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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

830 :時計 :2022/01/21(金) 20:51:57.00 0.net
>>828
身づ柄さんかな。

831 :時計 :2022/01/21(金) 20:53:57.15 0.net
布団の中でスマホで見ています。:)

832 :考える名無しさん:2022/01/21(金) 22:05:10.57 0.net
ネトフリ見てくる

833 :考える名無しさん:2022/01/21(金) 22:05:49.49 0.net
>>829
了解👌

834 :時計 :2022/01/22(土) 00:30:01.31 0.net
>>833
39秒て……

835 :時計 :2022/01/22(土) 00:36:24.74 0.net
>>832
いいですね。私はもう1回寝るかな。

836 :時計 :2022/01/22(土) 04:20:09.33 0.net
>>826
落書きというか、便所の壁だと思っての落書きですね。

837 :時計 :2022/01/22(土) 04:29:11.18 0.net
>>832-833
身づ柄さんでしょうか。
少し眠い……

838 :時計 :2022/01/22(土) 04:32:42.58 0.net
まあ、とりあえず、身づ柄さんは便所の壁の落書き発言を
取り消してください。でないと、表層的な対話しかできないです。

839 :時計 :2022/01/22(土) 08:02:34.55 0.net
>>838
発言の取り消しというか態度の改めですね。

840 :でこすけ:2022/01/22(土) 09:07:40.53 0.net
>>809
「幽体離脱」はおおいに誤解をまねきそうなので
ちょっと解説させていただきます。ややこしいです。
私が想定している「幽体離脱」は霊魂が体から抜けてそこら辺を歩き回るような
超常現象ではありません。私はオバケ的なものは信じません。
ただ、そのような体験をすることは実際にあり得て、
しかしその仕組みはある程度科学的に分析できるものであろうということです。

結論的に言うとたぶんある種の夢だと思うのですが、
つまり脳がつくったある種の幻覚だと思うのですが、
ただし夢が記憶をもとにつくられたものであるのに対して
幽体離脱はリアルタイムの感覚に基づいているものだと思います。
(ここはちょっとオカルトっぽくなります)
もともとヒトは動物の中では比較的感覚が鈍っている方のような印象があります。
肉食動物がかなり遠くから獲物を見つけたり、ナマズが予め地震を察知したり、
ヒトでも修行僧なんかが修行中に感覚が研ぎ澄まされて
周囲の状況にすごく敏感になることがあるようです。
このような感覚は私たちが完全に失ったものではなく、
おそらく表層意識にのぼらなくなっただけではないかというのが私の考えです。

幽体離脱が起こるには、霊魂的なものをあらかじめ知っておく必要があると思います。
たぶん幽体離脱はヒトにしか起こらない現象です。
無意識がそのような体験を作り出すのだと思います。
なお「幻肢」の仕組みもたぶんそれと同じだと思います。
じつは意識が有る脳ではなく、そこから離れた舌の上に味を感じるという現象も
それと同じ仕組みを持っている気がします。
ちなみに私はときどき耳の中が痒くなって耳かきでそこを掻こうとすると
そこに身が無かったりすることがあります。

841 :でこすけ:2022/01/22(土) 10:01:52.35 0.net
>>840
ストラットン的に言って、そもそも「舌」はそこには無い
ということを付け加えさせていただきたく存じます。

842 :考える名無しさん:2022/01/22(土) 10:19:39.63 0.net
ただの夢遊病だろw

843 :する=なる:2022/01/22(土) 10:50:44.62 0.net
>むしろ絶対者はただ結果としてのみ存在しうるのだ。
「理念の本性とは本質的に、自らを発展させ、発展によって自らを把握し、
そして理念がそうであるものになるということである」
(TW18:39/一巻五〇頁)[ヘーゲル]<
エッカート・フェルスター、『哲学の25年』、p.478

456考える名無しさん2022/01/05(水) 09:32:28.950
>天地(あめつちの分かれし時ゆ神(かむ)さびて
高く貴き駿河(するが)なる富士の高嶺(たかね)を
出典万葉集 三一七

