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意識のハードプロブレムの答え15

1 :時計 :2021/12/20(月) 04:11:34.94 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1637997170/

897 :時計 :2022/01/24(月) 14:29:28.13 0.net
>>896
正:手段
誤:酒庵

898 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 19:35:36.34 0.net
>>893

899 :考える名無しさん:2022/01/24(月) 19:38:49.93 0.net
>>895
都合のいいところに出した足は丁度いい意識が生ずるぞアホw

900 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/24(月) 22:35:54.72 0.net
主観という集合の外側に非主観的客観(≒実在)がある。
この集合を裏返せば、客観という集合の外側に主観という公理がある公理系を構築できる。
それでいて全体(集合+反集合)は存在確率半径1の超球面である。
主観側も客観側も(存在確率の)曲率を持った集合となる。
この曲率を重力のようなものと考えるとおもしろい。とてもおもしろい。
いま考えているのがピタゴラス音律から超対称性による並進対称性を得ること。
超球面は「波」だ/のはずだ。
公理系にも対称性があり、公理系とその反公理系がつながっていて超球面になっている。
とりあえず公理的集合論と対称性をもっている反公理的集合を考えてみるw

>>885
まさしくその通りであって、なにかしら問題(矛盾)があるから「意識」が必要とされる。
問題がなければ「意識」など必要とされない。

901 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 00:56:29.49 0.net
lim x→∞ (sin(π/x))/(π/x)=1
なのだから、
lim x→∞ π/x≠0
でしょう。

902 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 00:59:25.56 0.net
というか、πは定数ではなく、数えることに応じて精度が高まるように
算出される値なのだから、lim x→∞で先回りして無限に達した状態を
想定することはできないということでは。

903 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 03:17:36.72 ID:ybXdxiar0.net
>>901
なーに言ってんだおめえ。だったら
lim[x→0]{x / x} = 1
だから
lim[x→0]{x} ≠ 0
なのか?そう言ってるのと同じで、論理が破綻してるっぺよ。徒に数式使うんでねぇ。

904 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 03:28:47.26 ID:ybXdxiar0.net
lim[x→0]{π/x}
が存在しないのは
lim[x→0]{1/x}
が存在しない理由と同じでπは関係ないっぺよ。

905 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 04:43:53.71 0.net
微分もできない馬鹿は哲学をやるな
哲学は優秀者のための学問だ
詩文か? 屁理屈はいかなる意味でも学問ではない!

906 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 06:40:31.76 0.net
>>885
おまえのそういうところがいろんなことを見落としてるんだろなw
誰かに似ているがそういうところやぞw

907 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:42:22.22 0.net
>>903-904
何を言っているのか私には分からないな。
πは、既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値なので、
lim [x→∞] π/x
もxが大きくなるにつれて算出される値であると考えるなら、
いくらxを大きくすることができても、その極限として、つまり、
先回りしてlim [x→∞] π/x=0
と考えることは、存在論的に整合性がないだろうと言っている。
存在論的な説明を数式に代用させることはできないだろう。

908 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:50:14.91 0.net
>>904
私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だと言っているのだから、
どう関係がないのか、言葉で説明してもらわないと不明ですよ。
lim[x→0] 1/xで同じ大きさを無限に分割するという問題の対応から
考えているのだから、数を数えることと、円周率と、連続性の問題の
関係を哲学的に言葉で説明してもらえなければ、私にとっては、
何も示されたことにはならない。

909 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 07:52:36.04 0.net
存在論について数学の方が、既に説明がついていると考える前提そのものが
どこに根拠があるのか不明。

910 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 09:29:55.02 0.net
誤:存在論的な説明を数式に代用させること
正:存在論的な説明に数式を代用すること

911 :でこすけ:2022/01/25(火) 12:44:12.30 0.net
>>860
>>872
私はヨーロッパ人を象徴するのは「自伝」だと思います。
「自伝」を書くようにして「哲学書」を書いている気がするのです
特別な感性をもっているのだろうという気がしたりするわけです。

かく言う私も「本当の世界をタヒぬまでには知りたい」とか思っています。
その時点でちょっと人間としてオカシイわけですけど、
ただ、それは「覚えること」ではなくて「わかること」であろうと考えるので
「言葉」ではなく「きっかけ」を探しています。
にしても彼らの情熱というのか執念というのかまではよくわかりません。
もっと別の動機なり要因なりがある気がするのです。
たとえば日常的に肉を食っているとそうなっちゃうのかな
という気がしたりします。

