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意識のハードプロブレムの答え24

1 :時計:2022/12/24(土) 10:37:40.26 0.net
存在は主観的である。
客観はある種の主観である。
全ての事物は客観化可能である。
クオリアは「立ち止まり」として客観化可能である。
脳神経系を含む客体は、主観を精緻に表現したものである。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側に存在する。
客観的主観を哲学的キマイラと呼ぶ。
主観、意識、クオリア、心、私……
何か一つ「そのようなこと」を示す記号が必要である。

意識のハードプロブレムの答え23
https://lavender.5ch...gi/philo/1665765420/

412 :anonymouse :2023/01/07(土) 02:51:19.02 0.net
ここまで考えるとむしろ、
真=真が真で偽=偽が真でなければならないと考えるようになるな

413 :75:2023/01/07(土) 04:09:18.19 0.net
海は海である、空は空である、AはAである。意識はこれらの同語反復に「区別」と「区別の同一性」を見ている。

AとAは同一のものあるが、そこには意識による右Aと左Aの分類があって区別がある。同時に本質的な意識はその区別から「区別の同一性」を構成する。

区別の同一性は右Aと左Aの法則である。この法則は左右の区分を等しく統一するが、区別は常にこの法則を試している相互的な関係である。

こうした相互的な関係性から本質的意識が自覚され、同時に相互的な運動を意識は形成していたということを知れるだろう。

そうして、その真偽の区別は「区別」と「区別の同一性」の相互的な関係性が成立しているかどうかに掛かる。

そして、この真偽の区別、「真の本質」とは以上の関係性に対する同意と承認の有無に掛かるのである。それは今まさにその真が試されているからである

414 :anonymouse :2023/01/07(土) 04:36:56.03 0.net
>>410
>二値論理の真と対応する数字は1しかない

別の対応の仕方もあるかも知れない
例えばe^xを対応させたら?
俺はよくわからなくなってきた

415 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 07:29:48.18 ID:0.net
数が可分な単位であると常識はいう。カントにとっては直観を数えるという科学であったが、ここに自明される直観は単一性であり、"意識(注意)"する限りにおいて分割されることをベルクソンは客観化と捉え、空間の問題と考えた。

色即是空、空即是色を往年の中観派の僧侶は「色の性質(本質)」として「本質のない色」を議論したが、"真空"を考えたベルクソンの科学に照らせば、「即是」ではないことになる。

このスレにおける「シンプル」は真であるかは、常識から精緻に試みなければならない直観だろう。なぜ「意識」は「気分」ではないのか。子供の発育にとって、部屋も"シンプル"なほうが良いのか。そうなら、それは何故なのか。

ここで必要な哲学を考えることがスタートだろう。

416 :380:2023/01/07(土) 07:59:42.51 0.net
>>380の補足
簡単に言えば、数学・科学での前提は答えとしての真理の一面を
見出すためのツールだということですね。
前提がなければ真理は見出せないと。

417 :でこすけ:2023/01/07(土) 09:30:14.70 0.net
>>373
私の考察は入門レベルのつもりなので 正しさより分かりやすさを優先したい
と思っています。考えて結論を出すのは私ではないという前提です。
「気のせい」という言いまわしは誤解を生むようで、
その意味で乱暴な表現だったということでしょうけど、
ようするに「絶対確実は無い」ということです。
たとえば同じ前提を共有すれば同じ結論が導かれる ということも
私としては「絶対」とは言いにくいです。
なぜなら それを考えている人間の方に完全な知性を期待できないからです。
「人間にはまともに考える能力は無い」
なので理性は狂気の一種だとか、哲学は学問ではなくてゲームに過ぎないとか、
そういうことを繰り返し言っているのです。
純粋理性批判とか不確定性原理とか、多分みなさんもご存知のはずです。
しかし知っていることと分かっていることとは別のことですから、
また、哲学者が自分にまともな論証力が備わっていないということは
なかなか認めづらいことでしょうから、
多少の混乱もあるということだと思っています。

418 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 09:44:49.83 0.net
探し物って普通探す対象の由来があると思うんですよ
でも哲学の真理って、その性質とされている「全てが説明可能である」以外に手がかりが無い 由来がわからない
なのに我々は皆大体同じ場所を探している気がするんです
なぜ我々は「ここ」を探索して真理を発見しようとしているのか、という根拠って恐らくこの辺りに準真理的なものが沢山落ちていると思っているからなんです

419 :でこすけ:2023/01/07(土) 09:46:30.62 0.net
たとえば「疑問」も気のせいだと考えます。
ことさらな謎があるわけではないシュールレアリスムの絵画に謎を感じるのが
気のせいであるように、
「1+1=」に数学的な問いを感じるのも基本は気のせい、
以前誰かから「謎というクオリア」みたいな表現が出ていましたが
私もそういうことだと思います。

