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意識のハードプロブレムの答え15
- 1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
- 1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。
意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/
- 541 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 11:44:35.79 0.net
- >>531
書き込み動機は書き込む人の心理的なものですから、書き込みを見る側にとっては
書き込まれた内容しか関心が向きません。
書き手の動機を模索するほど書き手に関心があればべつでしょうけれど・・・
- 542 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 16:44:16.05 0.net
- 革命や独立とされる政変イベントが、社会における人々の関係が
自由で平等なものに向かうという夢/幻想を抱かせるとすれば、
それは、そのイベントが続く限定された期間が「無礼講」として
機能するからである。「無礼講」は、人々の間で定められた
礼節/"civility"を蔑ろにする行為の実践であり、その実践が、
人々の間でそれまで定められていた上下関係などによる規制を
無視して、自由に振舞うことができるという夢/幻想を一時的に
もたらすのである。では、その「無礼講」の「混乱状態」から、
自由と平等と博愛に基づく新たな礼節/"civility"を構築する
ことは可能なのだろうか。一見、誰にでも受け入れられるよう
に見える、「互いを尊重するように各自に礼節/"civility"を
守らせる」ことを目的として掲げる全体的なシステムを
構築しようとすることそのものが、必然的に、「圧政の下
で暮らしている」、「固定化された上下関係に縛られている」、
「自らの自由と平等の実現の可能性が奪われている」と人々に
感じさせる恒常的な状況を生むことになるのではないか。
- 543 :時計 :2022/01/08(土) 16:54:56.72 0.net
- ノブレス・オブリージュを身に付けないと。
日本人も西洋人ノブレス・オブリージュを期待しているようでは、
真の先進国民とは言えないだろう。
- 544 :時計 :2022/01/08(土) 16:55:28.77 0.net
- >>543
正:西洋人の
誤:西洋人
- 545 :時計 :2022/01/08(土) 16:56:55.75 0.net
- ノブレス・オブリージュという言葉が適当だと思うなら、
世界に優しくすることと言ってもいい、と思う。
- 546 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:03:16.65 0.net
- 「我々はまだまだ続く長い文明化の過程の途上にあるのだ」という楽観的な
見通しを示そうとしたのが、ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』だろう。
しかし、人々の関係が「誰もが互いを尊重する礼節/"civility"の完成」に
向かうというような進歩主義的な思想は、そもそも、どのようにか哲学的に
根拠づけられるものなのだろうか。むしろ、哲学は、そのような根拠づけ
を掘り崩してしまうのではないか。
- 547 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:06:55.36 0.net
- 人々の関係が「誰もが互いを尊重する礼節/"civility"の完成」に
向かうというような理想は、人々のそれぞれの母語が尊重されながら、
統一に向かって世界の共通言語が母語となる世界が到来すると
考えるのと同じように荒唐無稽なのではないか。無論、世界の
共通言語化は可能だろう。しかし、それは、それぞれが現在、
母語としている言語を尊重することの延長としては実現され得ない。
- 548 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:37:02.83 0.net
- >>546
誰もが互いを智恵あるものとして尊重する礼節は、哲学的存在としては根拠付けるというか理念になってるんじゃない
- 549 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:54:25.66 0.net
- 現状として常に力関係があり、妥協しながら生きているのです。
礼節もそれに沿うように保たれる。
- 550 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 17:56:25.32 0.net
- 従わせようとするなら、いくら礼節を失していると各自に感じられても、
そんなことは一切省みられないのだと思い知らせることが有効となる。
つまりは、尊重されるべき礼節は、暗黙の力関係によって規定される。
- 551 :考える名無しさん:2022/01/08(土) 18:09:39.03 0.net
- そのためにわざわざ、とんでもなく礼節を失していると憤慨させる
状況を作り出す挑発を繰り返すことになる。それに憤慨して不平
不満を強く訴えたところで無視される。その一方で、それに反発
して礼節を失した振舞いをしたなら、たちまち糾弾され、
つるし上げられて、責任をとらされる。それを繰り返していると、
無気力に従順な「礼節を尊重する人格」が出来上がるというわけ。
- 552 :時計 :2022/01/08(土) 19:58:19.14 0.net
- >>551
礼節のある人間と無い人間、どちらと友人になりたいですか?
