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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

859 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/22(土) 21:56:36.93 0.net
きわめて難問なので、夢の中としてみる。
この場合、(夢の中の)コインは実在しない。
夢の中で、その(夢の中の)コインが実在しないことを証明できるだろうか。
夢の中の「わたし」が、夢であることに気づければ証明いらずだが、
あくまでも証明可能かどうかを考える。

860 :考える名無しさん:2022/01/22(土) 22:12:14.23 0.net
『哲学の25年』を一応、最後まで読み終えた。
>>858みたいな言葉遣いで問題を考える人には役に立つんじゃないかな。
最後の章は、一応、著者の全体的な考え方が示されていてそれなりに参考になった
(私にはかなり「我田引水」の論述に感じられたが)。ヘーゲルの議論を説明した
その直前の章があまりにも退屈だったから、途中で読むのを止めようかと
思ったが、最後まで読んでよかった。まあでも、これを読んだからといって、
カント、シェリング、ヘーゲル、スピノザあたりの著作に自分でまともに
取り組もうという気にはならないが。フィヒテは、別枠というか、別の
意味で関心があるので、暇ができたらまた少しは読むだろうけど。

861 :時計 :2022/01/23(日) 02:00:45.57 0.net
>>858-859
極めて難問だと思います。
私としては、0.99の可能性が夢であり得ることを考慮すると、
Xの可能性に転化するように思います。
実在は、常にその根底に揺さぶりの掛かるものだと考えます。
しかし一方で、これは夢ではないという感覚は
一応、信頼に足るようにも思います。
この感覚は何なのでしょうか。

862 :時計 :2022/01/23(日) 02:15:58.66 0.net
>>861
Xの可能性は、これは夢ではないと判断すると、
0.99の可能性に回帰するけれども、
それは、そういう夢だと考えた途端、Xの可能性にまた戻る。
そういうものなのかなと思います。

863 :時計 :2022/01/23(日) 02:17:27.53 0.net
>>862
突き詰めると、私は日常では、これは夢ではないという直観を
信じているのに過ぎないのかなと思います。

864 :時計 :2022/01/23(日) 02:38:31.46 0.net
>>863
連続性は現実の特徴かもしれません。
名無しさんは連続性はありませんね。:)

865 :時計 :2022/01/23(日) 03:11:04.48 0.net
>>864
結構、考えましたが、やはりこれは夢ではないという
直観を信じるしかないかな。

866 :時計 :2022/01/23(日) 03:37:30.68 0.net
>>865
現実の痕跡というものがあるかもしれない。

867 :時計 :2022/01/23(日) 05:55:43.27 0.net
>>866
今、この机の上にある本は昨日も机の上にあった。
その本は去年ある本屋で購入した。
その本の著者はまた別の本を読んで知った。
そういうようなことは現実の痕跡になるかもしれない。

868 :時計 :2022/01/23(日) 05:56:41.99 0.net
>>867
正:昨日もその机の上にあった
誤:昨日も机の上にあった

869 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 11:49:12.89 0.net
夢の中をVR(Virtual Reality)、主観的な現実をAR(Augmented Reality)またはMR(Mixed Reality)
とするなら、夢の中のコインは実在しない。
他者なしには確かさ/確からしさも得られない。
しかし、コインそのものも(人格は持っていないかもしれないが)他者である。
わからない/予想不能な部分があればよいのかもしれない。
では、夢の中のコインのすべてを知っているのかというと、そうでもない。
知っている情報だけで構成されているわけだが、知らない部分も知らない部分として知っているw
予測不能な部分も無意識が補ってくれている。
数学的には区別することが可能だとしても...(ちょっと思いついたので中断)

870 :考える名無しさん:2022/01/23(日) 11:59:25.59 0.net
現在は昔なのに存在するなんてないw
存在しただろw

871 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 12:09:25.85 0.net
昨夜の電脳コイルとか、いまみているBSフジの番組とか、
なぜかAR/MRに関する番組が続いている。

