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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

478 :時計 :2022/01/06(木) 13:56:12.01 0.net
ニーチェへのとりあえずの批判。
連帯する善が勝利することはルサンチマンなのでしょうか。
それもまた力なのではないでしょうか。
また、著作に触れてみます。

>>469-470
哀れみは同情とは異なると思いますよ。
同情しない哀れみはあると思います。
私はさげずまれるのは嫌だな。:)

479 :時計 :2022/01/06(木) 13:59:27.01 0.net
>>477
私の借りたのは『愉しい学問』というタイトルですが、
どちらの訳が適切なのでしょうね……
あと、マイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』も借りました。

480 :でこすけ:2022/01/06(木) 16:27:24.32 0.net
>>478
私は若い頃はお金を持っていなかったので
そのときの恨みを晴らすかの如くにステーキを頬張り寿司を頬張りしています。
それでも若い頃に比べて食える量が減ったので
「若い頃に食いたかった」などと恨みごとをのたまいます。
人間の本質が「善」も含めて「怨恨」というのはわかる気がするし、
また、「そういう奴は如何なものか」という感覚もわかる気がします。
ただ、私も私なりに歳を重ねたので、
人間が残酷で浅ましく恥知らずの救い難い生き物であったとしても
それを徹底的に糾弾する元気やあるいはそもそも感情はありません。
むしろ「ニーチェ君は若いなあ」という感覚です
(実際若干40代で崩壊してしまったそうですが)。
「善の連帯」の本質が「怨恨」ということを指摘しているのであれば
それは率直に鋭いツッコミだと思います。
それに対して「まあまあまあw」というのが
でこすけのでこすけたる所以だと思います。

>>479
私としてはどちらの訳が適切なのか以前に冒頭の
「相似したことを体験した者でないなら、(中略)
 この本の体験に近づけるものではない」
というのが重たくのしかかります。
実際に私にはほとんどちんぷんかんぷんです。
そもそも「彼は何が言いたかったのか」以前に
「何がやりたかったのか」全く理解できないのです。

481 :でこすけ:2022/01/06(木) 17:07:01.56 0.net
>>476
では何故「不在」が生じるのかというと、
それはつまり開闢以前は何も無いのが当たり前だったものが
ある時点から「無い」ということが問題になるということですが、
私的にはこれは階層論として理解できると考えます。
「不在」はどこに生じているのかというと、下位に生じています。
上位は下位要素に依拠しながら成立しますが、
一度上位が成立すると何かの事情で下位に欠損が生じたとしても
許容範囲であればただちに上位が失われることにはなりません
(たとえば「スル○ナル○○」
 音節(下位)の50%近くが欠損していても意味(上位)が成立し得ます)。
そしてこの欠損(不在)を埋めるのが意識の作用だと考えるわけです
(ちなみにその作用は「創発」と名付けられているようです)。
そうは言っても欠損を放置したままでは全体のアイデンティティ(上位)に
崩壊のリスクを背負わせ続けることになってしまいます。

482 :考える名無しさん:2022/01/06(木) 17:10:52.84 0.net
ニーチェの最もよく知られた著作である"Also sprach Zarathustra"の
冒頭には、»Ein Buch für Alle und Keinen«、つまり、「すべての者の
ための、誰のためのものでもない本」という断り書きが掲げられています。
こではどのような意味でしょう。これまでに様々な解釈が提示されてきた
ようですが、単純に素直に読めば、「この本が自分のためになるかどうか
は自らが決めよ」と読者に求めているように私には思へます。

483 :時計 :2022/01/06(木) 18:36:21.79 0.net
>>480
私は連帯する善に関しては、どちらかと言えば受け身で、
脅威を感じることはあります。
それもまた力なのかなと思いました。

ニーチェと相似した体験ですか……
ニーチェもどちらかと言えば連帯される側だと思いますから、
そういう意味では類似点はあるかもしれません。
とりあえず、愉しい学問ができればいいなと思います。:)