457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」

844 :考える名無しさん:2022/01/22(土) 10:53:14.07 0.net
日本語は哲学には向かない、日本語で哲学をすることはできない
と主張する人々は、単に、日本語で反省する能力が自らに欠如している
ことを告白しているだけではないのか。

845 :時計 :2022/01/22(土) 10:54:13.88 0.net
>>840
舌に関しては、脳神経系の範囲内だと私は思います。
魂の存在は、実は私は結構信じています。
しかしそれは、人間の身体の内側にあるとは限りませんし、
幽体離脱に関わるかどうかは解りません。
幽体離脱はあると思う方が愉しいですね。:)

846 :時計 :2022/01/22(土) 10:57:04.98 0.net
>>843
相変わらず理由の解らないコピペですね。:)

>>844
誰もそんなこと言っていませんよ。
どこかから仕入れてきた先入観ではありませんか。

847 :考える名無しさん:2022/01/22(土) 11:08:51.37 0.net
「この時計『が』!」というのは、「時計の分際で〜」という見限りですよね。
「時計」が「時計の分際」であることがどうして見下しとなり得るのでしょう。
ちなみに「〜が」の用法に見下しのニュアンスが伴うことは、私見による
特殊な主張ではなく、岩波古語辞典にも記載される一般的に通用している見解です。

848 :時計 :2022/01/22(土) 11:11:46.01 0.net
>>847
紛らわしい例は止めてもらえますか? :)

849 :時計 :2022/01/22(土) 11:14:02.21 0.net
>>848
全く身づ柄さんは…… :)

850 :考える名無しさん:2022/01/22(土) 11:18:23.22 0.net
https://www.iwanami.co.jp/files/tachiyomi/pdfs/0291370.pdf
>二一世紀の中国の地で、デリダがとある現代中国の知識人と対談していたとき、
デリダの何気ない一言によって、それまで穏やかに進んでいた対談の空気が
一変したのである。それは、「中国には哲学がなく、思想しかない」という
デリダの発言であった。<

851 :時計 :2022/01/22(土) 11:18:36.04 0.net
>>849
最近、フッサールを読んでいますが、
他者は現象学的還元をしても、意識はない、
というアクロバティックな読み方をしています。:)
どこまでそれで読めるか実験です。

852 :時計 :2022/01/22(土) 11:19:31.17 0.net
>>851
ああ、引用、間違えました。
引用なしで読んで下さい。

853 :時計 :2022/01/22(土) 11:21:08.04 0.net
>>850
あんまり詳しくありませんが、老荘思想などは、
中国の哲学と言えるのかなと思っていました。

854 :時計 :2022/01/22(土) 11:23:35.67 0.net
>>853
あんまり詳しくないなら立ち入らない方が良かったかもしれませんね。
言われる前に言っておこう。:)

855 :考える名無しさん:2022/01/22(土) 11:24:26.66 0.net
>全く身づ柄さんは…… :)

私は「考える名無しさん」ですが、その「全く○○は」という語法は、
「○○は完全に〜だ」と過不足なく言い換えることができ、つまり、
この場合、「全く○○は」とは、You are/○○ is "nothing other than 〜"
ということで、この場合も、発話遂行的な同一性の確立が非難として
用いられていることになりませんか?

856 :時計 :2022/01/22(土) 11:28:02.52 0.net
>>855
名無しさんだと全体になってしまいますから、仕方がないのです。
私見では、「見限り」になるのは、
断定を避けたいという思いからだと思います。

857 :時計 :2022/01/22(土) 11:37:44.47 0.net
>>856
ネガティブなワードは言うのも憚られるというか、
言霊的なというか。

858 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/22(土) 21:02:19.46 0.net
コインの表裏はともかくとして、コインそのものは客観的実在なのか。

その客観性あるいは実在性を確認あるいは証明できるのだろうか。
客観性には他者が必要である。
とりあえず他者は先送りするw
この場合、実在性を自己だけで確認できるのかどうかということになる。
証明は他者との客観的検証が必要となるだろうが、そこはおいといて、
確認とは証明であるということにする。実在の証明。