あるいは「疑問」とか「理解」とかも
何らかの摂理によって生じた自然現象のひとつです。
そういったものも自然から切り離されてあるわけではありません。
世界の外側から世界を理解したり疑問を投げかけたりすることは
できないはずです。
たとえば攻撃衝動の本質が攻撃とは関係ない、ただの衝動にすぎないように、
意味の階層理論からすれば、
疑問は疑問そのものと、理解は理解そのものと本質的に関係はないはずです。
つまり疑問も理解も「気のせい」ということです。

420 :でこすけ:2023/01/07(土) 09:59:07.20 0.net
>>418
私は「真理」には懐疑的です。
しかし「哲学の真理」はあると思います。

ただ「哲学の真理を探究する人生」 
私のことですけど 
どーなのかなー 若者におすすめしていいのかなー
私はとっくに不惑を過ぎましたけど、迷いっぱなしです、
今更どうにもなりませんが。。。
(最近自分の顔が歪んでいることに気がついた)

421 :でこすけ:2023/01/07(土) 10:33:11.74 0.net
>>376
私が「絶対」という言葉を覚えたのは小学生の頃か
ひょっとするとそれ以前です。
「ぜってーだな !?」みたいに相手を詰問する際に使用していた、
あるいは周りで流行語のように広まっていた印象があります。
私は単純に、絶対不変で何が何でも変わらない、程度の意味で使っています。

さて、大人になって「相対」という言葉を覚えてからのポイントは
対象は認識とのセットで成立する ということです。
これは見る角度によって見え方が変わるというだけでなく
見方によって対象そのものが変化するということです。
ちなみにこれは物理学界隈では検証されている印象があります。

私としてはじつは対象は物体であれ概念であれ そのようなものは無いんですが、
つまり何故認識者による働きかけによって対象が変化するのか、
本当は対象は始めから無かったのだ
というのがオチとしてはいいかんじなのではないか というかんじです。

422 :でこすけ:2023/01/07(土) 10:57:15.59 0.net
>>372
個人的な探偵ゲームの続きで恐縮ですが、
私にはいわゆる唯我論はありません。
私以外にも世界を体験している人はいるはずです。
二元論もありません。
私に言わせれば、ウルトラマンが実在しないということが検証するまでもないようにして、検証するまでもなく 人間の妄想(印象に基づくだけの)です。
また、物理学はいわゆる物質のイメージを大きく変えたと思います。
あるいは生命などについてを考察すると 唯物論は微妙な気がする、
すると残ったのが唯心論です。
パッと見「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」
私でもおもいますよ、何しろすべてが幻想という話で
それにしては現実はよくできている、でくすぐている、
探偵小説では残ったものがどれほど突飛でもそれが真実とか言いますけど
どっかで道を誤ったかなとも思ったりするわけです。

それにしても物質と精神とが異なる実態として両方とも存在する
ということを論証する人が出てこないところを見ると
そろそろマジメに腹をくくらなければいかんのかな
とも思うわけです。
腹をくくって何をするのかは不明ですが。

423 :時計 :2023/01/07(土) 11:05:10.77 0.net
何か議論というか説教みたいになってきたな。:)

424 :時計 :2023/01/07(土) 11:10:47.48 0.net
>>421
そういう意味での絶対は無いな。それは私もそう思う。
ただ、物質は存在するとしか考えられない。

425 :時計 :2023/01/07(土) 11:12:25.97 0.net
それこそウルトラマンじゃないかな。
デカルトなら思惟する我は存在するというところだけど。

426 :時計 :2023/01/07(土) 11:14:57.78 0.net
デカルトとでこすけさんの違いというのは、中々面白いテーマじゃないかな。

427 :時計 :2023/01/07(土) 11:16:02.55 0.net
でこすけさんはどう思いますか?

428 :時計 :2023/01/07(土) 11:19:12.02 0.net
>>424 追記
物質の存在は確率1ではないね。それを妄想とは呼ばない。:)
幻想はまだいいかな。

429 :時計 :2023/01/07(土) 11:26:18.51 0.net
明日太陽が東から昇るという考えは幻想だ、という言い方は意味不明ではない。
もっといい言葉があればとは思うが。

430 :時計 :2023/01/07(土) 11:27:39.35 0.net
私は確率1ではないと言うけど。

431 :時計 :2023/01/07(土) 11:28:48.81 0.net
>>422
ところで、唯我論と「私以外にも世界を体験している人はいる」は両立するよ。

432 :時計 :2023/01/07(土) 11:36:41.47 0.net
>>430 追記
言うけどというか言ったけど。:)