>>481
私は意識は下位的であり得るように思います。
「スル○ナル○○」もそういう意識というか。

>>482
すべての者=私という比喩的表現かなと思いました。

484 :でこすけ:2022/01/06(木) 19:53:32.05 0.net
>>482
せっかくなので当てずっぽうながら私の印象ですけど
「すべての人が読者の対象ではあるけれども、誰の役にも立たない本」
というかんじでしょうか、
私はドイツ語(ましてそのニュアンス)はまったくわかりませんけど
確かその本は超人思想をぶち上げたやつで、
そのあたりから察すれば短絡的ながらそういうことになる気がします。
あるいは「すべての人が超人になる権利はあるけれども、現実的には不可能」
というかんじです。
私は今「超人」と聞いてとりあえず思うのは、
ニーチェは具体的に誰かを想定していたのか、
「超人」はニーチェのまわりのどこかに実在したのか、ということです。
私としては、カエルのツラにションベン的な猛者程度ならあり得る
かもしれませんけど完全な超人は無理のような気がするのです。
そしてそのことはニーチェ自身も薄々(?)感づいていた気がしています。

さて、ニーチェは何を思って「超人」とか言ったのでしょうか、
たぶんそこまでは既に分析されているでしょうけど、
とりあえず私としては「進化論」の方にリアリティを感じます。
ダーウィンによると生き残るのは「強い者」でもなく「賢い者」でもなく
「変化できる者」とのことです。
ニーチェの「超人」というのが「変化できる者」なのかどうかは存じませんけど
自然選択には多分の偶発性が含まれ
超人といえども淘汰されない保証はない気がするのです。
歴史は理屈ではない、というかんじです。

485 :考える名無しさん:2022/01/06(木) 20:27:51.86 0.net
>>468-474の書込みは華麗にスルーですか

486 :でこすけ:2022/01/06(木) 21:11:43.65 0.net
>>483
>愉しい学問ができればいいなと思います
私は「本当に知りたいこと」というのは「知って後悔すること」
あるいは「恐ろしいこと」だと思っています。
これは私自身の経験に基づくものです。
しかし答えを知りたい気持ちは止みません。
とりあえず「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を思い出します。

>意識は下位的であり得る
栗本的に言うと上位に当たるのが「暗黙知」です
(ちなみに『暗黙知の次元』ではこのことはよくわかりません)。
私としても「暗黙知」とか「神」とかにはちょっと違う感がありますが、
何かがあるはずだというチョッカンはあったりします。
むしろ上位があることによって下位が安定するというおはなしのつもりです。

487 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 01:28:31.64 0.net
>この»Verachtung«/「さげすみ」においては、自らを含む「»Das Man«/
『男(を)』」の各々が、《un pauvre con》に見えることになるだろう。 <

相手からそのように《un pauvre con》として見えるものとしての
みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」である。

488 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 01:36:10.63 0.net
したがって、みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」であるという自覚は、
すなわち、「もののあはれ」を覚えることでもある。

489 :時計 :2022/01/07(金) 03:02:57.62 0.net
>>485
駿河さんでしょうか。別人かな。
>>478で触れていますよ。

>>486
私は数学は好きですし、それはないかなと思います。
でこすけさんは、例えば、どういうことを知って後悔しましたか?

『暗黙知の次元』には創発のことは書いていないのかな。
だとしたら、残念です。
そこは、期待していました。

>>487-488
身近なところに「もののあはれ」はあるんですね。

490 :でこすけ:2022/01/07(金) 09:36:23.60 0.net
>>489
>どういうことを知って後悔しましたか?
結果的にどういう感じになっちゃうのかというと
なんだかすべてがバカバカしくなっちゃったりするんだと思います。
誰でもうっすら経験したことがあるのではないかとも思いますけど
見切ってしまうとそれがどうでもよくなるというか、
やる気が無くなるというか、
ただしそのきっかけになる知識はいろいろのようです。
たとえば政治家とか実業家とかが世の中の仕組みをわかってしまうととか、
精神科医が世の中の人々の精神構造を見切ってしまうととか、
風俗嬢が人間の裏側を見てしまうととか、
何やら「限界を知る」ということでしょうか、
あるいは私も投稿を始めた当初は凄いことを言いふらしたい気持ちでしたけど
だんだんどうでもよくなってきてしまいました。
今後の展開が見えてしまったかんじです。
かと言って後戻りもできません。
なんだかすごく残念なことになった気がするんですが、
しかしよく考えてみれば後悔だけでなく
もっとポジティブな思いもあることはある気はします。

