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意識のハードプロブレムの答え25

690 :689:2023/02/16(木) 01:28:56.03 0.net
しかしその赤ちゃんに自己意識が芽生えていないとするならば、
その一連の行動は「主観」とは別に行われているのだろう、とわたしは思います
つまり、すでに「主観」的なわれわれのように、

リンゴを見て、リンゴという言葉を思い浮かべ、リンゴという感触を感じ、リンゴを味わう、

そういった「感じ(感覚)」とは同じではないわけです
つまりその赤ちゃんは、
「言語と感覚の区別と相互性の運動無しにはその運動を思惟していた意識を自覚出来ない」状態にあるということです

だとしたら
自己意識‐世界と言語‐感覚は自己原因的に生じるものではなく、第三者による介入が必要になるはずです
第三者に生かされるということ、そしてそれに伴う「対話」…

そういった「相互性」が「『リンゴ』という言葉に「リンゴの感じ」を把握できるようにさせるのだと思います

声というのは赤ちゃんにとって感情の発露といっていいでしょう
それが言葉になるにつれ、その言葉に第三者が反応し、
その(第三者の)新鮮な反応がまた新しい刺激になる(赤ちゃんにとって)
そのインタラクティブな刺激が人間に「主観」を生み出させるのだろう、と思っています

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