433 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 11:43:24.79 0.net
>>417
恐らく皆さん、でこすけさんがわかりやすく時節の解釈に注釈を加えて主張してるのは理解してるんじゃないかな。難解な純粋理性批判や不確定性原理を策っと提示しても等しさという意味で正しい共通知識になっているかどうかすらわかりませんしね。
正しさよりわかりやすさを優先した「絶対確実はない」のストーリーを提示することで納得したり何かしらの思いを遂げる意義があるんだろうなぁ等々、いろんな心象は持たれるでしょうけど、考えて結論を出さねばならないストーリーかというと、知性を期待していないでこすけんの思うストーリーなので、感想はあっても、本当は気のせいで最初から対象はない主張ですから考えさせられるまでは及ばないんじゃないでしょうかね。

434 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 12:07:27.94 0.net
「真=真は真であり偽=偽は真だ」
ってことは表記としては
「A=AはAでありB=BもA」になる
この論法が真じゃないのは
前者で「真であり」とした真=真が真を
偽=偽は真だと翻してるから。

そもそも「真=真は真」なのに
次に「真」が偽=偽にとって変えて
しまうのには、他意を含むから
ではないか。

真意と表記が等しくないのだから
「真=真は真であり偽=偽は真だ」
は真理じゃないということではないかと。

435 :非標準超球面論理 :2023/01/07(土) 12:34:08.70 0.net
ん?
False = False はTrueですけど?

TrueとFalseは双対です。
True=True->True の双対は
False<>False->False またはNot(False=False)->False

436 :非標準超球面論理 :2023/01/07(土) 12:39:40.89 0.net
True/FalseだけでなくNullが入ってくると話は変わる。
式にNullがひとつでも入ってくると結果は必ずNull

437 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 12:52:50.87 0.net
は?

438 :75:2023/01/07(土) 12:59:55.87 0.net
>>421
「対象は始めから無い」というのは、境界線による分類以前の前言語的な意識の真理だと言えるだろう。ただし結論(終点)が始まり(始点)に行き着くのには意味がある。

この終点と始点の循環が、まず一者が自らを多様に作り出し、そして作り出されたものが再び自らの源泉に戻っていくという円環を成しているのである。

439 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 14:09:49.36 0.net
横だけど、f=f⇒tの件は、形式論理に挑んでtではないsやxが判定された場合に前提命題から判定することに対する内実レベルの懐疑じゃない?

440 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 14:20:49.01 0.net
ちなみに円環というなら因果の形で、ビリヤードの一突きはどの球を叩いても良さそうですね。

441 :時計 :2023/01/07(土) 14:53:05.28 0.net
>>434
日常的な言葉で言うと、誤りを誤りということは正しい、ということじゃないかな。
真理でない理由はよくわからない。

442 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 16:23:05.04 0.net
誤りって言っちゃうと、誤りを正しい、白を黒と言う感じになっちゃうから、赤は本当に赤なのか、況んや赤が青というのを正しい等とは、

赤青に白黒つけるな、って感じ?

443 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 16:47:12.03 0.net
アドレスと値をごっちゃにするかたわがおるのけw

444 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 16:55:48.50 0.net
こいつでこちんやろw

445 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 17:31:36.55 0.net
>>441
「真=真は真であり偽=偽は真だ」でそう理解しようという
意図はわかりますけど
>ただし、真=真が真で偽=偽が真というのは非対称だと思う
という認識なんですよね・・・
「真=真は真」と「偽=偽は真だ」の双対は
論理的に「真」でつり合った対称の文だと思うんだけど
誤りなのかなぁ?

446 :時計 :2023/01/07(土) 17:54:39.57 0.net
>>445
形式的な話をすると、偽→偽=真は真の定義だとも言えると思う。1+1=2みたいな。
偽と→があれば、命題論理は表現できると思う。
ただ、飽くまでミニマリズム的な観点だから、それが真理だというのとは少し異なると思う。

447 :非標準超球面論理 :2023/01/07(土) 18:01:42.53 0.net
双対(dual)ってのは、裏表の関係のようなもので、
実体がひとつで、別の方向?からみたもの。
(超がついたとしても)対称性を持つ。
ノードとエッジも入れ替えたものは双対。(ただし非標準である場合もあるw)
正六面体と正八面体も双対。見た目が全然違う場合でも双対だったりする。

448 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 18:02:47.57 0.net
>>446
「真=真は真であり偽=偽は真だ」の文で真偽の真を論理的に示せているのか
どうかじゃないんでしょうか(時計さんの主張じゃないのになんか申し訳ないですが)

449 :時計 :2023/01/07(土) 18:08:55.68 0.net
>>448
綺麗な定義であれば、A→A=真とかはどうかな。

450 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 18:15:19.19 0.net
>>449
真の定義として綺麗ですね。