表裏の可能性のために、そもそものコインの実在証明を自己だけで行う。
「わたし」がいなくても(みていなくても)、そのコインは「存在」するか。

859 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/22(土) 21:56:36.93 0.net
きわめて難問なので、夢の中としてみる。
この場合、(夢の中の)コインは実在しない。
夢の中で、その(夢の中の)コインが実在しないことを証明できるだろうか。
夢の中の「わたし」が、夢であることに気づければ証明いらずだが、
あくまでも証明可能かどうかを考える。

860 :考える名無しさん:2022/01/22(土) 22:12:14.23 0.net
『哲学の25年』を一応、最後まで読み終えた。
>>858みたいな言葉遣いで問題を考える人には役に立つんじゃないかな。
最後の章は、一応、著者の全体的な考え方が示されていてそれなりに参考になった
(私にはかなり「我田引水」の論述に感じられたが)。ヘーゲルの議論を説明した
その直前の章があまりにも退屈だったから、途中で読むのを止めようかと
思ったが、最後まで読んでよかった。まあでも、これを読んだからといって、
カント、シェリング、ヘーゲル、スピノザあたりの著作に自分でまともに
取り組もうという気にはならないが。フィヒテは、別枠というか、別の
意味で関心があるので、暇ができたらまた少しは読むだろうけど。

861 :時計 :2022/01/23(日) 02:00:45.57 0.net
>>858-859
極めて難問だと思います。
私としては、0.99の可能性が夢であり得ることを考慮すると、
Xの可能性に転化するように思います。
実在は、常にその根底に揺さぶりの掛かるものだと考えます。
しかし一方で、これは夢ではないという感覚は
一応、信頼に足るようにも思います。
この感覚は何なのでしょうか。

862 :時計 :2022/01/23(日) 02:15:58.66 0.net
>>861
Xの可能性は、これは夢ではないと判断すると、
0.99の可能性に回帰するけれども、
それは、そういう夢だと考えた途端、Xの可能性にまた戻る。
そういうものなのかなと思います。

863 :時計 :2022/01/23(日) 02:17:27.53 0.net
>>862
突き詰めると、私は日常では、これは夢ではないという直観を
信じているのに過ぎないのかなと思います。

864 :時計 :2022/01/23(日) 02:38:31.46 0.net
>>863
連続性は現実の特徴かもしれません。
名無しさんは連続性はありませんね。:)

865 :時計 :2022/01/23(日) 03:11:04.48 0.net
>>864
結構、考えましたが、やはりこれは夢ではないという
直観を信じるしかないかな。

866 :時計 :2022/01/23(日) 03:37:30.68 0.net
>>865
現実の痕跡というものがあるかもしれない。

867 :時計 :2022/01/23(日) 05:55:43.27 0.net
>>866
今、この机の上にある本は昨日も机の上にあった。
その本は去年ある本屋で購入した。
その本の著者はまた別の本を読んで知った。
そういうようなことは現実の痕跡になるかもしれない。

868 :時計 :2022/01/23(日) 05:56:41.99 0.net
>>867
正:昨日もその机の上にあった
誤:昨日も机の上にあった

869 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 11:49:12.89 0.net
夢の中をVR(Virtual Reality)、主観的な現実をAR(Augmented Reality)またはMR(Mixed Reality)
とするなら、夢の中のコインは実在しない。
他者なしには確かさ/確からしさも得られない。
しかし、コインそのものも(人格は持っていないかもしれないが)他者である。
わからない/予想不能な部分があればよいのかもしれない。
では、夢の中のコインのすべてを知っているのかというと、そうでもない。
知っている情報だけで構成されているわけだが、知らない部分も知らない部分として知っているw
予測不能な部分も無意識が補ってくれている。
数学的には区別することが可能だとしても...(ちょっと思いついたので中断)

870 :考える名無しさん:2022/01/23(日) 11:59:25.59 0.net
現在は昔なのに存在するなんてないw
存在しただろw

871 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 12:09:25.85 0.net
昨夜の電脳コイルとか、いまみているBSフジの番組とか、
なぜかAR/MRに関する番組が続いている。