912 :でこすけ:2022/01/25(火) 14:27:06.81 0.net
>>858
「存在」の根拠についてですけど、とりあえず有名なものが「我思う」です。
私は「意識」の発生は生命以前の単純なものにさかのぼると考えますが、
つまりそのようなものはまだ言葉はもちろん感情や感覚も無い
おそらく私たちの潜在意識レベルのものに過ぎず
まして「考察」なんか絶対にあり得ないような気がしますけど、
しかしそれでも存在できている気はします。
少なくともこの世界には感覚さえ持たない潜在意識的なものだけの意識が存在
している可能性はある気がします。たとえば生まれる前の私たちです。
それでもそれは、一応いわゆる「実存(主観的存在)」です。

では、「実在(客観的存在)」とは何を持って「存在の根拠」にできるのか、
実存として存在しているもの(観測者)が存在していない世界では
物体はどのようにして存在しているのか、
あるいは先走って言うと「(空間的)ひろがりを持つ」というのはどういうことなのか、
「ちからを及ぼし合う」というのはどういうことなのか、
「存在を保つ」というのはどういうことなのか、
そしてそういったことなどは如何にして可能になるのかという問題です。
もちろん「世界は観測者(実存)がなくても成立するのか」につながります。


ところで私はビッグバンで宇宙空間ができたというのには飛躍をかんじます。
複数の物体の運動原理を統一するシステムは如何にして可能なのか、
「物理学的空間」というのはシンプルではない複雑な構造体のような気がするのです。
たとえると電話が発明された最初の電話がいきなりスマホだったかんじです。
そこまで行くためにはいくつかの段階を踏む気がします。
「物理学的空間」はア・プリオリに与えられるものではない気がするのです。

913 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:32:33.20 0.net
言葉として伝わるように矛盾なく記述して表現することは大切だ
さもなければ、まやかしばかりが横行することになる

914 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:36:34.87 ID:Mp27Fk4Y0.net
lim [x→∞]{π/x} ≠ 0

という間違っている式を提示している時点で取り合う必要がない話だし、
これ以上意図を汲み取ろうとするとグダグダになりそうだからやめるが、

極限値の厳密性の話なら、「無限」を避けるためにδε論法があるのだし、
無限回の試行や無理数を認めないなら直観主義論理というものがある。

915 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:45:58.46 0.net
無限小の長さは、無限小の円の円周長

916 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:48:50.89 0.net
ナメクジは知の塩に触れると干からびてしまうから、避けて通ろうとするほかない

917 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:50:17.07 ID:Mp27Fk4Y0.net
>>907
「既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値」
→それは極限値という。「極限値としてしか存在しない数」のことなら
それは(多分)「代数的数でない複素数」=超越数となるが、
超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

>>908
「私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だ」
表裏一体ではなく、円周率の計算は無限に数えることの内の一部でしかない。

哺乳類には首の長いキリンが含まれるが、首の長さが哺乳類の性質とは関係がないように、
極限によって円周率が求められるとしても、その一部である円周率の性質と極限とは関係がない。

とまあ、こういうことになるだろう。

918 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 14:53:24.31 ID:Mp27Fk4Y0.net
「極限値としてのみ存在する数」が「代数的数でない複素数」=超越数となるかどうかは自明ではないが、
そこの非自明性については身づ殻氏にとってはどうでもよいことなのであろう。

919 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:55:53.73 0.net
>超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

数学では、このような「数の存在」を前提とする表現や、
数学記号の用法によって、存在論の問題が隠蔽されているが、
そこで行われている数学操作を言葉で記述しようとすると、
そのままそこにどのような存在論の問題があるのかが
明らかとなってしまう。

920 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 14:58:05.95 0.net
円周率に極限はないのだから、「極限値としてのみ存在する数」ではないだろう。

921 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:04:58.47 ID:Mp27Fk4Y0.net
微分可能性の定義は、
lim[h→0]{(f(a+h)-f(a))/h}
が存在するとき
f(x)はx = aで微分可能。

連続性の定義は、
lim[x→a]{f(x)}
が存在して、その値がf(a)に等しいとき
f(x)はx = aで連続。

一般的に微分可能ならば連続であるということになっているが、
lim[x→a]{f(x)}が存在してもf(a)が存在しないまたは定義しないことがある。
その場合は微分可能かつ連続でないのではないから

922 :でこすけ:2022/01/25(火) 15:08:07.40 0.net
>>845
微妙にはなしがズレますが、先日ちょっとおもしろい話を聞きました。
私たちはえてして「精霊」というとマユツバだと決めてかかったりしますけど、
じつは「命」も似たようなものなのではないか、
数千年後の人類にとって「命」は迷信になるのではないかというのです。
「生命とは何か」実際にそれは定義すら厄介なものです。
その昔ポルノの定義で「見ればわかる」というのがあったそうですけど、
生命も「見ればわかる」
あながち間違ってはいない気もしてきたのでした。

923 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:12:38.34 ID:Mp27Fk4Y0.net
ではないか?