夢の中(VR)でのコインの実在性は無意識によるものである。
無意識が実在性をシミュレーションしてくれている。

現実における実在性も、主観的であるかぎり無意識による直観的なものである。
そういうわけで、主観的存在+無意識による「主観的実在」(≒直観)を提唱するw

872 :時計 :2022/01/23(日) 18:01:01.75 0.net
最近フッサールを読んでいたのだが、
よくこんなに考えたなと思う。
闘争的と言うか。
ニーチェは明らかにそうだけど。
これが西洋哲学の特徴なのかな。
何が彼らを駆り立てるのだろう。
日本人は徒然なるままにじゃないけど
適当だよね。

873 :時計 :2022/01/23(日) 18:06:04.71 0.net
>>871
夢に関しては、哲学より脳科学の方が真理に接近しているかもしれませんね。
多分、回路が現実モードになって、視覚とかがはっきりして、
それが夢ではないという直観を生むんじゃないかなと思います。

874 :時計 :2022/01/23(日) 18:13:17.89 0.net
>>873
そんな研究があるかどうかは知りません。適当です。:)

875 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 18:43:54.68 0.net
主観的実在とは、ようするに思弁的実在論的なものですね。
マルガブの新実在論という方向性もあります。

実在とは「公理」であり、体系内に持ってくると矛盾をもたらします。
公理的集合論かえみれば、あまり語られることのない、「集合の存在公理」に相当します。

876 :時計 :2022/01/23(日) 19:25:17.98 0.net
>>875
マルクス・ガブリエルは2冊、図書館で予約しましたが、まだ貸出中です。
メイヤスーは去年読みましたが、面白かったです。
思弁的実在論は、確かに主観的実在論とは相性良さそうですね。

集合の存在公理ですか。考えたことともなかったです。
矛盾をもたらすというのはどういうことでしょうか。

877 :時計 :2022/01/23(日) 19:33:44.22 0.net
>>876
要するに、実在は○より多いということかな。

878 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 23:00:48.07 0.net
主観という体系内で、実在を定義すると矛盾する。
タルスキの定義不可能性定理を援用します。
なんて小難しいことを語らなくても、
実在は主観からはなれて存在するというものですから、主観内で定義するのは無意味ですw
これは(主観からはなれた)「客観」すらも無意味だということになります。
主観という体系内で定義可能なのは主観的客観であり、
それゆえに主観的実在のみが実在として定義可能です。
主観を思弁とすれば、思弁的実在論そのものですね。

879 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/23(日) 23:06:07.92 0.net
というわけで、コインの「実在」は「公理」です。
「公理」だからといって「絶対」だということではなく、
「公理」は常に更新(否定とは微妙に異なる)される可能性を持っています。
コインについて語るとき、コインの実在性は公理として語りの外側にあるわけです。
やっと、先送りしていたコインの実在性問題を回収できたと思います。

880 :考える名無しさん:2022/01/23(日) 23:45:37.49 0.net
時は止まらないのに今はないよなw

881 :時計 :2022/01/24(月) 03:37:12.97 0.net
>>876
正:考えたことも
誤:考えたこととも

>>878
なるほど。私は実在は主観的実在だと考えていますから、
矛盾は回避できているのかな。

>>879
語りの外側にあるというと背理を感じますが……

882 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 08:11:04.19 0.net
もう先きがなければ、今は極まる⇒今はの際

883 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 08:36:12.21 0.net
それでも先はやってきてるぞハゲw

884 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 11:01:38.58 0.net
おまえらの目の前のものと記憶の中のものは毎時違うからなw

885 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 11:15:06.92 0.net
意識しないと不都合が生じる違いだけが、その都度、意識されるんだよ。

886 :時計 :2022/01/24(月) 12:13:46.63 0.net
>>884
まま、穏便に。
そういう主観なわけです。

887 :時計 :2022/01/24(月) 12:35:31.08 0.net
>>885
スマホを見る意識に何か不都合はありますか?