私は自明だと思います。
- 553 :時計 :2022/01/08(土) 20:00:05.48 0.net
- >>552
礼節というと形だけの礼節を思い浮かべることはありませんから、
それが原因かもしれませんね。
>>552の礼節は、そういう礼節ではなく、真の礼節です。
- 554 :時計 :2022/01/08(土) 20:00:30.24 0.net
- >>553
正:ありますから
誤:ありませんから
:)
- 555 :時計 :2022/01/08(土) 20:01:59.03 0.net
- >>554
全く逆でした……
まあ、形だけの礼節も、あっていい場合はあると思いますよ。
- 556 :時計 :2022/01/08(土) 20:03:41.46 0.net
- >>555
礼節がなくてそれなりに上手く行くのは名無しさんだからでないかな。
- 557 :時計 :2022/01/08(土) 20:05:02.14 0.net
- >>556
礼と礼節の違いもありますね。私は前者の方が好きです。
- 558 :時計 :2022/01/08(土) 20:29:25.96 0.net
- >>557
礼節はなくてもいいか……
- 559 :時計 :2022/01/08(土) 23:34:06.18 0.net
- >>558
礼があれば礼節はなくてもいいですね。
- 560 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 00:25:49.15 0.net
- 私はわざわざ「礼節」/"civility"と書いて、「礼節」を"civility"に
対応する表現として用いていることを明示しているわけですが、
本当に、「礼があれば『礼節』/"civility"はなくてもいい」と
お考えなのでしょうか。
- 561 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 00:57:02.04 0.net
- 不平等感を解消することなど、そもそも原理的に不可能なのですよ。
なぜなら、「うらや(羨)み」が生じることに際限がなく、
無際限に「うらや(羨)み」を解消するすべ(術)などあるはずもない
のだから、決して対等になることができないという「うら(憾)み」
が不平等感を抱え続ける「うら(恨)み」に変わる。
>268考える名無しさん2021/12/30(木) 13:39:30.300
>「意識」とは、「"void"としての0を互いに伝へること」である
ここで、「"void"としての0」を何らかの"unfulfillment"/「不満」と
言い換えると、分かりやすくなるかもしれません。<
以前のレスでこのように指摘したうえで、さらに、
>「"void"が存在する」ものとして(「『を(惜)』しまれること」と
表現することもできるでしょう)示されること<
は、その"void"/「欠落」が本来的にあらかじめ存在することを
意味するわけではなく、比較によって初めて意識されるもの
であることも説明した。このことは、「うらや(羨)む」という
表現の古くからの用法を見てもはっきりと知ることができる。
>人の世となりて、素盞嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字は詠みける。
かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露を悲しぶ心・言葉多く、
さまざまになりにける。<
古今和歌集「仮名序」
- 562 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 01:01:37.46 0.net
- フランス語ですが、これも参考になるでしょう。
https://www.franceculture.fr/emissions/concordance-des-temps/l-envie-devorante
- 563 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 01:07:16.24 0.net
- >鳥をうらやみ
いくら人が鳥を「うらや(羨)む」としても、仮に人が鳥の姿に生まれつき、
鳥が人の姿に生まれついていたとすれば、鳥の姿をした人は、自由に
手足を操ることのできる人間の姿をした鳥を「うらや(羨)む」ことに
なったでしょう。
- 564 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 02:41:08.94 0.net
- 不平等感を持たなければいいだけの話だろw
下等には無理だがw
- 565 :し :2022/01/09(日) 02:44:10.19 0.net
- 人人心持ってくるな
- 566 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 02:59:58.52 0.net
- まあ、うらやんだあとのアクションが問われる話だなw