>>920
円周率は最も古い式で
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)}
という無限級数で表される。この無限級数というのが極限に他ならない。

924 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:13:32.35 ID:Mp27Fk4Y0.net
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)} = π/4
の間違い。円周率ではなく円周率の1/4。

925 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:19:55.47 0.net
>この無限級数というのが極限に他ならない。

これが存在論的に間違った表現。「極限」は存在しない。
無数えることに応じて、無限に精度を高めるように比として
表現できるという「操作を記述している」に過ぎない。

926 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:23:11.52 0.net
誤:無数えることに応じて
正:数えることに応じて

927 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 15:50:19.62 ID:ybXdxiar0.net
>>925
それって
0.999999... ≠ 1
っていうありきたりな話とはどこが違うの?

928 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 15:57:06.65 0.net
さすがナメクジだけあって、円周率の数値を任意の精度で計算することと、
小数点で同じ数字が続くことの間の区別がつかないようだねw

929 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:08:56.88 ID:ybXdxiar0.net
区別が付いてないのは煽りで誤魔化さざるを得なくなっている方だろう。
だから「無限の操作(≒極限)でしか表現できない数」として
超越数という助け舟を出したのだが意にかけなかったようだ。

930 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:12:57.63 ID:ybXdxiar0.net
まあ好意的に解釈するなら、身づ殻氏が構えているのは直観主義論理と同じであろう。
直観主義論理のコンセプトは排中律を認めないことだが、
そこから無限や無限回の操作の禁止といったことが導かれる。
全然詳しくないが極限も認められていないのではないか。

931 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:24:47.89 ID:ybXdxiar0.net
無限を認めないというか、「無限にそれに近づくことはできるが、
永遠に辿り着くことはできないもの、を存在として認めない」ということかな。
そんなのは蜃気楼とか馬ニンジンみたいなものだと。

932 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 16:40:08.53 0.net
行為を哲学的にしっかりと考えて忠実に表現することができないようだね。
だから、「無限や無限回の操作の禁止」の操作の禁止とか、どこにも
主張されていないことを、あたかも相手の主張であるかのように捏造
せざるを得ない。否定されているのは、任意に無限に操作することの
可能性などではない。その無限の操作が完了しているかのように
思いなして、それによって得られたとする存在者が目の前にあるもの
とする存在論だ。

933 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 16:40:51.61 0.net
「無限や無限回の操作の禁止」の操作の禁止とか ×
「無限や無限回の操作の禁止」とか 〇

934 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:47:04.35 ID:ybXdxiar0.net
>>932
同じことを別な言葉で言ってるだけだ。自分の領分から出ず汲み取ってもらう側の分際で
イチイチ解釈にケチをつける度量の狭さには敬服せざるを得ない。

935 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 16:54:42.94 ID:ybXdxiar0.net
自分の領分を出ない、というのは「私はこう思う」とか「私にとっては何も示されたことにならない」とか
あくまで「私」が思う限りにおいて自由であり、誰からも非難を受ける謂れはない
という無謬性の領域から出ないというこも。

936 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 17:07:47.11 0.net
無限の操作と、その操作が完了されたとすれば得られるものの存在
を混同していながら、その混同に気づくことすらできないから、
哲学にならないのですよ。

937 :塩なめくじ:2022/01/25(火) 17:27:28.52 ID:BnNPgh4e0.net
無限が「その操作が完了されたとすれば得られるものの存在」の最たるものなのだから
無限も無限回の操作もそれを含意しているに決まっているだろう。

938 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 17:38:54.19 0.net
哲学の存在論では、そんな議論は成立しない。

