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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

334 :時計 :2022/01/02(日) 05:09:30.30 0.net
>>333
ゼロ学習は出力一定ですよね。
そのような学習があるのかどうかよく解りません。
学習Vはキャラクターの変化ということでいいのかな。
家と職場ではキャラクターが異なるというような。

335 :時計 :2022/01/02(日) 05:18:43.03 0.net
>>334
ゼロ学習が解ればゼロ意識も解るのかなと思いますが、
それほど単純ではないのかな。

336 :時計 :2022/01/02(日) 05:19:53.54 0.net
>>335
目的は、飽くまでゼロ意識を理解することです。

337 :時計 :2022/01/02(日) 06:36:43.33 0.net
意識とはあまり関係ないが、いじめについて。
私は、いじめる者は法に触れたくはないが殺意を持っていると思う。
そういう二律背反的な状況にあると想像する。
いじめられた者が自殺したりするのは、
その殺意に屈することになる。
だから、生きることは最大限のリベンジなのだろう。
私は、あまりいじめに関わったことはないのだが、ふと思った。

338 :時計 :2022/01/02(日) 06:39:11.65 0.net
>>337
いじめる側もいじめられる側もダブルバインド的状況なのかもしれない。

339 :時計 :2022/01/02(日) 07:11:59.09 0.net
>>338
いじめる者の悲哀に共感しないこと。
周囲の人間にはこれは求められると思う。

340 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 07:43:21.99 0.net
>>333
人の言葉遣いをそのまま借りていると、本当は考える必要のあることを
前提としてしまって、他人に誘導されるままとなってしまうことが
よくあります。「主体」はなぜ「『主』体」なのでしょう?
「主体」/「従体」として「主体」であるのなら、自らの意に沿ふ
ようにさせる側が「主体」で、そうさせられる側が「従体」ですよね?
「主体」/「〇(?)体」として、「主体」と対比される側を、
「主体」が自らの意に沿ふようにさせることのできる可能性が不明なら、
「〇(?)体」は、「従体」ではなく、「物体」ということになるの
でしょう。これに対して、「主体」/「客体」というのは、
「主」として「ふるまふ」側が「客」を「もてなす」ということ
になると思います。

「意識」についてより明確に語ろうとするなら、まずはそのような
用法の区別を丁寧に言葉によって記述していく必要あるでしょう。

341 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 07:50:40.06 0.net
Twitterで「神学は『自然言語』ではない言語で書かれて」いるという
発言を目にしましたが、確かに神学は他人の言葉遣いを規制して
誘導することを意図する「不自然な言語」で書かれているのではないか
という気がします。

342 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 07:53:17.47 0.net
だからこそ、神学の縛りを離れて、哲学をしようとするなら、
神学の言葉遣いそのものを哲学の営みにおける言葉遣いの反省によって、
日常言語において考え直すことができるように解体していく必要が
あるのでしょう。

343 :時計 :2022/01/02(日) 07:59:09.33 0.net
>>340
それがハードプロブレムじゃないんだよね。
解っているならいいが。

344 :時計 :2022/01/02(日) 08:00:31.09 0.net
>>343
基本的には発話者の自由に任せています。

345 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 08:04:51.73 0.net
ハードプロブレムといえば、歯が立たない一般に難しい問題と理解されます。
ソフトであるなら、いろいろやりようがあるということでしょう。

346 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 08:05:42.12 0.net
歯が立たない一般に難しい × 
一般に、歯の立たない難しい 〇

347 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 08:07:40.55 0.net
>>343
似非神学的な言葉遣いの規制は、哲学には無用です。

348 :時計 :2022/01/02(日) 08:08:06.85 0.net
>>345
ハードプロブレムの拡大解釈ですね。
それも一興かと思いますよ。
ソフトから攻めるのもまた。

349 :時計 :2022/01/02(日) 08:09:07.29 0.net
>>347
個人的には神学は大アリなんですよね……
人それぞれということで。

350 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 08:12:56.68 0.net
>ハードプロブレムの拡大解釈ですね。