下等には無理だがw
- 567 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 03:47:13.28 0.net
- huhugaiji
- 568 :時計 :2022/01/09(日) 04:27:44.37 0.net
- >>560
礼は礼節を包摂する概念だと思います。
>>561
>>564
私もあんまり羨まないタイプです。
>>566
仮に羨んだとしても、向上心を持つか、蹴落とそうとするか、
その辺りのことは大切かもしれませんね。
- 569 :し :2022/01/09(日) 05:08:51.23 0.net
- かさ
- 570 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 08:49:16.12 0.net
- 空飛ぶ鳥も落とす(読み)そらとぶとりもおとす
精選版 日本国語大辞典「空飛ぶ鳥も落とす」の解説
空を飛んでいる鳥さえも落とす力をもっている。不可能なことはないほど権勢を誇っているたとえ。飛ぶ鳥を落とす。
- 571 :でこすけ:2022/01/09(日) 09:58:03.23 0.net
- >>532
もちろん「恥ぢらひ」とか「畏れ」とかもあるでしょうし、
あるいは「まったくスレ違になってしまって申し訳ない」とか
「水を指してしまって申し訳ない」とか
そういうこともある気がします。
>>541
「動機」という表現はちょっと違ったかもしれませんが
投稿者の「意図」とか「立場」とかについては
私はむしろ意識しておく必要がある気がします。
言葉は文脈の中で理解されるものだからです。
ましてどのようにでも解釈できるものについてはそれは必須だと考えます。
もっとも私のどのような投稿でもまずそちらに関心が向くという傾向は
単に私の癖に過ぎないものなのかもしれません。
たとえばその部分でいうと
何故時計さんは「おそろしいこと」ではなくて「後悔したこと」に
関心が向かったのか、
そういうことから考えたりするのです。
- 572 :時計 :2022/01/09(日) 12:28:12.33 0.net
- >>571
それは難しい問題ですね。
「恐ろしいこと」は自明のようで宗教的でもありますし、
簡単には行かないと直感したのかもしれません。
- 573 :考える名無しさん:2022/01/09(日) 13:28:56.48 0.net
- >>571
動機も意図も立場も、言葉の意味と文脈において的確に表現されなければ
意識しておく必要があるという意識とは裏腹に、共有できないとおもいます。
動機と意図と立場は、意味がまるで違います
使う単語を間違えれば、動機も意図も立場も理解されません。
因みに、恐ろしいと感じる対象は人によってまちまちで、
ようは共感できるかできないかでしかありませんが、
知ったら後悔するほどの「本当に知りたいこと」が本当なら
それは一体なにか?関心を持つのが普通かなと思います。
- 574 :時計 :2022/01/09(日) 15:49:17.56 0.net
- >>571
因みに、恐ろしいこととは例えばどのようなことでしょうか。
- 575 :し :2022/01/09(日) 19:48:27.36 0.net
- 1
- 576 :時計 :2022/01/10(月) 16:43:19.36 0.net
- 実在は確かに存在することである。
それゆえに幻想ではないし、必然ではないという
意味に於いては、幻想である。
確かに存在することには、両方の側面がある。
- 577 :時計 :2022/01/10(月) 17:30:52.63 0.net
- 脳も実在であるから、その存在確率は1ではない。
さらに、私は小さくない確率で、今知られている脳の他に、
意識の座は実在すると考えている。
魂を実体化させると、それと似たようなものかもしれない。
魂は人間の身体の内側に存在すると考えられることは多いだろうが、
私は意識の座は人間の身体の内側に限定されないと考えている。
- 578 :時計 :2022/01/11(火) 12:55:31.06 0.net
- ニーチェの『愉しい学問』、戦争と奴隷制を賛美しているところがあり退く。:)
- 579 :考える名無しさん:2022/01/11(火) 13:27:33.07 0.net
- まぁ完璧な人間は存在しませんね、哲学者さりとて・・・・
- 580 :時計 :2022/01/11(火) 13:33:50.99 0.net
- 「自分の欲することを、相手にする」ことと
「自分の嫌なことを、相手にしない」こととではどちらが大切だろうか。
- 581 :時計 :2022/01/11(火) 13:36:16.90 0.net
- >>579
そうですね。ニーチェは政治家には向いていないということで。適材適所。
- 582 :考える名無しさん:2022/01/11(火) 14:56:09.59 0.net
- >>580
なんにせよ、大切さは優先順位で自ずと決まりそう