939 :時計 :2022/01/25(火) 17:45:10.85 0.net
>>922
久しぶりに酒が入っています。
生命とは何なのか。科学的には細胞から構成されていることでしょうか。
そうするとウィルスなどはどうなるのかという話になりそうですが、
詳しいことは私は知りません。:)
見れば解る生命というものは、ある程度の大きさがありますよね。

>>911
最近、ショーパンハウアーの『意志と表象としての世界』を読みましたが、
2回は読めと、あとがきみたいなところに書いてあり、
どこからその自信はやってくるのかと思いました。
しかし、そのことには本人も自覚的みたいで色々と書いてありましたが、
しばらくは再読することはなさそうです。:)

本当の世界はどこにあるんでしょうね。
最近キリスト教に入信しようかなと結構真剣に考えています。
キリスト教、仏教、哲学と2足ならぬ3足のわらじが認められるなら、
ありかなと思っていますが、どうなることやら。
私は狂信的なタイプではありませんし……
とりあえず当たって砕けろというか、
やってみようかなという感じはしています。

私は神に関心があります。
神は死んだだとかいう哲学者はキライです。:)
話は聞きますけどね。

940 :時計 :2022/01/25(火) 20:59:20.35 0.net
>>938など
無理数は存在すると考えていました。
πはπということで。
n進数で表現することは無理ということで。
直観主義論理でも無理数は存在するのでは?
しないのかな。
何にせよ考え違いを人格の否定のように言うのは止めましょうよ。

941 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/25(火) 21:31:36.48 0.net
難しいことは考えずにπ進法をつかえばすっきりするのだ。
そのかわり、π進法の世界では整数が無理数になるw

942 :でこすけ:2022/01/25(火) 23:16:51.92 0.net
>>939
たとえば「生物」と「生命」との違いについて、
私はことさら区別をしてきたわけではありませんけど、
しかし個人的な印象としては(これはまったく個人的な印象でしょうけど)、
「生物」は細胞でできていて何らかの活動をしている物体であるのに対し、
「生命」と言うとたとえば宇宙の彼方にいるかもしれない非炭素系の生物や
極端に進化したロボットなどまでをも含み得る気がします。
あるいは貝殻のような残骸ですらざっくり「生命」のような気がします。
さらには伝統文化や古典芸能などでも若い人が新しい感性を注ぎ込んだものには
「焼き物は生きている」とか「歌舞伎は生きている」とか
そういう気持ちになることがあります。
はなはだいい加減な気がするわけです。

>本当の世界はどこにあるんでしょう
私はけっこう目の前にある気がしています。
本当の世界は見方を変えることによって見えるようになる気がするのです。
ところでせっかくなのでショーペンハウアーについてですけど、
これは私にとってはカントでもニーチェでもそうなんですが、
おおかた書いてあるのは当たり前のことのような気がするので
私には読む気が起こりません。
私としてはむしろ時計さんが面白いと言っていたメイヤスーの方が
気になります。
私の世界観は断然カント、ショーペンハウアー、ニーチェだろうと思いますが
(メイヤスーやマルクス・ガブリエルではなくて)
一方では「面白くなければ哲学じゃない」という気持ちがあるのです。
ただ、ショーペンハウアーが「2回読め」というのはわかる気がします。
哲学というのは覚えるものではなく理解するものだ(見方を変えるものだ)
という考え方が背景にあるのではないかと察するのです、
「訓練しろ」と言っているのではないでしょうか、知らんけど。

943 :考える名無しさん:2022/01/25(火) 23:43:10.19 0.net
難しいことは考えずに、πの近似値として計算された数値、
例えば、π=3.14であれば、与えられた円の円周を1/314に分割し、
π=3.14159であれば、1/314,159に分割し、π=3.14159 26535
であれば、1/31,415,926,535に分割して、その1/nを単位として
円周長を測る/単位数を数えるものとイメージすればよいのでは?
すると、単位として用いられる1/nは、どんどん細かくなって、
次第に点と見間違えるほどになり、測定の精度は高まるけれども、
その大きさは、円周長が分割されている元の円の直径の1/nの
直径の微小な円の円周長となるのでは。

944 :でこすけ:2022/01/25(火) 23:54:02.35 0.net
>>939
それから余計なお世話ですけど、
私は宗教が悪いとは思いませんけど
ただ、宗教団体にはあまり良い印象がありません。
信頼できる宗教家なり信者さんなりと交流するだけであればいいと思いますが、
たとえばビーガンやフェミニズムがそれ自体悪いことではないにもかかわらず
しかしえてしてヤバい方向に陥りがちであるように、
信仰は組織化されると良くない方向に向く可能性が低くないもの
のような印象があります。
具体的に言ってしまうと、カネが絡むことがあって、
そしてDVを受ける女性のように、それでも従順になってしまう傾向があるようです。
これは「自分は大丈夫」と思っている人ほど云々と言ったりします。
察するにじつは時計さんの中では結論が出ている気もするのですが
それでも私はあえて慎重であることをおすすめします。
失礼致しました。

