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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

597 :お前もな:2022/01/12(水) 10:16:47.64 0.net
そのための「馴合いの相互強制/矯正」≒「畜群倫理」でしょう

598 :まあ酒でも飲め:2022/01/12(水) 10:25:46.59 0.net
結局は、正常性バイアスが働くように互いに強制力を働かせる
ことにより、さもなければ、それに気づいて意識せざるを得ない
不快な不調和に自らの感性が働くことを麻痺させたいということ。

599 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 10:37:36.63 0.net
なにごとも心の趣くままであるなら、呼応関係の「心地よさ」/"accord"が
保たれて、本来的に違和感の識別として働く「意識」が生じることは
ないのです。呼応関係の「心地よさ」/"accord"に対する不調和が、
互除法の操作において「残差」の反転が繰り返されるように、意識され、
「かむ(神)・か(交)へ/考へ」られるべきものとなる。

600 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 10:50:38.50 0.net
おもしろいことに、ポルトガル語では、"acordar"の方が、「意識が戻る」
ことや「気がつく」ことを意味するように用いられるという反転が生じて
いるんだよね。

601 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 11:05:11.85 0.net
https://www.etymonline.com/search?q=accord
accord (v.)
Origin and meaning of accord
early 12c., "come into agreement," also "agree, be in harmony,"
from Old French acorder "agree, be in harmony" (12c.), from
Vulgar Latin *accordare "make agree," literally "be of one heart,
bring heart to heart," from Latin ad "to" (see ad-) + cor
(genitive cordis) "heart" (used figuratively for "soul, mind"),
from PIE root *kerd- "heart."

602 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 11:09:18.14 0.net
https://en.wiktionary.org/wiki/acordar

From Old Portuguese acordar, from Vulgar Latin *accordō.
Sense of "to wake up" was possibly influenced by Latin cordatus
(“wise, prudent”), which would yield *cordado if inherited.

603 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 11:12:33.80 0.net
493考える名無しさん2022/01/10(月) 10:19:53.800
1.0=(x^α)/(x^α)=x^0=1
分母と分子のx^αの間の「原始」の呼応関係は、
不特定の同一性を表す1によって代表させても、
変化がみられないことを表す指数の0によって代表させてもよい。
食べ物を何も味わっていないときの舌も、味覚が麻痺しているわけではない。
味覚について特定の変化を意識させない不特定の同一性の状態(心地)に
保たれているだけである。

604 :塩なめくじ:2022/01/12(水) 12:06:06.38 ID:dM8c2MU40.net
分母の因数にxを持ってくるときはx≠0を明記してくださいね。

605 :時計 :2022/01/12(水) 12:45:06.01 0.net
>>594
私は、「病める畜群」という表現はどうかと思いますが。
面と向かって言えますか?
だから、ニーチェは政治家には向いていないと思います。

606 :時計 :2022/01/12(水) 12:53:29.96 0.net
>>594
「予定された」は「救済者」等にかかると読んでいました。

607 :時計 :2022/01/12(水) 12:58:49.45 0.net
>>596
相手に敬意を払うこと、暗黙知に敬意を払うことかもしれません。

608 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:22:56.94 0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/判断力批判
>本書の主要概念である「趣味判断」(または「美的判断」)とは、
人間が物事の美醜を判断する際、その判断の基準は個人の趣味
(ドイツ語: Geschmack ; 英語: taste)であるということを意味する。<

カントに依拠するまでもなく、「よし/あし」の区別は、その最も基本に
おいて、何らかの感覚の変化が「心地よき」/"agreeable"方に向かふもの
であるか、「心地あしき」/"diagreeable"方に向かふものであるかの
区別でしょう。最終的に完全に呼応関係の「心地よさ」/"accord"が
もたらされて、「心地あしき」ものである不調和が解消されたなら、
満足がもたらされ、物事を知覚し、認識するするものとしての意識の
働きは「わす(忘)れ」られる。

609 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:34:03.06 0.net
ここで留意しなければならないのは、意識の働きが「わす(忘)れ」られる
ことは、「意」が消滅することを意味しているわけではないということです。
そうではなく、「意」は「やすらふ」のです。

>446Wille zur Macht2022/01/04(火) 22:50:24.540
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」<

https://www.etymonline.com/search?q=agree
agree (v.)
late 14c., "to give consent, assent," from Old French agreer "to please,
satisfy; to receive with favor, take pleasure in" (12c.), a contraction
of phrase a gré "favorably, of good will," literally "to (one's) liking"
(or a like contraction in Medieval Latin) from a, from Latin ad "to"
(see ad-) + Old French gre, gret "that which pleases," from Latin
gratum, neuter of gratus "pleasing, welcome, agreeable"
(from suffixed form of PIE root *gwere- (2) "to favor").

610 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:46:14.39 0.net
これは、ここに引用する語源辞典の記載とも異なる私自身の異端的な解釈
ですが、私は、フランス語の《regret》に見られる"gret"も、《regretter》
という表現が日本語の「を(惜)しむ」にきれいに対応して「意に反する現状」
を指し示すように用いられることから、"agree"について記載される解釈と
同様に、>Old French gre, gret "that which pleases," from Latin gratum,
neuter of gratus<に対応するものと考えています。また、そのように
考えると、エマソンの>true gratitude is to do what you can.<という
表現も、十全に理解できるのではないでしょうか。

611 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:48:42.00 0.net
>>608
誤:認識するするもの
正:認識するもの

612 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 13:53:25.16 0.net
>「予定された」は「救済者」等にかかると読んでいました。

