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仏教哲学総合スレ6

891 :考える名無しさん:2023/11/01(水) 00:01:41.32 ID:0.net
①あるお弟子が釈尊に、死んだ後はどうなりますかと聞いた。釈尊は何もお答えになろうとしませんでした。
釈尊は死後の世界のことを語ろうとしなかった、とされる「無記」 ということで知られている場面です。
そしてそのお弟子に、
「そういうことより、 今どうやって立派に修行し悟りを開くかを考えなさい」と伝えた、といいます。
②一方、法句経などでは釈尊は
「悪いことをした人はこの世で憂い、 来世でも憂い、二つところで共に憂う」 と説いてます。普通に来世のことを説いています。
③涅槃経の元となる最後の旅を記した遊行経では、釈迦滅後のことを心配するお弟子に対し「捨命住寿」、(私は五蘊の命を捨てアーユス(寿)、縁起生の命に住むのだから心配しなくてよい)と答えています。自身の死後の世界について語っています。

対機説法というものですが、 来世について語ったり語らなかったり、釈尊は相手によって話を変えてるのでは?と言われる理由の一つとなる場面です。 人によって話を聞ける前提条件、機が違うので、相手の機縁を察し、それに合わせた話をしているのだ、という説明もよくされてきました。
この 「来世」 や 「過去世」 という言葉は、インドでは現日本語とかなり違う意味の広がり方をしています。
来世・未来世、前世・過去世という言葉にはもちろん死後の世界・生まれる前の世界という意味もあるのですが、初期仏教の説有一切部などは「刹那滅(せつなめつ)」という考え方に基づき、

法がまだ作用をおこさない時が未来世。
作用をおこしたその瞬間が現在世。
その作用が終わった時が過去世。

そんな感じで説明しています。
未来世や過去世に対する考え方が、現代日本語的な世界とわりとまるっと違ってることに留意していただきたいです。 未来世というのは「これからのこと」になるんですね。
「後生の一大事」 の後生もまあざっくりと似たようなもので、「これからの人生」 が蓮如さんの言われる「後生」 になります。

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