- 583 :時計 :2022/01/11(火) 15:23:39.73 0.net
- >>582
まあ、ケースバイケースかな。:)
- 584 :考える名無しさん:2022/01/11(火) 15:35:59.71 0.net
- ケースバイケースって優先順位とおなじでしょ
- 585 :時計 :2022/01/11(火) 15:52:55.23 0.net
- >>584
そうですね。そういうつもりで言ったんですよ。
- 586 :時計 :2022/01/11(火) 15:53:56.90 0.net
- >>585
「まあ、ケースバイケースか」ということです。
こちらの方が解りやすかったかな。
- 587 :考える名無しさん:2022/01/11(火) 18:24:50.88 0.net
- おまえらは完ぺきな人間なんだがw
- 588 :時計 :2022/01/11(火) 18:38:43.57 0.net
- ニーチェの『愉しい学問』を読みましたが、
私は弱者を助けることは社会の平和に繋がると考えますから、
どうも基本的なところでニーチェとは合わないようです。
- 589 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 00:12:18.36 0.net
- では、「病める畜群の予定された救済者、牧者、弁護人」となることを目指しましょう
- 590 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 00:38:45.72 0.net
- 弱者がいつまでも弱者でなければ無理だなw
- 591 :時計 :2022/01/12(水) 01:08:29.54 0.net
- >>589
うーん、嫌な二者択一ですね。第三の道を探ります。
弱者の尊厳を大切にするとか。
- 592 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 01:38:56.36 0.net
- 弱者にとっての尊厳が弱者にとって迷惑だとしたら?
- 593 :時計 :2022/01/12(水) 03:57:19.73 0.net
- >>592
私は人はほとんど皆、尊厳を求めると思いますが。
- 594 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 09:34:37.98 0.net
- >「病める畜群の予定された救済者、牧者、弁護人」
ここで「予定された」という言葉の意味がお解かりでしょうか。
「予定された」とは、予めそのような役割をするように定められている
ということ。つまり、裏を返せば、仕組みとして「病める畜群」が
生まれることが予定されているということでもあります。
- 595 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 09:39:59.22 0.net
- 命令すんなアホ
- 596 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 10:14:55.54 0.net
- まあ、尊厳をもてとか他人から命令されたらウザいわな
- 597 :お前もな:2022/01/12(水) 10:16:47.64 0.net
- そのための「馴合いの相互強制/矯正」≒「畜群倫理」でしょう
- 598 :まあ酒でも飲め:2022/01/12(水) 10:25:46.59 0.net
- 結局は、正常性バイアスが働くように互いに強制力を働かせる
ことにより、さもなければ、それに気づいて意識せざるを得ない
不快な不調和に自らの感性が働くことを麻痺させたいということ。
- 599 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 10:37:36.63 0.net
- なにごとも心の趣くままであるなら、呼応関係の「心地よさ」/"accord"が
保たれて、本来的に違和感の識別として働く「意識」が生じることは
ないのです。呼応関係の「心地よさ」/"accord"に対する不調和が、
互除法の操作において「残差」の反転が繰り返されるように、意識され、
「かむ(神)・か(交)へ/考へ」られるべきものとなる。
- 600 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 10:50:38.50 0.net
- おもしろいことに、ポルトガル語では、"acordar"の方が、「意識が戻る」
ことや「気がつく」ことを意味するように用いられるという反転が生じて
いるんだよね。
- 601 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 11:05:11.85 0.net
- https://www.etymonline.com/search?q=accord
accord (v.)
