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意識のハードプロブレムの答え15
- 1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
- 1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。
意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/
- 57 :anonymouse :2021/12/23(木) 00:10:45.48 0.net
- 例えば、
サイン波があって、それにノイズが乗ってる場合を考えると、
仮に実世界がサイン波だとして、そこに乗っているノイズに意味を見出すのが、仮想ということなんだろうか?
そもそも、ノイズと思っていたものが、地デジの映像と音声の情報で、
サイン波(ここでは電波だが)に乗っている情報が、テレビという世界(というか画面)と対応していたとしても、
それはテレビ以上の何者でもでしかないわけで。
つまり何が言いたいのかというと、
仮想とは、二階建てというか、実世界の上に作られた副次的な
(より高次なといっていいが、高次だからといって高尚というわけではない。オッカムの剃刀。)
機能や世界のことをいうのだろう。
ソフトの上にソフトを作る?
それか、
ハードの上に作られたソフトの上にハードを作って、
それが元の世界のハードに対応する。
- 58 :anonymouse :2021/12/23(木) 00:17:24.15 0.net
- 何で言えばいいのかわからんが、
この実世界(ハード)の上に、
我々の幻想、あるいは仮想(ソフト)がある
という構図は間違っていないと思うが、
物理学は、その幻想、あるいは仮想(ソフト)が、
実世界(ハード)に対応しているわけで、
その辺のループが何を意味するのかっていうのが、
あんまり自分の中では、はっきりしていない
- 59 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 01:06:03.72 0.net
- ハードは、固体で、ソフトは、固体と液体の中間という理解でおk?
- 60 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 01:14:24.45 0.net
- 思弁的実在論の運動のひとつで、グレアム・ハーマンの
オブジェクト指向存在論というのがあるけど、どうでしょう
積読候補で内容は不明です
感覚的対象、感覚的性質、実在的対象、実在的性質というキーワード
フッサールの現象学からの、オブジェクトの自立性はハイデッガーの
道具の概念とか、、、
- 61 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 06:57:56.30 0.net
- 私は神のようなものである。
他人もまた神のようなものである。
私という神(のようなもの)は他人という神(のもうなもの)を直接知覚できないが情報を通じて相互に繋がっている。
そしてこうしてネットワークで繋がっている事により、私という存在の存在確率は上がる。
何となくポエムっぽくそう思いました。
- 62 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 07:02:30.57 0.net
- 誤字がw
(のもうなもの)→(のようなもの)
のもうなものって何だよwww
- 63 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 08:49:31.68 0.net
- >>56
仮想通貨は「実体がなく、又一般的に流通していなく独自の価値基準を持つ」ような複合的な意味合いでの仮想、仮想マシンは単に実体がないという解釈で問題ないと思う。
仮想通貨に関して、あくまで複合的な意味合いの為、価値基準が一般化されている通貨を電子化した電子マネーはこれに該当しない。
仮想マシンに関して、その実は単なるソフトウェアな為、1台のPC上で複数OSやCloudベースでの量子コンピュータの利用が可能と言ったレベルのお話。
哲学的に見ると「実体はないが、ある機能として実在する領域」という部分は共通しており、そういう意味では「意識」も「仮想」に当たるのではないかと逆説的に推察できるような気もするし、単なる言葉遊びのような気もする。
- 64 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 09:12:27.80 0.net
- ニーチェが生物学から借りてきた「種」という概念に拘泥しないなら、
『喜ばしき知恵』でニーチェが意識の起源について簡潔にまとめて
書いていることを踏まえることが、やはり議論の基礎として
とても役立つだろうと思うよ。というか、ほかに議論の基礎として
役立つような意識についての議論を見かけたことがない。
- 65 :でこすけ:2021/12/23(木) 10:40:54.89 0.net
- >>17
私は始めから「現実」は「仮想」だということを言ってきたつもりでいましたが
あるいはそのように読める表現をしたことがあったかもしれません。
「私たちの現実」はそのまま「客観的な現実(真実)」ではないということです。
- 66 :でこすけ:2021/12/23(木) 10:58:45.98 0.net
- >>21
「面白い」というのは「正しい」ということよりも重要だと思います。
歴史を動かすのは「正しいこと」ではなく「面白いこと」だと思うのです。
>>22
>この実在を否定するには否定できるだけの存在を論証する必要がある
私は「(物心二元論で精神に対する実体としての)物質」の存在に懐疑的ですが
そこで「物質は存在する」と主張する人に
「物質が存在するとする根拠を示してほしい」とお願いをするとえてして
「まず存在しないとする根拠を示すのがスジだ」というような返事が帰ってきます。
私としてはスジにかかわらずパッと「物質が存在する根拠」を示してしまえば
それで済むと思うのですが、いかがですか?