451 :非標準超球面論理 :2023/01/07(土) 18:59:24.00 0.net
うーん。偽の定義はどうするんですかねぇ。
ま、体系内で通常の主観的世界である限り、タルスキの定義不能定理からは逃れられませんけどね。

452 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 19:12:40.64 0.net
>他意を含むから
ではないか。

を、可能性だから
ではないか。

に替えれば、いえなくもない(それも可能性だけど)。

453 :時計 :2023/01/07(土) 19:30:53.12 0.net
>>451
>>446に関して言えば、偽と→は始めにありきですね。

454 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 19:51:40.74 0.net
>>417
>絶対確実は無い

それが未来の状態とか、「認識された対象」からの内容の推測の意味であればその通りです。
もちろん、人間に完全な知性がないのがその理由とも言えます。
ただ、そこから現実世界の「真理」自体は存在しないと結論づけるのは
飛躍しすぎだということです。

>>418
個人的には「真理自体の認識」なら懐疑的ですが、
「真理自体の存在」(特に存在論や数学科学の真理)については、
それ自体がない世界は考えられないから、
その理屈からして肯定するのが自然だと思っています。

>>421
>対象は認識とのセットで成立する

それは対象の定義によると思います。
「対象」とは意識やシステム(機械など)が捉えた「姿」
であれば、それはその通りだと思います。
ただし、「対象」=存在そのものであれば、認識に関わらず成立していると考えるのが自然です。
少なくとも「存在自体」が「人間の意識」なしで成立しないと考えれば、
それはただの人間中心主義だということです。
もちろん、「存在」の意味は人間の精神・思考に還元されないと考えています。

>>451
>タルスキの定義不能定理
真理については厳密にはそうとも言えますね。
だからこそ、真理自体は存在しないと思い込む人がいても不思議ではないわけですね。

455 :考える名無しさん:2023/01/07(土) 21:25:45.81 0.net
定理で哲学の真理をぬかりなく解説するのが無謀な事のように
人様の理路の正しさは計り知れるわけもなく
ご本人の真偽判断が真ならと真ということですね。

456 :非標準超球面論理 :2023/01/07(土) 22:56:53.17 0.net
A⇒Aを真とするのであれば
¬A∨Aが真であるということ。
A∧¬Aは偽だ。
¬A∨A=¬(A∧¬A)
意味が無いと考えるか、これが意味であると考えるか。

457 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 00:13:16.99 0.net
そのロジックが有効な説なら意味あるんじゃないの

458 :非標準超球面論理 :2023/01/08(日) 00:49:16.48 0.net
ひとつだけいえるのは、これが無矛盾律であるということ。
無矛盾であって、かつ、完全であることはない、とすれば、
無矛盾を維持するためには体系外に公理が必要であり、
この公理は更新される。
一種の生命メカニズムであり、意識をうみだすメカニズムでもあると考える。

459 :anonymouse :2023/01/08(日) 04:07:16.10 0.net
(真=真)=真,(偽=偽)=真
の双対(dual)は
(偽≠偽)≠偽,(真≠真)≠偽

ただし、上の式の真偽を入れ替えると、
何も説明しないめちゃめちゃな式が出てくる
つまり真は真でなければならず、偽は偽でなければならない
(真,偽,=,≠の関係性によってそれぞれの意味が担保されているとも言える)
つまり真偽は入れ替わらない(絶対性がある)が、全体で見て対称性がある

というのが落とし所ですね

460 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 04:20:22.58 0.net
おまえもたいがいアホやのw

461 :anonymouse :2023/01/08(日) 04:22:55.19 0.net
この時間に起きてるんだからお前もアホや

462 :anonymouse :2023/01/08(日) 04:28:15.26 0.net
論理はこの世界の極小のモデルだと思うんだけど
どうなんだろうな

463 :anonymouse :2023/01/08(日) 04:33:10.64 0.net
真偽だけでなく、
赤いとか冷たいとか人間の感覚、もっと言えばクオリアには、
絶対性があると思っている
赤は青にならないし、冷たいものは熱くない
でも丸いとか美しいという感覚はどうなんだろう?と思う

464 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 06:59:29.25 0.net
真理が可能性でないレベルで、赤と青を対称と考えるもの、冷たいと熱いを対称と考えるもの、いわゆる色や温度から、感覚の絶対性を示す時に、論理レベルで「相対的な絶対性」といったところで、意味のない真理になるだろうね。

465 :でこすけ:2023/01/08(日) 09:22:54.99 0.net
>>423
根拠も示されず、頭ごなしに「お前は間違っている」の一点張りだと
しまいにはトサカに来たりもするものです。
しかし根拠が示されないことはわかっています。
物質は存在しないので、その流れから苛立つのもわかりはします。

