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【イレイザーヘッド】柄谷行人を解体する75【の現在】

224 :考える名無しさん:2024/02/06(火) 18:35:33.93 0.net
イポリット『生成と構造』

〈さてベルクソンは、切り離し区別するこの能力を、本当に我々の精神にだけ置いているの だろうか。ベルクソンにとっても、諸々の 生きた身体と生の進化における諸々の 方向性が、 あるのではないだろうか。 (中略)ベルクソンが我々に対して、諸々の事物のうちに、存在の うちに、持続のうちに、そしてまた絶対的原理のうちに、諸々の分離や区別があるという ことを認めるというのならば、そのとき彼は宇宙と〈絶対的なもの〉それ自体のうちに、 否定を導入しなくてはならなかった、ということになる。なぜならば、ヘーゲルがそのこ とを示そうとしたように、否定と区別とは互いに含み合っているからだ〉

ベルクソン哲学には、「否定」がないかのようなことになっているが、
じっさいには「否定」があるだろう、隠しているだけだろう、
とイポリットはいうわけであった。

揚げ足取りみたいになるが、反弁証法であるところの、ベルクソン哲学には否定がない、ドゥルーズ哲学には否定がない、
とはよくいうが、「否定がない」というのは、否定を否定している、
すなわち、否定の否定だから、これは弁証法なのではないか。

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