- 67 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:16:21.07 0.net
- >>27
何かを感じるとき、認識上では感覚器官を通じて知覚されています。
そして認識上では視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
たいていは一旦電気信号か何かに変換されて
そして認識上ではその信号を脳がそれぞれの感覚に変換されているようです。
はたしてこの変換は「再生」なのか「創造」なのか、
このときそういった信号の発信源はどのようなものなのか
(扉が閉まっている冷蔵庫の中は実際にはどうなっているのか)
という疑問を持ちます。
そして私が考えるその構造は一択ではないように私には認識されます。
ちなみに私は意識(精神)は実体ではないと考えています。
つまり私は唯心論でもありません。
ところがそのあたりを語る能力と時間がないのです。
今、電話がかかってきて出勤時間が早くなってしまったという具合です。
申し訳ない。
- 68 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:23:55.25 0.net
- >>67
>視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
→視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も、すべて
(この文章はそもそも日本語としておかしい気もしますが
それは気にしないことにします)
- 69 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:32:55.87 0.net
- まあ、基本的に、触覚は接触の直接作用によるものであり、
聴覚や視覚は遠隔作用によるものであるという「思いなし」が
まずあって、聴覚や視覚の遠隔作用によって幻覚に誘われる
けれども、触覚における直接作用(特に痛み)によって現実に
連れ戻されるという「思い込み」があるんだよね。
- 70 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:33:39.70 0.net
- >>58
なるほど、ハードとソフトという表現はアホにもわかりやすかったです。
つまり形而上がハード、形而下がソフトというのがわたしのイメージです。
ただコンピューターと違うのは
コンピューターだとソフトが無くてもハードだけで存在できるのに対し
世界の場合はハードだけでは存在できない気がするのです。
形而上と形而下とは表裏の関係のように思えます。
何故そう思うのかというと、じつはこれはただのチョッカンです。
- 71 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:38:00.35 0.net
- >>64
貴重なご指摘ありがとうございます。
さっそくチェックさせていただきたく存じます。
- 72 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:38:35.75 0.net
- だから、聴覚や視覚の効果によってソフトな幻想に浸って「上の空」に
なっているところを、触覚によってハードな現実に連れ戻されるという
構図が想定される。でもまあ、バタンとか、パーンとかの衝撃を伝える
音や、強い光とかで急に目を覚まさせられることがあるから、そういう
ハードな聴覚や視覚は、接触のように直接作用に準じるものと見なされる
わけだ。
- 73 :でこすけ:2021/12/23(木) 11:40:58.69 0.net
- >>70
形而上には必ず形而下が伴う、
ただしこれは認識上であり
つまり解釈にすぎないものです。
「記憶」「忘却」…
なかなか到達しなくて申し訳ない
- 74 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:42:42.66 0.net
- >>66
あなたが物質が存在すると想定できていることが
あなたの精神にあなたのいう物質が実在している証拠です。
- 75 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 11:44:33.78 0.net
- >>73
あなたが死んで形而下の身体がなくなったら
形而上の解釈もできませんよね、認識媒体がなくなるのだから
- 76 :時計 :2021/12/23(木) 13:01:52.66 0.net
- >>64,71
図書館の貸し出し予約をしました。
タイトルが『愉しい学問』だったり『悦ばしき知恵』だったり
しますから、要注意です。
『愉しい学問』が比較的新しいみたいです。
- 77 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 14:13:21.85 0.net
- >>76
『愉しい学問』のあとがきに書かれているけど、ほぼ同時並行だよ。
一方で分かりやすく訳されている箇所が他方では分かりにくくなって
いる場合が、いずれの側の翻訳にも見られるので、どちらの方が
良いとは一概には言い難い。全体としては『喜ばしい知恵』の方が
読みやすいように感じられたが、いずれにしてもニーチェの原文と
照合しながら自分で解釈することが求められる。
- 78 :anonymouse :2021/12/23(木) 15:34:50.61 0.net
- ハードは剛、ソフトは柔
って感じかな
対立した概念だから、物質の相とは違うと思う
- 79 :anonymouse :2021/12/23(木) 15:50:57.46 0.net
- >>59
つまりなんだろう、
ハードとソフトを連続量と見ることは、
自己捕食的な誤謬があるように思う
凸レンズに凸レンズを重ねるみたいな、
じゃあ逆に、(ハードとソフトを考えるときに、)
凸レンズに凹レンズを重ねればいいのか?というとそれも違って、
どちらも空間の概念だから、
凸レンズの対立概念は、時間で逆転したものを、
空間で裏返さないといけないかもしれない。
(順番があっているかわからない、ようは対偶。)
ようするに、ハードとソフトが水と油という例えとも違うと思ってる
- 80 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 17:12:43.77 0.net
- 仮想通貨も現実だから死ぬアホもいるだろw
仮想というのは言葉遊びで一つでも現実との猿真似があれば人はそれを仮想と呼ぶだけだw
- 81 :時計 :2021/12/23(木) 19:58:24.44 0.net
- >>77