945 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 05:01:46.84 0.net
無理数なんて打ち消しあって1になればそれでしまいだアホw

946 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 05:15:08.65 0.net
πが定数ではないとか言ってる時点でスレ主はアホ確
こういうのがいるからソーカル事件みたいのが起こるw
どうせフリーメイソンやろ、ろくなやっちゃない
お前らごとき馬鹿どもが世界征服できるか、アホぬかせw

947 :時計 :2022/01/26(水) 05:30:54.26 0.net
>>942
「生命」ですか…… 難しいですね。
人工生命とかもありますね。

何でも面白い方がいいですね。
ショーパンハウアーは暗い気持ちになりますよ。:)
メイヤスーは明るい感じはすると思います。
2回読むのは、まあ、おいおいですね。

>>944
キリスト教は、「(キリストの)弟子を増やせ」と
聖書に書いてありますから、布教に熱心なのだと思います。
日本ではそれほど勢いはありませんが。
カルト的な要素はないか、話は聞いてみたいと思います。
カネに関しては、大丈夫じゃないかな。
普通のキリスト教だと思いますよ。

948 :時計 :2022/01/26(水) 05:33:08.70 0.net
>>946
定数ではないとか、言っていませんが……

949 :時計 :2022/01/26(水) 05:39:04.97 0.net
>>946
あと、世界征服とは? :)

950 :時計 :2022/01/26(水) 05:40:41.25 0.net
>>949
哲学的な世界であれば、征服かどうかは解りませんが、
この手に掴みたいと思います。

951 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 06:38:48.73 0.net
数学において求められる「極限」は、「(大きさのない)点」、すなわち、
「存在しないもの」として理念化されているのだから、「極限が
存在する」と言語表現して、それを真に受ければ、矛盾が生じるのは当然である。
この場合も、主要な西洋言語における言語使用の実践と比べて、
日本語の表現法の方が「合理的」である。数学上、極限はいかなる
場合にも「存在する」ことはなく、「求まる」場合と、「求まらない」
場合があるだけである。

952 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 06:52:00.13 0.net
しかし極限が存在しないならアキレスは亀を追い越せないのでは?

953 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:00:35.12 0.net
「極限」としての「点」が「存在しなく」ても、円周率は求められるし、
時計の針が回転することも可能ですが?

954 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:10:53.78 0.net
極限値が有限値になることもあるんだから極限は当然存在するだろう

955 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:18:45.46 0.net
円周率の値が極限の点として確定しなければ、回転が不可能であるというのなら、
アキレスは亀の想定では、アキレスが亀に決して追いつくことができないように、
時計の針が回ることもできない。しかし、円周率として「求まる」値は、
円周上の「点」として「存在する」わけではなく、任意の精度で無限に「求まる」
円周上の微小な単位として示され得るのである。その単位は、円周率の値が
「求まる」のに応じて、求まる精度の桁まで元の円の直径を1/nに分割する微小な
円の円周長に対応し、その微小な円は、元の円の直径上に並べられれば、その直径
を1/nに分割するのだから、求まる円周率の精度に応じてnが任意に無限に大きく
なり、1/nの大きさは次々に0に近づくものの、その大きさが極限として0となる
ことは決してない。

956 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:23:52.41 0.net
数学は言語表現を誤魔化しているから、言葉で説明しようとすると矛盾が
生じて、数式による表記で説明がついたことして逃げるしかなくなる。
しかし、哲学的な問題は、そのように数学の表記によって示されたことが、
「言語表現として」どのようなことに対応しているのかを明確に忠実に
示すことだ。

957 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 07:28:38.33 0.net
無理数も、小数点以下が無限に続いて書き終わらないから「存在しない」ってこと?
うーん、よくわからん
有理数までしか認めない立場?