>>424
時計さんが想定している物質は、時計さんが言う意味において存在していると思います。
私が想定している物質とは微妙に違うものです。

>>427
私はデカルトはよくしりません。
『方法序説』は購入したことならありますが、読んだ記憶はありません。
ただ「延長されたもの」という表現は、気になってはいます。
私はデカルトを二元論の権化として位置づけていますが
けっこうそうでもないかも、
ただ、私は基本的に誰が何を言っているのかはあまり気にしないことにしています。
その後『方法序説』は古本屋に売却しました。

466 :でこすけ:2023/01/08(日) 09:43:42.65 0.net
>>433
真理についてとか、知性とは何かとか、
私はそういうことについても投稿を始めた頃から
折に触れて上り下りやってきたつもりです。
しかしよく考えてみると、その意図は示していなかった気もします。

意識のハードプロブレムの背後には
「精神的実態はどのようにして生成されるのか」
という問題があると思います。
つまりこれについて考えようと思うと、
原因とは何なのかとか、考えるというのはどういうことなのかとか、
そういうことまで視野に入れなければならない気が、個人的ながら、します。
そしてお釈迦様の掌の中にいるサルに導き出せる答えは限られている
というのが私の印象なわけです。

>>454
根拠もなく「絶対確実な真理はある」と結論づけるのも飛躍だと思います。
ただ残念ながら真理であれ物質であれ神であれ、無いということは証明できません。
ウルトラマンでさえその非存在を完璧に証明することはできません。
私としては、ほのめかすことしかできないのです。

467 :でこすけ:2023/01/08(日) 09:48:43.41 0.net
>>454
>認識に関わらず成立していると考えるのが自然
私もそのような印象をもっていました。
しかし そうではないかも というのが現代物理学という印象です。
本来の世界は私たちが日常から得る直観とはまるで違うものである可能性がある
ということだと思われます。

468 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 09:50:36.47 0.net
>>462
極小モデルは単語ではないか?
論の理を保つピース
>>464
たとえばこの世界は仮想現実だ
といってしまうと地上世界の実在可能性
現実を棚に上げた架空の話になるけど

東の空から実際日が昇って見える現象を
仮想現実だったよねといったりする
相対的な絶対性で、現象的意識の共有が
必要な説を解く場面に必要なら
意味を持つよね

469 :時計 :2023/01/08(日) 10:02:17.52 0.net
>>465
苛立ってはいませんよ。

>時計さんが言う意味において存在している
それは相対主義ではありませんか。
誰かがそう言う意味でそうであるというのは当たり前のような。

デカルトとでこすけさんの違いは、デカルトは物質の存在を疑うが、でこすけさんは存在しないという、そういうところかな。

私も物質は確率1で存在するとは思いません。
しかし、椅子は存在していると思わないと座れず、そういう意味では椅子は存在すると思っています。
デカルトの言うように、この椅子の存在は神の騙しであり得ますが、基本的にそれは無いこととして生活しています。

470 :非標準超球面論理 :2023/01/08(日) 10:08:57.97 0.net
A⇒A=True は、¬A∨A=True(またはA∧¬A=False)と等価であり、
いわゆる「形式的真理」と呼ばれるものです。
より一般的には「無矛盾律」と呼ばれますね。
いわゆる「〜的真理」という(古典的論理の)類になりますw

この世界が量子世界であるということであれば、
「量子論的真理」となり、量子世界である以上、「量子論的」が取れて、
「真理」となります。
「量子論的真理」として、存在確率半径1を(わたしは)適用します。
これは、裏表以上の多面性があり、双対のさらに多面版になります。
時空間あるいは時空間のようなもの(並進対称性)を持ちます。

471 :非標準超球面論理 :2023/01/08(日) 10:30:19.52 0.net
双対のさらに多面版は、無限面です。
4次元における微分構造の特性かもしれません。

472 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 10:43:48.06 0.net
>>466
> 意識のハードプロブレムの背後には
> 「精神的実態はどのようにして生成されるのか」
> という問題があると思います。

と言いつつ、問題は存在しないといいぶっちゃけどうでもいいと思っていると折に触れ公言してますよね。
でこすけさん的には、見えざる手にそう操られ振る舞ってしまうということになるのだろうか?