491 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 09:44:06.39 0.net
>423考える名無しさん2022/01/04(火) 09:57:02.410>>425
その「『あらたかな』気づき」こそが「もののあはれ」であり<

>474考える名無しさん2022/01/06(木) 10:56:46.140
この、「生の惨めさ」に対する»Verachtung«/「さげすみ」は、
[...]それが裏返ってそのまま「もののあはれ(≒"*ahtu")」として
立ち現れて新たな創造に
向かはせることになるのである。<

ここで、»Verachtung«/「さげすみ」から「もののあはれ(≒"*ahtu")」への
転換が生じるのは、»Ver・achtung«という表現の語源とされる»Acht«/
「気づき」を軸とすることによってであることに注目しよう。»Acht«/
「気づき」とは、パウル・ツェランの言葉を借りるなら、"Atemwende"、
すなわち、「いき(息/生)の休止点/転換点」である。

492 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 09:44:51.41 0.net
誤:"Atemwende"
正:»Atemwende«

493 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 10:01:06.44 0.net
>相手からそのように《un pauvre con》として見えるものとしての
みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」である。<

>したがって、みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」であるという自覚は、
すなわち、「もののあはれ」を覚えることでもある。<

であるとするなら、自らを含む、各々が《pauvre con》である»Das Man«
に対する»Verachtung«/「さげすみ」から「もののあはれ(≒"*ahtu")」への
転換は、日常的に生じてよさそうなものだろう。しかし、人々の相互性
によって構成される世間は、その転換を未然に防ぐように作用する。
それは、暗黙裡の、というより制度化された»Verachtung«/「さげすみ」
の相互化によってである。その相互化によって、各々が《pauvre con》
である»Das Man«の在り方が、《pauvre con》/「惨めで哀れな者」同士
の暗黙の連帯として維持されるのだ。その連帯を維持しようとする意識こそ、
ニーチェが「賤民意識」、「畜群道徳」などと呼んで拒絶しようとした
ものであると考えることができる。

494 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 10:09:19.10 0.net
>>453
"those who think they know what is your duty better than
you know it yourself"こそが、《pauvre con》/「惨めで哀れな者」同士
の暗黙の連帯として維持される»Das Man«である。

495 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 10:48:33.71 0.net
日本語において、「我(われ)」は、それが「主(ぬし)」である相手に対する
自称であることからも分かるとおり、自己卑下である(「僕(ぼく)」に
ついても同様である。ただし、「私(わ・たくし)」については、「託し」に
おける権限の委託がかかわるので、ここでは措いておく)。このみづから
(身づ柄/自ら)を「我(われ)」として指し示す自己卑下において表現される
「卑下」の意識が、すなわち、»Verachtung«/「さげすみ」である。
このことは、例えば、フランス語で《Oui monsieur》と応えること、
スペイン語で"Sí Señor"と応えることが、主(ぬし)と僕(ぼく)の関係
を表現し、その関係が»Verachtung«/「さげすみ」を伴うのと同様である。

では、なぜ日本語において、自らの「我(われ)」として指し示すたびに
その都度、その»Verachtung«/「さげすみ」を意識させられずに済むか
といえば、それは、「主(ぬし)」と「我(われ)」の呼称が、相手と自分
の間で交替可能に使われるからである。その交替によって互いの等しさ
が確認されるように見えるため、その交替の一般化によって全体の
平等がもたらされるかのように思える。しかし、この相互的な「自己卑下」
によって実際に生じるのは、「卑下」の相互的な取消し/キャンセル
ではなく、暗黙裡に互いに貶め合ふ「お前もな」という「なあなあ」の
抑制的な関係の強制であり、この相互的な「お前もな」の「な」が表現
するのは、下僕としての連帯感だろう。したがって、この「なあなあ」
の関係は、「己(な)を汝(な)として主(あるじ)する」ことによって
「な(己/汝)」の関係性を生じさせること、すなわち、みづから(身づ柄/
自ら)を"the patronizing we"として生成することを阻止するのである。