Origin and meaning of accord
early 12c., "come into agreement," also "agree, be in harmony,"
from Old French acorder "agree, be in harmony" (12c.), from
Vulgar Latin *accordare "make agree," literally "be of one heart,
bring heart to heart," from Latin ad "to" (see ad-) + cor
(genitive cordis) "heart" (used figuratively for "soul, mind"),
from PIE root *kerd- "heart."
- 602 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 11:09:18.14 0.net
- https://en.wiktionary.org/wiki/acordar
From Old Portuguese acordar, from Vulgar Latin *accordō.
Sense of "to wake up" was possibly influenced by Latin cordatus
(“wise, prudent”), which would yield *cordado if inherited.
- 603 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 11:12:33.80 0.net
- 493考える名無しさん2022/01/10(月) 10:19:53.800
1.0=(x^α)/(x^α)=x^0=1
分母と分子のx^αの間の「原始」の呼応関係は、
不特定の同一性を表す1によって代表させても、
変化がみられないことを表す指数の0によって代表させてもよい。
食べ物を何も味わっていないときの舌も、味覚が麻痺しているわけではない。
味覚について特定の変化を意識させない不特定の同一性の状態(心地)に
保たれているだけである。
- 604 :塩なめくじ:2022/01/12(水) 12:06:06.38 ID:dM8c2MU40.net
- 分母の因数にxを持ってくるときはx≠0を明記してくださいね。
- 605 :時計 :2022/01/12(水) 12:45:06.01 0.net
- >>594
私は、「病める畜群」という表現はどうかと思いますが。
面と向かって言えますか?
だから、ニーチェは政治家には向いていないと思います。
- 606 :時計 :2022/01/12(水) 12:53:29.96 0.net
- >>594
「予定された」は「救済者」等にかかると読んでいました。
- 607 :時計 :2022/01/12(水) 12:58:49.45 0.net
- >>596
相手に敬意を払うこと、暗黙知に敬意を払うことかもしれません。
- 608 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:22:56.94 0.net
- https://ja.wikipedia.org/wiki/判断力批判
>本書の主要概念である「趣味判断」(または「美的判断」)とは、
人間が物事の美醜を判断する際、その判断の基準は個人の趣味
(ドイツ語: Geschmack ; 英語: taste)であるということを意味する。<
カントに依拠するまでもなく、「よし/あし」の区別は、その最も基本に
おいて、何らかの感覚の変化が「心地よき」/"agreeable"方に向かふもの
であるか、「心地あしき」/"diagreeable"方に向かふものであるかの
区別でしょう。最終的に完全に呼応関係の「心地よさ」/"accord"が
もたらされて、「心地あしき」ものである不調和が解消されたなら、
満足がもたらされ、物事を知覚し、認識するするものとしての意識の
働きは「わす(忘)れ」られる。
- 609 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:34:03.06 0.net
- ここで留意しなければならないのは、意識の働きが「わす(忘)れ」られる
ことは、「意」が消滅することを意味しているわけではないということです。
そうではなく、「意」は「やすらふ」のです。
>446Wille zur Macht2022/01/04(火) 22:50:24.540
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74
457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」<
https://www.etymonline.com/search?q=agree
agree (v.)
late 14c., "to give consent, assent," from Old French agreer "to please,
satisfy; to receive with favor, take pleasure in" (12c.), a contraction
of phrase a gré "favorably, of good will," literally "to (one's) liking"
(or a like contraction in Medieval Latin) from a, from Latin ad "to"
(see ad-) + Old French gre, gret "that which pleases," from Latin
gratum, neuter of gratus "pleasing, welcome, agreeable"
(from suffixed form of PIE root *gwere- (2) "to favor").