「悦ばしい」と「喜ばしい」の違いもややこしいですね……
『喜ばしい知恵』の方が読みやすかったですか。
私は、『愉しい学問』の方をもう予約してしまいました。
タイトルが解りやすいですから。
- 82 :考える名無しさん:2021/12/23(木) 23:48:59.88 0.net
- 私はどちらも図書館で借りてきて目を通したので、どちらかを
選んだということではなく、読みやすかったというのも
原文との参照関係がとりやすかったという程度の意味でしか
ありません。
- 83 :時計 :2021/12/24(金) 04:52:06.28 0.net
- >>82
なるほど。どちらも良いところ、悪いところがあるのかな。
- 84 :し :2021/12/24(金) 05:17:04.08 0.net
- 0.8
- 85 :でこすけ:2021/12/24(金) 09:02:27.83 0.net
- >>79
この問題は形而上と形而下がどのようにして相互作用しているのかという
言わば「世界(?)のハードプロブレム」といったところでしょうか、
ちなみに私は「形而上」や「形而下」といった概念が
哲学に関心のある人達の間でどのように理解されているのかはよく知りません。
私はやっぱりたとえばanonymouseさんにも私と同じような意識はある、
つまり私がいる世界には私に体験できない部分があって、
そして私の意識はその部分を下部構造としていると考えますが、
ただしその部分は感覚ではとらえることができない領域だという印象を持っています。
するとその部分は言葉で表現するしかない気がします。
たとえばつまり「感覚ではとらえることができない」とか
「個体でも液体でも気体でもない」とか「絶え間なく変化するもの」とか
そういったかんじです。
すると形而上と形而下との相互作用についてもざっくり言葉で表現する
しかないもののようなかんじがします。
なお答えは「真理」というよりも「矛盾のない解釈」くらいにおさまるしかない
というのが私の印象です。
私が理解する「形而下」というのはつまり私が認識する世界のことですが
これはたとえば「夢」もそのひとつです。
「夢」の中に出てくるリンゴは実際に存在しているわけではないという意味では
「映画」の中に出てくるリンゴに似ていますけど、
では「夢」は「映画」のようにまず「スクリーン」があって
そしてそこに映し出されているようなものでしょうか。
「映画」は上映を取りやめても「スクリーン」は残りますが
私は「夢」の方はそれを取り除くと「スクリーン」にあたるものが
残る気がしないのです。
その根拠ははなはだ曖昧なんですけど、
なんだかそのような仕組みは闇雲に不自然な気がするためです。
- 86 :でこすけ:2021/12/24(金) 09:35:03.40 0.net
- 「記憶」についてですけど
伏線を引こうとするとわけがわからなくなるのでさっさと結論だけ言うと
もちろんそれは「幻想」です。
「記憶」は過去の出来事か何かを「再生」というイメージがありますが
私はその都度つくられているものだと考えます。
私は時間はデジタルだと考えますが
「今」は「ひとつ前」から移行したものであり
「ふたつ前」以前は「ひとつ前」に痕跡を残すものの
基本的には消えて無くなったものだと理解できると思います。
「記憶」は「ひとつ前」の情報から新たに創発されたものであり
一般に思われているようなものではないと思います。
「万物は流転する」「“知”は開放系である」
などは私の世界に対する解釈の基本です。
- 87 :でこすけ:2021/12/24(金) 10:49:20.73 0.net
- 私は「ナゾに終わりはあるのだろうか」と考えることがあります。
やっぱりナゾの最後は気になるわけです。
たとえば『聖書』では世界の始まりは創造主による「光あれ」
から始まったとされているそうですが、
そもそも創造主がどこから出てきたのかがよくわかりません。
一方で『古事記』によると、はじめは海にクラゲのようなものが
プカプカ浮かんでいただけだったとのことですけど、
そのクラゲ的なものがどこから来たのかもよくわかりません。
そうは言ってももっとさかのぼれる気がするわけです。
ところで現代物理学によると、宇宙は「ビッグバン」と呼ばれる現象
から始まったとされています。
じつは最初にできたのは光(光子)だったと私は聞いたのですが
ここで多くの人は科学雑誌のイラストのように
光子を球体でイメージする気がします。
これ以上分割されないとされる物質が球体として想定され、
そして文脈的にはここからがポイントなんですが、
そのことについては私は多くの人が古代人のように疑問を持たない傾向
をかんじるのです(もちろん科学的には否定されていることですが
「疑問を持たない」というのがポイントです)。
そもそもビッグバンという現象によって何故空間や時間が生じるのか
そのことについて研究している学者も中にはいるでしょうけど
私としてはマイナーな分野という印象をもちます。
つまり私としてはもっと関心が持たれてもいい気がするのです。
そもそもアプローチの仕方がわからないにしても
意識のハードプロブレムくらいには話題に登っていい気がします。
ただ、じつは私としても始めから「無」があったということになっています。
「無」はそれ以上さかのぼれない気がする便利な概念ですけど
何やら疑問が残る気もするのです。
のみならず私は並行宇宙を想定して「何も無いことは一度も無かった」
とか言っていますけど、ちょっと我ながら無責任な気もしてはいたのでした。
- 88 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:03:32.94 0.net
- >>87
このはなしはどこにつながるのかというと、
最近私に反論をして下さっている方々の印象です。
反論していただけるのは大歓迎というか
むしろ私は反論してくれ反論してくれの反論乞食ですけど、
そういった方々は「意識が存在する前に世界は存在した」
という世界観をお持ちのような気がします。
ではその「世界」はどのようにして生じたのか、
私としては「語ることは無くなった」みたいなことは言わずに
そのイメージはそのままでもとにかく徹底的に詰めていただきたいのです。
あるいはその部分が知性に理解不能な領域であったとしても
何故それが理解不能なのか、
あるいはそうして私は「意識のハードプロブレム」にも答えが出る
ような気がするのです。
- 89 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:15:15.01 0.net
- >>87
>これ以上分割されないとされる物質が球体
- 90 :でこすけ:2021/12/24(金) 11:17:30.45 0.net
- >>88
>これ以上分割されないとされる物質が球体