夢の中(VR)でのコインの実在性は無意識によるものである。
無意識が実在性をシミュレーションしてくれている。

現実における実在性も、主観的であるかぎり無意識による直観的なものである。
そういうわけで、主観的存在+無意識による「主観的実在」(≒直観)を提唱するw

872 :時計 :2022/01/23(日) 18:01:01.75 0.net
最近フッサールを読んでいたのだが、
よくこんなに考えたなと思う。
闘争的と言うか。
ニーチェは明らかにそうだけど。
これが西洋哲学の特徴なのかな。
何が彼らを駆り立てるのだろう。
日本人は徒然なるままにじゃないけど
適当だよね。

873 :時計 :2022/01/23(日) 18:06:04.71 0.net
>>871
夢に関しては、哲学より脳科学の方が真理に接近しているかもしれませんね。
多分、回路が現実モードになって、視覚とかがはっきりして、
それが夢ではないという直観を生むんじゃないかなと思います。

874 :時計 :2022/01/23(日) 18:13:17.89 0.net
>>873
そんな研究があるかどうかは知りません。適当です。:)

875 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 18:43:54.68 0.net
主観的実在とは、ようするに思弁的実在論的なものですね。
マルガブの新実在論という方向性もあります。

実在とは「公理」であり、体系内に持ってくると矛盾をもたらします。
公理的集合論かえみれば、あまり語られることのない、「集合の存在公理」に相当します。

876 :時計 :2022/01/23(日) 19:25:17.98 0.net
>>875
マルクス・ガブリエルは2冊、図書館で予約しましたが、まだ貸出中です。
メイヤスーは去年読みましたが、面白かったです。
思弁的実在論は、確かに主観的実在論とは相性良さそうですね。

集合の存在公理ですか。考えたことともなかったです。
矛盾をもたらすというのはどういうことでしょうか。

877 :時計 :2022/01/23(日) 19:33:44.22 0.net
>>876
要するに、実在は○より多いということかな。

878 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 23:00:48.07 0.net
主観という体系内で、実在を定義すると矛盾する。
タルスキの定義不可能性定理を援用します。
なんて小難しいことを語らなくても、
実在は主観からはなれて存在するというものですから、主観内で定義するのは無意味ですw
これは(主観からはなれた)「客観」すらも無意味だということになります。
主観という体系内で定義可能なのは主観的客観であり、
それゆえに主観的実在のみが実在として定義可能です。
主観を思弁とすれば、思弁的実在論そのものですね。

879 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 23:06:07.92 0.net
というわけで、コインの「実在」は「公理」です。
「公理」だからといって「絶対」だということではなく、
「公理」は常に更新(否定とは微妙に異なる)される可能性を持っています。
コインについて語るとき、コインの実在性は公理として語りの外側にあるわけです。
やっと、先送りしていたコインの実在性問題を回収できたと思います。

880 :考える名無しさん:2022/01/23(日) 23:45:37.49 0.net
時は止まらないのに今はないよなw

881 :時計 :2022/01/24(月) 03:37:12.97 0.net
>>876
正:考えたことも
誤:考えたこととも

>>878
なるほど。私は実在は主観的実在だと考えていますから、
矛盾は回避できているのかな。

>>879
語りの外側にあるというと背理を感じますが……

882 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 08:11:04.19 0.net
もう先きがなければ、今は極まる⇒今はの際

883 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 08:36:12.21 0.net
それでも先はやってきてるぞハゲw

884 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 11:01:38.58 0.net
おまえらの目の前のものと記憶の中のものは毎時違うからなw

885 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 11:15:06.92 0.net
意識しないと不都合が生じる違いだけが、その都度、意識されるんだよ。

886 :時計 :2022/01/24(月) 12:13:46.63 0.net
>>884
まま、穏便に。
そういう主観なわけです。

887 :時計 :2022/01/24(月) 12:35:31.08 0.net
>>885
スマホを見る意識に何か不都合はありますか?