> つまりこれについて考えようと思うと、

「考えようと思う」のではなく、問題があると思った「精神的実態はどのようにして生成されるのか」の問題に取り組むべきではないかな

> そしてお釈迦様の掌の中にいるサルに導き出せる答えは限られている
> というのが私の印象なわけです。

考えて結論を出すのは僕じゃないともいっていたように、その印象は誠実に頭で考えた結論ではないということですかね。
確かに観念して思考停止してしまった想いの吐露に見受けられます。
と、こんなことを考えてお釈迦様の手の中で自閉的に申し合わせたような意見を掲示するより

> 原因とは何なのかとか、考えるというのはどういうことなのかとか、
> そういうことまで視野に入れなければならない気が、個人的ながら、します。

視野に入れた上で「精神的実態はどのようにして生成されるのか」について
時間を使い苦心し考えられる論理を掲示してくれると面白くなると思う。

473 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 16:36:11.95 0.net
>>466
>真理であれ物質であれ神であれ、無いということは証明できません

人間にとってはどの概念も証明自体はできないのも無理ないですね。
ただ、個人的には真理自体がない世界は想像できないと言いたかっただけです。
もちろん、それが真理が存在する証拠にならないと思っています。

>>467
現代物理学では、「認識されないものは存在しない」というより、
「認識されない対象の正体や構造などについて、厳密には不可知」
だという考えがあることだと思っています。
一方で、本当の世界は常識とは大きく違う可能性は高いことには同意ですね。

474 :非標準超球面論理 ◆KhxAJHUIl6 :2023/01/08(日) 17:47:24.31 ID:0.net
真理ですら、〜(論)的真理と、なんらかの拠(因/寄/依/撚/憑/由/選)所が必要です。
「絶対」といっても確率的なものでしかありません。
「相対」であってもなんらかの(確率的または恣意的な)基準が必要です。
科学においては、基準となるものを無定義用語として、「関係」のみを考えますが、
これは非数値的な確率を得るためのものといってよいでしょう。
それに対して「哲学」は、いかにマウンティングするかの技術を競うものですw
科学は「先取」というルールですが、(古典的)哲学は「力」がルールですw
口・腕力・金・権威・人気etc...
非古典的哲学は「エレガント」を競うものであってほしいですねw

475 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 18:18:43.80 0.net
そうかな?マウンティングは馬鹿にもできるけど、カントやショーペンハウアーのような哲学書はマウンティング馬鹿には来世含めて一生書けないと思う

476 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 18:24:09.42 0.net
サルトルやフッサール、マルクスもそうだが、あんなのマウンティング猿には永久に書けない高みにある哲学書だよ

477 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 18:27:37.75 0.net
あれを手書きで書いているんだからな、あの時代の哲学者は

マルクス・ガブリエルとか読むと、小学生の感想文に見える。まあ、一般向けにゆるく書いているのだろうが

478 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 18:34:50.65 0.net
こういうイメージもできますよ。哲学と目される問いがあって、手元には認識というピースがある。どうにかしたら全てハマるし、それはこっちの世界の話だから、確認することもできる。

479 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 19:13:30.42 0.net
>>465
おまえこそ気がするじゃなくて明確な裏付けを以て因果を組み立てろやボケw

480 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 21:09:59.74 0.net
哲学の手法、目的などを再定義する必要がありそうだ
しかし許されるか?

481 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 21:25:02.64 0.net
デカルトは意外とちゃんと読まれてない人の一人で、延長というのは物質が真実(ここに神が入るので、精確には「から」)の投射ではない事の証明なんです。なぜ幅や奥行きが在ると証明になるかというと、我々が知性の限界と呼ぶものだからです。そうすると、これは二元論になる。

482 :anonymouse :2023/01/08(日) 22:00:27.12 0.net
>>468
相対的な絶対性というのを言いたいわけではないんだ
赤のクオリアは赤のクオリアというだけで絶対性を持っている
次に青や緑と対比される、という論説でもよい
しかしながら絶対性の裏には相対性がある、というのが常のようで
でもそれって絶対と相対を相対的に見ていることにならないか?
とも思う

483 :anonymouse :2023/01/08(日) 22:02:53.29 0.net
でこすけさんは知性を信頼しないと言っているわりに、
物理学を信頼しているから中途半端
安易な相対主義、安易な不可知論と言わざるを得ない

484 :anonymouse :2023/01/08(日) 22:06:24.96 0.net
真であることは真であることは真→真、と
偽であることは偽であることは偽→偽、で
釣り合いが取れてると言いたいけど、
偽が4回出てきてるから-1を4回掛けて1になるようなものでたまたま釣り合っているように見えるだけかも
(真であることは真であることは真→真)は真
(偽であることは偽であることは偽→偽)は真
だし

485 :anonymouse :2023/01/08(日) 22:40:24.89 0.net
赤のクオリア(🟥←)と緑のクオリア(🟩←)は入れ替わらない、絶対性がある、というのは
無理に対比することによってむしろ対比が成り立たないことを言っている
これは行き過ぎた相対主義に対するアンチテーゼで、
常識を疑うと言う意味で意義があるが、
逆に言えばそれを、絶対性を表立って標榜するというのは、
現代に対する批判という意味では恒久的な議論ではない