もちろん「救済者」にかかるでしょう。「救済者」の役割が予定されたもの
であるなら、「救済されるべき病んだ畜群」が生じることも、その仕組み
において同様に予定されていることになります。これにかんしては、
『善悪の彼岸・道徳の系譜』の方を参照してください。

613 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 14:51:25.18 0.net
>だから、ニーチェは政治家には向いていないと思います。

ニーチェは、政治指導者などになろうとしてはいない。
そのことは、ニーチェ本人が明言している。
ニーチェが何かの政治思想を訴えることで人々を導こうとしている
と考えることは、ニーチェの著作を根本的に読み違えていることになるだろう。

614 :時計 :2022/01/12(水) 15:19:25.82 0.net
>>613
まあ、それはそうですが。

615 :時計 :2022/01/12(水) 15:22:01.25 0.net
>>612
その予定には運命論的なものを感じます。畜群が畜群であるのも運命なのか……

616 :時計 :2022/01/12(水) 17:28:05.84 0.net
>>614
なりたいなりたくないじゃなくて向いていないということですね。

617 :時計 :2022/01/12(水) 17:34:24.76 0.net
>>612
しかし、病んだ畜群という言葉はどうにかなりませんかね……

618 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 18:15:29.21 0.net
私には「病める畜群」というのは、適切な表現であるように思えます。
「病気」のことを古語では「なやみ」と表現しました。
「なや・む」の「なや」は、ヤ行の活用から推察されるとおり、
「あしなえ(蹇・跛)」の「なえ」や「な(萎)え」と共通であり、
「な・ゆ」を活用して派生させたものであると考えられます。
「な・ゆ」は、支える力が抜けていくようなイメージで捉えることが
できると思います。力が失せていくと自らを支えられない。
支えられないなら、支えようとしている活動の方を縮小してゆけばいい。
それが禁欲主義であり、そのように導くのが「病める畜群の予定された
救済者」の役割です。だから、普通、そのような「救済者」の役割を
自認する者は、我が身の血となり肉となると考えられる肉食を断つのです。

619 :時計 :2022/01/12(水) 21:18:15.21 0.net
>>618
「病める」は語源を出すまでもないでしょう。
「病にある」ということだと思います。
現代の平均的市民は結構健康的だと思いますが。
あと、「畜群」という表現はどうなのか。

620 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 22:30:56.83 0.net
なよなよしい

621 :考える名無しさん:2022/01/12(水) 23:09:42.58 0.net
ようやく訪れた»Genesung«の時を「直毘神(なほびのかみ)」の来訪として言祝ぐ

622 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 03:44:09.70 0.net
>>619
>>618を救済してやれよw

623 :時計 :2022/01/13(木) 06:22:04.45 0.net
>>622
618さんは救われることは侮蔑的だと感じそうですね。
私は救われるものなら救われたいですが。:)

624 :時計 :2022/01/13(木) 06:27:22.86 0.net
>>623
救いというか、真面目に考えると、
禁欲主義者は快楽主義者をアホだと思うし、
快楽主義者は禁欲主義者を「萎え」だと思うし、
ここを超えて行くことは大事なのかもしれませんね。

625 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 06:32:33.75 0.net
人を救うことも欲になるがなw

626 :時計 :2022/01/13(木) 08:06:36.01 0.net
>>625
禁欲主義に導くのが欲だとすると目も当てられませんね。:)

627 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 08:19:08.18 0.net
ニーチェは、意欲を肯定しているのですよ。
良心の呼び声/悪の誘惑という対比について考えてみましょう。
良心の呼び声と悪の誘惑はどこがどう違うのか。

悪の誘惑とは、自らの欲を満たしてくれるものに誘われるままに
行動することが、一時的な快楽をもたらして我を忘れさせると
しても、最終的には意に反する「心地あしき」/"diagreeable"
結果につながる、そのような働きをする誘いかけ/呼び声のことでしょう。

それに対して、良心の呼び声とは、それに応じて行動することが、
自らが欲しない痛みや苦しみが生じることを一時的に、または
恒常的に伴ふとしても、最終的には、それを耐え忍ぶに十分に値し、
支払われる犠牲を上回る報酬として、意に沿ふ「心地よき」/
"agreeable"結果につながる、そのような働きをする誘いかけ/呼び声
のことであると考えられます。

すると、良心の呼び声/悪の誘惑の対比は、結局のところ、それに
応じることが、意に沿ふ「心地よき」/"agreeable"結果をもたらす
(自分の命を犠牲にしてでも自分が大切にするものを守るという場合も
含め)か、それとも意に反する「心地あしき」/"diagreeable"結果
をもたらすかという判定基準に基づいていることになる。

628 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 08:26:23.96 0.net
>禁欲主義に導くのが欲だとすると目も当てられませんね。:)

ニーチェは、禁欲主義は、「欲」を満足させる可能性を見失った「病める畜群」
の「欲」を救う方策であると指摘しているのです。

>人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する...
『善悪の彼岸・道徳の系譜』、ちくま学芸文庫、p.584

629 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 08:39:53.64 0.net
>いっそむしろ虚無を欲する

虚無を欲しても無論、何も得られないが、
「欲すること」だけは救われる、「欲することはできる」というわけです。

630 :時計 :2022/01/13(木) 08:47:57.86 0.net
>>627
意欲は大切ですね。
良心の「呼び声」ということがポイントでしょうか。
宗教的なものを感じます。
近視眼的な善は良くないですね。
私の良心の呼び声はしっかりしているといいのですが。

>>628
消極的禁欲主義と積極的禁欲主義がありそうですね。

631 :時計 :2022/01/13(木) 08:50:01.72 0.net
>>629
虚無を欲すという言い方はややこしいですね。
寧ろ、無いから欲するわけで。