→初めて生成されたとされる物質が球体
- 91 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 11:43:31.46 0.net
- 何かが存在するが、その形を判断する材料がない場合、
その何かにはまだ形がないということが、「球体」なのではないかな。
だから、形あるものは、いろいろな条件の効果にさらされて、
形を失っていくと「球体」に近づく。
- 92 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 11:49:22.36 0.net
- なにいってるかわからない
- 93 :27:2021/12/24(金) 11:57:49.23 0.net
- >>88
私に対して当てて書いてるような感があるのでレスします。
私は考える事自体好きなのでいくらでも考えられますよ。考える対象もいくらでも出ます。
ただ私の場合、考えるのに時間食うので本気で考え始めると仕事が手につかなくなってヤバいのです。
なのでほどほどに考えてほどほどに投稿しよーかなくらいに思ってます。
- 94 :27:2021/12/24(金) 12:05:05.33 0.net
- なので超遅レスとか普通にやりそーなのでそうなったら呆れずお付き合いください。
- 95 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 12:07:18.52 0.net
- 一次元球面から一点抜いたものが一次元球体です。
二次元球面から一点抜いたものが二次元球体です。
球体には同じ次元でのエッジがあります。
球面には同じ次元でのエッジはありません。
- 96 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 12:49:39.18 0.net
- 形の喪失が球でしょう。言い換えるなら、求心性の物象化ですよ。
- 97 :時計 :2021/12/24(金) 12:57:11.53 0.net
- >>95
球体と言うと中が詰まっている印象はありますが違いますか?
- 98 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 14:17:00.65 0.net
- >>90
物質は存在しないんじゃなかったのか?
- 99 :考える名無しさん:2021/12/24(金) 15:18:42.03 0.net
- 求心性の物象化としての球と遠心性の具象化としての光
- 100 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 17:34:24.00 0.net
- 球体は中が詰まっていますが、
n次元球体 < n次元球面
です。(< は濫用かもしれませんw)
0次元球面は2つの点であり、
点をひとつ取り除くと、0次元球体(=ひとつの点)になります。
- 101 :時計 :2021/12/24(金) 19:18:34.37 0.net
- >>100
確かに、「<」は謎ですね……
二次元球面から一点を抜くとはどういう操作でしょうか。
- 102 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 20:31:25.25 0.net
- 二次元球面とは、中が空気のゴムボールのようなものですね。
これに穴を1つ開けて(1点を抜いて)広げると、
餃子の皮のようになります。これが二次元球体です。
一般的なイメージの球体は三次元球体です。中がつまっているボールです。
中がすかすかのボールは二次元球面です。
三次元球体の表面が二次元球面です。
二次元球体は餃子の皮ですw
- 103 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/24(金) 22:41:57.61 0.net
- 解析接続と超対称性変換。
なにやらおかしな関係がありそうな気配。
情報が保存されているのだ、と考えるとスッキリする。
でも、その情報はどこから来たのか?
対生成したのならば反情報がどこかにあるはず。
- 104 :時計 :2021/12/25(土) 03:29:22.23 0.net
- >>102
なるほど。穴を開けて広げるんですね。
そうすると確かに二次元球面は二次元球体になりなすね。
球体とか球面とかいう言葉は不思議ですけど。
- 105 :27:2021/12/25(土) 06:33:54.14 0.net
- >>67
状況に応じて意識が脳内の記憶(情報)を引っ張り出したり書き込むと想像します。
あと「感じ」の発生元は意識だと思ってます。(意識は「感じ」の発生元であり中枢神経系に存在する仮説です。メカニズムを考えても想像にしかならんので、まー宗教です。ただ、この仮説は別の考えと整合が取れて都合が良いのです)
意識内では「感じ」が発生し、また記憶(感覚記憶や概念記憶)から「感じ」や「概念」を想起すると考えます。
そして概念と感じは紐ついてると思うんですよね。
例えば何かを記憶する時、「感じ」をインデックスにしてる感があります。廊下の思考実験の話だと廊下を記憶するのに廊下を歩いた「カツカツ」という硬質感のある歩いた足の感じで覚え、それで思い出すみたいな。(この例では「廊下(という場所)」と歩く「感じ」の紐付けが行われていると思います。他の例も全てそうか、概念全てがそうかは宿題事項です)
ちなみに私は意識が物質だろうが魂だろうがなんでも良い派です。
意識と称される何かが存在し、それを意識と呼ぶのが都合が良いから使っているだけです。
意識とは物質的な何かな気がしますが最終的に霊的な魂かもしれません。
そうそう、あと27以外に43,44,61,62,93,94も私です。(前スレでは901,904,964,977も私でした。見落としは多分無いと思います)
- 106 :27:2021/12/25(土) 06:40:11.68 0.net
- 誰もいない森の話は結構好きな話で暇があるとついつい考えてしまう話です。
私は誰もいなかろうが物が存在していて欲しいと思っているため論理の組み立てが「ある」方に寄ってますね。
もう一つ、すごく考える話に認識世界内の知覚補完されている部分(記憶や概念による知覚補完)は本当に存在するか?というものがあるんですが、それからすると「ある」方が都合が良いのです。
概念による知覚補完とは生まれて初めて見る木の裏側が分かる、というものです。なぜ分かるのかと言えば木という物を経験上たくさん見ており(丸太の状態や木の切り株とかも)木という物はこういうものであると概念があるためです。
そして無数に木を見た経験から初めて見る木でも幹の裏側に幹があると信じられるし納得できます。
問題は建物(特に一戸建てのような小さくも大きくもない物)です。