486 :非標準超球面論理 ◆KhxAJHUIl6 :2023/01/08(日) 23:06:09.27 ID:0.net
相対主義は自己言及のパラドックスにいきついてしまうが、
だからといって絶対主義が正しいわけではない。
「存在」あるいは「対象」を決定づけるのが「自己同一性」であり、
これが自己射/id射であり限り、自己言及のパラドックスを引き起こすのだ、
と考えるのがおもしろい。
パラドックスは必ずしも矛盾ではないが、矛盾をかかえるからこそ「存在」であり
「対象」なのだ。
これを解消してしまうと何も起きない/起こらない。
パラドックスをかかえるからこそ、われわれの(動的/活動的)世界がある。
とすれば、量子論も哲学も(ほぼ自明ともいえる)パラドックスをかかえているはずだ。
自明すぎて気づかれないが、ときどき自己言及のパラドックスのようあらわれてくる。
そうなってくると、哲学的対象として考えうる最も基本的なものは「自己言及のパラドックス」
あるいは「自己同一性/アイデンティティ」であろう。
ただし、これを解消してしまうと世界は消滅するだろう(予言)。
世界はパラドックスからできている。
ということは...以下略

487 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 23:10:26.73 ID:0.net
コロナワクチンも自己言及のパラドクスのマッチポンプで、自然免疫破壊して医者と製薬会社ボロ儲けさせているだけだからな

488 :考える名無しさん:2023/01/08(日) 23:54:08.00 ID:0.net
いや矛盾は解消されるべき状態という感覚は失わない方が良いと思う
矛盾があるから正常だ、矛盾こそ真理だという姿勢は矛盾の矛盾性を消し去ってしまう

489 :75:2023/01/09(月) 01:43:31.88 0.net
「真理が無いことが真理であり、矛盾こそ真である」というのは相対主義の自己矛盾であるだろう。

真理を否定する立場でありながら相対主義を考え抜くと「たた相対主義だけは絶対」という真理を提出する。

それは、もとは「絶対的に正しい考え方がある」という意識が相対主義を形成していたことになる。

これは相対性が意識における絶対性を意識させることによって知ることが可能であるだろう。

490 :75:2023/01/09(月) 08:10:07.18 0.net
例えば、自説と他説が対立する場合、それが価値観の対立だったりすると、大抵は「絶対的な真理はない」という相対主義者が現れる。

相対主義者は自説も他説も全ては相対的な考え方であると言う。故に「(相対主義のみが正しく、相対主義以外に)真理はない」という真理を考えるだろう。

しかし、そもそも「絶対的に正しい真理がある」という意識がある故に、そのように相対主義が却って真理を展開してしまうのである。

相対主義と絶対主義は対立するが、本質は表裏一体の意識である。相対性を突き詰めることで本質的な意識を意識するのである。

ただし、一体的な意識であるが、対立的でもある。これは、意識は、現実の営為に基づいて再び相対性と絶対性の対立を再度作り出すからである。

491 :でこすけ:2023/01/09(月) 08:25:16.95 ID:0.net
>>481
ありがとうございます。
分かったような分からないようなかんじですが
参考にさせていただきます。

492 :でこすけ:2023/01/09(月) 08:54:21.16 0.net
>>483
私は以前述べたように、物理学は砂上の楼閣だろうという印象をもっています。
ゆるゆるの地盤の上にあって、いつか倒壊する可能性があるものだ
ということです。
とにかく自然の摂理を解明しようとしたけれども、
かえってわけがわからなくなったというのは
どこかに問題があるということなのだろうと考えます。
ただ、細部は精緻にできていて、地盤整備をしてからでも再利用できる部分は
たくさんあるだろうとは思っています。
何なら楼閣はそのまま使える気さえしてます。

私が物理学を引用するのは、一般的に説得力があるはずだからです。
私は物質が存在することを前提にしたはなしをすることがありますが、
とにかく私としては、私の主張が正しいか否か以前に
先ず「物質」を疑ってもらうことが先決だと考えるためです。
しかしこれはかなりハードルが高い課題のようです。
何故か知らんけれども「物質」はかつての「神」のように
絶対的な勢いで君臨しているかんじがします。

ちなみに地盤整備は物理学者の仕事ではなく
哲学者の仕事だというのが持論です。
より汎用性の高い世界モデルの提起のことです。

493 :でこすけ:2023/01/09(月) 09:16:33.96 0.net
どこかで勢いあまって「知性は信用できない」と言った可能性は
大いにあるでしょうけれども、
「知性による判断が正しい保証はない」ということにしてみます。
つまり正しい可能性もあるかもしれない、

しかしそういう話はこの際どうでもよくて、どうでもよくないけど、
とにかく私が単純に問題提起したいのは「物質」の正体です。
「霊魂」が虚構であるように「物質」も虚構なのではないか、
エーテルやフロギストンのような過渡的な概念なのではないか

