は、
まさしくそのまま、呼びかけの「を」と応えの「を」の「呼応関係」/
"correspondence"であり<

このことからも、「物象化」に対するアンチテーゼとして唱えられている
ように見える「現象学」も、表現の実践を離れて、「意」/"will"によって伝え
られる「呼応関係」/"correspondence"だけを純粋に取り出して記述する
ことを目指すなら、何をやろうとしているのか不明な空疎な形式化に陥る
だけだろうと指摘することができる。

39 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 11:40:31.63 0.net
「」内の「」を『』にして用いている。コピペで「」とすべきところが
『』となってしまっている箇所があるが、「」内にある場合にそのことを
示す以外に「」と『』を区別する意図はない。

40 :時計 :2021/12/22(水) 12:55:36.59 0.net
>>36
何故それを引用しない。

>>37
普通「〜の意」は「意味」を意味すると思うが。

41 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:17:09.96 0.net
該当箇所を検索しても、Googleブックのページのイメージがヒットする
だけで、コピペすることができず、自分でタイプ入力する手間が面倒
だからだよ。関心があるなら、ここに引用した文を検索するだけで
すぐに該当箇所が見つかる。

42 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:20:03.45 0.net
「〜の意」は、「〜の心(こころ)」を意味すると思いますよ。

43 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:53:44.62 0.net

身づ柄さん私に興味あるんかな?
斜め読みしただけなんでよー分からんけど。

身づ柄さんが興味あるのは言語(海外言語含む、日本語は古語主体)をベースにした人間社会学みたいなもんで私が興味あるのは単語(現代日本語のみ)をベースにした人間構造学みたいなもんだから興味範囲重ならんと思うけど。

まあでも大体意識についちゃ書きたい事書いたんでせっせと書くのはこの辺で終わりかなーとか思います。
ちなみに意識が思考から結論を受け取るってのは結構はしょった書き方で思考と意識の分別はかなり難しいです。
以前、考えるって行為をざっくり分解した事があるんですけどそれからすると意識の比率はもっと高い感じがします。(2割とか3割とかかなー? 論理判断する時の「感じ」ってのが分かんない)
でもって思考は言語の論理構造に従うって考えててそこは身づ柄さんと多分同じなんだけど意味がよく分からん部分が多すぎだしアプローチが違いすぎてて参考にもならないんですよね。(最後のとこ、私がそう思うって事は身づ柄さんも多分そうだと思う)

44 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 13:56:43.54 0.net
あと誰もいない森の話と存在の話はこんな風に考えてます。

認識下において見えてなく、かつ意識を向けていない部分にある物は存在しないとは考えません。意識を向けられないので分かりませんが私という情報記録体にはその部分の認識や記憶があるためほぼ間違いなく存在すると思います。
(私をなさしめている物の存在可能性は非常に高いと思ってます。記憶は私をなさしめているものの一つです)

意識を向けた時点で私は観測者となりうると考えます。これは数学的に正しいとか分からんです。仮に違うと言われてもそう信じてます。(そうでないと生きてて困るので。宇宙の果てとか地球の中心とかのようなトンデモ領域は無視します)

45 :時計 :2021/12/22(水) 15:20:55.35 0.net
>>41
親切にどうも。今晩にでも調べてみます。

>>42
例えばどういう使い方でしょうか。

46 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 15:30:18.88 0.net
その心は

47 :時計 :2021/12/22(水) 15:34:14.73 0.net
ああ……

48 :時計 :2021/12/22(水) 17:34:56.89 0.net
>>46
「その心は」の「心」は「真意」という感じはします。

49 :時計 :2021/12/22(水) 17:39:36.76 0.net
>>45
少し長いのんあった。
特に共感はなかったです。

50 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 18:14:27.34 0.net
時計無職?