496 :「我(われ)」を自覚する/「もののあはれ」を知るとは:2022/01/07(金) 10:53:43.42 0.net
>It is easy in the world to live after the world’s opinion. It is easy
in solitude to live after our own. But the great man is he who in
the midst of the crowd keeps with perfect sweetness the independence
of solitude.<

― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.78

497 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 11:41:08.39 0.net
>>490
むしろ、展開が見えたつもりでいて、実際には語りえぬ現実のほうに馬鹿馬鹿しくなったのでは?

498 :時計 :2022/01/07(金) 15:25:58.43 0.net
>>496
迷惑そうだな。:)

499 :時計 :2022/01/07(金) 15:27:28.32 0.net
>>495
「私」が「託し」だとか、悪い冗談のよう。

500 :時計 :2022/01/07(金) 15:30:10.11 0.net
>>499
ややこしくならないように「わたし」が広まったのかもな。

501 :時計 :2022/01/07(金) 15:35:37.69 0.net
>>490
諦観という概念には個人的にはポジティブです。
全てがバカバカしくなったことはないですね。
世界はいつも驚きに満ちていると思います。

502 :考える名無しさん:2022/01/07(金) 16:23:59.76 0.net
>>499
確かにあなたには、いくら「私(わたくし)にお任せください」と
求められても、何も安心して委託することはできませんね。

503 :時計 :2022/01/07(金) 19:35:36.34 0.net
>>502
「和足し」の方がまだ納得できるかな。
「和託し」はちょっと……

504 :時計 :2022/01/07(金) 19:48:17.88 0.net
>>503
「和足し」や「和託し」が語源かどうか解らないけれども、
そういうニュアンスがあるのは確かだろうね。

505 :時計 :2022/01/07(金) 19:50:12.46 0.net
>>504
そういうニュアンスを持ち得ることと言うべきか。

506 :時計 :2022/01/07(金) 19:52:27.46 0.net
>>502
ちなみにその問いにはYesでありNoでもある。
内容による。

507 :時計 :2022/01/07(金) 19:54:56.03 0.net
>>506
また変な言い方になったな。
YesとNoどちらもあり得る。

508 :時計 :2022/01/07(金) 20:05:49.41 0.net
>>495
「我」が自己卑下だとすると、「なあなあ」の関係になることは、
確かに正しいかなと思います。
しかし、『我」が自己卑下かどうか私には解りません。

509 :なめとんかワレ:2022/01/08(土) 00:59:52.63 0.net
>白水社 中国語辞典
吾辈
ピンインwúbèi
((文語文[昔の書き言葉])) 私ども.≦我们.<

『吾辈(わがはい)は猫である』=「私どもは猫である」

510 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 01:33:10.44 0.net
>>508
分からないときには、手がかりが得られるように問ひを発するのが
哲学というものです。

511 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 01:44:38.35 0.net
「なめとんかワレ」は、明らかに相手に対する»Verachtung«/「さげすみ」
を表現しているでしょう。では、その»Verachtung«/「さげすみ」は
どのように表現されているのか。»Verachtung«というドイツ語が
「さげすみ」を表現するとすれば、»Verachtung«の»Ver-«はどのような
役割を果たしているのか。ドイツ語で「わす(忘)れる」ことを、
»vergessen«と言うが、この場合、日本語とドイツ語は表現上どのように
対応していると考えることができるのか。分かるように手がかりが得られる
まで問ひを発しつづけることが大切です。

512 :時計 :2022/01/08(土) 01:48:59.49 0.net
>>510
そう言われてもね……
思い浮かぶのは「これ」、「あれ」、「それ」などの
代名詞に使われる「れ」と、
「わが」などの「わ」がくっついたものということかな。
「れ」は中性的だし、「わ」も特に自己卑下しているとは
思わないけれども。