958 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 08:21:24.21 ID:hHRXsbBe0.net
>しかし、哲学的な問題は、そのように数学の表記によって示されたことが、
>「言語表現として」どのようなことに対応しているのかを明確に忠実に
>示すことだ。
この、哲学的な問題が身づ殻氏の関心事なのだろう。だからこそ数学的な問題を疎かにしており、
言語表現としてどのようなことに対応しているかを明確に忠実に示せないでいる。例えば、

>数学において求められる「極限」は、「(大きさのない)点」、すなわち、
>「存在しないもの」として理念化されているのだから、
↑極限は「(大きさのない)点」ではないし、「(大きさののない)点」は「存在しないもの」ではない。
剰え理念化されてなどいない。例えば数直線上の1や2/7も点であるし、それを存在しないと言うのは狂人だけだ。

>「極限が存在する」と言語表現して、それを真に受ければ、矛盾が生じるのは当然である。
矛盾も生じていなければ、混乱も生じていない。「極限が存在しない」とする立場であっても、
どんな前提によって「極限が存在しない」とするかは数学的に明確であり、存在するか、しないかが紛れることはない。

959 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:22:13.57 0.net
有理数による無限の近似が可能であることを認める立場だが?

960 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:23:45.55 0.net
>例えば数直線上の1や2/7も点であるし

存在するのは、「点」ではなくて、「比」だが?

961 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 08:27:02.61 ID:hHRXsbBe0.net
>>960
数学ではそんな議論は通用しない。ならばなぜ比は存在するのか?などと、数学で通用しない議論に立ち入るつもりもない。

962 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:28:33.21 0.net
哲学的に比は、比べる行為として存在する

963 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 08:29:34.83 ID:hHRXsbBe0.net
もう一度いうが、数学的な問題を忠実に捉えなければ、それを正確な言語表現に移すことはできない。

964 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:32:32.74 0.net
言語表現として説明することのできない数学が、数学者にも意味不明となる
ことは、宇宙際タイヒミュラー理論、およびそれによるABC予想の証明の
評価がまったく定まる方向に向かって動く気配すらないことが如実に示している
だろう。

965 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 08:38:51.11 ID:hHRXsbBe0.net
そんな先鋭的な話ではなく、一般的な公理系において「極限が存在しない」とは言われていない。
「極限が存在しない」と唱えるのは、ただ単に数学に明るくないひとだけです。

いつものように言葉遊びをしていればいいものを、
数学の成果を横取りしようとして数式を使い始めるからいけないのです。

966 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:42:42.78 0.net
そもそも、哲学的に見ても、数学的に見ても、
「塩なめくじ」/《sale limace》=1
である蓋然性が高いと考えられ、便所の落書きにおいてさえ
相手にするに及ばないものと思われて当然

967 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:46:50.60 0.net
「点が存在する」、「極限が存在する」は、数式でも、数学記号による表記でもなく、
数学の説明に頻繁に用いられる「日常的な言語表現の横領」であり、「濫用」だが?

968 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 08:56:21.02 0.net
« Sale limace, arrête de baver sur mes excréments! »

969 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 08:59:01.62 ID:hHRXsbBe0.net
日常で存在するなどとは言わない。あるとすれば「哲学的な言語表現との干渉」だろう。
それすら幾何学や解析学の素養があれば起きようのない、低次元なもの。
その次元に問題を引きずり降ろそうとすることは、偉人たちが積み上げた成果に対する侮辱に等しい。

970 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 09:12:53.01 0.net
>あるとすれば「哲学的な言語表現との干渉」だろう。
>それすら幾何学や解析学の素養があれば起きようのない、低次元なもの

であるとするなら、「幾何学や解析学の素養がある」数学者や哲学者は、
干渉の起きない言語表現で数学を説明できるはずだが、哲学と数学が
今でも乖離しているのはなぜですか。乖離がないのなら、数学者は、
哲学者の存在についての表現を数式として表現できるはずであり、
哲学者は、数式による証明を哲学の言語表現にそのまま移すことが
できるはずでは。ところが、実際には、「宇宙際タイヒミュラー理論」
の例に見られるとおり、数学者の間ですら数学の言葉も通じない。

971 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 09:23:27.56 ID:hHRXsbBe0.net
>>970
>であるとするなら、「幾何学や解析学の素養がある」数学者や哲学者は、
>干渉の起きない言語表現で数学を説明できるはずだが、
↑読み取ることと表現することを同一視した飛躍。
専門領域は専門用語で語るのが誤解が少ない。

