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意識のハードプロブレムの答え32

403 :402:2023/11/14(火) 02:29:22.90 0.net
さて、意識とは、一般的に「対象」と「概念」の相互的な運動に超越する理念的な意識、また理念的なものでもあり得る欲動である。この欲動が、概念と対象の運動を有限な運動として規定する。例えば、「渇き」は、飲料を価値ある対象として捉える。意識は、価値の概念を通して飲料を価値あるものとして把捉する。そうして、飲料を得て消費して喉の渇きを癒すならば、概念と対象の相互的運動の方が、欲動を満たしつつ消し去ってしまい欲動を規定する。欲動は、そのような意味では有限なものである。

では、様々な概念が登場するなかで、「諸概念の概念」としてあるものは何か。それは、様々な対象を観察することで考えうるだろう。それは、真や善の究明(前スレ:『〈実体性〉補足』および各論)や、幸福追求の基礎(前スレ:『「自由」と「幸福」の概念的比較』)に関わる、自由の概念(哲学)であるだろう。何故なら、そもそも、概念を通して対象を把捉するというのは、総じて混沌を秩序付ける、ということであるからだ。歪でカオスな状態に於いて、個々の同一性を調和させなければ、諸々の概念の定立に意義はない、というワケである。諸概念が自由である限りで、対象は合理的である。

概念の規定する対象は、しかし、絶対的な対象ではない。それは、例えば、完璧に作成したつもりの自らの「作品」に粗や瑕疵が見えてくることと同様である。そうした捉えどころのない歪な混沌を調整する必要性を、また対象の混沌をより小さくする必要性を、意識は不自由にも幾度も抱くのである。

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