888 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:23:10.32 0.net
スマホ見ないと着信した連絡に気づかずに私生活でも仕事上でも
支障が生じるからスマホを所持しているのでは。私はスマホなんて
持ちたくもないけど。

889 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:27:42.91 0.net
衣服の流行とかについて考えてみるといい。
万年、同じ衣服を見つけていても、擦り切れたのを廃棄したり、
寒暖の変化に合わせて重ね着したり、薄着にしたりしている
だけで、衣服の身体保護機能には何の問題もないはず。
でも、周囲が違うスタイルの衣服を着用しだす。すると、
違いに気づいて、別に新しいスタイルの方が機能性が
優れているというわけでなくても、今までのスタイルの
衣服はもう場違いであるという意識が生じる。
そうやって、機能性の関係なくファッションが変化する。

890 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:32:07.06 0.net
どういう衣服が場違いなのかに注意を払っていないと、
自分ではそのことを意識していなくても、周囲の人々が、
そのように場違いな衣服を身に付けていることに注意を向ける。
周囲の人々は、そのように場違いな恰好をしていることには、
特別な理由があるか、特別の意図があるに違いないと判断し、
その判断に基づいて、その場違いな恰好をした相手に
対して振る舞うようになる。そのことが、大きな不都合を生じる
ので、流行など気にしたくなくても、普通は周囲に合わせて
身に付けるもののスタイルを変える。

891 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:33:07.15 0.net
>>885
不都合という表現は勇み足だなw

892 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:38:42.79 0.net
>>890
そういう意味で老人が財を使わず貯め込む行為は正しいね
流行に疎いから無形財や食事に散財するならまだしも一生物にホイホイ使うと流行遅れのモノに金をドブに捨てることになる。孫にも相続してもらえない。

893 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:38:49.14 0.net
「勇み足」というのは出した足の置き場が不都合だから、
そのことを「意識しろ」という指摘ですよねw

894 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:40:36.85 0.net
何もしなければ勇み足は生じない

895 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 13:53:12.32 0.net
周囲がみな一歩踏み出しているのに、なにもしなければ、
頑固に足を出すことに抵抗していると見なされ、
非難の対象となる。

896 :時計 :2022/01/24(月) 14:03:32.62 0.net
>>888
スマホは連絡酒庵としても使えるが、
電車や布団の中で使えるのも個人的には大きい。
電子書籍も読める。

897 :時計 :2022/01/24(月) 14:29:28.13 0.net
>>896
正:手段
誤:酒庵

898 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 19:35:36.34 0.net
>>893

899 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 19:38:49.93 0.net
>>895
都合のいいところに出した足は丁度いい意識が生ずるぞアホw

900 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/24(月) 22:35:54.72 0.net
主観という集合の外側に非主観的客観(≒実在)がある。
この集合を裏返せば、客観という集合の外側に主観という公理がある公理系を構築できる。
それでいて全体(集合+反集合)は存在確率半径1の超球面である。
主観側も客観側も(存在確率の)曲率を持った集合となる。
この曲率を重力のようなものと考えるとおもしろい。とてもおもしろい。
いま考えているのがピタゴラス音律から超対称性による並進対称性を得ること。
超球面は「波」だ/のはずだ。
公理系にも対称性があり、公理系とその反公理系がつながっていて超球面になっている。
とりあえず公理的集合論と対称性をもっている反公理的集合を考えてみるw

>>885
まさしくその通りであって、なにかしら問題(矛盾)があるから「意識」が必要とされる。
問題がなければ「意識」など必要とされない。

901 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 00:56:29.49 0.net
lim x→∞ (sin(π/x))/(π/x)=1
なのだから、
lim x→∞ π/x≠0
でしょう。

902 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 00:59:25.56 0.net
というか、πは定数ではなく、数えることに応じて精度が高まるように
算出される値なのだから、lim x→∞で先回りして無限に達した状態を
想定することはできないということでは。

903 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 03:17:36.72 ID:ybXdxiar0.net
>>901
なーに言ってんだおめえ。だったら
lim[x→0]{x / x} = 1
だから
lim[x→0]{x} ≠ 0
なのか?そう言ってるのと同じで、論理が破綻してるっぺよ。徒に数式使うんでねぇ。

904 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 03:28:47.26 ID:ybXdxiar0.net
lim[x→0]{π/x}
が存在しないのは
lim[x→0]{1/x}
が存在しない理由と同じでπは関係ないっぺよ。

905 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 04:43:53.71 0.net
微分もできない馬鹿は哲学をやるな
哲学は優秀者のための学問だ
詩文か? 屁理屈はいかなる意味でも学問ではない!