51 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 18:22:13.74 0.net
>特に共感はなかったです

それはそれで良かったのではないでしょうか。エマソン自身も
共感については、必ずしも肯定的にばかり評価している
わけではないようですから。

>We sink as easily as we rise, through sympathy. So many men
whom I know are degraded by their sympathies, their native aims
being high enough, but their relation all too tender to
the gross people about them. Men cannot afford to live together
by their merits, and they adjust themselves by their demerits,
—by their love of gossip, or by sheer tolerance and animal
good-nature. They untune and dissipate the brave aspirant. <
Ralph Waldo Emerson, "Solitude and Society"

52 :時計 :2021/12/22(水) 19:32:05.89 0.net
>>50
無職、いいですね。自由市民。

>>51
それも共感しないと言うべきなのかな。

53 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/22(水) 22:31:57.90 0.net
認識主体のほうが幻想であり、
実在する客体が、幻想としての主体をつくりだしている。
われわれは、客体によってつくりだされている幻想としての認識主体である。

このようなシナリオもありうる。
認識主体は実在しない。きわめて魅力的なシナリオだ。
430のシーンだけが存在したとすれば...
それが「映画」というもの。
認識主体の主観世界が430のシーンによってつくられる。去年マリエンバートで。

54 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/22(水) 23:07:33.25 0.net
客体同士は、おなじ世界にある以上、つながっているといえる。
客体ネットワーク。
そのネットワーク内に、認識主体が形成される。
それが生命であり思考であり、身体も脳も客体ネットワークの一部である。

55 :考える名無しさん:2021/12/22(水) 23:39:04.67 0.net
>"No coração não se manda."

ここにこそ心身問題がある。

56 :anonymouse :2021/12/22(水) 23:59:52.19 0.net
仮想通貨とか、仮想マシンとか、
プログラミング界隈で”仮想”という言葉が多く用いられているが、
仮想とはなんだろうな

57 :anonymouse :2021/12/23(木) 00:10:45.48 0.net
例えば、
サイン波があって、それにノイズが乗ってる場合を考えると、
仮に実世界がサイン波だとして、そこに乗っているノイズに意味を見出すのが、仮想ということなんだろうか?

そもそも、ノイズと思っていたものが、地デジの映像と音声の情報で、
サイン波(ここでは電波だが)に乗っている情報が、テレビという世界(というか画面)と対応していたとしても、
それはテレビ以上の何者でもでしかないわけで。

つまり何が言いたいのかというと、
仮想とは、二階建てというか、実世界の上に作られた副次的な
(より高次なといっていいが、高次だからといって高尚というわけではない。オッカムの剃刀。)
機能や世界のことをいうのだろう。
ソフトの上にソフトを作る?
それか、
ハードの上に作られたソフトの上にハードを作って、
それが元の世界のハードに対応する。

58 :anonymouse :2021/12/23(木) 00:17:24.15 0.net
何で言えばいいのかわからんが、
この実世界(ハード)の上に、
我々の幻想、あるいは仮想(ソフト)がある
という構図は間違っていないと思うが、
物理学は、その幻想、あるいは仮想(ソフト)が、
実世界(ハード)に対応しているわけで、
その辺のループが何を意味するのかっていうのが、
あんまり自分の中では、はっきりしていない

59 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 01:06:03.72 0.net
ハードは、固体で、ソフトは、固体と液体の中間という理解でおk?

60 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 01:14:24.45 0.net
思弁的実在論の運動のひとつで、グレアム・ハーマンの
オブジェクト指向存在論というのがあるけど、どうでしょう
積読候補で内容は不明です

感覚的対象、感覚的性質、実在的対象、実在的性質というキーワード
フッサールの現象学からの、オブジェクトの自立性はハイデッガーの
道具の概念とか、、、

61 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 06:57:56.30 0.net
私は神のようなものである。
他人もまた神のようなものである。

私という神(のようなもの)は他人という神(のもうなもの)を直接知覚できないが情報を通じて相互に繋がっている。
そしてこうしてネットワークで繋がっている事により、私という存在の存在確率は上がる。


何となくポエムっぽくそう思いました。

62 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 07:02:30.57 0.net
誤字がw

(のもうなもの)→(のようなもの)

のもうなものって何だよwww

63 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 08:49:31.68 0.net
>>56
仮想通貨は「実体がなく、又一般的に流通していなく独自の価値基準を持つ」ような複合的な意味合いでの仮想、仮想マシンは単に実体がないという解釈で問題ないと思う。
仮想通貨に関して、あくまで複合的な意味合いの為、価値基準が一般化されている通貨を電子化した電子マネーはこれに該当しない。
仮想マシンに関して、その実は単なるソフトウェアな為、1台のPC上で複数OSやCloudベースでの量子コンピュータの利用が可能と言ったレベルのお話。