888 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:23:10.32 0.net
スマホ見ないと着信した連絡に気づかずに私生活でも仕事上でも
支障が生じるからスマホを所持しているのでは。私はスマホなんて
持ちたくもないけど。

889 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:27:42.91 0.net
衣服の流行とかについて考えてみるといい。
万年、同じ衣服を見つけていても、擦り切れたのを廃棄したり、
寒暖の変化に合わせて重ね着したり、薄着にしたりしている
だけで、衣服の身体保護機能には何の問題もないはず。
でも、周囲が違うスタイルの衣服を着用しだす。すると、
違いに気づいて、別に新しいスタイルの方が機能性が
優れているというわけでなくても、今までのスタイルの
衣服はもう場違いであるという意識が生じる。
そうやって、機能性の関係なくファッションが変化する。

890 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:32:07.06 0.net
どういう衣服が場違いなのかに注意を払っていないと、
自分ではそのことを意識していなくても、周囲の人々が、
そのように場違いな衣服を身に付けていることに注意を向ける。
周囲の人々は、そのように場違いな恰好をしていることには、
特別な理由があるか、特別の意図があるに違いないと判断し、
その判断に基づいて、その場違いな恰好をした相手に
対して振る舞うようになる。そのことが、大きな不都合を生じる
ので、流行など気にしたくなくても、普通は周囲に合わせて
身に付けるもののスタイルを変える。

891 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:33:07.15 0.net
>>885
不都合という表現は勇み足だなw

892 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:38:42.79 0.net
>>890
そういう意味で老人が財を使わず貯め込む行為は正しいね
流行に疎いから無形財や食事に散財するならまだしも一生物にホイホイ使うと流行遅れのモノに金をドブに捨てることになる。孫にも相続してもらえない。

893 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:38:49.14 0.net
「勇み足」というのは出した足の置き場が不都合だから、
そのことを「意識しろ」という指摘ですよねw

894 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:40:36.85 0.net
何もしなければ勇み足は生じない

895 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:53:12.32 0.net
周囲がみな一歩踏み出しているのに、なにもしなければ、
頑固に足を出すことに抵抗していると見なされ、
非難の対象となる。

896 :時計 :2022/01/24(月) 14:03:32.62 0.net
>>888
スマホは連絡酒庵としても使えるが、
電車や布団の中で使えるのも個人的には大きい。
電子書籍も読める。

897 :時計 :2022/01/24(月) 14:29:28.13 0.net
>>896
正:手段
誤:酒庵

898 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 19:35:36.34 0.net
>>893

899 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 19:38:49.93 0.net
>>895
都合のいいところに出した足は丁度いい意識が生ずるぞアホw

900 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/24(月) 22:35:54.72 0.net
主観という集合の外側に非主観的客観(≒実在)がある。
この集合を裏返せば、客観という集合の外側に主観という公理がある公理系を構築できる。
それでいて全体(集合+反集合)は存在確率半径1の超球面である。
主観側も客観側も(存在確率の)曲率を持った集合となる。
この曲率を重力のようなものと考えるとおもしろい。とてもおもしろい。
いま考えているのがピタゴラス音律から超対称性による並進対称性を得ること。
超球面は「波」だ/のはずだ。
公理系にも対称性があり、公理系とその反公理系がつながっていて超球面になっている。
とりあえず公理的集合論と対称性をもっている反公理的集合を考えてみるw

>>885
まさしくその通りであって、なにかしら問題(矛盾)があるから「意識」が必要とされる。
問題がなければ「意識」など必要とされない。

901 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 00:56:29.49 0.net
lim x→∞ (sin(π/x))/(π/x)=1
なのだから、
lim x→∞ π/x≠0
でしょう。

902 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 00:59:25.56 0.net
というか、πは定数ではなく、数えることに応じて精度が高まるように
算出される値なのだから、lim x→∞で先回りして無限に達した状態を
想定することはできないということでは。

903 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 03:17:36.72 ID:ybXdxiar0.net
>>901
なーに言ってんだおめえ。だったら
lim[x→0]{x / x} = 1
だから
lim[x→0]{x} ≠ 0
なのか?そう言ってるのと同じで、論理が破綻してるっぺよ。徒に数式使うんでねぇ。

904 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 03:28:47.26 ID:ybXdxiar0.net
lim[x→0]{π/x}
が存在しないのは
lim[x→0]{1/x}
が存在しない理由と同じでπは関係ないっぺよ。

905 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 04:43:53.71 0.net
微分もできない馬鹿は哲学をやるな
哲学は優秀者のための学問だ
詩文か? 屁理屈はいかなる意味でも学問ではない!