632 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:14:24.76 0.net
ニーチェの言っていることは、日本語で考えるならとても簡単なのです。
それを分かりにくくしているのが、西欧哲学の言語使用の実践であり、
西洋哲学の言説を、日本語で考え直すことをせずに、そのまま日本語
の表現で置き換えようとする翻訳です。

最初から日本語で考えるなら、「水を!」というのが水を「欲する」
ことでしょう。ここで、「〜を!」は、「〜」を求める呼びかけです。
しかし、いくら「水を!」と呼びかけても、誰も/何ももそれに応へて
くれないならその呼びかけは無駄に終わり、「むな(虚)しさ」だけが
心に残る。すると、「水を!」と呼びかけることそのものを諦めて
しまう。それが日本語の古語の表現をそのまま用いるなら、
「いき(息)の『を(緒)』」、「たま(魂)の『を(緒)』」が
「た(絶)へ」るということであり、現代の一般的な日本語にするなら、
「生きる意欲」が失われるということです。「生きる意欲」を失った
人々は、生きることには苦痛でしかないと感じるようになり、
死ぬまで終わりのない耐えがたい苦難に直面していると感じるなら、
自ら命を断ってしまうことになる。そのような人々が「病める畜群」
です。その「病める畜群」の救済者として予定されているのが、
禁欲主義的僧侶であり、禁欲主義的僧侶は、自らが模範を示して、
人々が現世における何らかの対象を欲する代わりに、つまり、
「〜を!」の「〜」に現世的な事物を代入する代わりに「無」を
代入するように人々を導くのです。呼びかけが「無を!」であれば、
それに応へるものとして何も手に入らなくても呼びかけが無駄に
終わることはない。つまりは、生きる意欲である「〜を!」そのもの
が救われることになる。

633 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:15:00.89 0.net
しかし、ニーチェは、そのような禁欲主義的僧侶の導きが、形式的に
「〜を!」=意欲を救うとしても、それが「無を!」という呼びかけ
に従うように人々を誘い込むものである以上、結局は、「病める畜群」
の病状を恒常化させ、深刻化させることにしかならないと批判して
いる。そこで、ニーチェが。やまひ(病)を癒へるために必要である
としているのが、「〜を!」の「〜」に「無」を代入することを
拒絶し、その「無」を「できること」、すなわち、»Macht«で置き換える
ことです。それがまさしく、ニーチェの»Wille zur Macht«/「できることを!」
という表現の意味に他ならず、これはエマソンの次の表現をそのまま
受け継ぐものであるものと見ることもできる。

"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

さらにここから、

>457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」<

という関係を導くこともできる。

634 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:16:53.18 0.net
誤:西欧哲学の言語使用の実践
正:西洋哲学の言語使用の実践

635 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:18:36.29 0.net
誤:やまひ(病)を癒へる
正:やまひ(病)が癒へる

636 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 10:24:41.26 0.net
このように見ると、»Wille zur Macht«を「権力への意志」などと訳す
ことが、本当は容易に理解できるはずのニーチェの言説を解釈することを
いかに無用に困難にしているか分かるでしょう。また、日本語の古語と
ニーチェの表現の対応関係を見るなら、日本語は哲学をするのに向かない
言語であるなどという、日本語の哲学研究者によってさえしばしば
なされる主張がいかに馬鹿げたものであるかも明白となるはずです。

637 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 11:01:13.91 0.net
誤:生きることには苦痛
正:生きることは苦痛

638 :でこすけ:2022/01/13(木) 12:19:09.41 0.net
>>573
>知ったら後悔するほどの「本当に知りたいこと」が本当なら
>それは一体なにか?関心を持つのが普通かなと思います
今更ながら私の言葉が足りなかったようで申し訳ありませんになりますけど、
「知ったら後悔すること」について、
あの時点では哲学的知識に限らず、もっと一般的なことを想定していました。
一般的に言って「クビを突っ込まなければよかった」というのは哲学者に限らず
誰にでもあり得ることだと思います。

ところで私としては「知ったら後悔すること」よりも 「知ったら怖くなること」
の方に関心があるので、 ご指摘のことについては貴重な意見として受け止めさ
せていただいているつもりです。
私(でこすけ)に限らず誰にでも普通とのズレがあるとは思いますが、
私にも自分ではけっこう自分の感性が普通だと思っている傾向はあるので
そのような視点は大変興味深いところです。恐縮です。

639 :時計 :2022/01/13(木) 12:27:40.78 0.net
>>632
息の緒が絶へるや魂の緒が絶へるより、
生きる意欲が失われるの方が私には解りやすいです。:)
生きる意欲……ご飯が美味しいというだけで
楽しく生きる人もいるとは思いますが。
ニーチェは何故病める人々に畜群とキツく当たるのか不可解です。
生きる意欲のない人々は、「生きる意欲を!」と
日々心懸けていればいいのではないでしょうか。
私は似たような言葉として、「克己心」という言葉は好きです。
また、キリスト教的な、聖霊が導いてくれるという考えを
毅然と否定する必要性もよく解りません。

640 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:07:26.83 0.net
>誤:やまひ(病)を癒へる
>正:やまひ(病)が癒へる

病を「癒(いや)す」という表現から考えて、「癒へる」ではなく、
「や行」の活用(「ゆ」の活用)で「癒える」とすべきでした。
訂正します。

641 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:12:28.34 0.net
>ニーチェは何故病める人々に畜群とキツく当たるのか不可解です。