違いますよ。「ハードプロブレム」の一般的な理解です。
「ハードプロブレム」というのは、英語のカタカナ表記であり、
日本語として一般に通用しているわけではありません。
では、英語を母語とする人々に向かって"That is a hard problem."
と発言したらどのように理解されるでしょうか。それはそのまま、
「それは難しい問題だ」に相当する意味で理解されるでしょう。

351 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 08:16:48.25 0.net
ですから、その「a hard problem」という表現の一般的な理解を制限して、
何らかの規制に他人を従わせるように議論を進めたいなら、そのように
他人に求める側に、それがどのような規制なのかを明確に理解できるように
説明することと、他人がその規制に従うことの有用性を示すことが求められる
わけです。

352 :時計 :2022/01/02(日) 08:17:01.50 0.net
>>350
意識の難問とは、ある難問を指しているわけで。

353 :時計 :2022/01/02(日) 08:17:50.84 0.net
>>351
それはそうですね。Wikipediaなどにもありますよ。

354 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 08:21:02.82 0.net
「ある難問」の「ある」は「或る人」と同様に、発言者が、「対象を
特定することは避ける」という意図を聞き手に知らせる表現なのですよ?

355 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 08:26:14.82 0.net
それに>>1に記載される
>脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
というようなことを問題としているのなら、
>>321からつづけて書き込んだ説明で十分に言葉を尽くしていると思いますが?

356 :時計 :2022/01/02(日) 08:35:47.70 0.net
>>354
the hard problemの方が誤解はなかったかな。

>>355
脳神経系は客体であるということに力点はあります。

357 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 09:18:13.28 0.net
神学的な言葉遣いで議論をしても不毛な「神学論争」になるだけで、
その論争を解決する手段は、宗教戦争による勢力争いしかなく、
その結果としてもたらされる安定した覇権の確立が「解決」となる。
大抵の場合、すべてを覆い尽くす覇権を確立することは難しい
ので、その「解決」は、"agree to disagree"、つまり、
「同意しないことに互いに同意する」という並立関係を生んで、
決着を見る。「神学論争」の不毛さと「宗教戦争」のもたらす
悲惨さが人々の生活を圧迫するようになったことが、神学を離れた
哲学が求められるようになった大きな要因でしょう。
それなのに、哲学的な議論をするのに、わざわざその必要もないのに
神学的な言葉遣いで自らを縛ろうとするのは愚かなのですよ。

358 :時計 :2022/01/02(日) 09:24:00.98 0.net
>>357
日本語で国家神道という言葉がありますが、
国家キリスト教が問題なのではないでしょうか。
そういう意味では、宗教戦争を解決したのは、
哲学というより政教分離の原則だったのかなと思います。

359 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 09:26:04.45 0.net
>哲学というより政教分離の原則だったのかなと思います。

政教分離によって、制度として神学から切り離された哲学が
それなりの地位を確立することができたのではないですか?

360 :時計 :2022/01/02(日) 09:29:26.10 0.net
>>358
聞いた話では、ハイデガーはナチズムに関与していたらしいですし、
政治に関する哲学の功罪はあると思います。
ヘーゲルの哲学に全体主義の萌芽を見る人もいるそうです。

361 :時計 :2022/01/02(日) 09:31:29.77 0.net
>>359
政教分離によって神学と政治が分離したと
考えられるのではないでしょうか。

362 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 09:32:40.30 0.net
131考える名無しさん2021/01/28(木) 14:00:15.760
>しかし地上における神のみわざは啓示されなかった。神は、ご自身の
みわざの代行者がいかなる行動によって、いやそれどころかいかに人々
を導いて、この世の用件に介入すべきかを、啓示なさらなかった。
キリストの受肉により神の恩寵が法に取って替わって以後、神が
告げられたのは、キリストの再臨までの短い期間、苦しみながらも
世の支配者たちに従うべしということだけだった。地上における神の
みわざは、この世の正しい秩序であり、人間の争いの対象である。
この争いが深刻になればなるほど、争いの当事者たちは神のみこころ
についてその都度自分の解釈をますます堅く信じて疑わなくなる。
この争いは、自分の信念こそが神のみこころであると述べ立てるために、
聖書の註釈を利用する。< 
エーリヒ・アウエルバッハ、『中世の言語と読者』、pp.314-315

