2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

意識のハードプロブレムの答え36

1 :時計 ◆1z400PXZnw :2023/12/11(月) 23:29:18.48 ID:0.net
1の考え。

客観はある種の主観である。
脳神経系を含む客体は主観を精緻に表現=代表したものである。

他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側に存在する。

他者の意識と呼ばれるものは他者の声である。
それを他者の意識のように思うのは主体にとって声は極めて意識的であるからである。

あらゆる主観は客観化可能である。
例えば、クオリアは立ち止まりとして客観化可能である。

根源では主/客の関係は消失する。
例えば、どこかで雷が鳴ったとする。
その雷は独立性の高い形式での私である。

語り得ないことは語り得ないと語り得る。

無は無い。

意識のハードプロブレムの答え35
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1701063923/

771 :考える名無しさん:2023/12/21(木) 12:35:01.05 0.net
学歴とか勤勉とか・・、なんと古く凡庸なことよw

772 :考える名無しさん:2023/12/21(木) 13:30:45.33 0.net
「『さ』の発声」≒「離間」する様態/作用という概念化を利用して次のような表現解釈も可能である。

「さ(冷/覚)める」≒「さ(離間)・め(累加的に)・る(作動)」≒「累加的に[〜が]離間する」
「さび(寂)し」≒「さ(離間)・び(「ひっくりかへし」のメタ言語的指示)・し(生じる)」≒「(効果として)離間を己に生じる」

何度でも繰り返すが、私は、「『さ』の発声」≒「離間」という概念化を「定義」として用ゐることにより、様々な日本語の表現を「定義」しようとしているのではない。
そうではなく、「さ」の発声の用法を概念化することによって「『さ』の概念」として扱ふことができるようになった「離間」という表現をメタ言語として利用して、「さ」の発声を用ゐる様々な表現のメタ言語的な記述をこころ(試)み/心観ているのである。

773 :考える名無しさん:2023/12/21(木) 13:52:40.93 0.net
さらに云へば、私がここでメタ言語的にやろうとしている、発声の用法の「概念化」を利用したことばの解釈のこころ(試)み/心観を、万葉集に詠まれた歌などは、実際にこゑ(声)を様々に組み合わせて複合的につか(使/仕/遣)ふことにより、その効果としてどのような概念化がもたらされて、都合よく利用できるようになるかを、メタ言語的に記述しようとすることなく、ことば遣いそのもののレベルでこころ(試)み/心観ているのである。
しかし、これは、歌を詠む技芸に限定されることではない。こゑ(声)により、なにがどのようであるのかを如実に伝へようとする行為自体が、そのようなこころ(試)み/心観なのであり、その繰り返しにより、他方では中国語となった表現と重なるこゑ(声)の用法を概念化しながら大々的にみづから(身づ柄/自ら)のつか(使/仕/遣)ふことばとして「取り込む」/"to assimilate"/"to appropriate"ことで、後に「日本語」と呼ばれることになる独立した言語体系が形成されていったと考へることができる。

総レス数 1001
285 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200