私の概念上、建物とは屋根があり、4方向に壁なりドアなり窓なりがあるものとして考えられ、それに従い知覚補完されていると言えるのですが一戸建ては小さくも大きくもない事から私が4方向から確認できたと確実に言える物が少なすぎるのです。(20年とか今の場所に住んでますが3軒隣の家とかで確認できてないです。その先とか住宅の中に埋もれると壊滅的です)
見た事ないのに「ある」、わざわざ確認しに行こうとも思いません。なぜ「ある」と言えるんだろう?とか考えるわけです。
そりゃー錯覚だと言われればそうかもしれないんですが錯覚だと生きてて困るんですね。
なので私という観測者を立ててそこは知覚内にあるの「だろう」としてる訳です。
(とは言え、実際に見るまでは確定しませんが)
ようは私は納得したいのです。そしてほんの数軒先の建物の裏側が「ある」と言えない事(「見える」ではない)が納得できないのです。
(見えない事で100%あるとは言えないため一生悩みそうですww これからすると記憶による知覚補完とかんなもん100%存在するわ(とは言い切れんのだが)って気が抜けてます)
神という概念の誕生必然性の一つがこれの保証でないかと考えてます。(もう一つは人間が人間を観測するのに都合が良いというものです。その二つを併せ、神という概念には存在必然性があるとしています)
- 107 :27:2021/12/25(土) 06:40:55.13 0.net
- 私は日本神道における神がいて欲しいと思ってますが上の「神という概念」の話は言語上の話のようなものだとお考えください。
- 108 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/25(土) 08:16:25.97 0.net
- 「神」とは、すなわち「体系外」の「公理」であって、
体系内の「矛盾・パラドックス」を解消するものです。
体系外のものなので、役に立たなくなれば追放されます。
体系内にいる「神」は、矛盾を孕むことになるのでニセモノです。
- 109 :27:2021/12/25(土) 08:31:08.80 0.net
- >>108
意図した通りに読み取れているか分からんけど言葉内にあるものはどうやっても言葉内にあって記号じゃん的に思いました。
で、神の名前を呼ぶなって宗教は記号化したら神ではないとの考えによるものかもしれんなーとか連想しました。
- 110 :27:2021/12/25(土) 08:36:18.48 0.net
- ヤバいw
今から仕事なんすわ。
考え初めて仕事が手につかなそう。
ちょっと見るの中断して頭冷やします。
- 111 :でこすけ:2021/12/25(土) 09:20:16.32 0.net
- >>93
私はコロナ休暇をもらったので投稿をはじめたのですが
今はそれが終わって以前のようには気軽にできなくなってしまいました。
返信できてないものも多く、申し訳ないことになっています。
とりあえず何か考えたことがあればみんなで意見を寄せていければいいな
というお話です。
ちなみに私も出勤なので、今はこれだけになってしまいます。
- 112 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:04:43.45 0.net
- 求心性の働きの物象化が「球(たま)」であり、
遠心性の働きが具象化が「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」である。
「かか・(輝)やき」の「かか」の「か」自体は、反射作用
を想起させるように用いられた発音であり、その繰り返しは、
その作用の継続性を伝えるように用いられるが、「〜やく」
の「や」は、「矢(や)」、「槍(やり)」、「遣(や)り」の
「や」からも想起されるとおり、その継続的な作用が
「はな(放/離)たれる」方向に働くことを伝えるので、
そのように方向性が示されることによって、「かか」に
よって表される継続的な反射作用が、遠心性の働きを表現
するように用いられることになるのである。
「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」は、その遠心性の作用に
よって、遠く離れたところにいる人々をも「化(おもぶけ)る」
効果を発揮し、そのことによって「光(ひかり)」の
「かかや(輝)き」が届く人々の各々において「向心力」と
なるのである。この反射作用と遠心性の働きの組合せに
よってもたらされることになる「向心力」の効果をもつ
存在が、「統治権力の中心」とされ、「や」の代わりに
「あ」を用いて遠くの方向性を示すことにより、その
ような複合的な効果を端的に表現している名称が
「あすか(飛鳥/明日香)」や「あしかが(足利)」なのである。
- 113 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:48:50.71 0.net
- しかし、ここでさらに留意しなければならないのは、「向心力」の
効果を発揮して各々に向き直らせることが、単純な対向性をもたらしては
ならないことである。さもなければ、対向性は、対称性として認識されて、
対抗につながる危険性がある。だからこそ、中心として「向心力」の
効果を発揮しようとするなら、相手を向き直らせると同時に、相手が
正面から向き合うことを恐れ入るようにするように相手を絶えず
「は(端/恥)づかしめ」る必要がある。
- 114 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:51:51.22 0.net
- 「魂(たまし・ひ)」とは、「ひ(日/火)の球体化」である。
- 115 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:56:27.42 0.net
- >>113
だからこそ、自律性を大切にしようとするニーチェは、相手をはづかし(辱)めよう
とする者を最も憎んだのである。フィヒテも、人の晴れやかで快活な面持ちを教会が
いかに嫌うかを指摘している。
- 116 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 10:59:06.69 0.net
- 「相手を向き直らせて、その向き直らせた相手を辱めること」、
その行為の繰り返しの実践を奪ったなら、統治権力に何が残るだろうか。
- 117 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 12:08:42.17 0.net
- 誤:遠心性の働きが具象化が
正:遠心性の働きの具象化が
- 118 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 14:16:31.26 0.net