- 610 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:46:14.39 0.net
- これは、ここに引用する語源辞典の記載とも異なる私自身の異端的な解釈
ですが、私は、フランス語の《regret》に見られる"gret"も、《regretter》
という表現が日本語の「を(惜)しむ」にきれいに対応して「意に反する現状」
を指し示すように用いられることから、"agree"について記載される解釈と
同様に、>Old French gre, gret "that which pleases," from Latin gratum,
neuter of gratus<に対応するものと考えています。また、そのように
考えると、エマソンの>true gratitude is to do what you can.<という
表現も、十全に理解できるのではないでしょうか。
- 611 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:48:42.00 0.net
- >>608
誤:認識するするもの
正:認識するもの
- 612 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:53:25.16 0.net
- >「予定された」は「救済者」等にかかると読んでいました。
もちろん「救済者」にかかるでしょう。「救済者」の役割が予定されたもの
であるなら、「救済されるべき病んだ畜群」が生じることも、その仕組み
において同様に予定されていることになります。これにかんしては、
『善悪の彼岸・道徳の系譜』の方を参照してください。
- 613 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 14:51:25.18 0.net
- >だから、ニーチェは政治家には向いていないと思います。
ニーチェは、政治指導者などになろうとしてはいない。
そのことは、ニーチェ本人が明言している。
ニーチェが何かの政治思想を訴えることで人々を導こうとしている
と考えることは、ニーチェの著作を根本的に読み違えていることになるだろう。
- 614 :時計 :2022/01/12(水) 15:19:25.82 0.net
- >>613
まあ、それはそうですが。
- 615 :時計 :2022/01/12(水) 15:22:01.25 0.net
- >>612
その予定には運命論的なものを感じます。畜群が畜群であるのも運命なのか……
- 616 :時計 :2022/01/12(水) 17:28:05.84 0.net
- >>614
なりたいなりたくないじゃなくて向いていないということですね。
- 617 :時計 :2022/01/12(水) 17:34:24.76 0.net
- >>612
しかし、病んだ畜群という言葉はどうにかなりませんかね……
- 618 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 18:15:29.21 0.net
- 私には「病める畜群」というのは、適切な表現であるように思えます。
「病気」のことを古語では「なやみ」と表現しました。
「なや・む」の「なや」は、ヤ行の活用から推察されるとおり、
「あしなえ(蹇・跛)」の「なえ」や「な(萎)え」と共通であり、
「な・ゆ」を活用して派生させたものであると考えられます。
「な・ゆ」は、支える力が抜けていくようなイメージで捉えることが
できると思います。力が失せていくと自らを支えられない。
支えられないなら、支えようとしている活動の方を縮小してゆけばいい。
それが禁欲主義であり、そのように導くのが「病める畜群の予定された
救済者」の役割です。だから、普通、そのような「救済者」の役割を
自認する者は、我が身の血となり肉となると考えられる肉食を断つのです。
- 619 :時計 :2022/01/12(水) 21:18:15.21 0.net
- >>618
「病める」は語源を出すまでもないでしょう。
「病にある」ということだと思います。
現代の平均的市民は結構健康的だと思いますが。
あと、「畜群」という表現はどうなのか。
- 620 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 22:30:56.83 0.net
- なよなよしい
- 621 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 23:09:42.58 0.net
- ようやく訪れた»Genesung«の時を「直毘神(なほびのかみ)」の来訪として言祝ぐ
- 622 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 03:44:09.70 0.net
- >>619
>>618を救済してやれよw
- 623 :時計 :2022/01/13(木) 06:22:04.45 0.net
- >>622
618さんは救われることは侮蔑的だと感じそうですね。
私は救われるものなら救われたいですが。:)
- 624 :時計 :2022/01/13(木) 06:27:22.86 0.net