>哲学と数学が
今でも乖離しているのはなぜですか。
↑乖離していない。

>乖離がないのなら、数学者は、
哲学者の存在についての表現を数式として表現できるはずであり、
>哲学者は、数式による証明を哲学の言語表現にそのまま移すことが
できるはずでは。
↑読み取ることと表現することを同一視した飛躍。以下略。

>ところが、実際には、「宇宙際タイヒミュラー理論」
>の例に見られるとおり、数学者の間ですら数学の言葉も通じない。
↑そんな先鋭的の話はしていない。最先鋭的な領域で揺らぎがあるのは当たり前。
極限は300年間も踏み固められ共有されてきた概念で全く異なる。

972 :塩なめくじ:2022/01/26(水) 09:28:18.01 ID:hHRXsbBe0.net
スマホで打ちにくいから引用記号がぐちゃぐちゃになったけど諸賢の読解能力ならば読み取れると期待している!

973 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 09:55:05.25 0.net
>最先鋭的な領域で

局所的に理解されない部分があるというのではなく、全体として
その記述の言語が数学者の間で通じていないのが現状だろう。
でなければ、少なくともどこに不明な点があるのか、
一般の数学者の間で共通の理解が可能となる。そのような詰めすら
不可能な状態にあるということ。

974 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 12:06:36.18 0.net
まぁ、形式論理で表現され得る存在が数学の価値、論理で表現され得る存在が哲学の価値といったところではないですか

975 :時計 :2022/01/26(水) 12:57:24.04 0.net
新スレッド、立てました。

意識のハードプロブレムの答え16
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1643169286/

順番に混乱のないよう古いスレッドから使用して下さい。宜しくお願いいたします。

976 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 13:21:32.93 0.net
>>943と同様のことを逆方向から、つまり、円周長からではなく、
直径から示すことを示唆しているのが、フェルスター、『哲学の25年』のp.507に
図示される数概念もしくは単位概念についてヘーゲル的な捉え方の説明だろう。

その図は、数を数えるのに、既定の長さの直線を、数えられる数nに応じて
1/nに等分することを示している。数は無限に数えることができるので、
それに応じてnは任意にいくらでも無限に大きくなり、1/nの長さは無限に
小さくなるが、その総和、つまり、n/n=1は元の直線全体の既定の長さ
なのだから、1/nの長さが0になることは決してない。有が無になることは
ないということで、当たり前のことである。元の既定の長さの直線を円の
直径と見なすなら、極小の1/nは、元の円の円周長πを1/nに分割する
円周長π/nを有する円の直径ということになるだろう。

977 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 13:29:56.18 0.net
算数しか分かっていない感あるな

978 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 13:45:13.46 0.net
数学の技法を駆使するようになると、算数が分からなくなる、
つまり、証明済みであるものとして利用する手続きが、
算術として何をどのように計算していることになっている
のか説明ができなくなるということが、一般的によくある。

979 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 13:47:01.82 0.net
数学として証明済みである手続きを組み合わせてうまく使える
ようになる技能を身に付けることは、哲学をすることには
役に立たない。

980 :時計 :2022/01/26(水) 18:28:27.29 0.net
>>978
数学を学ぶと算数の理解も深まると思うが。

981 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 18:33:25.41 0.net
和差算は方程式よりも算数の方が解きやすいと思う

982 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 19:29:45.90 0.net
円周率が無限に単位を数えることの裏である、つまり、単位とされる
1の裏であるという関係は、次のように考えれば、容易にイメージできる
のではないか。

>>976の場合と同様に既定の長さの直線を、数えられる数nに応じて
1/nに等分することを想定して、その既定の長さの直線を与えられた
円の直径であると見なす。ただし、この場合、その与えられた円の
円周長と単位として定義して1とする。すると、任意に無限に1/n
等分されることになる直径である元の既定の長さは、1/πである
ことになる。1から無限に数を数えることに応じてその直径を1/n
等分していけば、1/nは任意にいくらでも小さくなるが、その長さが
0になることは決してなく、1/(nπ)として微小の円の直径となり、
無限の数の微小の円の円周長を総計すれば、元の円の円周長と
等しい1となる。つまり、その微小の円の円周長によって元の円の
円周長1もやはり1/n等分される。ここで、nは、数を1から無限に
数えつづけることに対応するのだから、元の円周上の任意の無限に
小さく限定され得る位置が、その任意に無限に数えられるnとの
関係で示されることになる。そのような任意の位置は、通常、
円周上の点としてイメージされるものだが、論理的に考えるなら、
その点としてイメージされて特定される位置は、無限小の円の
円周長に対応していることになるだろう。