513 :時計 :2022/01/08(土) 01:50:53.38 0.net
>>511
行き違いになりました。
「なめとんのか自分」もいいますね。
しかし、自分はさげすみではないですよね。
我もそうではないかな。

514 :時計 :2022/01/08(土) 01:52:09.12 0.net
>>513
正:「自分」
誤:自分

515 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 01:55:48.62 0.net
>自分はさげすみではないですよね。

自分は、「わきま(弁)へ」ですよね。
「手前」はどうでしょうか。相手を「手前」と呼ぶことはどのような
関係性を示そうとすることになるでしょう。

516 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 02:00:47.13 0.net
「よくも貴様(きさま)!」というときは、相手が「つけあがっている」
と感じているのではないでしょうか。

517 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 02:02:36.57 0.net
「自分」は、分際(ぶんざい)でしょう。
すべて混ぜ合わせて論じようとしてばかりいては、哲学的に考えることができません。

518 :時計 :2022/01/08(土) 02:03:05.38 0.net
>>515
わきまえですか…… うーん。
さげずみよりは、あるかな。
「手前」は「てめえ」と読むのかな。
「お前」みたいな高圧的な態度かなと思います。
「お前」も不思議ですよね。敬語ですし。

519 :時計 :2022/01/08(土) 02:05:45.00 0.net
>>516
貴様も逆に丁寧ですよね。
貴方様とは言わない。
これを言うと自分が小者だと言っているようなものかな。

>>517
分けて考えるといいかもしれませんね。

520 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 02:08:50.50 0.net
>>518
少しは自分で考えてみてはどうですか。
「お前」は、誰を指し、誰の「前」なのか。

521 :時計 :2022/01/08(土) 02:09:48.35 0.net
>>520
私自身の考えは>>512に書きましたけど。

522 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 02:11:45.50 0.net
>>511で応えています。水飲み場まで連れて行くことはできますが、
水を飲むかどうかは本人次第です。

523 :時計 :2022/01/08(土) 02:14:45.38 0.net
>>522
まあ、私の考えは>>512にあるように中性的かな。

524 :時計 :2022/01/08(土) 02:24:15.75 0.net
>>522
もっと美味しい水を飲みます。:)

525 :時計 :2022/01/08(土) 02:35:20.03 0.net
>>518
「手前」や「お前」が高圧的なのは、
自己中心的だからと言えるかな。

526 :時計 :2022/01/08(土) 02:36:52.87 0.net
>>525
「お前さん」が丁寧だったり、文脈には依りますね。

527 :時計 :2022/01/08(土) 02:38:31.63 0.net
>>526
寧ろ、「貴様」が偉そうなのは面白いです。:)

528 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 07:27:46.42 0.net
「貴様(きさま)と俺(おれ)」は、互いに遠慮することのない関係の
ことですよね。相手は自分に対して遠慮なく振る舞っているので、
自分も相手に対して遠慮する必要がまったくない。その意味で
相手を「貴様(きさま)」と呼ぶことが対等の関係性を表現している。

529 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 07:46:03.61 0.net
>>495
誤:自らの「我(われ)」として指し示す
正:自らを「我(われ)」として指し示す

530 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 09:37:16.36 0.net
無礼講が上下関係を無視するように「貴様(きさま)、何様のつもりだ」
という無礼な振舞いをする相手が「貴様(きさま)」として指し示され、
互いにそのように振る舞うものと認め合う間柄が「対等な関係」である
と認識されていることになる。

531 :でこすけ:2022/01/08(土) 09:43:24.22 0.net
>>497
匿名掲示板であっても「言いにくいこと」というのはあるものです。
投稿の内容だけでなく投稿された動機などを模索することをお薦めさせて
いただきます。

ちなみに>>468付近についての私の意見ですが
つまり一連の投稿の動機とか文脈とかがいまいち私にはつかめていないため
なんともコメントのしようがない、というのが率直なところです。
それは私の中で辻褄が合わない(あくまでも私の側で)
ということです。

532 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 09:50:50.83 0.net
「言いにくいこと」があるのは、恥ぢらいによるのでしょうか、
それとも畏れによるのでしょうか?