- 一寸の虫にも五分の魂(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』」
- 119 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 14:21:10.77 0.net
- 誤:(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』」
正:(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』)
- 120 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 14:55:13.60 0.net
- てふてふ
- 121 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 15:09:05.18 0.net
- 疊々と漢字で書き直してみれば、イメージがよく分かる。
- 122 :考える名無しさん:2021/12/25(土) 15:15:24.06 0.net
- 実際にてふてふの動画を見ても、なぜ「てふてふ」が「疊々」であるのかよく分かる
https://www.youtube.com/watch?v=ykp_RWbhPeE
- 123 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 00:32:49.12 0.net
- 結局ソフトといってもハードの一部だからなw
- 124 :27:2021/12/26(日) 06:20:54.12 0.net
- ハードはソフトがなければ動かないからソフトが主人であるとも言える。
あんまりしっかり考えてないんだけど私は神の存在必然性は分かるんだけど神を信じられてないつー事なんだよな。
だから書き方自体が微妙な論理構造になっててそれは引っかかって当然だよなーってオモタ。
超球面さんが体系外の公理を神として表現したのがよく分からなかったんだけど、公理とは自分の外側にあって自分と断絶があるというシニカルな視点があるのだろうかと改めて見て気になりました。
あと112から123って全部身づ柄さんですか?
他の人が混ざってるのか分からなくてちょっと迷ってます。
(ちょい興味を引かれる話をしてる感があるんだけど他の人が混ざってると解釈が全然変わって現時点の解釈が「結構謎」→「めちゃくちゃ謎」になる)
- 125 :27:2021/12/26(日) 06:37:17.81 0.net
- よく分からない事は神にぶん投げちゃえよってのは解法の一つでその解法があるのも分かるしそもそも最初から無条件に信じる人とかいるのも分かるんだけど、もっともっと考えて探究したら矛盾が矛盾でなくなり、神に頼らない矛盾の解消ができるのかもしれない。
考えて考えぬいた先に「なるほどこれは神を信じるべきなのだ」と分かったら素直に神を信じられるような気がします。
私はきっと我儘なんです。w
- 126 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 07:27:06.62 0.net
- ソフトな豆腐も冷凍乾燥させればハードになる
- 127 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 07:28:47.54 0.net
- >>123は無関係
- 128 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 07:30:02.15 0.net
- >>120も無関係
>>121-122はレス
- 129 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 08:00:44.44 0.net
- 高野(こうや)豆腐ではない。「こお(凍)・や」豆腐だ。
- 130 :でこすけ:2021/12/26(日) 08:58:57.13 0.net
- >>106
「認識世界内の知覚補完」というのは私は初めて聞きましたけど
そのたぐいは私も好物でございます。
ちなみにそこから私が連想したのは「言葉の習得」です。
私たちは日常の中では必ずしも「正しい日本語」を
話しているわけではありません。
それは子供が常に正しい日本語を聞いて育つというわけではない
ということです。
にもかかわらず私たちは本当は「正しい日本語」なるものがある
ということを認識します。
私に言わせれば例によってそれも「幻想(共同幻想)」になりますが
そのようなものがどのような過程で成立するのかは興味深い問題だと思います。
私は「意識のハードプロブレム」は「世界の構造」を解明することでもある
と考えますが、
その際にはそのような問題をもフォローしなければならないと考えます。
さらに個人的なイメージ的としては「直感」や「本能」から
「適応」とか「擬態」などまですべてつながる気がするのですが、
なお鍵になるのは「意識」の正体だと思っています。
- 131 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 09:13:51.94 0.net
- ハード/ソフトという区別は、まず何よりも歯が立つ/歯が立たないという違いだろう。
- 132 :でこすけ:2021/12/26(日) 09:13:55.75 0.net
- >>130
イメージ的としては→イメージとしては
ちなみに何故すべてつながるのではないかと考えるのかというと
世の中にはそうそう色々なことがある気がしないためです。
何かひとつのことがあって、それが様々な現れ方をする
というふうに考えておくのが妥当のようにチョッカンします。
もちろん根拠はありません。
ところで冷蔵庫を引っ張りますけど、先日は一番重要なことを忘れた気がします。
冷蔵庫の話のポイントは扉を閉めても中の電気がついているような錯覚をする
ということです。
「錯覚」はもちろん意味があってそういうことがある(放置されている)
と思うのですが、
だからこそとりあえずの日常が成立するのだろうと思います。
- 133 :でこすけ:2021/12/26(日) 09:58:53.01 0.net
- >>132
私たちは「客観的世界」なるものが有ると錯覚している
というお話です。
- 134 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 10:16:25.51 0.net
- 現(うつし)世(よ)には、「うつ(映/写)し」と「うつ(移)ろひ」が
あるだけで、すべてが「はかな(儚)い」という思ひもあると思いますが?
