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仏教の空を解説する寺子屋
- 86 :考える名無しさん:2022/06/10(金) 18:03:20.95 0.net
- >>79
端的に言えば、「脳内の観念("写真")と認識の対象("被写体")の断絶」が「空」である、というのが君の解釈だな。
そして君は、そのことをもって、「世界に実体はありえない」ということを言おうとしているわけだ。
しかし、「"写真"と"被写体"が断絶している」と言うことは、実は「"写真"は実体である」と言うことに等しい。
そのことに君は気づけているだろうか?
"写真"というものが、"被写体"というものから「断絶」しているということは、つまり"写真"は"被写体"とはまったく無関係に、独立して存在することができる、ということだ。
そして、ここでいうところの"被写体"というのは、認識の対象、すなわち生成変化する現象のことを指す。
とすると、"写真"というものは、現象とはまったく無関係に、独立して存在することができる、ということになるな。
しかし、「現象とはまったく無関係に、独立して存在することができる」というのは、まさしく実体の特徴そのものなのではないか?
確かに「空」は「世界に実体はありえない」とする教えだ。
しかし、私が言いたいのは、「空」とはそういう教えであるのにもかかわらず、君が、「空」を説明するときに、観念という実体を密輸入してしまっている、ということなのだ。
実際、君は>>48や>>71で、「"写真"は実体である」という主旨のことを言ってしまっているな。
まあそれが君の意図に基づく行為なのかどうかは分からないが(おそらく「知らず知らず」なのだろう)。
何にしろ、やはり君は、>>73の言うとおり、全然「空」を分かっていないな。
…というか君のは、ありがちな勘違いの一つなんだよ。
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