哲学的に見ると「実体はないが、ある機能として実在する領域」という部分は共通しており、そういう意味では「意識」も「仮想」に当たるのではないかと逆説的に推察できるような気もするし、単なる言葉遊びのような気もする。

64 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 09:12:27.80 0.net
ニーチェが生物学から借りてきた「種」という概念に拘泥しないなら、
『喜ばしき知恵』でニーチェが意識の起源について簡潔にまとめて
書いていることを踏まえることが、やはり議論の基礎として
とても役立つだろうと思うよ。というか、ほかに議論の基礎として
役立つような意識についての議論を見かけたことがない。

65 :でこすけ:2021/12/23(木) 10:40:54.89 0.net
>>17
私は始めから「現実」は「仮想」だということを言ってきたつもりでいましたが
あるいはそのように読める表現をしたことがあったかもしれません。
「私たちの現実」はそのまま「客観的な現実(真実)」ではないということです。

66 :でこすけ:2021/12/23(木) 10:58:45.98 0.net
>>21
「面白い」というのは「正しい」ということよりも重要だと思います。
歴史を動かすのは「正しいこと」ではなく「面白いこと」だと思うのです。

>>22
>この実在を否定するには否定できるだけの存在を論証する必要がある
私は「(物心二元論で精神に対する実体としての)物質」の存在に懐疑的ですが
そこで「物質は存在する」と主張する人に
「物質が存在するとする根拠を示してほしい」とお願いをするとえてして
「まず存在しないとする根拠を示すのがスジだ」というような返事が帰ってきます。
私としてはスジにかかわらずパッと「物質が存在する根拠」を示してしまえば
それで済むと思うのですが、いかがですか?

67 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:16:21.07 0.net
>>27
何かを感じるとき、認識上では感覚器官を通じて知覚されています。
そして認識上では視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
たいていは一旦電気信号か何かに変換されて
そして認識上ではその信号を脳がそれぞれの感覚に変換されているようです。
はたしてこの変換は「再生」なのか「創造」なのか、
このときそういった信号の発信源はどのようなものなのか
(扉が閉まっている冷蔵庫の中は実際にはどうなっているのか)
という疑問を持ちます。
そして私が考えるその構造は一択ではないように私には認識されます。

ちなみに私は意識(精神)は実体ではないと考えています。
つまり私は唯心論でもありません。
ところがそのあたりを語る能力と時間がないのです。
今、電話がかかってきて出勤時間が早くなってしまったという具合です。
申し訳ない。

68 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:23:55.25 0.net
>>67
>視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
→視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も、すべて
(この文章はそもそも日本語としておかしい気もしますが
 それは気にしないことにします)

69 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:32:55.87 0.net
まあ、基本的に、触覚は接触の直接作用によるものであり、
聴覚や視覚は遠隔作用によるものであるという「思いなし」が
まずあって、聴覚や視覚の遠隔作用によって幻覚に誘われる
けれども、触覚における直接作用(特に痛み)によって現実に
連れ戻されるという「思い込み」があるんだよね。

70 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:33:39.70 0.net
>>58
なるほど、ハードとソフトという表現はアホにもわかりやすかったです。
つまり形而上がハード、形而下がソフトというのがわたしのイメージです。

ただコンピューターと違うのは
コンピューターだとソフトが無くてもハードだけで存在できるのに対し
世界の場合はハードだけでは存在できない気がするのです。
形而上と形而下とは表裏の関係のように思えます。
何故そう思うのかというと、じつはこれはただのチョッカンです。

71 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:38:00.35 0.net
>>64
貴重なご指摘ありがとうございます。
さっそくチェックさせていただきたく存じます。

72 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:38:35.75 0.net
だから、聴覚や視覚の効果によってソフトな幻想に浸って「上の空」に
なっているところを、触覚によってハードな現実に連れ戻されるという
構図が想定される。でもまあ、バタンとか、パーンとかの衝撃を伝える
音や、強い光とかで急に目を覚まさせられることがあるから、そういう
ハードな聴覚や視覚は、接触のように直接作用に準じるものと見なされる
わけだ。

73 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:40:58.69 0.net
>>70
形而上には必ず形而下が伴う、
ただしこれは認識上であり
つまり解釈にすぎないものです。