363 :時計 :2022/01/02(日) 09:41:43.11 0.net
>>362
その方は近代の人らしいですが、何か問題はありますか。

364 :時計 :2022/01/02(日) 13:23:54.86 0.net
この年末年始で、ヘーゲルの『精神現象学』を読んでいます。
難しいですが、面白いです。
意識という言葉も度々出てきますが、
意識のハードプロブレムに関するものではないようです。
あと、ガロア理論の本を読んで、出てくる定理を1日1つずつ
理解するということを始めました。
目標は5次方程式の解の公式の存在しないことを理解することです。
ゆくゆくは圏論を理解したいですが、いつになることやら。

意識のハードプロブレムに関しては、この私の脳と、
あの他者の脳とは、何が異なるのかということに着目しています。
この問題は、唯物論では解けないように思います。
そこで、唯心論あるいは主観主義に移るわけですが、
私は物質は実在すると考えていますから、
当初の問題も無内容ではありません。
私の脳が私の脳であることは、偶然的、そう言えるかもしれません。

365 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 15:43:16.18 0.net
>この私の脳と、あの他者の脳とは、

それなら、「この私」と「あの他者」がどう区別されているのかを
考える方が先では?

366 :時計 :2022/01/02(日) 16:02:49.32 0.net
>>365
確かに。この私とあの他者の異なりを
この私の脳とあの他者の脳に置き換えていると言えますね。

367 :時計 :2022/01/02(日) 16:03:20.66 0.net
>>366
正:この私の脳とあの他者の脳の異なり
誤:この私の脳とあの他者の脳

368 :時計 :2022/01/02(日) 16:07:16.83 0.net
>>366-367
私は物質は実在すると考えますから、それは自然な推論だと考えます。

369 :時計 :2022/01/02(日) 16:09:26.41 0.net
>>368
しかし、私は他者の脳、それも写真等でしか知りません。

370 :時計 :2022/01/02(日) 16:15:22.35 0.net
>>369
写真という言葉が出てきましたが、
私は脳の働きを近似的に便宜的にカメラによる撮影のように考えています。
だから、この私のカメラとあの他者のカメラの異なりと
比喩的に表現することもできると思います。

371 :時計 :2022/01/02(日) 16:16:09.44 0.net
>>370
正:脳の感覚の働き
誤:脳の働き

372 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 16:17:50.77 0.net
同窓会くらい行けんのか?

373 :時計 :2022/01/02(日) 16:19:56.18 0.net
>>371
また間違えました。:)
正:脳の視覚の働き
誤:脳の感覚の働き

374 :考える名無しさん:2022/01/02(日) 17:55:41.53 0.net
>この私のカメラとあの他者のカメラの異なり

カメラだったら、それが私のものか、他人のものかは、単に所有権の違いでは?
例えば、同じ監視カメラの映像を見ていても、その監視カメラの所有権を
譲り渡したら、権利譲渡前は、自分のカメラで映像を見ていたのに、
権利譲渡後は、他人のカメラで映像を見ていることになるよね?

375 :時計 :2022/01/02(日) 18:02:08.88 0.net
>>374
所有権と異なることの1つは、
他者に譲り渡すことができないことだと思います。

376 :「をなり神」が「世界」である:2022/01/03(月) 08:46:59.32 0.net
https://ja.wikisource.org/伝道の書(口語訳)
>伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

このような「をし(教)へ」に対して、
「よかろう、『空虚』/"void"を指し示す『を』の呼応関係/"correspondence"
の成立、『を・な(成)り神』/『意の成就』こそが現に世界としてあるのだ」
というのがニーチェ的な読みかえなのです。

ニーチェがそれを乗り越えるべきものとしたロマン主義としてであれ、やはり、
「『を』の呼応関係/"correspondence"」を表現しているのが、エマソンの
"prayers/the will of the Supreme Being"であると見ることができる。

> His prayers, in a certain sense, are like the will of the Supreme Being:

His word leaps forth to its effect at once,
He calls for things that are not, and they come.