申し訳ない時間が無い残念

494 :時計 :2023/01/09(月) 09:19:29.73 0.net
>>492
物質は絶対ではないよ。しかし、存在する。

495 :時計 :2023/01/09(月) 09:22:13.61 0.net
>>493
エーテルやフロギストンは哲学者ではなく一部の物理学者の説だったような。

496 :考える名無しさん:2023/01/09(月) 09:58:59.21 0.net
哲学は地盤についての学問なのか
すると静的なものを探すのか

497 :時計 :2023/01/09(月) 10:00:01.90 0.net
私は、物は境界のある存在と考えますから、何故物質は存在するかという問いは、
何故世界に境界は存在するかという問いと本質的に同一的だと考えます。
そして、境界があるということは、独立性があるということだと考えます。
独立性があるということは、例えば、A、B、C、Dという本の並びは、
C、D、A、Bという本の並びのように自由に変えられるということです。
そして、独立性があるということは、情報科学の言葉を借りれば、情報のエントロピーが低いということです。
要するに、世界を独立的に理解することは効率がいいのです。
もし物質が存在しなければ、世界はカオスでしょうね。:)

498 :考える名無しさん:2023/01/09(月) 10:03:16.15 ID:0.net
>>482
近視眼的な主観だとそうなるんだろうね
主体的に俯瞰する客観的な意識レベルで
思考していないと主観は相対主義的な呪縛に陥る。

499 :時計 :2023/01/09(月) 11:17:03.42 0.net
>>497 訂正
正:情報のモデルのエントロピー
誤:情報のエントロピー

500 :非標準超球面論理 ◆KhxAJHUIl6 :2023/01/09(月) 13:15:05.12 ID:0.net
結局、「矛盾」ではなく「(ある種の)パラドックス」がある。
パラドックスなくして世界は構築できない。
この種のパラドックスは、体系内では解消できない。
うまく定式化できないか、あるいはすでに定式化されているか調査中。

501 :でこすけ:2023/01/09(月) 16:05:15.61 0.net
>>485
ようするに赤と緑は入れ代わるのです。
赤即是緑緑即是赤
日常の中では入れ代わらないだけです。
赤と緑は入れ代わることもある
いわゆる正常ではありませんけど。

「絶対的真理は無い」は絶対的真理ではない
それも踏まえて「絶対的真理は無い」
それが超越者の目線

502 :非標準超球面論理 :2023/01/09(月) 16:07:51.60 0.net
パラドックスの分類は、大きくウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによるものと
フランク・プランプトン・ラムゼイによるものがある。
ここはクワインの分類を考えてみたい。
1. veridical paradox
2. falsidical paradox
3. 上記のどちらでもないparadox
4. dialetheia
ここでは第4のdialetheiaを採用したい。
ismをつけるとdialetheismであり、真矛盾主義という訳語がある。
これは矛盾でも無矛盾でもなく、二面性を持つ。
そうなると、「世界はdialetheiaでできている」ということになる。
量子論じゃーん!

503 :でこすけ:2023/01/09(月) 16:08:48.42 0.net
>>501
いや、やっぱり真理は有る
真理は有るし、それは無いということ
色即是空

504 :時計 :2023/01/09(月) 16:29:25.21 0.net
始まりは無い。

505 :非標準超球面論理 :2023/01/09(月) 16:34:31.75 0.net
第4の分類はクワインによるものではないが、
dialetheiaは東洋的でZen的仏教的である。

506 :時計 :2023/01/09(月) 16:35:35.41 0.net
dialetheiaは面白そうですね。今度、調べようかなと思います。

507 :時計 :2023/01/09(月) 17:29:24.59 0.net
真矛盾主義、情報が少ないな……

508 :時計 :2023/01/09(月) 18:14:51.16 0.net
矛盾を指摘する時、矛盾が有ると言い、矛盾の本質を語る時、矛盾は無いと言う。

509 :時計 :2023/01/09(月) 18:26:18.44 0.net
矛盾は無意味であり、有るのは言葉の上でしかないと思う。

510 :考える名無しさん:2023/01/09(月) 18:40:00.73 0.net
絶対的の反対語が相対的というだけで相対的真実を絶対的真理と見るのは誤解、他に並ぶものがない、何物にも比較されない、比較や対立を絶した存在を絶対という、これを踏まえれば絶対の的に存在する唯一無二の真理は的の真を貫く道理と見るのが正解。

511 :時計 :2023/01/09(月) 18:41:37.42 0.net
>>501
超越者の目線って何ですか?

>>502
結局、無いんですかね。

512 :時計 :2023/01/09(月) 18:45:23.70 0.net
>>510
真理は相対的だというのは、絶対的ではありませんか?

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