「記憶」「忘却」…
なかなか到達しなくて申し訳ない

74 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:42:42.66 0.net
>>66
あなたが物質が存在すると想定できていることが
あなたの精神にあなたのいう物質が実在している証拠です。

75 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:44:33.78 0.net
>>73
あなたが死んで形而下の身体がなくなったら
形而上の解釈もできませんよね、認識媒体がなくなるのだから

76 :時計 :2021/12/23(木) 13:01:52.66 0.net
>>64,71
図書館の貸し出し予約をしました。
タイトルが『愉しい学問』だったり『悦ばしき知恵』だったり
しますから、要注意です。
『愉しい学問』が比較的新しいみたいです。

77 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 14:13:21.85 0.net
>>76
『愉しい学問』のあとがきに書かれているけど、ほぼ同時並行だよ。
一方で分かりやすく訳されている箇所が他方では分かりにくくなって
いる場合が、いずれの側の翻訳にも見られるので、どちらの方が
良いとは一概には言い難い。全体としては『喜ばしい知恵』の方が
読みやすいように感じられたが、いずれにしてもニーチェの原文と
照合しながら自分で解釈することが求められる。

78 :anonymouse :2021/12/23(木) 15:34:50.61 0.net
ハードは剛、ソフトは柔
って感じかな
対立した概念だから、物質の相とは違うと思う

79 :anonymouse :2021/12/23(木) 15:50:57.46 0.net
>>59
つまりなんだろう、
ハードとソフトを連続量と見ることは、
自己捕食的な誤謬があるように思う
凸レンズに凸レンズを重ねるみたいな、

じゃあ逆に、(ハードとソフトを考えるときに、)
凸レンズに凹レンズを重ねればいいのか?というとそれも違って、
どちらも空間の概念だから、
凸レンズの対立概念は、時間で逆転したものを、
空間で裏返さないといけないかもしれない。
(順番があっているかわからない、ようは対偶。)

ようするに、ハードとソフトが水と油という例えとも違うと思ってる

80 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 17:12:43.77 0.net
仮想通貨も現実だから死ぬアホもいるだろw
仮想というのは言葉遊びで一つでも現実との猿真似があれば人はそれを仮想と呼ぶだけだw

81 :時計 :2021/12/23(木) 19:58:24.44 0.net
>>77
「悦ばしい」と「喜ばしい」の違いもややこしいですね……
『喜ばしい知恵』の方が読みやすかったですか。
私は、『愉しい学問』の方をもう予約してしまいました。
タイトルが解りやすいですから。

82 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 23:48:59.88 0.net
私はどちらも図書館で借りてきて目を通したので、どちらかを
選んだということではなく、読みやすかったというのも
原文との参照関係がとりやすかったという程度の意味でしか
ありません。

83 :時計 :2021/12/24(金) 04:52:06.28 0.net
>>82
なるほど。どちらも良いところ、悪いところがあるのかな。

84 ::2021/12/24(金) 05:17:04.08 0.net
0.8

85 :でこすけ:2021/12/24(金) 09:02:27.83 0.net
>>79
この問題は形而上と形而下がどのようにして相互作用しているのかという
言わば「世界(?)のハードプロブレム」といったところでしょうか、
ちなみに私は「形而上」や「形而下」といった概念が
哲学に関心のある人達の間でどのように理解されているのかはよく知りません。

私はやっぱりたとえばanonymouseさんにも私と同じような意識はある、
つまり私がいる世界には私に体験できない部分があって、
そして私の意識はその部分を下部構造としていると考えますが、
ただしその部分は感覚ではとらえることができない領域だという印象を持っています。
するとその部分は言葉で表現するしかない気がします。
たとえばつまり「感覚ではとらえることができない」とか
「個体でも液体でも気体でもない」とか「絶え間なく変化するもの」とか
そういったかんじです。
すると形而上と形而下との相互作用についてもざっくり言葉で表現する
しかないもののようなかんじがします。
なお答えは「真理」というよりも「矛盾のない解釈」くらいにおさまるしかない
というのが私の印象です。