His prayers are granted; all prayers are granted.
Unceasing endeavors always attend true prayers, and,
by the law of the Universe, unceasing endeavors do not fail of their end.<

― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.64

377 :時計 :2022/01/03(月) 08:57:05.82 0.net
>>376
何度言われても、私は「〜を」は対象を示すと思うが。:)

378 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 09:02:48.41 0.net
では、ここで"prayers"は、行為としてそれをすることが何を示すのですか?

379 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 09:06:59.19 0.net
>私は「〜を」は対象を示すと思うが

そもそも、私は、「〜を」が対象を示さないなどと主張したことは一度も
ありませんよ。むしろ、ハイデガー的な文脈で読むなら、「を」の呼応関係
の成立として、「目の前にある」/"vorhanden sein"ように「対象」として
現れている(ように見える)のが世界であると表現することもできる。

380 :時計 :2022/01/03(月) 09:34:10.82 0.net
>>378
英文の方ですよね。
存在しないがやって来るものを必要とするとありますが。

>>379
私は呼応関係は省略という文法的事項だと思います。
例として、「太郎!」等。

381 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 10:19:41.69 0.net
>例として、「太郎!」等。

「太郎!」と言挙げするのは、「〜は?」という問いかけでしょう。
さらに、「太郎」を呼んでいるのであれば、「〜は『を(居)』るか?」
ということになりますね。

382 :時計 :2022/01/03(月) 11:03:50.63 0.net
>>381
「〜だ」とか「〜よ}とか色々と考えられますね。

383 :時計 :2022/01/03(月) 11:04:36.73 0.net
>>382
「〜を」もあり得ます。

384 :時計 :2022/01/03(月) 11:05:53.82 0.net
>>383
助詞無しですから、さらに色々なケースが考えられると思います。

385 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 11:40:25.30 0.net
>「〜だ」とか

どうみても呼びかけではありませんね

386 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 11:50:04.35 0.net
>思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れ形見に(新古今和歌集巻第八『哀傷歌』)

「を(折)りたくしば(柴)」とは何でしょうね?

387 :時計 :2022/01/03(月) 12:56:43.25 0.net
>>385
「〜だ」の省略は、確かに呼び掛けではないケースかな。
「〜よ」の省略は、呼び掛けでは?

>>386
「折って焚いた柴」と、ウェブにありました。

388 :時計 :2022/01/03(月) 12:57:24.78 0.net
>>382
正:「〜よ」
誤:「〜よ}

389 :時計 :2022/01/03(月) 13:18:10.60 0.net
>>387
あと、「太郎!」は省略ではないという考えも正しいかもしれません。

390 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 14:19:37.80 0.net
「〜を」がどのようにして対象を示すのか、どのような機能的な求めに
応じて使われているのかに先立って、「対象を示す文法機能を担う助詞
として「〜を」が存在する」とする見方そのものが、「目の前にある」/
"vorhanden sein"ことの方を、「手頃にある」/"zuhanden sein"に
優先させる、つまり、物象化を呼応関係の成立に先立たせることに
なる存在論的な転倒なのですよ。

391 :時計 :2022/01/03(月) 14:45:18.91 0.net
>>390
どのようにして対象を示すのかに関しては、
一般的に対象を示すのが「〜を」だと考えています。

392 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 15:07:04.38 0.net
またまた訳の分からないことを

393 :時計 :2022/01/03(月) 15:15:48.78 0.net
>>392
そうですか…… 疑問が一般的過ぎて答えようがありませんが。:)

394 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 16:37:59.88 0.net
アイデンティティが維持されとらんなw
消化されないものでも食べとるのかw

395 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 17:48:52.54 0.net
「〜を」でなにか哲学的な事を言っているんだろうけど、正直意味わからないな

396 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 19:04:52.28 0.net
https://manyoshu-japan.com/10306/
第13巻 3272番

うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ
その里人の 標結ふと 聞きてし日より
立てらくの たづきも知らず 居らくの 奥処も知らず にきびにし
我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら
苦しきものを 嘆くそら 過ぐしえぬものを
天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて
乱れ麻の をけをなみと 我が恋ふる
千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして

397 :時計 :2022/01/03(月) 19:10:31.90 0.net
>>376,395
ニーチェ的読みかえは、「よかろう」だとか、
何で教えてもらっているのに偉そうなの、って感じ。:)

まあ、冗談はさておき、
「言う」の助詞は「を」ではなくて「と」ではないかな。
仮に「を」だとして、そして、
「をなり神」が現に世界にあるとして、何なのか。
教えてもらって、意が成就して、良かったんじゃないかな。
あと、文章がよく解らない理由は、
受動と能動がややこしいことにあると思う。

398 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 19:43:39.63 0.net
またまたご冗談を

399 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 19:46:01.26 0.net
ところで、「言え」というのは命令ですよね、ふつう
では、「バカを言え!」というのは命令なのでしょうか?w

400 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 22:49:00.63 0.net
「馬鹿も休み休み言え!」とう命令ですよw

401 :考える名無しさん:2022/01/03(月) 23:16:12.36 0.net
では、「嘘を言え!」はどうなのですか?w

402 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 00:36:54.45 0.net
いつまでも嘘を言えという命令w

403 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 01:47:10.59 0.net
反出生主義思想とは、一種の【暴力装置】である
ということもまた同時に理解しないといけないね2022年

404 :時計 :2022/01/04(火) 03:46:31.44 0.net
>>398
またまたはそちらこそ。:)

>>399
弟子たる者、師の言ったことの中から、大切なことを
自ら探すのではないかな。
プラトン然り、儒学然り。

>>399-401
否定の「いえ」と呼応しているのかもね。

405 :時計 :2022/01/04(火) 03:51:43.18 0.net
>>403
自由だと思うが。
私は将来的には国家が出生の管理を担うべきだと思うけど。

406 :時計 :2022/01/04(火) 03:57:21.97 0.net
>>397
「と」だと「となり」で平和的でいいんじゃない。

407 :時計 :2022/01/04(火) 04:23:48.75 0.net
>>404
正:>>400-402
誤:>>399-401

408 :時計 :2022/01/04(火) 04:25:13.32 0.net
>>407
いや、違った。:)
正:>>399-402
誤:>>400-402
なんかややこしいね。

409 :時計 :2022/01/04(火) 04:26:36.92 0.net
>>406
師と弟子の関係は「となり」である。

410 :時計 :2022/01/04(火) 04:27:07.54 0.net
>>409
あるいはそれを超えて、人々の関係は。

411 :時計 :2022/01/04(火) 05:47:17.52 0.net
>>409-410
これこそ冗談か。:)

412 :ディオニュソス的ペシミズムとは:2022/01/04(火) 07:51:05.13 0.net
「男(を)の神(かみ)」とは、その本来性において「『〜を』の神(かみ)」
であり、物象化が、「『〜を(の呼応関係)』の実現」を「»Das Man«の現実」
に変えるのである。言い換えるなら、「目の前にある」/»vorhanden sein«
という在り方で表れているように見える「現実」が既に、「〜を(の呼応関係」
が実現されていることの物象化としてあり、そのことには、何か意に沿はない
こと、つまり、»unzuhanden sein«であることが生じて初めて、「あらためて
気づかされる」のである。その「『あらたかな』気づき」こそが
「もののあはれ」であり、「うた(歌/詩)」を詠むことは、その「もののあはれ」
を言葉として表現しようとする、その都度の「こころ(心/試)み」に他ならない。

413 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 08:08:23.15 0.net
誤:「〜を(の呼応関係」
正:「〜を(の呼応関係)」

414 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 08:23:06.85 0.net
Twitterは、その「『あらたかな』気づき」を「»Das Man«の現実」に
引き戻すための装置として仕組まれている。