533 :時計 :2022/01/08(土) 09:51:45.53 0.net
>>528
私は「俺」は日常的によく使いますが、「貴様」は殆ど使いません。
「お前」も結構つかいますよ。あんまりいい言葉ではないですが。
『僕」は卑下というか猫を被っているみたいなところはあると思います。
僕派の方の意見はまた異なるのだとは思いますけれども。

534 :時計 :2022/01/08(土) 09:55:14.68 0.net
>>530
私の感覚では、「俺」と「お前」ですね。呼応するのは。

535 :時計 :2022/01/08(土) 09:55:56.97 0.net
>>534
でも、「お前」は何か偉そうですから、あんまり使いません。

536 :時計 :2022/01/08(土) 10:10:28.08 0.net
>>533
正;「僕」
誤:『僕」

537 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 10:24:25.69 0.net
>私は「俺」は日常的によく使いますが

業務上、電話口でよく使われるようですね

538 :時計 :2022/01/08(土) 10:44:10.49 0.net
>>537
え? 友人に対してですよ。

539 :時計 :2022/01/08(土) 10:45:32.98 0.net
>>538
特に古い友人には「俺」かな。子供の頃は「俺」と言っていたし。

540 :時計 :2022/01/08(土) 10:58:09.79 0.net
>>533
正:使いますよ
誤:つかいますよ
間違いではないが……

541 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 11:44:35.79 0.net
>>531
書き込み動機は書き込む人の心理的なものですから、書き込みを見る側にとっては
書き込まれた内容しか関心が向きません。
書き手の動機を模索するほど書き手に関心があればべつでしょうけれど・・・

542 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 16:44:16.05 0.net
革命や独立とされる政変イベントが、社会における人々の関係が
自由で平等なものに向かうという夢/幻想を抱かせるとすれば、
それは、そのイベントが続く限定された期間が「無礼講」として
機能するからである。「無礼講」は、人々の間で定められた
礼節/"civility"を蔑ろにする行為の実践であり、その実践が、
人々の間でそれまで定められていた上下関係などによる規制を
無視して、自由に振舞うことができるという夢/幻想を一時的に
もたらすのである。では、その「無礼講」の「混乱状態」から、
自由と平等と博愛に基づく新たな礼節/"civility"を構築する
ことは可能なのだろうか。一見、誰にでも受け入れられるよう
に見える、「互いを尊重するように各自に礼節/"civility"を
守らせる」ことを目的として掲げる全体的なシステムを
構築しようとすることそのものが、必然的に、「圧政の下
で暮らしている」、「固定化された上下関係に縛られている」、
「自らの自由と平等の実現の可能性が奪われている」と人々に
感じさせる恒常的な状況を生むことになるのではないか。

543 :時計 :2022/01/08(土) 16:54:56.72 0.net
ノブレス・オブリージュを身に付けないと。
日本人も西洋人ノブレス・オブリージュを期待しているようでは、
真の先進国民とは言えないだろう。

544 :時計 :2022/01/08(土) 16:55:28.77 0.net
>>543
正:西洋人の
誤:西洋人

545 :時計 :2022/01/08(土) 16:56:55.75 0.net
ノブレス・オブリージュという言葉が適当だと思うなら、
世界に優しくすることと言ってもいい、と思う。

546 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:03:16.65 0.net
「我々はまだまだ続く長い文明化の過程の途上にあるのだ」という楽観的な
見通しを示そうとしたのが、ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』だろう。
しかし、人々の関係が「誰もが互いを尊重する礼節/"civility"の完成」に
向かうというような進歩主義的な思想は、そもそも、どのようにか哲学的に
根拠づけられるものなのだろうか。むしろ、哲学は、そのような根拠づけ
を掘り崩してしまうのではないか。

547 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:06:55.36 0.net
人々の関係が「誰もが互いを尊重する礼節/"civility"の完成」に
向かうというような理想は、人々のそれぞれの母語が尊重されながら、
統一に向かって世界の共通言語が母語となる世界が到来すると
考えるのと同じように荒唐無稽なのではないか。無論、世界の
共通言語化は可能だろう。しかし、それは、それぞれが現在、
母語としている言語を尊重することの延長としては実現され得ない。