私が理解する「形而下」というのはつまり私が認識する世界のことですが
これはたとえば「夢」もそのひとつです。
「夢」の中に出てくるリンゴは実際に存在しているわけではないという意味では
「映画」の中に出てくるリンゴに似ていますけど、
では「夢」は「映画」のようにまず「スクリーン」があって
そしてそこに映し出されているようなものでしょうか。
「映画」は上映を取りやめても「スクリーン」は残りますが
私は「夢」の方はそれを取り除くと「スクリーン」にあたるものが
残る気がしないのです。
その根拠ははなはだ曖昧なんですけど、
なんだかそのような仕組みは闇雲に不自然な気がするためです。

86 :でこすけ:2021/12/24(金) 09:35:03.40 0.net
「記憶」についてですけど
伏線を引こうとするとわけがわからなくなるのでさっさと結論だけ言うと
もちろんそれは「幻想」です。
「記憶」は過去の出来事か何かを「再生」というイメージがありますが
私はその都度つくられているものだと考えます。
私は時間はデジタルだと考えますが
「今」は「ひとつ前」から移行したものであり
「ふたつ前」以前は「ひとつ前」に痕跡を残すものの
基本的には消えて無くなったものだと理解できると思います。
「記憶」は「ひとつ前」の情報から新たに創発されたものであり
一般に思われているようなものではないと思います。
「万物は流転する」「“知”は開放系である」
などは私の世界に対する解釈の基本です。

87 :でこすけ:2021/12/24(金) 10:49:20.73 0.net
私は「ナゾに終わりはあるのだろうか」と考えることがあります。
やっぱりナゾの最後は気になるわけです。
たとえば『聖書』では世界の始まりは創造主による「光あれ」
から始まったとされているそうですが、
そもそも創造主がどこから出てきたのかがよくわかりません。
一方で『古事記』によると、はじめは海にクラゲのようなものが
プカプカ浮かんでいただけだったとのことですけど、
そのクラゲ的なものがどこから来たのかもよくわかりません。
そうは言ってももっとさかのぼれる気がするわけです。

ところで現代物理学によると、宇宙は「ビッグバン」と呼ばれる現象
から始まったとされています。
じつは最初にできたのは光(光子)だったと私は聞いたのですが
ここで多くの人は科学雑誌のイラストのように
光子を球体でイメージする気がします。
これ以上分割されないとされる物質が球体として想定され、
そして文脈的にはここからがポイントなんですが、
そのことについては私は多くの人が古代人のように疑問を持たない傾向
をかんじるのです(もちろん科学的には否定されていることですが
「疑問を持たない」というのがポイントです)。
そもそもビッグバンという現象によって何故空間や時間が生じるのか
そのことについて研究している学者も中にはいるでしょうけど
私としてはマイナーな分野という印象をもちます。
つまり私としてはもっと関心が持たれてもいい気がするのです。
そもそもアプローチの仕方がわからないにしても
意識のハードプロブレムくらいには話題に登っていい気がします。

ただ、じつは私としても始めから「無」があったということになっています。
「無」はそれ以上さかのぼれない気がする便利な概念ですけど
何やら疑問が残る気もするのです。
のみならず私は並行宇宙を想定して「何も無いことは一度も無かった」
とか言っていますけど、ちょっと我ながら無責任な気もしてはいたのでした。

88 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:03:32.94 0.net
>>87
このはなしはどこにつながるのかというと、
最近私に反論をして下さっている方々の印象です。
反論していただけるのは大歓迎というか
むしろ私は反論してくれ反論してくれの反論乞食ですけど、
そういった方々は「意識が存在する前に世界は存在した」
という世界観をお持ちのような気がします。
ではその「世界」はどのようにして生じたのか、
私としては「語ることは無くなった」みたいなことは言わずに
そのイメージはそのままでもとにかく徹底的に詰めていただきたいのです。
あるいはその部分が知性に理解不能な領域であったとしても
何故それが理解不能なのか、
あるいはそうして私は「意識のハードプロブレム」にも答えが出る
ような気がするのです。

89 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:15:15.01 0.net
>>87
>これ以上分割されないとされる物質が球体

90 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:17:30.45 0.net
>>88
>これ以上分割されないとされる物質が球体
→初めて生成されたとされる物質が球体

91 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 11:43:31.46 0.net
何かが存在するが、その形を判断する材料がない場合、
その何かにはまだ形がないということが、「球体」なのではないかな。
だから、形あるものは、いろいろな条件の効果にさらされて、
形を失っていくと「球体」に近づく。