- >>623
救いというか、真面目に考えると、
禁欲主義者は快楽主義者をアホだと思うし、
快楽主義者は禁欲主義者を「萎え」だと思うし、
ここを超えて行くことは大事なのかもしれませんね。
- 625 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 06:32:33.75 0.net
- 人を救うことも欲になるがなw
- 626 :時計 :2022/01/13(木) 08:06:36.01 0.net
- >>625
禁欲主義に導くのが欲だとすると目も当てられませんね。:)
- 627 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 08:19:08.18 0.net
- ニーチェは、意欲を肯定しているのですよ。
良心の呼び声/悪の誘惑という対比について考えてみましょう。
良心の呼び声と悪の誘惑はどこがどう違うのか。
悪の誘惑とは、自らの欲を満たしてくれるものに誘われるままに
行動することが、一時的な快楽をもたらして我を忘れさせると
しても、最終的には意に反する「心地あしき」/"diagreeable"
結果につながる、そのような働きをする誘いかけ/呼び声のことでしょう。
それに対して、良心の呼び声とは、それに応じて行動することが、
自らが欲しない痛みや苦しみが生じることを一時的に、または
恒常的に伴ふとしても、最終的には、それを耐え忍ぶに十分に値し、
支払われる犠牲を上回る報酬として、意に沿ふ「心地よき」/
"agreeable"結果につながる、そのような働きをする誘いかけ/呼び声
のことであると考えられます。
すると、良心の呼び声/悪の誘惑の対比は、結局のところ、それに
応じることが、意に沿ふ「心地よき」/"agreeable"結果をもたらす
(自分の命を犠牲にしてでも自分が大切にするものを守るという場合も
含め)か、それとも意に反する「心地あしき」/"diagreeable"結果
をもたらすかという判定基準に基づいていることになる。
- 628 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 08:26:23.96 0.net
- >禁欲主義に導くのが欲だとすると目も当てられませんね。:)
ニーチェは、禁欲主義は、「欲」を満足させる可能性を見失った「病める畜群」
の「欲」を救う方策であると指摘しているのです。
>人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する...
『善悪の彼岸・道徳の系譜』、ちくま学芸文庫、p.584
- 629 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 08:39:53.64 0.net
- >いっそむしろ虚無を欲する
虚無を欲しても無論、何も得られないが、
「欲すること」だけは救われる、「欲することはできる」というわけです。
- 630 :時計 :2022/01/13(木) 08:47:57.86 0.net
- >>627
意欲は大切ですね。
良心の「呼び声」ということがポイントでしょうか。
宗教的なものを感じます。
近視眼的な善は良くないですね。
私の良心の呼び声はしっかりしているといいのですが。
>>628
消極的禁欲主義と積極的禁欲主義がありそうですね。
- 631 :時計 :2022/01/13(木) 08:50:01.72 0.net
- >>629
虚無を欲すという言い方はややこしいですね。
寧ろ、無いから欲するわけで。
- 632 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:14:24.76 0.net
- ニーチェの言っていることは、日本語で考えるならとても簡単なのです。
それを分かりにくくしているのが、西欧哲学の言語使用の実践であり、
西洋哲学の言説を、日本語で考え直すことをせずに、そのまま日本語
の表現で置き換えようとする翻訳です。
最初から日本語で考えるなら、「水を!」というのが水を「欲する」
ことでしょう。ここで、「〜を!」は、「〜」を求める呼びかけです。
しかし、いくら「水を!」と呼びかけても、誰も/何ももそれに応へて
くれないならその呼びかけは無駄に終わり、「むな(虚)しさ」だけが
心に残る。すると、「水を!」と呼びかけることそのものを諦めて
しまう。それが日本語の古語の表現をそのまま用いるなら、
「いき(息)の『を(緒)』」、「たま(魂)の『を(緒)』」が
「た(絶)へ」るということであり、現代の一般的な日本語にするなら、
「生きる意欲」が失われるということです。「生きる意欲」を失った
人々は、生きることには苦痛でしかないと感じるようになり、
死ぬまで終わりのない耐えがたい苦難に直面していると感じるなら、
自ら命を断ってしまうことになる。そのような人々が「病める畜群」
です。その「病める畜群」の救済者として予定されているのが、
禁欲主義的僧侶であり、禁欲主義的僧侶は、自らが模範を示して、
人々が現世における何らかの対象を欲する代わりに、つまり、
「〜を!」の「〜」に現世的な事物を代入する代わりに「無」を
代入するように人々を導くのです。呼びかけが「無を!」であれば、
それに応へるものとして何も手に入らなくても呼びかけが無駄に