予定された救済者におとなしく従順に誘導され、同じように誘導されない
者に憎悪を向けるからですよ。

642 :でこすけ:2022/01/13(木) 13:16:49.47 0.net
>>574
これまた例によって栗本慎一郎なんですけど、
確か彼が一躍世間に名前を売った『パンツをはいたサル』だったと思います。
彼によると執筆の動機は「怖いことを自分の中にだけしまっておくことに
耐えられなくなった」みたいなかんじのはなしでした。
それがどこまで本当なのかはともかく私がクリモトから学んだ最も重要なことは
「真理というのは怖いことだ」ということだと考えることにしています。
実際に私もクリモトの本を読んで怖くなったのです
(中毒症状もあったわけです)。

643 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:17:10.51 0.net
ただしこの「コワい」という感覚も「真理」とは本質的には関係ないものだ
という認識はあるつもりです。
私がたまたま知っているのは物理学者のラザフォード先生のエピソードです。
ラザフォード先生は原子核を発見した人で
それはつまり原子の構造を解明したということになるようです。
当初は原子の中に電子などがどのようにして収まっているのかが
もちろんわからなかったわけですけど、彼がその問題に決着をつけたわけです。
そして、そのことは優秀な物理学者が大勢輩出された時代であり
研究の成果は早いものがちのような風潮がある中だったので、
つまり競争に勝ったみたいなところもあったようで、
後にお弟子さんが「原子核を発見したときは嬉しかったでしょ?」
と聞いてみたという話があります。
物理学者もやはり人の子で、そういうことにも関心はあるようです。
ところがラザフォード先生は「むしろコワくなった」と答えたというのです。
「世界に隠されていた真理を知ってしまった!」
という感じでしょうか、このことは私には大変興味深いことのように思えます。
もちろん今の科学的認識からすればいろいろなことがあるかもしれません。
しかしこのことから言えるのは「知識は人間にとって脅威になり得る」
ということだと思います。

さて、個人的にはここで気になることがあります。
この「畏怖」は偶然なのか必然なのか、
つまり何らかのシステムが私達から真理を遠ざけるためにそのように設定した
のか否かです。
私達が地震だの雷だのをコワいと感じるのはそのように設定されたからだと思う
のですが、真理も同様にヤバいものとして登録されているということでしょうか?
意識の構造が気になってくるところです。

644 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:17:53.46 0.net
呼びかけの「〜を!」は、フランス語の《vouloir》に相当するわけですが、
私自身の以前の書込みを引用しましょう。

851考える名無しさん2021/05/30(日) 07:25:39.320
>>788
>「後悔」を表現する《s'en vouloir》の関係を考察してみるなら

ここでは、辞書の記載そのままに、《s'en vouloir》が「後悔」を表現する
としたが、文章表現において実際に訳語をどう当てるにせよ、その表現の論理と
しては、フランス語が再帰表現なのだから、その対応関係を意識すべきであり、
《en vouloir à qn》が、「(人)を恨む」ことを表現するのに対応して、
《s'en vouloir de 〜》は、「自分を恨む」ことを表現しているとまずは解釈
した方がよい。
したがって、
《Je m’en veux d’avoir fait cela.》は、「それをした自分をうら(恨)む。」であり、
《Il s'en voulut de sa stupidité.》は、「彼は自らの愚かさをうら(恨)んだ。」である。

645 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:18:45.90 0.net
852考える名無しさん2021/05/30(日) 08:53:04.170
したがって、ニーチェが、禁欲主義的な僧侶の「をし(教)へ」に従うことを
畜群倫理として批判するとき、ニーチェは、人々が「恨みを抱く」ことを
単純に批判しているのではない。そうではなく、ニーチェがまず指摘して
いるのは、その「をし(教)へ」が導こうとしているのが、苦悩している人々
の抱く恨みの方向転換、すなわち、苦悩していて、そのことに対して
恨みを抱くなら、「自分自身を恨め」という方向転換であることである。

しかし単に、苦悩している人々に「それは自業自得だ」と説いてもすんなりと
受け入れられるはずはない。では、その方向転換は、どのように動機づけられる
のか。それは、苦悩している人々に対して、「その苦悩は、あなた自身の
せいだ(罪/負債によるものだ)」と呼びかけるのではなく、「その苦悩は、
あなた自身を含む、あらゆる人々のせいだ(罪/負債によるものだ)」と諭す
ことによってである。そのような呼びかけによって、苦悩する人々にとって、
「決して返済することのできない『罪/負債』」が、自らを含め、あらゆる
人にあると率先して認めようとすることが、自らに有利に働くように見える
「負い目の遠近法」が与えられるのである。そのような「をし(教)へ」が
人々によって受け入れられることによって確立されるのが、「罪/負債」
の一方向化であり、苦悩する人々が、「自分自身を恨め」という恨みの
方向転換に、「負い目の遠近法」を利用してあらゆる人々を巻き込もうと
することの正当化である。

646 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:21:12.13 0.net
852考える名無しさん2021/05/30(日) 08:53:04.170
しかし、そのような「をし(教)へ」による導きには、解消され得ない
根本的な矛盾がある。というのも、「決して返済することのできない
『罪/負債』」があらゆる人々にあるとしても、その「罪/負債」の
方向性は、まさにそのことによって誰にも定めることができないはず
だからである。「をし(教)へ」が、そのような「罪/負債」の一方向性
をあらゆる人々が認めさせようとするなら、その導きは、「罪/負債」
の方向性を定めることができる「神の代弁者」、ニーチェの表現を
借りるなら、「神の腹話術師」(それが制度宗教を離れた脈絡では、
「科学者」、「専門家」と呼ばれるとしても)を必要とするのである。

647 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:22:07.75 0.net
825考える名無しさん2021/05/29(土) 09:25:26.330
さらに、このような負い目の遠近法は、自発的従属による全体主義的な便乗
の暴力崇拝と極めて親和性の高いものなのではないか。

648 :でこすけ:2022/01/13(木) 13:22:52.28 0.net
>>643
これはでこすけでした。

ちなみに「恐怖」は脳の中でも「脳幹」と呼ばれる
もっとも原始的な部位で感じるということを聞いたことがあった気がします。
「恐怖」は人類が誕生するずっと前からあった可能性があるということです。

649 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:28:12.13 0.net
「絶へる」の方も「絶やす」から考えるなら、「絶える」ですね。
訂正します。

日常の地の文で旧仮名遣いを使うことを習慣としていないので、
他のことに気をとられて書いていると、どうしても混乱してしまいます。

650 :考える名無しさん:2022/01/13(木) 13:39:40.71 0.net
「負い目の遠近法」を不特定多数の人々に押し付けようと日々活動
しているのは、どのような社会的立場にある人たちでしょうか?