983 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 19:35:19.84 0.net
ヘーゲルの哲学が奇妙に見える、したがって、ヘーゲルを受け継ぐ
マルクスの思想が奇妙に見える点もそのことに関連している。
あたかも円周長が単位で数え切れた状態を想定して、そこから
理性によって現実を統制できるかのように夢想しているような
言説を展開しているという印象を受けるのである。

984 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 19:38:54.53 0.net
誤:円周長と単位として定義して
正:円周長を単位として定義して

985 :時計 :2022/01/26(水) 20:59:34.12 0.net
有理数は稠密だが連続ではない。
実数は稠密であり連続である。
この辺りから無理数の存在は言えるのかなと思います。
ただ、私はあまり詳しくはありません。
間違えていたら御免。

986 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 21:16:36.71 0.net
ヘーゲルとマルクスの間にフォイエルバッハを挿入すればわかる。
宗教の問題が横たわっている。

987 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/26(水) 22:38:55.86 0.net
点を集めても線にはならないが、
線は点の集まりである。
点の集合を考えた時、外延ではだめだが内包ならなんとか線になれる。
ドコに違いがあるのかといえば、無限性である。
あくまでも飼いならされた無限性であって、野生の無限性や野良無限を扱うのは難しいw

988 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 07:11:14.46 0.net
>>982
このように数えることに応じて任意に無限に等しく分割される直径と、
その分割された直径の長さをその都度、直径とする円、ならびに
そのより小さい円の円周長に対応するものとなる、全体としての
円の円周上の単位の関係を、ヘーゲルの哲学やそれを受け継ぐ
マルクスの思想の論理の隠喩として用いるなら、全体的な理性の
側から自らのひと(等/一/人)しさ(すなわち、単位としての性質)を
規定しようとすることが、欺瞞とならざるを得ないだろうことが
見えてくる。

989 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 07:39:52.37 0.net
つまり、それは、任意の行為とそれによってもたらされる結果の関係を
逆立ちさせてしまうことになるのだ。

「できることにおいて自らであろうとする」(全体の直径を任意に1/nに
分割して、1/(nπ)を直径とする小さい円を形成しようとすることに喩え
られる)から、全体の円においても、その円周上で単位としての地位、
すなわち、自らのひと(等/一/人)しさが確保されるのであって、
全体の円の円周上で既に単位としての等しさが規定されているものと
するなら、任意にnを数えることは不可能となり、小さい円の直径で
ある1/(nπ)もあらかじめ決められたものとなる。したがって、任意に
数えることが「できることにおいて自らであろうとする」ことも
あらかじめ阻止され、自らが生きようとすることそのものが許され
なくなり、生かしておいてもらうだけの状態に陥ることになる。

990 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 07:57:29.24 0.net
ところで、日本語の「いき(息/生)る」とは、その発音から、
「方向性を有する『ゆ(由)』の作用」/「い/yi」が
「求心的」/「き」に「働く」/「る」ことを想起させる表現だろう。

991 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 09:17:51.38 0.net
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

自らが十全に生きることは、心ゆくままに自らにできることをすることある。
したがって、自らが数ならぬ者に過ぎないことをわきま(弁)へてわ(和/環)を
尊ぶというのは、一見、謙虚で倫理的な態度であるように思えるものの、
各々が「できることにおいて自らであろうとする」ことを忘れるなら、
たちまち、禁欲主義を掲げることによって自らの優位を確保するように
他者を抑圧しようとする傲慢な全体主義に陥るだろう。

992 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 11:52:08.42 0.net
誤:心ゆくままに自らにできることをすることある
正:心ゆくままに自らにできることをすることにある

993 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 14:03:40.96 0.net
マルクスは微分に関心を持っていたし、
フォイエルバッハは自然科学に関心を持っていた。

994 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 15:37:02.94 0.net
11 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2022/01/27(木) 12:20:30.06 0
生物も物質の集合体だから実は集団意識の様なものなのさ

995 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 16:20:26.04 0.net
それなら、集団意識のようなものではなく、意識の寄せ集めのようなものでは?
そもそも、多細胞生物の個体もその起源からして、相反する利害の調整を
必要とする複合生命体であるわけだし。

996 :考える名無しさん:2022/01/27(木) 16:23:15.73 0.net
相反する利害を調整する統制理念として「理性としての主体」を
仮定することが要請されるのでは?

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