548 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:37:02.83 0.net
>>546
誰もが互いを智恵あるものとして尊重する礼節は、哲学的存在としては根拠付けるというか理念になってるんじゃない

549 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:54:25.66 0.net
現状として常に力関係があり、妥協しながら生きているのです。
礼節もそれに沿うように保たれる。

550 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:56:25.32 0.net
従わせようとするなら、いくら礼節を失していると各自に感じられても、
そんなことは一切省みられないのだと思い知らせることが有効となる。
つまりは、尊重されるべき礼節は、暗黙の力関係によって規定される。

551 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 18:09:39.03 0.net
そのためにわざわざ、とんでもなく礼節を失していると憤慨させる
状況を作り出す挑発を繰り返すことになる。それに憤慨して不平
不満を強く訴えたところで無視される。その一方で、それに反発
して礼節を失した振舞いをしたなら、たちまち糾弾され、
つるし上げられて、責任をとらされる。それを繰り返していると、
無気力に従順な「礼節を尊重する人格」が出来上がるというわけ。

552 :時計 :2022/01/08(土) 19:58:19.14 0.net
>>551
礼節のある人間と無い人間、どちらと友人になりたいですか?
私は自明だと思います。

553 :時計 :2022/01/08(土) 20:00:05.48 0.net
>>552
礼節というと形だけの礼節を思い浮かべることはありませんから、
それが原因かもしれませんね。
>>552の礼節は、そういう礼節ではなく、真の礼節です。

554 :時計 :2022/01/08(土) 20:00:30.24 0.net
>>553
正:ありますから
誤:ありませんから
:)

555 :時計 :2022/01/08(土) 20:01:59.03 0.net
>>554
全く逆でした……
まあ、形だけの礼節も、あっていい場合はあると思いますよ。

556 :時計 :2022/01/08(土) 20:03:41.46 0.net
>>555
礼節がなくてそれなりに上手く行くのは名無しさんだからでないかな。

557 :時計 :2022/01/08(土) 20:05:02.14 0.net
>>556
礼と礼節の違いもありますね。私は前者の方が好きです。

558 :時計 :2022/01/08(土) 20:29:25.96 0.net
>>557
礼節はなくてもいいか……

559 :時計 :2022/01/08(土) 23:34:06.18 0.net
>>558
礼があれば礼節はなくてもいいですね。

560 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 00:25:49.15 0.net
私はわざわざ「礼節」/"civility"と書いて、「礼節」を"civility"に
対応する表現として用いていることを明示しているわけですが、
本当に、「礼があれば『礼節』/"civility"はなくてもいい」と
お考えなのでしょうか。

561 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 00:57:02.04 0.net
不平等感を解消することなど、そもそも原理的に不可能なのですよ。
なぜなら、「うらや(羨)み」が生じることに際限がなく、
無際限に「うらや(羨)み」を解消するすべ(術)などあるはずもない
のだから、決して対等になることができないという「うら(憾)み」
が不平等感を抱え続ける「うら(恨)み」に変わる。

>268考える名無しさん2021/12/30(木) 13:39:30.300
>「意識」とは、「"void"としての0を互いに伝へること」である

ここで、「"void"としての0」を何らかの"unfulfillment"/「不満」と
言い換えると、分かりやすくなるかもしれません。<

以前のレスでこのように指摘したうえで、さらに、
>「"void"が存在する」ものとして(「『を(惜)』しまれること」と
表現することもできるでしょう)示されること<
は、その"void"/「欠落」が本来的にあらかじめ存在することを
意味するわけではなく、比較によって初めて意識されるもの
であることも説明した。このことは、「うらや(羨)む」という
表現の古くからの用法を見てもはっきりと知ることができる。

>人の世となりて、素盞嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字は詠みける。
かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露を悲しぶ心・言葉多く、
さまざまになりにける。<
古今和歌集「仮名序」

562 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 01:01:37.46 0.net
フランス語ですが、これも参考になるでしょう。
https://www.franceculture.fr/emissions/concordance-des-temps/l-envie-devorante

