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ウィトゲンシュタイン 5

1 :考える名無しさん:2023/12/04(月) 17:30:31.63 ID:0.net
存在論的に[オントロジー]痒いところに手が届くのが
形而上学や哲学であるのに対して、そこに手が届かないのが
科学や論理である。

よって、科学や数学、論理は「測れないもの」に対しては
原理的に無力にならざるを得ない。その一方、形而上学は
「測れないもの」への独自のアプローチと照射があるため、
それは現代でも世界中の人々の心を捉えて止まないのである

古代ギリシャ時代から哲学は一部の無知な者たちから罵倒、
揶揄されてきたが、現代においても廃れる傾向がないのである。
なぜなら、哲学は存在論的に普遍者を志向しているからである。

時代に関係なく、人類の知的クラスタの間には、普遍的な
ものへの志向があるのである。これが古代ギリシア語で、
智慧や叡智を意味する「ソフィア」と呼ばれるものになる。

つまり、この精神こそが、哲学(フィロソフィー)なのである。


※前スレ
ウィトゲンシュタイン 4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1700849339/

116 :考える名無しさん:2023/12/08(金) 10:24:41.04 ID:0.net
「論考」の帰結は、後期ウィト(「哲学の探求」)が自身で否定しているから、虫が言っているのは前期ウィトの古い話

無知蒙昧だから、もう相手にする気もないのだけど、どうやったらこれだけ社会のゴミになれるんだろうな

117 :考える名無しさん:2023/12/08(金) 10:39:03.26 ID:0.net
メイヤスーの「有限性の後で」は新実在論がテーマの良書だから、
虫もスレ荒らす暇があるなら、読むべきだな。虫は無知蒙昧過ぎて、
哲学の話に参加出来るレベルでないし、カントどころかメイヤスーさえ
全く読めないだろうな

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