651 :時計 :2022/01/13(木) 18:56:13.92 0.net
>>641
私の知っているクリスチャンは憎悪しませんよ。

>>642-643
怖くなった事は、例えばどのようなことでしょうか。
ラザフォードの場合は、科学史に名前が残ることへの畏怖ではないでしょうか。
知識自体に畏怖はあるのかな。

652 :でこすけ:2022/01/13(木) 21:22:08.24 0.net
>>651
たとえば私たちが「見えざる手」のコントロールを受けているかもしれない
というのは怖いことではありませんか?
自由意志で選択したつもりでいてもじつは暗黙のうちに選ばされていたりする、
ひょっとすると何者かによるステマに影響を受けていたりなんかするのは
とてもヤバいことのような気がします。
クリモトで印象に残っているのは「都市」についてです。
都市の造りには人間の深層意識が反映している、
たとえば世界中で人間には「聖なる空間」を作り出す習性があるとか、
これは京都でも東京でもそういう傾向があることが地図からでもわかりますし
私が生まれ育った町でもそうなっていたというのは
(そして実際にそこに行ってみると確かに独特の雰囲気があったりします)
何者かによるコントロールを受けているようで
なんだか怖いことのような気がしたものです。
ちなみにそういったことを抽象的に表現すると
ズバリ「自分の正体」になると思います。
「世界」は自分の鏡像かもしれませんからそういう意味でも真実は怖いもの
ということになります。
ただし「自分の正体」は「楽しい知識」でもあり得るものです。
自分について知りたいと思う、
このスレを見ているような人はつうしんぼとか楽しみだったクチではないか
と思うのですが、いかがでしょうか。
なんとも微妙なお話です。

653 :でこすけ:2022/01/13(木) 21:48:39.36 0.net
原子の構造について、私たちは学校で教わったりするわけですけど
たぶん「へえ、そうなんだ」くらいのものだと思います。
しかし人類史上で初めてそのことを突きとめた人にとっては
何か取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない
という感覚があっても不思議でないと私には思えます。
神の存在を信じていない人であっても
天罰が降るような「コワさ」を感じることはある気がします。
あるいは宗教などでもある種の知識をタブーにすることがあるようですが
「知識」というよりも「知ろうとすること」がヤバいのかもしれません。

654 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 01:08:01.98 0.net
対象として目の前にあるように見える事物は、「目の前にある」/
»vorhanden sein«という在り方をするよりも先にまず、「呼びかけの『を』」
に呼応する「こた(応)への『を』」として現れる。その現れ方を説明するための
アプローチとして、特に「て(手)ごた(応)へ」を利用したのが、ハイデガーの
「手頃にある」/»zuhanden sein«という表現であると考えることができるが、
日本語では、作用を働かせる対象物は「〜を」として示されるので、日本語の
表現の用法そのものにより、ハイデガーの説明よりもさらに一般的なレベルで
既に哲学的な解決が示されてしまっているとも言える。

655 :時計 :2022/01/14(金) 01:21:30.76 0.net
>>652-623
見えざる手に関しては、私は運命論者ですから、
あまり怖くないかもしれません。
都市に聖なる場所のあることは、まあ文明かなと思います。
「自分の世界」という考えは、面白いですね。
あまり怖くないかもしれません。

神に、「それで正解だ」と言われたら畏れ多い、
そういうようなことかもしれませんね。
私は神や聖霊の存在は信じていますから、
そういうようなことがあっても不思議ではありません。

656 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 04:50:07.17 0.net
>>653
ガキの頃からそうか?
違うならただのトラウマだw

657 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 09:19:09.48 0.net
>>653
宗教が「知識」と呼ぶのはただの嘘だからな
それに対して科学上の知識に対して恐れる必要はないし、恐れるような人はいないんじゃないか
原子の構造が分かったくらいでなぜビビるのか分からん

658 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 09:44:07.25 0.net
畏れも怒りもともに解消されるべきものであって、それを抱えつづける
ことが正しい畏れ、正しい怒りなどというものはないのです。

「怒っている」/"angry"相手が「恐ろしい」/"fearful"であるように、
怒りと畏れは表裏の関係にある。
「怒り」とは、「心地あしき」/"diagreeable"さは(障)りをもたらす
ものを委縮させて無化しようとするように振る舞ふことであり、
同様に、「畏れ」も「心地あしき」/"diagreeable"さは(障)りを
無化しようとすることですが、「怒り」とは逆に、みづから(身づ柄/自ら)
が委縮することによって、さは(障)りが生じるのを回避しようとする
ように振る舞ふことなのです。その回避がうまくいかないところで
「ねぎ(禰宜)」/"appeasement"(「ねが(願)ひ」はその再帰形)が
執り行われる。

659 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 09:47:14.56 0.net
誤:"diagreeable"
正:"disagreeable"