415 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 08:26:18.64 0.net
Twitterの書込みの言葉の表現において、その仕掛けに自覚的でない利用者は、
表向きに掲げている思想がどのようなものであれ、「»Das Man«の現実」
を維持することに貢献するように働いているのである。

416 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 08:27:40.82 0.net
だから、そもそも私はTwitterを利用することをしない。

417 :時計 :2022/01/04(火) 08:59:35.26 0.net
>>412-416
このスレッドがあらかたな気づきに繋がるといいなと思います。
物象化に否定的な意味が込められているように思いますが、
どうなんだろうな、私は中立的だと思います。
あと「目の前にある」というのは視覚中心的な感覚だと思いますが、
それは聴覚等他の感覚にも一般化できるのでしょうか。

412さん(多分、身づ柄さん)は、うたを読んだりするのでしょうか。
私はあまりしません。:)

414さん(繰り返すが、多分身づ柄さん)はDas Manではないのでしょうか。
人は習慣的なところ、つまりDas Man的なところがあるように思います。
ちなみに、ハイデガーは読んでいません。

Twitterはフォロワーに追い付くのにやっとという感じがして、
私もあまり好みません。

418 :時計 :2022/01/04(火) 09:11:22.08 0.net
>>417
フォロワーじゃなくてフォロイーか。ややこしいな。:)

419 :時計 :2022/01/04(火) 09:19:53.80 0.net
>>417
Das Manに関しては、Wikipediaでさらっと見ました。

420 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 09:27:32.41 0.net
>物象化に否定的な意味が込められているように思いますが、

そのように物象化を一方向的に否定的に捉えることが神学的なロマン主義に
陥ることにつながるのではないかと思います。人はなにもしていないつもり
でも、自然に物事を物象化して捉えているのです。だからこそ、
その無自覚な捉え方について自省を迫られる状況に直面する。
しかし、それでも、自省を迫られることは面倒なので、そのような
状況が生じていること自体を無視して、物象化された現実の方に
しがみつこうとする動機が働き、その動機が「»Das Man«の現実」を
安定的に維持することになる。これは、所謂、正常性バイアスでしょう。

421 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 09:35:16.87 0.net
>あと「目の前にある」というのは視覚中心的な感覚だと思いますが

「目の前にある」というのは、ハイデガーの表現を日本語として意図が
伝わるようにするための変換によるもので、元のドイツ語の表現は、
»vorhanden sein«ですから、「手」、つまり、触覚に関係する表現
であることになりますが、何かに触れているという感覚から、
ハイデガーがこの表現によって伝えようとした意図を日本語にする
ことは難しい。「手前にある」と表現することはできますが、
分かりにくいでしょう。むしろ、日本語では単純に「ある」と
表現されるのが普通ではないかと思います。「ある」に対して
「を(居)る」というのは、»vorhanden sein«ではありません。
「を(居)る」は、動く可能性のあるものがそこに留まるように
していることを表現しています。

422 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 09:45:27.23 0.net
そこで重要になるのが、以前に指摘した"the patronizing we"の生成ではないか
と思います。

115考える名無しさん2021/12/29(水) 08:34:11.460
「現存在」&「呼応」というキーワードで検索してヒットしたハイデガー
からの引用で、論文自体は読んでいないが、このようなハイデガーの表現
を見ても、いかに日本語が哲学をするのに有利な言語であるかがよく
分かるはずである。

https://koara.lib.keio.ac.jp › xoonips › download.php
PDF
Title ハイデガーにおける現存在の「身体性」の問題性格 ...