終わることはない。つまりは、生きる意欲である「〜を!」そのもの
が救われることになる。
- 633 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:15:00.89 0.net
- しかし、ニーチェは、そのような禁欲主義的僧侶の導きが、形式的に
「〜を!」=意欲を救うとしても、それが「無を!」という呼びかけ
に従うように人々を誘い込むものである以上、結局は、「病める畜群」
の病状を恒常化させ、深刻化させることにしかならないと批判して
いる。そこで、ニーチェが。やまひ(病)を癒へるために必要である
としているのが、「〜を!」の「〜」に「無」を代入することを
拒絶し、その「無」を「できること」、すなわち、»Macht«で置き換える
ことです。それがまさしく、ニーチェの»Wille zur Macht«/「できることを!」
という表現の意味に他ならず、これはエマソンの次の表現をそのまま
受け継ぐものであるものと見ることもできる。
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74
さらにここから、
>457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」<
という関係を導くこともできる。
- 634 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:16:53.18 0.net
- 誤:西欧哲学の言語使用の実践
正:西洋哲学の言語使用の実践
- 635 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:18:36.29 0.net
- 誤:やまひ(病)を癒へる
正:やまひ(病)が癒へる
- 636 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:24:41.26 0.net
- このように見ると、»Wille zur Macht«を「権力への意志」などと訳す
ことが、本当は容易に理解できるはずのニーチェの言説を解釈することを
いかに無用に困難にしているか分かるでしょう。また、日本語の古語と
ニーチェの表現の対応関係を見るなら、日本語は哲学をするのに向かない
言語であるなどという、日本語の哲学研究者によってさえしばしば
なされる主張がいかに馬鹿げたものであるかも明白となるはずです。
- 637 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 11:01:13.91 0.net
- 誤:生きることには苦痛
正:生きることは苦痛
- 638 :でこすけ:2022/01/13(木) 12:19:09.41 0.net
- >>573
>知ったら後悔するほどの「本当に知りたいこと」が本当なら
>それは一体なにか?関心を持つのが普通かなと思います
今更ながら私の言葉が足りなかったようで申し訳ありませんになりますけど、
「知ったら後悔すること」について、
あの時点では哲学的知識に限らず、もっと一般的なことを想定していました。
一般的に言って「クビを突っ込まなければよかった」というのは哲学者に限らず
誰にでもあり得ることだと思います。
ところで私としては「知ったら後悔すること」よりも 「知ったら怖くなること」
の方に関心があるので、 ご指摘のことについては貴重な意見として受け止めさ
せていただいているつもりです。
私(でこすけ)に限らず誰にでも普通とのズレがあるとは思いますが、
私にも自分ではけっこう自分の感性が普通だと思っている傾向はあるので
そのような視点は大変興味深いところです。恐縮です。
- 639 :時計 :2022/01/13(木) 12:27:40.78 0.net
- >>632
息の緒が絶へるや魂の緒が絶へるより、
生きる意欲が失われるの方が私には解りやすいです。:)
生きる意欲……ご飯が美味しいというだけで
楽しく生きる人もいるとは思いますが。
ニーチェは何故病める人々に畜群とキツく当たるのか不可解です。
生きる意欲のない人々は、「生きる意欲を!」と
日々心懸けていればいいのではないでしょうか。
私は似たような言葉として、「克己心」という言葉は好きです。
また、キリスト教的な、聖霊が導いてくれるという考えを
毅然と否定する必要性もよく解りません。
- 640 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:07:26.83 0.net
- >誤:やまひ(病)を癒へる
>正:やまひ(病)が癒へる
病を「癒(いや)す」という表現から考えて、「癒へる」ではなく、
「や行」の活用(「ゆ」の活用)で「癒える」とすべきでした。
訂正します。
- 641 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:12:28.34 0.net
- >ニーチェは何故病める人々に畜群とキツく当たるのか不可解です。
予定された救済者におとなしく従順に誘導され、同じように誘導されない
者に憎悪を向けるからですよ。
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