- 135 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/26(日) 11:18:02.23 0.net
- 体系を自分とすれば、自分の内では証明できないものが公理です。
これを体系外におけば矛盾しませんが不完全です。
しかし、矛盾と矛盾の解消が動的世界を形成していると考えられます。
となると、体系外に置くのも「幻想」ですw
意識のハードプロブレムは「脳」の問題ですから、
客観から攻めて行くべきだと思います。
主観的客観ではなく、客観的主観。認識主体こそが「幻想」の産物であるとw
- 136 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 12:27:28.22 0.net
- すべてがうつ(移)ろひゆくこの世の中で永続するものなど、
新型コロナ・ウイルスとその類のものしかないだろう。
人類が、ウイルス感染も細菌感染も克服した暁には、
人は皆、レーニンのように、息を引き取った後でさえ、
その遺体が腐敗することもなくなるのだろう。
- 137 :時計 :2021/12/26(日) 12:50:52.49 0.net
- 私は実在は予測可能な存在だと思う。
根底から揺さぶりをかけるなら、それを幻想と言ってもいい。
物質は操作可能な存在だと思う。
操作可能性は、ある種の予測可能性だと思う。
行為に関しての予測可能性だ。
水などはコップに入れないと操作可能ではないかもしれないが、
それも含めて物質だと思う。
冷蔵庫の中は、予測可能だから、そういう意味では実在だ。
- 138 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 13:17:54.73 0.net
- >112考える名無しさん2021/12/25(土) 10:04:43.450
求心性の働きの物象化が「球(たま)」であり、
遠心性の働きの具象化が「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」である。
>114考える名無しさん2021/12/25(土) 10:51:51.220
「魂(たまし・ひ)」とは、「ひ(日/火)の球体化」である。
「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」と「魂(たまし・ひ)」≒「ひ(日/火)の球体化」
の対比は、波としての光と粒子としての光の対比に対応しているように見えて面白い。
- 139 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 13:20:07.35 0.net
- アイスはハードで、ソフトクリームはソフト
- 140 :時計 :2021/12/26(日) 14:04:01.12 0.net
- >>137
あるいはこう言ってもいいと思う。
予測可能性は予測不可能性でもあって、
そこに着目するならば、実在は幻想だ。
- 141 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/26(日) 16:10:18.20 0.net
- こう言ってもよいだろう。
実在側からみれば認識主体は幻想である。
幻想たる認識主体が幻想としての実在をみている。
幻想が幻想する。
このような幻想をつくりだしてしまう客体(実在)ネットーワークの罪なのかもしれない。
- 142 :考える名無しさん:2021/12/26(日) 17:51:20.34 0.net
- 幻想で実在は掴めない
- 143 :27:2021/12/26(日) 18:01:48.53 0.net
- >>140
解釈が間違ってるかもしれないので質問。
予測可能性を例えば99%としたとき予測不可能性は1%となる、この解釈で良いですか?