誤りをコピペしていたので、気づかないまま、ずっと誤記を複製しつづけてしまいました。

660 :でこすけ:2022/01/14(金) 10:51:28.48 0.net
>>657
その昔『羊たちの沈黙』というサイコホラー映画がありまして、
私は淀川長治氏の解説のテレビ番組で見たんですけど
その解説が大変印象に残っています。
物語はいわゆるシリアルキラーを扱ったものでしたが
解説によると本当に怖いのはそのような人たちではなくて
むしろそのような人たちに対して「沈黙している羊たち」だというのです。
いつ56されるかもわからないのにまったく危機感ゼロというのは
淀川氏が言う通りコワイコワイおはなしのように私には思えます。

ただ、このコワさが多くの人にとってわかりにくいものかもしれない
というのはわかるような気がします。
ことさらな危機感を持たなくても生きていける、
豊かな社会というのはそういうもののようです。

661 :でこすけ:2022/01/14(金) 11:04:10.04 0.net
>>658
>正しい畏れ、正しい怒りなどというものはない
私も以前だったらそう考えたかもしれませんけど
最近考え方を改めました。
世界は善によって治められるべきだと思っていたのですが、
あるいは最後には善が勝つと思っていたのですが、
どうやら善と悪とでバランスをとっていくのが正解のように思えてきたのです。
これは善と悪というよりもライトサイドとダークサイドというニュアンス
かもしれません。
いずれにしても行ったり来たりすることに意義がある気がするのです。
どうやら『スター・ウオーズ』の影響のようです。

662 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 11:08:02.10 0.net
>>661
「悪のあるべきかたち」などは有るわけが無いけれども
「善のあるべきかたち」というようなものも無い、
ということでしょうか。

663 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 11:40:35.54 0.net
「神の怒りに触れる」というのも、「人々が何か神によって定められた
特定の決まりごとに違反する行為をした」ということではなく、
何か恐ろしい("fearful")出来事が生じて、その恐ろしい出来事を
「畏れる」ことにより、それが何かの「さは(障)り」によって
もたらされたものと解釈され、いずれの神にとって、またどのように
して「心地あしき」/"disagreeable"さは(障)りが生じたのかが
探られるのです。それをうまく探り出すことができる者が優れた
「かむ(神)なぎ/巫」とされる。

664 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 11:49:30.80 0.net
>>663
このように考えると、欧米の思想哲学の言説が、いかに神学を脱しようと
する試みをずっと続けてきたにしても、いまだに制度化された一神教の
神学の重力圏をうまく脱することができていないことが見えてくるでしょう。
そのことは、最近のコロナ禍や環境問題に対する欧米の思想哲学の言説にも
典型的に見てとることができるのではないでしょうか。

665 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 14:58:01.60 0.net
>>638
なぜに一般的なことを想定して、「知ったら後悔するほどの本当こと」
云々と書き込んだのかわかりませんが、ようするに
知ったら後悔するほどの本当に知りたいことを、実際に体験して
知ってしまった話がもとネタになってたわけじゃないんですね
科学史に名前が残るほどの事を発見したラザフォードと
重ね合わせたかのような表現に見えて、盛大に誤解してしまいましたw
まぁ、実際発見していないうちから想像してもしょうがないんじゃないですか

666 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 19:35:16.73 0.net
>At this moment, the desponding patriot says, the present is
full of fear; but in all ages the present is full of fear.<

Ralph Waldo Emerson, "Selected Essays, Lectures and Poems", p.81

667 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 22:21:45.97 0.net
いちばんおまえらが恐れなければいけない現実は人はいずれ死ぬということだけどなw

668 :考える名無しさん:2022/01/14(金) 22:39:47.73 0.net
いずれ死ぬにしても人は自分の死を意識できない、従って生きている間から死を恐れるでない不毛すぎる

669 :考える名無しさん:2022/01/15(土) 04:19:01.89 0.net
自分だけは死なないと思ってるのかこのパイパンはw

670 :考える名無しさん:2022/01/15(土) 08:47:17.01 0.net
少なくとも宗教教義が真理=知識と思っているアホには哲学はできないw

671 :考える名無しさん:2022/01/15(土) 09:19:36.54 0.net
より重要なのは、宗教(神学を含む)であれ、哲学であれ、科学全般を
含むその他の学であれ、制度化するとはどのようなことなのかを
しっかりと省察することだろう。制度化は統治形態と直結している。

672 :時計 :2022/01/15(土) 09:47:29.60 0.net
>>671
宗教に関しては、当事者に任せるしかないかもしれない。
その結果、カルトのようなものが現れるとしても、
自由はそれよりも尊いだということだろう。
伝統的宗教の他はカルトだというのは言い過ぎかもしれないが、
長い年月の間、存続してきたことには価値はあると思う。

673 :考える名無しさん:2022/01/15(土) 10:34:15.66 0.net
>Anger's my meat. I sup upon myself,
And so shall starve with feeding.<

William Shakespeare
1608 Volumnia. Coriolanus, act 4, sc.2, l.53-4.

674 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/01/15(土) 10:38:03.70 0.net
青白き震える焔。

675 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/01/15(土) 10:52:59.52 0.net
殺陣とホコ天

676 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/01/15(土) 10:53:33.66 0.net
ゼノンのパラドクスは練り不足。

677 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/01/15(土) 10:55:57.41 0.net
青いヒノカクグチ 合体銃ブラフマーストラ。

678 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/01/15(土) 10:57:15.74 0.net
聖呪殺 ハンマムド みたいな魔術もあるで。攻撃回数〜6

679 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/01/15(土) 10:57:37.98 0.net
みたいにハープレすればいいじゃん。

680 :でこすけ:2022/01/15(土) 13:00:05.65 0.net
>>671
私としても、たぶん、そういうことなのだろうと思います。

すると率直にうかがってみたくなるわけですけど、
671さんは制度とはどのようなことだとお考えになりますか?