92 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 11:49:22.36 0.net
なにいってるかわからない

93 :27:2021/12/24(金) 11:57:49.23 0.net
>>88
私に対して当てて書いてるような感があるのでレスします。
私は考える事自体好きなのでいくらでも考えられますよ。考える対象もいくらでも出ます。

ただ私の場合、考えるのに時間食うので本気で考え始めると仕事が手につかなくなってヤバいのです。
なのでほどほどに考えてほどほどに投稿しよーかなくらいに思ってます。

94 :27:2021/12/24(金) 12:05:05.33 0.net
なので超遅レスとか普通にやりそーなのでそうなったら呆れずお付き合いください。

95 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 12:07:18.52 0.net
一次元球面から一点抜いたものが一次元球体です。
二次元球面から一点抜いたものが二次元球体です。
球体には同じ次元でのエッジがあります。
球面には同じ次元でのエッジはありません。

96 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 12:49:39.18 0.net
形の喪失が球でしょう。言い換えるなら、求心性の物象化ですよ。

97 :時計 :2021/12/24(金) 12:57:11.53 0.net
>>95
球体と言うと中が詰まっている印象はありますが違いますか?

98 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 14:17:00.65 0.net
>>90
物質は存在しないんじゃなかったのか?

99 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 15:18:42.03 0.net
求心性の物象化としての球と遠心性の具象化としての光

100 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 17:34:24.00 0.net
球体は中が詰まっていますが、
n次元球体 < n次元球面
です。(< は濫用かもしれませんw)

0次元球面は2つの点であり、
点をひとつ取り除くと、0次元球体(=ひとつの点)になります。

101 :時計 :2021/12/24(金) 19:18:34.37 0.net
>>100
確かに、「<」は謎ですね……
二次元球面から一点を抜くとはどういう操作でしょうか。

102 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 20:31:25.25 0.net
二次元球面とは、中が空気のゴムボールのようなものですね。
これに穴を1つ開けて(1点を抜いて)広げると、
餃子の皮のようになります。これが二次元球体です。
一般的なイメージの球体は三次元球体です。中がつまっているボールです。
中がすかすかのボールは二次元球面です。
三次元球体の表面が二次元球面です。
二次元球体は餃子の皮ですw

103 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 22:41:57.61 0.net
解析接続と超対称性変換。
なにやらおかしな関係がありそうな気配。
情報が保存されているのだ、と考えるとスッキリする。
でも、その情報はどこから来たのか?
対生成したのならば反情報がどこかにあるはず。

104 :時計 :2021/12/25(土) 03:29:22.23 0.net
>>102
なるほど。穴を開けて広げるんですね。
そうすると確かに二次元球面は二次元球体になりなすね。
球体とか球面とかいう言葉は不思議ですけど。

105 :27:2021/12/25(土) 06:33:54.14 0.net
>>67
状況に応じて意識が脳内の記憶(情報)を引っ張り出したり書き込むと想像します。
あと「感じ」の発生元は意識だと思ってます。(意識は「感じ」の発生元であり中枢神経系に存在する仮説です。メカニズムを考えても想像にしかならんので、まー宗教です。ただ、この仮説は別の考えと整合が取れて都合が良いのです)

意識内では「感じ」が発生し、また記憶(感覚記憶や概念記憶)から「感じ」や「概念」を想起すると考えます。

そして概念と感じは紐ついてると思うんですよね。
例えば何かを記憶する時、「感じ」をインデックスにしてる感があります。廊下の思考実験の話だと廊下を記憶するのに廊下を歩いた「カツカツ」という硬質感のある歩いた足の感じで覚え、それで思い出すみたいな。(この例では「廊下(という場所)」と歩く「感じ」の紐付けが行われていると思います。他の例も全てそうか、概念全てがそうかは宿題事項です)

ちなみに私は意識が物質だろうが魂だろうがなんでも良い派です。
意識と称される何かが存在し、それを意識と呼ぶのが都合が良いから使っているだけです。
意識とは物質的な何かな気がしますが最終的に霊的な魂かもしれません。

そうそう、あと27以外に43,44,61,62,93,94も私です。(前スレでは901,904,964,977も私でした。見落としは多分無いと思います)

