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【イレイザーヘッド】柄谷行人を解体する75【の現在】

618 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 04:30:02.09 ID:0.net
おおざっぱにいえば、『モーゼと一神教』では、父親(モーゼが父に擬せられている)の殺害という欲望に対しておかれる禁止が内在化されることによって、
普遍宗教が成り立つというのだから、「原父殺し」を経ることによって人間の歴史は文化(文明)の段階に達するとした『トーテムとタブー』の延長上のものであるところの
「エディプス的問題」としての歴史把握がなされている。
その点は柄谷行人のいうとおりである。
しかし、父親との同一化が超自我の形成だとする「エディプス的問題」設定抜きに、「『死の欲動』の観点から見るべきであった」(柄谷)
というのが、いったいフロイトのどの著書に書いてあることを言うのか、それがさっぱりわからんわけよね。
フロイトは、「エディプス的問題」設定ぬきで「『死の欲動』の観点から(のみ)見る」ような理論というものを、
一回も唱えたことがないのである。

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