- 144 :時計 :2021/12/26(日) 18:32:05.40 0.net
- >>143
>>137で言った「根底からの揺さぶり」が真意です。
その確率は0ではない不確定値です。
予測可能性を仮に99%だとすると予測不可能性は1%に
なることはその通りだと思います。
- 145 :27:2021/12/26(日) 18:35:16.86 0.net
- 予測可能性は予測不可能性でもあるってのが10分程度、分からなかったので。
予測可能性の立場に立つか、予測不可能性の立場に立つかって話と解釈しました。
それなら面白いしスマートだと思います。
- 146 :時計 :2021/12/26(日) 19:04:21.32 0.net
- >>145
それは私の書き方が悪かったかもしれません。
予測可能性は予測不可能性を含意するということです。
- 147 :27:2021/12/26(日) 19:06:51.49 0.net
- >>146
いえいえw
逆にそう書かれたおかげで「色即是空、空即是色」の証明みたいに感じました。w
- 148 :時計 :2021/12/26(日) 19:10:59.88 0.net
- >>147
それなら良かったです。:)
あり得るということは無いということもあり得るということですね。
- 149 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/26(日) 21:04:43.89 0.net
- 「無秩序」には、おそらく、「正則性」が無い。
これを特異点の集まりと考えてみる。
集まりといっても複数と限らないし空集合かもしれないw
正則性といってもいろいろなものがあるのだが、
ここは単純に「ルール」と考える。「ルール」が無いのである。
完全に「ルール」がなければ、「無秩序」とすら呼ぶことはできない。
たったひとつの「ルール」。それが「保存則」だ。
「無秩序」といえども「保存則」だけは満たす。
公理的集合論に「保存則」は無い。「変化」というものの定義が無いからだ。
と、ここまで考えてみて、気づいた。
公理的集合論は、集合というものの「存在」の定義集である。
これは全体が「変化」の定義だ。
「脳」が「(公理的)集合論装置」であれば、集合論という粘土を捏ねるものだろうw
粘土は保存則を満たす。そして集合論を満たしたまま変化する。
保存則を満たすのはわかるが、集合論を満たす理由はなんなのか。それが問題だ。
- 150 :27:2021/12/27(月) 01:43:31.68 0.net
- >>130
言語学習は難しいので何か思いついたら書きます。
意識について考えている事は27で書きましたが、私が思う意識の本質はずばり「知覚を継続して行うための仕組み」ですね。
意識の機能としては「感じ」を発生させる事であるとか色々なものにアクセスするなどの機能が色々あるんだろうと思いますが、その本質は仕組みそのものではないかと。
でこすけさんが挙げられたもので私が意識に付随していると思うものは「本能」かなと思います。
「直感」はありえるのですがよく分かりません。「適応」「擬態」は語句の意味がちょっと掴めません。
何となくですがでこすけさんが探しているものは「私という存在」の中にあるのではないかと推察します。私は「意識」を「私という存在」をなさしめるものの一つと捉えています。
「意識」は「私という存在」の一部であり「私という存在」そのものではないと考えます。「私の意識」とか言いますよね? 言葉遊びに思えるかもしれませんが意識が私であるなら言葉を分ける必要は無い気がします。意識と呼ぶところを私と言ってしまえばいい。
では「私という存在」とは何か?
私は「認識世界」に似た概念の複合体ではないかと思います。記憶に大半がありそうですが独自の専用領域があってもおかしくないと思います。(意識は単純な気がするけど「私という存在」は恐ろしく複雑な気がします)
簡易な自己認識は意識にあるかもしれませんがそれを超え、「私という存在」は外界(主に人間社会)を通じて形成されていくように感じます。
- 151 :27:2021/12/27(月) 02:12:17.20 0.net
- >>149
無から有が脳の中でどう発生するかという話と読みました。(違ってたらすみません)
生まれてすぐの赤ちゃんはものがうまく見えてないそうです。
https://192abc.com/36971
私は画像認識のアルゴリズムに詳しくないので憶測ですが、一番最初脳は「同じ」か「同じでないか」というパターンの同定作業をしているような気がします。(次に細かいパターンの認識でしょうか)
違いを探す、同じを見つけるというのが最初にある大原則みたいなものかなー、とかつらつら考えました。
私は「ある」というのは知覚が継続した状態であるみたいに思ってますが一番最初の概念は光が「ある」という概念なのかもしれない。
聖書の創世記は「光あれ」の一説から始まっていますが案外本質を表しているのかもしれんなーとか思います。
- 152 :27:2021/12/27(月) 02:31:41.90 0.net
- >>150
今ちょっと電撃的に思ったけど、そもそも思考には視点の無依存性があるって思ってるんだけどひょっとして世界と私を視点を切り替えて使ってるのか?
思考における視点の無依存性ってのは、思考の際、視点を変えてシミュレーションをやり直せるよねって奴。
人間は思考する際、視点移動できるって思ってて不思議だなあとか思ってるんだけど世界という視点があるのか?
言葉で言うと成立するけど、すごい事を思いついた気がする。
じゃーまさに梵我一如じゃん。
- 153 :27:2021/12/27(月) 03:02:11.26 0.net
- いや自分で言っててわけわからんくなったww
認識世界の中に自己認識が入ってるってのが妥当ですね。
失礼しましたw
- 154 :考える名無しさん:2021/12/27(月) 03:42:25.57 0.net
- 「aならば aである 」
「aである、または、aでない 」
トートロジー それ自身、もしくはベン図自体
aもベン図も粘土?
- 155 :27:2021/12/27(月) 05:02:08.47 0.net
- 何かよく分からんくなってるw
頭冷やしますw
あーでもぼんやり思うのは極端に走るとどっかで変なもんに突き当るって感じかなー
- 156 :時計 :2021/12/27(月) 05:48:31.73 0.net
- >>149
保存則とはどういうものでしょうか。
力学のエネルギー保存則くらいしか思い付きません。:)
これでさえすぐには思い出せません。
1時間くらいあれば導出できるかな。
あと、熱力学にも保存則はありましたね。
もっと思い出せません。
- 157 :時計 :2021/12/27(月) 06:18:26.32 0.net
- >>156
力が一次元(高校物理)の場合、力を位置で積分すると、
運動エネルギーの差になりますね。
これはすぐ出来ました。
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