906 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 06:40:31.76 0.net
>>885
おまえのそういうところがいろんなことを見落としてるんだろなw
誰かに似ているがそういうところやぞw

907 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:42:22.22 0.net
>>903-904
何を言っているのか私には分からないな。
πは、既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値なので、
lim [x→∞] π/x
もxが大きくなるにつれて算出される値であると考えるなら、
いくらxを大きくすることができても、その極限として、つまり、
先回りしてlim [x→∞] π/x=0
と考えることは、存在論的に整合性がないだろうと言っている。
存在論的な説明を数式に代用させることはできないだろう。

908 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:50:14.91 0.net
>>904
私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だと言っているのだから、
どう関係がないのか、言葉で説明してもらわないと不明ですよ。
lim[x→0] 1/xで同じ大きさを無限に分割するという問題の対応から
考えているのだから、数を数えることと、円周率と、連続性の問題の
関係を哲学的に言葉で説明してもらえなければ、私にとっては、
何も示されたことにはならない。

909 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:52:36.04 0.net
存在論について数学の方が、既に説明がついていると考える前提そのものが
どこに根拠があるのか不明。

910 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 09:29:55.02 0.net
誤:存在論的な説明を数式に代用させること
正:存在論的な説明に数式を代用すること

911 :でこすけ:2022/01/25(火) 12:44:12.30 0.net
>>860
>>872
私はヨーロッパ人を象徴するのは「自伝」だと思います。
「自伝」を書くようにして「哲学書」を書いている気がするのです
特別な感性をもっているのだろうという気がしたりするわけです。

かく言う私も「本当の世界をタヒぬまでには知りたい」とか思っています。
その時点でちょっと人間としてオカシイわけですけど、
ただ、それは「覚えること」ではなくて「わかること」であろうと考えるので
「言葉」ではなく「きっかけ」を探しています。
にしても彼らの情熱というのか執念というのかまではよくわかりません。
もっと別の動機なり要因なりがある気がするのです。
たとえば日常的に肉を食っているとそうなっちゃうのかな
という気がしたりします。

912 :でこすけ:2022/01/25(火) 14:27:06.81 0.net
>>858
「存在」の根拠についてですけど、とりあえず有名なものが「我思う」です。
私は「意識」の発生は生命以前の単純なものにさかのぼると考えますが、
つまりそのようなものはまだ言葉はもちろん感情や感覚も無い
おそらく私たちの潜在意識レベルのものに過ぎず
まして「考察」なんか絶対にあり得ないような気がしますけど、
しかしそれでも存在できている気はします。
少なくともこの世界には感覚さえ持たない潜在意識的なものだけの意識が存在
している可能性はある気がします。たとえば生まれる前の私たちです。
それでもそれは、一応いわゆる「実存(主観的存在)」です。

では、「実在(客観的存在)」とは何を持って「存在の根拠」にできるのか、
実存として存在しているもの(観測者)が存在していない世界では
物体はどのようにして存在しているのか、
あるいは先走って言うと「(空間的)ひろがりを持つ」というのはどういうことなのか、
「ちからを及ぼし合う」というのはどういうことなのか、
「存在を保つ」というのはどういうことなのか、
そしてそういったことなどは如何にして可能になるのかという問題です。
もちろん「世界は観測者(実存)がなくても成立するのか」につながります。


ところで私はビッグバンで宇宙空間ができたというのには飛躍をかんじます。
複数の物体の運動原理を統一するシステムは如何にして可能なのか、
「物理学的空間」というのはシンプルではない複雑な構造体のような気がするのです。
たとえると電話が発明された最初の電話がいきなりスマホだったかんじです。
そこまで行くためにはいくつかの段階を踏む気がします。
「物理学的空間」はア・プリオリに与えられるものではない気がするのです。

913 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:32:33.20 0.net
言葉として伝わるように矛盾なく記述して表現することは大切だ
さもなければ、まやかしばかりが横行することになる

914 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:36:34.87 ID:Mp27Fk4Y0.net
lim [x→∞]{π/x} ≠ 0