106 :27:2021/12/25(土) 06:40:11.68 0.net
誰もいない森の話は結構好きな話で暇があるとついつい考えてしまう話です。
私は誰もいなかろうが物が存在していて欲しいと思っているため論理の組み立てが「ある」方に寄ってますね。

もう一つ、すごく考える話に認識世界内の知覚補完されている部分(記憶や概念による知覚補完)は本当に存在するか?というものがあるんですが、それからすると「ある」方が都合が良いのです。
概念による知覚補完とは生まれて初めて見る木の裏側が分かる、というものです。なぜ分かるのかと言えば木という物を経験上たくさん見ており(丸太の状態や木の切り株とかも)木という物はこういうものであると概念があるためです。
そして無数に木を見た経験から初めて見る木でも幹の裏側に幹があると信じられるし納得できます。

問題は建物(特に一戸建てのような小さくも大きくもない物)です。
私の概念上、建物とは屋根があり、4方向に壁なりドアなり窓なりがあるものとして考えられ、それに従い知覚補完されていると言えるのですが一戸建ては小さくも大きくもない事から私が4方向から確認できたと確実に言える物が少なすぎるのです。(20年とか今の場所に住んでますが3軒隣の家とかで確認できてないです。その先とか住宅の中に埋もれると壊滅的です)

見た事ないのに「ある」、わざわざ確認しに行こうとも思いません。なぜ「ある」と言えるんだろう?とか考えるわけです。
そりゃー錯覚だと言われればそうかもしれないんですが錯覚だと生きてて困るんですね。
なので私という観測者を立ててそこは知覚内にあるの「だろう」としてる訳です。
(とは言え、実際に見るまでは確定しませんが)

ようは私は納得したいのです。そしてほんの数軒先の建物の裏側が「ある」と言えない事(「見える」ではない)が納得できないのです。
(見えない事で100%あるとは言えないため一生悩みそうですww これからすると記憶による知覚補完とかんなもん100%存在するわ(とは言い切れんのだが)って気が抜けてます)

神という概念の誕生必然性の一つがこれの保証でないかと考えてます。(もう一つは人間が人間を観測するのに都合が良いというものです。その二つを併せ、神という概念には存在必然性があるとしています)

107 :27:2021/12/25(土) 06:40:55.13 0.net
私は日本神道における神がいて欲しいと思ってますが上の「神という概念」の話は言語上の話のようなものだとお考えください。

108 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/25(土) 08:16:25.97 0.net
「神」とは、すなわち「体系外」の「公理」であって、
体系内の「矛盾・パラドックス」を解消するものです。
体系外のものなので、役に立たなくなれば追放されます。
体系内にいる「神」は、矛盾を孕むことになるのでニセモノです。

109 :27:2021/12/25(土) 08:31:08.80 0.net
>>108
意図した通りに読み取れているか分からんけど言葉内にあるものはどうやっても言葉内にあって記号じゃん的に思いました。

で、神の名前を呼ぶなって宗教は記号化したら神ではないとの考えによるものかもしれんなーとか連想しました。

110 :27:2021/12/25(土) 08:36:18.48 0.net
ヤバいw

今から仕事なんすわ。
考え初めて仕事が手につかなそう。

ちょっと見るの中断して頭冷やします。

111 :でこすけ:2021/12/25(土) 09:20:16.32 0.net
>>93
私はコロナ休暇をもらったので投稿をはじめたのですが
今はそれが終わって以前のようには気軽にできなくなってしまいました。
返信できてないものも多く、申し訳ないことになっています。
とりあえず何か考えたことがあればみんなで意見を寄せていければいいな
というお話です。
ちなみに私も出勤なので、今はこれだけになってしまいます。

112 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:04:43.45 0.net
求心性の働きの物象化が「球(たま)」であり、
遠心性の働きが具象化が「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」である。

「かか・(輝)やき」の「かか」の「か」自体は、反射作用
を想起させるように用いられた発音であり、その繰り返しは、
その作用の継続性を伝えるように用いられるが、「〜やく」
の「や」は、「矢(や)」、「槍(やり)」、「遣(や)り」の
「や」からも想起されるとおり、その継続的な作用が
「はな(放/離)たれる」方向に働くことを伝えるので、
そのように方向性が示されることによって、「かか」に
よって表される継続的な反射作用が、遠心性の働きを表現
するように用いられることになるのである。