906 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 06:40:31.76 0.net
>>885
おまえのそういうところがいろんなことを見落としてるんだろなw
誰かに似ているがそういうところやぞw

907 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:42:22.22 0.net
>>903-904
何を言っているのか私には分からないな。
πは、既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値なので、
lim [x→∞] π/x
もxが大きくなるにつれて算出される値であると考えるなら、
いくらxを大きくすることができても、その極限として、つまり、
先回りしてlim [x→∞] π/x=0
と考えることは、存在論的に整合性がないだろうと言っている。
存在論的な説明を数式に代用させることはできないだろう。

908 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:50:14.91 0.net
>>904
私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だと言っているのだから、
どう関係がないのか、言葉で説明してもらわないと不明ですよ。
lim[x→0] 1/xで同じ大きさを無限に分割するという問題の対応から
考えているのだから、数を数えることと、円周率と、連続性の問題の
関係を哲学的に言葉で説明してもらえなければ、私にとっては、
何も示されたことにはならない。

909 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:52:36.04 0.net
存在論について数学の方が、既に説明がついていると考える前提そのものが
どこに根拠があるのか不明。

910 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 09:29:55.02 0.net
誤:存在論的な説明を数式に代用させること
正:存在論的な説明に数式を代用すること

911 :でこすけ:2022/01/25(火) 12:44:12.30 0.net
>>860
>>872
私はヨーロッパ人を象徴するのは「自伝」だと思います。
「自伝」を書くようにして「哲学書」を書いている気がするのです
特別な感性をもっているのだろうという気がしたりするわけです。

かく言う私も「本当の世界をタヒぬまでには知りたい」とか思っています。
その時点でちょっと人間としてオカシイわけですけど、
ただ、それは「覚えること」ではなくて「わかること」であろうと考えるので
「言葉」ではなく「きっかけ」を探しています。
にしても彼らの情熱というのか執念というのかまではよくわかりません。
もっと別の動機なり要因なりがある気がするのです。
たとえば日常的に肉を食っているとそうなっちゃうのかな
という気がしたりします。

912 :でこすけ:2022/01/25(火) 14:27:06.81 0.net
>>858
「存在」の根拠についてですけど、とりあえず有名なものが「我思う」です。
私は「意識」の発生は生命以前の単純なものにさかのぼると考えますが、
つまりそのようなものはまだ言葉はもちろん感情や感覚も無い
おそらく私たちの潜在意識レベルのものに過ぎず
まして「考察」なんか絶対にあり得ないような気がしますけど、
しかしそれでも存在できている気はします。
少なくともこの世界には感覚さえ持たない潜在意識的なものだけの意識が存在
している可能性はある気がします。たとえば生まれる前の私たちです。
それでもそれは、一応いわゆる「実存(主観的存在)」です。

では、「実在(客観的存在)」とは何を持って「存在の根拠」にできるのか、
実存として存在しているもの(観測者)が存在していない世界では
物体はどのようにして存在しているのか、
あるいは先走って言うと「(空間的)ひろがりを持つ」というのはどういうことなのか、
「ちからを及ぼし合う」というのはどういうことなのか、
「存在を保つ」というのはどういうことなのか、
そしてそういったことなどは如何にして可能になるのかという問題です。
もちろん「世界は観測者(実存)がなくても成立するのか」につながります。


ところで私はビッグバンで宇宙空間ができたというのには飛躍をかんじます。
複数の物体の運動原理を統一するシステムは如何にして可能なのか、
「物理学的空間」というのはシンプルではない複雑な構造体のような気がするのです。
たとえると電話が発明された最初の電話がいきなりスマホだったかんじです。
そこまで行くためにはいくつかの段階を踏む気がします。
「物理学的空間」はア・プリオリに与えられるものではない気がするのです。

913 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:32:33.20 0.net
言葉として伝わるように矛盾なく記述して表現することは大切だ
さもなければ、まやかしばかりが横行することになる

914 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:36:34.87 ID:Mp27Fk4Y0.net
lim [x→∞]{π/x} ≠ 0