ちなみに私の考えですけど、一番大枠のざっくりになりますが、
それはアイデンティティを維持するための“手段”だと思います。
「統治」にからませて言うと、「統治」というのは統治する側以上に
統治される側のアイデンティティを確保するシステムというかんじです。
この考え方は「世界」を「意味の階層」として解釈することを前提にしたものです。
私にはこの前提がとりあえずしっくりくる気がします。

681 :悔い改めよ:2022/01/15(土) 13:15:13.96 0.net
>>673
「後悔」や「悔恨」というのは、みづから(身づ柄/自ら)に
「悔い」/"remorse"/»Gewissensbisse«を生じること「=(く(食)ゆ)」
であって、それは、みづから(身づ柄/自ら)に向かふように
方向転換された怒りでもあるのですよ。

682 :でこすけ:2022/01/15(土) 14:04:36.45 0.net
「意味の階層」の付近について

私は、私が認識する世界は意識の外側がまんま反映されているものではなく、
認識する側が意味を与えているものだ、という考え方の方を支持します。
たとえば目の前にセザンヌのリンゴの絵があるとしましょう。
しかし私たちは「リンゴ」というものを知らなければ
そこに「リンゴ」と「その背景」との境界を見出すことはできないでしょう。
私には「リンゴ」というのは客観的な「存在」ではなく
主体によって意味を与えられた「意味」にすぎないもののように思えます。
これは「リンゴ」という物体は存在していないという意味です。
それが実際に存在しているかのような気がするのは
それが共同幻想であるためだと考えます。

私としてはそれが実際に存在しているかのような気がする理由にはもうひとつある
と考えます。
それは「色(映像)」というものは意識が無くてもある気がするということです。
私が漠然と思うに、「色」というものも「リンゴ」と同様に
それが「色」というものであることを知らなければ「色」は成立しない気がするのです。
「主体」は誕生した瞬間、周囲の雑多な情報をとりあえず的に受け止めるだけのもので、
つまり初めは「色」も「音」も「感触」も区別がつかない状態のような気がします。
もはや全く情報が混沌としている状態です。
しかしやがて「色」を「色」として「音」を「音」として区別できるようになります。
これはそれぞれの感覚にそれぞれの意味を与えるということだと思います。
たとえば舌に感じる「痛み」は場合によっては「辛さ」として認識されます。
感覚は客観的要素のみで生じるものではなく、主体がかかわるということです。

683 :でこすけ:2022/01/15(土) 14:07:29.11 0.net
>>682のつづき
さて、それでも意識の外部には主体が存在するしないにかかわらず
「色」や「音」はある気がします。
生まれたばかりの「主体」はそれを知らないだけというかんじです。
しかしもうちょっと考えたとき、これは本当にそういうことなのだろうか
という疑問を持ちます。
私たちが認識する「世界」は私たちが存在していなくても成立しているのか、
あるいはそれは私たちが「外側」を解釈したものに過ぎないのか、
私にはそれは私たちの心の中でしか成立していないもの(共同幻想)
のように思えるという、要は私個人の印象です。

私が認識している「世界」は、先ず私が居て、それから私以外のものがあるのではなく、
先ず私以外の何かが存在していて、その流れで私も存在しているように思えるのです。
ただし「私以外の何か」というのは普通イメージされているものとは全く違うもの
というのが私の印象です。
「人間がいなくても認識されている通りの世界は存在する」という考え方には
じつは先ず人間が存在していることが暗黙の前提になっているように思えます。
ややこしいですけど。

684 :でこすけ:2022/01/15(土) 16:27:52.83 0.net
>>546
私は人間の社会が必ず良い方向に向かっていくとは思いませんけど
しかしある程度で意図的にそちらへ向かわせることは可能であろうとは考えます。
鍵になるのは経済的な豊かさ、つまり「衣食足りて礼節を知る」というやつです。

たとえば縄文時代の列島社会はたいへん治安(?)がよかったのだろう
と考えられているようです。
縄文時代の遺構から人を56せる威力が発揮できる道具が発掘されていないため
そのように解釈されているとのことですが
(海外ではそのようなものが普通に出てくるそうです)、
とにかく列島は自然が豊かだったでしょうから金持ちけんかせず状態だった
というのもうなずける気がするところです。
ただ、貧困と貧乏は違うという考え方もあるようですから、
たとえば幕末だか明治だかに来た西洋人が当時の農村を見て
貧しいけれどもみんながニコニコしていたみたいな記録を残したりしていて、
物質的な豊かさだけが全部ではない気もしますけど、
しかしやっぱり貧すれば鈍する可能性は高くなる気もします。
これまたややこしいところです。

ただまあ単純に、誰かがひもじい思いをする世の中は是正されるべきだ
という、ありきたりな結論があってもいい気はします。

685 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/15(土) 16:50:20.79 0.net
「意味の階層」
モダリティ関連かな、とも思う。
「階層意味論」などというものもある。
モダリティは「主観性」でもあるのだが、それはsubjective modalityであり、
objective modalityも考えられる。
「可能性」のようなものは、objective modalityだとされているが、
客観性があるものなのかどうか、ということは、疑問だ。
「可能性」であっても、「主観性」で捉えて/捕らえて/囚えてwしまってもかまわない。