「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」は、その遠心性の作用に
よって、遠く離れたところにいる人々をも「化(おもぶけ)る」
効果を発揮し、そのことによって「光(ひかり)」の
「かかや(輝)き」が届く人々の各々において「向心力」と
なるのである。この反射作用と遠心性の働きの組合せに
よってもたらされることになる「向心力」の効果をもつ
存在が、「統治権力の中心」とされ、「や」の代わりに
「あ」を用いて遠くの方向性を示すことにより、その
ような複合的な効果を端的に表現している名称が
「あすか(飛鳥/明日香)」や「あしかが(足利)」なのである。

113 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:48:50.71 0.net
しかし、ここでさらに留意しなければならないのは、「向心力」の
効果を発揮して各々に向き直らせることが、単純な対向性をもたらしては
ならないことである。さもなければ、対向性は、対称性として認識されて、
対抗につながる危険性がある。だからこそ、中心として「向心力」の
効果を発揮しようとするなら、相手を向き直らせると同時に、相手が
正面から向き合うことを恐れ入るようにするように相手を絶えず
「は(端/恥)づかしめ」る必要がある。

114 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:51:51.22 0.net
「魂(たまし・ひ)」とは、「ひ(日/火)の球体化」である。

115 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:56:27.42 0.net
>>113
だからこそ、自律性を大切にしようとするニーチェは、相手をはづかし(辱)めよう
とする者を最も憎んだのである。フィヒテも、人の晴れやかで快活な面持ちを教会が
いかに嫌うかを指摘している。

116 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:59:06.69 0.net
「相手を向き直らせて、その向き直らせた相手を辱めること」、
その行為の繰り返しの実践を奪ったなら、統治権力に何が残るだろうか。

117 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 12:08:42.17 0.net
誤:遠心性の働きが具象化が
正:遠心性の働きの具象化が

118 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 14:16:31.26 0.net
一寸の虫にも五分の魂(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』」

119 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 14:21:10.77 0.net
誤:(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』」
正:(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』)

120 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 14:55:13.60 0.net
てふてふ

121 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 15:09:05.18 0.net
疊々と漢字で書き直してみれば、イメージがよく分かる。

122 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 15:15:24.06 0.net
実際にてふてふの動画を見ても、なぜ「てふてふ」が「疊々」であるのかよく分かる
https://www.youtube.com/watch?v=ykp_RWbhPeE

123 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 00:32:49.12 0.net
結局ソフトといってもハードの一部だからなw

124 :27:2021/12/26(日) 06:20:54.12 0.net
ハードはソフトがなければ動かないからソフトが主人であるとも言える。


あんまりしっかり考えてないんだけど私は神の存在必然性は分かるんだけど神を信じられてないつー事なんだよな。
だから書き方自体が微妙な論理構造になっててそれは引っかかって当然だよなーってオモタ。

超球面さんが体系外の公理を神として表現したのがよく分からなかったんだけど、公理とは自分の外側にあって自分と断絶があるというシニカルな視点があるのだろうかと改めて見て気になりました。

あと112から123って全部身づ柄さんですか?
他の人が混ざってるのか分からなくてちょっと迷ってます。
(ちょい興味を引かれる話をしてる感があるんだけど他の人が混ざってると解釈が全然変わって現時点の解釈が「結構謎」→「めちゃくちゃ謎」になる)

125 :27:2021/12/26(日) 06:37:17.81 0.net
よく分からない事は神にぶん投げちゃえよってのは解法の一つでその解法があるのも分かるしそもそも最初から無条件に信じる人とかいるのも分かるんだけど、もっともっと考えて探究したら矛盾が矛盾でなくなり、神に頼らない矛盾の解消ができるのかもしれない。
考えて考えぬいた先に「なるほどこれは神を信じるべきなのだ」と分かったら素直に神を信じられるような気がします。

私はきっと我儘なんです。w

126 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 07:27:06.62 0.net
ソフトな豆腐も冷凍乾燥させればハードになる

127 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 07:28:47.54 0.net
>>123は無関係

128 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 07:30:02.15 0.net
>>120も無関係
>>121-122はレス

129 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 08:00:44.44 0.net
高野(こうや)豆腐ではない。「こお(凍)・や」豆腐だ。

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