という間違っている式を提示している時点で取り合う必要がない話だし、
これ以上意図を汲み取ろうとするとグダグダになりそうだからやめるが、

極限値の厳密性の話なら、「無限」を避けるためにδε論法があるのだし、
無限回の試行や無理数を認めないなら直観主義論理というものがある。

915 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:45:58.46 0.net
無限小の長さは、無限小の円の円周長

916 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:48:50.89 0.net
ナメクジは知の塩に触れると干からびてしまうから、避けて通ろうとするほかない

917 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:50:17.07 ID:Mp27Fk4Y0.net
>>907
「既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値」
→それは極限値という。「極限値としてしか存在しない数」のことなら
それは(多分)「代数的数でない複素数」=超越数となるが、
超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

>>908
「私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だ」
表裏一体ではなく、円周率の計算は無限に数えることの内の一部でしかない。

哺乳類には首の長いキリンが含まれるが、首の長さが哺乳類の性質とは関係がないように、
極限によって円周率が求められるとしても、その一部である円周率の性質と極限とは関係がない。

とまあ、こういうことになるだろう。

918 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:53:24.31 ID:Mp27Fk4Y0.net
「極限値としてのみ存在する数」が「代数的数でない複素数」=超越数となるかどうかは自明ではないが、
そこの非自明性については身づ殻氏にとってはどうでもよいことなのであろう。

919 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:55:53.73 0.net
>超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

数学では、このような「数の存在」を前提とする表現や、
数学記号の用法によって、存在論の問題が隠蔽されているが、
そこで行われている数学操作を言葉で記述しようとすると、
そのままそこにどのような存在論の問題があるのかが
明らかとなってしまう。

920 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:58:05.95 0.net
円周率に極限はないのだから、「極限値としてのみ存在する数」ではないだろう。

921 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:04:58.47 ID:Mp27Fk4Y0.net
微分可能性の定義は、
lim[h→0]{(f(a+h)-f(a))/h}
が存在するとき
f(x)はx = aで微分可能。

連続性の定義は、
lim[x→a]{f(x)}
が存在して、その値がf(a)に等しいとき
f(x)はx = aで連続。

一般的に微分可能ならば連続であるということになっているが、
lim[x→a]{f(x)}が存在してもf(a)が存在しないまたは定義しないことがある。
その場合は微分可能かつ連続でないのではないから

922 :でこすけ:2022/01/25(火) 15:08:07.40 0.net
>>845
微妙にはなしがズレますが、先日ちょっとおもしろい話を聞きました。
私たちはえてして「精霊」というとマユツバだと決めてかかったりしますけど、
じつは「命」も似たようなものなのではないか、
数千年後の人類にとって「命」は迷信になるのではないかというのです。
「生命とは何か」実際にそれは定義すら厄介なものです。
その昔ポルノの定義で「見ればわかる」というのがあったそうですけど、
生命も「見ればわかる」
あながち間違ってはいない気もしてきたのでした。

923 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:12:38.34 ID:Mp27Fk4Y0.net
ではないか?

>>920
円周率は最も古い式で
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)}
という無限級数で表される。この無限級数というのが極限に他ならない。

924 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:13:32.35 ID:Mp27Fk4Y0.net
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)} = π/4
の間違い。円周率ではなく円周率の1/4。

925 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:19:55.47 0.net
>この無限級数というのが極限に他ならない。

これが存在論的に間違った表現。「極限」は存在しない。
無数えることに応じて、無限に精度を高めるように比として
表現できるという「操作を記述している」に過ぎない。

926 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:23:11.52 0.net
誤:無数えることに応じて
正:数えることに応じて

927 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:50:19.62 ID:ybXdxiar0.net
>>925
それって
0.999999... ≠ 1
っていうありきたりな話とはどこが違うの?