686 :でこすけ:2022/01/15(土) 16:50:28.89 0.net
>>684
私はここでもっぱらマルクスを引っ張ってきます。唯物史観です。
ただ、マルクスがみんなで働いてみんなで分け合うことを理想としたことに
若干のいちゃもんをつけたい気持ちがあります。
私は普通の人の理想はぶっちゃけ土鈴経済だと思うのです。
もちろん自分は主人になるのであって土鈴になりたいわけはありません。
しかし土鈴はまんまだとAIに引っかかるかもしれないヤバいものですから、
ところがここでAIが登場するわけです。
土鈴経済ならぬAI経済です。
AIが富を生み出し人間がそれを消費する社会、ベーシックインカム万歳、
シンギュラリティはネガティブなイメージですけど、私はむしろ良くなる気がします。
もちろんそうなったらそうなったで何かの社会問題が生じるでしょうけど
その時代にはその時代に相応の天才たちが現れるでしょう
(私たちはその天才たちの先駆者になれたらいいと思います)。
私ははなはだ楽観的なのです。

687 :でこすけ:2022/01/15(土) 17:08:31.20 0.net
>>685
なるほど「可能性」は確かに不可解です。
たとえば世界の始まり以前がどうだったのかがよくわかりません。

パクらせていただきたく存じます。

688 :考える名無しさん:2022/01/15(土) 17:26:37.32 0.net
世界の始まり?
脳が悪魔に支配されているカルト信者に哲学は無理だろう
諦めろ
哲学は自由な精神の者のためにある
奴隷の学問ではないのだ

689 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/15(土) 17:37:23.13 0.net
そう考えるなら、モダリティを含めて、
「意味」とは「主観性」である。
客観的意味は「誤読と幻想」であるw
「主観主義」における「(主観的)客観」は「誤読と幻想」にすぎない。
「誤読と幻想」を、単に「主観」とするならば、
「主観主義」における「客観」は「主観」であり、
「客観主義?」における「主観」は「客観」である。

690 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/15(土) 21:40:18.04 0.net
「可能性は客観か?」
表裏の区別のつくコインがあるとする。
とりあえず、そのコインそのもの客観性は先送りして、表裏だけは客観とする。
コイントスによって表か裏が出る(それ以外は無いのだと、理想化する)。
表裏どちらが出るのかは(現実を無視して理想化して)確率1/2と(推定)する。
これは「可能性」である。
表裏が「客観」だとしても「可能性」も「客観」なのか?

「観察」あるいは「認識」によって「確認」されたものなら「客観」であるが、
まだ、コイントスをしていない。

「主体」から独立した「客体」としての「事物」であれば「客観」である。
これは「実在」である。
でも、まだコイントスをしていない。
「結果」は(「現在」において)「実在」していない。

「可能性」は「客観」ではなく、「主観」であるw
「主体」から独立して「存在」するものではない。

691 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/15(土) 22:07:59.07 0.net
「本当に『可能性』は『客観』ではないのか」

「主観」から独立した「実在」としての「客観」ではない。
だが、それだけが「客観」なのか、と考えてみる。
「主観」から独立していない「客観」。
完全に、「主観」に取り込まれているのならば「主観的客観」である。
ここで考えたいのは、「主観」から独立しきれていない―中途半端な―「客観」。
これは「共同幻想」であり、それは「上部構造」である。
「階層」だ!

692 :考える名無しさん:2022/01/16(日) 00:39:46.67 0.net
いまさらながらだけど、ドイツ語の»Lockvogel«って、
»Lock(を≒呼び寄せる)vogel(鳥)«⇒「囮(を・とり)」だから、
日本語と表現の構成がまったく同じだよな。

693 :考える名無しさん:2022/01/16(日) 02:51:56.79 0.net
悪魔は存在する

694 :考える名無しさん:2022/01/16(日) 04:05:29.96 0.net
「主観」はアート(自己幻想)で、「客観」はサイエンス(共同幻想)かも
「可能性」はGood Times Bad Times (© Led Zeppelin)ごた混ぜの対幻想か

695 :考える名無しさん:2022/01/16(日) 04:11:02.17 0.net
アブジェクシオン(abjection):おぞましさ

廃人の歌 吉本隆明
ぼくが真実を口にすると ほとんど全世
界を凍らせるだろうという妄想によって
ぼくは廃人であるそうだ

696 :でこすけ:2022/01/16(日) 04:47:09.69 0.net
>>688
私にはとりあえず「時間」には始まりが「有る」のか「無い」のか
ふたつにひとつのように思えます。
「有ると同時に無い」というのは無い気がします。
これは私にはいずれかを確定できる能力はないけれども
とにかく答えはどちらかであろうということです。

そこで漠然と思うわけですけど
「始まりは無い」というのはあり得ない気がしますが、
つまり「今日」には必ず「昨日」あるとすると無限に遡ることになるので
「昨日」が何故あるのかを体系内で説明できなくなってしまいますが、
しかし「時間に始まりは有る」というのは、
何故始まったのかがわからなかったとしても、
そのようなことがあってもいい気がします。
「時間の始まり」はそれ以前が無いということですから
論理的にはその原因は無いことになりますが、
しかし「因果律」は予めあったものではない、
私には「因果律」は主体があとからつくったもの(幻想)のように思えるので、
個人的には原因が無いことはことさらに不自然なことではない気がします。
実際に「ビッグバン」と言われる現象があったとされていますし、
量子の世界では原因のない現象が起こるともされているので、
とりあえず目下の観測事実とも整合します。

しかし確かニーチェは世界に始まりは無い派だったと思います。
「昨日が無いということが有るわけが無い」みたいなことを言っているのを
どこかで読んだ気がします。
私にはどうしてもそれはそれで不自然な気がするのですが、
印象には個人差があるということなのでしょう。
あるいは世界には始まりが有ると同時に無いということさえも
あり得るのかもしれない、とか思ったりします。

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