563 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 01:07:16.24 0.net
>鳥をうらやみ

いくら人が鳥を「うらや(羨)む」としても、仮に人が鳥の姿に生まれつき、
鳥が人の姿に生まれついていたとすれば、鳥の姿をした人は、自由に
手足を操ることのできる人間の姿をした鳥を「うらや(羨)む」ことに
なったでしょう。

564 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 02:41:08.94 0.net
不平等感を持たなければいいだけの話だろw
下等には無理だがw

565 ::2022/01/09(日) 02:44:10.19 0.net
人人心持ってくるな

566 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 02:59:58.52 0.net
まあ、うらやんだあとのアクションが問われる話だなw
下等には無理だがw

567 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 03:47:13.28 0.net
huhugaiji

568 :時計 :2022/01/09(日) 04:27:44.37 0.net
>>560
礼は礼節を包摂する概念だと思います。

>>561
>>564
私もあんまり羨まないタイプです。

>>566
仮に羨んだとしても、向上心を持つか、蹴落とそうとするか、
その辺りのことは大切かもしれませんね。

569 ::2022/01/09(日) 05:08:51.23 0.net
かさ

570 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 08:49:16.12 0.net
空飛ぶ鳥も落とす(読み)そらとぶとりもおとす
精選版 日本国語大辞典「空飛ぶ鳥も落とす」の解説

空を飛んでいる鳥さえも落とす力をもっている。不可能なことはないほど権勢を誇っているたとえ。飛ぶ鳥を落とす。

571 :でこすけ:2022/01/09(日) 09:58:03.23 0.net
>>532
もちろん「恥ぢらひ」とか「畏れ」とかもあるでしょうし、
あるいは「まったくスレ違になってしまって申し訳ない」とか
「水を指してしまって申し訳ない」とか
そういうこともある気がします。

>>541
「動機」という表現はちょっと違ったかもしれませんが
投稿者の「意図」とか「立場」とかについては
私はむしろ意識しておく必要がある気がします。
言葉は文脈の中で理解されるものだからです。
ましてどのようにでも解釈できるものについてはそれは必須だと考えます。
もっとも私のどのような投稿でもまずそちらに関心が向くという傾向は
単に私の癖に過ぎないものなのかもしれません。
たとえばその部分でいうと
何故時計さんは「おそろしいこと」ではなくて「後悔したこと」に
関心が向かったのか、
そういうことから考えたりするのです。

572 :時計 :2022/01/09(日) 12:28:12.33 0.net
>>571
それは難しい問題ですね。
「恐ろしいこと」は自明のようで宗教的でもありますし、
簡単には行かないと直感したのかもしれません。

573 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 13:28:56.48 0.net
>>571
動機も意図も立場も、言葉の意味と文脈において的確に表現されなければ
意識しておく必要があるという意識とは裏腹に、共有できないとおもいます。
動機と意図と立場は、意味がまるで違います
使う単語を間違えれば、動機も意図も立場も理解されません。

因みに、恐ろしいと感じる対象は人によってまちまちで、
ようは共感できるかできないかでしかありませんが、
知ったら後悔するほどの「本当に知りたいこと」が本当なら
それは一体なにか?関心を持つのが普通かなと思います。

574 :時計 :2022/01/09(日) 15:49:17.56 0.net
>>571
因みに、恐ろしいこととは例えばどのようなことでしょうか。

575 ::2022/01/09(日) 19:48:27.36 0.net


576 :時計 :2022/01/10(月) 16:43:19.36 0.net
実在は確かに存在することである。
それゆえに幻想ではないし、必然ではないという
意味に於いては、幻想である。
確かに存在することには、両方の側面がある。

577 :時計 :2022/01/10(月) 17:30:52.63 0.net
脳も実在であるから、その存在確率は1ではない。
さらに、私は小さくない確率で、今知られている脳の他に、
意識の座は実在すると考えている。
魂を実体化させると、それと似たようなものかもしれない。
魂は人間の身体の内側に存在すると考えられることは多いだろうが、
私は意識の座は人間の身体の内側に限定されないと考えている。

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