928 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:57:06.65 0.net
さすがナメクジだけあって、円周率の数値を任意の精度で計算することと、
小数点で同じ数字が続くことの間の区別がつかないようだねw

929 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:08:56.88 ID:ybXdxiar0.net
区別が付いてないのは煽りで誤魔化さざるを得なくなっている方だろう。
だから「無限の操作(≒極限)でしか表現できない数」として
超越数という助け舟を出したのだが意にかけなかったようだ。

930 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:12:57.63 ID:ybXdxiar0.net
まあ好意的に解釈するなら、身づ殻氏が構えているのは直観主義論理と同じであろう。
直観主義論理のコンセプトは排中律を認めないことだが、
そこから無限や無限回の操作の禁止といったことが導かれる。
全然詳しくないが極限も認められていないのではないか。

931 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:24:47.89 ID:ybXdxiar0.net
無限を認めないというか、「無限にそれに近づくことはできるが、
永遠に辿り着くことはできないもの、を存在として認めない」ということかな。
そんなのは蜃気楼とか馬ニンジンみたいなものだと。

932 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 16:40:08.53 0.net
行為を哲学的にしっかりと考えて忠実に表現することができないようだね。
だから、「無限や無限回の操作の禁止」の操作の禁止とか、どこにも
主張されていないことを、あたかも相手の主張であるかのように捏造
せざるを得ない。否定されているのは、任意に無限に操作することの
可能性などではない。その無限の操作が完了しているかのように
思いなして、それによって得られたとする存在者が目の前にあるもの
とする存在論だ。

933 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 16:40:51.61 0.net
「無限や無限回の操作の禁止」の操作の禁止とか ×
「無限や無限回の操作の禁止」とか 〇

934 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:47:04.35 ID:ybXdxiar0.net
>>932
同じことを別な言葉で言ってるだけだ。自分の領分から出ず汲み取ってもらう側の分際で
イチイチ解釈にケチをつける度量の狭さには敬服せざるを得ない。

935 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:54:42.94 ID:ybXdxiar0.net
自分の領分を出ない、というのは「私はこう思う」とか「私にとっては何も示されたことにならない」とか
あくまで「私」が思う限りにおいて自由であり、誰からも非難を受ける謂れはない
という無謬性の領域から出ないというこも。

936 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 17:07:47.11 0.net
無限の操作と、その操作が完了されたとすれば得られるものの存在
を混同していながら、その混同に気づくことすらできないから、
哲学にならないのですよ。

937 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 17:27:28.52 ID:BnNPgh4e0.net
無限が「その操作が完了されたとすれば得られるものの存在」の最たるものなのだから
無限も無限回の操作もそれを含意しているに決まっているだろう。

938 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 17:38:54.19 0.net
哲学の存在論では、そんな議論は成立しない。

939 :時計 :2022/01/25(火) 17:45:10.85 0.net
>>922
久しぶりに酒が入っています。
生命とは何なのか。科学的には細胞から構成されていることでしょうか。
そうするとウィルスなどはどうなるのかという話になりそうですが、
詳しいことは私は知りません。:)
見れば解る生命というものは、ある程度の大きさがありますよね。

>>911
最近、ショーパンハウアーの『意志と表象としての世界』を読みましたが、
2回は読めと、あとがきみたいなところに書いてあり、
どこからその自信はやってくるのかと思いました。
しかし、そのことには本人も自覚的みたいで色々と書いてありましたが、
しばらくは再読することはなさそうです。:)

本当の世界はどこにあるんでしょうね。
最近キリスト教に入信しようかなと結構真剣に考えています。
キリスト教、仏教、哲学と2足ならぬ3足のわらじが認められるなら、
ありかなと思っていますが、どうなることやら。
私は狂信的なタイプではありませんし……
とりあえず当たって砕けろというか、
やってみようかなという感じはしています。

私は神に関心があります。
神は死んだだとかいう哲学者はキライです。:)
話は聞きますけどね。

940 :時計 :2022/01/25(火) 20:59:20.35 0.net
>>938など
無理数は存在すると考えていました。
πはπということで。
n進数で表現することは無理ということで。
直観主義論理でも無理数は存在するのでは?
しないのかな。
何にせよ考え違いを人格の否定のように言うのは止めましょうよ。

941 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/25(火) 21:31:36.48 0.net
難しいことは考えずにπ進法をつかえばすっきりするのだ。
そのかわり、π進法の世界では整数が無理数になるw