>ただし ハイデガーが次のようにボスに告げていることにも注意してお
きたい 「しかし 現存在として実存する 人間は その世界の開けから
自分に語りかけてくるものへと それを聞き取るという仕方で本質的に関
係づけられていることにおいて この語りかけてくるものに向かってそれ
に対する自らのふるまい (Verhalten) でもって呼応するように つまり応
える (antworten) ように要請されているのです それも 出会ってくる
ものを自分の保護下におき その本質が展開するよう可能な限りそれを助
けるという仕方で応えることを要請されているのです」 [ZS, S. 292] <

116考える名無しさん2021/12/29(水) 08:50:58.650
>>104
>「己(な)を汝(な)として主(あるじ)する」ことによる「な(己/汝)」
の関係性、英語で表現するなら、"The patronizing we"の生成である<

423 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 09:57:02.41 0.net
>その「『あらたかな』気づき」こそが「もののあはれ」であり、
「うた(歌/詩)」を詠むことは、その「もののあはれ」を言葉として
表現しようとする、その都度の「こころ(心/試)み」に他ならない。<

ニーチェにとっても、ディオニュソスとアポロの対比が問題となる
のは、ここにおいてだろうと私は思います。だから、ニーチェ自身、
「うた(歌/詩)」をパロディとして試みる。

424 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 10:04:40.87 0.net
哲学の営みとしての試行錯誤というのは、その歩みそのものが大切
なのであって、数学のように、検証された手続きを自動化して、
入力に対する出力結果だけ利用できればいいというようなもの
ではないのです。

425 :時計 :2022/01/04(火) 10:57:14.75 0.net
>>420
ということは、物象化の日々を過ごしつつ、
時にそのことを自覚することが大切だということでしょうか。
瞑想等の物象化とは対極的であると思われる行為によって。

>>421
触覚を基本に据えているのですね。何だか腑に落ちた気はします。
「手元にある」という日本語もありますね。
本質的に「ある」と同じだということは、
「有る」と「在る」のような細かなニュアンスの違いでしょうか。

>>422
よく解りませんでしたが、
相手のことを「己」ということ関係するということでしょうか。

>>423
ニーチェに関しては、明日図書館から借りてきます。
『愉しい学問』です。楽しみにしています。

>>424
数学に於いても過程は大切だと思いますよ。
確かに、ショートカットは効きますが。
過程を知っていると、未知の問題を解くのに使えたりすると思います。

426 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 11:19:11.29 0.net
数学であれば、検証された数学の定式を、その手順を自らが
構成することができない人が機械的に利用しても、手順に
正しく従っているなら、自動的に正しい計算結果が
もたらされますが、哲学をそのように「応用する」ことは
できない、ということです。

427 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 11:31:44.02 0.net
>「手元にある」という日本語もありますね。

»vorhanden sein«を「手元にある」と翻訳することの不都合は、
ドイツ語そのものも含め欧米の主要な言語では、「手元にある」は、
「手頃にある」という意味合いで用いられ、»vorhanden sein«と
対比される»zuhanden sein«の方に対応していることにあります。
»zuhanden«は、「手に『つく』」というイメージを表現して
いると思いますが、それが「手に馴染む」ことであり、「手頃である」
ことでもあるのです。このため、»vorhanden sein«という表現は、
»-handen«という要素が含まれているにはせよ、「手の接触」を
想起させるイメージから日本語に訳すことは適切ではないと私は
考えます。

428 :時計 :2022/01/04(火) 11:48:04.99 0.net
>>426
それは数学観の問題ですね。
公式に当て嵌めて計算することを数学と言うのか。
数学と言ってもいいかもしれませんが、本質ではないと思います。

>>427
なるほど。難しそうな問題ですね。
居るはどうですか。検索したら引っかかったので。

429 :時計 :2022/01/04(火) 13:19:59.57 0.net
知は善か。
悪しき考えは、推論により、矛盾に至る。
そう思われる。
したがって、知は善である。

430 :時計 :2022/01/04(火) 13:23:41.52 0.net
>>429
矛盾を露呈すると言うべし。

431 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 13:28:36.67 0.net
知恵を善意に活用するか悪知恵に利用するか、知は扱う人間の品性によって善にも悪にもなり得る。

432 :時計 :2022/01/04(火) 15:31:36.69 0.net
>>431
勧善懲悪の世間なり。

433 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 15:38:49.99 0.net
世間の大人が皆、罰を与えられる前に自律的な振る舞いをする人間になれば理想的なんですけどね

434 :考える名無しさん:2022/01/04(火) 16:01:03.55 0.net
矛盾に気づきそれが処理できなければこじれていく一方であるw

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