という間違っている式を提示している時点で取り合う必要がない話だし、
これ以上意図を汲み取ろうとするとグダグダになりそうだからやめるが、

極限値の厳密性の話なら、「無限」を避けるためにδε論法があるのだし、
無限回の試行や無理数を認めないなら直観主義論理というものがある。

915 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:45:58.46 0.net
無限小の長さは、無限小の円の円周長

916 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:48:50.89 0.net
ナメクジは知の塩に触れると干からびてしまうから、避けて通ろうとするほかない

917 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:50:17.07 ID:Mp27Fk4Y0.net
>>907
「既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値」
→それは極限値という。「極限値としてしか存在しない数」のことなら
それは(多分)「代数的数でない複素数」=超越数となるが、
超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

>>908
「私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だ」
表裏一体ではなく、円周率の計算は無限に数えることの内の一部でしかない。

哺乳類には首の長いキリンが含まれるが、首の長さが哺乳類の性質とは関係がないように、
極限によって円周率が求められるとしても、その一部である円周率の性質と極限とは関係がない。

とまあ、こういうことになるだろう。

918 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:53:24.31 ID:Mp27Fk4Y0.net
「極限値としてのみ存在する数」が「代数的数でない複素数」=超越数となるかどうかは自明ではないが、
そこの非自明性については身づ殻氏にとってはどうでもよいことなのであろう。

919 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:55:53.73 0.net
>超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

数学では、このような「数の存在」を前提とする表現や、
数学記号の用法によって、存在論の問題が隠蔽されているが、
そこで行われている数学操作を言葉で記述しようとすると、
そのままそこにどのような存在論の問題があるのかが
明らかとなってしまう。

920 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:58:05.95 0.net
円周率に極限はないのだから、「極限値としてのみ存在する数」ではないだろう。

921 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:04:58.47 ID:Mp27Fk4Y0.net
微分可能性の定義は、
lim[h→0]{(f(a+h)-f(a))/h}
が存在するとき
f(x)はx = aで微分可能。

連続性の定義は、
lim[x→a]{f(x)}
が存在して、その値がf(a)に等しいとき
f(x)はx = aで連続。

一般的に微分可能ならば連続であるということになっているが、
lim[x→a]{f(x)}が存在してもf(a)が存在しないまたは定義しないことがある。
その場合は微分可能かつ連続でないのではないから

922 :でこすけ:2022/01/25(火) 15:08:07.40 0.net
>>845
微妙にはなしがズレますが、先日ちょっとおもしろい話を聞きました。
私たちはえてして「精霊」というとマユツバだと決めてかかったりしますけど、
じつは「命」も似たようなものなのではないか、
数千年後の人類にとって「命」は迷信になるのではないかというのです。
「生命とは何か」実際にそれは定義すら厄介なものです。
その昔ポルノの定義で「見ればわかる」というのがあったそうですけど、
生命も「見ればわかる」
あながち間違ってはいない気もしてきたのでした。

923 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:12:38.34 ID:Mp27Fk4Y0.net
ではないか?

>>920
円周率は最も古い式で
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)}
という無限級数で表される。この無限級数というのが極限に他ならない。

924 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:13:32.35 ID:Mp27Fk4Y0.net
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)} = π/4
の間違い。円周率ではなく円周率の1/4。

925 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:19:55.47 0.net
>この無限級数というのが極限に他ならない。

これが存在論的に間違った表現。「極限」は存在しない。
無数えることに応じて、無限に精度を高めるように比として
表現できるという「操作を記述している」に過ぎない。

926 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:23:11.52 0.net
誤:無数えることに応じて
正:数えることに応じて

927 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:50:19.62 ID:ybXdxiar0.net
>>925
それって
0.999999... ≠ 1
っていうありきたりな話とはどこが違うの?

928 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:57:06.65 0.net
さすがナメクジだけあって、円周率の数値を任意の精度で計算することと、
小数点で同じ数字が続くことの間の区別がつかないようだねw

929 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:08:56.88 ID:ybXdxiar0.net
区別が付いてないのは煽りで誤魔化さざるを得なくなっている方だろう。
だから「無限の操作(≒極限)でしか表現できない数」として
超越数という助け舟を出したのだが意にかけなかったようだ。

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