942 :でこすけ:2022/01/25(火) 23:16:51.92 0.net
>>939
たとえば「生物」と「生命」との違いについて、
私はことさら区別をしてきたわけではありませんけど、
しかし個人的な印象としては(これはまったく個人的な印象でしょうけど)、
「生物」は細胞でできていて何らかの活動をしている物体であるのに対し、
「生命」と言うとたとえば宇宙の彼方にいるかもしれない非炭素系の生物や
極端に進化したロボットなどまでをも含み得る気がします。
あるいは貝殻のような残骸ですらざっくり「生命」のような気がします。
さらには伝統文化や古典芸能などでも若い人が新しい感性を注ぎ込んだものには
「焼き物は生きている」とか「歌舞伎は生きている」とか
そういう気持ちになることがあります。
はなはだいい加減な気がするわけです。

>本当の世界はどこにあるんでしょう
私はけっこう目の前にある気がしています。
本当の世界は見方を変えることによって見えるようになる気がするのです。
ところでせっかくなのでショーペンハウアーについてですけど、
これは私にとってはカントでもニーチェでもそうなんですが、
おおかた書いてあるのは当たり前のことのような気がするので
私には読む気が起こりません。
私としてはむしろ時計さんが面白いと言っていたメイヤスーの方が
気になります。
私の世界観は断然カント、ショーペンハウアー、ニーチェだろうと思いますが
(メイヤスーやマルクス・ガブリエルではなくて)
一方では「面白くなければ哲学じゃない」という気持ちがあるのです。
ただ、ショーペンハウアーが「2回読め」というのはわかる気がします。
哲学というのは覚えるものではなく理解するものだ(見方を変えるものだ)
という考え方が背景にあるのではないかと察するのです、
「訓練しろ」と言っているのではないでしょうか、知らんけど。

943 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 23:43:10.19 0.net
難しいことは考えずに、πの近似値として計算された数値、
例えば、π=3.14であれば、与えられた円の円周を1/314に分割し、
π=3.14159であれば、1/314,159に分割し、π=3.14159 26535
であれば、1/31,415,926,535に分割して、その1/nを単位として
円周長を測る/単位数を数えるものとイメージすればよいのでは?
すると、単位として用いられる1/nは、どんどん細かくなって、
次第に点と見間違えるほどになり、測定の精度は高まるけれども、
その大きさは、円周長が分割されている元の円の直径の1/nの
直径の微小な円の円周長となるのでは。

944 :でこすけ:2022/01/25(火) 23:54:02.35 0.net
>>939
それから余計なお世話ですけど、
私は宗教が悪いとは思いませんけど
ただ、宗教団体にはあまり良い印象がありません。
信頼できる宗教家なり信者さんなりと交流するだけであればいいと思いますが、
たとえばビーガンやフェミニズムがそれ自体悪いことではないにもかかわらず
しかしえてしてヤバい方向に陥りがちであるように、
信仰は組織化されると良くない方向に向く可能性が低くないもの
のような印象があります。
具体的に言ってしまうと、カネが絡むことがあって、
そしてDVを受ける女性のように、それでも従順になってしまう傾向があるようです。
これは「自分は大丈夫」と思っている人ほど云々と言ったりします。
察するにじつは時計さんの中では結論が出ている気もするのですが
それでも私はあえて慎重であることをおすすめします。
失礼致しました。

945 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 05:01:46.84 0.net
無理数なんて打ち消しあって1になればそれでしまいだアホw

946 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 05:15:08.65 0.net
πが定数ではないとか言ってる時点でスレ主はアホ確
こういうのがいるからソーカル事件みたいのが起こるw
どうせフリーメイソンやろ、ろくなやっちゃない
お前らごとき馬鹿どもが世界征服できるか、アホぬかせw

947 :時計 :2022/01/26(水) 05:30:54.26 0.net
>>942
「生命」ですか…… 難しいですね。
人工生命とかもありますね。

何でも面白い方がいいですね。
ショーパンハウアーは暗い気持ちになりますよ。:)
メイヤスーは明るい感じはすると思います。
2回読むのは、まあ、おいおいですね。

>>944
キリスト教は、「(キリストの)弟子を増やせ」と
聖書に書いてありますから、布教に熱心なのだと思います。
日本ではそれほど勢いはありませんが。
カルト的な要素はないか、話は聞いてみたいと思います。
カネに関しては、大丈夫じゃないかな。
普通のキリスト教だと思いますよ。

948 :時計 :2022/01/26(水) 05:33:08.70 0.net
>>946
定数ではないとか、言っていませんが……

949 :時計 :2022/01/26(水) 05:39:04.97 0.net
>>946
あと、世界征服とは? :)

950 :時計 :2022/01/26(水) 05:40:41.25 0.net
>>949
哲学的な世界であれば、征服かどうかは解りませんが、
この手に掴みたいと思います。

951 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 06:38:48.73 0.net
数学において求められる「極限」は、「(大きさのない)点」、すなわち、
「存在しないもの」として理念化されているのだから、「極限が
存在する」と言語表現して、それを真に受ければ、矛盾が生じるのは当然である。
この場合も、主要な西洋言語における言語使用の実践と比べて、
日本語の表現法の方が「合理的」である。数学上、極限はいかなる
場合にも「存在する」ことはなく、「求まる」場合と、「求まらない」
場合があるだけである。

952 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 06:52:00.13 0.net
しかし極限が存在しないならアキレスは亀を追い越せないのでは?

953 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:00:35.12 0.net
「極限」としての「点」が「存在しなく」ても、円周率は求められるし、
時計の針が回転することも可能ですが?

954 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:10:53.78 0.net
極限値が有限値になることもあるんだから極限は当然存在するだろう

955 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:18:45.46 0.net
円周率の値が極限の点として確定しなければ、回転が不可能であるというのなら、
アキレスは亀の想定では、アキレスが亀に決して追いつくことができないように、
時計の針が回ることもできない。しかし、円周率として「求まる」値は、
円周上の「点」として「存在する」わけではなく、任意の精度で無限に「求まる」
円周上の微小な単位として示され得るのである。その単位は、円周率の値が
「求まる」のに応じて、求まる精度の桁まで元の円の直径を1/nに分割する微小な
円の円周長に対応し、その微小な円は、元の円の直径上に並べられれば、その直径
を1/nに分割するのだから、求まる円周率の精度に応じてnが任意に無限に大きく
なり、1/nの大きさは次々に0に近づくものの、その大きさが極限として0となる
ことは決してない。

956 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:23:52.41 0.net
数学は言語表現を誤魔化しているから、言葉で説明しようとすると矛盾が
生じて、数式による表記で説明がついたことして逃げるしかなくなる。
しかし、哲学的な問題は、そのように数学の表記によって示されたことが、
「言語表現として」どのようなことに対応しているのかを明確に忠実に
示すことだ。

957 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:28:38.33 0.net
無理数も、小数点以下が無限に続いて書き終わらないから「存在しない」ってこと?
うーん、よくわからん
有理数までしか認めない立場?

958 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 08:21:24.21 ID:hHRXsbBe0.net
>しかし、哲学的な問題は、そのように数学の表記によって示されたことが、
>「言語表現として」どのようなことに対応しているのかを明確に忠実に
>示すことだ。
この、哲学的な問題が身づ殻氏の関心事なのだろう。だからこそ数学的な問題を疎かにしており、
言語表現としてどのようなことに対応しているかを明確に忠実に示せないでいる。例えば、

>数学において求められる「極限」は、「(大きさのない)点」、すなわち、
>「存在しないもの」として理念化されているのだから、
↑極限は「(大きさのない)点」ではないし、「(大きさののない)点」は「存在しないもの」ではない。
剰え理念化されてなどいない。例えば数直線上の1や2/7も点であるし、それを存在しないと言うのは狂人だけだ。

>「極限が存在する」と言語表現して、それを真に受ければ、矛盾が生じるのは当然である。
矛盾も生じていなければ、混乱も生じていない。「極限が存在しない」とする立場であっても、
どんな前提によって「極限が存在しない」とするかは数学的に明確であり、存在するか、しないかが紛れることはない。

959 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:22:13.57 0.net
有理数による無限の近似が可能であることを認める立場だが?

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